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大泉洋は、「水曜どうでしょう」の昔から好きで、紅白歌合戦の司会や、大河ドラマの大役、そして福山雅治との日曜劇場主演と、今や芸能界の頂点を極めた感がある。さらに、今回の地方選で、実兄が函館市長に当選するということもあり、恐いモンなしで、出演CMも乳酸菌飲料最王手、有名醤油にポン酢とか、やたらに多く、北海道ローカルでは、もっと多いらしい。以前にも書いたが、私の絶対に許せない「あしたのジョー」のラストシーンを茶化した「ダイハツタント」の、後継CMに出ていたのは、ちょっと、いただけなかった。しかし、今回のサントリーの「プレミアムモルツ」出演はいかがなものだろう。いや、何も、サッポロビールのCMに出ろと言うのではない。大泉洋は、きっと、プレミアムモルツが好きなのだろうから、そこは文句は言えない。だけどね、そこはわかっていても、なんか、北海道を裏切ったように、思えるのだ。せめて、ビールのCMには出ないという選択が欲しかったと思うのは私だけだろうか。
2023.04.30
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洗濯機もまた、冷蔵庫のちょっと前に、夕張の我が家にやってきた。やたらモーター音が大きく、ローラーを手回しして、洗った衣服を絞るのが、なんとも、興味深かった。やがて、自動脱水機能が開発され、その時点では信じられないほどの進化を遂げた。週に1,2回、自分で洗濯している今になって思えば、毎日、サッカーの部活で泥だらけのジャージなんかを洗濯をしてくれていた母の労力は、大変なものだったろう。冷蔵庫に比べると、洗濯機の進化は驚異的で、現在の主流は、「全自動洗濯乾燥機」である。母が毎日の洗濯に終われていた頃に、これがあればとか思ったりもする。10年ほど前に、洗濯機が壊れてしまい、買い替えたのだが、その頃、やっと出始めた「乾燥機」もいっしょにと思ったものの、洗濯をする機会と量を考えて断念したのだった。今の洗濯機は、まだまだ故障する気配はないので、どうやら「全自動洗濯乾燥機」をつかうことはないようだ。
2023.04.29
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№245テレビアニメ「‘94夏だ一番!ドラえもん」:夏休みの特番。私のドラえもんは、やっぱり大山のぶ代さんだな。洋画「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」:今、アニメのマリオ映画が大ヒット中だが、平成5年(1993)に、スーパーマリオブラザーズの実写版映画があったことに、まず驚いた。金もかけているのだが、クッパもヨッシーもキノコさえ、グロテスクで、マリオのファンタジー感がなく、残念ながら大失敗作。邦画「水の旅人」:大林宣彦監督作品。今見ても良かったが、現在のCG技術が使えたらと思うと、ちょっと、残念。テレビアニメ「ドラゴンボールZたった一人の最終決戦」:今なお続いているドラゴンボールの重要な、悟空の父の物語。№246洋画「ゴッドファーザーⅢ」:なかなかの悲劇だが、見ごたえ十分のシリーズファイナル作品。洋画「不法侵入」:ストーカーもののサスペンスで、なかなかよく出来ている。ヒロインのマデリーン・ストウがいい。ミュージック「ロック大全集②」:サイモンとガーファンクルが、いや、懐かしい。
2023.04.28
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まだ3歳にならない頃の記憶なのだが、炭鉱住宅のお隣の台所に、大きな木製タンスみたいなのがあって、それが当時の冷蔵庫で、大きな氷で冷やしていたようだ。電気冷蔵庫というのが、我が家にやって来た時、母の興奮は大変なもので、私たち子供には、勝手にさわることを禁止されていたように思う。今の冷蔵庫に比べると、半分ほどの大きさだったが、氷がつくれたり、ジュースを凍らせて、シャーベットにしたり、試験管のようなサッカリンの空き容器で、手づくりアイスクリームまで作れたのだから、電気冷蔵庫は、まさに魔法の神器だったのだが、ものごころついた頃から普通に家にあったので、そんなに、ありがたみは感じていない。大容量化、省電力化とか、様々な改良は行われているものの、画期的な機能改革は行われていない。また、故障が少ないこともあり、我が家では、30年ほど前のが2台あり、母の使っていたのは稼働していないが、どちらも現役で十分つかえている。
2023.04.27
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立川こはるが、立川小春志(こしゅんじ)と改名し、真打昇進する。この真打昇進披露興行が、すごい。10月28日から11月1日までの5日間昼夜で10回、有楽町朝日ホールで、行われるのだが、初日から順に、桂三三、柳亭市馬、柳家喬太郎、さだまさし、立川志の輔、春風亭一之輔、立川志らく、桂宮治、笑福亭鶴瓶、春風亭昇太という、ちょっと考えられない豪華版。このメンバーを、すべて生で聴いたことがある私も、どうかしているのだが、それだけに、ちょっと、行ってみたい気がしている。28,29日は、三重県で大学の同窓会があり、その帰りに、先日生まれた3人目の孫の顔を見に千葉に寄ろうかと思っていたのだが、30日か31日の公演には行ける可能性がある。しかし、まぁ、チケットが取れるとは、ちょっと思えないので無理だろう。「立川こはる」時代には、秋田に度々来てくれて、私が差し入れした「バター餅」を絶賛してくれていたので、ご祝儀に届けられればと思っているのだが、どんなものか。
2023.04.26
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テレビについて書いたついでに、「レコーダー」と「ビデオカメラ」についても、書いておく。テレビの番組を、個人の家庭でも録画できるというのを知り、「病的な収集癖」がある私は喜び勇んで、「ビデオレコーダー」に飛びついた。その結果が、1000本近くあると思われる録画済みのVHSテープであり、その処分のため、今も「VHS断捨離」を継続しているのである。VHSレコーダーは、3,4台買い替え、今も1台所有している。この録画媒体や方法も、VHSだ、ベータだ、ブルーレイだとか、めまぐるしく変化しており、着いていくのがやっとで、気づいてみれば、VHSを捨て、ブルーレイんい置き替えているだけのような気もする。長男が生まれた時に購入したVHSテープが丸ごと入る日立のビデオカメラは、miniDVというサイズに縮小し、カメラもパナソニックに買い替えた。私の子供の運動会や学芸会には、ビデオカメラを手にした親が殺到したのだが、今では、スマホがそれに代わるという、すごい時代になったものだ。
2023.04.25
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家電といえば、まずはテレビだろう。テレビは、ものごころついた頃からあった。もちろん白黒テレビしかなかったのだが、どの家庭でも、競うように購入しており、ほとんどの炭鉱住宅に普及していた。金曜日の夜8時に、「力道山のプロレス中継」と「ディズニーランドの番組」が隔週で放映されていたことを知っているのは、私たちの世代だけだろう。ラジオしかなかった時代、テレビは、まさに夢の家電だった。当時のテレビは、やたら故障が多く、特に「チャンネル」が壊れやすかった。寿命も短く、3年ぐらいで買い替えが必要だった気がする。昭和40年代になって、カラー放送が始まり、また大騒ぎが始まった。いち早くカラーテレビを購入したお宅に、近所の人が集まって、カラー放送を堪能するというのが、カラーテレビが全家庭に普及するまでのしばらくの間、続くのだった。今のテレビは、チャンネルやブラウン管が無くなり、薄く、大きくなり、鮮やかな液晶画面で、故障も少ないという信じられぬ進化を遂げたのだった。
2023.04.24
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昭和30年当時、夕張市の中心地だった夕張本町商店街には、「ミツノ電気店」と「マキタ電気店」という2大家電販売店があった、というか、夕張市内で家電が買えるのはここだけだった。炭鉱は隆盛期のピークを迎えており、そこで働く炭鉱マンは経済的にうるおっていた。しかも、当時は、「白黒テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」が家電「三種の神器」と呼ばれており、この2店は、面白いほど家電が売れまくっていたと思う。現に、何か家電を購入することになった時には、幼かった私と妹も含めた一家全員で、この電気店にでかけ、父と母が、ああだこうだと吟味している横で、子供たちは暇を持て余すのだった。それでも、今から思えば、あの真新しい家電に囲まれた場所は、それなりに楽しかった。昨今、いわゆる「街の電気屋さん」は絶滅寸前だ。だから、どうしても、家電量販店に行くしかないのだが、たとえ何も買うつもりもないが、そこに入ると、なぜか楽しいのはどうしてだろう。
2023.04.23
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娘からLINEで、「今朝、2856gの女の子を産んだよー」との連絡があった。予定日は26日と聞いていたので、懸賞で当たったグミと大好きなりんごジュースを、この日に着くように送って、出産「応援」のつもりだったのだが、出産「祝い」になってしまう、うれしい誤算となった。2人目の時はコロナで、行きたくても行けずに、2歳になってから、やっと会えたのだが、3人目には会おうと思えば、今すぐにでも会えそうなのだが、産後とか孫の世話には、何の役にもたたないジジイなので、そこは遠慮しようと思う。それにしても、たとえ自分の娘じゃないとしても、子供を3人も産むというのは、素晴らしく、掛け値なしに絶賛したい。出産は絶対に出来るはずもなく、親としても3人の子供を持ったことはないのだから、もう、称賛するしかない。ジジイ一個人としても、3人目の孫を持たせてくれたことに感動し、心から、「ありがとう」というしかない。秋の三重での同窓会の帰りにでも、会いに行けたらと、ニャつくのだった。
2023.04.22
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No243洋画「JFK」:映画としては面白かったが、本当のところはどうだったんだと、今さらながら聴いてみたいものだ。録画されていた、淀川長の解説が鮮烈。テレビドラマ「新刑事コロンボ マリンビーチ殺人事件」:ちょっと、捻りすぎというか、元々のシンプルさに欠ける。テレビドラマ「新刑事コロンボ 殺意のキャンバス」:これも同じく、やたらに長引かせるだけで、結局は夢オチみたいなのにはがっかり。No244洋画「ロケッテイア」:SFコメディとしてはよくできているが、時代が第二次世界大戦下というのは、ちょっと苦しいか。アイアンマンのヒントになったのは確かだと思う。洋画「マイ・ガール」:マコーレ・カルキンが、ハチのアナフラキシーで死んじゃうのがショッキングだが、そこだけという気もする。邦画「学校」:山田洋次監督、西田敏行、田中邦衛の夜間中学校を舞台にした名作。4作目までシリーズ化。
2023.04.21
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「東映」と「松竹」は、夕張本町入り口の、炭鉱病院前にあったと思う。その跡地は、中央ストアというスーパーになり、そこが、あの「幸せの黄色いハンカチ」のロケ現場になったのは、偶然だったとは思えない。「日活」はあまり記憶がないが、本町にあったような気がする。「大映」は住んでいた福住の炭住から近く、よく見に行ったが、「眠狂四郎」「兵隊ヤクザ」なんかは見せてもらえず、「忍びの者」「座頭市」ぐらいからで、「ガメラ」には、ちょっとがっかりしたが、最後まで残った映画館だったように思う。この時代のメインは、やはり「東宝」で、「ゴジラシリーズ」と「若大将シリーズ」のほとんど、この東山公園に上る階段の近くの「東宝」で見た。思い出したが、当時、新築だった夕張市民会館では、洋画を専門に上映していて、ここで「小さな恋のメロディ」なんかを見て感動した記憶がある。あれだけあった映画館は、まったくなくなり、夕張と映画の関係は「夕張国際ファンタスティック映画祭」に名残を残している。
2023.04.20
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テレビについて書いていて思い出したので、以前にも書いたのだが、もう一度「映画」について書いてみる。私が生まれた昭和30年(1955)は、北海道の炭鉱産業がピークに達していた時だった。テレビも普及する前だったので、娯楽の最高峰は「映画」だった。当時、12万人ほどの人口だった夕張市には、「大映」「東映」「東宝」「松竹」「日活」のメジャー映画の封切館が、あの狭い市内に営業していた。先行封切りの東映「網走番外地」は、もちろん満員御礼で、私ら子供は、東宝の「ゴジラ」と「若大将」に列をなすのだった。「映画」に関しては札幌よりも、へたをすれば、東京よりも、先を行くのが夕張だったかもしれない。共同浴場には、近かった大映の映画ポスターが貼られていて、「眠狂四郎」や「兵隊ヤクザ」ならまだしも渥美マリの「いそぎんちゃく」や「でんきくらげ」なんかには、うれしはずかしの小学生だった。ほんの10年ほどで、炭鉱は無くなり、市民は激減し、映画館も消滅したのだった。
2023.04.19
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本日、庭の片隅に枝豆の種を20個ほど蒔いた。もっとも陽当たりが良いので、毎年、ここから蒔き始めることにしている。いつもは、5月に入ってからなのだが、桜も二週間も早く咲き、もう、散り始めているのだから、きっと大丈夫だろう。今年の春は、本当に早く、記録的な温かさなので、早目のタイヤ交換は大正解だったし、冬物のクリーニングも、とっくに終えてしまった。ここ二週間ほど、朝の最低気温も零下にはならないので、一階の水道管の氷止めも、そろそろ解除してもいいようだ。庭の草木も、やっぱり早く、水仙は、もう咲き終わってしまい、ヤマブキも散り始めている。ツツジもピンクと赤が満開で、庭の草花を楽しみにしていた母がいたら、喜んだろう。さて、これからは、発芽の具合を見ながら、なんとか、毎日、少しづつでいいから、なるべく長く、出来れば秋の終わりまで、枝豆晩酌を楽しめるよう、時間差種蒔きを実践しようと思う。
2023.04.18
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私の「テレビ地方局不足による文化格差論」は、首都圏などで、見たいテレビ局を選べる方々には、ちょっと理解しがたいだろう。そこで、「ドリフターズ」を例に挙げて説明させてもらう。秋田県では「8時だよ!全員集合」の生放送が無かったので、秋田県民はドリフの生放送も知らないし、荒井注は知っていても、それに代わった「志村けん」の登場を知らないのだ。秋田県民は、何の疑いもなく「俺たちひょうきん族」を楽しみ、それに追われて打ち切りになった「8時だよ!全員集合」の後番組の「カトちゃんケンちゃん」も知らないのだ。だから、「志村けん」の捉え方というのが、秋田県では、イマイチなのだと思えてしょうがないのだ。ここからは、まったくの極論なので、笑って済ませていただきたいのだが、秋田県民はいかにも「フジテレビ」的で、青森県人はどうしょうもなく「TBS」的だと、私は、思い込んでしまうのだった。だから、なんだと言われれば、そのとおりのジジイの思い込みでした。
2023.04.17
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卒業して、秋田県に来て、驚いた。昭和54年なのに、民放テレビ局が、日本テレビ系のABS秋田放送と、フジテレビ系のAKT秋田テレビの二つしかないのだ。これは、ある意味、逆のカルチャーショックだった。秋田育ちの方々は、「8時だよ!全員集合」を知らないのだ。秋田県民にとってのドリフターズは、フジの「ドリフ大爆笑」だけでしかないのだ。どうでもいいことだとか、それがどうしたという意見もあるとは思うが、私にとっては、「特定民放ネット局不足」は、そこの県民性とかに大きな影響を与えているように思えてならない。首都圏や北海道に比べて、番組の選択肢が狭められるというのは、かなり大きな文化格差をもたらすと思うのだ。秋田県では、1991年にテレビ朝日系のAAB秋田朝日放送が開局したが、いまだに、民放は3局で、TBSの番組は、ほとんど見ることができない。個人的には、ボクシングが見られず、憤りを感じている。同様に、青森県にはフジ系の地方局がない。今は、BSやネット配信で、金を出せば、大体のものは見られるのだが、我々老人には、それも難しい。
2023.04.16
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大学の同級生で高知県でペット病院を開業しているKくんから、4月14日放送の「坂上動物王国」に御自分のペット病院が出るという、同窓会のチェーンメールが届いた。この番組は、大好きで、いつも見てはいるのだが、同級生が出るというので、気合を入れて観た。番組には、Kくんは、まったく登場しなかったのだが、副院長である獣医師の奥様が、献身的な譲渡活動について紹介されていていて、感動的な内容だった。Kくんによると、損得抜きで、高知県の殺処分ゼロに貢献していて、ドッグランなどの施設は、自ずからの手作りだという。Kくんと奥様は、日本各地で開催される大学の同窓会に、毎回、必ずキャンピングカーに愛犬数匹と共に参加してくれていて、昨年の山形蔵王にも、参加してくれていた。そこでも、殺処分ゼロと、譲渡犬活動について、熱く語っており、宴会の翌朝には奥様が愛犬を引き連れて散歩させる様子をホテルの窓から眺め、いや、素晴らしいと感服していた。何とも、誇らしい同級生ご夫婦だ。
2023.04.15
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今日で、結婚から38年目になる。なるのだが、21年前に女房は亡くなっているので、だから、それがどうしたと言われてもしょうがない。とにかく、あれから38年にもなるのだから、我ながら、あっという間だと驚いてしまう。今では、息子も娘も、とっくに結婚していて、私だけが独り身で、一人暮らしなのだが、今のところ、さほどの不便も不安は感じていない。むしろ、誰かと同居しなければならないことになったとしたら、それが、たとえ自分の子供たちでも、絶対に無理だと思う。そう考えると、介護が必要な体になった場合でも、私のを担当になった介護職員の方とさえ、うまくやっていけるのだろうかと、ものすごく不安に感じる。「ひねくれ独居老人ソロキャンプ生活」が長くなってしまい、せっかくの結婚記念日でさえ、こんなメッセージしか書けない自分が、ちょっと心配になるのだった。でも、笑われても、家族の記念日だけは、ここに、書き留めておきたい。
2023.04.14
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看護学院の講師の仕事が、今日から始まった。今年度からは、昨年の2倍に授業時間が増えたので、春から秋まで、木曜日、毎週1回の講義がある。教えることには興味があり、嫌いではないので、おおいに頑張るつもりだ。今日は、朝から「黄砂」だ、「竜巻発生注意」だとか、かなり不穏な天候だったこともあり、少し早目に家を出た。クルマに乗ったとたんに、アラレが音を鳴らして降りかかってきたが、むしろ、雹(ヒョウ)だったのかもしれない。やれやれ、初日から、歓迎の「アメアラレ」かと思っていたら、それどころではなく、ミサイルまでも降るというJアラートが北海道に出たという。どこから、何が、いつ発射され、どこに落ちたのかもわからないのに、何がアラートなんだろか。講義場所は、コロナ対策で広い講堂だったのが、教室になったので、ようやく学生と対面で講義ができて、やりやすかった。ということで、無職の生活に、シンが出来た。頑張ろうっと。
2023.04.13
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以前にも書いたが、テレビの地方局について書いてみる。炭鉱が最盛期で、新しもの好きの父だったので、3歳の頃には、すでに家にテレビがあり、「元祖テレビっ子」だった。当時の夕張というか、北海道には、HNKとNHK教育の他に、TBS系のHBC北海道放送と日本テレビ系のSTV札幌テレビ放送の二つの民放地方局があったというか、それしかなかった。HBCでは「隠密剣士」や「ウルトラマン」や「8時だよ!全員集合」を、STVでは「シャボン玉ホリデー」や「笑点」や「11PM」を見られて、そこは、まぁ、良かった。その後、昭和42(1967)年にテレビ朝日系のHTB北海道テレビ放送、昭和46(1971)年にフジテレビ系のUHB北海道文化放送が加わり、平成元(1989)年には、テレビ東京系のTVhテレビ北海道が開局している。昭和50年まで、北海道で過ごし、神奈川の相模原の大学に入学したのだが、2年間の大学寮生活では大好きなテレビが見られず、アパートに移ってから、やっと中古のテレビを買ったのだった。
2023.04.12
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私も、初代シビックから、今のN BOXまで、歴代10台ほどのクルマを所有することになった。基本的に、運転は下手で、クルマにも詳しいワケではなかった。クルマの購入については、クルマ好きで、運転も上手かった女房が実権を握っていた。それにしても、クルマがこれほど普及するとは想像もつかなかった。女性の運転免許取得も、昭和には考えられないほど増えた。今では、運転免許を取得していない女性の方が少数派になってきている。実際に、男性:女性は、6:4ぐらいになっているのではないか。さて、ここにきて、切実に感じるのが、高齢者ドライバーの増加だ。私の住む地域では、3台に1台はシルバーマークのクルマと言っても過言ではない。「シルバーマーク」というのは75歳以上と規定されているようだが、これはマジか?と思ってしまうほど、やたら多いのだ。私だって、あと7年ほどで、「シルバーマーク」を装着しなければならないのだから、まったく、他人ごとではない。
2023.04.11
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運転免許所は、大学2年の時に、相模原の橋本自動車学校に通って取得できた。これからは、運転免許がなければと思い、親に無理を言って取らせてもらったのだが、今考えると、親も大変だったろうと思う。だからというのではないが、息子と娘には、高校卒業までに免許を取らせたのだった。さて、昭和54年に、秋田県に入庁したのだが、その時にはクルマを持っている新採職員などは、稀というより、皆無に近かった。なのに、業務では、食品衛生監視班ということで、コロナのバンの公用車を運転することになったのだが、班長と私の二人だけだったので、歴代の私の班長さんたちは、私のド下手な初心者運転に、よくぞ耐えてくれたものだと、今さらながら思うのだった。郊外にある「と畜場」での食肉検査には、車庫に余っていた自転車で通っていたのだが、雪が降れば、自転車では通えないワケで、どうしようもなく、父に頭金を出してもらって、Hondaに勤務していた従弟から白いシビックを購入したのだった。
2023.04.10
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私の父は、妙なところで新しモノ好きで、私が小学校の4年生ぐらいの時に、自家用車を購入した。白とベージュのツートンカラーのブルーバードの中古車だった。当時の炭鉱勤めの職員は、「人車」と呼ばれるトロッコで通勤しており、クルマはまったく必要ではなかったし、炭鉱住宅には車庫どころか駐車場さえなかった。したがって、クルマを持っているというのは、本当に少数派だった。父は、機械に強いワケでもなく、不器用で運転もけっして上手くはなかったが、とにかく地図が好きで、それもあり、ドライブが大好きで、「新しい道」がもっと好きで、その結果、道に迷うことがままあった。脳梗塞になって運転ができなくなるまで、何台か中古車を買い代えたが、1度だけ、新車を購入したことがあり、それは当時デビューしたばかりの赤いカローラだった。このカローラは、私も運転した記憶があるので、相当長く乗っていたようだ。今となっては、懐かしい思い出だ。
2023.04.09
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夕張でのトイレは、もちろん「汲み取り式」だった。定期的に汲み取りに来てもらうのだが、バキュームカー以前には、「おわい馬車」で汲み取り作業をまかなっていた。冬場のトイレは、「うんこ」が積み重なり、それが凍って、先が尻に刺さっただとか、トンカチで折ったとかいう、ウソかホントかみたいな話がいろいろあった。「水洗トイレ」とか「洋式トイレ」というのを知ったのは、いつごろだったろう。今では、「和式トイレ」というのを見ることもなくなってしまった。ちょっと話はズレるが、秋田駅近くの「秋田拠点センターアルヴェ」の二階には、「和風トイレ」と表示された、だだっ広いトイレがあって、なんだか笑ってしまう。ともかく、「和式」から「洋式」へ、そして「洗浄機付きトイレ」へとトイレは確実に進化している。かくいう私も、世界一快適だといわれる「洗浄機付きトイレ」しか使えない体になってしまっているのだった。
2023.04.08
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ムツゴロウさんは、獣医師ではなかったので、あれだけの動物を飼っていても、自分で治療行為をすることは、表向き出来なかったし、テレビ番組では絶対に放送されなかった。ムツゴロウさんにしてみれば、「自分で治療する方が、よっぽどいいのに」と、思っていたことだろう。また、あれだけの動物をかっていたので、当時、危険動物飼育などを担当していたと思われる地元の保健所とは、かなりもめ事があったのではないか。実際、「犬の登録と狂犬病予防注射」では、保健所泣かせだったというウワサを聴いたことがある。新聞テレビでも、大きく取り上げられ、フジテレビ系では、明日、特番があるという。様々な功績がメディアで紹介され、改めて、その偉大さを確認することができ、古くからのファンとしては、うれしかった。私が、ムツゴロウさんの一番の功績だと思うのは、「動物の死」というものを、ゴールデンタイムのテレビ番組で、知らしめたということだ。どうか、やすらかに。
2023.04.07
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ムツゴロウこと畑正憲さんが、亡くなられた。アントニオ猪木さんもムツゴロウさんも、私のヒーローだった。年齢的に、致し方ないこととはいえ、あこがれだったともいえる方々の死は、とても悲しい。ムツゴロウさんについては、やはり「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」というフジテレビの番組で知り、大好きになった。今も、VHS断捨離で、番組を見直すたびに、こんなに、すごいことをやってのけた方はいないと思い直している。犬社会や、負け犬や、ヒグマやツキノワグマの冬眠について、あれほどの知識と映像資料を残した方がいるのだろうか。人気絶頂の頃には、著作の全集も購入し、もはや完全なムツゴロウフリークだった。ムツゴロウさんは、やはり、天才だったが、それゆえにわがままで、人の好き嫌いと、その変遷が、尋常ではなかった。その結果、多くの、協力者や、自分を慕って集まった弟子や、肉親とまで、うまくいかなくなり、あの素晴らしい動物大国を失ってしまうことになったのだと思う。
2023.04.06
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今日は息子の37歳の誕生日だ。青森県で仕事をしている息子なのだが、今現在、愛媛県に2か月間の長期出向中だ。彼にとって、嫁さんを残しての単身赴任は初めてのことだし、それどころか、秋田、青森以外で暮らすことも初体験だろう。まぁ、異郷での誕生日というのも、いい経験になるのかもしれない。言い訳がましくなるが、どうにも「父と息子」の関係というのは、よくわからない。自分と父の関係を思い返してみるのだが、どうして、もっとしゃべっておかなかったのだろうとばかり思う。脳梗塞になってしまったこともあり、晩年の父とのまともな会話は、ほとんどなかった。今にして思うのは、話しておきたかったし、父も、言いたかったことがあったはずだとの、反省ばかりだ。健康な私なのだから、もう少し、息子とちゃんと会話しなければと、深く反省するのだった。青森に帰ってきたら、もっと話そうと思うのだった。とにかく、四国での誕生日、おめでとう。
2023.04.05
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№241邦画「犬死せしもの」:井筒和幸監督、真田広之主演。今井美樹のヌードシーンが有名だが、それだけで、やたら荒っぽくわかりにくい作品だった。洋画「氷の微笑」:シャロン・ストーンを一躍スターにした、エロチックミステリーの傑作と言われているが、あの終わり方は、ミステリーとしてはいかがなものか。洋画「アガサ・愛の失踪事件」:あのダスティン・ホフマンが助演するミステリーなのだが、映画としての面白さは、イマイチだった。№242邦画「大病人」:伊丹十三監督作品。三国連太郎が主演男優賞を受賞した熱演。なんだかんだ言っても、やはり、伊丹作品は面白い。洋画「ホーム・アローン」:いまだに、クリスマスに放送され続ける名作。だた、カルキンが悲しい。洋画「合衆国最後の日」:核ミサイル施設を占拠して、大統領を人質にするという、今ならありえないストーリーなのだが、今のロシアを考えると笑ってられない。
2023.04.04
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№238ドキュメンタリー「未来へのメッセージ 手塚治虫の世界」:NHKBS1の3時間特集。MCは松下由樹で、手塚実験アニメ「森の伝説」や、出崎統監督のアニメ「ブラック・ジャック」2本など、興味深い内容で、しかも録画状態が良く、保存決定。№239バラェティ「懐かしのヒーロー特集 第1日~第3日」:その昔、スピリッツの懸賞でWOWOWの受信権が当たり、数年、視聴していた。その時の特集番組で、MCは清水ミチコ。一日目は、劇場版「月光仮面」前編と「少年ジェット」2話、二日目は、劇場版「月光仮面」後編と実写版「鉄腕アトム」2話、三日目は実写版「鉄人28号」と「七色仮面」。アトムの実写版は、しょせん、無理があり、それにもまして鉄人は、これぞハリボテという、今見るとお笑いモノなのだが、当時は見る方はもちろん、作る側も真剣だったのだろう。№240バラェティ「懐かしのヒーロー特集 第4日~第5日」:四日目は、劇場版「白馬童子」と「隠密剣士」2話。「隠密剣士」は私の一番のお気に入りだった。五日目は、劇場版「少年探偵団」と劇場版「スーパージャイアンツ」。録画状態が良好で保存決定。
2023.04.03
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私が秋田県に勤務し始めた昭和50年代は、ようやく環境衛生という分野に注目が集まり始めた時だった。環境担当は、私の属する食品衛生担当の隣であり、主な仕事は、浄化槽設置の届け出管理や公害苦情などだったが、新しい分野だったため、いつも忙しそうだった。中でも、当時は個人住宅にも浄化槽の設置が盛んになってきていて、それの登録と管理指導で環境衛生担当はてんてこまいだった。やがて、秋田県内各地で、下水道の設置整備がすすめられ、その結果、個人浄化槽は下水道に移行し、汲み取り式便所は水洗トイレに代わったのだった。そして、環境衛生担当職員の仕事は幾分楽になり、トイレ事情は快適になり、環境衛生は各段に向上した。私が思うに、ただ一つ、ノロウイルスだけは、それまで汚染されていなかったカキ養殖場に流れ込むことになり、一時的にノロウイルス食中毒と感染症を拡大させたことに間違いはないと思うのだ。トイレ事情は、すさまじく進化した。
2023.04.02
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昔と今の住宅で、最も変わったといえば、やはり「トイレ」ではないだろうか。トイレが、洋式になったのは、いつごろからだったろうか。今では、和式トイレの住宅はほとんどなくなり、学校や公共施設でも、和式トイレは、ほぼ絶滅したといってもいいのではないか。ちょっと脱線するが、秋田駅近くの「秋田拠点センターアルヴェ」2階のトイレには、和式ではなく「和風トイレ」と表示された、だだっ広い和式トイレが残っていて笑える。今の子供たちは、和式トイレを見たこともないだろうし、便器から手が伸びるという「トイレの花子さん」的な怪談もなくなったのではないだろうか。さらに、世界一快適といわれる「洗浄機付き便座」の普及で、どこでも安心して用が足せる環境になりつつある。我が家でも、18年ほど前に下水道が完備された時に、リフォームしたのだが、今では、和式なんぞとんでもなく、洗浄機なしも避けるようになったのだった。
2023.04.01
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