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奇跡的な救い、奇跡的に立ち直るというが、いったい、あるものだろうか。プロ・ゴルフの試合で、それに類する光景があった。ハワイアン・オープンの最終日。ストレスのかかった最終ホール。そこで百メートルあまり離れたところからボールを打って、直径十センチほどの穴に入れて、青木功選手は逆転優勝した。神がかりというか、よほどの偶然というか。だが、後にテレビで青木選手は「偶然とだけはいえぬ」といい切った。そのとき使ったのは、よく練習をつんだ好きな道具(クラブ)だったし、またよく練習していた距離であった。「入る可能性を求めて練習してきた。そのおかげで入ったのだ」と。いい言葉である。彼らもまた終世戦国の身。それを支えているのが、これなのだ。人間に裏の裏の裏があるように、人生にも逆転また逆転がある。そのために、心ならずも人生を深く生きることになるかも知れぬが、だが、それでこそ生きた甲斐があったということにもなろう。【「打たれ強く生きる」城山三郎著/新潮社】平成元年5月25日発行「困難は私たちに祈ることを教えてくれる。苦しみは感覚を研ぎ澄まし、身体を活性化させると同時に、何よりも、私たちの心を動かして、その内奥にある最も崇高な感情を呼び覚ますのだ」青春時代に愛読した、スイスの大教育者ペスタロッチの言葉である。 ◇「陰徳あれば陽報あり」(御書1178頁)――かくれての善行があれば、よき果報がはっきりと現れる。これは神奈川の大地で、卑劣な嫉妬と讒言と戦いながら、師弟の勝利の証を打ち立てた四条金吾への御聖訓の一節である。人は往々にして「陽報」のみを追い求める。しかし、それはむなしく消え去ってしまうものだ。永遠に崩れない幸福を築くためには、「陰徳」を積む以外にない。広宣流布のため「陰徳」に徹しゆくならば、必ず、必ず偉大な「陽報」が現れる。是が、一点の曇りもなき仏法の因果の理法である。【人間世紀の光「未来を開く神奈川 正義のために断じて勝て!」】聖教新聞04・3・31
August 31, 2007
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創大の夏期大学講座頭下がる受講生の意欲 東京都八王子市 長崎 伸仁(大学教授 57歳)昨年に引き続き創価大学の夏期大学講座を担当させていただきました。猛暑の中、今年も全国から3日間で1万人を超える向学の友が集まって来られました。高齢の方も多く、その意欲的な姿に頭が下がりました。創立者からは、「夏期大学講座の受講生の皆さん、ご苦労様です。ご苦労様です。人生は勉強した分だけ、偉大な人生を送ることができます。そして、勝利できます。勉強しない人は、敗北です。どうか有意義な夏期大学講座でありますよう、お祈りしています」との伝言が届けられました。1年に1度とはいえ、毎年、参加される方は、よほどの決意が無ければ続かないと思います。喜々としてはせ参じて来られる受講者の方々のことを思うと、担当者としては、自然と熱が入ります。“何としても、学びの実感と勇気と、それに笑顔とを持って帰ってもらわねば”と。私の講座内容は、「言葉、読書・・・・・そして対話」でしたが、3時間という長丁場を真剣に聴き、うなずき、よく笑い、そして共感の拍手を送ってくださいと、私こそ勇気と笑顔をいただいた思いでした。昨年も感じたことでしたが、話し手にとって、こんな話しやすい教育環境はないでしょう。まさに受講生の方々は、“聞く名人”です。心から感動し、感謝の思いが込み上げます。ある高齢の女性受講者の一言に胸を打たれました。「今年で13回目です。20回まで何としても頑張ります」と。来年もどうかお元気でお越し下さい。帰って来てください。お待ちしております。「聖教新聞」宝さがしこの記事に掲載されている「ある高齢の受講者」とは、F地区のS・O(地区副婦人部長)さんです。長崎先生は教師を養成する教授。小学校をはじめ、中学、高校とすべての教員の経験のある方。講演の面白さと見識の深さに感動しました、とはS・Oさんの言。毎年、夏の八王子行きは人生の源泉です、とも。
August 30, 2007
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聖教新聞を読んで奮起発心をした父親川崎市多摩区 佐々木 くみ子(会社員)毎日、聖教新聞を読むたびに、紙面にあふれる池田先生の励ましの言葉に奮起します。聖教新聞は先生からのお手紙なのだとつくづく思います。そんな思いを、学会活動から離れていた父に、私も手紙にして書いてみました。その翌日、父は部屋いっぱいに数日分の聖教新聞を広げて読んでいました。感謝の思いがこみ上げてきて、お題目をあげようと御本尊に向かう時、父を誘うと、一緒に座ってくれました。そして今月の本部幹部会の衛星中継に父とともに参加することができたのです。一緒に「滝の詩」を口ずさみながら帰宅しました。その翌日は、気持ちのよいリズムで、すがすがしい父の唱題の声で起床。一人ももれなく幸福の道に導いてくださる師匠のありがたさを痛感しました。これからも家族の、また自分がいる、その場の太陽のような存在になれるように、先生とともに生き抜いていく決意です。「聖教新聞」宝さがしこの記事を読み、涙が出るほど感動しました。父は悩んでいるのだ。だが、素直に御本尊の前に座れないのだ。意地やテレがあるからかもしれない。その壁を破ってくれたのが、娘の思いやりの手紙なのだ。父は娘に弱いからな・・・・・娘も父が大好きなのだ。家庭のなかにこそ、真の信仰の姿が育まれる。
August 25, 2007
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体験談――祈り何も考えないで、一心不乱に祈れば何でもかないます。 ◇祈り――それは、あきらめない勇気だ!自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ。現状は変えられる。必ず! ◇本部相談室へ行った。女子部の子は、もともとが依存心の強い性格のようで、相談室ではそれを見抜かれたのか「ご本尊は何もしてくれないわよ。ご本尊に依存するようなおすがり信心だったら何時間・何十時間題目をあげていてもだめなのよ。そうではなく、あなたがご本尊を守っていく祈りをしなさい」と。 ◇大病か倒産を乗り越えた時信心は、本当に分かる!と言われているよ。今こそ本気で祈ろう! ◇今まで、題目をあげ過ぎて死んだ人の話は聞いたことがない。治った、良くなったという話ばかりだ。そう念じて唱題し続けた。 ◇調子のいい時は誰でも戦えます。しかし、本当に苦しい時に、自分に勝利し乗り越えられるかが一番大事なことです。 ◇結局宿命は避けられない。だから自分自身が強くなるしかない。強くなることが、宿命転換なんだ!「創価薬王の集い」http://d.hatena.ne.jp/kon890/より転載させていただきました。
August 24, 2007
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●まるで、宇宙の奥底から無限のエネルギーをくみ上げ、そのエネルギーを使って、一念の心を伝えていくようなものなんですね。○大聖人はこうも仰せだ。「題目を唱える声が十方世界に届かないということはない。我らの声は小さいけれども、題目の大音に入れて唱えれば、三千世界に届かないところはない」(808p、趣意)【「仏法入門」】2007-7大白蓮華(おわり)「聖教新聞」宝さがし真剣な祈りしかない。油断をせず、目の前の広布の戦いに全力を尽くそう。大願を立てるのだ。その中に、自分の悩み、苦難もきっと、打開していける!<わが友に贈る>「祈りとして叶わざるなし」まず祈りから出発!祈った通りに行動!それが勝利の方程式だ。―8月22日―
August 23, 2007
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●依報(環境)と正報(衆生の生命)の根底は一つであると説く「依正不二」という考え方もありますね。○この自分と外の世界とが奥底で通じている“不二の世界”を大聖人は南無妙法蓮華経と顕されたんだよ。大聖人はこう仰せだ。「かごの中の鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まる。空を飛ぶ鳥が集まれば、かごの中の鳥も出ようとする。このように、南無妙法蓮華経と唱えれば、自分の中にある仏の生命である南無妙法蓮華経も顕れ、自分のまわり仏の仏の生命を顕し守ってくれるのである」(557p、趣意)と。自分の生命と外の世界とが、奥底で通じている格好の譬えといえるだろう。この南無妙法蓮華経を唱えることで、自分の一念の心が全宇宙と連動しているので、自分が「ああしたい」「こうなりたい」という強い一念をもって真剣に唱題するとき、一切を揺り動かしていくことができるんだよ。【「仏法入門」】2007-7大白蓮華(つづく)
August 22, 2007
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○確かに、そうだね。天台大師が説いた「一念三千」も、祈りが叶う原理を理論的に示した設計図に過ぎない。それだけでは現実に祈りが叶うことにはならない。本当に自分の祈りが通じるためには、外の世界を揺り動かすことができる大きな祈りのエネルギーを「一念」のなかに涌現する必要がある。仏法では、自分と外の世界とは一歩深く掘り下げると、連なっており、そこには“不二”の世界が広がっていると説いているんだ。【「仏法入門」】2007-7大白蓮華(つづく)
August 21, 2007
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○仏法では、「縁起」を説いている。つまり、この世に存在御するさまざまな現象はすべて、存在する同士の関係性によって生じている。そして、周囲から切り離されて独立して存在するものは何一つないという考え方だ。譬えて言えば、一つ一つの事象は、目に見えない網の糸のように結ばれている。どこか一つでも揺り動かすと、それが網の糸を次々と動かして、遠く離れた別な事象をも動かすようなものなんだ。●自然科学でも「バタフライ効果」という考え方がありますね。 「蝶が羽を動かすような小さな空気流の変動でも、その変動が雪だるまのように拡大して、次々と伝播すると、遠くまで大きな気象の変化まで巻き起こすこともある」という論理ですが。○確かに自然科学でも、一つの現象が自然世界に次々と劇的な変化を起こさせるという可能性を証明しようとしているね。仏法では、さらに突っ込んで、一個の生命が現実のさまざまな現象とつながっていると説いている。天台大師は、現象世界の姿を三千の数に整理して「一念三千」と説いた。御書には、こう記されている。「十界・三千における依報(環境)の正報(衆生の生命)も、色法も心法も、非情も草木も、また大空や国土も、どれ一つとして欠けることなく、すべてを自分の一念に収め入れ、また、この一念の心が宇宙のすみずみまでいきわたっていくのである」(383p、趣意)●あらゆる現象は自分の一念に収まっているし、その逆に、自分の一念はあらゆる現象に影響を及ぼしていくということですね。でも、心がほかの世界にも影響を与えていくことが理屈で分かっているだけでは、自分の願いどおりの世界になっていくことにはなりませんよね。【「仏法入門」】2007-7大白蓮華(つづく)
August 20, 2007
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被爆体験が日本人の精神に及ぼした影響加害者意識の忘却、被害者意識の台頭反米感情の政治利用は禁じ手久間発言のあと、日本人の間で米国を糾弾する動きが高まった。これは、21世紀の日米関係を考える上で非常に大きな問題である。日本政府の公式見解では、核兵器の使用を「国際法の思想的基盤にある人道主義の精神に合致しない」としているが、実際、原爆投下に関して、戦後一度も戦後一度も米国に講義したことはない。久間発言問題後に 対米批判の世論が湧き上がった時でさえ、日本政府は米国に抗議しなかった。7月に行われた党首討論において、民主党側は、核兵器廃絶のためにも広島、長崎への原爆投下について、米国の謝罪を要求すべきだと安部総理に迫った。多くの日本人が、米国の原爆投下の非を認め、謝罪すべきだと考えている。それはまさに日米衝突の時限爆弾を抱えているようなものだ。核兵器廃絶を目指すと主張することは重要だが、歴史認識がからむ問題である。野心的な政治家がこの問題を政治的に利用し、日本人の心の内に秘めた反米ナショナリズムを鼓舞することにもなりかねない。われわれ日本人は、日本人の戦争に対する現在の意識構造を形成した前提をじっくり分析する必要がある。原爆投下問題に関して感情的論議をするのではなく、それが戦後日本人の意識を与えた影響という、巨視的な枠組みを用いて分析することで、より建設的な日米関係を構築できるのである。【「メディアのページ」】聖教新聞07・8・14(おわり)
August 18, 2007
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被爆体験が日本人の精神に及ぼした影響加害者意識の忘却、被害者意識の台頭開かれた冷静な安保論議こそつまり、原爆投下により一瞬にして多数の犠牲者を出したことが、日本がアジア諸国に侵略したことを免責する効用をもったのである。本来、日本軍国主義というのは、国民の犠牲、そして、アジア太平洋諸国への侵略という被害者と加害者というに面性をもっているが、日本人の多くは、被害者意識だけを強く持ち、加害者意識は次第に忘れていった。戦後、日本人は「原爆の犠牲」という被害者意識によって軍事力に嫌悪感を抱き、戦争放棄を謳った憲法九条を基礎に、かたくなな平和路線を進んだ。それは戦後、再び軍国主義が台頭する芽を摘み取るだけでなく、米国からの執拗な防衛力の強化の圧力を抑制したという点では一定の役割を果たした。だが、一方で、日本人の戦争責任はあいまいになり、国民の間で、安全保障問題に関し、開かれた冷静な議論をすることが難しくなった。秋の臨時国会では11月1日に期限が切れるテロ対策特別措置法の延長問題が大きな焦点となる。そのほか、安部総理の集団的自衛権行使認容や憲法改正に関する議論など、平和に関する課題は山積している。戦後日本人の意識構造を認識したうえで、このような案件を議論することが必要となろう。第2に、軍国主義のために原爆投下の被害にあった一般日本人の心情には、実際に原爆を投下した米国に対する非難感情が内包されるといえる。占領期や日米関係が良好な時には、この内なる感情というものは表面に出てこない。しかし、日本のナショナリズムが高まり、何かのきっかけで原爆投下問題が議論の的となると、この秘められた日米感情が湧き出てくる。(つづく)
August 17, 2007
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被爆体験が日本人の精神に及ぼした影響加害者意識の忘却、被害者意識の台頭「しょうがない」発言の波紋6月30日、久間章生防衛相(当時)が千葉県柏市の講演で、米国の原爆投下に関して「しょうがない」と述べた。是に対し、野党側は罷免要求を含め、一斉に反発した。安倍晋三総理はこの罷免要求を退け、久間防衛相に謝罪させることで決着をつけようとした。ところが、公明党出身の冬柴鉄三国土交通相が久間発言を強く批判し、また、浜四津敏子代表代行も、個人的意見としながら。「ご自分で身の処し方を懸命に判断していただきたい」と辞任を迫った。野党の批判には耳を傾けなかった安倍総理も、連立のパートナーの無視することができなかったため、結局、久間防衛相は辞任に追い込まれた。もし、公明党からの強い批判がなければ、久間防衛相はそのまま居座ったり、辞任のタイミングがずれ込んだりし、政局が混乱していたかもしれない。しかし、今回の件では、連立政権のよい面がでた。公明党は、自由民主党の変更を抑制するという重要な役割を果たしたといえる。二度と戦争をしたくないというのは日本人の共通の心情である。これには、日本が世界で唯一、原子爆弾(原爆)になった国であり、戦争が悲惨なものであるという前提がある。原爆投下は戦後日本人の意識構造に二つの大きな影響を与えた。第1に、日本人は、唯一の被爆国の国民としてとして、自分たちを原爆投下の犠牲になった「被害者」だと考えている。ところが、この「被害者」意識を強く持つことによって、アジア太平洋戦争の加害者であるという意識を忘却してしまう構造ができ上がった。(つづく)杉田米行(すぎた・よねゆき)1962年、大阪府生まれ。米国ウィスコンシン大学博士課程終了(歴史額博士)。現在、母校の大阪外国語大学でアメリカ現代史を担当。主な編著書に「ヘゲモニーの逆説」(世界思想社)、「Pitfall or Panacea:The Ivoery of US Power in Occupied Japan 1945-1952」(Routledge)など。【「メディアのページ」】聖教新聞07・8・14
August 16, 2007
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「己を持して 固く自立して居る人には 宇宙もまたその味方として立つ」(エマソン)「正義によって立て。汝の力、二倍せん」――私が青年時代から心に刻んだ箴言です。 正義に立った人間は無敵です。真理をたもった人間ほど強いものはありません。 アメリカの哲学者エマソンは語っています。 「己を持して固く自立して居る人には宇宙もまたその味方として立つ」 大聖人は仰せです。 「然りと雖も諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん」(御書843頁) <通解>(第六天の魔王自身が邪魔をしてきても)諸天善神等は日蓮に力を合わせてくださったゆえに、竜の口の法難さえも勝つことができた。そのほかの大難を切り抜けることができた。今は魔王も、こりていることであろう。 全宇宙の諸天善神、仏菩薩――これ以上強い味方はいません。 透徹した正義の信念に立てば、全宇宙の力が全身にみなぎってくる。勇気が、智慧が、こんこんと涌き出でてくるのです。 ゆえに、大聖人は「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽をうくべければ大に悦ばし」(237頁)と、広大なる歓喜の御境涯を示されています。 御本仏の御心に連なり妙法を弘める学会員の正義の行動には、宇宙大の福徳が備わることを確信していきたい。 大白蓮華 平成13年5月号「聖教新聞」宝さがし本当に御本尊を信じて、唱題しているだろうかと、自分に問いかける。時折、祈りながら、迷っている自分に気づくことがある。先生は「心の勝利は、途中の勝利ではない。心の勝利とはすべての勝利」と指導してくださった。御本尊に対する一念が大事なのだ。そこにこそ、自分との戦いがあるのだ。あきらめない勇気!自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ。現状は変えられる。必ず!
August 15, 2007
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心臓の働きは、外からは見えない。一瞬の休みもない。黙々と働き、働き続けている。それが<心臓部>の使命であり、尊い仕事であり、誇りである。どれほど、その福運は大きいか。仏菩薩の御照覧は絶対に間違いないであろう。「陰徳あれば陽報あり」(御書1178頁)――かくれての善行があれば、よき果報がはっきりと現れる。これは神奈川の大地で、卑劣な嫉妬と讒言と戦いながら、師弟の勝利の証を打ち立てた四条金吾への御聖訓の一節である。人は往々にして「陽報」のみを追い求める。しかし、それはむなしく消え去ってしまうものだ。永遠に崩れない幸福を築くためには、「陰徳」を積む以外にない。広宣流布のため「陰徳」に徹しゆくならば、必ず、必ず偉大な「陽報」が現れる。是が、一点の曇りもなき仏法の因果の理法である。【人間世紀の光「未来を開く神奈川 正義のために断じて勝て!」】聖教新聞04・3・31「聖教新聞」宝さがしバブルの真っ最中の頃である。狂乱した経済感覚の中、私は少々、バブルの波に乗った。それが自分の実力と錯覚して。浮かれた。浮かれすぎた。毎日、二日酔い状態であった。朝夕の勤行は辛うじてしていたものの、一番大切な30代の学会の訓練を忘れていたのだ。いや、馬鹿にしていた。同期のメンバーが学会活動しているのが愚かに見えたこともあった。愚かなのは自分であると気づかずに。最低の自分であった。やがてバブルが崩壊。所有していた不動産がなかなか売れない。かなりの損失であったが、思い切って売却し、ぬかるみにはまることは免れた。しかし、確実に福運がなくなっているのが感じられた。魔は天界に住む。苦悩の連続の日々、自らを訓練すべく、再び学会の庭にその身を投入した。そんな時、悩みながら御書を開いた。「陰徳あれば陽報あり」この御文が目に飛び込んできた。今こそもう一度、初心に帰り陰徳を積むのだと。それ以来、歯を食いしばり、先生の指導を求め学会活動一筋に、走ってきた。折伏はすでに30世帯は超えただろうか。今も苦悩の連続である。しかし、陰徳を積みゆく戦いをしていけば、必ず陽報となって現れることを確信している。そして何よりも今、唱題を重ねて、難に立ち向かう自身が、師匠のおかげと感謝している。だからこそ、師匠一筋の自分でありたいとの戦いを心がけていく決意である。
August 12, 2007
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大地はささばはづるるとも虚空(おおぞら)をつなぐ者はあり潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのか(叶)なはぬ事はあるべからず(祈祷抄1351p)《学会指導から》「何(いか)なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(呵責謗法滅罪抄1132p)この御聖訓を深く深く拝しながら、私も妻も、全同志に真剣に題目を送りゆく日々である。激しく揺れ動く乱世である。だからこそ、「〔祈りとして叶わざるなし〕という大確信を、断じて忘れるな!」と申し上げたい。これが、信心である。有名な「祈祷抄」の一節には、「大地はささばはづるるとも虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのか(叶)なはぬ事はあるべからず」(祈祷抄1351p)と断言されている。この法華経に勝る兵法は、絶対にない。「信心」とは、御聖訓を勇敢に実践する力である。「信心」とは、祈りを原動力として、社会で勝ち、成功して、「所願満足」していく方程式である。健康で、和楽で、「衆生所遊楽」の人生を勝ち開いていくことだ。「信心」とは、「心の勝利」のためにある。それは、途中の勝敗ではない。「心の勝利」とは「永遠の勝利」の意義である。(03・12・29付、全国最高協議会) ◇広宣流布への不惜身命の「行動」があってこそ、我が小宇宙の生命が大宇宙と冥合し、祈りも叶うのです。大聖人は「法華経の行者の祈りのか(叶)なはぬ事はあるべからず」(祈祷抄1352p)と仰せだ。ならば、自分が法華経の「実践者」であるかどうかだけが問題になる。日蓮仏法は「誓願の仏法」です。自分が自分の立場で、御本尊に「私は、これだけ広宣流布を進めます!断じて勝利します!」と誓願することです。その「誓願の祈り」が出発点です。(「法華経の智慧」)御聖訓には、「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし」(四菩薩造立抄989p)と説かれている。この「日蓮が如く」との仰せを違えず、創価の三代は「不惜身命」「死身弘法」の決心で、「三類の強敵」「三障四魔」との大闘争を勝ち越え、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の大難を乗り越えてきた。だからこそ、釈迦・多宝・十方の諸仏の守護も厳然と現れたのである。無量無辺の諸天善神も、じっとしていられない、創価の師弟の如説修行の戦いであったのだ。(06・11・1付、創立記念祝賀協議会) ◇(法華経の)陀羅尼品では、二聖(薬王・勇施の二菩薩)・二天(毘沙門天・持国天)と鬼神が、守護を誓う。彼らは代表です。全宇宙の諸天・諸菩薩が同じ誓いを立てている。いわば「法華経の行者」守護連盟です。それは、なぜか。なぜ必要なのか。それは広宣流布が「仏と魔との大闘争」だからです。この娑婆世界は「第六天の魔王」の所領です。その“魔王”に対して、改革を求めて立ち上がったのが“仏”であり、“法華経の行者”です。当然、悪の大軍が弾圧しにやってくる。そのままにしておいては、永遠に夜は明けない。そこで、悪の連合軍に対して、善の連合軍で守りますというのが、陀羅尼品なのです。大聖人は仰せだ。「汝等(なんだち)は人をかたうどとせり・日蓮は日月・帝釈・梵王を・かたうどとせん」(妙一女御返事1259p)。“汝らは人を味方にしている。われは天を味方にしている”と。次元は違うが、私も、「天を相手に」生きているつもりです。また大聖人は「諸天善神等は日蓮に力を合わせ給う故に竜口までも勝ちぬ、其の外の大難をも脱(まぬか)れたり、今は魔王もこりてや候うらん」(御講聞書843p)とも言われている。(「法華経の智慧」)【「教学」】聖教新聞07・7・5「聖教新聞」宝さがし「信心」とは「心の勝利」のためにある。ああだ、こうだと観念的に思っても仕様がない。御本尊にぶつかっていくのだ。題目をあげきった場合は、全部変毒為薬される。迷いながらの唱題は、「不信」につながる。心こそ大切なれ。
August 11, 2007
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目につきやすい功績は、真の功績にあらず――谷沢「戦争の上手な者は、絶対に敗れないという立場に立ち、敵の破れる機会を逃さないのであります」――ちょっと分かりにくいですけれども、ある注釈書に、こんな話が書いてありました。最近、銀行強盗が流行っている。強盗が入ってきて、それを勇敢な社員が捕まえた。それは実に立派なことだと、その社員は表彰された。しかし、はたしてそれが本当に喜ぶべきことであろうか、というのです。銀行強盗に入るには、たいてい下見に入っている。その銀行の守りが堅固だったら、強盗は「これはダメだ」と思って、おそらく諦めるだろう。その結果として、銀行は無事である。そのように持っていける支店長が、実は最高の存在である、というのです。「故に常によく戦う者の勝つや、知名無く」というのがこれでしょう。どんな会社もそうです。実際、その人が会社を支えているような立派な人がいるものですが、その人は持て囃されていない。一方に、パフォーマンスが好きな社員がいて、そんな類のことを喜んでやる。世間ではみんな「彼は優れている」と言うけれども、本当は優れているのではない。むしろ目立たないところに、優れた人物がいるのだということです。【孫子・勝つために何をすべきか】谷沢永一/服部昇一 PHP文庫感じたままに・・・日常の忍耐強い営みのなかに、人生の勝利はある。勝利には近道も奇策もない。ただ、日々繰り返す忍耐の連続のなかに幸福は開ける。祈りなき行動は空転。焦ってはならない。祈りがあればこそ、この厳しき現実を乗り越えていける。不可能と思える時こそ、御本尊なのだ。「よからんは不思議わる(悪)からんは一定とおもへ」(聖人御難事1190p)苦労して当然。自らの宿命を思えば。
August 10, 2007
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「師子王の心」とは最高の勇気です。そして、勇気を奮い起こした生命に現れる本源的生命力です。この力こそ勝利の源泉です。勝ちきっていくには、「師子王の心」を満々と表す以外にない。強敵にも、大難にも、恐れずに、また退かずに、勇気の信心を奮い起こして立ち向かっていくのです。大聖人は「師子王の心を取り出だせ!」と呼びかけられています。ここに仏法の真骨頂ともいうべき重要な観点があります。だれもが本来、胸中に「師子王の心」を持っている。本来持っているから「取り出だす」のです。その「師子王の心」を取り出だす鍵が「日日・月月につよる」強き信心です。【「御書の世界」第三巻236p】「聖教新聞」宝さがし各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にわぢず師子の子・又かくのごとし(御書1190p)人生は熾烈な戦場。こころ臆病に生きていれば、命そのものがやられてしまう。迫り来る、将来の不安に背を向ければ、後ろから襲われて、より恐怖に支配されてしまう。「すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(同p)だ。さあ、きょうも一日、題目根本に熾烈な戦場に挑め!
August 9, 2007
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“倒産やな・・・・・・”失意の中、尾上さんは本部幹部会の衛星中継に参加する。名誉会長のスピーチが始まった。やがて、りんとした師の声が胸を打った。「人生――それは《悩み》の連続である」「悩みがあるから、前進もある。悩みがあるから、成長もある」「《悩み》をすべて、より大きな《幸福》へのエネルギーにしていくことである。それができるのが《学会活動しぬいた人生》の素晴らしさなのである」一筋の光明が見えた。“そうや。もう一回、学会活動で自分を鍛え直すんや!”すぐに二世帯の弘教を実らせ、その勢いで、営業に回った。新規の契約を次々に勝ち取ると、翌99年には株式会社にすることができた。嵐が去ったかのように見えた2002年。今度は取引先の上位3位が、次々と倒産や海外移転になった。1度目をはるかに超える負債を背負い、連鎖倒産の危機に。だが、信心という「絶対勝利の法則」を学んだ尾上さんは、もう負けなかった。再びこつこつと学会活動に励み、営業に回った。すると、「あなたの会社は本当にまじめだ。ぜひ、うちの仕事も頼みたい」という声が大手の企業からかかり、業績が回復する。04年からは黒字に転じ、現在は後継者となる3人の息子、パートを含め、従業員50名、年商3億円にまで発展した。尾上さんは振り返る。「苦労を通し、人生が鍛えられました。折伏を通し、信心を学びました。そして、師匠を通し、勝利の法則を教わりました!」【「悩みをバネに前進」人生行路―体験のページ】聖教新聞07・06・19付掲載「聖教新聞」宝さがしうだるような暑さの中、昨日から悩める知人の家に、聖教新聞をポスティングしている。真剣に唱題し折伏で8・24を荘厳しようと決意している。このことは、とりもなおさず自分の人間革命・宿命転換の戦いであるからだ。現実は厳しい。仕事は厳しい。一日、一日、現実と戦う原動力が師弟の信心だ。家族を守り、会社を守る。必死の戦いだ。
August 8, 2007
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学会の継承は大事業!!佐藤 今年の年頭、先生は未来部に和歌を贈ってくださいました。 十九歳 我は立ちたり 創価にて 広宣流布と 師弟不二とに大西 19歳といえば、池田先生が初めて戸田先生とお会いされた年ですね。池田 そうです。当時、池田先生は東洋商業の学生でした。今の高等部員に当たります。それから今年で60星霜。先生はその出会いを原点として、どこまでも師匠とともに、どこまでも師匠のために、今日まで全生命を賭して戦ってこられた。さらに、法華経に説かれた「三類の強敵」と戦い、ただお一人、大難を受けきられながら、同志を守り抜き、偉大な学会を築いてくださいました。 ◇「師に学ぶことは青年に重要」山本 いかなる道においても、一流の次元には、必ず師弟があります。師なき人生は、一見、自由に見えるかもしれない。しかし、師匠がいなければ、自分の小さな殻を破ることができない。せっかく秘めている可能性も発揮できない。池田 その通りです。師弟は、決して人間を型にはめ、窮屈な生き方を強いるものではない。むしろ、自分らしい個性、才能、人間性を思う存分に開花させていく。仏法の上でも、人間の生き方の上でも根幹の道なのです。 ◇まず壮年・婦人が率先して語れ!「心」は「言葉」はにしてこそ届く山本 師弟の精神を伝えるには、何より「語る」ことではないだろうか。昨年、大阪の豊中総県が実施したアンケート結果があります。未来部員を持つ親が、池田先生との出会いや、学会活動の思い出などを自分の子供に語り、その反応や感想をまとめたものです。池田 興味深い取り組みですね。山本 はい。その結果、ふだん話していたつもりでも、予想以上に、子供たちに学会精神が伝わっていなかったことがわかった。親御さんは随分、ショックを受けたといいます。池田 子は親の背を見て育つ。だから、あえて語らなくても、わかってくれるだろう。そう思っている親御さんも多いでしょう。しかし、いくら心で思っていても、それだけでは伝わらない。大事なのは、心の思いを言葉にして、はっきりと伝えていくことです。「言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書563p)と仰せの通りです。【新世紀と未来部の展望を語る(下)】聖教新聞07・8・6掲載「聖教新聞」宝さがし激戦を終え、現在リハビリ中。しかし、次の戦いは始まっている。また、宿命は待ってくれない。「何も考えないで一心不乱に祈れば何でもかないます」とは、小野不一氏の言。まったくその通り。この夏、唱題で自身を鍛えよう。そして、師弟を学び、必死で実践し、わが子に伝えていく。この友好期間、わが子、地域の未来部員さんに触れあっていきたい、と思っている。
August 7, 2007
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「苦難」にも「楽しみ」に変える境涯を池田名誉会長は「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(710p)との、日蓮大聖人の御書の一節を、次のように解説しています。「むしろ九界の苦労こそが、仏界を強めるエネルギーになっていく。煩悩即菩提で、悩み(煩悩=九界)が全部、幸福(菩提=仏界)の薪となる。身体が食物を摂って消化吸収し、エネルギーに変えるようなものです」(法華経の智慧 第4巻291p)と。昨日よりも今日、昨年よりも今年と、日々強く「自分のなかに自分を超える力」を現して、モチベーションを強め、苦難をも楽しみに変える「衆生所遊楽」の一年としてまいりましょう。(おわり)
August 6, 2007
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例えば、地域社会で行なっている「座談会」は、さまざまな立場の老若男女が集い、体験発表、活動報告等で喜び、悲しみを語り、教え、励ましあう場となっています。こうした、苦楽を分かち合う、人と人の触発のなかで、いかされ生きる喜び(肯定的な情動、快感)や、幸福を自分自身の「心」でつかみとっていくのです。そして、現実社会で苦難に直面しても、逃げたり避けたりしないで、真正面から立ち向かい、壁を乗り越える喜びを感じる、強い生き方ができるようになるのです。(つづく)
August 4, 2007
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「仏界」という無限の可能性開くところで、モチベーション、やる気は1. 行動を起こさせる(喚起)2. 行動を目標へ方向づける(指向)3. 目標に到達した時に行動を繰り返す(強化)という心のエネルギー過程です。そのことを前提において、「人はなぜ生きるのか」――その根源の課題の、「生きるモチベーション」(=生きる力)を高める方途が、日蓮仏法にあると思います。仏法は、一人一人の生命に本来、“仏界”という、無限の可能性が備わっている、と説いています。これは究極の「人間の能力」に対する楽観的、肯定的な見方です。そして、勤行・唱題という「祈り」の実践・行動は、仏界の生命を呼び覚まさせ(喚起)、自他の幸福を目指して自分の目標、使命を定め(指向)ます。また、勤行・唱題は目標や行動をリハーサルする(強化)という、「生き方」を高めるトレーニングといえるでしょう。加えて、日蓮仏法を貴重とした創価学会の組織は、切磋琢磨して、生きる力と「自己効力感」を高める人間道場です。例えば、地域社会で行なっている「座談会」は、さまざまな立場の老若男女が集い、体験発表、活動報告等で喜び、悲しみを語り、教え、励ましあう場となっています。(つづく)
August 3, 2007
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「声」が自他の自信を強める3)言語的説得指導者や信頼できる人などからの、適切な言葉による評価、激励、称賛です。仲間同士で互いに報告し合い、努力、進歩した点などをほめ、認め合う機会を計画するとよいでしょう。このことは、日蓮大聖人が「声仏事を為す」(708p)と述べられているように、心を響かせて言葉に出していくこと、自信と周囲の人に影響を与えて、境涯を高め、自信を強めることに通じます。4)生理的・情動的状態置かれた生理的・情動的状態を、正しく自覚することです。人は生理的な疲労、痛みや情動的なストレスなどによる「冷や汗」、「震え」などを経験すると、「自分は能力がない、弱い」と思い込んで、あきらめることがあります。そんなときには、否定的な思い込みをしている自分に「ストップ」と声をかけ、「私はよくやっている」などの「肯定的な言葉かけ」をするようにします。ドキドキ、ワクワクするような、肯定的な生理的・情動的状態を高めるには、日記に記録したり、親しい人に報告したりすることが効果的です。(つづく)
August 2, 2007
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自己効力感――「個人能力への確信」を高め心理学者のA・バンデューラ博士は、「自己効力感」を高める要因を4つ挙げています。すなわち、1. 遂行行動の達成、2. 代理的経験、3. 言語的説得、4. 生理的・情動的状態です。この点について少し詳しく説明しましょう。1)遂行的行動達成ある課題や行動の成功体験の積み重ねは、達成感を獲得し、自分の能力への自信を高めます。そのために、「これならできる」という成功の確率が50%程度の、達成可能な目標を設定し、挑戦することです。何かに一度成功すると、その体験が自身となって、他のことにも挑戦していけるようになります。2)代理的経験自分と同じような人が、忍耐強く努力して成功する場面を見たり、聞いたりすることです。特に、手本となる人と状況や目標などの類似性が高いほど、「あの人にできるのなら、私にもできそうだ」と期待、希望が持て、効果が顕著となります。周囲で成功している人を探し、ビデオテープレコーダー(VTR)、パンフレット、パソコン、対話、体験談等で情報をキャッチすることです。(つづく)
August 1, 2007
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