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今年も天神祭りの予定で大阪に来る予定でしたが、姉が突然買い出しの為に日本に帰って来る事になり、天神祭りどころではなくなってしまいました(今回は京都にも行けずでした。)m(_ _)m ゴメンナサイ 祭りに興味のない姉。今回祭りはスルーしてちょうど配信された「ポケモンGO」をダウンロード。ポケモン探しの旅(ウォーキング)を始めました。大阪城ではガーディをゲット。しかし、ほとんどポケモンは出ない。そして気が付いたのが、歩き回るよりも近所の公園に行った方が合理的だと言う事。近所の扇町公園は、常にほぼ入れ食い状態のポケモン祭りだったのです。しかも扇町公園はポケストップが10箇所あり、周辺も含めるとその倍。一箇所の場所で3つのポケストップのレーダーを関知できる場所があり、課金しなくても、歩きまわらなくても常にボールは補給可能なのです。しかも扇町公園はレアな大方のポケモンをゲットできるのではないか? と言う出現の種類の多さ。レアと言われる物もたくさん出ています。もちろんピカチュウの出現率も高い。1時間で5回出て3回ゲット(2回は戦闘中に消えた)。そんなわけで今回は扇町公園のポケストップの位置とレーダーの関知する場所を地図を添えて紹介する事にしました。初めて来た方でも解るように取材しました 大阪限定で申し訳ありませんが・・。ポケモンGO大阪 扇町公園 アンテナmapポケストップのアンテナ危険な場所扇町公園地図(上が北)市の看板をベースにアンテナの位置など書き加えました。赤い円がポケストップに指定されたオブジェなどのある所です。黄の円が3箇所のレーダーを関知しやすい場所で、みんなが特に多く集まる場所です。赤い円でピンクになっているのが、桜吹雪が常に舞っている場所です。また北側のバツのついた円は、さくら吹雪はよく舞うけれど夜は危なさそうなのであまり行かない方が良いと思った場所。関西テレビと手前が北区役所。天神橋筋通りから関西テレビは天神橋筋通り側と公園側とで2箇所のポケストップになっている。因みに撮影場所は、前の関西テレビと後方の天神橋筋四丁目のテントウムシの看板(ポケストップ)のレーダーがとれる。地下鉄扇町駅の上あたりが扇町公園の東のゲート。赤い矢印はポケストップのある場所地下鉄講裏の「案内地図」がポケストップ。公園側からの関西テレビ撮影場所は最も人が多く。ピカチュウもよく出るスポット。危険な場所関西テレビの裏口前の通路には立方体の石の椅子? がランダムに固定されている夜になるとこれが見えなくなる。人が座っていれば解るが、みんなスネなどぶつけたり転倒する人が出て非常に危険な石の塊となっている。しかし、この場所はいろいろ出るのだ。夜になればなるほど人混みが凄くなる場所。桜は舞ってもあまりよろしくない場所がある。先ほど触れた北側のバツをつけた円」あたり。そこは昼間ならともかく、丘があり起伏がある。林もある。足下が危ない。丘の周りは林が多い.今は人が多くなっているとは言え女性は一人では近づかない方が良い場所です。特に夜は北側の通りは路駐車が増えているので連れ込まれないよう注意して下さい。ライトも少ないかもしれない。「石の門」と言う名のポケストップ左手奥が扇町プールこの道が梅田方面、南西のゲートに向かう通路として生活道路にもなっている。日中は自転車も多いが、いまは恐ろしいほどの人がたちどまったりする。場所がプールと池の前なのでコダックやコイキングは多い。昨夜はアーボばかりだったが・・。一昨日はピカチュウも出ていた場所昼の写真驚くのは、みんながほぼスマホを片手に歩いている事。しかも老若男女、世代の幅が広い。何より中高年が多いのには驚く。昼間は車イスの人もスマホ片手に来ている。赤い矢印はポケストップです。手前人が座っている「動物のベンチ」もポケストップです。南西のゲート前のライト? 右がグラウンド。初期の頃より皆さんポケモンが出ると端っこによけて通行の道を空ける人が増えている。マナーの悪いのは自転車で来る人だ。真ん中に止まりスマホをいじりだす。かくして渋滞になるのである。昨日、夜8時頃ポケモンが出る時は、周囲と連動していて、皆、ほぼ同じのが出ている。ここでは3匹くらい常に同時に出る事も多々。この時間は少ない方。深夜10時過ぎてからの方が賑やか。この夏休み中は混むのではないか?先の人だかりは南西の梅田方面のゲート右の「グラウンドのライト?」と通路反対に「時計塔」がポケストップになっている。南西ゲート前の「渦巻き」のオブジェもポケストップになっている。つまりこの場所も3箇所常に同時にとれるので、皆ここでストップしているのだ。場所変わって北のゲートから入った丘。撮影場所がポケストップの一つ「大地の声」。丘の頂(いただき)。ふもとの大地で発した声が聞こえるパイプのオブジェがあちこちに。この丘の上から全てがアクセスできれば良いが、そうでもない。写真後方下にも「都市展望の座」と言うポケストップがあり、さらのその下の方に「大阪の森」の碑が建っている。深夜のグラウンド光景。GPSレーダーを見ているとほぼ真夜中でも桜が舞っています。現在6時。桜吹雪が減ってきた気がする。ピークは祭りの日だったかもしれない。本日東京に戻ります。家の方は東京でも田舎の方。扇町公園のような場所が近くにあると良いけれど・・。
2016年07月30日
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話題の「ポケモンGO」が配信。さっそくダウンロード。説明も読んでいないけどとりあえずやってみよう・・と言うわけで手探りで始めました。初日はたいして歩かず家の中だけで数匹ゲット。(家の中だけで4種~6種。人により違った。)炎天下、外に探しに行く気力が出ないけど、たまたまホテルのロビーで大物ゲット。近隣のステーションをさがして立ち寄ればいろいろアイテムがもらえる事がわかり積極的に外出。夜も食後に近所を周遊。結構な運動量。これがダイエットに繋がるなら素晴らしいね 事故ばかりが報道されるけど、ひきこもりで家でゲームしていた人達も外に出始めたらしい。何しろGPSの動きに連動しているから外に出て歩かないと進まない。ゲームの楽しみ方はいろいろできる。たいていはポケモンを育てる事(進化、強化)。チャンピオンを目指して一流のトレーダーになる事を目指す。が、「ポケモンGO」の場合、ポイントの捜索や移動する事による卵のふ化など、歩く事がゲーム進行の必須条件になっていると言う観点から非常に健康的なゲームなのである。(10km歩いた時にメダルがもらえた)先に配信されたアメリカで、運動の嫌いな彼らさえ積極的に外を歩き周り始めたと言うからウォーキングがなかなか続けられない人達の為にお勧めのツールと言えるかも さて、シュテファン寺院は残っていた南塔をささっと終わらせます。リング内で最も高いシュテファン寺院の南塔。そこからはウイーンの街が展望できるのです。シュテファン寺院(Stephansdom) 4 (南塔)南塔(Sudturm)旧市街 リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)内の景色北側塔よりも高くそびえる南塔。その理由は前回も書いたが、先にできたのがこちらの塔であったからだ。南塔が完成して北塔の建築に取りかかったものの、時代が変わり北塔は最後までの完成を見る事ができなかった。北塔はエレベーターで上階のテラスまで上がる事ができた。しかし、なぜか高い方の南塔の方は徒歩で階段を上らなければならない造りとなっている。1359年。ルドルフ4世が銀製具を使用して礎石。1416年には塔の3階部分に鐘が吊されて鐘楼として使用されていたようだ。1433年に塔の先端に総大司教十字(二重クロス)をかかげで完成。南塔137m。343段の階段で一般に上れるのは67m地点までのようだ。82mの地点に小部屋があり完成より第二次世界大戦までは防衛(オススマントルコの進軍)や消防などの物見塔として活躍したらしい。塔の先端部分だけ遠方から撮影。高すぎて近くから撮影ができない。また遠くても建物が近接している為に塔の撮影が難しいのだ。先端部、小尖塔・ピナクル(pinnacle)のゴシック装飾は遠方からでは解りにくいがかなり凝っているようだ。石のレース彫りのよう。これ以上拡大できないが、先端はかなり細密で「蟹」と呼ばれる石の造花で飾られている。トップには双頭の鷲と大司教十字(二重のクロス)になっているようだ。1862年~64年には修復作業が行われているらしく1860年当時は時計が据えられていたらしい。この時の修復がどの程度だったのか解らないが、塔は安全を考慮して組み治されていると思われる。また外壁も石の細工物が破損して落ちてきたら大変な事故になるので安全対策はできているのだろう・・。たぶん・・赤色ラインが北塔のテラス位置。黄色の囲みが南塔の展望室部分オレンジが塔に上る螺旋(らせん)階段部分狭い螺旋の階段が続く。教会の塔はどこもこうであるが、ここは比較的すれ違いがしやすい方。たいてい登りと下りが一つしかなくてスリムな人、一人しか通れない、すれ違い不可の塔もある。展望室までの階段の終わり部分螺旋の壁には魔除けのゴブリンの顔が付いている。階段のある塔の屋根部分北塔と違って南塔の展望室は屋内である。しかし、それだけに外を眺める窓はとても小さい。でも見える景色の高さを考えるとこちらの方が価値はある。また下の地図を見てもらえばわかるがリングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)の中に位置したシュテファン寺院。もろもろ観光スポットは南塔の側に位置しているのだ 展望塔のど真ん中に売店光が強すぎて写真が綺麗に撮れません 階段に繋がる出入り口上に登る階段もあるが、一般はここまで。後は下に降りるだけ。旧市街 リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)内の景色ウイーン市内、特にリング内の地図 (上が北)水色・・リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)(ウイーン旧市内の環状道路)赤色・・シュテファン寺院A・・・北塔方面B・・・教会入り口ミナレットのある側。そちらにはグラーベン通り(Graben Straße)とペーター教会C・・・王宮方面と王宮の向こうに自然史博物館と美術史美術館の建物。D・・・ケルントナー通り(Kärntner Straße)の終わりにウイーン国立歌劇場。さらに左にカールス教会。※ 東の景色は載せませんでした。A・・・北塔方面正面に見えるキャップは北塔の屋根。この屋根の右下方に双頭の鷲がデザインされた屋根瓦があるはず。B・・・教会入り口 ミナレット。左にグラーベン通り。中ほどにペーター教会グラーベン通り(Graben Straße)は今やウイーンの中心のショッピング街。しかしグラーベンは堀を意味する言葉で、大昔はそこがお堀の跡だったらしいのだ。※ 以前紹介した「ウイーンの高級食材店 ユリウス・マインル(Julius Meinl)」が突き当たりにある。C・・・王宮方面と王宮の向こうに自然史博物館と美術史美術館の建物。王宮が割と近い。濃いピンク矢印右・・・王宮ピンク矢印右・・・自然史博物館ピンク矢印左・・・美術史美術館D・・ケルントナー通りの終わり、リングとのコーナーにウイーン国立歌劇場。さらに左にカールス教会。黄色のライン・・・ケルントナー通り(Kärntner Straße)赤色のライン・・・グラーベン通り(Graben Straße)青矢印・・・ウイーン国立歌劇場黄矢印・・・カールス教会(Karlskirche)リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)内に高い建物は無い。高いのや近代化されたビルはリングの外側。昔の建物を利用して近代化されているからウイーンはほのぼの落ち着くのかもしれない。ところでシュテファン寺院には聖書の代わりになるステンドグラスは見あたらなかった。壊れてそれ以降修復されていないだけかもしれないが、それに代わるものが柱に多数据え付けられていた。それが聖人達の彫像である。識字率の低かった当時、司教達はイエスや使徒、また諸聖人達の功績や教えを像を見ながら人々に語ってきたそうだ。最もその像はほとんどが市民からの寄贈品。崇敬する聖人の名前を自分の子に付けるなど深い信仰心を持った人達に教会は支えられてきたのだ。プロテスタント運動が起きてカトリックは否定されたが、オーストリアはカトリック信仰が根強くこうして歴史的財産が多数残されたのだろう。シュテファン寺院(Stephansdom) おわりBack numberリンク シュテファン寺院(Stephansdom) 1 (大聖堂の教会史)リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 2 (内陣祭壇とフリードリッヒ3世の墓所)リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 3 (北側塔のテラス)
2016年07月24日
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Break Time(一休み)ラッピング電車「きゃりーぱみゅぱみゅ」 (SEIBU KPP TRAIN)実は大阪に来ています いろいろ体調もトラブルがあり、かつ忙しくて夜はすぐにダウン。そんな訳で今回最後のシュテファン寺院の紹介を延期させてもらいました 今回は手抜きで急遽鉄道ネタです 実は14日東京を出る時に、たまたま「きゃりーぱみゅぱみゅの電車」に乗り込んだのです。何てラッキー。 私はカメラを持っていた ヾ(*^。^*)ノ いえぇ~い と、言う訳で西武線のスペシャルコラボ企画。きゃりーぱみゅぱみゅの電車の紹介です。西武線池袋駅構内6月4日にお目見えしたと言う「きゃりーぱみゅぱみゅ」の電車は昨年創業100年を迎えた西武鉄道と「きゃりーぱみゅぱみゅ」5周年を記念してタッグを組んだスペシャル企画らしい。(9月29 日まで運行)6月4日から・・と言うわりに見たのは今回初めて。6月4日当日は1 便限定の特別電車イベントがあり「きゃりーぱみゅぱみゅ」自身が車掌役に扮して出発式に登場したとか・・。またイベントに参加した人にはオリジナル限定グッズがプレゼントされたそうだ。チケットは4月に売り出されて完売。乗り込んだのは鉄道ファンより「きゃりーぱみゅぱみゅ」ファンかな?13両編成の電車は全ての車両の外も中も「きゃりーぱみゅぱみゅ」一色。多分この電車だけなのだろう。それだけにいつ走っているのかの時刻については直接西武鉄道に問い合わせるしかないようだ。たまたま見れた・・と言うより乗れたのは超ラッキーなのだろう。ラッピングのデザインは「きゃりーぱみゅぱみゅ」の曲がアレンジされたもの。最近の西武線はレストラン列車の運行とか、ちょっと変わった企画が多い。少し前まで暗殺教室のラッピング電車も走っていたけど、車内まで「きゃりーぱみゅぱみゅ」一色なのはかなりの力の入れよう。そもそもなぜ「きゃりーぱみゅぱみゅ」なのか? と言えば、彼女が西武線沿線の出身で利用者だったかららしい。親近感湧きますね 他の乗客もいるので池袋まで来て乗客が降りて撮影しようと思ったら・・。すぐに折り返し運転で入れ替わりに乗車してきてしまった扉の内側までラッピング。西武線のポスター西武線自身でのグッズ販売は無いそうです。残念 シュテファン寺院は写真選びやまとめに時間がかかるのでもしかしたら東京に戻ってからの完結にさせてもらうかも・・・ m(_ _)m
2016年07月16日
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EU離脱投票の直前に「ポンド買いに走るミセス渡辺」の動向が取りざたされていましたが・・。予想がはずれEU離脱となり結果「ミセス渡辺」は大損して追い証が発生していると聞きました。今や世界で注視されるようになった「ミセス渡辺」とはFXのトレーダーで、しかも個人でなく日本の主婦層のトレーダーに付けられたニックネームです。そもそもFXとは「Foreign Exchange(外国為替証拠金取引)」の事で外貨の日々のレートの差で儲ける投資法の一つです。株のトレードと異なり少額で、またそれほど経済の知識がなくても手が出せるお手軽さと、一般家庭へのインターネットの普及により急速に人気の出て来たジャンルです。それにうまくヒットしたのが育児の片手間にお小遣いかせぎ・・と言う日本の主婦層です。個の取引は少額ながら日本の主婦のトレーダーの数が今や世界に少なからぬ影響を与える動きをしていると言う意味で時々「ミセス渡辺」の活躍が取りざたされるようになりました。ただ、FXが怖いのは少ない資金で何倍ものお金を投資できるレバレッジと言うシステムです。自己資金の最大25倍までの取引が可能な美味しさ。反面、失敗すればそのお金をすみやかに返金しなければならないと言う失敗時の大きなリスク。(リーマンショック前は100~500倍の取引ができた。現在は金融庁の指示で2011年から25倍に下げられた。)そう言う意味も含めて、金融商品としてのFXはかなりギャンブル性が強い取引の一つだと思います。離脱直後にポンドが160円から130円に・・と私も書きましたが、お金をかき集めてポンドを買っていた「ミセス渡辺」は今とんでもない自体に陥っている・・と言う事です。しかし、今は鳴りを潜めても再び別の「ミセス渡辺」の一群が世界に出てくるのだろうな・・。「日本の主婦パワーを嘗めるなよ。」・・と、ちょっと楽しみです シュテファン寺院(Stephansdom) 3 (北側塔のテラス)ミセス渡辺北側塔のテラス今回はシュテファン寺院に建つ二つの塔の一つ、北側の塔の紹介です。「シュテファン寺院(Stephansdom) 1 (大聖堂の教会史)」でも少し紹介していますが、通常同じ高さになるべき尖塔が、諸事情によりシュテファン寺院の場合は高さが異なっているのが特徴です。とは言え、現在その性格がうまく生かされて見所となっています。シュテファン寺院を北側から撮影正面入り口は写真右方面。見える塔が北側の塔(68m)。奧のとがっているのが南塔(137m)。北側の塔正面から撮影。こちらからも入れるようです。最初に南塔が礎石され完成(南の尖塔は1433年完成)。その後に北塔の建設が始まる。1450年に礎石されたが最初から建築にトラブルが続いた。途中で建築が中断され1511年ほぼ現在の高さ(68m)で建築はストップ。その事情は度重なる戦争や資金不足などが大きな要因。わずかにフェンスが囲われているのが見える。飾りが加えられるべきスペースが今は展望テラスとして利用されているのだ。ある意味良かったのかもしれない。もし南塔のように完成していたら展望テラスは造れなかったからだ。プンマリン(Pummerin)1578年に現在のルネッサンス様式の天蓋が加えられ、鐘は近年その下に据えられた。プンマリン(Pummerin)・・・吊り下げの鐘。と呼ばれるシュテファン寺院最大の鐘。現在の鐘は1951年にリンツ近郊セイント・フロリアで鋳造されたもの。重さ21110kg。3.14m。最初の鐘は南塔の方に1711年から1945年まで下げられていたもので、材料は1683年2回目のオスマントルコ帝国の包囲網の時に残された大砲化から鋳造されたものらしい。(18.317kg)西ヨーロッパで2番目か3番目に大きいらしい。Pummerin(吊り下げの鐘)が下げられている尖塔部は、実はガラス貼りになっている。低い北側の塔はエレベーターでの昇降ができる。(南側の高い方は徒歩のみ)エレベター降り口からは鉄柵とステップが組まれている。高所恐怖症の人はどうかな?北塔の上部。もとは南塔と同じ高さになる設計だったようだ。北塔は1450年8月、前回紹介したフリードリッヒ3世(Friedrich III)(1415年~1493年)により礎石された。北塔の基礎は捨てるほどにまずかったと言うブドウ酒を石灰に混ぜて使用したらしく、その後基礎を強固にする為に17年間も放置したと言われている。実はフリードリッヒ3世はものすごい倹約家。戴冠式と結婚式をローマで同時に行い旅費も無心すると言うドケチ。「ストレートでワインを飲んだ妻を怒った」とウワサも流れたとか・・。あまりにも酸っぱくて捨てるべきワインを利用した・・と言う話もまんざらウソではなさそうだ。しかし、工期のスタートが遅延した理由はコンスタンチノープルの陥落、オスマントルコによりウイーン占領など現実的に工事ができなかった当時の社会情勢などが直接の要因かも・・。塔は何度が後世その高さへの継続が試みられたらしいが、お金もかかるし、人々の関心が薄れた事にもあるようだ。北側の塔なので東、北北西までしか見渡せないが、展望デッキとしては素晴らしい眺めである。何にしても旧市街には大きなビルが無いので絶景である。北塔からの見所は、景色だけではない。実は寺院を被う屋根が素晴らしい。そしてその高さは場所により北塔を越えている。勾配は64度。場所により80度。1945年の火災で旧木造から鋼鉄に移行。技術革新された屋根となっている。現在の屋根は605トンの鋼鉄と1個2.5kgの屋根瓦230000個でなっている。恐ろしい勢いで雨が落ちるので瓦の掃除が一気にできてしまうらしい その独特な幾何学模様の柄はサラセン人(中世のイスラム教徒の総称)の絨毯を模してデザインされたと言われている。確かにアルカサルにこんなデザインのタイルがあった気がする。北側の屋根にはカラー瓦で1950の年号入りのウイーン市と第二共和国の紋章が入っている。反対側には1831の年号入りで、フランツ1世を示す「F・I」の入ったオーストリア帝国紋章(双頭の鷲)があるが、写真は撮っていませんでした。南塔は開口部が少ないのでかなり意識して無理しないと撮影できない場所なのです。1950とは、大聖堂修復で新たな屋根瓦をふいた年号らしい。聖堂内陣裏側からの北塔。下はカタコンベ入り口「モーツァルトの墓地がうやむやになった諸事情」で触れたシュテファン寺院のカタコンベとクロスチャペル(Kreuzkapelle)の入り口。大聖堂真下の旧墓所。マリア・テレジアが1754年~55年にかけて拡張。カタコンベの中央にはルドルフ4世の石棺他15の棺が置かれているそうだ。日に1度ツアーがあるらしいが、今回入っていないのです因みにマリア・テレジアの墓所はここではありません。以前紹介している「カプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft)1~3」を見てね。カタコンベに隣接するカピストラーノ説教壇との間にバロック様式の彫像。1738年フランシスコ会修道士が造らせたもので、1456年にオスマン軍との戦いで殉教したフランシスコ会の聖人を神聖化した像だそうだ。オーストリアがプロテスタントに侵されていたらこの像は破壊されていた事だろう。聖堂側真裏から次回、南塔を紹介リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 4 (南塔)
2016年07月09日
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参議院選挙が近いですが・・。池上先生の番組を見ながらやっぱり参議院は今の時代にいらないな・・と思いました。簡単に言えば衆議院の暴走を防ぐ為に一般の有識者が監視する・・と言うのがそもそもの参議院の役目。その為にいろんな職業の見地から考察してもらうのがベスト。でも今はインターネットのつぶやきなどからでもみんなの声を簡単に届ける事ができる。(もちろん英国のような国民投票(直接の声)は逆に情に流されて本質を見失う危険があるが・・。)昔と違って現在は、情報ツールの発達により皆の意見を国会に届ける所作に関して言えば参議院の力を借りる必要は無くなったと言える。そして発足当初と理念がかけはなれたのが比例選挙の導入だ。池上先生によれば参議院は政党に左右されない為に議員はどの政党にも属さない事が好ましかった。しかし比例選挙が導入されてから政党入りした方が無所属より議員になりやすくなった。何しろ比例の名簿の上位に自分の名前を入れてもらえれば、ぶっちゃけ自分は選挙運動などしなくても議員になれるシステムだからだ。例えば元首相であった民主党の菅直人氏は個人では衆議院選挙に落ちたのに比例で当選している。皆から「No」と言われたのにずーずーしくもまだ国会議員になっていると言う現実だ。比例選挙に関して言えば、「候補者個人を投票したい人」と「政党で選び投票したい人」のどちらか一つの選択にすれば良いのに・・と思う。話はそれたが、参議院は定数242議席。解散は無し、3年毎に半分の121人が入れ替えで任期6年。中身も無いのに知名度の高い事だけを理由に推される昨今の各政党の候補者。また衆議院に落選した人の鞍替え。よく解らないタレント議員も多すぎる。やっぱり給料分と3年毎の選挙にかかる諸経費(国家予算)がもったいないなーと思う 加えて言えば職業無職で議員を主の収入源にしている議員はどうかと思う。給料無しのボランティアにしたら議員になりたい人は半分以上いなくなるのではないか?さて、前々回途中になっていたシュテファン寺院の内陣を紹介。行った気になるように写真選んでいます シュテファン寺院(Stephansdom) 2 (内陣祭壇とフリードリッヒ3世の墓所)モーツァルトの墓地がうやむやになった諸事情フリードリッヒ3世(Friedrich III)の墓所今回は半分から上の部分です。寺院の中ほどからの内陣方面図の右の円の礼拝堂(カタリーナ礼拝堂)モーツァルトの墓地がうやむやになった諸事情礼拝所の入り口脇にはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)に関する石版があった。彼は1782年この教会でコンスタンツ・ウェーバー(Constanze Weber)と結婚。1791年クロスチャペル(Kreuzkapelle)で聖餐式(せいさんしき)が行われた・・と書かれていた。つまり彼は死後にこの教会の地下墓地のチャペルで正式に天に召される儀式(葬式)を終えていたのだ。18世紀半ば、教会に付属していたシュテファン墓地が満杯になり閉鎖された。シュテファン寺院内のカタコンベも満杯になり、近所の家々の地下に墓地が造られ始めたと言う。(30年の間にそこに11000人が葬られたと言う。)当局は衛生面でも問題を感じていたのだろう。生者と死者を分ける対策がとられる。1783年にヨーゼフ2世がウイーン市内での埋葬を禁止し、当然シュテファン寺院内での埋葬も禁止。よってこの教会に葬られる事は無くなり、おかげで彼の体はウイーン郊外まで運ばれた。ザンクト・マルクス墓地(Sankt Marxer Friedhof)が彼が運ばれた墓地である。墓地改革の当初。墓地にマークする事も禁じられたと言う。もしかしたらモーツァルトの死はそんな時代で、運が悪かったのかもしれない。彼の遺骸は墓堀り人夫により他と一緒くたに埋められて解らなくなってしまったからだ。(その条例は聖職者と市民の抵抗で後に解除された。)※ 2009年12月5日「ウィーン中央墓地 3 (B と S と M の 墓所) 」でモーツァルトの墓碑を紹介しています。カタリーナ礼拝堂(洗礼堂)ゴシックのカタリーナ礼拝堂は北塔のホールの下。現在は洗礼堂。1476年~1481年に造られた見事な洗礼用の水盤が置かれている。素材はザルツブルグの大理石。聖カタリーナを祭った祭壇。聖カタリーナは学者と大学の守護聖人だそうだ。司教座聖堂参事会員の為の内陣席使徒の廊(右翼)、突き当たりがフリードリッヒ3世の墓所フリードリッヒ3世(Friedrich III)の墓所中央にあるのが神聖ローマ皇帝フリードリッヒ3世(Friedrich III)(1415年~1493年)(皇帝在位:1452年~1493年)の棺。数多くの教会や修道院を建設。バーベンベルグ家のレオポルド3世の聖人認定など奔走し1469年にはシュテファン寺院をウイーン司教区に認定させた。また彼は教皇から戴冠された最後の皇帝だそうだ。3段仕立ての石棺型の墓石は8トンあるそうだ。墓石デザインをしたのは当時一流の彫刻家。オランダ人の彫刻家ニクラス・ゲルハルト・ヴァン・ライデン(Niclas Gerhaert van Leyden)(1473年没)彼はこの石棺上部の蓋(ふた)を自身で製作。その写真が壁にかかげられている下である。皇帝自身の彫像の形になっている。ウイーンがハンガリーに占領されていた時代、上のふたはヴィーナー・ノイシュタットに疎開していたらしい。蓋は皇帝存命中から製作され、亡くなる直前にウイーンに戻されたと言う。欄干の台座には12使徒の像やフリードリッヒ3世が行った宗教的関係のものが彫刻されモニュメントとなっている。彫り師はマックスファルメットとミヒャエル・ティヒター。今日の調査で確かにフリードリッヒ3世はここに埋葬されているそうだ。中央祭壇左翼 女性の廊にある ヴィーナー・ノイシュタットの祭壇もとはヴィーナー・ノイシュタットのシトー会のベルンハルト修道院の為に制作されたものだったらしい。制作年1447年。1883年に祭壇はシュテファン寺院にもたらされた。フリードリッヒ3世が寄進した祭壇と考えられ、聖遺物箱にもなっているそうだ。木彫りの彫像の立体レリーフ仕立てになっている。中央祭壇ウイーンで最初に造られた初期バロック様式の中央祭壇15mの高さを持つ祭壇画はキャンパスでなく、錫(すず)版に描かれているらしい。1647年に聖別された祭壇は領主司教であったフィリップ・フリードリッヒ・ブロイナー伯の依頼でコンスタンツ出身のヨハン・ヤコブとトビアスのポック兄弟によって製作。図像学的に天に向かう視線で造られている事も踏まえて「天空の門(Porta coeli)」タイプの祭壇に分類されるそうだ。次回北塔予定 リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 3 (北側塔のテラス)
2016年07月03日
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