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リンク先追加しました。最後にアウグスブルクのback numberも入れました。何年ぶりかで映画を見て来ました 小栗旬君主演の「信長協奏曲」です。これはドラマの完結部分を映画化したもので、どう終わるのか気になってたのです (原作マンガの方は読んでいません。)見ていない方もいるので内容は言いにくいですが、本願寺との戦いあたりから史実とはかなり異なっていて、織田信長の最後もしかり・・です。ではそれなら「秀吉が天下を取らない未来」があっても良かったのではないか? と少し残念でした。それにしてもかくも織田信長の奥方の帰蝶様は良き妻の役回りでドラマに出て来ますが、本当は結婚後の消息は不明のようです。名前も違っていたかもしれない 帰蝶(きちょう)でなく、胡蝶(こちょう)だったのではないか? 説もあり、私も同意です。織田家の家門の一つに胡蝶もあるし・・。織田信長公については連載しているので良かった過去ログみてください2015年5月「秀吉の御土居(おどい)と本能寺の移転」リンク 秀吉の御土居(おどい)と本能寺の移転2015年6月「信長の墓所 1 (本能寺)」、リンク 信長の墓所 1 (本能寺) 「信長の墓所 2 (大徳寺塔頭 総見院)」、リンク 信長の墓所 2 (大徳寺塔頭 総見院) 「信長の墓所 3 (蓮台山 阿弥陀寺)」リンク 信長の墓所 3 (蓮台山 阿弥陀寺)2015年7月「信長の墓所 4 (消えた信長公)」、リンク 信長の墓所 4 (消えた信長公)「信長の墓所(追記) と 細川ガラシャの墓」リンク 信長の墓所(追記) と 細川ガラシャの墓ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)プレメトロのトラム(路面電車)3号線チャーチル(Churchill)駅チャーチル像とループターン前回紹介したプレメトロのトラム3号線の終着駅がチャーチル駅です。チャーチルには以前紹介したアールデコの邸宅「ダヴィッド&アリス・ヴァン・ビューレン美術館」があります。その時の写真です。因みにこの界隈は高級住宅地です。トラム3号線案内図 中央駅あたりからの終点チャーチルまでの停車駅表親切な解り安いトラム(路面電車)の駅の乗り替え表示ですが、実はこのプレートは走行している車内しか設置されていません。これが各所にあれば便利だしプリントで配布されれば便利なのですが・・。オルタ駅の次あたりから? トラムは地上を走行。マロニエの並木の中を静かに走行。その両サイドに車道が通り、周りは高級そうなアパートが立ち並んでいます。VanderKindere駅トラムは専用線路で走るものの信号では車と一緒に停車トラムも横断東京には無い光景なのでちょっと不思議。チャーチル(Churchill)駅終点駅であるが、トラムはこの先でループ式のターンをして方向転換して来る。ループ線の所ではしばらく停車するのでここで降りなくても良い。チャーチル像とループターンループ線のある停車場からチャーチル駅方面を診た所ここで一端停止するので降車先発のトラムがいたので先に出たい人は乗り換え昔のトラムより小回りがきくらしい。ループ線の長さは100mトラックないくらい?ラケット型のループ線である。トラムは単線ではないが、運転車両が一方にしかないので反転する必要がある。なぜか駅の由来となるチャーチル像が建っている。後方のトラムは3分後に発車チャーチルとは英国の首相だったウィストン・チャーチル(Winston Churchill)(1874年~1965年)である。マーガレット王女によって1967年10月建てられたと言うがなぜ建てられたのかの由来が解らなかった。考えられるのはチャーチルはEUの生みの親でありベルギーでも尊敬されるべき人だからかもしれない。小説家であり政治家であるヴィクトル・ユーゴーは1849年にパリの国際平和議会で、「ヨーロッパ合衆国(a United States of Europe)」という言葉を使ったそうです。それから100年後1946年9月チューリッヒ大学でウィストン・チャーチル(Winston Churchill)はフランス及びドイツの協調を持って欧州を再統一しなければならないと演説。(チューリッヒ演説)1948年5月のハーグ欧州会議ではチャーチルは名誉議長に選出され欧州議会設立に尽力する。つまりチャーチルこそが欧州連合 (European Union)誕生のルーツだったと言うわけだ。車内のキップ認識のマシン左は日本のスイカのようなカード式。右が一回券などの刻印式チケットカード入れおそらく一番の新型車両だろう。トラムと言うよりはモノレールのような車両ですね。スタイリッシュにまとめられた車内窓は大きく明るい。日中は人の乗車は少ない。そもそも思うより人口は少ないので日本のような混み具合はラッシュでもないのかも・・。軌道線割に細くてシンプル。考えたら枕木も無くただ置かれているようにしか見えない。(道路では埋められているが・・。)どうやって固定しているのだろう。(・_・?) ハテ?次回アウグスブルグに戻ります。back numberリンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central)リンク アウグスブルク 1 (Intercity Express)リンク アウグスブルク 2 (クラウディア街道)リンク アウグスブルク 3 (市長舎 黄金ホール)リンク アウグスブルク 4 (ペルラッハ塔・Perlachturm)リンク アウグスブルク 5 フッゲライ 1 中世の社会福祉施設リンク アウグスブルク 6 フッゲライ 2 免罪符とフッガー家リンク アウグスブルク 7 (シェッツラー宮殿 ・Schaezlerpalais)リンク アウグスブルク 8 (司教座聖堂 1 ゴシック様式の聖堂)リンク アウグスブルク 9 (司教座聖堂 2 ロマネスクのクリプト)
2016年03月31日
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リンク先追加しました。ブリュッセルには2年半前に1週間ほど滞在。※ 2013年9月に「ブリュッセル中央駅(Brussels Central)」を紹介しています。リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central)その時は列車で入り列車で出国したので空港の写真がありませんが、メトロにはよく乗っていたので写真を探してみました。特にブリュッセルは交通網がツーリストにはちよっと解りにくい部分があります。その辺を踏まえて、今回アウグスブルグを一時中断して先に差し込み紹介しておく事にしました。(全2~3回くらいになります。)ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)メトロのKIOSK(キオスク)メトロとプレメトロの違いブリュッセルの特に中心部(かつての城壁の中)は歴史地区のせいもあるのか? 地上を走る電車も中央駅では地下に潜っています。さらにその下に地下鉄が走って中央駅に乗り入れしています。地上の交通網はバスとトラム(路面電車)ですが、これも歴史地区のグランプラスの界隈はトラムも地下を潜っていて、これが準メトロと言った扱いになっています。つまり、ブリュッセルのメトロは2種類のメトロが存在しているのです。因みにブリュッセル(Brussels)の南駅(Midi)がユーロスター(Eurostar)やタリス(Thalys)、ICE(Intercity Express)など国際列車のターミナル駅ですが、中央駅も国際列車が乗り入れしています。例えるなら南駅が東京駅で、中央駅は上野か新宿と言った所かも・・。以前ブリュッセルの地図は解りにくい・・と言いいましたが、交通局の出している地下鉄の路線図も解りにくく下はキオスクでチケットを購入した時にもらった地下鉄路線図に自分で色付けしたものです。B・・・Gare Centrale(中央駅)C・・・Maalbeek(マルベーク駅) テロのあった駅一応路線のカラーは交通局の指定カラーにしましたがもともと似通った色が使われているのでこれもわかりにくさの原因です。次に解りにくいのがメトロとプレメトロが混在した路線図です。メトロ・・・・・・1、2、5、6号が正規のメトロ(地下鉄)プレメトロ・・・3、4、7号がトラム(路面電車)で一部地下に潜るもの。地下鉄乗り場にあるKIOSK(キオスク)は本来切符売り場? 売店ではありません。上は中央駅 下はDe Brouckere駅か?たぶん・・。一回乗車券1日券や5回券、10回券が他にあるようで、メトロ、トラム。バスに共通。チケットは最初に乗る時に刻印を押すと時間で管理。A・・・・De Brouckere駅 の地下鉄のホーム(中央駅の一つ先)メトロ1号線と5号線が平行しているラインの駅。東京で例えるなら丸ノ内線か銀座線と言った所?要するにブリュッセル一番の主要幹線と言えます。天井が大ざっぱだが日本の地下鉄とほぼ変わらない。これでサンカントネールに行く予定でMerode駅で降車のはずが、奇しくも、今回テロのあったMaalbeek(マルベーク駅) で電車がストップ。なぜか日中に地下鉄の工事になるとか・・。親切なおばさんに教えられて地上でメトロが用意した振り替えバスに乗車。それよりも乗る前に知らせてくれればいいのにC・・・・Maalbeek(マルベーク駅) の上バックがEU本部ビルMaalbeek(マルベーク駅) は東京で言えば大手町か霞ヶ関と言った所。※ 2014年1月「ブリュッセル(Brussels) 7 (EU とサンカントネール公園) 」で欧州連合 (European Union)のルーツを書いています。この日はサンカントネールでは祭りが催されていて、ものすごい人。なぜこんな日に地下鉄を止めたのか?Maalbeek(マルベーク駅)は混み混みで写真を撮っていませんでしたさて、こちらはグランプラス近くの証券取引所です。この向かい。現在撮影している方の写真が下です。因みにレインボーカラーはゲイパレードが近かったからなのです。D・・・・Bourse駅レストランの前にMのマークが見えると思いますが、ここがメトロではなくプレメトロBourse駅の地下入り口でした。メトロとプレメトロの違いこの通りの下にプレメトロ3号線と4号線が走っているのです。プレメトロは本来はトラム(路面電車)の事です。つまり、かつてこの通りに普通にトラムが走っていたのが地下を走りメトロもどきになった・・と言う事でプレメトロと呼称されたのかも・・。しかし全線地下ではなく、途中から外に出て普通のトラムになります。ホームの看板こちらでは進行方向の終点駅の名が示されています。自分が降りる駅がどのラインのどちらの方角かあらかじめ調べておかないと(自分の駅だけだと)どちらに乗るのかわからなくなります。本当のメトロ(地下鉄)との違いはホームが非常に浅い事です。(車幅も違うと思う。)つまり車輪が全く異なるので双方同ホームへの乗り入れはできない・・と言う事です。改札に関してはこちらはアバウトです。因み通常トラムには券売機はありませんが、こちらの地下駅には自動券売機がありました。ただ、デジタルとアナログが混在した解りにくい機械の為に外国人が何組も買えずに迷ってました。聞くような駅員一人いません。本当にほぼ無人駅です。新しいから地下鉄よりも綺麗です。ワンコを2匹も連れた女性が・・。このままトラムに乗れる・・と言う事なのですかね?E・・・Horta駅 はアイアンワークとステンドグラスで装飾されている。ベルギーを代表するアールヌーボーの建築家ヴィクトール・オルタの家がここからすぐだから?次回プレメトロとトラムです リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)
2016年03月26日
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ミュンヘンから日帰りで出かけたアウグスブルクですが、当日は80%が雨の天気 とは言え事前にチケット予約していたので変更するわけにも行かずついていない出発。もっともその旅行自体ほぼ全体の7割が雨だったような・・しかし厳しい旅行の時ほど記憶に残るのは確かです。今、1年半前の記憶をたぐり寄せながらの書き込みです f^^*) ポリポリアウグスブルク 3 (市長舎 黄金ホール)アウグスブルク(Augsburg)市庁舎(Rathaus)とぺルラッハ塔(Perlachturm)市長舎 黄金ホール(Rathaus Goldener Saal)アウグストゥスの目先に建っていた市長舎と塔は共にアウグスブルク出身の有名な建築家エリアス・ホル(Elias Holl)が手がけた作品です。※ エリアス・ホル(Elias Holl)(1573年~1646年) ルネッサンス様式のアウグスブルグの建築家。ドイツ・ネルッサンス様式の最高傑作として建てられた街の自慢の建築物ですが実は1944年2月、第二次大戦の戦火に巻き込まれ現在のものはほぼ再建されたものです。栄華を誇った当時に莫大なお金をかけて建造された建物だけに、その修復費用も莫大であり、特別予算を立てて市では修復を計ってきたようですが、まだ全ての部屋・・までは完了していないようです。外観も当時はもっとカラフルだった可能性があります。左がぺルラッハ塔(Perlachturm) 右が市庁舎(Rathaus)・・現役ですベルラッハ塔の方は監視塔として989年には存在していたようです。建築家エリアス・ホルはその土台の上に市長舎とマッチするように監視棟を鐘楼に造り変えたらしい。以前からこの場所にはゴシックの役場があたようです。それがアウグスブルグの繁栄の元で街にそぐわないものとなり、建て替えが検討。議会で承認され予算も付く。時は1615年8月25日。最初の礎石が置かれ着工。正面エントランスを入った1階部分入ってすぐ右が売店その隣の戸口を入るとトイレがありますが、市庁舎内にもかかわらず有料です。黄金の間に入った人のみその半券を入れると扉が開くしくみになっています。左のみ階段がオープンされていてそちらがルート。階段を上ると正面に巨大ホールの入り口があります。ホール入って右に職員のデスクがあり、そこで料金を支払うシステムです。来訪しているのはほぼツアーの人達なのでかち合うと混み合います。縦32.5m、横17.5m、高さ14m。ホールは広くて写真に入りきらないです。栄華を誇ったアウグスブルグの冨の象徴として建てられた建物ですが本当に見事です当時流行のドイツ・ルネッサンス様式の外観だけでも市民の自慢。加えてその内装はまるで王宮のような豪華さ。これが当時の市民の物だったそう改めて考えると当時のアウグスブルグ市民の経済力とレベルの高さに驚く広間ででもあります。(見学する時はその辺を踏まえて見なければ・・。)金銭の問題だけでなく、大変だったのはそれに携わる職人や建てる為の石を始めとする様々な資材の調達です。石工のギルドの調達。また200人を越える手工業職人、工芸職人、芸術家などの各種ギルドを統率しての工事はその指揮だけでも他とスケールが違ったと言う。黄金の間天井画は左右と中の楕円と3つに分割して意味が込められている。中心楕円の中には3つの単語がある。Per me(私が)、 Reges regnant(王の治世)、 Sapentia(知恵)女神はSapentia(知恵)の女神。彼女は賢者と法律学者がひく凱旋車に乗っている。知恵こそが統治する者(王)の重要な徳と言う事らしい。しかしせっかくの建物が300年後の夜空爆により損壊して1946年に再びラートハウスの着工式が行われ、現在の外装は1955年のもの。黄金の間に昇る二つの階段だけで900万ユーロ(1980年代)かかったそうだ。市では何期かにわけて予算を工面して修復にあたる。最も大変だったのはフレスコ画の復元。木彫を含めた黄金の間の天井。正面入り口にある大型の金箔貼りの彫像。選定侯爵の暖炉など。床板の修復には当時使用されたハレイン近郊アドネットからのものでゾーンホーフェンからの石。市長舎の再建に使われた石全てが当時と同じ場所からの採掘で、限りなくオリジナルに近い物とこだわっているらしい。これら像は木彫。扉の上の女神像には2.6kgの金箔がコーティングされているらしい。扉の柱の木彫入り口側である北側の壁のフレスコ画にはローマの八皇帝(異教徒)が描かれている。対して反対側南の壁にはキリスト教徒の八皇帝(おそらく神聖ローマの皇帝)が描かれているそうだ。それぞれにラテン語の標語があり、シーザーの言葉を借りれば「来た。見た。勝った。」に対して、カール5世が「来た。見た。神が勝った。」と相対してキリスト教側の神の勝利を示しているそうだ。黄金の間にメイン階段から入る入り口は北側と南側で2箇所ある。その両左右に少し小さめの戸口が4箇所。それは選定侯爵の間と呼ばれる控えの間だそうだ。各部屋はクルミ材とオーク材でシンブルに彫刻が施された造りになっている。床は松材の寄せ木造り。珍しいのは各部屋にある4基の暖炉。縦5m。重さ3トン。鋳物に見えて実は陶器製のようだ。なぜ鋳物に見せる必要があったのか解らないが、外装を黒鉛を被っているのだそうだ。次回、ぺルラッハ塔につづく。リンク アウグスブルク 4 (ペルラッハ塔・Perlachturm)
2016年03月19日
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ただ今大阪に滞在中です。一週間がなんて早い事か・・昨日は久しぶりに京都嵐山に行ってきました。昨年行きそびれた嵯峨帝の御所だった大覚寺が目的だったのですが、大覚寺は利便が悪い割に結構混んでいたので驚きました。それも若者(女子)がものすごく多かった。(・_・?)はて?その理由がなんと刀剣育成シュミレーションゲーム「刀剣乱舞」のキャラとなる薄緑(膝丸・ひざまる)と言う名刀がこの寺に伝わっていたからだそうで、美形の青年と化した刀の出身地をめぐるスタンプラリーが嵐山電鉄をあげて行われていたかららしい。大沢池バックに膝丸(ひざまる)のプレートが立っている。それを写真パシパシ彼女らはどこうとしない。一般の人からするとちょっと迷惑な・・。それにしても刀剣の来歴にもせまるシュミレーションゲームなのに女子が多い。それはやっぱり擬人化されたキャラが女子好みだからなのだろう。中身は知らないがなんとなく乙女ロード系の臭いが・・。アウグスブルク 2 (クラウディア街道)アウグスブルク(Augsburg)クラウディア・アウグスタ街道(Via Claudia Augusta)さて、アウグスブルク(Augsburg)はドイツの観光街道であるロマンティック街道の一端を成す都市ですが、「ロマンティック街道」と銘打ったツアーでさえ、ハイデルベルクで昼食程度。ローテンブルクで一泊。シュヴァンガウで白鳥城を見てミュンヘンに泊まる・・と言う程度の内容のツアー。(ほとんど形だけ)アウグスブルグなどかつては少しは立ち寄る事もあったようですが、今はそこから高速に乗るので近づくだけ。街には全く入らないのがほとんどだそうです。実は「ロマンティック街道」ツアー衰退の理由は街に宿泊しない観光バスの乗り入れが禁止になったからのようです。街の外にバスを止めて街の中の観光場所まで歩くのには時間が必要。短いツアーにそんな時間は無いと言う事です。アウグスブルク(Augsburg)は泊まる程の街ではないか? と言うとそうでもない。実は古代ローマ時代にできたこの町は欧州の歴史の中では重要な街の一つだったのです。第二次世界大戦の災禍で街の50パーセントが破壊されたと言うが町にはローマ時代の遺構が次々発掘されるし、中世には交易により大金持ちだったので当時の素晴らしい文化的財産が残っている街。しかし中世にあった街を囲んでいた城壁は街の拡張の為に(西側壁)はずされたそうだ。だから写真左は拡張された新街の部分。赤色部分がアウグスブルグの駅舎となっている。今回は街の目抜き通りであるマクシミリアン通り(オレンジのライン)から紹介します。ロマンティック街道の道でもあり、ローマ帝国にも通じていたこの道は古の時代、クラウディア・アウグスタ街道(Via Claudia Augusta)と呼ばれていました。クラウディア・アウグスタ街道(Via Claudia Augusta)アウグスブルク(Augsburg)はその名の通り古代ローマの皇帝名から由来している。※ ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス(Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus)(BC63年~AD14年)である。紀元前15年くらいにローマの植民都市(属州ラエディア)の州都アウグスタ・ヴインデリコールムとしてできたのが街の発祥だそうです。市長舎前広場(Rathausplatz)のアウグストゥスの噴水ローマ兵が作った道はローマ帝国に通じていたわけで古代ローマ帝国が終焉した後もこの道はイタリアとの貿易で使用され続け、大いに街は潤い栄えたそうです。ここはほぼ街の中心。アウグストゥスの目先には街を象徴する市役所(ラートハウス)右とベルラッハの塔左が建っている。これについては別の回で紹介市長舎からの広場街は広いようで狭い。トロリーやバスは走るがほぼ歩いて回れる。確かに観光バスなど入って来たらゴチャゴチャである。実はこの日は天気が微妙。雨が降ったり晴れたり・・と写真が一定していませんが全て同じ日ですかつ、この時広場は補修が行われていて雑然としていました。市長舎前の道がかつてのクラウディア街道です。現在通りは細切れに名前を変えています。このあたりから南のウルリヒ&アフラ教会までがマクシミリアン通り(Maximilianstr)です。この通りはギルドハウスなどで賑わった所です。天気のせいではないと思うが人が少ない。たぶん人口そのものが少ないのかも・・。右折するとBgm Fischer St。コーナーにはかつてのギルドハウスが再利用されている。いつも思うが看板もほとんど無いのでただの家なのか? ショップなのか? オフィスなのか解りにくい。そしてお洒落なんだか老朽化しているのかよく解らない。この交差点には見るべき噴水が一つマーキュリーの噴水(ヘルメスに同じ)である。アウグスブルグは1276年に帝国自由都市になった。それは司教の手から市民が自治権を獲得した事でもある。商人は働けばそれが収入になる。通商はクラウディア街道を利用した交易で、街にはイタリアの文化やイタリア経由で世界の物資が流入。商いは盛んになったのだ。何しろ当時のイタリアは既に世界に繋がっていた。地中海貿易の拠点がアドリア海にあったのだからイタリアの繁栄と共にアウグスブルグにも冨がやってきた。アウグスブルグの全盛期は15~17世紀で当時「黄金のアウグスブルグ」と謳(うた)われたそうだ。その中で名のある豪商が輩出される。彼らの事は次回にするが、街にある豪華な噴水は当時の豪勢さを示したものなのである。アウグスブルグは実は二つの街が別に拡大して合併してできている。一つは北にある大聖堂の周りに領主である司教のお膝元に集まって商いをした人々。もう一つは南のベネディクト修道院の門前に集まって住み、イタリアとの通商の為に商人が集まってきてできた街である。このあたりはその後者であり、当時の豪商が建てた宮殿が現在美術館として公開されている。ヘラクレスの噴水噴水に付いての記述は無いが観光局の資料によれば1600年頃のブロンズ製だそうだ。写真はドシャブリの中で撮影しているのでめいいっぱい明るくしてこんなものです 目抜き通りなのに車もほとんど走っていない。マクシミリアン通りの南のつきあたり。見える教会の塔がウルリヒ&アフラ教会です。つづくリンク アウグスブルク 3 (市長舎 黄金ホール)
2016年03月13日
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ミュンヘン中央駅からアウグスブルク(Augsburg)までは高速列車ICE(Intercity Express)で30分ほど。アウグスブルク初回編はICE(Intercity Express)から紹介です アウグスブルク 1 (Intercity Express)ICE インターシティエクスプレス(Intercity Express)インターシティエクスプレス(Intercity Express)、略してICEはドイツが開発した日本の新幹線に相当する特急です。以前紹介したオーストリア連邦鉄道(QBB)のレールジェット(railjet)は高速と言えど最高速230km。ICEは最高速320kmとされているのでかなり高速です。もちろんドイツ国内だけでなく隣接するオーストリア、スイス、オランダ、フランスの各地まで乗り入れしている国際列車でもあります。パリ~フランクフルト間は約3時間50分で走行するそうですよ。ミュンヘン中央駅いつも思うのは欧州の鉄道は掃除が行き届いていない。ドイツはまだマシではあるけど列車が汚すぎて写真を撮ってもアップにしたくない・・と言う問題があります。車内のモニター。今回は近いので座席予約はしたものの2等客室です便によっては予約しないと乗れない車両もありますが、予約しないで乗って勝手に座る人の方が多い気がしました。(帰りは自分の席に人が座っていてどいてもらいました。)始発駅なら問題ありませんが、途中からの乗車であるなら予約しておいた方が無難です。そんなに高くないし・・。2等でも結構広いし立派。因みに座席は2等が2:2に対して1等は2:1と余裕がかなりあるようです。以前紹介したイギリス、フランス、ベルギー3カ国の開発したユーロスターは座席間も幅もせまく窮屈でした。国柄がこう言う所にも現れるのでしょうかね。最もICEよりオーストリアのレイルジェットの方が良いですが・・。※ 2013年9月「ユーロスター(Eurostar)」リンク ユーロスター(Eurostar) 2014年8月「オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)」リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)今回は30分程度の乗車の上に案外混んでいたので車内を見学できませんでした。日本と異なり椅子は固定式。その為に向き合いになりテーブルのある席もあるけれど進行方向になっていない最初から逆になる席も存在する。もう一つ日本と異なるのは、車両の中にツーツケースを積むスペースが若干だがある事。日本の新幹線も上の棚にスーツケースは積めるけど女性では重くて無理がある。新幹線も成田エクスプレスの様な棚をもうけるべきなのかも・・。ステップは段差あり。ダウンロードしてプリントしたチケット赤い所に名前とクレジットカードのナンバーが入ります。乗車中、車掌さんがチケット確認に来るのですが、その時にクレジットカードの提示を求められます。本人確認と思われるので購入時と同じカードを持っていた方が良いでしょう。※ チケットの予約は旅行サイトでなく、ドイツ国鉄に直接アクセスした方が安いし、各種割引が適用される可能性があります。(早割とか土日割引など。)アウグスブルクの駅ローカルな地方駅のホームです。改札ホームへは地下道で抜けますが、エレベーターはありません。欧州では人件費削減か? 通常ホームに駅員さんはいません。乗り入れた列車の車掌さんとか乗務員が発車の合図などあれこれしています。よって、忙しいので何か聞きたくても聞けません。連結部途中で方面別に分かれるのかもしれないです。動力車詳しくは解りませんが、ICEは開発の過程で動力分散方式の車両もあるようですし、動力車でもプッシュブル方式を採用したタイプもあったようです。一般には先頭車の一端が動力車。もう一端が制御客車としたプッシュプル方式が採用されているようです。以前紹介したレールジエットと同じ方式だと思います。この動力車の存在が美しく無いですねバイエルンの在来線Bayerische Regiobahnアウグスブルクの駅舎 外から次回街に入る予定です。リンク アウグスブルク 2 (クラウディア街道)
2016年03月04日
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