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アメリカの大統領選にからみ、今アメリカではとんでもない事態が起きている。共和党から出馬している不動産王のドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump)(1946年~)氏が共和党候補に選ばれてしまうかもしれないからだ。金持ちだが、政治は詳しくない。しかも白人至上主義で移民を排除しようとする政策を大きくかかげて皆の支持を受けていると言うのだから驚く。(かつてのKKK団のような人だ。)冗談だろ? と誰もが思っていたのだがこのままではマジに共和党の代表になり、大統領選挙となる可能性が本当に出てきたから大問題となっている。これに関してはワシントン・ポストが本当に危機感を抱き、新聞に大変な事態が起きようとしている・・と警告の社説を載せた。(この行為自体に世界が反応した。)また、ローマ法王も極端に民族を差別して排斥する彼に対して異例のコメントを出した。「彼はカトリックに非ず。」と言う内容である。※ トランプ氏は事もあろうにこのローマ法王の声明にも反論したのだから驚きだ。実際日本に対してもありがたくない政策を持つ人物だし、アメリカでももちろん良識のある人なら眉をひそめる人物である。もし彼が大統領になったら本当にアメリカはおしまいである。これは人ごとではない大事件なのだ。アメリカの大統領選挙については2012年11月「米国の選挙(U.S. Elections)」1~2で米国大統領選挙(U.S. presidential election)を詳しく紹介しているのでよかったら見てね。リンク 米国の選挙(U.S. Elections) 1 (選挙人)リンク 米国の選挙(U.S. Elections) 2 (ホノルル市長選)日本では選挙法に引っかかるが、アメリカの選挙では食事会を催し支持者に参加してもらう・・と言う会が平然と行われている。トランプ氏の支持者もそうして「ただ飯を食べられる」と言うので参加した人が増えたのではないか? と推察する。彼が勝ち進めば食事会はずっと続くし、グレードアップする。協力者には金銭も当然渡っているだろう。札束を毎回ばらまいても彼の資産はたいして減りもしないだろうし・・。造形美術アカデミーのボス(Bosch)最後の審判 2 (反キリスト者の裁き)ボス(Bosch)最後の審判(The Last Judgment)前回に引き続き三連の祭壇画(triptych)の中央・・最後の審判と右翼・・地獄編です。ここ数日写真をセレクトしながら眺めていたのですが、内容について私ごときではやはり理解不能でしたただボスの絵は中世のその時の人々に風刺による大いなる教訓が含まれていた・・と言う事です。自身の愚かさや罪深さを独特のスタイルで表現。ただの滑稽な風刺画と異なり、彼の作品はおぞましさと恐怖とで異彩を放っている。(今の人には理解出来ない精神的背景があったのだろう。)造形美術アカデミーの三連の祭壇画(triptych)には最後の審判(The Last Judgment)とタイトルが打たれていますがヨハネの黙示録に忠実なシスティナ礼拝堂に見られる最後の審判とはどうも違います。左の楽園と右の地獄はなんとなく解かりますが中央は「これは本当に最後の審判図なのか?」 と言う疑問がぬぐえないのです。最後の審判とされる中央の図少し反射が入ってます堕落した人間は悪魔の餌食にされやすい。自身の愚かさや罪深さを表現しているのか?不気味な中にも滑稽なキャラの悪魔がたくさんいる。人を痛めつけている悪魔も・・人の有様か・・。ところで、絵の中のナイフであるが、ボスの他の絵の中にも時々ナイフが出てくるのだが、そのナイフには文字が刻まれていた。(拡大して気がついた。)M・・らしいが、何のMか論議されたままのようだ。メギド(Megiddo)のMならそこはハルマゲドンを示す。(終末の最終決戦の場所とされる。)あるいはこれは反キリストと呼ぶ者達を象徴するものとも・・。反キリストの予言はMから始まるとか・・。そうなるともしかしたらこの絵は反キリスト者の行為を示した図であり彼らの罪そのものかもしれない。戦争と言う行為もまた反キリストの行為か?神とキリストに反する反キリスト者についてはまだ勉強不足です解釈はいろいろ。ルターたちからすれば権力におぼれ聖書に反する、ローマ教皇すら反キリストに入れられる。納得いかないのがこの上部のキリストと12使徒。これこそ後に書き直された部分かもしれない。(実は近年の調査で16~17世紀に塗り直されているらしい。)下図の絵に対して絵もちょっと稚拙かもしれないし全体に意味が通らない気が・・。右翼・・地獄編?ここは反キリスト者が罪を受ける所かもしれない。サタンか?中の絵は戦争で燃える街? 右翼のこらはまるでソドムとゴモラのよう。神の審判によって滅ぼされる反キリスト達の裁きの場か?結論としてこの三連の祭壇画(triptych)は、左翼・・・楽園は人類の原罪中・・・・現世の有様、 (現世は疑惑と裏切りに満ち、人々は獣欲と蛮行におぼれている。人を魔物に具現化したものか?)右翼・・・地獄は悔い改めない者への裁き・・の図と言う事でしょうか?アカデミーで土産に買ったフィギュア Egg –monster 上の絵の中に登場しています。Back number 他リンク 造形美術アカデミーのボス(Bosch)最後の審判 1 (楽園)リンク ピーテル・ブリューゲルとヒエロニムス・ボス
2016年02月26日
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ウイーンではリング(環状道路)沿いのメリディアン・ホテル(Le Meridien Vienna)に宿泊。そのすぐ裏手に造形美術アカデミー があり「そこのボス(Bosch)の絵は見応えがあるので是非見てくると良い」と遊びにきたガイドさんに勧められました。確かに今ま見たヒエロニムス・ボスの作品では一番素晴らしい作品かもしれないわざわざでなければなかなか見学に行かないだろう場所なので細かく紹介します。予定外ですが、シラー像も載せました。日本人が大好きな第九の作詞者です。※ 2014年02月「ピーテル・ブリューゲルとヒエロニムス・ボス」でもヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)について書いていますので良かったら見てね。リンク ピーテル・ブリューゲルとヒエロニムス・ボス造形美術アカデミーのボス(Bosch)最後の審判 1 (楽園)造形美術アカデミー (Gemäldegalerie der Akademie der bildenden Künste) シラー(Schiller)像ボス(Bosch)最後の審判(The Last Judgment)フィリップ美男公分離派会館から近いと紹介されていますが、裏手からのアクセスになり看板や表示が一切ないのでどの建物がアカデミーか見つけにくいです。しかも入り口は回り込まなければならないからシラーの銅像を目指して正面のシラー公園からアクセスする方が解りやすいです。メリディアンの右脇の道からまっすく正面にシラー公園が見え1分かからない。ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller)(1759年~1805年)ドイツ古典主義の詩人、歴史学者で劇作家でもある。ベートーヴェンの交響曲第9番(第九)の歓喜の詩(An die Freude)の歌詞を書いた事でも有名。因みにリング挟んだ反対側に彼と親しかったゲーテの像があります。対に設置されたのかも・・。ゲーテは彼の死後に彼の頭蓋骨をこっそり借り受け、ながめながら追悼の詩を書いたそうです。造形美術アカデミー (Gemäldegalerie der Akademie der bildenden Künste)欧州で最古と言われる美術学校が現在国立の大学となった造形美術アカデミーです。創設は1688年。宮廷画家のピーター・シュトルーデル(Peter Strudel)のプライベート・スクールが始まりで、国からの支援をうけて正式に学校になったのが1692年です。ネオ・ルネッサンス様式の建物は1877年4月に皇帝フランツヨーゼフ1世の元で落成。内部装飾は1892年まで続いている。(リングの完成に伴なってこちらに学校が移転されたのだ。)学生達の勉強の為のアカデミーの画廊は絵画館として一般公開されている。ヨーロッパ絵画部門ではウィーン美術史美術館に次ぐと言われるコレクションはボスだけでなくクラナッハ、ティツィアーノ、ルーベンス、レンブラント、ティエポロなども収蔵。因みにヒトラーが1907年受験して落ちた学校です。前年に自分より年下のエゴン・シーレが入学。美術も建築もあきらめたヒトラーが前衛芸術を嫌いアカデミーを弾圧下に置いた理由は憎悪だったらしい。最後の審判(The Last Judgment)三連の祭壇画(triptych) 164cm×247cm 左翼・・楽園(エデンの園) 中央・・最後の審判 右翼・・地獄、祭壇画なので裏にも絵が描かれている。(正確には祭壇画を閉じた時の扉にあたる部分。)モノクロームの絵画グリザイユ(Grisaille)である。使徒の一人、聖ヤコブ(Sint Jacob)は以前サンチャゴ・コンポステーラで紹介した通り、スペインの守護聖人でもある。反対には ゲント(Gent)の守護聖人 聖パーフ(Sint Bavo)実はこの三連の祭壇画(triptych)はフィリップ美男公の発注だった可能性がある。フィリップ美男公フィリップ(Philippe)(1478年~1506年) 通称フィリップ美男公ブルゴーニュ公(フィリップ4世)、カスティーリャ王(フェリペ1世)でもある。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とブルゴーニュ女公マリーの長子。ボスを庇護していたフィリップ美男公は記録により1504年に274cm×335cmの三連祭壇画を発注していたらしい。今回紹介する祭壇画よりもう少し大ぶりな物であるが、それは現存していない。1504年と言う年は彼の妻ファナ(Juana)の母であるカステーリャ女王イサベル1世(Isabel I)が亡くなった年であり、彼の妻が王位を継いだ年である。彼はこの時妻との共同統治を希望してカスティーリャ王(フェリペ1世)になったのでその関係で発注された可能性が大である。祭壇画の扉にあたるグリザイユ手法の聖ヤコブ(Sint Jacob)はスペインの守護聖人であり聖バーフ(Sint Bavo)はかつてはフランドルの守護聖人であったからだ。因みに彼の母マリーは幼くして母を亡くし、父(祖父)の三番目の妻となったブルゴーニュ公妃マルグリット(マーガレット・オブ・ヨーク)に育てられたが、同じく早世したマリーに代わり彼もまた母の故郷フランドルでマルグリットに育てられた。その彼女が亡くなったのは前年の1503年である。この作品は1510年頃とされる。最初に発注した祭壇画のコピーか? あるいは別物の一点(真筆)なのか議論が続いていると言う。実はゲントは神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とブルゴーニュ女公マリーが結婚式を挙げた聖バーブ大聖堂があり、おそらくフィリップもここで育てられたのだろう。彼の子で後に神聖ローマ皇帝カール5世も幼少期にゲント(Gent)で暮らしている。もしかして本物であるなら、もとはゲントにあった可能性もある。ゲントは宗教改革のおりにカトリックの遺産が散々破壊されているのだ。ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)(1450年頃~1516年)三連の祭壇画(triptych)の左翼 楽園(エデンの園) 167.7cm×60cmこの絵はどうやら下から上に見るようです。アダムの肋骨からイヴを造る神様。これは創世記の話です。ヘビに騙されて善悪を知る知識の木の実を食べてしまうアダムとイヴ楽園を追われるアダムとイヴ。失楽園である。すなわちそれは人が最初に犯した罪。原罪である。神に反逆した天使vs神の僕の天使神派の天使に負けて地に落とされた反逆の天使は醜い虫の姿に変化。彼らは悪魔と呼ばれる者になる。十二枚の翼を持った大天使、「光をもたらす者」と言う意味を持つ美しいルシフェル(Lucifer)も神に背いた事により堕天使となり地に落とされ悪魔サタン(Satan)になる。この左翼の絵のタイトルが楽園になっているのが解せないです。次回中央・・最後の審判と右翼・・地獄、を紹介リンク 造形美術アカデミーのボス(Bosch)最後の審判 2 (反キリスト者の裁き)
2016年02月22日
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Break Time(一休み)今回は少しマニアックなナチス・ネタですナチスのアートディーラー、ヒルデブラント・グルリットのコレクションホフブロイハウス(Hofbräuhaus)2011年、ミュンヘンのアパートの一室。脱税容疑で当局が踏み込んだ時、大量の絵画が発見された。その絵画はアートディーラーだった彼の父が隠し持っていた物で、実は第二次大戦前中、ナチス・ドイツによってユダヤ人から略奪された絵画1500点(推定約10億ユーロ(1330億円)であったそうだ。容疑者の父親 (Hildebrand Gurlitt)(1895年~1956年)は美術品の審美眼と人脈の広さから、ナチス・ドイツのヨーゼフ・ゲッベルスに気に入られ、アドルフ・ヒトラーのための美術館のディーラーに就任していた男だった。彼はユダヤ人からだまし取ったり美術館から押収して絵画を集め(1930~1940年代に入手)。かつナチスが退廃的だとみなした芸術作品に関しては売りさばくと言う仕事をしていた。もともと前衛芸術に造形の深かった彼はナチス公認のアートディーラーの立場を利用。略奪品を個人コレクションとして残していた・・と言うわけだ。前回触れたゲーリング空将の個人コレクションであるが、これもまたヒルデブラント・グルリットが買い付けをしていたと言う。因みにヘルマン・ゲーリングはナチス御法度の退廃芸術にも感心があったらしい。ヒルデブラント・グルリットはアメリカ軍に対して、絵画はドレスデン爆撃で消滅したと報告し、戦後もアートデイーラーとして活躍。彼の死後に前出息子のコルネリウス・グルリットが相続。こうなるとゲーリングのコレクションはドレスデン爆撃で本当に消滅したのか、はなはだ疑問が残る。押収された作品の中は確かに前衛の作品、パブロ・ピカソやアンリ・マティス、未発表のマルク・シャガールの作品もあったらしいし、ドラクロワなどの古典作品もあったらしいから・・。ゲーリングのコレクション一部はヒルデブラント・グルリットが持っていた絵画の中にあったのか? それともアメリカ軍によって持ち出されたのか? 本当に灰になったのか?その真相を知る人はもういないのかもしれない 2014年5月になって息子のコルネリウス・グルリットが死去。当初返還に応じなかったコルネリウス・グルリットであるが、彼の死により代理人と政府が交渉。それら作品(額縁なし1285点、額入り121点の絵画やスケッチ)はドイツ政府から任命された美術専門家らによる国際調査団が来歴を調査。正当な所有者を突き止め返還される可能性が出てきたようだ。個人的にはアドルフ・ヒトラーやヘルマン・ゲーリングがどんな絵画をコレクションしていたのか? その彼らの絵画の趣味が知りたかったな・・と思う どこかにそのリストは出てこないものだろうか? ホフブロイハウス(Hofbräuhaus)さて、ミュンヘンはナチスの本拠地であり、そのせいで第二次大戦中は連合国により6年間で71回と言う激しい空爆を受けた街なのです。今回写真ネタとして紹介するホフブロイハウス(Hofbräuhaus)はミュンヘンでは観光客に人気のビア・ホールなのですが、実は無名時代のヒトラーが何度も演説した場所として知られた場所です。ホフブロイハウスはミュンヘンの6大ビールメーカーの一つ。創業は1589年。バイエルン公ヴィルヘルム5世(Wilhelm V)(1548年~1626年)により宮廷用ビール醸造所として始まったそうだ。1806年にバイエルンが王国に昇格すると王立醸造所となる。一般開放された酒場となるのは1828年。前に紹介した新市庁舎(Neues Rathaus)のラーツケラー(Ratskeller)は1874年創業ですから、それより50年近く古くからあった居酒屋と言う事になります。現在の建物は1897年のものらしい。1階がビアホール、2階がレストラン、3階が有料のショーが催されるフロアでツアー客は主にこちら。ヒトラーが演説していた場所は3階である。1階フロアの天井は漆喰の壁に絵が描かれている。ヒトラーが画学生だった頃に絵を描いていた事もあったとか・・。日本のビア・ホールとはちょっと違う。皆さんジュースのようにビールを飲むだけでおつまみ食べている人はほぼいない。1階のバンド3階フロア3階はショーを行うのでステージが付いたまさしく宴会ホールである。ヒトラーは無名時代から何度もここで演説をしては同志を増やして行ったと言う。1920年ついには 国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei )の党大会をここで開催。アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)(1889年~1945年)は総統となりこのステージ上で演説している。ホフブロイハウスの収容人数は3500人とか・・。それ故か? ナチスはよくここを集会に利用していたらしい。現在ここに来るのは観光客が中心です。バイエルン地方の民族音楽やダンスを披露してくれる。ホフブロイハウスのマスコットとなっているアヒルのソフビ。前にも紹介したが、欧州ではこのアヒルが流行しているようで、どの観光地に行ってもご当地アヒルやお店の看板をしょったアヒルが販売されていた。ここのは作りがとても綺麗。次回ボスの作品を1点 紹介してからアウグスブルグに行く予定。※ ナチスの略奪美術品について2018年03月「ナチスと退廃芸術とビュールレ・コレクション(Bührle collection)」で詳しく書いています。興味のある方はこちらにリンク ナチスと退廃芸術とビュールレ・コレクション(Bührle collection)
2016年02月15日
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Back numberをラストに入れました。ミュンヘンで日本人ツアーはたいていアルテ・ピナコテークに行くらしいが、個人の方はノイエ・ピナコテークの方に入る率が高いらしい。印象派など近代の絵画を収蔵しているノイエの方は絵の知識がなくても解り安いかららしい。アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 3 (クラナッハ、ティツィアーノ)ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach)クラナッハとルターティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach)(1472年~1553年)Klage Unter Dem Kreuz 1503年Lucretia(ルクレティア)前回デューラーの所で紹介したのと同じ画題です。後年特にクラナッハはルクレティアに加えてイヴ、ヴィーナスなどの聖女の裸体を多く描いています。そして必ずと言っていいほど女性は裸体の上に当時流行の装飾品を見につけているのです。デューラーの古典主義と事なり、クラナッハの作品は画家の個性が強く独特の女性の姿に官能美があると言われていますが画題はそもそも女性の裸体を描く方便だったのかもしれません。Das Goldene Zeitalter(黄金時代) 1530年クラナッハとルター以前「ポルディ・ペッツォーリ美術館(Museo Poldi Pezzoli)」の回でクラナッハの手によるマルティン・ルター夫婦の肖像画を紹介した事がありますが、ルターとは親友であり、意外ではありますが、宗教改革側の公認画家でもあったそうです。彼自身プロテスタントに改宗しているかについては書かれていませんが、ザクセン選帝侯を通してルターと親交を深め、宗教改革後はそれら教義にのっとった主題や神話画が増えたようです。クラナッハとルターに関しては別にとりあげています。よかったらリンク先見てね。2017年3月「クラナッハ(Cranach)の裸婦 1 (事業家クラナッハ)」2017年4月「クラナッハ(Cranach)の裸婦 2 (官能の裸婦とヒトラーのコレクション)」リンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 1 (事業家クラナッハ)リンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 2 (官能の裸婦とヒトラーのコレクション)..ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio) (1488年/1490年頃~1576年)盛期ルネッサンスのヴェネチア派の画家であるティツィアーノは私の好きな画家の一人です 腕は素晴らしいし、何より品格のある絵なので当時から王侯貴族が彼の絵を求めていた・・と言うほど。アルテに大作と呼べる作品はないが、美術書に紹介されるティツィアーノ作品は意外に多かった。それは特にカール5世のおかげかもしれない。1533年カール5世の宮廷画家になっているからだ。最もスペイン王でもあったカール5世(カルロス1世)の事情? ティツィアーノの大作はヴェネチアだけでなくプラド美術館にも多い。Die Eitelkeit Des Irdischen(地上の虚栄心) 年代不明であるが1515年頃ではないか?選帝侯マクシミリアンIのコレクションより聖母子と洗礼者ヨハネと寄進者 1520年頃?一緒に描いていたジョルジョーネとの共作に思える一枚であるが同じ主題で寄進者が異なる絵を他にも描いている。Kaiser Karl V(皇帝カール5世) 1548年カール5世(Karl V)(1500年~1558年)神聖ローマ皇帝(在位:1519年~1556年)、スペイン国王(在位:1516年~1556年)アウグスブルグ滞在中に皇帝からの依頼で仕上げられたカール5世の肖像は神聖ローマ皇帝の称号のみならず、ブルゴーニュ公、ブラバント公、フランドル伯、ルクセンブルク公、ネーデルラント君主、ミラノ公、ナポリ王、シチリア王などの沢山の称号を持つ権力者の肖像と言うよりは、一人の人間としての有りのままの姿を映している作品のようだ。まだ48歳なのに通風で、すでに杖(つえ)を使用していると思われる。早くから権力の中枢に置かれたカール5世の人生は戦いの一生。孤独な支配者? 哀愁を感じる一枚となっているこの作品はさすがティツィアーノだからなのだろう。それとも二人は気心知れる友人だったから描けた一枚なのか?夕刻の風景の中の聖母子 1560年頃荊の冠(いばらのかんむり)のキリスト 1570年~1576年ティツィァーノの晩年、未完の作品である。1540年、ミラノのサンタマリア・デレグラッツェ教会の為に描かれた絵のバリアント(variant)らしい。工房に残った作品をティントレットが購入。後に選帝侯マクシミリアンIに売却される。ティントレットぽさがあると思ったのは逆でティントレットがこれを真似したのだろう。描きかけの筆のタッチが逆に劇的なダイナミサックさを表現しているかも・・。ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)(1450年頃~1516年)ヒエロニムス・ボスについては、2014年2月「ピーテル・ブリューゲルとヒエロニムス・ボス」の中で取り上げていますが、今回のアルテの作品を一応紹介します。ボスについては前にも書いていますが、ボス存命中より非常に人気が高く、かつ彼の死後1550年頃にボスの回顧的ブームがわき起こり、非常に偽物が出回っているのです。基本祭壇画などが多いボスの絵、下はそう言うものの一部とされていますが、果たして本物なのか?ちょっと疑問ですFragment Eins Jungsten Gerichts(審判の断片)最後の審判の一部分(死者の復活)と考えられている絵らしいが、どこが復活かよくわからない。自分の所にあるボス作品を照らし合わせて見てもパーツの雰囲気は似ているものの同じ怪物や行為が他から見つからないのである。1817年以降ニュルンベルク城に所蔵されていたらしいが、それ以前の来歴が不明で製作年代も不明。しかし、当局はこの作品が1504年にブルゴーニュ公フィリップ美男公が発注した「最後の審判」の祭壇画の一部と考えているらしい。そしてウイーンの造形美術アカデミーにある祭壇画(三連幅)はそれの小品では? としているが、造形美術アカデミーの作品の中に同じ怪物はいなかった。※ 別の回でウイーンの造形美術アカデミーの作品を紹介します。さて、少ししか紹介しませんでしたが、芸術に造形の深かったヴイッテルスバッハ家のコレクションなのに全体の印象ではそこそこだった気がします。(ウイーンやパリの美術館と比べると・・)想像の範疇ですが、もっと素晴らしい目玉となる作品が本来あったにもかかわらず、ナチスの時代に持ち出されているのではないか? と言う憶測がわきました。ミュンヘンはヒトラーが関係した土地故に美術の造形の深かったヒトラーやその参謀であったヘルマン・ゲーリングらによって主要作品が散逸してしまった可能性があるのではないか?オーストリアではヒトラーに持ち出された絵画を後から取り戻した・・と聞いた事がありますが、敗戦国ドイツの場合、そのまま戻る事はなく国外に持ち出された可能性が大です。特にドレスデン爆撃で消滅したと言われるゲーリング空将の個人コレクションについては、アメリカ軍に持って行かれた可能性が・・。以前ドイツの方に「ヒトラーやゲーリングの収集していた絵画はどうなったのか?」と質問した時に「アメリカに持って行かれた。」と返されました。それが真実ならメトロポリタンにでも行っちゃったのかな? アルテ・ピナコテーク終わります。back numberリンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 1リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 2 デューラーのサイン アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 3 (クラナッハ、ティツィアーノ)関連リンクリンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 1 (事業家クラナッハ)リンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 2 (官能の裸婦とヒトラーのコレクション)リンク ナチスのアートディーラー、ヒルデブラント・グルリットのコレクション
2016年02月10日
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アルテ・ピナコテークのアートブックの表紙はデューラーの自画像になっている。(英語版)デューラーと言えばまずその自画像が挙げられるくらい有名な絵であるし、確かに美貌のデューラー? が、個性的に表現されている。そして次にデューラーの代表作として紹介されるのは四人の使徒であるが、これまた必ず紹介される一品である。しかし、それだけでデューラーを見に行きたいと思った事はなかった。行けばデューラーが解るかな? と思ったが、結局デューラーらしさは未だに良く解からない アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 2 デューラーのサインアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)モノグラム (monogram)のサインデューラーは生涯かなりたくさんの自画像を描いたらしい。自分の顔にかなりの自身があったのは確か。またラテン語の学校も出ているので教養に関しても自身あり、自己の才能を非常に高く評価。それは絵の中のラテン語の文からも読み取れる。「ここに私は自らをニュルンベルクのアルブレヒト・デューラー、当年28歳を不滅の色彩で描いた。」1500年 デューラー自画像28歳。一番イケテル肖像画であろう。ちょっとキリスト風に描いている所がミソでナルシストぶり全開ですねアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)(1471年~1528年)金細工師の父の元で細工師の勉強もしたらしいが、絵画の方が興味があったらしい。(兄弟は18人。)15歳で弟子入りした先生は古い中世末期のスタイルを残す画家だったらしいが3年修行。ドイツでは一人前になる前に人生の意義を探求する為の遍歴の旅に出る慣習があったそうで彼も神聖ローマ帝国内を旅して後に一時帰国して結婚。(1494年)しかし、彼は直後に単身イタリアに向かう。技術のみならず、職人の地位などドイツとは比べものにならないイタリアに残り勉強したかったようです。彼が傾倒したのはマンテーニャなど。ベリーニとは親交もあったと言う。(時代的にはミケランジェロとほぼ同年代。)かくして彼はイタリアで全盛だったルネッサンスの技を身につけドイツで最初のルネッサンスの画家となった。(1512年には神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に仕え宮廷画家となり、マクシミリアン1世が亡くなるまでニュルンベルク市当局から年金が出続けたらしい。)ところでデューラーはイタリアと故郷ニュルンベルクを行ったりきたりして生活している。ホームは生まれた街。これは生涯ブレなかったようだ。モノグラム (monogram)のサイン名前を残す? 売る為? 1500年以降の作品には彼のサインマークが記されるようになった。上の囲った所に印がある頭文字のAとDを組み合わせたモノグラム (monogram) であるが、彼が最初にモノグラムのサインを残した人のようだ。下は別の絵から持ってきたものであるが、鳥井の中にDかと思いきや、Aとはね・・。故郷では最初版画を売り歩く事で生計を立てたらしいが、上に紹介したように絵に自分のサイン(モノグラム)を残して名前をとにかくアピール。(今まで北方ヨーロッパの職人にサインを残すと言う慣習が無かったのだろう。)彼の名声はその木版や銅販画から高まったわけだが、このアルテピナコテークに版画の作品はなかった ので紹介できない いずれにせよ彼の活動(サイン入れ)は北方ヨーロッパの画家達も真似る所となり、それが画家達の地位を高める事に繋がったようだ。悲しみの聖母(聖母七つの悲しみ)当然、画家の仕事先は教会や貴族、大商人からの依頼である。デューラーも初期の頃は沢山の宗教画や祭壇画を手がけている。(作品はあまり知れ渡っていないが・・)実はこの作品はアルテでは単体で紹介されていたが、これと似たデューラーがドレスデン国立絵画館にあった。それは下に紹介する「嘆き」と共に7つの絵で構成されていた一つで、ドレスデン国立絵画館のものは1496年「聖母七つの悲しみ」として紹介されている。聖母の構図は全く同じ。こちらの製作年代が不明なのであるが、モノグラムのサインが見えない事から1500年よりも前、ドレスデンのものと同じ時期かも・・。1500年頃 Lamentation(嘆き) (聖母七つの悲しみ)実はドレスデンの作品はもっと登場人物が少ない。逆にこちらの作品に人が多いのはこの中に絵の依頼者であるアルブレヒト・グルムとその妻が絵の中に描かれているからだ。この絵は最初はニュルンベルクのプレディガー聖堂に奉献されたものらしいが、最終的にバイエルン選定公マキシミリアン1世により買い取られてここにある。1502年~1504年頃 Paumgarten Alter(パウムガルトナーの祭壇画)中央・・キリストの生誕図らしい。 手前と画面奧の二人で東方三博士を表しているのだろう。左は聖ゲオルギウス。右は聖エウスタキウス。東方三博士の礼拝としては個性的な絵かも。上に黄色でマルをしたが、画面下左右の小さな人々は、この絵の依頼者であるパウムガルトナー家の人々。紋章と共に描かれている。尚、柱につけたマルの中にデューラーのモノグラムが記されている。但しこれに関しては年代が入っていない。聖ゲオルギウスのドラゴンの部分参考に載せました。下の祭壇画はウイーン美術史美術館所蔵の作品です。1511年 三位一体の礼拝ニュルンベルクの豪商マッテウス・ランダウアーの依頼で製作された物。この作品も中にランダウアー氏が紛れているのでは? と思われるが、それよりも画面右下の小さい人に注目。デューラー自身が登場している。サイン代わりに本人が登場している所が凄いです1518年 Der Selbstmord der Lucretia(ルクレティアの自殺)ルクレティアは王政ローマの最後の王の息子にレイプされ自殺。それがきっかけで王は追放されローマは共和制に向かう。当時好まれた画題らしい。このあたりから、私達の知るデューラーらしい特徴が見てとれる。が、先に紹介したイタリアのルネッサンス調の宗教画はサインこそ無ければデューラーとは判別できない。どう見てもデューラーらしさが見いだせないのだ さてさて、下がデューラー代名詞的な作品であるが、実はこの頃デューラーはプロテスタントに改宗していたようだ。1517年にルターの宗教改革の運動が始まる。特にドイツでは北中部に於いてルターの支持が高かったようだ。ルターが逮捕された時はカトリック教徒の襲撃を避けて逃げるように故郷に戻っているが、権力側に寄りながら見守っていたようだ。1526年 The Four Apostles(四使徒)左の絵、左から聖ヨハネ、聖ペテロ 右の絵 左から聖マルコ、聖パオロ画題はThe Four Apostles(四使徒)となっているが、実は福音所記者の聖マルコや聖パオロは12使徒には入っていない。が、広義に七十門徒を入れる正教会では使徒に数えられているそうだ。下のピンクのマルの所にモノグラムのサインがあった。上の作品はニュルンベルク市にデューラー自身が寄贈。市がプロテスタント側に付くと信じたから贈ったらしいのだ。後に(1627年)この絵もバイエルン選定公マキシミリアン1世により買い取られている。最後に、1520年、デューラーは妻と下女を伴いネーデルランドに旅をする。長い旅になるのだが、それは新しい神聖ローマ皇帝、カール5世に直訴する目的があったらだ。(戴冠式で直訴する予定だった。)実はデューラーは前皇帝マクシミリアン1世により終身年金が与えられていた。それが、彼の死と共にニュルンベルク市当局が年金を打ち切ったからだそうだ。道中幾多の芸術家に会い、スケッチブック片手にデッサンもたくさんしたようだ。そんな中クジラを見にゼーラントに向かい熱病にかかってしまう。1528年、この熱病の再発で命を落とすのである。アルテピナコテークback numberリンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 1 アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 2 デューラーのサインリンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 3 (クラナッハ、ティツィアーノ)他関連リンクリンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 1 (事業家クラナッハ)リンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 2 (官能の裸婦とヒトラーのコレクション)
2016年02月04日
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