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ミュンヘン(München) 1 (街の起源とノイハウザー通り)
ミュンヒナー・キンドル(Munchner Kindl)
通過税の徴収と商業都市ミュンヘン誕生
カールス門とノイハウザー(Neuhauser)通り
改めてミュンヘンの起源から・・。
2015年2月「ザルツブルグ(Salzburg) 1 (塩で繁栄した都)~4 (ザンクト・ペーター修道院)」の所で、ザルツブルグが修道院と塩により繁栄した街である事を紹介していますが、 ミュンヘン(München)もまた修道院と塩により繁栄した街
なのです。
ミュンヘンはムニヘン(修道士達の家)から由来した地名であり、最初にきっかけとなったベネデイクト会派の修道院の門前町として栄えた街です
。
以前 「ザルツブルグ(Salzburg) 5 (ザンクト・ペーター墓地・カール大帝の文教政策)」では、古代
ローマが滅びた民族大移動の事と、その後のカール大帝の欧州遠征の事を紹介しました。
異民族(ゲルマン民族)の流入で荒れたフランク王国の再編の為に尽力したカール大帝(742年~814年)の活躍はかつてのフランク王国をかえり見る時に必須
です。
と、 同時にカール大帝の政策によりそうようにカトリックの再布教の為にドイツ・アルプス山麓に拠点を置いて布教に励んだベネディクト会派の修道院の存在も重要なのです
。
フランク王国のみならず今の欧州の礎(いしずえ)になる歴史がそこに見えます。
ミュンヒナー・キンドル(Munchner Kindl)

ミュンヘン市の紋章が街の起源を明確に表しています。
「
Munchner Kindl」は直訳すると「僧院の小坊主」。(見習い修道僧の事と思われる。)
739年、 聖ボニファティウス(672年頃~754年)がフライジングに開いた司教区がゲルマニアの最初の司教区
となった。(フランク王国にキリスト教を布教した人としてドイツの守護聖人として祀られている。)
その司教区で746年ドイツ・アルプス山麓テーゲルンゼー(Tegernsee)にベネディクト会派の修道院が創設
さらにその分院としてイザール(Isal)川畔にできた僧院の村がミュンヘン(München)市の起源
です。
左手に聖書、右手の2本指は不明。黒衣の修道士・・とも呼ばれるベネディクト会のフード付きの黒装束を身に付けている。。
実はこの紋章は13世紀より使用されていたようですが、16世紀になると持ち物は特産物のビールやラディッシュ(ミニ大根)になる時もあったようです。
※ ビールとラディッシュはミュンヘンの特産物。
他にプリッツェル(Brezel)もミュンヘンの特産物で、その特異な形は僧侶の腕組み姿を表しているとか・・
プリッツェルはレストランで必ず出されます。しかし、無料ではなく、食べた分精算されるので注意です。
通過税の徴収と商業都市ミュンヘン誕生
フライジング司教区の収入はイザール川を通過する岩塩に対する税金
で、莫大な収益があったそうだ。
そこに割って入ったのがハインリッヒ獅子公(ザクセン公ハインリッヒ3世)(バイエルン大公ハインリッヒ12世) (1129年~1195年)。
塩の交易路と課税を巡って対立となり、結果、 1158年に収益の3分の1を司教に渡すと言う約束で、ハインリッヒ獅子公の独占的塩税の徴税が認められた
。
かくして 通過税の徴収の為にイザール川畔に商業都市ミュンヘンが誕生する
。
※ザルツブルグで集められた塩もこのイザール川を通過して売られて行った。つまり塩はあらゆる所で通過税を取られていた事になる。

ミュンヘンも城壁に囲まれた都市でした。地図の黄色の道路がかつての城壁跡で中が旧市街。
青色のラインは西のカールス門から始まるノイハウザー通りとカウフィンガー通り、街の中心、市庁舎のあるマリエン広場まで続く。
ノイハウザー通りとカウフィンガー通り
K・・カールス門(karistor)とカールス広場(Karlsplatz)
M・・ 聖ミヒャエル教会(Michaelskirche)
F・・フラウエン教会(Frauen Kirche)
NR・・新市庁舎(Neues Rathaus)とマリエン広場(Marienplatz)
AR・・旧市庁舎(A ltes Rathaus
)

噴水の向こうに見えるのがカールス門
カールス門の向こう側がかつての城壁の中
内側からのカールス門
カールス門内側前 サテュロスと少年の泉 1895年
Matthias Gasteiger(1871年~1934年)昨 ドイツの彫刻家
ノイハウザー(Neuhauser)通り

ミュンヘンオリンピック以前はカールス通りと呼ばれた。実は12世紀にはすでに存在していたらしい。
ショッピング、ビアガーデン、グルメレストラン・カフェ、観光スポット、文化スポットが並ぶ。
この日は天気が悪く人出も少ない。
こちらではかなり雨が降っていても傘を差す人は少ない。そもそも持っている人が少ない?
リヒャルト・シュトラウスの泉(Richard-Strauss-Brunnen ) 1962年
Hans Wimmer(1907年~1992年) ドイツの彫刻家
泉のレリーフはドイツ、ロマン派の代表する作曲家リヒャルト・シュトラウスのオペラ、サロメの情景から描かれている。
バックの建物は16世紀の建物でルネッサンス様式。
聖ミヒャエル教会(Michaelskirche)もこの通りにある。
2015年7月「 ルードビッヒ2世(Ludwig II)の墓所
」を見てね ![]()
リンク ルードビッヒ2世(Ludwig II)の墓所 (聖ミヒャエル教会)
この近くにあるフラウエン教会(Frauen Kirche)は別の回にやります。
リンク ミュンヘン(München) 7 (悪魔の足跡)

ドイツでは、シカ、イノシシ、ノウサギや野鳥類の料理が多いと言う。狩猟が盛んだった・・と言う名残だろう。
フラウエン教会の路地を過ぎると通りはカウフィンガー通りに変わる
しばらく歩くとマリエン広場に到着
マリエン広場と新市庁舎ラートハウス
天気の時の写真は次回に・・。
旧市庁舎(左)とマリエン広場
ペーター教会の時計塔からのノイハウザー通りとマリエン広場
ピンクの円あたりがカールス門
M・・ 聖ミヒャエル教会
F・・フラウエン教会
ブルーの円がマリエン広場
次回マリエン広場とラートハウス
Back number
リンク ミュンヘン(München) 1 (街の起源とノイハウザー通り)
リンク ミュンヘン(München) 2 (ラートハウスとマリエン広場)
リンク ミュンヘン(München) 3 (ラートハウスの仕掛け時計)
リンク ミュンヘン(München) 4 (ラートハウスの塔)
リンク ミュンヘン(München) 5 (ラートハウスのレストラン)
リンク ミュンヘン(München) 6 (ラートハウスの装飾
リンク
リンク ミュンヘン(München) 8 (レジデンツ博物館 1)
リンク ミュンヘン(München) 7 (悪魔の足跡)
リンク ミュンヘン(München) 9 (レジデンツ博物館 2 グロッテンホフ)
リンク ミュンヘン(München) 10 (レジデンツ博物館 3 聖遺物箱)
リンク ミュンヘン(München) 11 (レジデンツ博物館 4 宝物館の宝冠)
他関連
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リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 3 (クラナッハ、ティツィアーノ)
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