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記しました
宗教改革以降、ステンドグラスのガラスの質が落ちた?
アメリカ、装飾デザイナーのルイス・コンフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany)が自らガラスまで製作するにいたった理由だ。
※ ティファニー商会のルイス・コンフォート・ティファニーはアメリカの上流社会の邸宅の装飾や劇場他、ホワイトハウスの装飾まで手がけたデザイナーである。
前回紹介したステンドグラスがマンガチックで近年の? と書いたが、人物の顔を見ても解るように彩色焼き付けの上、色ガラスも、着色によるカラーに見えたからです。
(着色ガラス故の濃淡のなさで作品は単調に・・。 感動が無かったのでほとんど撮影していなかった。)
以前「ティファニーランプ ポピーのランプシェード」の中でルイス・コンフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany)がガラスの開発もしていた事をすでに書いていますが、彼は当時アメリカに輸入されていたイギリスやバイエルンのガラスの質が悪かった事を嘆き 自ら昔の技法に回帰した金属酸化物を加えた丁寧なガラス造りからの創作を始めたようです。
欧州の教会のステンドグラスのガラスはもともと吹きガラスを開いて板状にした手間もコストもかかる製法。宝石のように光輝くガラスは主にインテリアや建築方面で利用された事だろう。
だがルイス・ティファニーはそれだけでなく、一歩進んで新たにランプ用の濃淡ある色ガラスの開発も成功させている。それはまるで油絵の具を塗り重ねたモネの絵にも似た質感のガラスだ。
つまり、ティファニー商会のティファニーランプ(Tiffany Lamp)などのガラス製品は、そのデザインのみならず、ガラス自体から台座にいたるまでティファニーのこだわりがつまったティファニー商会のオリジナルとなっていると言う事だ。
※ ティファニーのガラスについては「ティファニーランプ 蜻蛉シェード 」で少し触れています。
リンク ティファニーランプ 蜻蛉シェード
話がそれたので戻すと・・。
プロテスタント化が進んだ所では、信仰以外のあらゆるものが簡略化
されたのだろう。
美麗な装飾や調度品の無いプロテスタントの教会が増える一方、 今までカトリックの教会の為に、神にささげる為に金に糸目をつけず渾身の作品を造り出して技術革新していった職人は廃業
に追い込まれた。
(他に移った者もいただろうがか、 いずれにせよ職人は育たなかったと言う事だ。)
その分野の質の劣化が始まった
のは必然と言える。
それはきっとガラスだけではなかったはず・・。
※ 19世紀に入ってからの産業革命はそれに追い打ちをかけたと思われる。
さて、前振り関係なく、今回は新教会からのデルフトの景色が中心です。それこそ「デルフトの眺望」と言える内容です
新教会(Nieuwe Kerk)の展望テラスから
追記
1632年10月31日。
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)(1632年~1675年)はこの新教会(Nieuwe Kerk)で洗礼を受けました。
※洗礼を受けたと言う事は、それ以前に誕生しているはずですが、記録に残っているのは洗礼日だけだったのでしょう。だから誕生日は不明です。
以前「デルフト(Delft) 3 (市長舎と新教会)」の所でフェルメールの結婚について紹介しましたが、 彼は結婚を機にプロテスタントからカトリックに改宗し
ています。
そもそも自らプロテスタントになった訳ではなかったので、彼がカトリックに改宗する事にそれ程抵抗はなかったのかもしれません。
因 みにカトリックに改宗した後から彼の作品に宗教画が加わっています。
「マルタとマリアの家のキリスト」 1654-1655年頃
勘違いして新教会でお墓を探している人達がいるようですが、 彼は亡くなる時にはカトリックの信者であったので、彼が埋葬された教会はカトリックの旧教会の方です。
下は塔に上るゲート口
チケットを入れて、バーを押すと回転する仕組み
教会の塔へ上がるのはどこもたいてい有料です。
エレベーターが付属している所は希(まれ)で、ほぼ螺旋階段をテクテク上るのが一般的です。
オランダ2番目に高いと言われる塔。新教会の塔の高さは108.75m。
ここの螺旋は幅広い方。上がる人と降りる人とですれ違いができる余裕がある。
が、後に登った旧教会の方は恐ろしく狭くてキツキツで、私でも閉所恐怖の怖さがあった。
太めの人は無理。一人で上がるにも体をよじりながら。すれ違いはどちらかがバックしてどこかすれ違いできる箇所に張り付いて回避しなければならない状態。
かつて一番狭かったかも・・。
ガイドブックによれば 展望
テラスまで階段は376段
だったらしい。数えていないけど・・。
下がテラス階出口

矢印のあたりがテラス階
360度紹介しますが、まずは正面市役所から(西)
見えるのが旧教会(西北西)

ハーグから市電で来ると、停留所は旧教会の向こう側になる。
写真下の黄色で囲った所がフェルメールの時代に火薬庫が爆発した爆心地。(北西)
写真の水路は旧デルフトの街を囲んでいた運河。
左が旧市街(北)
たぶん遠くに見えるビル群がハーグの街かも・・。
教会の聖堂側(北東
)
並木がある所はほぼ運河。昔は他の街までつながる交通路である。
デルフトには今は小さくなっているが、かなりの運河が残っている。
新教会の身廊の屋根
マリア・ファン・イエッセ教会(Maria van Jesse Kerk)(南東)
前に紹介しているよう、フェルメールが結婚してから割と長く住んだ義母の家が後にこの教会の一部に・・。
デルフトの眺望を描いた場所(南) 赤い矢印
Zuidkolk(南の池)と呼ばれる場所の住所はHooikadeと地名が付いている。
橋の左がスヒーダム門
スヒー川などかつては運河が交錯する交通ポイント。
ところで、新教会にはカリヨン(carillon)が付いている。
かつては18鐘のカリヨン(carillon)と書いてあったが、今は小さいのをいれたらもっと付いているのだろう。
教会の入り口真下には動力
巨大な歯車が置かれている

※ カリヨン (carillon)については、「ブルージュ(Brugge) 3 (鐘楼とカリヨン)」で紹介しているのでよかったら見
て下さい ![]()
リンク ブルージュ(Brugge) 3 (鐘楼とカリヨン)
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デルフト(Delft) 1 (デルフトの眺望)
リンク デルフト(Delft) 2 (マルクト広場とフェルメール)
リンク デルフト(Delft) 3 (市長舎と新教会)
リンク デルフト(Delft) 4 (新教会とオラニエ公家の墓所と聖遺物の話)
リンク デルフト(Delft) 6 旧教会(Oude Kerk) フェルメールの墓
リンク デルフト(Delft) 7 プリンセンホフ博物館と 番外、出島問題(中世日本の交易)
リンク ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)とメーヘレン
リンク デルフト焼き(Delfts blauwx)
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