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宗教と革命 教会の指導者たちは、国家間の戦争のみならず、国内における革命さえも支援する。1937年、スペインのカトリック教徒たちは、彼らの司祭の多くから、第二スペイン共和国に反対するフランコ将軍の国民運動を支持するように勧められた。しかし後には、司教や司祭は、フランコ政権をおもしろく思わず、フランコの国民運動に対する教会の支持を「容赦」するよう要請した。 ルーテル派の神学者カローリー・プロールは「クリスチャンは革命に参加できるという事実にかんして、神学者の間にはこのように注目に価する意見の一致が見られる」。 また、英国のローマ・カトリック司教たちは「権威に反対して暴力をふるうことを非とするだけではだめだ。なぜなら、権力の座にある者たちは、さらにひどい暴力行為を犯した罪があるかもしれないからである」と言った。 では、今日教会員が政治革命に参加するのは不思議だろうか。アメリカ、テキサス州、オースチンのセント・エドワード大学の神学の講師ジョージ・クレスチンはこう述べていた。「クリスチャンは、できるかぎり早急に不正な機構を変革すべく決意しつつある。これは場合によっては教会が暴力を説かざるをえなくなるかもしれないことを意味する」。 このように、戦争と暴力にかんする世界宗教の経歴は明らかであり、それは身の毛のよだつような恐ろしいものである。世界宗教は、啓示 18章24節に述べられているように、「すべて地の上に殺されし者の血」に対して、いちばん大きな罪を負っている。では、世界に広まっている不道徳に対する罪についてはどうだろうか。この点で世界宗教はどんな立場にあるのか。2003/04/30 22:20:43ヒトラーを支援 1933年、ドイツとバチカンの間に政教条約が結ばれた。同条約の第16条の規定によると、カトリック教会の各司教は、就任にさいしてナチ政権に対する「忠誠の誓い」をしなければならないことになっていた。また、第30条、正式ミサを行なうたびに「ドイツ国とその国民の繁栄」を祈ることを要求していた。 1936年、カトリック教徒はヒトラー政権に反対しているといううわさが広まったとき、ファウルヘーベル枢機卿は、6月7日の説教で次のように述べた。「あなたがたはみな、われわれが政教条約で約束したとおり、日曜や祝日のすべての主要礼拝においてすべての教会で、総統のために祈りをささげてきた事実に対する証人である。…国家に対するわれわれの忠誠にこうした疑惑の目が向けられるとは心外である」。 それで教会はドイツ国民をどこに導いていたのだろうか。ウィーン大学の歴史学の教授でローマ・カトリック教徒でもあるフリードリッヒ・ヘールはこう説明している。「かぎ十字がドイツ各地の大聖堂の塔から勝利を告げ、かぎ十字の旗が半円形の祭壇に現われ、カトリックとプロテスタントの神学者、牧師、教会人、政治家などがヒトラーへの協力を歓迎するまでに十字架とかぎ十字は接近した、というのがドイツの歴史の冷厳な事実である」。 1939年の9月17日、ドイツがポーランドに侵入してから2週間余りのち、ドイツの司教たちは次のような内容の共同牧会書簡を出した。「この決定的時期において、われわれはカトリック教徒の兵士たちに対し、総統に服従してその任務を果たし、自己のすべてを犠牲にする覚悟を持つよう勧告する。また、この戦争が、全能の神の摂理によって祝福に満ちた勝利に導かれ、われらが祖国と国民に平和が訪れるよう、信仰者が熱烈な祈りに参加することを訴える」。 1940年の夏、カトリックの司教フランズ・ジョセフ・ラルコフスキーは次のように述べた。「ドイツ国民は…良心のかしゃくを感じてはいない。…ドイツ国民は、これが正義の戦い、一国民の自衛の必要から生まれた戦いであることを知っている」。 1939年のニューヨーク・タイムズ紙は次のように伝えている。「ドイツのプロテスタントとカトリック教会の定期刊行物は、多くの奨励記事を掲載して、自国の防衛のために戦う兵士の任務を説明し、またドイツの勝利と公正な平和のために、聖ミカエルの精神をもって戦え、とドイツの兵士たちを訓戒している」。 教会がドイツ国民をどこに導いていたかは明らかではないだろうか。ゴードン・ザーン教授は書いている。「ヒトラーの戦争支持にかんして宗教指導者たちに霊的導きと指示を求めたドイツのカトリック教徒たちは、ナチの支配者から得たであろう答えと事実上同様の答えを与えられた」。 教会がどんな指導を行なったかは、教会員が全面的に戦争を支持したことにはっきり表われている。ヘール教授はこう説明している。「ドイツの約3,200万のカトリック教徒―うち1,550万は男だった―のうち、兵役を公然と拒否したのはわずか7人にすぎなかった。このうちの6人はオーストラリア人であった」。ドイツのプロテスタントの場合も状態は同じであった。 こういうわけで、どの国においても、教会は教会員を戦争に導いた。戦場では、カトリック教徒がカトリック教徒を殺し、プロテスタントがプロテスタントを殺した。しかも双方の教会指導者たちは、神に勝利を祈り求めたのである! これがキリスト教世界の実態、邪悪さそのものとしか言いようがない。その節操のない行ないは売春婦として例えられる。聖書の真理を完全に闇へと葬り去っている。これは明らかに神への甚だしい不敬にあたる。もはやこれらキリスト教世界は流血の罪において神に言い開きをしなくてはならない。そして完全に滅ぼされるだろう。2003/04/30 0:30:24
2003年04月30日
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第二次世界大戦中は事情はちがっていただろうか。高名なプロテスタント神学者レイノルド・ニーバーについては次のように言われている。「彼は第二次世界大戦のとき、多数のアメリカのクリスチャンを、平和主義から、ヒトラーと戦うことは道義上必要であるという考えを受け入れる方向へ導いた」。 また、現代の歴史家A・P・ストークスは次のように述べている。「教会は、全体的に見て、戦争被害者の救済にも挺身したが…それにもまして強力に戦争を支持した。なかにはこれを宗教戦争と呼ぶ者さえいた」。 フランスや英国でも、教会は国策を支持するためにはせ参じた。たとえば、カンブレーのローマ・カトリックの大司教は、フランスの参戦を、「文明、諸国家の法律、人道、自由、約言すれば、人間性を擁護するための戦い」と呼んだ。 明らかに教会は、人々をドイツとの戦いの場に導いていたといえる。では、ドイツの教会はどうであったのか。アドルフ・ヒトラーを支持しただろうか。彼の戦争目的をあと押ししたのだろうか。
2003年04月29日
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明らかに、第一次世界大戦の目的は、いく百年か前の「聖戦」の目的とはかなり異なっていた。十字軍の場合は、教会は「聖地」を奪回するために直接の支持を与えた。一方、第一次世界大戦の目的はおもに政治的なものであった。しかしこの近代戦において宗教が演じた役割は、昔の「聖戦」において宗教が演じた役割と驚くほど似ていた。 クレアモント大学院宗教学部長ジョセフ・C・ホーは、この点にかんして述べ、ロンドンの司教A・F・ウィニングトン‐イングラムのことを例にあげている。同司教は英国民を次のように激励した。 「ドイツ人を殺せ。―殺すために殺すのではなく、世界を救うために、悪人はもちろん善人も、老人はもちろん若者も、悪魔のような者はもちろんわが負傷兵に親切にする者も、かまわずに殺せ。…いく度も述べてきたように、私はこの戦争を浄化のための戦争と見なし、この戦争で戦死する者をみな殉教者と見なす」。そして、僧職者たちは、もう一方の側では何をしていたか。ドイツ、ケルンの大司教は、ドイツの兵隊に次のように言った。 「われらが祖国の愛する人々よ。神はこの正義のいくさにおいてわれらとともにいます。われわれは不本意にもこの戦争に引きこまれた。われわれは神の名において諸君に命ずる。祖国の名誉と栄光のために,諸君の血の最後の一滴まで戦え。神はその知恵と公正とをもって,われわれが正義の側にいることをご存じであり、われわれに勝利を与えられる」。 これらのことばは、十字軍を出発させた、「行って、蛮人と戦え」と訴えた教皇ウルバヌスのことばをしのばせるものがある。しかし、ロンドンの司教のことばも、ケルンの大司教のことばも、それほど聞きなれないことばではなかった。むしろそれは、第一次世界大戦中、両国の教会を風びしていた典型的な精神を表わすものだった。 ベイントン教授は、アメリカの教会について、次のように述べている。 「アメリカのすべての教派の教会人がこれほど互いに結束し、これほど国民精神と一致したことはかつて一度もなかった。これは聖戦であった。イエスは、カーキ色の服を着、銃でねらいを定めているように描かれていた。ドイツ人は野蛮人であった。彼らを殺すことは、地球から怪物を退治することであった」。 これは僧職者たちのことばを誇張したことばではない。フォーチュン誌の社説は、「戦いの最前線における敵がい心でさえも、教会人がドイツにたたきつけたほどの毒舌はふるわなかった。」と述べている。レイ・H・アブラムズは、「牧師たちはささげ銃をする」という本を著わしているが、その中に「聖戦」と題する一章をもうけて、同章全体を、牧師たちが精魂こめて戦争を支持したことの説明にあてている。それによると、たとえばランドルフ・H・マッキムは、ワシントンの説教壇から次のように叫んだ。 「この戦いにわれわれを召集されたのは神である。われわれが戦っているのは神の戦いである。…この戦闘はたしかに聖戦である。史上最大の―最も神聖な戦いである。最も深遠な、真実な意味での聖戦である。…この汚れた、ぼうとく的な国〔ドイツ〕と激戦を交えるべくわれわれを召集されたのは、確かに正義の王キリストである」。 また、ザ・クリスチャン・レジスター誌の社説記者アルバート・C・ディーフェンバッハは、社説に次のように書いている。 「クリスチャンであるわれわれは,もちろん、キリストは〔戦争を〕是認するという。しかしキリストは戦ったり、殺したりするだろうか。…彼が敵を殺す機会を回避したり、その機会を捕えるのをぐずぐずして伸ばしたりするおりがいつもない。彼は千年期には、銃剣や手りゅう弾や爆弾やライフル銃をもって、父の王国の最強の敵に対して猛烈な戦いをしかけるであろう」。 こうしたことばにあなたはショックを受けられるだろうか。ところが、第一次世界大戦中、多くの牧師や教会の出版物はこういうことを言っていたのである。どちらの側にも、戦うことや殺すことに反対した宗教指導者たちはほとんどいなかった。戦争に反対の僧職者はひとりも見つけ出すことができなかったとR・H・アブラムズは述べている。そこで、英国のフランク・P・クロージャ准将が、「教会は、わが国で最もすぐれた流血欲の創造者である。われわれは彼らを思いのままに用いた」と述べたのももっともである。どうなっていたであろうか しかし、もし交戦国の諸教会が、同胞、とりわけ仲間のクリスチャンを殺すのはまちがいである、ということを教会員に教えることに成功していたなら、どうなっていただろうか。それらの国の人々はほとんど全部がクリスチャンと称していたから、戦争をつづけることは不可能だっただろう。 当時の著名なラバイであったスチーブン・S・ワイズは、この問題について論じ、「教会と会堂が統率力を維持し得なかったことがこの戦争をひき起こした」と述べた。 教会はその代表的な教会の場合同様、戦争に参加しないよう人々を指導しようとはしなかった。
2003年04月28日
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宗教戦争は不幸にして遠い過去だけのものでなく、現代においても生じている。たとえば、ニュース記事は、アイルランドにおける「新・旧両教徒間の戦闘」を報じている。 1969年の8月以来、200人以上がアイルランドにおける戦闘で死亡し、それに加えて何百人かが負傷した。当時のある記事は、「内部を破壊された商店、打ちか砕れた窓、爆弾で破壊された商品の大安売り、かぎのかかった商店の入口のこわれた木製のマネキン―すべてが、悪化しつつある新教徒とローマ・カトリック教徒との間の市街戦を思い起こさせる、悲しくもグロテスクな光景である」と報じていた。 しかし、,十字軍すなわち「聖戦」についてはどうだろうか。昔の十字軍の場合とちがって、現代では宗教はまさか戦争の後押しなどしてはいないだろう、とあなたはお考えかもしれない。ところが、宗教はそれをしてきたのである。これは、教会の指導者自身が認めている。 一例をあげると、1969年の7月に、エルサルバドルとホンジュラスの間で激しい戦争が生じた。ある百科事典の年鑑は、「その紛争はたちまちのうちに、サルバドルの歴史の上でもまれな大規模な流血と悲劇をもたらした」と述べている。 この戦争を始めたのはだれだったのか。 ホンュジラスの司教ホセ・カランサは、エルサルバドルのカトリック僧職者を、文書や演説や態度によって紛争を醸成したとして非難した。同司教のことばによると、エルサルバドルのカトリック僧職者たちは、それを「聖戦」と呼び、カトリック教徒を戦いにかりたてていたのである。 実際のところ、近代の宗教は、僧職者たちが、『行って異教徒を殺せ』と言って会衆をかりたてた中世の宗教とほとんど変わるところがない。たとえば、尊敬されている教会史家ローランド・H・ベイントンは、「アメリカ国内の諸教会は、第一次世界大戦に対してとりわけ十字軍的な態度を取った」と述べている。
2003年04月27日
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中世には、キリスト教徒と唱える人々も互いに戦争をした。しかも法王の祝福を受けた場合が少なくない。キリスト教世界内部のそうした戦争に関し、歴史家J・C・リドパースはこう述べた。「中世のあらゆる紛争において、教皇の認可が大切な要素であった。したがって、教皇の認可を得るために、諸候は市場におけると同様互いに入札するのが常であった」。 その後、1517年ごろを始めとして、プロテスタントを生むことになった宗教的反抗運動は、キリスト教を信奉すると唱える人々の間の戦争や殺りくを増大させた。ケンブリッジ大学の歴史の教授、G・M・トリベリアンはこう表記した。 「当時宗教は知的かつ道徳的な影響力をひとり占めにした状態を呈していた。〔しかし〕…その特別な教えには人道主義のかけらも見られなかった。宗教はその当時、拷問、火刑、焼き打ち、婦女・幼児の大虐殺、決して消えることのない憎しみ、報復することの絶対不可能な悪行と結びついていたことを認めなければならない。ヨーロッパが野蛮な時代以来経験してきた精神的苦悩と肉体的苦痛の大部分は、そむいたキリスト教世界を復帰させるためカトリックの取った戦争行為―部分的な成功を見た―によってもたらされた」。 ローマ・カトリック教会は、抗議者、つまりプロテスタントをおりに復帰させようと激烈な戦いを行なった。プロテスタントはそれに強く抵抗した。たとえば1576年のアントワープの包囲について、歴史家はこう述べている。「聖母教会の温和な使者であるスペインの兵士たちは、『聖ヤコブ、スペイン、血、肉、火、略奪』と叫びながら戦った。男女子どもあわせて8,000人が殺された」。 カトリック教徒とプロテスタントが争った三十年戦争(1618‐1648年)はとりわけすさまじいものだった。その戦争でドイツは人口の約4分の3を失い、アウグスブルグの人口は8万人から1万8,000人に減った。ボヘミヤで生き残ったのは人口のわずか4分の1ほどにすぎなかった。プロテスタントの都市、マグデブルグの陥落は、三十年戦争のすさまじさをよく表わしている。ドイツの歴史家フレデリック・シラーはこう書いている。 「歴史も語ることばがなく、詩も言い表わしえないおそるべき光景がここで展開された。無邪気な子どもも無力の老人も、若さも性も、位も美貌も征服者たちの狂暴さを和らげることはできなかった。妻は夫の手の中で、娘は親の足もとで犯され、防御のすべのない女性は、貞操と生命の二重の犠牲にさらされた」。 確かに人類の歴史は「おおかた戦争と殺りくに尽き」る。しかし宗教が恐ろしい流血のおもな責任を持つ、『歴史上強い勢力』であったことも確かである。では、それは現在についても言えるだろうか。
2003年04月26日
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教皇ウルバヌス2世がクレルモンの宗教会議を召集したのは1095年のことだった。その時までに、古代のパレスチナの地はキリスト教を信奉しない人々の手に渡っていた。そのため教皇は、いわゆる「史上最も感銘的な演説」の中で、当時「聖地」を占領していた「異教徒」に戦いをいどむようクレルモンに集まっていた大会衆に向かって訴えた。ウルバヌスは群集にこう勧めた。 「クリスチャンの兵士よ…行って野蛮人と戦いなさい。聖地救出のために行って戦うのです。…あなたがたの手を異教徒の血で染めなさい。…生ける神の兵士となるのだ! イエス・キリストがあなたがたを召してご自分の防衛に当たらせてくださるとき、低劣な愛情のために家にとどまるべきではない」。 こうして、いわゆる「聖戦」、十字軍が始まり、以後2世紀にわたって続いた。「ヨーロッパの説教壇は十字軍を奨励することばで鳴り響いた」と一歴史家は述べている。 別の歴史家はこう書いている。「司教は自分の管区に行ってこの戦闘的なキリスト教を説いた。…修道僧は剣を作るよう命じた。…今やヨーロッパは荒れ狂う海と化し、波は次から次へとシリアの海岸へ打ち寄せた」。 こうして生じた恐ろしい戦争の状態は、とても書き表わすことのできないものであった。「当時の好戦的な欲望は、宗教の是認を受け、報復という大義名分のもとにほしいままにされた」、と歴史家は述べた。 十字軍の従軍戦士たちは、歴史に残るむごたらしい大虐殺や非常識な略奪、悪らつな残虐行為をした。しかもそのすべてはキリストの名のもとに行なわれたのである。R・H・ベイントン教授は次のように書いている。 「これがカトリック教会によって始められた戦争であった。…はりつけ刑、硬貨を飲み込んだ人を引き裂くこと、手足の切断―アンテオケのボヘモンドは、サラセン人から切り取った鼻と親指を船に満載してギリシア皇帝に送った―こうした仕業を十字軍の編年史は良心のとがめなくつづっている。野蛮な闘争欲とキリスト教徒の信仰に対する熱意とが奇妙に混じり合っていた」。 キリストの教えにこれほど相反する行為はありえないと思われる、そうした戦慄すべき行為にキリストの名を結びつけた重大な責任を宗教は負わねばならない。ご自分を誤り伝える者たちを神はどうお考えになるだろう。
2003年04月25日
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アジアやアフリカ、またヨーロッパの昔の帝国と人民の間で宗教はどんな役割を果たしただろうか。それら古代の諸国家は、多くの戦争、それに宗教的であることで有名であった。宗教と戦争は相携えて行動した。一例としてある参考書にはこう述べられている。 「エジプトの宗教は決して戦争を非難しなかった。ごく初期のエジプトの戦争の中には、神々の戦争や神と人との間の戦争があった。したがって、エジプトの王たちは戦争をする時には、神にみならっているのだと主張した。…要するに、戦争はすべて道徳的、理想的、かつ超自然的であり、神々の先例によって是認されたものであった」。 「戦いは国家的事業であり、祭司は戦争のあくなき扇動者であった。祭司はおもに戦利品で養われていた。つまり、他の者たちが分け前にあずかる前に、戦利品のある一定の分け前が必ず祭司たちに分与された。この略奪者たる民族はきわめて宗教的だったのである」。 古代民族の中で戦争を好んだ人々はたいへん宗教的であったということは見のがせない事実である。軍事指導者はきまって自分の神に助けを請った。権威者は、「どの神の場合にもたいてい戦時に民を助け、保護するのがそのおもな務めの一つになっている」と評している。 兵士たちは戦場へ神々の旗印を持っていくのがならわしであった。それらは、木や金属でできた紋章とか象徴だったようである。百科辞典は次のように述べている。 「ローマ人の軍旗は、ローマの神殿における宗教心によって守られていた。将軍が敵軍の中に軍旗を投ずるよう命令することは珍しくなかった。それは、兵士たちがおそらく地上で最も神聖視している物の奪回を鼓舞し、士気をあおるためであった」。 言うまでもなく、それら古代の国はキリスト教を奉じていなかった。後代になってイエス・キリストが紹介した教えは、人類に深い影響を与え、真の崇拝者たちの生活をよりよい方向へ変えた。 ところが、キリスト教に大きな変化がやがて起こる。4世紀に、不正なコンスタンチヌス皇帝が政治的な理由でキリスト教を国教にしたのである。以来、ローマ・カトリック教会は巨大な勢力に成長した。それは他の宗教と異なっていただろうか。それは真のキリスト教であったか。
2003年04月24日
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宗教の指導方向を決定するのは何か 牧師が聖書からしばしば『地の平和』や『隣人への愛』について教えることは事実である。このことから、教会は人類を聖書の教えに調和した生活をする方向へ、戦争や暴力から離れる方向へ導いている、とあなたはお考えになるかもしれない。 しかし、教会の言うことだけを考慮するのは誤りである。むしろ、教会が実際に行なうことも合わせて調べてみることが肝要である。戦争をすることが自国の益になると国家の指導者が決定すると、教会はどうするか。 そのような事態になると、諸教会はイエスの次のことばに人々の注意を向けるでだろうか。「もしあなたがたが互いの間で愛を持っているならば、これによってすべての人は、あなたがたがわたしの弟子であることを知るでしょう」。(John 13:35)真のクリスチャン愛は国境などに左右されない、ということを教えるだろうか。キリストの真の追随者は、どの国に住んでいようと、どの人種であろうと、それに関係なく互いに愛し合う、ということを明らかにするだろうか。 また、諸教会はイエスの弟子ヨハネの次のことばを会員たちに強調するだろうか。『わたしたちは互いに愛し合うべきです…カインのようにならないことです。彼は邪悪な者から出て、自分の兄弟を虐殺しました』。(1 John 3:10‐12)教会は、戦場で同じ人間を殺すこと、わけても同じ教派の会員を殺すことは愛を示す行為ではありえないことを教えているだろうか。また、そのような行為をする者が実際には「邪悪な者」悪魔サタンに仕えていることを指摘しているだろうか。 極めて明らかなことだが、諸国家が戦争の備えをする事態が生じると、教会はこうした聖書の教えを傍らに押しやってしまう。著名なプロテスタント僧職者、故ハリー・E・フォスディックはこう認めている。 「西洋の歴史は戦争に継ぐ戦争の歴史である。われわれは戦争のために男子を育成し、戦争のために男子を訓練した。そして戦争を栄化し、戦士を英雄に仕立て、教会内に軍旗を掲げさえした…一方では平和の君に対する賛美を口にしながら、他方では戦争を栄化してきた」。 聖書に記されていることではなく、国家指導者の言うこと、その時々に人々に受け入れられていることが、宗教が人を導くさいの方向を決定するものである、というのが事実である。バンクーバーのサン紙は、社説で次のように評した。「これは組織化されたすべての宗教の弱点と思われるが、教会は国旗に追随する…交戦国が自分の側に神がついていると互いに主張しなかった戦いが今までにあったであろうか」。2003/04/23 18:42:55過去の戦争における宗教の役割 かつて、英国の哲学者ジョン・ロックは、「歴史の内容はおおかた戦争と殺りくに尽きる」と語った。しかも、ある権威者は、「宗教は歴史上最も強い勢力の一つであった」と述べている。 宗教がそれほど強力な影響を及ぼしてきたにもかかわらず、人類が生存のほとんど全期間を通じて恐ろしい戦争に見舞われてきたのはなぜだろうか。過去の戦争において宗教はどんな役割を果たしてきたのであろうか。いくつかの例を挙げてみたいと思う。アズテック人と戦争 アズテック人の宗教は、人間のいけにえによって神々をなだめなければならないと教えた。この点、歴史家V・W・フォン・ハーゲンはこう説明している。 「戦争と宗教は、少なくともアズテック人にとって、密接不可分の関係にあった。…神々に供える犠牲としてふさわしい捕虜を得るために、小さな戦争が絶え間なく行なわれた」。 1486年には、フイツロポクトリ神の大ピラミッドを献堂するために、2万人を越す捕虜が集められた。それから犠牲の捕虜たちの心臓は次々に切り取られ、フイツロポクトリ神にささげられたのである。宗教の息のかかったこうした戦争は、昔のアメリカ人にどれほどの恐怖をもたらしたことだろう。 2003/04/23 18:40:31「正当な戦争」だけを支持? 諸教会はそれぞれの国の戦争を支持する言いわけをして、自分の国には正当な根拠があるしわれわれは「正当な戦争」しかしない、とよく言う。したがって、自国の戦争の努力を支持するのは宗教の義務であると論じる。 しかし、このことをしばらくの間考えてみてほしい。戦争に関係する国はいずれも自分のほうに「正当」な根拠があると主張するのではないだろうか。ある百科事典が評しているとおりである。「戦争をする根拠は利己的で、低劣で、邪悪なものではあっても、正式に述べられている理由はたいてい崇高、高潔なものである。交戦国が両方とも、自分の側にとって正しいと考える理由を挙げることができるのである」。 こうして、人々は互いに全く逆の見方をしていることがあっても、各国は自分たちが『正しい理由』と考えることに基づいて、いわゆる「正当な戦争」をするのである。国家主義が盛んになると、教会はその勢いに押され、各宗派は『国旗に追随します』。著名なプロテスタントの教会指導者マルチン・ニーメラーは、ローマの皇帝の時代以来キリスト教世界の実状はそうであったと述べている。同氏の説明によると、「教会はいまだかつて不当な戦争というものを知らない。むしろ自分の主権者また国家の戦争を常に正当化してきた」。 カトリックの歴史者E・I・ワトキンはこう述べている。 「この〔事実を〕認めるのはつらいことにちがいないが、司教が自国の政府によって行なわれた戦争をことごとく同じ姿勢で支持してきたという歴史的事実を、偽の薫陶や誠実さを欠いた忠節心のために否定したり無視したりすることはできない。実際のところ、国家の階級制度が戦争を不当なものとして非難した例を私は一つとして知らない…公式の論理がどんなものであろうと、現実には、『我が国は常に正しい』というのがカトリックの司教が戦時に従ってきた命題である。…好戦的なナショナリズムが問題となる場合には、彼らはカイザルの代弁者として発言してきた」。 諸教会が「自国の政府によって行なわれた戦争をことごとく同じ姿勢で支持してきた」というのはほんとうに真実だろうか。宗教は善を支える力であるかのように装ってきただけで、実際には戦争と暴力を助長してきたのであろうか。歴史の事実は何を明らかにしているか考えてみたい。2003/04/23 18:30:47
2003年04月23日
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指導の方針が一貫しているように見せるための努力 カトリック教会は戦争に対する自分たちの立場に変化のないことを示した。カトリックの指導方針がベトナム戦争を支持したことはない、と主張した。この主張は事実上、全国カトリック司教会議の行政機関であるUSカトリック会議(USCC)によって出版された文書の中でなされていた。 しかし著名なカトリックの神学者たちでさえ、司教たちは戦争に反対する代わりにそれを支持したと述べている。事実USCCの文書が発表されるのとほとんど時を同じくして、ラ・サール大学の宗教学教授でカトリック司祭のピーター・J・リーガーはこう書いている。 「今日における最大の道徳問題であるのに、この問題に対して道徳的指導を行なう点で途方もない失敗を犯したのであるから、この戦争を支持したこれらアメリカのカトリック司教(約95パーセント)はこぞって退陣すべきである。もはや職務にふさわしくない。…手を血に染めた者は奉仕者たりえない。アメリカの司教は道徳面での失敗ゆえに、自分の手を人の血で染めているのである」。 カトリック教徒みずからこうした非難をしていることを考えると、司教の発表した内容が真実かどうか疑わしく思われないだろうか。真実を偽って伝える カトリックの雑誌「コモンウィール」はこの問題を取り上げた。執筆者であるカトリックの大学教授でまた社会学者のゴードン・ザーンは、USCC文書を検討したのちにこう述べている。 「私はこれに挑戦せざるを得ない。歴史に対して極めて取捨選択的なアプローチをすることにより、教会の正規の指導方針は、慎重を期すために控え目であったにしても、一貫して戦争反対の気運を生みだす源であった、との偽りの印象を与えるための作為の行跡が明らかに見られる」。 同文書が「歴史に対して極めて取捨選択的なアプローチ」をしていることを例証するものは、戦争を支持したカトリックの指導者たちの発表が載せられていないという事実である。故スペルマン枢機卿の行なった、戦争を是認する発言が省略されているのは最も注目に値する。 事実、この文書の中で省略されているもので、教会指導者が戦争を支持して行なった発言は非常に多く、「コモンウィール」誌はこう評している。「USCC調査員はニューヨーク大司教管区に保存されている記録だけからでも、少なくともこれと同じ相当の分量の、戦争を支持する司教の発言を収録できたはずだ、と疑いたくなる人もいよう」。 ところが、そうした証拠はいっさい、故意に省かれているのである。しかし「コモンウィール」誌は、「誠実さ」があれば次のような文章が載って当然であると述べている。「それらは今では当惑させるものであるにしても、この戦争が道徳的に間違いであることはだれの目にも歴然としている」。 USCC文書の紛れもないねらいが、今や不評となった戦争を教会が当初支持した事実を覆い隠すことであるのは明白ではないだろうか。こうした不誠実な態度にあなたは驚かれることだろう。 イラク戦争の時はどうだったのだろう?
2003年04月21日
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宗教は人々をどこへ導いたか アメリカの教会がベトナム戦争をその初期の段階において支持したことは明らかとなっている。それはどんな結果を招いただろうか。 一つには、同じ教会員同志が戦場で互いに殺し合うという事態に至った。例えば、北ベトナムには推計100万人のカトリック教徒がいたが、北ベトナムの司祭たちはどんな立場を取っただろうか。当時ニューヨーク・タイムズ紙はこう報じている。「ハノイのパデュアにある聖アンソトニオ教会の司祭ヨセフ・ングエン・バン・クエ氏は、…[北ベトナム]の軍隊に入隊する青年をきまって祝福すると話した」。同じ教派の会員たちが戦場で殺し合ってきたのである。しかも僧職者たちの祝福を受けてである。 しかしながら前に注目したように、泥沼化してゆく戦況の中、変化が見られるようになっていった。事実、各宗派が合同で、戦争の終結を促す「悔悟と行動への要請」を発表している。 それにしても宗教指導者はなぜ自分たちの見解を変えたのだろうか。この質問に対する答えを頼りに、宗教はしばしば何によって取るべき立場を決定するか、したがって人類をどこに導くかを明らかにすることができる。宗教団体の方向を決定するのは何か ベトナム戦争をその当初容認することにより、教会は戦闘に加わるのが正しいと考える方向に人々を導いた。ところが長期化する戦況の中、ある教会組織やその役員は戦争を非難し、戦争参加は誤りだと言明する。 なぜこのように変わったのか。教会は今や会員たちが聖書の教えに調和して生活するよう指導しているのか。それとも他の要因が宗教の指導方針を決定しているのか。 オレゴン・ジャーナル誌は当時、『教会人は群集に同調しているに過ぎない』と評した。つまり、人々が戦争にほとんど反対を表明しなかったときには教会はそれを支持し、一般の人が長びく戦闘と流血にうんざりしてくると、僧職者は戦争に反対しはじめたということである。その頃、メソジスト教会の出版物「合同メソジスト」の論説委員オールデン・ムンソンはこう説明を述べている。「度重なるミライのような酷薄な事件、それに戦争に関する史上最も充実した報道が全国民に影響を与え、教会も遂に反戦の空気の中をとぼとぼと他のあとに付いて行くことになった。…1965年以来、ベトナム一般市民の犠牲者の推計は男女子供合わせて100万から400万人に上るが、教会は今ごろになってやっと驚きの色を表わしている」。 このとおり、戦争が『不評』になってはじめて、「平和」を求める教会の叫びが聞かれるようになった。人々は、教会がその時々に一般に受け入れられているものが何かを決定し、それからそれに即して自分の立場を決めることに気づいている。ニューヨークの僧職者ロバート・J・マクラッケンはこう認めている。「われわれは風向きがはっきりつかめない限り、どんな立場も取らないように注意する」。
2003年04月20日
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戦争に対する当初の見方 ’67頃アメリカ合衆国各地のローマ・カトリックの司祭は、カトリック世論調査所から質問を受けた。質問は、アメリカはベトナムで勝利を得るために強硬な政策を取るべきか、というものだった。 司祭の答えは、賛成―2,706人、反対―371人であった。 しばしば、司祭は戦争努力を全面的に支持する発言をしたり、行動を取ったりする。例えば一新聞の報道によると、ひとりの司祭と他のふたりの僧職者は、「ブルックリンの学生グループに、殺すことを禁ずる聖書の命令はベトナム戦争には当てはまらないということを確信させ」ようとしたとのことである。司祭のロバート・J・マクナマラは、「われわれが当地でしていることは小数独裁政治を阻止するために必要である」と述べた。 もっと積極的に戦争に関係した司祭もいる。ある司祭の写真がライフ誌に1ページ半にわたって大きく載ったことがあるが、その表題は肉太の活字で「自ら戦う勇敢な司祭」となっていた。その記事はこう述べている。「戦いの最中にあって、ヘルメットをかぶり銃を抱えた人の上記の姿は、珍しくもあり、心あたたまる光景でもある。彼はベトコンに対して自分自身の戦いをいどむカトリック司祭である」。 ベトナムでアメリカが勝利を収めることを司祭がほとんど全員一致して願ったのはなぜか。司教の与えた指導が強い影響を及ぼしたことには疑いの余地がない。1966年11月アメリカの司教たちは公式声明の中でこう述べた。「われわれがベトナムに参戦しているのは正当である、と論ずるのは理にかなっている。…われわれは同胞たる兵士の勇気をたたえ、かつ感謝を表明するものである。…われわれは現状における我が国の立場を良心的に支持することができる」。 この戦争を十字軍の戦いでもあるかのように語った司教もいる。故フランシス・スペルマン枢機卿は、アメリカの部隊は文明のための戦いをしている「キリストの兵卒」であり、「勝利以外の何物をも考えられない」と言った。アメリカの行動の根拠が正当かどうかの質問に対する答えになるものとして、スペルマンは「正しかろうが間違っていようが私の国だ」と述べた。 スペルマンの「勝利」に対する願いについて、首都ワシントンにあるナショナル・シティ・キリスト教会の牧師ジョージ・R・デービスは、「私も同感です」と語った。プロテスタントの他の牧師たちも、さまざまの方法で同意を示した。 クリスチャン・サイアンスの牧師ロバート・マミーは戦争を支持する意見を述べ、大学生の一グループにこう語った。「殺すことは純粋な心をもってなされねばならない。そうでないと、道徳的に正しくない殺し方をしたことになる。もしわたしたちの兵士が敵を憎むように教え込まれているなら、敵を殺すことは道徳的に正しくない行為である」。(なんちゅう論理や) 僧職者は戦死した人に誉れを与えることによっても、戦争を支持していることを明らかにした。アイオワ州デモインのルーテル教会牧師マーチン・ハーザーはある葬儀において次のように語った。「兵士が正当な[ベトナム]戦争で義務を果たして死ぬなら、それは国に尽くした輝かしい死であるばかりか、本人にとって祝福された最期である。…天使が彼の魂を天に携えたであろうし、彼が平和を今享受していることを私は確信している」。 さて、キリストは『殺人』をどうみられたか。「キリストの兵卒」など容認されるだろうか。彼の地上での宣教活動を忠実に書き記した、それぞれの福音書を読む限りそのような考えは微塵も見あたらない。
2003年04月19日
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混乱した指導 ベトナム戦争に対する教会の反対は、現実には前に述べたことが示すほどはっきりしたものではない。例えば、ニューオーリアンズの大司教フィリップ・ハナンは、自分がアメリカの司教たちによって採択された「決議を完全に支持しない相当数の司教」のひとりであると語った。そうであれば、カトリック教徒が自分たちに与えられる指導に混乱させられているのも理解に難くない。 プロテスタントの諸教派にしても同じである。1968年アメリカのルーテル教会は、選択制良心的兵役拒否を公式に認める立場を取った。しかしそれ以後でも、ベトナムでの戦いを支持する発言を行なうルーテル教徒が出ていたのである。例えば、ルーテル教会の出版物「スプリングフィールダー」1970年春季号の中で、教授兼牧師マルチン・シャールマンはこう書いている。 「わたしたちは、自分のように隣人を愛すべし、とのことばを聞いている。言うまでもなくそれは正しい。主のことばである以上、だれがそれに異論を唱えられるだろう。だが、これには別の側面がある。…ベトナムの兵士に対するわたしの関係は一対一というものではない。両者の間には二様の忠節が介在している。わたしの国に対するわたしの忠節心と、彼の国に対する彼のそれとである。わたしは自国に対して責任があり、それは彼の国に対するわたしの配慮をしのぐ。同じことは彼の側にしても真実である。ところが、彼が傷ついてわたしの助けを必要とするとなると、彼はもう一度新約聖書の倫理的な意味でのわたしの隣人となる。一対一の関係が戻ってくるわけである」。つまりこの僧職者の論によれば、自国に対する忠節が隣人を愛するようにとのキリストの命令を無効にするというのである。教会が良心的兵役拒否を承認しているのに僧職者が戦闘を奨励するのでは、人々は当然のことながら混乱させられてしまう。 このルーテル教会の僧職者のような見解は例外で、現在教会はあらゆる紛争で戦うことを拒む方向へ人々を引っぱっている、と結論を下す人がいるかもしれない。しかし、そうした結論は真実だろうか。ベトナム戦争における当初の見方がどのようなものであったかを知ることは今日のキリスト教世界に通ずるものがあり、その実態を理解するのに役立つかもしれない。
2003年04月18日
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「アメリカの若者は、嘆かわしいほどに無知である」、とニューヨークのデーリー・ニューズ紙は述べている。世界地図上で、「アメリカの位置を示せなかった若者が11%いた。合衆国の白地図を見てニューヨークの場所が分からなかった人は全体の半数だった」。ニュースに出てくる他の国々に関して言うと、イラクやイランの位置を示せたのは13%に過ぎず、アフガニスタンが分かった若者はわずか17%だった。実際、18歳から24歳のアメリカ人で、世界最大の海である太平洋の位置を正しく示せたのは71%だけだった。ナショナル・ジオグラフィック協会(米国地理学協会)は56問から成る簡単なテストを、イタリア、英国、カナダ、スウェーデン、ドイツ、日本、フランス、米国、メキシコの3,250人の若者を対象に行なった。42問正解しなければ取れない“A”を取った国はなかったが、最も近かったのは40問正解したスウェーデンだった。次が38問正解のドイツとイタリア。アメリカは平均正解数23問で下から2番目、最下位は21問のメキシコだった。ナショナル・ジオグラフィック協会理事長ジョン・フェイヒーは、「地図上の場所も分からず、時事問題に疎い若者たちが、我々の直面している世界の文化・経済・天然資源などの問題をどうして理解できるだろうか」と述べた。 あまりにも、唖然とするような記事だったので書いてみました。戦争の影に…は、また次回に。
2003年04月17日
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戦争の影に…ベトナム戦争―宗教は人々をどこへ導いたか カトリック、プロテスタント、その他の宗教団体に属する若い人々が何千人となくベトナムで戦った。僧職者は直接戦場で兵士に仕えていた。宗教は人々をこの戦争に送り出すことに関与しただろうか。 ベトナムの戦闘に関して、プロテスタント諸教派はどんな立場を取っていたか。イエズス会士ロバート・ドリナンは「ベトナムとハルマゲドン」の中で、「ベトナム戦争は道徳的に見て弁明の余地なしとする、プロテスタント神学者が一様にいだいているともいえる心情」を指摘していた。 プロテスタントのいろいろな宗派は、同戦争に反対する声明を発表してきた。 ユダヤ教の組織にも、戦争に反対するものが現われた。当時ワシントン・ポスト誌には次のような見出しが載せられた。「ケンジントン神殿の決議ベトナム戦争終結を勧告」。同決議は、「ベトナム・ラオス・カンボジア本土及び上空での戦闘に参加しているアメリカ軍の完全撤兵を決定し、発表する」ようニクソン大統領に勧告した。 ローマ・カトリックはどんな立場を取っていたか。当時アメリカの司教は全国会議を開いたが、ニューヨーク・タイムズ紙はその模様を報告し、第一面に次の見出しを掲げた。「アメリカのカトリック司教インドシナ戦争の終結を要請」。司教たちによって採択された決議は、「人間の生命と道徳的価値感の破壊」を指摘し、さらにこう述べている。「ゆえにわれわれは、戦争の即時終結は道徳的に極めて当然のことであって、急を要する問題であると堅く信ずる」。 デトロイトの司教補佐トマス・ガンブルトンは、決議は「戦争が不当なものであることを示している」と説明した。したがって、カトリックの立場に同意する人はだれも「この戦争に携わらなくてもよい」と彼は語った。 こうした証拠を前にして、宗教は人類を戦争から遠ざけてきたと結論する人がいるかもしれない。しかし当時なぜ、若いカトリック教徒やプロテスタントの信者たちが幾十万人もベトナムで戦ったのか。彼らは教会から受けた指導に反して行動してきたのだろうか。2003/04/16 23:30:16戦争の影に…宗教はどのように人々を導くか 一見したところ、政治支配者が宗教を導いているように思える。ある場合はそのとおりである。それにしても、支配者が、なかでもキリスト教であると主張する国の独裁者が権力を振ってこられたのはいったいなぜか。 それは宗教が人々の考え方をどの方向に導いてきたかに原因があるのではないだろうか。実際、宗教が人々の思いをある型にはめてしまったために、独裁者が権力を得、それを保持するという事態が生じうるのである。人々は宗教の影響を受けて、政治指導者が自分たちの望む状態を社会にもたらしてくれると期待するようになっている。 少数の例外を除けば、宗教指導者みずから政治支配者を賞賛し、追随してきた。時には、どちらの側に投票すべきかを人に告げることにより、僧職者が直接政治に介入することさえある。 したがって独裁者が登場して、人々に彼らの欲しているものを約束すると、多くの人は彼に従う。ところが彼が戦争を命じるとどうなるか。大多数の人はこの点でも従うよう僧職者からしむけられているのである。 政治支配者のやり方に行き過ぎの見られることがある。僧職者の意に沿わないことをする場合である。だが、そうした悪政に対してまず責任があるのはだれか。たとえば、ヒトラー政府は、僧職者の大多数が彼を支持するよう人々に命じなかったら、少なくとも支持することを許さなかったら、あれほどの権力を振うことができただろうか。ナチ主義の地位は、ヒトラーとバチカンの間に結ばれた政教条約によって強化されたのではなかっただろうか。 ロシアの教会が富裕な地主階級や他の圧制的な分子を支持するあまり、必然ともいうべき反動が起きたが、もしそういう事態が生じていなかったら、共産主義がロシアで政権を握っていただろうか。キリスト教世界の国民が中国人に対してもっと別の扱い方をしていたなら、共産主義が中国大陸を手中に収めていただろうか。 今日の急進的な僧職者の中には、革命を勧める人さえいる。しかし、彼らはそうすることによって、自分たちの態度を実際に変えているのだろうか。神のみことば聖書に教えられている真の解放を示す代わりに、人々を別の利己的な支配形態に導いているに過ぎないのではないだろうか。 また、道徳はどうだろうか。淫行や姦淫、性的に異常な行為をならわしにする教会員はどうなるか。相変わらずりっぱな会員として留まるのが普通ある。道徳上の訓練や指導を与える面での教会の怠慢こそ、キリスト教世界の至る所で見られる性病、私生児の出生、あるいは堕胎などの驚くべき増加の主要な原因を作っているのではないだろうか。今日のこの状態は、イスラエルがバビロンに流刑にされる前、彼らの首都エルサレムが破壊される前の状態と全く同じである。聖書は当時について、「預言者も祭司も汚れたからである」と述べている。―エレミヤ 23:11。 その結果どんな状態が生じたか。聖書は次のように答えている。「のろうこと、欺くこと、殺害すること、盗むこと、姦淫を犯すことが発生しており、流血行為に流血行為が相次いでいるからである」―ホセア 4:2。 僧職者は今日、古代イスラエルにおけると同様、神についての信仰を保たなかった、というのが真実である。信徒に神のみことばの真理を教えてはいないし、自分自身それに従いもしない。神に命令されることを行なうよりは、自分の考えを遂行することに関心を示してきた。 これは、神の名によってなされた嫌悪すべき事柄を非難した僧職者が全くいなかった、という意味ではない。政治に携わる人々のなかの誠実な人々が事態を正そうと努めてきた。しかし、妥協と利己主義という支配的精神、さらに幾世紀もかかって築き上げられた、正しい原則を無視する体制とのために、キリスト教世界をよくしようとする人々は無力な状態に置かれてきた。たぶん、世界宗教の失敗が招いた最も悲惨な結果は、人類の戦争に関するものだろう。その記録を調べるなら、わたしたちは大いに考えさせられる。たとえば、ベトナム戦争に関連した、宗教はどんな記録を示しているだろうか。2003/04/16 1:02:55
2003年04月16日
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神の言葉はそれを聞く人に非常に大きな力を及ぼします。それは命を意味します。「神の言葉[もしくは、音信]は生きていて、力を及ぼし、どんなもろ刃の剣よりも鋭く、魂と霊、また関節とその骨髄を分けるまでに刺し通し、心の考えと意向とを見分けることができ(ま)す」。それは心を動かし、人が実際に正しい原則に従って生活しているかどうかを明らかにします。 だからと言って、これを人に当てはめようとすることは僭越な態度です。自分は何者なのかを考えるべきです。まさに、私自身に言えることです。 人にはそれぞれ分というものがありますから。反駁の余地のない事柄であってもそれを認めようとしない者は結局、己の考えのみに固執しているといえるのかもしれない。頑なな心は得るべき知恵を得損なう。まっ、時にはユーモアも交えなければね。聞いててしんどいから(苦笑)。
2003年04月15日
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神の真理の完全に整った「本」 創世記から啓示の書までを集めた聖書は、その全体が、一人の至上の著者からの霊感を受けた、完全に整った一つの本、完全に整った一つの書庫を成している。それは、二つの部分に分けて、一方が他方より価値が少ないかのようにみなすべきものではない。ヘブライ語聖書とクリスチャン・ギリシャ語聖書とは相互に必須な部分をなしている。後者は前者を補って神の真理の完全に整った一つの本を作り上げている。聖書の66冊の書は、そのすべてが集まって、聖なる書物の一つの書庫を成している。―Romans 15:4. 記された神の言葉を二つの部分に分けて、GenesisからMalachiに至る第一の部分を「旧約」、MatthewからRevelationに至る第二の部分を「新約」と呼ぶのは伝統的な誤りである。広く用いられてきたジェームズ王欽定訳は、コリント第二 3章14節で、「旧約を読む」ことについて述べているが、ここで使徒は古代のヘブライ語聖書全体に言及しているのではない。また、霊感を受けたクリスチャンの書物が「新約[新しい契約]」を成していると言っているのでもない。使徒は、モーセによって五書の中に記録され、クリスチャン時代以前の聖書の一部を成すにすぎない律法契約について述べているのである。そのようなわけで、次の節の中では、「モーセが読まれるとき」と言っている。ジェームズ王欽定訳の中に何度も出て来る「testament」(聖約、遺言)という言葉は、現代の大部分の翻訳の中では一貫して「covenant」(契約)と訳されている。―Matthew 26:28. 2 Corinthians 3:6,14. 新世界訳聖書、改訂標準訳、アメリカ標準訳。 聖書はユダヤ人やクリスチャンの著書の雑多な断片を相互の関連のないまま取りそろえたり収集したりしたものではない。むしろ、それは様々な部分が高度に統一され、相互に関連づけられた、系統立った書物であり、創造者であられる著者その方の整然とした秩序正しさを反映している。神はイスラエルに包括的な法典をはじめ、宿営の生活の細かな事柄に至るまで物事を律する規定をお与えになった。そうした法典や規定は、後代にダビデの王国はもとより、1世紀のクリスチャンの間に設けられた会衆の取り決めにも反映されたが、イスラエルに対する神のそのような扱い方は、聖書のその系統立った特徴を反映しており、その特徴を引き立たせるものとなっている。 神の真理のみ言葉は非常に実際的な仕方で人を無知や迷信、人間の哲学や無意味な人間の伝統から解放する。
2003年04月14日
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2 Corinthians 3:14.―ギリシャ語,επι τη αναγνωσει τη? παλαια? διαθηκη?(エピ テーイ アナグノーセイ テース パライアース ディアテーケース)ラテン語,in lectione veteris testamenti(イン レクティオーネ ウェテリス テスターメンティー)1611年 「旧約(old testament)を読む時」 ジェームズ王欽定訳1950年 「古い契約(old covenant)の朗読の際」 クリスチャン・ギリシャ語聖書新世界訳今日、ヘブライ語とアラム語で書かれた聖書を「旧約聖書」(Old Testament)と呼ぶのが一般的な習わしとなっている。これはラテン語のウルガタ訳と英語のジェームズ王欽定訳の2 Corinthians 3:14.の読み方に基づいている。クリスチャン・ギリシャ語聖書は一般に「新約聖書」(New Testament)と呼ばれている。2 Corinthians 3:14.のディアテーケースという語は、その語が出て来るギリシャ語本文の他の32か所の場合と同じく「契約」(covenant)を意味している点に注目できる。 ラテン語テスターメントゥム(属格、テスターメンティー)の意味について、エドウィン・ハッチは自著、「聖書ギリシャ語論文集」(Essays in Biblical Greek,オックスフォード,1889年,48ページ)で次のように述べている。「後期通俗ラテン語に関する言語学に無知であったため、初期ラテン語の訳やウルガタ訳でこの語[ディアテーケー]の訳語となった“testamentum”[テスターメントゥム]は、『[遺言としての]誓約』(testament)または『遺言』(will)を意味するとかつては考えられていた。しかし、この語には実際には『契約』(covenant)という意味もあった。もっとも、その意味だけしかなかったわけではない」。同様に、「英語の読者のためのさまざまな著者による聖書註解」(A Bible Commentary for English Readers by Various Writers,チャールズ・エリコット編,ニューヨーク,第8巻,309ページ)の中で、W・F・モールトンは次のように記している。「古期ラテン語による聖書翻訳において、testamentum[テスターメントゥム]はこの語[ディアテーケー]の一般的な訳語となった。しかし、この語は遺言(will)というような意味を考えることの不可能な箇所でしばしば用いられているので(例えば、Psalms 83:5.で、神の敵たちが『神に対してテスタメントを取り決めた』などと詩編筆者が言うとはだれも思わないであろう)、ラテン語のtestamentum[テスターメントゥム]がギリシャ語の広い使用法にこたえるため、意味を敷衍して用いられたことは明らかである」。 上記のことと照らし合わせると、ジェームズ王欽定訳による2 Corinthians 3:14.の「旧約(old testament)」という訳は正しくはない。現代の多くの翻訳者はこの箇所を「古い契約(old covenant)」と正しく訳している。使徒パウロはここでヘブライ語・アラム語聖書全体のことを言っているのではない。また、霊感によって記されたクリスチャンの書が「新約」(new testament)を成すと述べているのでもない。使徒は、モーセによってモーセ五書の中に記録され、キリスト教時代以前の聖書の一部を成したにすぎない古い律法契約について語っているのである。その理由により、彼は次の節で、「モーセが読まれるときにはいつも」と述べている。 したがって、ヘブライ語・アラム語聖書を「旧約聖書」、クリスチャン・ギリシャ語聖書を「新約聖書」と呼ぶべき正当な根拠はない。イエス・キリストご自身、聖なる書物の集合体を「聖書」と呼ばれた。(Matthew 21:42; Mark 14:49; John 5:39.)使徒パウロはそれを「聖なる書」、「聖書」、「聖なる書物」と呼んでいる。(Romans 1:2; 15:4; 2 Timothy 3:15.)Romans 1:2.の霊感の表現と調和して、英文新世界訳の表題には“the Holy Scriptures”(「聖なる書物」の意)という表現が用いられている。 このことは何を意味するのか深く考えてみていただきたい。 原理主義者(ファンダメンタリスト)は、宗教上の伝統的・保守的価値規準を固守する人であるが、その中のある人々は古き時代の確実なものにあこがれを抱いていて、中には、自分たちが正しいと考える道徳的・教理的基盤に地域社会や国を引き戻そうと奮闘している人もいる。“正しい”道徳律や教理体系にしたがって生活するよう、他の人を強制することに全力を傾ける。ファンダメンタリストは、自分は正しく、他の人は間違っていると固く信じている。ジェームズ・バー教授はその著書「ファンダメンタリズム」の中で、ファンダメンタリズムは「しばしば、狭量、頑迷、反啓蒙主義、分派主義を暗示する、敵意のこもった蔑称と考えられている」と述べている。 宗教上のファンダメンタリズムは普通、ある文化独特の伝統または宗教的信条と考えられているものを守り、世の世俗主義の精神とみなされるものに対抗する試みを指す。これは、ファンダメンタリストが現代的なものすべてに反対しているという意味ではない。中には、現代の通信手段を極めて効果的に用いて自分の見解を広めている人もいる。しかし、社会の世俗化とは戦う。 ファンダメンタリストを見分けることについてはまた調べてみたいと思います。 今回のイラク戦争にみられた、ファンダメンタリズムは決して好ましいものでないのは言うまでもありません。政治家たちはこれを利用したに過ぎず、中身は空であると言っても過言ではないでしょう。それは、今後の石油資源の利権にかかわる他の国々とのせめぎあい、そして問題が山積するイラクの新政治体制の構築への取り組み方に如実に顕れることでしょう。 余談ですが、軍事アナリストたちの戦略的価値などを然も軍統制作戦本部指揮官として解説していた姿を滑稽に感じたのはわたしだけでしょうか。いずれにせよ、多くの命が失われたことは紛れもない事実であることを忘れないようにしたいと思います。 げっ!稚拙な文章になってしまった。
2003年04月13日
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奪略・暴虐が自由を象徴しているという見解 これが、米国の公式な見解であるのなら、米国のいう自由とはどこまで寛容に過ぎるのだろうか。たしかに、国民は混乱しており虐げられてきたものが爆発していることは理解できる。これからの米国そして国連の対応に注目したい。(歴史から何も学び取っていないならば利権・主導権争いに終始するだろうが) 以下は調べてみたところ興味深いものであったので書き出してみた。 いばらの茂みに次々と燃え移ってゆく炎のように、暴虐は手に負えなくなり、すぐに「森林のやぶ」に達して、本格的な山火事のような暴虐を生み出す。「無政府状態下での最も非人間的な自己破壊」であり、「人々は優しい感情を全く抱かずに、飽くことなく貪り食い合った」。現在のイラクの状況はこのようなものであろうか。 古代ニネベは「流血の都市」と呼ばれた。ある文献によれば「ニネベといえば、ただ殺害と略奪、抑圧と弱者への暴虐だけが人々の意識に印象づけられた。また、その戦争と、あらゆる形の身体的暴力、その王朝の支配者たちの数々の血生臭い行為で知られるようになった。彼らは恐怖によって民を抑えつけ、また自分たちよりさらに凶暴なライバルたちによって粛正される場合も多かった」。 これはこじ付けかもしれないが、今回のイラクと米国を連想させる。 奇しくも、古代ニネベはイラク北部の現代の都市モスルの対岸、つまりチグリス川東岸に位置する。そして二つの塚が古代ニネベの遺跡のしるしとなっている。古代ニネベの歴史は、「流血の都市」という短い言葉の中に要約されているのである。 最後にこれだけは私自身忘れたくないことを記してみる。「自由とは相対的なものであって絶対的なものではない。そして利己的な事柄に終始するものではない」これを取り違えているのが今の世の中の傾向であることを。私自身は謙遜さを日々培うことを。2003/04/12 23:20:13古代の記述から得る時宜にかなった教訓 創世記は特に、人間家族の始まりを明らかにし、そこに出てくる人たちの名前その他を明らかにしている。この点で、聖書ほど具体的に述べている歴史書はほかにはない。『でも、人間の最初の先祖を知ることに今日どんな価値があるのだろう』と言われるかもしれない。しかし、それには計り知れない価値がある。というのは、創世記は、肌の色、民族、国籍に関係なく、すべての人間が同じ祖先から出ていることを明らかにして、人種を差別する根拠など全くないことを示しているからである。―Acts 17:26. 創世記は道徳に関する導きも与えてくれる。その中には、住民の甚だしい性的倒錯ゆえに神による滅びを被った、ソドム、ゴモラ、およびその近隣の諸都市についての記述がある。(Genesis 18:20‐19:29)聖書のJudeの7節はこう述べている。「ソドムとゴモラおよびその周りの都市(は)甚だしい淫行を犯し、不自然な用のために飽くことなく肉を追い求めたのち、……警告の例としてわたしたちの前に置かれています」。ソドムとゴモラの人々は神からの道徳律を特に与えられてはいなかったが、人間だれもが持つようにと神がお与えになった良心の機能を持っていた。そのゆえに、神がこれらの人々に行ないの責任を問われたのは正当なことであった。(Romans 1:26,27; 2:14,15)今日でも同様である。人が神の言葉 聖書を受け入れているかどうかにかかわりなく、神はすべての人に行ないの責任を問われる。―2 Thessalonians 1:8,9.2003/04/12 0:27:37
2003年04月12日
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聖書筆者の多くは、農民、羊飼い、漁師など、ごく普通の人だった。それでも、それらの人々が約1,600年をかけて書き記した聖書は、古今の他のどんな書物よりも多くの人に影響を与えてきた。また、あらゆる方面からの攻撃にさらされても、それに耐えてきた。(Isaiah 40:8.1 Peter 1:25.)今日、聖書の全体あるいは一部は、2,200もの言語で読める。このような本はほかにない。聖書がこれほどに際立っているのはなぜだろうか。次に挙げる聖句は、その問いに答えるのに役立つ。 「聖書全体は神の霊感を受けたもので、教え、戒め、物事を正し、義にそって訓育するのに有益です。それは、神の人が十分な能力を備え、あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。―1 Timothy 3:16,17. 「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり、それは、わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。―Romans 15:4. 「これらの事は例として彼ら[イスラエル人]に降り懸かったのであり、それが書かれたのは、事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたち[クリスチャン]に対する警告のためです」。―1 Corinthians 10:11. そう、聖書は実在の人々―神を喜ばせた人も、そうでなかった人もいる―についての、神の霊感による記録、また神が保存させてこられた記録であり、そのゆえに他のいかなる本にも勝っている。単なる冷たい規則集などではなく、子どもを楽しませるための物語集などでもない。確かに神は人間を筆記者として用いたが、そのことはただ、聖書の味わいを深めるものであった。温かな魅力が加わり、世代を超えて読み手の心を感動させるものとなってきた。考古学者ウィリアム・オールブライトはこう述べている。「聖書の持つ、高邁な道徳的また霊的明察は、神が人間の経験という方法で人に与えたたぐいまれな啓示であり、二,三千年前と同じく今日でも正当なものである」。 聖書がいつの時代にも当てはまるものであることを示す例として、ここで人間の歴史のいちばん初めにさかのぼり、創世記から得られる幾つかの大切な教訓について考えてみる。そこまでたどれるのは聖書だけである。
2003年04月08日
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聖書の記録―歴史として正確ですか その人たちは、支配者を糾弾し、祭司をとがめ、民衆の邪悪さを戒めた。自らの失敗や罪も公の文書にとどめた。人々から追われ、迫害を受けた。真実を語り、記したために殺された人さえいる。それはどんな人たちだろうか。聖書時代の預言者たちである。その中には、聖書の筆者となった人も多くいる。―Matthew 23:35‐37. ペイジ・スミスは、自著「歴史家と歴史」(英語)の中でこう書いている。「[ヘブライ人]は、悪人にも英雄にも、敵対者にも自分たち自身にも、容赦のない態度で臨んだ。それは、神の前で書いているという意識があり、偽ったところで得るものはなく、失うものが多かったからである」。次のようにも書いている。「シリアやエジプトの戦闘的な王たちの年代記が退屈なものであるのに対し、……神に選ばれた民の患難や勝利に関する記述は読み手を魅了する。ヘブライ人の年代記作者は、歴史の極めて本質的な要素の一つ、つまり,そこに登場するのが、過ちもあれば欠点もある実在の人物である、ということを知っていた」。また、聖書の筆者たちは、正確さを期すために細心の注意を払った。歴史と考古学の観点から聖書を分析した著述家のウェルネル・ケラーは、自著「歴史としての聖書」(ドイツ語)の序文でこう述べている。「十分に裏付けられた、信頼できる証拠がいまや驚くほど多量にあるのを見て、……わたしの脳裏には次の一文が響きつづけていた。『聖書はやはり正しい!』」。 聖書は単なる人間の書き記した書物なのでしょうか。実際に注意深く聖書を紐解き調べてみると自ずとその疑問は解消するものなのでしょうか。 まずは、定期的な聖書通読を実行する必要があるかもしれません。 Hebrews 4:12.には「神の言葉は生きていて、力を及ぼ(す)」と書かれています。聖書に書かれてある事柄はそしてその助言は実際的であるのです。
2003年04月06日
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先例のない問題 人類の全歴史を通じて、森林破壊、土壌浸食、砂漠化、動植物の種の大量絶滅、オゾン層の破壊、環境汚染、地球温暖化、死にゆく海、人口爆発などの問題が束になって地球全体を脅かした時代はかつてない。 「現代社会が直面しているもう一つの問題は、物事の変化が途方もない速さで進んでいることである」と、「緑の世界史」(英語)という本は述べている。ワールド・ウォッチ誌(英語)の編集者エド・アルズはこう書いている。「我々はいま、ある事態に直面している。それは、これまでの経験すべてを総合したものをはるかに超越した事態であり、圧倒的な証拠を前にしながら、我々はそれを理解しきれていない。その『ある事態』とは、電撃的攻撃ともいうべきもので、我々を支えてきた世界で生じている、生物学的、また物理学的な大変化である」。 こうした点および関連した問題を見て、歴史家パルドン・E・ティリングハストはこう述べている。「社会が進む方向は限りなく複雑化しており、わたしたちの多くは恐ろしいほどのジレンマを抱えている。歴史の専門家は、途方に暮れる今日の人々にどんな導きを差し伸べることができるだろうか。大したことはできないようだ」。 歴史の専門家は、何をすべきか、何をアドバイスすべきか迷っているかもしれない。しかし、人間の創造者がそうでないことは確か。実際、創造者は聖書の中で、終わりの日に世界が「対処しにくい危機の時代」を迎えると予告しておられた。(2Timothy 3:1‐5.) 今のわたしは人格神という存在を理性で感じているに過ぎないのですが、聖書全体を研究し現代に至った経緯を比較考量してみると道理に適っていることに疑いを挟む余地のないことを感じます。何の意図も目的も無く人間が偶然に発現したという考え方は潜在的に受け入れることができないのです。ただ、人には自由意志が備えられているので信じる信じないは個人の決定に任されていることも忘れてはならないことですし、その点も神の公正さの表われだと思います。
2003年04月05日
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改ざんされた歴史 歴史は偏ったものになるばかりか、不正に変更される場合もある。例えば、旧ソビエト連邦は、「人民委員であったトロツキーの名を記録から抹消し、彼が存在したという事実をぬぐい去ろうとした」と、「歴史の真実」(英語)という本は述べている。トロツキーとはどんな人であったか。ロシアのボルシェビキ革命の指導者で、レーニンに次ぐ立場にあった人である。レーニンの死後、トロツキーはスターリンと対立し、共産党を除名され、後に殺害された。その名前は、ソビエトの百科事典類からも一掃された。同じような歴史の歪曲は、体制に順応しない書物をすべて焼却するという手段に及ぶこともあり、それは多くの独裁政体がいつも用いるところとなってきた。 とはいえ、歴史の改ざんは古くから行なわれており、少なくともエジプトやアッシリアの時代にまでさかのぼる。誇り高く虚栄心の強いファラオや王や皇帝たちは、自分の残す歴史遺産が良い面を目立たせたものとなるようにした。であるから、功績は決まって誇張され、戦争での敗北など、不都合なことや不名誉なことはすべて軽く扱われ、もみ消され、全く伝えられないことさえあった。それとは大いに対照的な点として、聖書に記録されているイスラエルの歴史には王とその民の失敗も栄光も同じように含められている。 歴史家は、以前に記されたものが正確かどうかをどのようにして調べるのだろうか。それを、昔の税の記録、法典、奴隷競売の広告、商用および私用の手紙や記録類、陶器の破片に記された文字、航海日誌、墓や埋葬所で発見された物品などと比較するのである。こうした種々多様な資料は、公式文書の解明に一層の、あるいは新たな光を投じることが少なくい。それでも情報が不足したり不確かな点があったりする場合、良識ある歴史家は、不足を補うために自分の説を提出するにしても、そうした情報不足のあることを認めるのが普通である。いずれにせよ、平衡の取れた解釈をするためには、一つだけの書物に頼らないことが賢明である。 歴史家はさまざまな課題に直面するとはいえ、その研究によって多くのことが得られる。ある歴史書はこう説明している。「世界の歴史を書き著わすのは易しいことではないが、……それはわたしたちにとって重要なことであり、不可欠でもある」。歴史は過去を見る窓を与えるだけでなく、人間の現状に対する理解を広げてもくれる。例えば、古代の人々も、人間として今日のわたしたちと同様の特質を示していた、ということがすぐに分かるだろう。そうした特質が繰り返し表わされて歴史に少なからず影響を与えているために、歴史は繰り返す、と言われてきたのだろう。しかし、本当にそう言えるのだろうか。歴史は繰り返すか 過去に基づいて将来を正確に予告することは可能だろうか。確かに、ある種の出来事は繰り返し起きている。例えば、米国の元国務長官ヘンリー・キッシンジャーはこう述べた。「かつて存在した文明は最終的にいずれも崩壊した」。さらにこうも述べている。「歴史とは、失敗に終わった努力、もしくは実現されなかった願望……に関する物語である。したがって、歴史家たる者は、悲劇は避けえないとの自覚をもって生きなければならない」。 とはいえ、同じ滅び方をした帝国は二つとしてない。西暦前539年、バビロンはメディア人とペルシャ人の前に一夜にして倒れた。アレクサンドロス大王の死後、その帝国は幾つかの王国に分裂し、やがてローマに屈服した。一方、ローマの終焉については、議論の的になっている。歴史家ジェラルド・シュラバックは、次の疑問を提起している。「ローマは一体いつ滅亡したのだろうか。そもそも本当に滅びたのだろうか。西暦400年から600年にかけて、西ヨーロッパでは確かに変動もあった。しかし、多くのことはそのまま続いた」。 であるから明らかに、歴史には繰り返す面もあれば、そうでない面もある。 歴史から繰り返し一貫して学べる教訓の一つは、人間による支配は破綻に終わる、という点である。あらゆる時代を通じて、どんなに優れた政府も、ほとんどいつも、利己心、近視眼的な見方、貪欲、腐敗、身びいき、とりわけ権力を得て、それを維持しようとする欲望によって挫折させられてきた。であるからこれまでの時代は、軍備競争、破綻に終わった協定、戦争、社会不安や暴力、富の不公平な分配、経済の崩壊などで満ちているのである。 例えば、西洋文明が世界の他の地域にもたらした影響について、「コロンビア 世界の歴史」(英語)が述べている点は、「コロンブスとコルテスによってさまざまな可能性に目覚めさせられた西欧人は、改宗者、利益、名声を得ようと大いに食指を動かし、西洋文明はおもに力によって地球のほぼ全域に紹介された。領土拡大の抑えがたい衝動と優越した武器とで身を固めた征服者たちは、世界の他の地域を、大いなるヨーロッパの強国にいや応なく追従させた。……これらの大陸[アフリカ、アジア、南北アメリカ]の諸民族は、結局のところ、残忍で情け容赦ない搾取の犠牲となった」。Ecclesiastes 8:9.の、「人が人を支配してこれに害を及ぼした」という言葉がいかにも当てはまっている。 恐らくこの嘆かわしい記録に動かされたためであろう。ドイツの一哲学者は、歴史から学べる唯一のことと言えば、人間が歴史から何も学んでいないことだ、と述べた。Jeremiah 10:23.はこう述べてる。「地の人の道はその人に属してい(ません)。自分の歩みを導くことさえ、歩んでいるその人に属しているのではありません」。この自分の歩みを導く能力が欠けているということは、今日のわたしたちが特に関心を持つ点だろう。どうしてだろうか。わたしたちは、数の点でも規模の点でも先例のない、さまざまな問題に悩まされているからである。では、どのように対処すればよいのだろううか。 イラク攻撃にしても、テロの危険性にしても、疫病の増加にしても、看過できない状況にあることに違いないのだが。もちろん、身近なところでも陰惨かつ残虐で理解に苦しむ事件、事故が毎日のようにして起きている。そのような時代に我々は生きているのである。
2003年04月03日
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「歴史家にとって何より大切なのは,物事の因果関係を明らかにすることである」。―歴史学助教授、ジェラルド・シュラバック。歴史家は概して、物事のいきさつと理由を知ろうとする。一例として、歴史で明らかなとおり、ローマ帝国は滅亡した。しかし、なぜ滅亡したのだろううか。腐敗や、快楽の追求が原因だったのだろうか。帝国が大きすぎて手に負えなくなり、軍隊の費用がかさみすぎたのだろうか。それとも、ローマの敵が増えて、強力になっただけなのだろうか。近年では、かつて西側陣営にとって脅威とみなされていた東欧の共産主義政権が、あたかも一夜のごとく、次々に崩壊した。しかし、なぜそのようなことが起きたのだろうか。また、どんな教訓を学べるだろうか。歴史家はこの種の疑問に答えようとする。しかし、そうするに当たって、個人的な偏りがその判断にどの程度影響するだろうか。歴史はどこまで信頼できるか 歴史家は、科学者というよりは、むしろ探偵に似ている。過去の記録を調査し、疑い、その真偽を問題にする。目指すところは真実を知ることだが、その対象となるものがそれほど明確でないことがある。その理由の中には、歴史家はおもに人に関する事柄を扱い、人の心、それも昔に死んだ人々の心を読むことができない、という点がある。また、歴史家は先入観や偏見を抱いているかもしれい。であるから、極めて優れた歴史書でも、実際には記述者独自の視点による解釈にすぎない場合があるのである。もちろん、公平に言えば、ある歴史家が独自の考え方を持っているからといって、その著作が不正確なものになるというわけではない。聖書のSamuel,Kings,Chroniclesの中には、並行記述がある。それらは5人の人によって書かれたのたが、問題となる食い違いや誤りは含まれていない。四福音書についても同じことが言える。多くの聖書筆者は、自分たちの過ちや愚かな間違いについても記録した。一般の書物ではあまり見られない点である。―Numbers 20:9‐12.Deuteronomy 32:48‐52.偏見が入り込む恐れに加え、歴史書を読む際に考慮すべきもう一つの重要な要素は、それを記した人の動機である。「時の権力者、権力を求めている者、あるいはその友人たちによって語られた歴史はどれも、最大の疑念をもって見なければならない」と、マイケル・スタンフォードは「歴史研究便覧」の中で述べている。歴史の書物がそれとなく、あるいは公然と国家主義や愛国心に訴えている場合にも、記述の動機が疑われることは明らかである。残念なことに、この種のことはしばしば、学校用の教科書に見られる。ある国の政府の指示はかなりはっきりと、歴史を教える目的は「人心の国家主義的ならびに愛国主義的感情を強化すること」にあるとし、「国家の過去に関する知識こそ愛国的行動を鼓舞する最も重要な要素の一つである」と述べている。
2003年04月02日
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ニューヨーク市の国際連合には、人が剣をすきの刃に打ち変えているところを描写した有名な像がある。それは、Isaiah2章4節とMicah4章3節の聖書の預言に基づいて作られたものである。その預言の言葉はいつ、どのように成就するのだろうか。 3年ほど前のニューヨーク・タイムズ紙には、「世界的な武器販売による売上高,300億㌦に増大」という見出しの記事が載った。1999年にこれほど大量の武器を供給したのは、主にどの国だったのだろうか。トップはアメリカで、売上高は118億㌦だった。2番はロシアで、売上高はアメリカの半分にも及ばなかったが、前年と比べて倍近く増えている。次に、ドイツ、中国、フランス、イギリス、イタリアと続いている。「これまでと同様、武器全体のおおよそ3分の2は発展途上国に売られた」と同記事は述べている。 20世紀に起きた二つの世界大戦や他の多くの大規模な戦争で、何億人もの死傷者が出たことを考えると、「諸国民は一体いつになったら戦いではなく平和を学ぶのだろう」という疑問がわいてくる。聖書は、そのような平和への転換が「末の日」に生じると述べている。(Isaiah 2:2) 神はまもなく武器と戦争すべて、それに武器販売や戦争を推し進める者すべてに終わりをもたらされる。なぜなら、「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」方だからである。―Revelation 11:18. 聖書に書かれてあることを信じるか信じないかは個人的問題です。 この記事を読んで感じたことなのですが、米国は言ってる事とやっている事がまったく逆ですね。大量破壊兵器を廃棄するよう他国に圧力をかけながら、一方では武器を販売しているのですから。軽兵器も大量破壊兵器も人間を殺すための道具であると私は認識しています。自国の利権に絡んだ過去の歴史からも分かるように米国のみならず諸国家は世界を平安に統治することができないことははっきりしていると思われませんか。あくまで私見ですが。
2003年04月01日
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