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今日は講師の奥様中村メイコさんの書いた本からです。今売れている本です。最初に発行された日が2010年11月5日 第1刷 そしてまだ来ない12月5日 第5刷 もう印刷されていました。売れ行きがよく、日にちが来ないのにもう出ていました。何時も、いつ発行したのか最後にかかれている発行の日を見るのですがこんなの初めてです。題名が『人生の終いじたく』 シマイジタク とありますが楽しい本です。やはり一気に読んでしまいました。ご自分のこと、家族のこと、ユーモアあふれる、読んでいると、おもわず頬がゆるみ笑ったり、感心したり、うなずいたり、納得したり、面白い本です。作家とじかにお話を聞いている文章の運びに引きずり込まれました。第一章の私の夢見る「最後」は しめしめ、体が”死にじたくを”をはじめたぞ!の場面では16時間の飛行機の旅で、疲れが取れないな、いいぞ、いいぞ、死期が迫っているぞ、と歓迎してほどである。と、書かれているのでこのような考え方もあるのだと感心したり、捨てられないものたちの仁義なき戦い・・ などは、今の私の一番の関心ごとで、それぞれの人生、生き方家族構成が違い、真似は出来ませんが、少し参考にしたいと思うところがありました。第二章は家族のこと、メイコさんの家族に対する思いやり、長女カンナさんへ50歳代に入っての励ましのエールなどお母さんの温かい気持ちがつたわってきました。第五章まで続きますが、一言でいえば、神津善行講師との仲のよい夫婦像が描かれ 羨ましいと思うことがたくさんありました。是非、お年寄りだけでなく若い人たちも読んで欲しいと思った本でした。 2010年11月25日の講座は、若い人たちの演奏で、ロシアからきたドラムを奏でるヴァレンティナ・シャピロ16歳の若い女性で、音楽学校を卒業して色々と賞を貰って活躍している人です。もう一人はバラライカを奏でるグレゴリー・ツベトコフ17歳の若い男性です。やはり色々賞を貰っています。ドラムはマンドリンに似ています。バラライカは三角の形をしています。二人の弦を弾く早い指さばきがすごいです。もうれつにはやいです。二人の合奏は、ドラムは高い音、バラライカは低い音を出し、その違いがよくわり、2007年11月に結成され、「ロシア民族音楽コンクール」「国際民族音楽コンクール」で受賞しています。ウラジーミル・スピアコフ国際慈善事業基金、国際チャリーティー基金「ニューネーム」からの奨学金を与えられています。講師はこの財団 若い選ばれた音楽家3000人、 13歳から18歳卒業 からきていただいて私達にふだん聞くことの出来ない楽器の演奏を聴かしていただける機会をつくっています。いつものながらいつも講師に感謝、感謝です。
November 27, 2010
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この本の作家斉藤明美さんが好きです。「最後の日本人」は日本で活躍している人たちのインタビューしたもので、作家の考えも書かれています。この作家に注目したのは、「高峰秀子の捨てられない荷物」の本を図書館で借り読んで、文章の切れ味のよさ、的確に表現していて、すっかり気に入り好きになりました。作家の略歴は、高知県うまれ、津田塾大卒、高校教師、テレビ構成作家を経て「週間文春」の記者を20年して、2006年にフリーのなる。この本の題名『最後の日本人』、私には、最後というところが少し気に入らない本でしたが読んでみました。登場する人物は、もう亡くなられた人もいますが、現在も活躍している人達で、 お話は皆さん夫々含蓄あるお話がのっていて、その人柄がにじみでています。本の赤い帯に書かれている人物の名前は、高峰秀子、緒方拳、吉行あぐり、双葉十三郎、石井好子、永六輔、山田太一、中村小山三、安野光雅、戸田奈津子、水木しげる、伊東四朗、澤地久枝、佐藤忠男、森英恵、岩谷時子、サトウサンペイ、出久根達郎、鈴木四朗、野村万作、天野祐吉、佐藤忠良、松山善三、王貞治。潔さ、信念、謙譲・・・・と美しくいきる、25人の『最後の日本人』と書かれています。印刷してある活字が大きめでとても読みやすい。そして、顔写真と本人の手が写されています。この中で、本が出版する前に亡くなられた、緒方拳さんの話が印象深い。緒方拳は苦労人である。苦労をのりこえたひと。厳しく穏やかである。「汗水垂らして、心象削って、生き死にがかっているような仕事をしたい」本当の苦労人は前だけを見ている。もう一人出久根達郎作家です。茨城県生まれ、集団就職で、東京月島の古本店に住み込みの店員になる。エッセイ賞、直木賞、尾崎秀樹記念大衆文学研究特別賞を受賞している。達郎少年は進学を許されなかった。勉強したかった少年はせめて書店なら本が読めると、古本屋へ勤め、店の主人に通わせてもらえないかと言うと無理だった。店の主人のいった言葉が忘れない。『勉強というのは学校にいかなくちゃ出来ないものではないんだよ。ここにある本が達ちゃんの学校なんだから、ここで存分に活用すればいいんだよ。それを一つ一つ学べば学校へ入った以上の勉強ができるんだ。本の数だけ学校がある』幼い頃から日記をつけていた。小学校2年の時「母親に日記を書きなさい」と。一生懸命書いて母親へ持っていたが母親が読めない人だった。ショックだった。それから学校であった出来ことなどを書いて母親に読んで聞かせるための日記になった。書くのが好きだった人なのですね。本を読まなくては文章がかけないと言っていた作家がいました。多くの作家は読書家であります。私は、最近色々と小学生の作文のようなものを書くことができるようになりましたが、昔は書くことが大嫌いでしたし、そして悪筆で恥ずかしかった。パソコンを習い表現するようになってから、ブログは日記代わりに記録にとどめておきたいために続けている。
November 21, 2010
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お客夫婦と一緒に川魚料理食べにいきました。昔、軽井沢に住む別荘族が美味しい川魚料理を食べたいとのことで、出来たお店で、あまり地元の人は来ないところです。今はパソコンで調べてくるのか若い人でも食べに来ています。予約が必要です。軽井沢に泊まられたり、別荘に住んでいる人たちがきて、有名な人たちの色紙が、廊下に飾られています。特に鳩山一家と親しく、鳩山邦夫さんは今もよくきています。部屋には鳩山一郎氏が書かれた額が部屋に飾られています。前置きはこれくらいにして、美味しいお料理を紹介しましょう。先ず最初にビールを注文すると、小鉢に軽井沢で採れる、つるなのおひたしがでました。季節により色々と変りましが、かけてあるだし汁の味が美味しいです。次がハヤのから揚げ、頭から食べられます。炭火で焼き温かいです。しっかりとした甘いタレとカリットとした食感でおいしく、あっというまに食べてしまいました。次々に出来たての塩焼き、田楽、そして鯉料理の鯉の洗い、鯉の甘煮、鯉こくが出てきました。それぞれの塩加減、田楽の味は美味しく、先代の味を守り、昔からの同じで変わらないです。鯉料理は、予約の人数により、生簀に泳いでいる魚を選び、新鮮で美味しく、甘煮や鯉こくは、はらわたまで柔らかく、鯉こくは大好きで、家ではこのように出来ないので何かコツがあるのかと思いました。勿論、鮎がとれるとき、川魚も生簀に泳いでいるそうです。最後にご飯かおそばを選び、お漬物と一緒に出てきて終わります。初代から守られている味に、いまだにお客が引き寄せることが出来るのは、すばらしいことです。実は一緒にきた人に、以前ここで食事をして、この味が忘れられず、もう一度食べたいということでまた来ました。川魚が好きな人には本当に川魚三昧です。炭火で焼き、次々に出てくる温かいお料理は家庭料理と同じですが、美味しい味付けと素朴さが好きです。古い家屋ですが、千曲川のそばに建っているので、夏は川のせせらぎをききながら、美しい夕陽を見るのも楽しいひとときです。今日は一つ面白いお話をききました。廊下に飾られている色紙に大物の歌舞伎役者がいらして、近くに火の見櫓が見えるので、いつも、長いことじっと眺めて楽しんでいたのですが、櫓の灯りを蛍光灯に変えた時にきてがっかりしていた様子を話していました。お店については、パソコンで検索すると出てきます。もっと細かく紹介しているのがあるのでご覧ください。
November 15, 2010
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11月12日は日展の日で入場料が無料でした。その日の入場するときに示す券も特別で、無料だから必要ないように思いましたが、キチント渡されました。いくつかに別れて展示してある部屋に入るときには、この券を見せないと入れません。最後まで失くさないようにもっています。日展鑑賞は昔から好きで、高校時代からできる限り毎年一人で見に来ます。若いときは丁寧にみて、それほど疲れなかったのですが、さすがもう疲れます。私なりに鑑賞方法を作っています。先ず、パソコンで特別賞を受けた受賞者名、受賞理由が載っているところをプリントアウトして、それを読みながら鑑賞します。日本画、洋画、工芸、彫刻、書の中で工芸部門が大好きです。日本画や洋画は部屋数が多く、1号室には特別賞を貰った作品が多く並び、また著名な画家の作品が並んでいるので、10室までは丁寧に観ます。それ以外で知り合いの人の作品を見たい場合は、入り口に名前と何号室かの示されているので、それを確認して見に行きます。今回は、私の従兄弟の孫娘が、美大在学中に日本画部門で入選し、今年は2回目の入選になりました。 左側の絵です。また、デュディーオングさんの版画が好きで毎年入選しています。それから、こちらの洋画家で有名な人の作品、郷土に住んでいる書家の作品も、必ず鑑賞しています。10時から始まりすぐに2時間後にはお昼になるので、簡単なサンドイッチや飲み物を買っておき、休憩室でサッサと済まし、続けて鑑賞します。国立新美術館は他にゴッホ展もしているので、見終わって美術館を出たのは2時30分でした。ステンドグラスの部品を買いに材料店に行き、近くの姉の家に立ち寄り、それから羽田国際空港を見学して、帰ってきたのは9時でした。携帯の歩行計をみると3万歩以上歩いていました。あ~~くたびれた~~~
November 13, 2010
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今日は前から予定していた、日展を観に行く日です。入場料が今日のみ無料です。そして、同じ、国立新美術館で開催しているゴッホ展も観る予定で、朝早く、新幹線に乗り東京駅についた。いつも、パソコンで地図をプリントアウトしてそれを見ながら行動する。国立新美術館は、いつも地下鉄の乃木坂駅で降りるので、今日は六本木駅で降りる予定で、東京駅で降り、地下鉄の入り口をさがす。今は東京駅が一部改装中で、すぐわからず、改札口を降りて立ち止まりまわりを見回していると、すぐそばで、私と同じように地下鉄に乗るつもりで探していた人が、「地下鉄の小伝馬町駅への行き方を教えてくださいと」と話しかけてきた。アラ ファイブぐらいの人で、「東京へ転勤で3年間過ごさなくてはならないので、今日は初めて様子を見にきた」私が何も言わないうちに、アラファイブの人が言う。私「わかりませんね」と言うと「誰かに聞けばすぐわかりますよね」と軽く言うので、私「自分で調べたら、地下鉄の券売機のそばに路線地図があるからわかりますよ」と余計なことを言ってしまった。私も、ここから六本木駅までの路線を調べようと思っていたので、地下鉄の矢印の方向へ歩き始めた。そしたら一緒に並んで歩きはじめたのだ。「どちらから来たのですか」 長野からと言うと、「どこに泊まるのですか」 日帰りですよ、1時間15分で来れるから、まあ色々と聞かれる。朝は通勤者が多く、せわしく歩いているので、私も歩調を合わせ流れにのって結構忙しく歩いていると、どういうわけか、ダイエットして体が軽くなったせいか、意外と足運びがいいのだ。そして、私はマスクが大好きで出かけるときは、いつも防寒もかね、siwa隠しもかね、四角い大きなマスクでなく、なるべく小さいマスクをして、眼鏡が曇らないように、いつも鼻の上のバネをおさえて殆ど顔が見えない状態、そして帽子も被るのだ。乱暴な言葉をいい、歩きも早足で歩いていたので、何を勘違いしたのか「4時以降、時間があるので、お茶を一緒に如何ですか」なに、なに、 このばあさんをさそっているのかと、びっくり、マスクをしているので、わからないのだ。でもチョビットだけ・・・・「とても忙しいので、お茶のみの時間がもったいない、話をすることは好きではない」とはっきり断った。地下鉄の券売機の前にきて、それぞれの路線を探しているうちに、いつのまにかアラファイブの男の人はいなくなった。地下鉄の駅名をみると、隣の大手町駅まで歩いていた。ここから東京駅を経過、霞ヶ関で乗り換え、六本木駅に着いた。
November 12, 2010
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楽しいシャンソン教室の生徒達のコンサートです。知り合いの人がいることもありますが、指導してくださる先生の魅力もあり、何時も楽しく聴いています。今回はお教室が出来てから10年たちました。初回は、パンの花喫茶店のいつもあるシャンソン教室で毎年行われ、店内いっぱい入る人数で、ケーキと飲み物つきコンサートでした。シャンソンが好きで歌いたい人の殆どが素人の集まりです。なかには他の色々な合唱団に入っていて、お上手な方もいます。舞台では、シャンソンの歌詞にあわせた衣装をきて華やかに着飾った生徒さんが並びました。シャンソンの先生がピアノを弾き、ベース奏者も一緒です。ベースは今回初めてのようでした。生徒達が一所懸命歌っている時は、先生の弾く伴奏のピアノが目立つ時もあり、伴奏がめだたず、自然に歌詞と共に流れるように歌って上手に歌っている人もいました。シャンソンは歌詞がしっかりと聴こえなければ面白くないし、歌詞の内容にあわせた雰囲気が出ていなければなりません。皆さんは本当に上手に歌いこなしていました。また、写真にある絵はシャンソンの先生が描かれたもので、毎回もらう目録の絵も先生が描かれ、私はこの絵の絵が大好きで、初回からカタログを大切にしまってとってあります。今日のシャンソンはこのような絵の雰囲気でした。そして、絵の真ん中にいる、赤いドレスを来ている人が、先生によく似ているのです。明るくみんなに好かれる先生です。最後にピアノ弾き語りで、先生のはりのある声で歌ったシャンソンで終わりましたが、聴いていると、一緒にウキウキした気分になりました。本当に楽しいシャンソンコンサートでした。次回のパンの花シャンソンコンサートがもう楽しみになりました。
November 10, 2010
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私が自分史を自費出版して「まさこの窓」の小冊子を寄付をしました、愛知県にある文化フォーラム春日井から、全国公募でテーマは、「わたしの宝物」~心に染みた唄・詩&忘れられない友・師・家族~で、その後の人生にどのような影響を与えどのように生きたかを短い自分史にまとめてみませんか。と書かれた内容の公募の通知がきました。原稿用紙8枚以内のエッセイで、優秀作品は作品集に掲載され、掲載された人には作品集を1冊進呈でもらえることになっています。9月30日締め切りで早めに出し、結果発表は11月頃、そして、今日 11月8日、優秀作品に選ばれた通知がきました。私が書いた内容は、アメリカで知り合ったエレンさんと手紙のやりとりをして、エレンにお会いした当時の様子のことと、たくさん頂いたエレンさんの手紙は「わたしの宝物」であることを書きました。早めに「わたしの宝物」の原稿を書き提出していたので、すっかり忘れていました。作品集は来年2月頃発行されます。作品集ができるのです。うれしい~~:*:・。,☆゚'・:*:・。,ヽ( ´._ν`)人(´ν_.` )ノ ,。・:*:・゚'☆,。・:*:1冊は無料でもらえるので、私のいい記念になりそれこそ「わたしの宝物」になります。どんな作品集になるのか楽しみです。関連あるブログ 2009,7,20 「本をつくる」
November 8, 2010
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阿川佐和子さんの大ファアンです。パソコンで調べるともう既に発行されていた本で、急いで本屋から取り寄せました。2008年2月25日発行 もう6刷目にはいっています。最近の新聞で文庫本でも発行することになっています。単行本は高いです。もう少し待っていれば安い文庫本を買えたので残念です。佐川佐和子さんはエッセイスト、インタビュアー、司会者としてよくテレビにでて活躍している人です。数少ない小説を書くと必ず賞を貰っています。この写真の小説も,第15回島清恋愛文学賞を受賞しています。選考委員は 渡辺淳一 高樹のぶ子 小池真理子です。『婚約のあとで』 若い人の恋愛感情の心の変化を、真剣にまた面白く書かれていました。目録は、一人ひとりのことを書かれていて、この本の主役は波さん、碧、真理、優美、凩、宙、花、波さんになっています。この目録も面白い、全員女性ですが、個性のある人達で、まったく違った個性の女性象を作っていると感心するとともに、素敵な男性にもてて、うらやましい~~それでも、それぞれ自立心もあり、たくましく思える場面もあり、楽しい。主役の波さんの人物がどうしても作家の阿川佐和子さんの司会している、にこやかな表情が浮かびます。作家は結婚していませんが、今までの経験や知り合いの人達が、少しモデルとして書かれているのではないかと勝手に思ってしまいました。読みやすく、あきさせない文章で、この本も一気読んでしまいました。なかなか意味深長な楽しい恋愛小説でした。
November 4, 2010
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3ヶ月過ぎた頃、母は軽い肺炎にかかり近くの病院に入院することになりました。血圧が高く、医師も吃驚していました。血管が出ている手の甲をみると血液は流れているのがみえるのでした。物静かな母ですので、歩くのも静かにゆっくり歩き、転ばないようにいつも気をつけていました。話かけると返事はしっかりしていて、自分から話をすることはあまりありません。頭脳は明晰でボケてはいないようでした。病院を退院して、私自身色々考えて不安になってきました。このまま長野で過ごしていいのか、また夫に対する気兼ねもありました。兄達と話は出来ず、なにも言ってきません。長野に来た時は、ズートこちらに一緒に過ごすつもで居ましたが、実際に一緒に暮すと、夫に対しても申し訳ない気持ちがありました。また、兄夫婦にたいしても、これでいいのかと気がかりになりました。当時、父は養護老人ホームにはいっていました。「お父さんの顔を見にお兄さんの家に帰りましょう!」と母にいうと会いに行きたくないというのでした。でもどうにか説得して兄の家にいくことになりました。私の気持ちは、兄達の気持ちと夫への気兼ねでもう戻す気持ちで一杯でした。「お母さんごめんなさい」心の中であやまっていました。このことは母には話してませんでした。全ての荷物を自動車に積み、兄の家に行きました。兄嫁は近所の人から言われるのか、「もう長野につれていかないでください」と私を物陰に呼び言うのでした。その言葉を聞き、私から母のためにこのようにして欲しいことを頼んできました。「いつも休めるようにお布団を敷いて置いてください。そしてこのタオルケットがお気に入りなのでいつもかけてください」とお願いしました。まだ寝たきりではないのです。自分でトイレもお風呂も入れます。今までは兄嫁に何かをして欲しいと頼んだことは1回もありませんでしたが、今回はしっかりと頼んできました。長野に帰ることになり挨拶をして帰ろうとすると、母は一緒に帰るつもりでいたので、びっくりして、「つれて帰って」と涙を流していましたが、また来るからといって長野にかえってきました。こんな辛いことはありませんでした。あの時の情景がいつまでも忘れないのです。その後2年が過ぎ母は亡くなりました。お通やの日にお手伝いにいらした近所の人が「いつもの散歩をしていて、家のまえの玄関の石段に腰掛けて休んでいたわ」と話しいました。夫は、長野で母を見ているときは何も言いませんでしたが3ヶ月の長い間、私が母を見ていたことに対し、「オレの兄姉が何一つ文句を言ってこなかったのは、お前がオレの親父が遊びに来た時、よく面倒見たからだ」とボソっと言うのでした。
November 3, 2010
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私の母は明治生まれで、そして昔の女学校を出ています。勉強は大好きだったと話していました。成績は上位で、女子大に行きたかったのですが、実現しませんでした。女子大に行った人には女医になった方もいました。また、東京の広尾にある大きな病院の院長夫人になったかたもいました。この院長夫人が母の女学校時代の友達だったようです。そのお友達からハガキがきて、一度お会いしましょう!と書かれていました。「会ってみたら」というと首をふるばかりでした。とても会おうという気持ちはなかったようでした。しかし、母のそばにいつもハガキがあり女学校時代を懐かしんでいる様子でした。口数の少ない母でした。大きな声で怒鳴られ怒られたことがありませんでした。亭主関白な夫につかえ、我慢強く、いつも何かを考えている様子でした。母の口癖は 『馬鹿になれ』 『馬鹿になれ』 といつも言っていました。自分がいつも馬鹿であると思えばどんなことでも耐えられるという信念をもっていました。この言葉は私のどこかに残っていて、『馬鹿になれ』 の言葉にいつもまでも忘れられません。長野に来て2ヶ月が過ぎました。キツイ表情の顔が穏やかな顔になり、いつも私の姿を追って眺めていました。視力も弱く新聞も読まなくなりました。起きている時は、毎日、毎日、朝日新聞の天声人語を読んできかせました。とても喜んでいました。好きな記事だったようです。
November 2, 2010
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11月1日、私の母が亡くなってから30年経ちました。30年前は、私が自動車の免許を取得したばかりの時で、母に会いに行こうと自動車の練習を恐る恐るしていました。自動車の免許を取りたかった理由は、一人で簡単に会いにいけると思っていたのですが、とんでもないことでした。運転に自信がないのです。この運転で会いにいこうと考えたのが間違いでした。怖くてしょうがありません。それでも母のことを思い練習をしました。丁度、西に向かって自動車を走らせていると、夕陽がとても綺麗な日でした。家に帰ると母が亡くなった知らせを受けました。あの綺麗な夕陽は・・・・母のきれいな笑顔と重ねてしまい、お別れの挨拶だったかと思い涙が止まりませんでした。そして2年前のこと、なんとしたことを、私は母にしたのかと後悔の念で一杯になりました。亡くなる2年前、母は兄夫婦と一緒に暮していました。義姉が病気をして、暫く、長野で預かり面倒を見ることになりまた。私は喜んで迎えました。そしてもう兄夫婦のもとに返さず、長野で面倒を見る気でいました。高血圧で、体も衰弱して、太っていたからだは細くなり、家にいても座椅子に座り寝ていることが多く、何かしてあげると『有難う』『有難う』という母でした。医者には往診してもらいました。兄の家にいたころは兄弟姉妹は行きにくかったのですが、長野には入れ替わり母の見舞いに遠くからきました。どこかへ観光させようかとおもっても、疲れるから、見晴らしのいい場所にある家なので、山が見えて綺麗でしょうと聞くとはっきり見えない霧がかかっている状態だと言うのでした。恐らく白内障が進んでいたのではないかとあとから気がつきました。本を読むことの好きな母で、兄の家に行くといつも新聞や孫の教科書を読み、社会科はわかりやすく面白いと虫眼鏡で見ながら楽しんで読んでいました。続く・・・
November 1, 2010
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