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大阪市立桜宮高校の教師体罰問題、そしてそれに対する橋下市長の対応、これらにまつわるあれやこれやの報道に、日々繰り広げられている。私にもいろいろと考えさせられるところがあったが、ただ報道が過熱するにつれ、論点がどんどんぼやけていっているような気もしている。改めて問題を整理してみると.....バスケットボール部のキャプテンが、顧問の教師の体罰に耐えかねて自殺した.....単純に言えばそういうことだ。ここでまずやらなければいけないことは、当事者と周辺の人物に対する事情聴取、そこから事件の全容を明らかにすることだと思う。その上で当該教師に対する処分を下す。もちろん問題をそれで終わりにするわけではない。このような事件が起こった背景について、深く掘り下げていかなければいけない。そこにはまず第1に、指導者の指導力の欠如、というものがあろう。真に優れた資質を持った指導者ならば、体罰に頼らずとも、子供たちに結果を残させることができるはずだ。桑田真澄氏もインタビューの中で言っていたが、体罰とは「絶対服従」という前提の下で行われる暴力であり、その中身に正当性があるかどうかにかかわらず、それは“卑怯”以外の何物でもないはず。にもかかわらずそれに頼ってしまうのは、指導力不足と言われても仕方ないのではないか。そして第2に、いわゆる「勝利至上主義」、そしてそれを実現させる指導者への過度の依存があろう。実績を上げた教師に対して、学校関係者や保護者がモノ申すことができない、という現実がありはしないか。そしてそのあとに、学校の体質、ひいてはいわゆる「体育会系」体質、ということが問題になってくる。そう考えていくと、これはもう桜宮高校だけの問題ではなく、全国の学校すべてに関わってくることだ。現実に学校現場での体罰というものが、幅広く行われているということは、十分に想像できることだ。そして体罰というものは世代を超えて連鎖する、という厄介な一面も持っている。自分が若いころ受けた体罰をポジティブに捉えると、彼が指導者になった時に同じような体罰を行う、というわけだ。まずは今一度体罰の全面的禁止を再確認し、行ったことが明るみになった場合はいかなる場合であっても、程度の軽重を問わず厳正に処罰する。そして「体罰は悪」ということについてのコンセンサスを、教師、生徒、保護者の間で共有することだ。今まででもタテマエの上では禁止されていたものの、現場ではどこかでそれを許す空気があった可能性は否定できない。そんな空気を一掃する意味でも、公立校では教師の一校の在任期間に上限を定めることだ。部活動で輝かしい実績を上げた教師は、とかく同じ学校に長期間居座る傾向があるが、それをしてしまうと、ヘンにカリスマ性が醸成されてしまいかねないからだ。また教師から古臭い体育会系体質を抜き去る意味でも、常に最新のメンタルコーチングの理論の習得を義務付ける。新しいものと古いもののはたしてどちらがいいのか、という議論も起こるかもしれないが、体罰を使わずに済む可能性が少しでも大きいなら、迷わず取り入れるべきだ。第一、スポーツ先進国といわれるところで、いまだに体罰に頼っている国など、聞いたことがない。どちらにしても時間の掛かることには違いないだろう。しかし教育なんてそもそも、そんなすぐに結果が現れてくるようなものではないのではないか。「入試の中止」や「教員の総入れ替え」といった、一見唐突で小手先の施策を打ち出した橋下市長も、おそらくそのあたりのことは考えているに違いない。しかしこのところのマスコミ報道は、彼の言ったことの単なる是非に矮小化されてしまっていて、あまり問題の本質を突いていると言えない。それが少々残念だ。
2013年01月29日
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視聴者参加型のクイズ番組が「アタック25」だけになってしまって久しいが、昨年からNHKで新しい番組が始まっている。午後1時5分からオンエアされている「ホールドオン!」という番組がそれだ。まあ内容的に「アタック25」を凌ぐようなものではないが、今や希少な存在となった視聴者参加番組であるということに敬意を表して、ちょうど私の昼休みとも重なることもあり、欠かさず観ている。さてこの番組、詳しい説明はここでは省くが、毎日4人が出場する中でトップを争い、トップを獲った人はチャンピオンステージに進んで、前日までのチャンピオンと争い、その座を奪還するか、もしくはチャンピオンが防衛していく、という趣向だ。ちなみに今までの防衛記録は7回が最高で、なかなかこれを破る人が現れなかったのだが、つい先日、あっさりとこの記録が塗り替えられたのだ。その人は山崎さんという、40代の女性だ。そのおっとりとした風貌に似合わず、なかなかの知識量を誇っているが、それでいて時折垣間見せる自信なさげな表情や、一か八かの答えが当たった時の控え目な喜びの表情が、とてもキュートだったりする。ちなみに彼女の名前をググってみると、やはり只者ではなく、過去に「アタック25」に2回出場、うち1回ではトップを獲る、という経歴をお持ちだということも分かった。その山崎さん、あれよあれよという間に7回どころか、12回もの防衛を達成したのだ。そして13回目の防衛をかけた今日のオンエア、信じられないことが起こった。チャンピオンステージはお互いが5問ずつの問題に挑み、その合計点数を競うというものだが、問題は1問目から5問目に向かって次第に難しいものになっていく。その易しい方の最初の2問を立て続けに落としてしまったのだ。ちなみにその問題というのは、 [第1問] 山中伸弥教授が発見した人工多能性幹細胞をアルファベット3文字で何細胞という? (A:iPS細胞) [第2問] 「永遠の細胞」という曲を歌う、有名人を両親に持つシンガーソングライター・三浦祐太朗の母親は誰? (A:山口百恵)「山崎ウォッチャー」(?)の私が見る限り、これしきの問題なら彼女は難なく答えられるはず、と信じていた。ところが彼女の口から発せられた答えは、第1問が「ePS細胞」、第2問が「三浦ともえ」というものだった。彼女がご存じなかったとはとても思えないので、単なる勘違いとしか考えられないのだが、彼女のレベルからすれば信じられないようなイージーミスだ。結局そのあとの3問は難なく取ったものの、最初のミスが響いて挑戦者を上回ることができず、13回目の防衛は夢と消えてしまった。私も期待していただけに、何ともやりきれない気持ちでテレビを眺めていた。しかし彼女の実力はこんなものではないだろうから、たとえば年2回行われているTBSの「クイズ神」あたりで、またそのお姿を拝見できるのではないか、と密かに期待している。
2013年01月24日
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正月といえば、どうしても年賀状のことに触れないわけにはいかない。年賀状のことについては、過去にこのブログにもいろいろと書いたことがあったが、最近になって私の考え方にも、少しずつ変化が現れてきてるようだ。以前から気になっていたのが、日常的にほとんど、というかまったく接点が無くなってしまった方とのケース。何度か「出すのをやめよう」と思って、年賀状を出さずにいても、いざ向こうから来ると、やっぱりこちらからも返してしまう。そんなことを何年か繰り返していたが、それは心のどこかで「薄情なヤツだ」と思われたくない、という気持ちが働いていたからだろう。そんな方が何人かいたのだが、今年は思い切って、向こうから来ようがどうしようが、こちらから出すのを止めることにした。理由としては、おそらく双方とも“惰性で”やり取りを続けていた可能性が高いこと。仮に向こうが先に止めても、こちらとしては腹も立たないだろう、と思えたからだ。こういう場合、どちらかが思い切らないとね。今ひとつは、私自身が「シンプルさ」を求め始めた(かも知れない)ということ。以前だったら、せっかくの結びつきを、こちらからわざわざ切ることもなかろう、と思っていた。「結びつき」を、「人脈」と置き換えてもいいかもしれない。しかし、例えばツイッターでフォロワーを何万人と集める人がいたり、あるいは異業種交流会で何百人と名刺交換する人がいるが、のべつ幕なしに年賀状を送ることは、それらの行為に限りなく近い、ということを感じ始めたのだろう。そしてそれがもはや自分にとってはあまり意味の無いことだ、ということを悟り始めたということだ。そういう点が以前の私とは格段に違っているところだ。そしてこの先どうなっていくかは分からないが、「無意味なものに期間を費やすのは、もったいない」というスタンスは、おそらく大きく変わることはないだろう。
2013年01月07日
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