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ウチの店は1月決算なので、今日は年に一度の「決算店卸し」。夜遅く、寒い倉庫で在庫を数えるのは大変な作業だ。よく大きな店などでは、「店卸しのため休業します」なんてところもあるが、ウチにはそんなことをするほどの余裕はないし、もっともそこまで手間の掛かるほどの在庫量でもない。かといって家族(実質2名)だけでは大変だし、さりとてこのために人を雇うわけにも行かない。まあ、気合でがんばろう。
2007年01月31日
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最近、ビールを飲むときに、ちょっとこだわっていることがある。ビンであれ缶であれ、いったんグラスに移し替えて飲むというのは、基本中の基本だ。ただこのグラスというのも、一般的にはやや口径の狭い、小振りのグラスというのが多いかと思う(あるいはタンブラーとか)。私が今使っているのは、ウイスキーの「ロックグラス」のように、口径が広いものだ。ここに、泡がそこそこ立つようにビールを注ぐ。そしてこのビールも、冷蔵庫から出してスグではなく、少し室温に馴染ませてから開ける。これだけだ。ビールの温度を少し上げてから、口径の広いグラスに注ぐことで、より香りが立つようになる。また口径の広いグラスを使うメリットは他にもある。これは私の勝手な持論だが、ビールは口をすぼめて飲むよりも、口の端から端までグラスが当たるくらいの広い範囲で口に流し込んだ方が、そのふくよかさがよりいっそう引き立つ、そんな気がするのだ。そして口に流し込んだら、そのまま喉へ送り込むのではなく、いったん口に含んで舌の上でしっかり味わいたい。よく「ビールはノド越しの旨さだ」と言われるが、そもそもビールは清酒やワインと同じ「醸造酒」のカテゴリーに入るお酒だ。清酒やワイン同様に、香りや味わいをもっと楽しまなければ損だろう。もちろんすべてのビールにこういう味わい方が相応しいとは限らないから、その点はご了承いただきたい。
2007年01月29日
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店のパソコンが壊れた。 電源スイッチを入れてもファンは回るのだが、そこから先はウンともスンとも言わない。 早速、購入した家電量販店へ持ち込み、修理を依頼した。 今回はキチンとバックアップを取ってあったので安心には違いないが、それにしてもこの機械、ちょっと故障が多過ぎ。 3年ちょっとでなんと4回目なのだ。
2007年01月27日
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今日コンビニで見つけたお菓子↑ 「白鹿」の吟醸酒粕を使用したソフトキャンディだ。 まあ本当に甘酒の味がするかといえば、しないこともないし、美味しくないかといえば、決してそんなこともない。 ただそれだけの商品だ。 何だか解りづらい説明だが、少なくともまた買い求めたいというものでは無い。
2007年01月25日
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一昨日ぐらいから、またまた鼻炎アレルギーの発作が始まった。花粉症の発症時期には少々早いが、というよりも私の場合、昨年はとうとう何月になっても治まること無く、小康状態を保ちつつも今まで延々と続いていた。それがここ2~3日、クシャミと鼻水がちょっと目立ってきたのだ。昨シーズンは市販薬を服用していたが、クスリ漬けになるのはイヤだからと、昨年の秋あたりからは飲んでいない。だから今年に入っても、よっぽどひどくなるまでは絶対に飲まないようにしよう、と心の中では決めていた。ただ今日はいろいろと予定がある。まず名古屋で開かれているワインの試飲会に出掛ける。鼻が詰まった状態ではワインの味も分からなくなる。どうしようかと思案していたものの、いざ現地に赴くとあら不思議、会場に入ったら鼻炎のことなどすっかり忘れていて、気が付けば2本の穴はしっかりと通っているのだった。おかげでワインの試飲はつつがなく終えることができたが、帰ってくるとまた鼻水が出てきた。夜は夜で、中小企業家同友会の例会に出席する。ここでも話を聴いている最中に鼻水やらクシャミやら出てきたらみっともないが、仕事にかまけて開始直前にギリギリで駆け込んだときには、そんなことはすっかり忘れていて、例会の間も気にすることすら無く過ぎていった。結局、「ここでアレルギーの発作が起こったら厄介だな」と思える状況では、全くそれが起きなかったということだ。これはどういう訳なんだろう?ことさら気合を入れているつもりは無いのだが、やっぱり精神的なものが大きいのかもしれないな。
2007年01月24日
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なんだかまたワケの解からないことが起きている。「ビートルズ生演奏で著作権軽視、バー経営者に有罪」ピアノの生演奏がウリのバーで、最初はショパンなどのクラシックを演奏させていたところ、客のリクエストに応じてビートルズなどのポピュラーソングを演奏していたことが、著作権法違反に当たるのだという。その店がJASRACから目を付けられて、幾度と無く勧告を受けていたにもかかわらず、その都度無視し続けたために、JASRACが刑事告訴に踏み切ったということだ。まず、こういった場での生演奏が、著作権の対象になるということに驚いた。カラオケ機器を設置しているスナックなどが、JASRACに対して使用料を払っているというのは聞いたことがあるが、カラオケというのはソフトとしてパッケージングされたものだから、生演奏はまた全然別の次元のことかと思っていた。まあ百歩譲って、生演奏が著作権の対象となることを納得したとしよう。ではその徴収はどのようになされるのだろう?よもやそこで演奏される1曲1曲についていくらずつ、という徴収ではあるまい。これはあまりにも非現実的だ。おそらくはそういった店1軒に対しての使用料が、おのずと決められていると推測される。ではもしそうだとしたら、その基準は何なのか?店の大きさ? 席数? あるいは店の形態によっても金額に差が出るのだろうか?またもし演奏される曲が100%そのミュージシャンのオリジナル曲だったら、本来全く払う必要は無いと思うが、そのあたりはどうなっているんだろうか?私もかつてライブハウスで演奏していたときには、レパートリーはすべてカヴァー曲だったわけだが、そのときにはそんなこと露ほども考えたことが無かったな。とにかく私にも分からないことだらけだが、どちらにしても今回のように刑事告訴に至るなんて事態は、とても尋常ではない。著作権そのものを否定するわけではないが、なんだかここの店主がスケープゴートにさせられてしまったような気がしてならない。
2007年01月23日
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かねてより今年に入ったら、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』(全8巻)を読もうと決めていたので、昨日本屋で購入してきた。本屋の書棚から、右手の親指と中指を目一杯開いて、この本の1巻から8巻までをまとめて鷲掴みにして、そのままレジへ持っていった。その行為が何とも心地良く、また帰り際に、私が本を取ったあとの書棚の空間が目に入り、それが何となく清々しかった。そういえばこの話、近々NHKでドラマ化されると聞いた。それが始まるまでに読んでしまわないと。
2007年01月22日
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現在の納豆ブームのきっかけになった某局のテレビ番組で、架空のデータや実験結果を放送していたという。私はこのニュースが明るみになろうがなるまいが、こういった番組から何かの食品が突如ブレイクする現象には嫌悪感を抱いていた。過去にも数限りない食品がいろんな番組で取り上げられ、そのたびに店頭で品切れを起こす騒ぎとなっていた。しかしそれも、喉元過ぎれば何とやらで、永きに渡って売れ続けたためしがないし、それをキッカケに日本人の健康状態が飛躍的に向上したという話も聞かない。理由は簡単、そもそも健康というものは、カラダ全体をトータルな視点で考えなければ意味の無いものだからだ。「○○に含まれる△△が、からだの××の部分に良い作用をする」という話を聞いて、人々はこぞって○○を摂り続けるが、それは確かに××の部分には良いのかもしれないが、別の部分に悪影響を及ぼす恐れもある。また○○に含まれる成分のうち、△△とは別の成分がカラダに支障を来たすこともあるかもしれない。しかもそういったことは、番組では一切触れない。とにかく体の一部分だけを集中的にケアしても、全体的なケアを怠っては何もならない、ということをすべての人がもっと知るべきだろう。その全体的なケアというのが、「バランスの良い食事」と「規則正しい生活」であることには、おそらく異論は無いだろう。とにかく健康情報を取り上げるテレビ番組というのは、くだらない番組が蔓延する中にあっては、ひときわ「良心的」に見えてしまうが、これとて所詮は視聴率競争も絡んだ、あらゆる利権が錯綜する状況の中で作られているわけだから、話半分ぐらいに聞いておかないといけないだろう。
2007年01月20日
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ウチの店の店頭には、「幕」が垂らしてあった。「幕」といっても、これだけでは少々解かりにくいかもしれない。「のぼり」とか「旗」とも違う。日除けでもあり、ディスプレイでもあり、広告宣伝でもある、そんな用途のもので、幅1メートル弱、縦の長さが2メートル弱というものだ。よく老舗の商家などで、軒から下げられた幕の先にひもを付け、その先に重しの石を括りつけてあるものを目にすることがあるが、それに近いものだ(ただしウチのは重しに括りつけてなくて、ただ垂らしてあるだけだ)。さてこの「幕」がどうしたかというと、冒頭で“垂らしてあった”と過去形で書いたように、無くなってしまったのだ。盗まれたのではない、ある風の強い日に飛ばされてしまったのだ。私は、いくらなんでもこんな物が飛ばされるなんてことがあるわけない、と思い込んでいたので、下の重しも付けず、上も軒にキチンと固定せずに、ホームセンターで購入した壁掛けフックにちょこんと引っ掛けただけだった。重しは付けてなかったが、裾の部分は掛け軸に通してあるような棒状のものを通していたので、多少は違うだろうと思っていた。それが私の予想に反して、見事に飛んでいってしまったのだ。飛んでいった瞬間を目撃したわけではないが、その日は朝から結構煽られていたから、まず間違いないだろう。よもやそんなことはあるまいと思っていたから、正直「ウッソー!」という感じで、さすがにちょっとガックリ来てしまった。探しに行ってみようかとも思ったが、どこへ飛んでいったのか皆目見当がつかない状況で探しに行くなど、あまりにも非効率だと思い、そのままにしていた。ところが今日、なんとそれが見つかったのだ。ウチの店から200メートルほど離れた、使ってるのか使ってないのか分からないようなボロボロの倉庫の片隅に、見慣れた色合いの布切れがクシャクシャになって落ちているのを、たまたま通りかかった妻が見つけたのだ。幸い手を伸ばせば届く所だったので、そのまま持ち帰ったという。さすがに汚れてはいたものの、破れたり穴が開いてたりということは全く無い、無傷の状態で帰ってきた。しかしこれ、果たしてここまで飛ばされてきたのだろうか?ウチから200メートルとはいえ、その間には大きな国道も走っているし、そこそこ高い建物も幾つかある。飛ばされてもどこかで引っ掛かると考えるのが順当だろう。さすれば例えば誰かの車に引っ掛かっていたものを運転手が気が付いて、そこいら辺に棄ててきたということもあるかもしれない。今となってはどちらかは分からないが、それにしてもこの「幕」がまるで『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる『一反木綿』さながらに、フワフワと宙を舞う光景を想像すると、なんだか可笑しく思えてきた。
2007年01月19日
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今日買い物に出たついでに、スーパーで不二家のチョコレートを買い求めた。全国的に不二家製品の撤去が進んでいるが、この店にはまだ置かれていた。何でこんな時節に.........と思われるかもしれない。私も不二家のチョコレートが特別好き、というわけではない。社会的に不祥事を働いた企業に対しては、消費者は抗議の意思を表すべきだと思う。具体的に言えば、「商品を買わない」という行動が最も手っ取り早い。ただ抗議されるべきは会社の上層部の一部の人間であって、その不買運動のあおりを受ける何千何百の一般社員にとっては、これは非常に辛いことだ。私は、そうした人達は応援したい。会社そのものを糾弾しつつも、同時に社員に利益をもたらすことのできる行為というのは、消費者の立場ではなかなか考え付かない。それで、せめてもの気持ちとして不二家のチョコレートを買った。そうすることが正しい行動なのかどうか判らないが、少なくとも、「あんな会社の製品など誰が買うか!」といった、短絡的な発想になるのだけは避けたかった。もちろん安全性に著しく問題があれば、話は別だが。
2007年01月17日
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先日チラッと「バラバラ殺人事件」について触れたが、まあ昨年末から続けざまに3件もこういった事件が続くなど、一体日本はどうなってるんだろう、と思わずにはいられない。昨年はいじめによる自殺が全国で相次いだが、これについてはある意味、マスコミ報道がこれを誘発し、一種の「流行」となったのではないか、いう指摘もあった。そうすると今回の「バラバラ殺人」も、不謹慎な言い方をお許し頂ければ、同じような「流行」と言えるのだろうか?まあそれはさておくとして、人を殺めるということは、日常滅多にあることではないし、もちろん決してあってはならないことだ。しかしその上に、その死体をのこぎりや包丁で切り刻むという行為は、どう捉えればいいのだろう?「猟奇的」と言われるようなケースだけではないだろうが、どちらにしても正常な精神で出来ることではないと思う。まあ、人を殺してしまった直後の加害者の心境など、我々には到底知る由もないが、通常では考えられない思考が働くということは、考えられないことではない。ただ「肉体に対する畏怖」という観念が昔とは随分変わってきているんじゃないか、ということは言えるかもしれない。古から人間の死体は「ホトケ」として、丁重に扱われている。司法解剖すらも拒否したという話も聞く。それだけ、たとえ亡骸であっても、人間の肉体に対する畏怖の念は、日本人のDNAの中に刷り込まれているはずだ。ただ最近の「バラバラ殺人」の例を見る限り、死体はただの「物体」でしかない。しかも死体を切り刻んだ後ですら、平然と日常生活を送っているこの図太い神経。ただそういう神経は、特定の人だけが持つものなのかどうか?もちろんごくごく一部の人のやったことで、全体を括るのはどうかとも思うが、例えば渋谷の事件の犯人である被害者の妻のように、「1人では重くて運べないから切り刻んだ」という、ある意味合理的な考え方。あまり考えたくないことだが、もし私が何かの弾みで誰かを殺してしまったとして、この事件の加害者のように「一刻も早く死体を目の前から取り去ってしまいたい」という激しい思いに駆られたとき、自分を完全に見失った状態で、この妻のような行動は絶対取らない、と自信を持って言えるかというと、正直ちょっと心許ない。一体日本人の感覚は、どこでひん曲がってしまったんだろうか、などと嘆くことはたやすい。しかしひょっとしたら、私をはじめとして多くの人の心の奥底に、自分では気付かないようなそういった狂気が潜んでいるかもしれない、と考えると、非常に空恐ろしいのである。
2007年01月16日
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昨日、『007・カジノロワイヤル』を観てきた。実を言うと私、『007』シリーズを観るのは生まれて初めてなのだ(関係ない話だが、『男はつらいよ』も全く観たことがない)。アクション物が嫌い、というわけではないのだが、単に今まで「縁が無かった」としか言いようがないのだ。そういう立場でこの映画のことをあれこれ語るのはおこがましいし、毎シリーズ観ておられる方に失礼かなとも思ったが、素人なりの感想を言わせてもらえば、とにかく「スゴかった」と言っておきたい。ダニエル・クレイグの体を張ったアクションシーンや、観ている方が背筋が寒くなるようなスタントシーン、そして大掛かりなセットの爆破・崩壊などのシーン(まさかCGじゃないだろうな)など、いずれも想像をはるかに超える迫力だったし、ラストに向けて何度もどんでん返しが繰り返される「読めない展開」には、結構ハラハラさせられた。多くの方がこの作品を、『007』シリーズの最高傑作と評するのも、何となく解かる気がする。それはそうと、今回は何作か振りにジェームス・ボンド役の俳優がチェンジしているので、初めて観る私には関係ないが、以前から観ているファンには違和感があったかもしれない。息の長いシリーズだけに、ずっと同じ俳優を使い続けるというのも無理があるのだろう(そう考えると、今回新たに『ロッキー』を撮るシルベスタ・スタローンはスゴイな)。そういえば日本にも同じようなパターンで続いてるのがあったなー。................そうだ!『水戸黄門』だ!
2007年01月15日
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今日は待ちに待った(?)お年玉付き年賀はがき当選番号発表の日だ。どうせ大した物が当たるわけでもないのに、みんな手持ちのハガキをチェックする作業が妙に好きで、ともすると取り合いになってしまうほどだ。このチェックの仕方にもいろいろと流儀(?)があって、私がいつもやっているのは、まず当選番号を「下2桁」の数字ごとにまとめて書き出すやり方だ。これだと何等賞であっても、とりあえず「一の位」と「十の位」だけ見ていけばいいから、私の知る限りではこれが最も迅速に調べられる。ちなみに今年の成果は、店の関係が3等が5枚、プライベートでは同じく3等が2枚のみ。まあ毎年だいたいこんなもので、1等はおろか、末等以外が当たった記憶などほとんど無いのだ。そういえば子供の頃、自分が出した年賀状の番号を全部控えておいて、人のところに出した年賀状の番号までチェックしていた、イヤらしい奴がいたっけ。もっとも人に出したのが当たっていたから返せ、などというわけではなかったのだが。
2007年01月14日
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ウチは現在ケーブルテレビを通してデジタル放送を観ているが、どうも昨年末あたりから画像がおかしかった。最初のうちはピリッと画面に瞬間的にモザイクのようなものが走る程度だった。しかもごくごく特定のチャンネル(BSやCSなど)に限ってのことだった。それが日が経つごとにだんだんとエスカレートし、日によって程度の差はあるものの、わりと恒常的に画像の乱れが起こるようになり、ひどいと全く放送内容が分からないような時もあった。そこでいよいよしびれを切らせて、ケーブルテレビ会社に修理依頼をし、先日見に来てもらった。ウチのケーブル回線は設置してからもう結構年月が経っているから、おそらくそれによるケーブルの劣化が原因だろうとの診断だった。全体的にケーブル配線を付け替えないと、根本的には解決しないようだ。このケーブルも敷設してからもう10数年経っているが、なんでもケーブルテレビ会社の人によると、このケーブルそのもののメーカー保障期間は「8年」だそうだから、ボツボツ耐用年数に達しているのかもしれない。というわけで、今日工事に来てもらった。前の配線は壁の中なのでそいつは殺してしまうことにして、壁伝いに新たに敷設した。〆て14,700円.........高いんだか安いんだかよく分からないが、こういうのは値切ることが出来ないし、なかなかいい商売だよなー(イヤなら止めとくよ、なんて言われても困るし......)。
2007年01月13日
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新宿・渋谷のバラバラ殺人事件で、被害者の妻が逮捕されたことで、今朝のワイドショーではその話題で持ちきりだった。事件の本質についてはまたの機会に譲るとして、ある番組を観ていてちょっと気になることがあった。この事件の舞台になった渋谷区内の賃貸マンションが、家賃30万円だかの高級物件だったこともあり、レポーターはこの夫婦のリッチさをことさら強調したかったのだろうか、こんなようなことを言っていたのがちょっと引っかかった。「......逮捕された○○容疑者は、ワインの瓶で頭を殴って殺害させたということですが、“ワインの瓶”というところにもこの夫婦の優雅な暮らし振りが窺えます.......」ただちなみにこのレポーターは、「何の」ワインの瓶かというところには言及していない。これが例えばボルドーの5大シャトーだとか、ブルゴーニュの銘醸畑のワイン並みの高額モノなら、そういう言い方でも納得できよう。しかしもしかすると、500円ぐらいで売っている国産ワインあたりかもしれない。要は価格の高低など関係なく、「日常的にワインを飲んでるなんてヤツは金持ちなのだ」という短絡的なイメージが、件のレポーターの頭の中に巣食っていたのではないか、そう思えてならない。言うまでも無く、一時のブームは去ったとはいえ、ひところのことを思えばワインは確実に日本人の生活の中に浸透してきつつある。価格的にも値頃なものも多く出回っており、昔のように「ワインはブルジョワの飲み物」などと思っている人はほとんどいないだろう。ただ敷居の高さは相変わらずで、それが私たちが更なるワインの普及を進めていく上での最大のネックになっている。その敷居の高さを高くするのも低くするのも、ひとえにマスコミの扱い方が大きなカギを握っているとも言える。我々としても常日頃から、ひとりでも多くの人にワインに親しんで欲しいと思っているのだが、そんなマスコミの人間の口から、先ほど引用したような発言が飛び出してしまっては、元も子もない。「ふーん、やっぱりこういうところに住んでる人達って、いっつもワインなんか飲んでるのねー。さすがに発泡酒ばっかり飲んでるウチとは違うわねー。」などという感覚を視聴者に持たせて欲しくないのである。たぶん他の方が同じ番組を観ていても、何の気無しに聞き流していたであろう、ちょっとしたコメントだっただろうが、どっこいリカーマンには過敏に反応してしまったのである。
2007年01月11日
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初めて携帯から更新してみた。やってみると意外と簡単だったが、私は基本的に携帯で文字を入力するのが嫌いなので、おそらくこれからはあまりすることは無いだろう。ちなみに写真は、今日の配達先でちょっと立ち止まって撮ったものだ。--------------------------------------------------------(ここから先はパソコンで更新)あれれ、せっかくの写真が向きがおかしくなっている。送信する前に90度反転させておかないといけなかったのかな?(ただやり方がよく分からないが)まあ、初めての挑戦には、失敗は付き物だ。--------------------------------------------------------(再度更新)写真を入れ替えた。今度こそ大丈夫だろう。でも改めてみると、なんだかワケの分からない文章になってしまった。
2007年01月10日
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今年の年賀状もあらかた届き終わったようだが、それらを見ていてふっと気が付いたことがあった。パソコンで作成されたものも多くなったせいか、全体的に写真をあしらったものがかなりの比率を占めているが、その中でも家族「全員」が写っているものが多くなってきた気がするのだ。ひところ年賀状と言えば、子供の写真をデーンと前面に押し出して作られたものが、圧倒的に多かった。ただ私はそういった風潮に、少なからず違和感を覚えていた。だって冷静に考えれば、自分が知り合いなり友人に出す年賀状であって、子供が出すわけではない。そんな年賀状に、彼らと何の関係も無い子供の写真を使うのは、いかがなものだろうか。そう思っていた私は、長男が生まれて最初の正月だけは、長男が単独で写った写真を使ってしまったものの、それ以降は一貫して「家族全員で」納まった写真を年賀状に使用してきた。これならば子供だけでなく、自分たちの近況報告を兼ねることも出来るからだ。当時はウチへ来る年賀状の中にも、「家族全員で」写真に納まっている年賀状などはほとんど見かけなかったから、今になってそういうものが多くなってきた現状を見ると、ちょっと偉そうな言い方を許していただければ、「時代が我々に追いついて来た!」という思いだ。やっぱり見る方としても、子供の成長度合いも悪くは無いのだが、「おー、コイツもそろそろ頭ヤバくないか?」などと、当の本人の近況を気にしたいのだ。本来年賀状なんて、そのためにあるようなものだとも思うしね。ところで長年「家族全員」の写真にこだわり続けたウチの年賀状だが、今年は写真を使わなかった。特に深刻な理由があるわけではなく、単に「適当な写真が無く、新たに撮るのも面倒臭かった」というだけのことだ。いや、私自身は撮る気満々だったのだが、子供が「もう、写らなくてもいい」と言っていたのだ。まあ、ある程度の年頃になると、「親と一緒に」ということに幾らかでも嫌悪感を覚えてくるものだろうから、そこは私も無理を通すつもりも無かった。その代わりに「お父さんとお母さんの2ショットで写れば」と、子供からの提案があったが、さすがにそれは妻の方が拒否した。私もそれはちょっと、気恥ずかしいものを感じないではなかった。しかしウチに来た年賀状を改めて見てみると、お子さんが大きくなられたお宅では、意外と熟年夫婦が2ショットで写真に納まっているものも何通かあった。ひところでは考えられなかったようなパターンだが、今や自然になってきているのかもしれない。ただ失礼ながらどの写真を見ても、熟年夫婦の2ショットの写真はどれも少々表情が硬い感じがする。昔の『チャーミーグリーン』のCMのように、とまでは言わないが、私たちも自然な表情で2ショットに納まることの出来るような、素敵な年齢の重ね方ができれば良いのだが、と今からそんなことも考えたりした。
2007年01月08日
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昨年から尾を引いている「飲酒運転取締り強化」は、意外な所にも影響しているものだ。報道によると、今年の正月は各地の神社などで、お神酒の振る舞いを自粛する所がかなり目立ったということだ。これには賛否両論あるだろう。今や飲み屋でも、クルマで来ていると分かっているお客に飲ませるだけで、罪に問われかねない時代だ。神社が自粛しようと言う考えも分からないではない。ただ私は反対だ。いや、反対と言うよりは、こんなことをしなきゃいけないということが、情けなくて仕方が無いのだ。基本的にこういう問題は、運転者の自己責任だ。神社側が「無理やり」飲ませでもしない限りは、神社側が非を感じることは無い。だいたい飲酒運転がいけないのは昔から当たり前のことだが、例えば昨年や一昨年の正月にそういう機運があっただろうか?すべては昨年8月の福岡の事故以来のことだ。ただ冷静に考えれば、あの事故を機に法律が変わったわけではない。なのにその後いきなり、酒の提供者の「モラル」が問われるようになった。今までモラルが低すぎた、ということもあるかもしれないが、だからと言って神社のお神酒のように、古来から続く風習にまで風穴を開けるようなことなのだろうか?とにかくこうやって周りの状況から整備していかないと、物事の善悪をわきまえた行動が出来ないなんて、なんだか日本人も非常に情けない人種に成り下がってしまったものだ。とにかく一部の馬鹿者どものせいで、その他大勢の楽しみが奪われるなどということは、これっきりにして欲しい。
2007年01月07日
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正月2日は、千葉マリンスタジアムに出掛けた。千葉ロッテファンの長男が、球団HPで目ざとく見つけた、「新春初投げ会」というのがあるのだ。どういうものかというと何のことは無い、グラウンドを開放して、思う存分キャッチボールを楽しんでもらおうという企画だ。もちろん危ないことでなければ、キャッチボール以外のことでもOKだ(縄跳びをするのも、羽根突きをするのも)。そこで人数分のグローブを持って家族全員で出掛けたのだった。しかしさすがにすごい人で、キャッチボールとは言っても、たいして長い距離を取ってやることは出来なかった。それでも本物のプロ野球の球場でキャッチボールをすることなど、そうそう有るわけは無く、それだけでも得がたい経験になった。こういうお金の掛からない試みを地道に続けていくことが、球団のファンを、ひいてはプロ野球のファンを作っていくんだよな、そんな気がした。そして球場の外には特設屋台があって、食べ物や飲み物を販売していたが、こちらの方はちょっとお粗末。かなりの人が来ていたわりに、まともに食べる物がラーメンと焼きそばくらいしかないのには、ちょっと閉口した(しかもたいして美味くないし.....)。しかしこの時、ちょうど自主トレのために球場にやってきたマリーンズの大塚明選手が、おしるこの売り場に立って売り子の手伝いをするという、サプライズもあった(急遽借り出されたんだろうな、きっと)。間近で見る大塚選手はカッコ良かった。おしるこを売りながらサインもしていたから、「おしるこ売り」なのか「サイン会」なのかよく分からなかったが、残念ながら私たちが並んでいた列の3人前で打ち切りになってしまった。そしてムスメ達向けの企画としては、さすがに親会社が親会社だけあって、『ロッテのお菓子詰め放題』というものが用意されていた。1,000円払うとビニール袋が手渡され、それにお菓子を好きなだけ詰め込めるというものだ。しかしこちらもちょっと期待はずれ。というのも、行った時間はたいして遅くないはずなのに、そこには『コアラのマーチ』しかなかったのだ(正確に言えばその他にも『ビックリマンチョコ』もあったのだが、こちらは「1人5個限定」という“縛り”が設けられていたから、実質的には『コアラ』のみだ)。係りの人は、最初はもっと他のお菓子もあったのだが、早々に無くなっていったと言うが、どこまで本当か疑わしい。しかし一旦列に並んだからには、子供も期待していたことだしここで止める訳にもいかず、結局一人当たり『コアラのマーチ』が10個ちょっと詰められるので、2人分でなんと20数個の『コアラのマーチ』を持って帰る羽目になった。さすがにこれを全部食べたら、途中で嫌になりそうだ。そこでとりあえず無理なく食べられる分だけ取って、残りは店で売ろうということになった。ただウチの店で、酒のつまみにもならないようなチョコレート菓子が売れるとも思えない。おそらくいずれは、子供連れで来店するお客に対するサービス品となってしまうことだろう。
2007年01月06日
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元日はいい天気に恵まれたので、道中でも富士山の雄大な姿を拝むことが出来た。写真は、東名高速の富士川サービスエリアで撮ったものだ。ところで今日のこの富士山、ちょっと変わっているのがお分かりだろうか?下の拡大版の写真で見るとよく分かるのだが、頂上の少し下あたりにうっすらとスジ雲が通っており、その上にはちょうど富士山の頂上に覆いかぶさるように、ふわふわの雲が乗っかっているように見える。ちょうど富士山が笠を被ったような光景なので、これを『笠富士』と呼ぶ(今、考えた)。サービスエリアの展望台にいたオネエサンに訊いても、こんな光景はあまり見たことがないとのことだ。ただこの写真の地点からはそれなりにはっきり見えるが、最初もっと遠くから見たときには、雲を被っているのが分からず、富士山が途中でスパッと切れて、上の部分が宙に浮いている、という奇妙な見え方だったので、少々気味が悪かった。しかし新年早々、面白いものを見られて、ちょっと得した気分になった。余談だがこのサービスエリアには、富士山を中心にその周りの地形を再現したジオラマがあり、これがなかなか良く出来たものだった。そこでふと思い出したのが、百人一首に出てくる山部赤人の有名な歌、「田子の浦に 打ち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」だ。実はウチの子供たちはちょっと前から百人一首にハマっていて、当然この歌も知っている。知っているとはいっても彼女らにしてみれば、決して意味が分かっているわけではないので、これはいい機会だと思って、ジオラマを前に解説をしてやった。「ほら、ここに田子の浦があるやろ。ここから船で沖に出て振り返ると、富士山がこういう風に見えるんやで。その光景を詠んだ歌なんやで。」非常に分かりやすかったようだ。ただ今の田子の浦は、コンビナートの煙突が立ち並んでいるが.......。
2007年01月05日
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あけましておめでとうございます。旧年中は私なぞのブログに足をお運びいただきまして、本当にありがとうございました。今年も頑張って書いていきますので、読み手の事を全く考えない身勝手な文章ですが、お付き合い頂ければ幸いです。---------------------------------------------------------------------------というわけで、元日から3日まで店を休んで、妻の実家に帰省していた。いつものようにクルマで出掛けたのだが、今回は昨年の秋に新車に買い替えて初めての帰省ということで、楽しみもひとしおだ。というのも、今回クルマの買い替えを機に、とうとうETCの導入に踏み切ったからだ。今回の帰省で高速に乗るのが、ETCの初使用だ。最初の高速の入り口に差し掛かる。ゆっくりと、いつもとは違う「ETC専用」と書かれたレーンに車をすべらせる。目の前のゲートは閉じられている。本当にこんなもので、あのゲートが開くのだろうか?家族全員が半信半疑だ。もしもこのETC車載機が不良品で、ゲートが開かなかったらどうするのだろう?誰かが不安げに言った。いや、確かあれは発泡スチロールみたいな脆い物だから、いざとなれば突き破って行けるぞ。私は変な確信を持って言った。そうこうしているうちに、目の前にゲートが迫ってきた。そして次の瞬間、まるで魔法のようにゲートがポーンと開いた。直後、車内では「おぉ~」という歓喜の声がこだました。まるで私たちのクルマが通るのを察知するかのように(いや、本当に察知しているんだが^_^;)、ゲートが開くのを見て私は思った。「こりゃ、まるで“顔パス”だな」でも、料金は後でしっかり取られるけどね。しかし、たかだかETCくらいでここまで感動できる我が家は、つくづく単純に出来ている。
2007年01月04日
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