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真ん中のムスメ(中3)の受験シーズンがいよいよ始まる。とりあえずは明日、すべり止めの私立の試験に臨む。ただ、本命はもちろん県立校だ。親として臨む受験は長男に次いで二度目なので、今回はずいぶん精神的に余裕がある。ただ2回目だから、というよりは、この真ん中のムスメが実に「石橋を叩いても渡らない」タイプのヤツだから、ということもある。長男のときは、客観的に見てかなりキビシイかな、というところに果敢にチャレンジして、あえなく散ってしまった。ところが真ん中のムスメは真逆の性格なのだ。親も学校も塾も、今の志望校でまず大丈夫だろう、という判断をしているのだが、当の本人がどうも不安がって、いけない。彼女はとにかく真面目で、勉強もコツコツとやる。しかし前述したような性格なので、今ひとつ自分の実力を、過小評価してしまうきらいがある。彼女の場合は、いかに今までの積み重ねを自信として発揮させられるか、この一点に尽きるだろう。ちなみに彼女の志望校は、長男がチャレンジして落とされたのと同じ高校だ。こんな場合、「リベンジ」などという言葉を安易に使うべきではないのだろうが、私たち親の気持ちからすると、長男が果たせなかった夢を彼女には叶えさせてやりたい、そんなこともつい考えてしまうのだ。もちろんそれが故に、彼女にプレッシャーを掛けるようなことではいけないが。どちらにせよ、やるべきことはやった(と思う)。あとは天に運命を任せるだけだ。
2011年01月29日
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前回の話しの続きにもなるが、今や酒販業も、ITを抜きには語れなくなってきつつある。そしてそのもっとも具体的な事象として、楽天などのネット通販にその活路を見出す人は多い。私も機会があれば、いや、近いうちにネット通販に乗り出そうという気持ちはある。ただいわゆる「ショッピングモール」はちょっと引っ掛かるのだ。例えば楽天に出店している知り合いなどから話を聞いていると、いくらいくらの固定経費がかかるので、それをペイするためにはこれだけ売らなければいけない、それだけ売るためにはこれこれの広告を打ったり、ポイントの付与を増やしたり.......といった具合らしい。そして売上金額は把握できても、具体的にどれだけ儲かっているのか、というのがなかなかハッキリしないそうだ。要は、「数を売るための商売」になっているということだ。もちろん商売である以上、ある一定の売上を上げなければ商売は成り立たないし、それに対する目標というのも必要だろう。しかし「数を売るための商売」という意識が先走ってしまうと、それは大手資本の小売業と同じロジックになってしまわないか?とかく「数を売る」ことにこだわると、どこかで無理をしてしまうというのは世の常だ。そしてそれはたいてい、「価格競争」という形で現れる。現に楽天の中では、すでに価格競争が起こっている。「楽天最安値」などという言葉もあちこちで踊っている。こうなるともう、スーパーの安売り合戦さながらの様相になってくる。私の場合、一応基本的には自店サイト(まだ作ってないのだが.....)を「リアルの集客を行うため」のツールと位置付け、その上で当店に来店できない方への便宜のために、ショッピングサイトを設けようと考えている。まだ具体的には浮かんでないのだが、お客さんにどんな価値を提供できるのか、ということを優先的に考えたサイトにしたいと思っている。また、ネット通販の方がどんどん忙しくなってくると、リアルな商売の方が疎かになってしまい、ところによってはリアルの配達先を削った、という話も聞く。こうなってしまっては本末転倒だ。少なくともこうはならないように気をつけないと(それ以前にそこまで通販が伸びるかが問題だが)。
2011年01月26日
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私がツイッターを始めてから間もなく丸1年になるが、つい先日からは新たに「Facebook」を始めている。「Facebook」をやっていない方でも、今話題の映画「ソ-シャル・ネットワーク」の題材になっているもの、といえば、ピンと来るかもしれない。アメリカあたりではかなりの普及率を誇っているそうだ。もちろんどんなソーシャルメディアにも一長一短はあるから、「Facebook」がブログやツイッターに比べてどうのこうの、ということは安直には言えない。ただ、単純に比較するには基準が違いすぎるということもある。ちなみに「Facebook」は実名を使うことが大前提になっている。そのあたり、もしかしたら日本でブレイクするには、ひとつの障害になるかもしれない。ただ私は商売人であって、商売で使おうとする以上、リアルな立場をネット上で鮮明にすることはやぶさかではない。それにネット通販をやっていない私にとってはなおのこと、リアルなお客さんとのつながりが重要になってくるのは言うまでもない。そう考えると、ツイッターなどよりも「Facebook」の方が、商売には有用なのかもしれない、と最近感じている今日この頃だ。もっとも今はまだ、手探りの状態だが。
2011年01月23日
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昨年受信した胃ガン検診で、「要精密検査」という結果が出たことを受けて、先日胃腸科の病院に行ってきた。で、今度胃カメラを飲むことになった。もちろん初めての経験だ。その受付のとき、看護士さんからいろいろと問診を受けた。「今までに大きな病気になったことは?」 「ありません」「手術を受けたことは?」 「ありません」私としてはいつもごく当たり前に感じている受け答えのはずだが、「精密検査」を受けるという精神的不安感、胃カメラを飲むことに対するある種の恐怖感、これらが重なった精神状態の中では、逆に今まで何も無かったことに対する「ありがたみ」として、いつも以上に自分自身の胸に響いてくる。私だけではない、私の家族全員ひっくるめても、おかげさまで誰一人として、大病を患ったり長期入院したりしてる者はいない。周囲にはそういった境遇に苛まれている方もいらっしゃるから、余計にそう思える。本当にありがたいことだ。というわけで、胸を張ってカメラを飲んでこよう。
2011年01月20日
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「常にお客の立場に立って考える」とは、商売の基本だ。ちょっと発展的に言い換えれば、「お客都合を自分都合に優先させる」ということになるだろう。いろんな場でいろんな方が言っておられることでもある。もちろん私自身もこのことに関しては、肝に銘じているつもりだった。「つもりだった」という微妙な“過去形の”表現になっているのは、私自身が「自分都合」を「お客都合」に優先させようとしたケースが、このところ立て続けにあったからだ。「お客都合を自分都合に優先させる」ということは、自分が不利益を被るということでもある。そしてそれには、ふた通りのケースがあると思う。ひとつには自分がお客の都合により、肉体的・精神的に余分な労力を費やさねばならないというケース。そしてもうひとつは、お客の都合によって、金銭的に損失を被るというケースだ。実は私は前者のケースに関しては、比較的寛容な方だ。人様のためにカラダを動かすということには、あまり抵抗感が無いし、その結果として他人に喜んでもらえれば、こんなにウレシイことはないと思っている。しかしその反面、後者のケースに関しては結構シビアだ。そしてその要因として大きく関わっているのは、私が根っからの「ケチ」だということなのだ。いつからだろうか、私が自分自身のことを「ケチ」だと認識し出したのは.....。もちろんこのままでいいはずは無い。ましてや私は商売人なのだ、ともすればこのことが致命傷にもなりかねない。以前からそう思っていた。しかし頭ではそのように考えていても、いざ現場に立ってみると、自分の心の奥底に渦巻いている「ケチ」の魂が容赦なく囁きかけてくるのだ。もうここまでくると私の「ケチ」も、ある意味「先天的」な性質のようにも思えるが、何とかできないものだろうか?
2011年01月16日
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別に善意の心に水を差すつもりはない。ましてや何もそれらしいことをしていない私が、こんなことを言うのも筋違いかもしれない。他でもない、“伊達直人現象”のことだ。ひとつひとつの行為は素晴らしいことだと思う。その志は尊敬に値すると思う。しかしこれがあたかもブームのような大きなムーブメントになったとき、言いようのない薄ら寒さを覚えるのは、私がひねくれているのだろうか?
2011年01月13日
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映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』を観に行った。言わずと知れた、あのアニメの名作『宇宙戦艦ヤマト』の実写版だ。実はこの作品、私の周りでは極めて評判が悪い。ネットのレビューを読んでも、えらく叩かれている。しかし私としては、結構楽しませてもらった。リメイク作品としては、これくらいの出来であればまあまあだろう、と思った。確かにツッコミどころは多々ある。ネタバレになるので細かいことは書けないが、そもそも原作自体が荒唐無稽な物語なわけだし、エンタテイメントなんだからアニメ版との多少の違いくらいは笑って済まそうよ、という思いで観た。ただ他の方にはそう思えなかったんだろうな。まずアニメ版との違いがツッコミの対象となっている。しかしこれは「実写版」とはいえ、あくまでも「リメイク」だ。アニメ版と同様のテイストを期待するほうに無理がある、と言わざるを得ない。アニメを実写にリメイクすると、たいてい評価が落ちるのは世の常だ。それはアニメで観たときの世界観を、実写版でも同じように求めてしまうことに起因するのではないか。どう考えてもそれは無理なのだから、それを期待する段階で止めた方がいいのである。今回のこの「ヤマト」にしても同じことだ。ファンのひとりひとりの持つオマージュが強すぎるので、実写化される段階ですでに無理が生じているのだ。そういったところも割り引いて観ることが出来ないと、結果的に落胆の方が大きくなってしまう。あともうひとつには、主人公の古代進をキムタクが演じることの是非が問われている。しかしこれとて、彼が主役を張るということが明らかになった時点で、今までに作られてきた「キムタク主演ドラマ」と同じテイストになることを覚悟しておくべきだったろう。私は、キムタクは役者ではなく、スターだと思っている。役者というのは自分自身をその役にアジャストさせることが仕事だが、スターは違う。スターとは、役柄の方がスターの色についていくものだ。スターに役者の資質を求めてはいけない。キムタクはその好き嫌いは別にしても、今の芸能界の中では数少ないスターだと思っている(もっとも“アンチ”が多いのも、スターの重要な要素でもある)。そういう意味では今回のこの「ヤマト」は、単なるリメイクである以上に「キムタク映画」だ。極端なハナシ、「月9」が舞台を宇宙に移したようなものだ。あえて言おう。元の「ヤマト」作品に憧憬が深い方は、今回の『SPACE BATTLESHIP ヤマト』は観ないほうが良い。またキムタクが嫌いな方も、同じく観ないほうが良い。
2011年01月10日
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年末年始は何かといろんなことがあったが、これも思わず冷や汗をかいたことのひとつだ。さるお得意先で、新年の振る舞い酒用に、一斗樽の注文を受けた。暮れの間に仕入れておき、納入は新年4日だ。さて酒樽というと、一般的なイメージとしては「鏡開き」だろう。よくイベントごとなどで目にする、みんなで木槌を持って一斉に天蓋を叩く、あれだ。ちなみにあれを「鏡割り」という方も多いが、「割る」という言葉は縁起が悪いので、正式には「鏡開き」と言う。話はやや横にそれたが、今回はその「鏡開き」ではなく、「呑口を立てる」方のご指定だった。「呑口を立てる」とは、樽の上部を開けずに横腹からお酒を注ぎ出すもので、詳しくはこちらを見ていただきたい(→月桂冠HPより「呑口の立て方」)。私もこの方法自体は何度も経験しているが、銘柄としては今回が初めてのものだった。初めての銘柄で何に戸惑うかというと、呑口を立てる「樽栓」の位置が分からないことだ。樽栓をはずして、その穴に呑口を立てるのだが、樽栓を露出させるには、まずキレイに巻かれている化粧菰を正面からジョキジョキと切らなければいけない。もちろん無造作に切ったり、不用意に切り過ぎたりすると、見た目を大いに損なうので、樽栓の所をピンポイントで小さく切る必要がある。ちなみに樽栓の位置というのは、樽が菰に巻かれてる以上、外からはまず分からない。だから各メーカーは、樽栓がどの辺りの位置にあるのかを説明する文書を、樽に添付しているのが一般的だ。ちなみに先程リンクを貼った「月桂冠」の場合を見ていただくと、3番で示されているように、「冠」の字の真ん中の点のところに樽栓が来ているのが分かる。ところが今回ウチで取り扱った某メーカーは、その説明が添付されていなかったのだ。これには困った、化粧菰の上から手で触っても、菰が厚すぎて栓の感触がさっぱりつかめない。ただ多くのメーカーは月桂冠の「冠」の字のように、菰に描かれた字や絵の中で、敢えて目印っぽいところを樽栓の位置に据えていることが多いので、分からないままその菰の中で当てをつけてエイヤッと切ってみた。結果は......ハズレだった。その時、なんともマヌケなことに気が付いた。メーカーに電話して聞けばいいではないか!?早速電話番号を調べ、受話器を取ってダイヤルしてみた。しかし.......無情にも休みで誰も出ない。そりゃそうだ、その日はまだ1月4日、どのメーカーもまだ正月休みだ。ひょっとして事務所に誰か居れば、留守電を聞いて応答してくれるかも、という一縷の望みを託し、私は留守番電話に向かって、「すみませ~ん、ダボ(樽栓のこと)の位置が分からなくて困っていま~す!どなたかいらっしゃったら出ていただけませんか~!?」と、2度ほど叫んだ。しかしまったく反応はなし。こうなったらもう仕方がない、もうあとは野となれ山となれという気持ちで、当てずっぽうに菰をあちこちカッターで切りながら、やっとのことで樽栓を見つけた。結果的にずいぶん不細工は外観になってしまったが、お得意先に事情を話したところ、全然気にならないよとのお言葉を頂き、とりあえずホッとした。しかし相手の人柄や使う場所などによっては、本当にタダでは済まないようなことにもなったりしかねないから、たまたま今回はラッキーだったというほかはない。ところでその酒造メーカーの留守電に向かって叫んだとき、私は自分の名前などは言ってなかったが、翌朝、そのメーカーから電話があった。おそらくウチの番号がディスプレイされていたのだろう。私は昨日の顛末をお話しし、樽栓の位置を説明する紙片を添付していただきたい旨を告げた。私はあくまでも普通に話していたつもりだが、傍らで聞いていた妻によると、少々嫌味っぽく聞こえなくも無かった、ということだった。ホンのちょっと気を利かすのを怠るだけで、予想もつかないようなトラブルの元になってしまう........反面教師的ではあるが、新年早々、いい勉強になった。
2011年01月07日
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遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年もこれをご覧頂く皆様にとって、幸多き一年でありますよう、お祈り申し上げます。----------------------------------------------------------------------さて、正月に妻の実家に帰省しないようになってはや3年目。もうすっかりそれが普通のパターンとして定着した感がある。私は特にどこに行くという当てもなく、ほぼ3日間を家でのんびり過ごしたが、唯一外出したのが寿司屋だった。寿司屋とはいえ、それが「回転寿司」であるのは皆様の想像通りだ(笑)。私も出来れば“回らない”寿司屋に行きたいところだが、「寿司」という前提を据え置いたままで、食べ盛りの3人の子供を連れて行くとしたら、もはやそれ以外の選択肢はないのが現状だ。というわけで、3年連続で正月に回転寿司に行くこととなった。ところでこの回転寿司というもの、最近では差別化を図るべく、良いネタを使ったりリアルな職人が握ることで、やや価格設定が高めのところも出てきているが、メジャーなところは味にさほど違いはないと思える。そうなるといきおい、更なる価格ダウンかサービスの向上しか差別化の手段はなくなってくるが、今回赴いた「K」すし(伝説の動物の方ではない)では面白いサービスを行っていた。予約が出来るのだ。回転寿司で何がイヤかといって、店に行ってから延々待たされるのが私は大嫌いなのだが、携帯電話から予約を入れておくだけで、指定した時間に行くとすぐに席に案内してくれるのだ。実際今回も、予約時間に店に着くと、店の外まで溢れんばかりの待合客がいたが、彼らを尻目に悠然と用意された席に向かう......まるでVIP待遇だ。まあ味の方は他のメジャーなチェーンに比べて、可もなく不可もなく、といったところだが、ほかのチェーンで同様なサービスが始まらない限りは、私はこの「K」すしを使い続けることだろう。それだけ順番待ちが解消されることによるストレスの軽減は、計り知れないものがある。本当に良いところに目を付けたものだと思う。もっとも早晩、他チェーンも真似してくるだろうし、そうでなくてもみんなが同じように携帯電話で予約するのが一般化したら、今度は予約を取るのに四苦八苦、なんて状況になるかもしれないが。
2011年01月04日
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