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サコンナコン。って、なんだかお笑いコンビの名前みたいだけど(と思うのは私だけ?)、タイの東北部(イサーン)にある県の名前です。木曜日の夜から1泊で、そのサコンナコンに行って来ました。私は行くのは3度目だけど、出産後は初めて。たっくん、ついにイサーンデビューです!サコンへ飛んでいる飛行機は,PBエアーというマイナーな航空会社1社のみ。プロペラ機でこそないものの、1列に3席、約50人乗りの小型機です。タラップも通路も座席も狭いので、子連れフライトはなかなかツライ。1時間のフライトなのでなんとか耐えたけど・・・次回の日本への一時帰国では、どうやって6時間も耐えられるのか、ものすごーーーく心配になってしまいました。それはさておき。以前サコンナコンを訪れたときは、なーんにもない街だなあと思ったけれど、昨年にBIG-Cやテスコ・ロータス、マクロ等の大型店が次々と出店したらしく、ちょっと都会度アップ。でも、街中にはまだサムロー(人力3輪タクシー)がいっぱい走っているし、車は少ないし、のどかな佇まいでした。サコンナコンにはベトナムから移ってきた人が多く住んでいて、その影響で、例えばタイでは珍しく犬肉を食べさせる店があったりします。私はちょっとごめんだけど・・さて、今回は朝食に「ベトナム風の朝食を食べに行くよ」と言われ、楽しみにしていたら・・・出てきたものは、小さな一人用の鉄板で焼いた目玉焼きに、ひき肉やにんじんなどがかかっているもの+小さなフランスパンにベトナム風ソーセージを挟んでトーストしたもの。ベトナムには北にも南にも何回か行ったけれど、こんな料理は初めて。タイ語のメニューでは「カイ・ガタッ」とあったけど・・・これってほんとにベトナム風の朝食?!コーヒーもついてきたけど、ベトナムコーヒーじゃなかったし。(メニューには「ネ○カフェ」と書いてあった)ちょっとガッカリ。サコンナコンでは、いくつかの場所を訪問してきたのだけれど、今回一番の目玉は、以前の日記で登場した「デザイナーのお坊さん」の訪問。県都から約1時間、チュンドイという村の小高い山の上のお寺に、そのお坊さんはいました。まだ39歳、すっきりした顔立ち。村人が作る織物・ハンディクラフトのデザインだけでなく、子供や青年対象のAIDSや麻薬予防の活動や、村人の暮らしを支える森を守るための活動などをリードしているこのお坊さんは、フランスで建築学の修士をとり、タイに戻ってからは名門チュラロンコン大学で、講師としてデザイン関係を教えていたところ、「もうこういう暮らしは十分」と仏門に入り、地方の村に入って、こういう活動をする人生を選んだのだそうです。彼がいるお寺は、粗末ではないけれど、決してキンキラで豪華なものではなく、すごく開放的なつくりでした。そして、片側には織物プロジェクトの製品が陳列してあって、そのディスプレイは、まるでバンコクにあるどこかのオシャレなお店のよう。一緒に訪問した一行の女性陣の目が輝いたのは言うまでもありません(もちろん私も)。デザイナー坊さんは、いろいろ他にも面白い話をしてくれたらしいんでが、あたりをうろついていた、たっくんがウ○チをしてしまったので、途中退席しているうちに終了。ざんねん!「カイ・ガタッ」とか、デザイナーのお坊さんのお寺の様子とか写真をのせたかったけど、デジカメの電池切れでした・・
2006年02月26日
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19日で、1歳5ヶ月を迎えた、たっくん。よく育児雑誌などで「赤ちゃん期卒業」とされている1歳半まであと1ヶ月! 確かに、顔つきも行動もすでに「赤ちゃん」と呼ぶのはしっくりこなくなってきた気がする今日このごろ。出てくる言葉の数は、1ヶ月前と比べてほとんど増えていないものの、大人の話すことの意味を理解してるみたい、と思うことは増えてきた。「おてて洗おうか?」というと、手をスリスリして手を洗うまねをしたり、「たっくん、おつむてんてんは~?」と聞くと「おつむてんてん」をしたり。最近の新しい「芸」は「チュパッ」(投げキッス)ずーっと前からお手てやホッペに「チュ~」を仕込もうと頑張ってたんだけど、全然やってくれなくて、最近ではあきらめていたんだけど、いつも仕事が一段落するとたっくんと遊んでくれるアパートの掃除のおばさんが、かわりに仕込んでくれた! ただ、口でチュッと音をさせてから、手を口にあててたりして、動作の順番がちょっと違うんですけど~ でも、かわいいから許す! 一方、最近ちょっと困ったちゃんなのは、すぐに泣くこと。前から眠いときには、ちょっと気に入らないことがあると「うえ~ん」となっていたんだけど、最近は眠くないときでも、思い通りにならないと「うえーん」ということが増えたみたい。でも先輩ママたちによれば、「そういう時期ってある、ある」のだそうだ。いちいちそんなことで泣くな! と怒りたくなることもあるけど、ここは長い目で見守ることにしませう。ところで、「赤ちゃん期卒業」を間近にして、そろそろ卒業したいなーと思っていることが2つある。ひとつは就寝直前のミルク。今は6時半ぐらいに夕飯を食べて、それからシャワーして、歯磨きして、7時半ごろには哺乳瓶でミルクを7オンス(約200ml)飲んで寝る・・・というのがいつものパターン。一応ミルクを飲み干した後に、お水を飲ませて口の中をゆすぐようにはしているのだけれど、虫歯予防のことを考えると、就寝前のミルクはやめたほうがいいらしい。でも、眠くなってきたところにミルク飲ませて寝かしつけるっていうパターンが、親にとってはラクチンだったので、やめるきっかけがないまま、ここまで来てしまった。最近では、格闘しながらの歯磨きも終わると泣きながらミルクを要求し、ミルクの用意ができると、自分でミルク飲み用クッション(本当は授乳用クッション)を引っ張ってきて、ゴロンと横になってスタンバイ。ミルクを飲み干すと「ん!」と言って手を差し伸べ、口ゆすぎ用の水を要求するというほど、すっかりたっくんにとっての眠る前の儀式化してしまった。こうなる前にやめるべきだった・・と思っても後のまつり。うちは「卒(母)乳」は、いつが最後のおっぱいの日だったのかわからないほど自然にフェードアウトだったため、全く苦労しなかったんだけど、「卒・就寝前ミルク」には苦労しそう。ある育児雑誌に「1歳6ヶ月前にはやめましょう」ってあったのを見て、一応それまでにはって思っているんだけど・・もうひとつ卒業を考えているのは「布オムツ」。第一の理由は、今使っている80サイズのオムツカバーが小さくなってきたこと。ここでさらに90サイズのオムツカバー(かなり数が少ない)を日本で調達するよりかは、もう全部紙おむつにしちゃおうかな、と。それに最近はオムツがぬれる回数が少なくなってきた上に、外出する機会も増えたので、布オムツの使用枚数が減ってきたこと。これまでは、汚れたオムツは軽く洗い流してから、洗剤を入れたバケツにつけ置きし、2日に1回のペースで洗濯機に入れて洗っていたんだけど、最近では2日たっても洗濯機で洗うには枚数が少なすぎ・・・ということが増えてきた。ウチの洗濯機は洗う分量が少なすぎると、激しく水漏れするというシロモノなので、ある程度枚数がないと困るし、だからといって何日もオムツをバケツの中にためておくわけにもいかないし・・・というわけで、そろそろ全て紙オムツにしちゃおうかと考えているところです。できれば、ついでにトイレトレーニングも、もう始められればいいんだけどね。でもそれは、春に日本に帰ったときに補助便座を調達する予定なので、その後からぼちぼち開始するつもり。さて、1ヶ月後の日記のころには、この2つ、卒業できているでしょうか。(2つめは今すぐにでもできるけど、1つめのほうは。。。。。。)
2006年02月21日
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友達がペッチャブーンにあるバラ農園(?他の花もつくってるかも)に行ってきたとかで、そこのバラの花をお土産にくれた。「ここのはね、品質がすごくいいんだって。路上で売ってるのと違って、ちゃんとケアすれば2週間くらいもつらしいよ」という。花に詳しくない私は、それを聞いても「へえ~、そうなんだ~」という反応しかできなかったんだけど(汗)、昔花屋で働いたことがあるというタイ人の女の子は、ひとめ見てすぐにそれが分かったらしい。「これはいいバラだよ! 花びらも厚いし、日持ちするし。しかも色がきれい!」ほ~、さすが、見る人が見れば違うのね・・・と思ったら。「売り物の花がね、輸送されてくるうちに、ちょっと生気がなくなってしまっていたら、パラセタモン(タイのバファ○リン? 鎮痛解熱薬。愛用者多し)を砕いて溶かした水に花をさしたり、または水の中に『ガティンデーン』(栄養ドリンク。愛用者多し?!)を混ぜたりしたの。そうすると、花がシャキッとするんだよ~」だって。そ、それはすごい裏技・・・花も人間用の栄養ドリンクや、薬を吸って元気になるのね・・まあ、そういう成分が含まれているってことでしょうが、私だったらそんなこと、思いもつかないな。次の機会に試してみよう! ・・でも年明け以来、栄養ドリンクのお世話になってないから常備してないし。パラセタモンは常備薬があるんだけど、このために使うのはちょっと勿体ない気が・・うーん。
2006年02月20日
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先週末、以前とある日本語フリーペーパーで紹介されていて、ずっと行きたいと思っていたタリンチャン(←地名)の水上マーケットに行ってきた。この「水上マーケット」は週末限定。行ってみたいと思いつつ、週末は何かと用事が入ってしまったり、第一たっくんがおとなしくボートに乗ってくれるのかちょっと心配だったりして、なかなか実現しなかった。ところが、今回日本から来ていた友人が「土曜日に水上マーケットに行ってみたいけど・・・でもその後アユタヤにも行きたいから、やっぱり無理かな・・」(有名な水上マーケットはアユタヤとは反対方向)と言ってるのを聞きつけ、これはチャンス!と、南部から帰ってきた直後にも関わらず、友人の案内がてら、ついにタリンチャン行きが実現したのだった。ここのマーケット、サヤームから79番のバスでも行けるんだけど、この日は友人たちがレンタカーを借りていたのでそこに同乗。らくちん、らくちん♪街中を通り抜けるのに少し時間がかかったけれど、チャオプラヤー川を越えると、ほんのすぐそこ。駐車場で車を降りると、すぐそこからいろいろなお店が出ている。植木や果物、お菓子、アクセサリー、そして宝くじ・・ まあ、わざわざここまで来て買わなくてもいいようなモノばかりだけど、場所が変わればなんとなく遠足気分で、おやつなど買ってしまう。数十メートルのそんなお店が続いた先に、いよいよ「タラート・ナーム(水上マーケット)タリンチャン」の看板が!ところが、そこは屋根のついた桟橋みたいなところに、シートがしいてあり、テーブルが並んでいるだけ。その周りの水辺には、鍋などを載せた小船がいて、お客さんたちはその船のおばちゃんたちに、何か注文してそこで食べているようだった。え? 水上マーケットってこれだけ? ウチらは船に乗らないの? フリーペーパーにはボートトリップができるって書いてあったけど・・・人に聞いたりして、やっとボート・トリップのチケット売り場を発見。聞くと大人一人70バーツと安いんだけど、時間は2時間20分ほどかかるのだそう。この後アユタヤに行くのに、それでは時間がなくなっちゃう・・ということで、定期便とは別にボートを借り上げることに。こちらは1時間で600バーツ。ちと高い? でも、大人4人+1歳児1人だから、ま、いいか。ってことで、アレンジOK。しかし、ほっとしたのもつかの間。やってきたボートは、行商のおばちゃんたちが乗っているような、小さな屋根なしボート。。。「あの~、子供がいるし、これじゃあ暑すぎるんですけど。さっきの定期便みたいな屋根つきボートはないの?」「マイペンライ! 傘かしてあげるから!!」押しの弱い私たちは、それであっさり闘うのをやめて、傘をさしてボートに乗り込むことに。ボートは運河に面して建てられた家の間を通って進んでいく。どの家にも自家用ボート。中には、家の裏側に陸上の道が通っている家もあるけど、周囲は湿地で出入り口は完全に運河側のみ、という家も多い。家の標識も郵便ポストもほとんどが運河側についている。子供に水浴びをしている人、縁側でのんびりするおじさん、運河で泳ぐ子供たち・・これぞタイ人の言う「チーウィット・リム・ナーム」 昔ながらの水辺の、水とともにある暮らしだ。かつて「東洋のベニス」とうたわれたバンコクも、ちょっと昔まではこんな風景が広がっていたのだろう。今ではほとんど面影が残ってないけど。 それにしても、肝心の水上マーケットは・・・結局、よくガイド本や旅行のパンフで見るような水上マーケットには出会えなかった。その代わりに? とっても小さな、ほんのいくつかの行商ボートが停まっているだけの「水上マーケット」(と、船頭のおっちゃんは言っていたけど・・)に立ち寄った。余りにもさみしい感じだったので、ガックリだったけど、オーリエン(タイ式コーヒーもどき)2杯とペプシ1本を買って全部で18バーツという、かなり良心的なお値段だった。それから、途中お寺の前にある、「魚の餌やり」スポットで休憩。そこで15バーツの魚の餌(パン)を買い、水面に投げると、ボコボコ、ボコボコ、来るわ来るわ、魚が食らい付いてくる! これは・・・なまず? よくわかんないけど、とにかく結構な迫力!一人の子が面白がって近くに餌を投げるものだから、ボートのすぐ近くで黒い魚がボコボコ浮いてきては跳ねて、ビビッて泣き出すたっくん。確かに私もちょっと怖かったけど、この単なる「魚に餌やり」、これが意外に面白かった。なにげにみんな夢中になってたし(笑)そうこうするうちに時間になり、もとの桟橋には1時間15分後くらいに帰還。想像していたような「水上マーケット」は結局なかったけど、それなりに結構楽しかったので満足。あとはボートに屋根さえあれば・・・また日に焼けてしまった(汗)定期便のボートにのると、植物園に立ち寄ったりもするらしい。いつかまた機会があれば行ってみたいな。。ちなみに、私とたっくんはこの後アユタヤには行かず、帰宅。たっくんは爆睡でお昼寝が4時間近く・・・疲れたよね・・・引っ張りまわしてごめんよ~ でも、こういう経験を重ねていくうちに、鍛えられて逞しい子になるかもね?! 《各家のゴミ収集にも船が活躍。これがゴミ収集船らしい》
2006年02月18日
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津波被災地訪問のつづきです。2日目に訪れた、ラノーン県の、あるコミュニティでは意外な出会いがありました。沢山集まっている小さな子供たちの中に、ちょうど、たっくんと同じ位の月齢の男の子がいたので、慣れない場所と大勢の子供たちを目にして固まっているたっくんに「ほ~ら、おともだちがいるよー」と、なんとか一緒に遊ばせようとしていると、その子のお母さんが話しかけてきました。なにげなく、その子の月齢を聞くと、1歳1ヶ月過ぎとのこと。「ちょうどツナミが起きたときに生まれたのよ。だから名前も『ツナミ』ってつけたの。私たちは当時カオラックにいたの。この子が生まれる前にツナミが起きていたら、大きなお腹でとても逃げられなかったけど、生まれた後だったから逃げられたの。危なく死ぬところだったわ」ええーーーーっ!たまたま目にとまったその男の子に、そんなストーリーがあるとは。そういえば、ニュースで被災地で生まれた「ツナミ」ちゃんのレポートを見たかも・・この子がそのときの赤ちゃん?!・・・と、思ってネットで調べてみたら、日系のマスコミで報道されたツナミちゃんとは別の子のようです。でも、きっと他にも何人もの「ツナミ」ちゃんがいるのでしょう・・私たちが出会ったツナミくんの両親は、以前カオラックで建設労働者として働いていたのだそうです。ツナミくんの上には、もう15歳になるお兄ちゃんと、お姉ちゃんがいて、お兄ちゃんはツナミから逃げるときに車にはねられ、頭が半分陥没してしまったままです。。。津波によって仕事も失い、お兄ちゃんは障害を負ってしまいましたが、「それでも家族全員命が残っているだけでも、不幸中の幸いだったね」と言いたかったのですが、私のつたないタイ語ではうまく伝えられないも・・と思って口に出せませんでした。下手をすると、すごく無責任な、つめたい言い方に聞こえるかな、と思って・・ただツナミくんが元気で、この月齢の男の子らしいヤンチャくんである様子や、お母さんも、いろいろ大変だけど明るくたくましい感じなのは、こちらも明るい気持ちにさせられます。たっくんのことも、いっぱい可愛がってもらいました。予定盛りだくさんの2日目が終わって3日目。この日はラノーンの街の中にある、ビルマ人コミュニティを訪問。津波とは直接関係はないのだけれど、現地で受け入れてくれたNGOが支援している地域で、たまたま宿泊したホテルのすぐ近く、、ということで、案内してもらい、ここでも歌を歌ったり、子供たちとの交流の時間を持ちました。ここの子供たちの多くはタイで生まれ育ちましたが、国籍がないために(ミャンマーの国籍ならもらえるでしょうが、国を離れて、出生届けも出されてないのでしょう・・)学校に通えず、支援に入っているNGOが、タイ語や英語などを教えているそうです。津波の際も、ミャンマーからの出稼ぎ労働者が多数亡くなったと言われていますが、届けが出されていないので、被災者がどれぐらいの数にのぼるのか実態は不明のまま。多くが、不法労働者として出稼ぎに来ている人たちとはいえ、そのために死亡しても身元がわからないままというのは、なんだかやりきれない思いがします。ちょっと疲れたけれど、こんな感じであっというまの3日間でした。あの津波で直接・間接的に被害を受けた場所も、一見するとほぼ復興しているように見えました。でも、見えない部分・・被災した人たち、大切な人をなくした人たちの心の復興は、まだまだ時間がかかるのだろうなと思います。今回の「ご一行様」が届けたのは、学用品やボール、キーボードなどのモノであったけれど、それを贈るために募金してくれた日本、そしてタイの人たちの「被災地の人たち、希望を持ってがんばって!」という心も一緒に、しっかりと受け取ってもらえたのだといいのだけれど・・津波から1周年がすぎて、政府としての復興支援はこれでひと段落という感じがする中で、遠く離れた地でも「忘れてないよ。応援しているよ」という人がいるんだってことを、被災地の人たちに少しでも感じてもらえれば嬉しいな、と。今回私は単に同行しただけなんだけど、そう思いました。それにしても貴重な体験をさせてもらいました。またこういう機会があったら、行きたいなあ。あ、でもソノ前に、タイ語をもっとちゃんと使えるように頑張らなきゃね・・・
2006年02月15日
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ちょいと久しぶりの更新です。実は3日ばかり、あるご一行様にくっついて、タイ南部の津波被災地を訪問してきました。本当は、タイ在住10数年以上で、タイ語ペラペラの方が通訳担当として同行する予定だったのですが、その方が本業の都合で急に行けなくなり、私に話がまわってきたのです。とはいえ、私が行くとなると、モレなくたっくんが付いてくる上に、第一に通訳なんて出来るレベルではありません! と、言ったのですが、もともと内輪の個人的な訪問だし、子連れでも問題ないよ~、ってことで、(それに、他の心当たりの人はみんな仕事を持っている人ばかりだった)、結局ついて行くことに・・しかも、なぜかお休みがとれてしまったダーも一緒です。なんだか半分家族旅行のようです。いいんでしょうか・・1日目は移動日。プーケットまで飛行機で飛び、現地で受け入れてくださるNGOの事務所を訪問した後は、予定は何もなし。宿泊はパトンビーチのホテル。たっくんをプールで遊ばせたり、ビーチを散歩したり、と、ほぼ完全に遊びモードな我が家。いいんでしょうか・・パトンビーチは、プーケットの中では確か、最も津波の被害が大きかったビーチではないかと思いますが、復興が進んでいて、津波の面影は殆ど感じられませんでした。確かに、海岸沿いでは、改築中の建物や、瓦礫を集めた場所がところどころに見られるものの、バンコクだって年中あちこち建設中なので、それと大して変わらない程度。ビーチは、整備中のところもあったけど、お客さんはそこそこ戻ってきている様子。そういえば、プーケット行きの飛行機は満席でした。但し殆どが欧米人。日本からの観光客がなかなか戻ってこない、という話は聞くけど、確かにそんな感じです。2日目はメニューが盛りだくさん!直接津波に呑まれはしなかったけれど、海岸で漁業や建設、観光関係の仕事をしていて、被災したり、仕事を失った人たちがいる村を2つ(パンガー県、ラノーンで各1ヶ所)、パンガーのナム・ケン村というタイで最も大きな被害を受けたといわれる村を訪れました。間接的に津波の被害を受けた村では、今回受け入れ先のNGOが支援に入っていて、学校や子供達の課外活動、お母さん達のバティック製作・販売プロジェクト等等を支援しています。私たちはその活動を見学させてもらったり、ご一行の中心人物が歌を本職とする人なので、彼女が子供達のために歌ったり、子供と一緒にゲームしたり。そして、彼女たちが預かってきた募金で購入した学用品やボール、小さなキーボードなどを贈呈して、「証拠写真」を撮り(笑)、それぞれの村を後にしたのでした。ちなみに私のタイ語通訳は、ところどころアヤシかったものの、そんな難しい話はしなかったので、冷や汗かきながらも、のりきりました。ホッ。たっくんも、行く先々で、小学生のおねえちゃんや、村のおばちゃんやら、おねえさんやらに抱っこされたり、スイカをもらったりして、大人気!面倒みてもらったばかりか、私もいろいろみんなに話しかけてもらうきっかけにもなりました。やっぱ、タイですねえ。心配することはありませんでした。一方、津波で大きな被害を受けたナム・ケン村。TV局やNGOなどの支援によって、新しく建てられた家が道沿いに並んでいます。どれも基本的には同じような外観で、見渡す限り真っ白く真新しい家ばかりなのが、壊滅的な被害を受けたことを物語っています。さらには波で流されてきて打ち上げられたままの大きな船が、いくつかそのままになっていて、「こんなところまで・・・」と驚かされます。 《波で流されてきて、家に衝突した船》海岸にはメモリアル・パークが建設されていました。少し沖には、中洲にたつリゾートが見えます。そこに滞在していた人だけでも200人以上が犠牲になったとのこと。確かに全く高台がなく、逃げる場所がありません。そして海は・・静かで穏やかで美しかったです。こんなに静かな海から、「鬼の波」(ツナミの別名)がやってくるなんて誰が想像したでしょうか。(つづく)
2006年02月11日
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ここ2週間ばかり、またちょこっと忙しかったけど、昨日で一山超えました。普段は落ち着いて見えるらしい私だけど(本当はボーッとしているだけ)、ちょっと忙しくなると、頭がパニックになって、うっかり、ボケボケ、カン違いの連続になってしまうソコツ者・・・ひーんそれにも関わらず、暖かく見守ってくれる周囲の人たちがいて、支えてもらっているなーと、実感したこの週末。でも、もういい年なんだし、ちょっとしっかりしなければ・・さて本題。この週末は、バンコクで大きな反政府(というか反タクシン)集会&デモがあった。昨年からガンガンと首相批判を繰り広げているソンティ氏という人が、呼びかけたもので、「10万人集める」と豪語(実際どれだけ集まったのかは、報道機関によってマチマチなので不明)。こういう集会があると、首相や、首相と仲のいい有力者の回し者が集会を妨害したりして、そのたびに、ちょっとした乱闘騒ぎがあることが多いのだけど、今回は何事もなく、平和的に終わった模様。実は、日本のあるテレビ局と契約をしているという知人が、「この週末から何か起きるかもしれないから、バンコクから動くな」と拘束かかっちゃって・・・という話を聞いて、ちょっとだけビビッていた。昨年から、ちらほら軍のクーデターのウワサもあり、さすがに今さらもうクーデターはないだろう・・・と思いつつも、そういう話を聞いちゃうと、ねえ。ま、とにかく血が流れることは何もなくて良かった、良かった。一方、話は変わって、身近のちょっと衝撃的な事件。昨日は午後、いつもお世話になっている友人のおうちに、たっくんを預かってもらっていて、夕方迎えに行くと、そこのおうちのお姉ちゃん、お兄ちゃん、そしてそのお友達と、マンションの中にある子供の遊び場で、楽しく遊び中。例のごとく、迎えに行っても「ボクはまだ遊びたいよー」と、またもやママは無視(涙)まあいいや、じゃあもう少し遊んでもらいなさい、と、友人とベンチのところで、まったりしていたら、「ちょっと! T君(親しいご近所さんちの子供)、何持ってんの!!」と、突然叫ぶ友人。思わず振り向くと、なんと、その男の子の手にはコン○ームが・・・!!私も思わず「おわーーー!」と叫んでしまった。友人は、その子からコン○ーム(恐らく使用済み)を取り上げると、抱き上げて、手を洗うためにトイレに駆け込んでいった。はあ、ビックリした。T君のほうがビックリだと思うけど。彼(4歳)は何で怒られたのか、なんで急に手を洗わされたのか、ワケわかんないだろうな・・・それにしても、子供の遊び場に、なぜそんなものが・・っていうか、どこでしようと勝手だけど、ちゃんと捨て場所考えろーー!!ちなみに、ブツを捨てに行った友人の話によると、「他にもいっぱい捨ててあったよ」だって。と、そこにやってきたT君のお姉ちゃん(小3)、「何がいっぱい捨ててあるの?」思わずそこにいた大人一同、「いや、なーんにも捨ててないよお」と口をそろえてしまった・・・・かえって、アヤシイって(汗)いやあ、子供って何を拾ってくるかわからないから(多分彼は「風船が落ちてる」とでも思ったのでしょう・・・)こわいなあ。週末の、ちょっとドキドキしたこと、2題でした。
2006年02月06日
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今日はタイの宝くじの抽選日。毎月1日、16日の抽選日の前日ぐらいから、宝くじ売りの前には、人だかりができていて、その人だかりを見るたびに「ああ、また半月が過ぎたのか。早いなあ・・・」と毎回思ってしまう。タイの宝くじは2種類ある。「ロッタリー」と呼ばれるものは、いわゆる普通の宝くじで、○組XX番(6桁)と、模様付きの用紙に印刷されている。2枚組みで80バーツ。もう一つは「フアイ」(フアイボンディン)で、末尾2桁、もしくは3桁の数字を当てるもの。20バーツ、50バーツ、100バーツと、購入金額によって色が違う用紙に、自分の買いたい数字を書き込んでもらう方式。(最初から数字を記入して売られている場合も)いずれも抽選は同時に行われる。さて1月22日の日記で書いたように、占い師に宝くじを買うように勧められ、モノはためし、ブログのネタにもなりそうだし(笑)と、私も今回タイの宝くじに初挑戦。番号は、占い師オススメの通り、今の部屋のルームナンバー。最初は、3桁の「フアイ」を20バーツ分だけ買おうと思っていたんだけど、つい50バーツ分買ってしまった。そして、気になる結果は・・・・はずれーーー!!でした。でも、当選番号4つのうち、一つは結構惜しいといえば惜しい、かな。3桁の数字のうち、2つまではあってたんだけどなー。やっぱりタダでやってもらった占いだから、最後の詰めが甘かったのか(笑)今日は外出先から帰ってくる途中、ちょうど抽選の時間帯で、パクソイあたりにある店、食堂では、店の人たちがみんなテレビで抽選会場からの中継を見ていて、「○×○△(番号)だって!」「いやっほー!!」と、当選番号を叫ぶ声や、喜び、落胆の声が、あちらこちらから聴こえてきた。そしてウチのアパートにつくと、守衛さんたちのたまり場からもまたもや「2桁の番号は・・・・」と、なにやら宝くじ関係の話題が。・・・みんな買ってるのね、やっぱり。宝くじ大好きなタイの人たちにとって、宝くじ抽選日は全国区の一大イベントみたいな感じ。さて、私の場合。ビギナーズラックの期待がありつつも、結局惜しくも?今回はハズレてしまった。でも、宝くじを買って以来のこの数日間は、財布の中に入れたくじを見るたびに、なんとなくワクワクしたりして、それだけで結構楽しめた。おまけに、パクソイにいる宝くじ売りのおばちゃんには、すっかり顔を覚えられ、前を通るたびに、ニコッとされるし。やばい、これをきっかけに病みつきになったらどうしよう・・
2006年02月01日
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