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■追記タイム イズ マネー。渋滞は、マネー・ロスなり。国土交通省の昨年の調べでは、渋滞による全国での年間損失は、約38億時間、費用にして約12兆円。損失額は、損失時間に平均的な賃金をかけることで算出しているそうです。ふ、む。途方もない数字に、なんだかわかった気にさせられますが、「損失」と言われるものの中身が、いまひとつピンとこない。仕事関係はそうなんでしょうが。スタートがあってゴールがあり、おおよそは誰もが、どこからどこまでとなにかの目的をもって進んではいるのだろうけども。「損失」という言葉でひと括りにされると、ちょっと抵抗を感じてしまいます。とどまることは、すべて損失なりと。まぁ、こういうことを、いちいち揚げ足とりしていても仕方がありませんけど。ちなみに、都道府県別に見た1kmあたりの渋滞損失額が最も多いのは、東京都で年間4.35億円。2位は大阪府の3.38億円。以下、神奈川、埼玉、愛知、千葉、沖縄、静岡と続くそうです。やはり、都市部が中心。最も少ないのは、岩手県で0.18億円。おお、「がんばらない宣言」の成果か、これも。でも、宣言は今年からでしたね。-----------------------------------------------------------------------------------------------「東名高速、○○停留所付近で約○○kmの渋滞・・・」おなじみのニュースとともに、車中民族大移動のピークはこれから?パーキングエリアの混雑、トイレの渋滞、進まぬクルマの列。「いやぁ、疲れました」「この時期しか、休みがとれないので」これまたおなじみの声が聞こえてきそうです。と言いながらも、渋滞にどっぷりとハマる。「その場」に出かけ、渋滞に疲れ切る。そうすることで、連休気分を味わう。「確かに、出かけてきたのだ」という充実感をもつ。そんな心理があるのだと、いつかの新聞で読んだことがあります。なにかをしたという充実感・満喫感を、「渋滞」に置き換える。そんな深層心理が働くのでしょうか?とくに肯定も否定もしませんが、いつの頃からか、そんな時間の過ごし方が苦手になりました。ということは、前にはそういう面もあったかもですが。同じように、行列もだいぶ前から苦手になりました。ラーメンの行列…みたいなものは、もうなかなか・・・「そこまでして」もあるけれど、年齢を重ねることによる生活活力のダウンかい?も、ほんのちょいとだけ。嗜好の問題?混むところは俗っぽい、つまらない。と、決め込んでしまうのもなんだかで。大型店舗やスーパー、商店街の混雑は好きだったりするのですが。人が集まるところに、人は集まる。なにかを見たい、知りたい、ふれたいという人の好奇心にあふれる場所なら、そのこと自体にふれ、集めてみたい気はします。
2004.04.30
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■追記死を題材にした本は、どのくらいあるものなのでしょうね?「人間臨終図巻」(山田風太郎)「大往生」(永六輔)「病院で死ぬということ」(山崎章郎)「死の壁」(養老孟司)「死体は語る」(上野正彦)「死を前にして歩く」(種田山頭火)「死にゆくものへの祈り」(ジャック・ヒギンズ)さしあたって、このくらいしか思いつきません。名著と呼ばれるものもあると思うのですが、「こんな本があるよ」というのがあれば教えてください。「死を考えることは、生を考えること」という言葉があったかどうかですが、身近で避けて通れないテーマである割には、意外と無頓着になってしまっています。ある程度、年を重ね生きてきて、身辺を振り返れば、死に出会ってもきているのに、毎日、思い出すこともないわけではないのに、生きている日常に逃げ込んで、意図的に自らを鈍化させている部分もあるのだろうと思います。日々、やることとは別に、きちんと考えなければ、きちんと考えないうちに死んでしまう。それもよかろうかとは思いますが、それで自分をほんとに生きたことになるのだろうか。えらそうには言えません。人…いやいや、自分という人間は、その面々で懲りないらしい。昨日の自転車、先ほど買ってきてしまいました。いやはや。-----------------------------------------------------------------------------------------------天気晴朗。なれど・・・なんでしょう? 一部では、黄金週間の始まりらしいです。過ぎた1/3年を振り返って、「相変わらず停滞しているな」などと思ったりするこの頃。故郷の友人から訃報メールが届きました。中学時代の同級生で、成績優秀、柔道部の主将、中古車販売業のオーナー、町の議員に再選されたばかり・・・で、腎不全だそうです。順風満帆かと思っていたら、なかなか人生は上手くいかないものですね。中学時代から社会人になってまで、振り返れば、ただ存在を知っていたというだけの関係を含めて、けっこうな友人・知人が旅立っています。自ら生命を絶った人:3名 交通事故で亡くなった人:2名病気で亡くなった人:3名 そして「餓死」した人:1名亡くなってはいないけど、高校時代に生徒会長まで務め、その後、2度の詐欺事件を起こし、全国指名手配の中で捕まった者、ストーカー事件で捕まった世界史の教師、などという人たちもいました。知らないところで、まだまだいろいろあるのだとは思いますが。自殺した一人は、前の会社関係の人で、これまた傍目には順風満帆。家族も理由がわからないそうです。残された者はつらいですね。元上司の個人メールに言葉を残し、朝読んで、あわてて確認したら本当だった。もう一人も、前の日、友人に冗談のように自らの死をほのめかしたそうです。これも、冗談だと受け流した友人は忘れることはできないでしょう。ダイイングメッセージ? 自ら死を選ぶにしても、誰かになにかを、自分が生きて、在ったということを残したかった?ちょっと、暗いですか? ドント クライ。「暗い」というつもりはないんですよ。いま、世界に目を向ければ、暗いどころか、悲惨・残酷・むごたらしいこともたくさん起きていますね。大きなことなど、なにも言えないけど、近い遠い身の回りで起きてることに、なるべく感じられる人間ではいたいと思っています。今日も、ごはんを食べ、歯を磨き、誰かとばかっ話をしながら、一日が過ぎていくかもしれませんが、あとどれだけ生在る人でいられるかわかりませんが、ちょっとそういうことも書きとめておきたいと思いまして。しかし、真夜中の訪問者(ウイルスメール)、あれなんとかならんですかね。うるさくてしかたがない。
2004.04.29
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■追記2「セカンドウインズ」って、言ったと思ったな。確か。ランナーズハイとは、ちと違うけど、気持ちよくなる点においては似ているか。ロードレーサーに乗っていたとき、長乗りでスピードを意識する。一定の速度を保って走り続けるうち、だんだん苦しくなってくる。それでもなんとか保って走っていると、急にラクになるときがあります。一時的に体内酸素摂取量が増えることで、同じエネルギーを使いながら、カラダがラクに感じてしまう。そんなに多く経験はないのですが、自転車の雑誌で読んで、実際になって、ほほぉ~、こんな感じになるんだと思いました。仕事や物の売り上げ曲線でも、似たような現象を指す言葉があるらしいのですが。ツール・ド・フランスに代表される自転車競技(ロード)には、このスポーツ特有の暗黙のルールがありますね。先頭を走る者の風の抵抗は、交替で受ける。個人の場合はライバル同士が、団体ではエースを先導するサポーター役が交互に引き受けています。マラソンでもあるようですが、ぴたっと背後霊のようにくっついて、いくら先頭者が、「今度はお前が」とジェスチャーしても流す人は流すようです。この辺、自転車は許されない行為になるのではないのかな?それだけ、空気抵抗がレースに与える影響が大きいのでしょうね。近頃のスポーツ界を見ていると、人の摩擦や抵抗が選手選考や将来を左右しているような気がします。もっとも、これはどの分野でも一緒かな。------------------------------------------------------------------------------------------■追記面白いは、ご近所にある。自転車でのぶらぶら散歩を、「ポタリング」なんていいますね。個人的な嗜好・志向ではありますが、趣味を訊ねたとして、「散歩」あるいは「自転車のぶらぶら散歩」みたいな答えが返ってきたとしたら、その人を好きになる下地が、はい出来上がり。深い意味はありませんが、「近場の発見」を楽しむ人を面白いと思ったり、信用したいと思う傾向はあるようです。実際、楽しいですよ。自分の住んでいる町を、点ではなく線や面として知ることは。クルマの抜け道や、町はずれの洋食屋さんを見つけたり。路地裏の小さな趣味の教室を見つけたり。お店や道のつながりを知るだけでも、ずいぶんと新鮮な気分になります。一度、フライフィッシングの毛ばりを作るところを、飽かず見ていたことがありましたが、町の職人の技を眺めるのもいい気持ち。あっちゃの細道、こっちゃの小道、思いにまかせて引き返したり。が、自転車のいいところ。しかも、けっこうけっこう遠くまで行ける。身近に日常世界が広がるっていいもんだ。以上、自転車普及協会でした。ちゃうちゃう。気づかぬ関心やお楽しみ、ついでに解決のヒント・糸口も、意外と自分の近くにあったりしますね。-----------------------------------------------------------------------------------------------26in・18速・ダブルサスペンション、MTB ¥12,998&¥1,1800。本日の折込チラシから。もう、自転車もここまで来てしまいました。ディレイラー(変速機)などの技を要する部分を除いて、メイド・イン・・・となり、お買い得となるのでしょう。売る側には、薄利多売なのかもしれませんが、成熟商品ですから、しかたがない面もありますね。釣りや各種のスポーツ、趣味の世界でも、すべてそうでしょうが、プロ&こだわり価値と、汎用性の高いモノとして価値を届ける場合は、売り方も、伝え方も、集める人も違いますから、売る側がどうするか、したいかの問題ですね。おっと、こんな話ではなかった。また、自転車がほしくてウズウズしているところに、こんなチラシを出されて、どうしようか迷っています。昔、ロードタイプを買って観音崎まで遠出(といっても1時間)したり、ママチャリでいいやになったり、買い乗り、飽き捨てをしてきた人間は、ある種の罪悪感を感じながら、どうしようか迷っています。こういうとこにも、黄金週間=アウトドア系チラシ増、の足音が聞こえます。自転車は、人間が発明した乗り物の中で、もっともエネルギー効率のいいもの、でしたよね?なぬなぬ、「チェーン伝導によるパワー損失が、わずか1.5%。自動車の場合は15%もある」ほぇ~、そりゃすごい。やっぱ、チャリンコでしょ♪(牛乳も飲もうね)(こんな時間。現実に戻りましょ。たぶん、まだ続く)
2004.04.28
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■追記2感性・経験・勇気を総動員し、「まさか」という方法に賭けた奴が勝てる奴。と言った、あることで多くの支持を得ている人がいます。普通に入手できる知識や情報は共通で、それをベースにしてなにかを仕掛けても、つまらなくなるだけだと。この人は、仕事の打率が下がったとき、いろいろ考えて、「お試し済みの情報から、『これ、面白い!』を一つだけ提案する人間であろうと決めた」そうです。いま、みんな「知りすぎ」で疲れ、迷っているのだと。これも、「ええねん」のスピリットを、ちょいと感じました。某デパートで、「げげげの鬼太郎 妖怪展」を開催中。いろんなグッズが売っていました。妖怪も商売、商売。 …-----------------------------------------------------------------------------------------------■追記た、台風か? 風雨が、すごいです。風が泣いているゴゴゴゴー♪です。これから外出しなくちゃいけませんが、イヤだ・・・ああ、でも、ええねん♪外出先に、若くてお美しい女性が現れるという特ダネをつかんじょります。ハピー♪ ええねん、ええねん♪今日は、これで生きていける。へへへ。そのあたりに、紀伊国屋書店の大型店舗もできたということなので覗いてきましょう。親戚のダンナさんが、紀伊国屋書店の本店にいるなんてことも、つい先だって知ったし。ちょっと、こりゃ使えるかも。自分勝手に、ええねん♪「アマゾンを見ている」って言ってたな。おいおい。研究ね。ええねん♪「ええねん」が、最初「A面」と聴こえ、すべて気分はA面でいくべぃ、なんて歌なのかと思いましたが、今日は、これからええねん、A面♪-----------------------------------------------------------------------------------------------風雨、グレーの空の中、FM番組からノリのいい曲が流れています。ウルフルズの「ええねん」昨年の12月に、アルバム発売になっているそうで。初めて聴きました。遅れてるけど、なかなか、ええねん♪「全肯定ソング」と呼ぶ人もいるということですが、「この手の歌は…」という否定が含まれているのかな?ちょうど手元にインタビュー本があって、その中にトータス松本さんも。「根拠のない自信。それがないと、なにも始まらない」の見出し。あら、先日、新聞で読んだ、誰かと誰かの対談タイトルとほぼ同じだ。「自分にはえらい才能があるっていう自信。それがないとなにも始まらんと思う。たぶん、絵の上手い子っていっぱいいると思う。ただ最高のタイミングで褒められているかいないか。勘違いできたかできなかったか。それで、人生はまるで違ったもんになると思うんですよね」なにかをしようとするときに、絶妙の間合いで誰かの声や後押しを得る。成功者の話を読んだりすると、そんなことが書いてあります。「一人の力だけでは」というのは、確かにそう思うのですが、その前に「一人の力への勘違い」「勢い」自分のなにかしたいこと、そういうことなら大いにいてまえ、でいいのかもしれないですね。トータス松本さんの曲のベースには、いまでも根拠のない自信と元気があるのかな。周りも、自分も、社会も理屈、変化球にあふれているときに、あえてあえてのストレート。教え諭さないところがいいのでしょうね。でも、考えてないストレートではないと思いますけど。吉田拓郎さんが、「ガッツだぜ!」が大好きで、以前、コンサートのアンコールの際に歌っていたとTV番組で言っていましたが、なんかわかります。今日は、雨・風が強いです。外出すると、濡れますね。ええねん♪・・・で、行きましょか。なんとか。
2004.04.27
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■つづ記 でも、こういう場合は、どうでしょう?バックや香水、ジュエリーなどのにせブランド、名画の贋作etc.本物でないモノ、本物と言われないモノに、大いに満足を得た。他の人はどうか知らないが、モノを見る目はどうか知らないが、当人のモノを手にした喜びやウキワクとする気持ちは、心からのもの。毎日、それを眺めたり、使ったりして「ああ、気分がいい」と感じる気持ちは、本物を知らないニセモノの喜びになるのか?(法律的なことは抜いてくださいね)なんだかわかりにくくなってきました?でも、この「本物」「ニセモノ」という話になったとき、使った側の実感・体感を含まない、モノそのもので語られた、「本物」も多いのではないのかと思うのです。「本物」の指すところって、なんでしょうね。ニセモノが広め、本物になったということもあるのではないかと思います。ぼくは、¥100ショップのクラシック♪を、よく買ってきます。「映画の中のクラシック」「テレビの中のクラシック」など計30枚近く持っています。クラシックは、1枚あたり9~10曲、曲目により演奏時間をカットしています。でも、これを聴くようになって、クラシックを聴くということが、聴いている時間が、とても心地よい。リラックスできる。いやぁ、いいもんだなぁ。と、思うようになりました。その中で、単独で聴きたいものがあれば、あらたに買ったり、元々そうしたいものは、そういう買い方をしています。いずれにしても、¥100CDだろうが、¥3,000CDだろうが、気持ちいい。気持ちいいことの上において、音の違いがあったにしても、個人的にはあまり意味がないなぁ。肝心なのは、聴いた結果、自分がどれだけ「ハッピー」と感じていられる時間をもてたかということなので。よりいい物を知ったとき、「本物」の良さがわかるのだろうけど、そこまでいかない心地よさを「本物」と感じているのなら、それはそれでその人にとっての本物ではないかと。刃物や道具類など、「確かに違うな」と思うものはありますよ。でも、それも使ってみての感じ方ですから。-----------------------------------------------------------------------------------------------他者が「本物」と認めないモノへの、自分の心からの喜びはニセモノか?一ヶ月くらい前に、約1万円のスニーカーを買いました。ぼくにとっては、スニーカーの1万円はちょっと大きな買い物。でも、やっぱり買って正解。はきやすい、歩きが心地よい、デザインが好き。買う前にもったイメージと、買った後の評価が同じ。満足度100%。ぼくの買い物としては、めずらしい。「うん、出したなりの価値はあるな」「いい物は、いい」物には、高いから買いたい。高くても買いたい。高くないと思えるから買いたい。安いから買いたい。安いものでいいから買いたい・・・など、人によって、時々の価値と買い方があると思います。「価値」というとき、モノの価値、技の価値、手間暇の価値、ブランドの価値など、モノをつくり、売る側が届けた価値を、自分の価値に置き換えて見たり、買ったりすることが多いのではないでしょうか。えっ?「当たり前でないの」・・・そりゃ、そうだ。でも、こういう場合は、どうでしょう?(夕方?に続く。お仕事お仕事)
2004.04.26
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■追記休日の夕方の散歩道。 自宅から20分も歩けば、隣町。ベイエリアがひろがります。海の向こうは、房総半島です。反対側に20分いけば山があり、ハイキングコースになっています。両隣りの町と合わせて、ご近所は元々、複数の山で成り立っていました。歩くと、凹凸だらけ。町と町との境が谷間。今は道となったその脇にはいずれも川が流れていて、埋め立てて道にしたのでしょうね。写真も、昔は手前からずっと海だったと思います。ヨコハバは、ちょっと町へ入ると、山と坂道と細道、くねり道。澄めば、冷奴。(住めば、都。きっと通じない人もいますね)お金か気持ちにゆとりのある人にとっては、けっこう住みやすい所だと思います。もちろん、両方あっても差支えありません。なくてもオッケイです。税金は高いと言われています。ぼくのような田舎者、生粋のハバっ子織り交ぜ、人はいいと思います。散歩は、目にもいいそうです。街路樹の木々の緑を眺めるのもそうですが、遠く近く、自分の関心のままに注視することで、目の筋肉を使うのがいいのだといいます。ずっと見ているのではなくて、ぱぱっと目が移動するのがいいらしい。遠くは、海や山の緑、空の青、夕焼けなど。近くは、面白いお店や看板とかがたまにあるけど・・・やっぱり、女性。うん、女性がいいなぁ。ぱぱっと目が移動しないけど。へへへ。これは、散歩の時間のプレゼントだ。 -----------------------------------------------------------------------------------------------マウイ島のクプナ(長老)の言葉から。「自分が十分に幸せかどうか迷っているときは、幸せではないのだ。いつまでもごまかすことはできない。そのうち、喜びの不足が追いついてくる。病気になるとか、何かを失うとか、個人的な問題が起こって注意を呼び起こす。最高の財産・・・いまという贈り物・・・を浪費していることを伝えようとしているのだ。だから、『現在』はプレゼントというのだ」もっとらしいですね。しかも、人の言葉を借りて、こうして書くと。はい。わかっていて書いています。誰かに言うというよりは、この場を利用して、人の言葉をなぞることで落ち着きたい。そんなところでしょうか。こういうときは、あまり精神の状態がよろしくない。その訳が、ぼや~としているから余計なのかもしれません。突然、こういう気持ちに包まれることがあります。皆さんは、どうですか? ああ、いま思いましたが、精神免疫だとか診療内科だとか、リラックスだとか、生き方だとか、そういう本をちらほら眺めたときにはそうなるみたいです。反動ですかね? へそ曲がり?やはり、わけのわからない不安をかかえているのでしょうね。軽いうつ? それはあるだろうな。でも、よくわからないのです。あの手の質問を読むときというのは、こちらがその気になっているところもあるでしょう?星占いと一緒で、当てはめて読んでしまうから。なぁ~に書いてんでしょ。ぼくは、割かし平気でこうして書いてしまって、書いてるうちにスッキリしてくる。でも、周りに迷惑をかけることも。これは読んだ人がイヤなら、そこでぱっと出て行けるからいいけど、現実の場では、相手にとってはわずらわしいことこの上ない。しかも、言った当人がそれでスッキリして、何事もないようにまたゲラゲラばかっ話に興じているから、立ちが悪い。さすがに、いまは減りましたけど。代わりにここを使ってますが。いま、プログが流行っていることの背景には、「癒し」があるのだという発表をどこかで見ましたが、癒しという言葉は別にして、この広場で仕事を目的としないで公開日記を続けている人には、なんらかはそうしたものがあると、個人的には思っています。癒しならいいけど、依存する人が増えているそうですね。正直に言うと、自分も気をつけないといけないと感じています。この日記をやっていてよかったという想いとそうではない想いを比率で言うと、51:49です。49、そうではない想いがあるのに、やめられないところが面白いのですが。えと、なんか「プレゼント」という本を、「チーズはどこへ消えた?」を書いた人が書いてるらしいのですが、最初の長老の言葉はその本からではありません。リアルじゃない場で、なんでこんなことをことわるのか?そういう本を読むタイプではないと言いたいのでしょうな。ほんと、素直じゃない。読んで、前向きになった人も(そういう本なのですよね?)いるでしょうし、それ自体、なにも否定することでないし。やっぱり、昨日・今日は不安定じゃ。ああ、だらだら書いてスッキリした。散歩でも行こ
2004.04.25
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■追記2ハワイなどポリネシア文化圏の島々の言葉から。「Hanai」は、血のつながらない子どもを育て、愛し、世話をすること。「Hula」は、大地、祖先、家族との結びつきを現したポリネシアの踊り。「Alha」は、共感、愛情、配慮、同情、親切。その他、生きる喜びを分かち合うこと。「pololei」は、正しく、適切に結びつき、加わっていること。つながり。「Pule」は、祖先、創造者とのつながりを表現するための祈り、祝福。部族・種族の、自然と人間の、血の通った生きるための交わり。南の島の長い営みの中で育まれた、短い言葉にこめられた暮らす想い。「血縁淘汰」なんて言葉の後には、ちょっと心が和みます。-----------------------------------------------------------------------------------------------■追記「血縁淘汰(選択説)」という言葉を聞いたことがありますか?なぬっ? 説明しろってが? できまへん。でも、「血縁淘汰」と入れて検索すれば、いっぱい出ますので関心をもった人はどうぞ。ちょっと読んでみると面白いですよ。http://www.afftis.or.jp/konchu/mushi/mushi05.htmhttp://www.johos.com/joho/report/0024.html「利他的行動」・・・自分のためではなく、他のために何かをする行動。よく知られているのが、直接、生殖に関与しない働きバチが、なぜ幼虫の世話を一生懸命するのか? 他にも、働きアリなど。ダーウィンが『種の起源』の中で投げかけた、「利他的」な性質の子孫への継承についての疑問を、ハミルトンという人が画期的な理論を提唱した。(1964年、当時ロンドン大の大学院生だったんだって。すごいですね)一見、「利他的」は「利己的(遺伝子)」に関係していたり、それは突き詰めるところ、「遺伝子淘汰」の問題であったり。プライド(社会的な群)をのっとったライオンが、群の子供を殺し、メスたちに自分の子供を生ませる。鳥が、他のオスの卵を破壊する。トンボが、メスの体内から他のオスの精子を掻き出す。などというのも、遺伝子の継承に関係して説明できるらしいのです。アタマのいい人がこうした理屈を、なにかの言い様で使いこなせば、人や動物の個体・存在を良くも悪くも言えそうな気がします。ぼくはひたすら低俗に、「ぼくの我がままやいい加減も、ぼくという個体ではなく、組み込まれた遺伝子が悪いのです。文句は、遺伝子までお願いします」とだけ。-----------------------------------------------------------------------------------------------動物の血液型。たまたま、そんな言葉を目にして、そうだよなぁ、あるよなぁ。と、今さらに。ついつい、人間だけのもの・・・までも考えないなぁ、ふだん。これ、犬や猫を飼っている人は、どうなのでせうね。獣医さんに診てもらったりするから、常識としてあるものなのかな?ちなみに、犬には「1システムで3種」×「Dシステムで3種」=「2種のシステムの組み合わせで9種」なんだそうです。でも、なんで「1」と「D」なんだろ? 「システム」ってなんだ?「組み合わせ」ってなんだ? そこまで調べる気はないけど、ちょっとだけ気になる。猫の場合は、A、B、ABの3種類。ただ、人間のそれとは違うらしいです。O型はないんだ?血液型と性質や相性、血液型占いなどは、時代を問わず、人気があるけれど、動物の世界でもあるのかな? 動物同士とか、飼い主と動物とかで、どうなのかという・・・動物にも、積極的な犬や猫もいれば、引っ込み思案もいたり。目立たないのもいれば、血気盛んに前へ前へもいるのでせう。どこまで血液型と思考、行動が関わっているのかわからないけど、動物に置き換えて、お気軽に楽しんでみるというのもあるかな?いや、ないな。飼っていないから、関心が湧かないもの。だったら、書くなっつ~の。
2004.04.24
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■追記2学生時代、一人旅しかしないという友人がいました。理由を訊くと、「その土地の人と話をすることも、旅の大きな要素だと思っている」と。「複数で出かけると、自分たちでかたまってしまい、せっかくの接する機会を逃してしまう」。一人なら、道一つ尋ねることから、気ままな会話がひろがりやすいのだと言いました。そういう考え方もある。一人から、つながりゆく旅。彼にとっては、土地の人との会話そのものが、旅でもあった。夜だけ、集合の旅。というのをやったことがあります。年末~年始にかけて、京都・大阪・奈良・神戸を回りました。男4人の、むさ苦しいっ旅。なので、お互いずっと一緒になど居たくありません。ただ夜に、旅の酒を飲む仲間がほしかっただけ。「ほんじゃ、夕方5時の京都駅どこそこに集合な」とだけ決め事をして、思い思いに散ります。そのとき、ぼくは嵐山と・・・どこいったかな?尚、先斗町は、広場のお仲間にお知り合いがいるということで、ご招待で連れて行っていただける?ことになっています。一見さんおことわり、解禁の旅。道頓堀では、背中越しに女の子から「ご飯食べにいかへん?(あってる?)」と、声を掛けられ、「えっ?・・・さすが、大阪。積極的」と振り返ったとたん、「きゃ~~」と人ごみに走り去られてしまいました。。。「振りむ~かないでぇ、ヨコハバ+北田舎の人ぉ♪」JR山田線、盛岡~宮古間で車中の人となったのは、あれはいつのことだったか。元々が、北の出ですから珍しくはないはずでしたが、部活帰りの学生たち、その声、笑顔、車内にかよう土地の言葉。一駅ごとに、ぼくも地の人になった。そんな気持ちがしたのです。-----------------------------------------------------------------------------------------------■追記「旅を想うところから、旅は始まっている」そんな言葉を聞いたことがあります。訪ねたい土地の文化や習慣、言葉などについて調べてみたりする。そうすることで旅への想いは、それぞれの描く映像と重なって、ますます強くふくらんでいく。旅すれば、前もって知ったことや想ったことと、実のモノ・コトにふれたときの差異を感じたりもする。同じものを見て、人それぞれになにかを思う。あるいは、なにも思わない、感じない。「思う、感じる、気づく」ことの土台にあるのは、知る・知っているということなのかもしれません。知識そのものではなく、「知ろう」という気持ちから生まれた知への想いや感情が、リアルな物事と出会い、新しい想いの風景を胸の内につくりだし、経験知として育まれていく。知り、ふれることに、旅あり。旅せよ、乙女。オジサンも。国内でしてみたい旅は、市場をめぐる旅。市場の食堂を訪ねる旅。ありきたりかもしれませんが、やってみたいんだなぁ。とりあえずは、気仙沼あたりから三陸海岸沿いを巡って、下北半島まで。くいしんぼう・・・。どっかの番組みたい。開口健さんあたりが、いろいろ書いてそうですけど、ぼくがずいぶんと前に読んだのだと、村松友視さんの「市場の朝ごはん」というのがありましたね。ほらほら、絵が出てくるでしょ♪ 行きてぇ、食いてぇ。涎垂の旅。ジュルジュル♪---------------------------------------------------------------------------黄金週間、近し。ですね。旅の後、気持ちが落ち着いたり、仕事がスムーズに運んだり、そんな経験はありませんか?あ、ない?・・・一応、あるって言ってくださいな。話が進まないから。で、そんなこともあるよなぁって、言われれば思うくらいに思っていたのですが、旅にいわゆる「癒し」の効果が、ほんとにあるらしい。そういうことを科学的に実験してるところもあるようでして。人は、ストレスを感じるときコルチゾールという物質が体内で増えるらしいのですが、たとえば、どこかへ旅行に行って、旅先の空港や駅に降り立ったときから分泌量が低下し、日を追うごとにどんどんと減るのだそうです。うむ。それは気分的にはわかるかな。目的地に着いたときの「ああ、来たか」みたいな、パァ~と気持ちの視界が開けるような。そんな気になるものね。癒されてるときに脳内に分泌される物質も大幅に増え、脳波もアルファ波も増加し、リラックスを示していると。旅の後も、何日かはその状態が続いたと。いい具合になった人には、仕事や私生活にも、まさにプラスアルファがあるわけですね。黄金週間。どこへ行っても混んでいそうですが、まだ予定を組んでいない人は、小さな旅でも考えてみてもいいかもしれません。近くも旅。町も旅。森も旅。公園も旅。旅は、日常の中にもある。これなら、行けるかな。「たまには、ババ~ンと」もいいけれど、やはり、旅の質、が肝心。ということにしておきましょう。
2004.04.23
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■追記2Q3の答え・・・ヒント --------------------------------------------------------------------------■追記Q8.「泰山は土壌を譲らず」「人間到る処青山あり」「風林火山」「人山人海」「山中暦日」って、どんな意味?Q9.Googleで、今日現在、「山」と入れて一番目に出てくるのはなに? (ヒント:出版社)--------------------------------------------------------------------------こちらは、日中27℃まで上がるみたいです。今年、一番かな?■あっぱれ山クイズ。Q1.写真のお山は、いつ頃(季節)、どの辺りから撮った、なんという山?Q2.このお山の高さは?Q3.昨秋、このお山について発表されたことは?Q4.山頂にいる人の数は?Q5.彼らが経験する(できる)自然現象とは?Q6.訪問者にはどんな…?Q7.このお山の利用方法を、好き勝手に教えて? (例えば、このお山の型を作り、「○○山の素」として売り出すなんていうのもオッケイ。 ルールは、こういうのはダメというルールで考えないことだけです。)
2004.04.22
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■追記2ドビュッシーとラヴェルは、ともにおフランスの人。ある作曲家が、「フランスは好きだが、フランス人は大嫌いだ」と言っていましたが、あ~、なんとなく、どうなんでしょう?わからないでもないけど。まぁ、人それぞれでしょうから。フランスは、農業大国ですよね。穀物自給率で言えば、何年か前には140%くらいだったと。日本は35~40%でしょうか。世界の中でも最低水準だと思います。フランスと食材。南フランスの燦々と陽光の降り注ぐ中で、豊かに育つとりどりの農作物。なんていうイメージも湧いてきます。南仏の陽光に恋焦がれ、その光を求めてやってきた画家もいましたね。いざというとき、食べ物を自前でまかなえる国は強い。だからというわけではないでしょうが、お国柄や気質に、こうした無意識?の自信も加味されて、あいつでかいぞ、態度がジャンボ♪ となるのかも。そんなことないか。--------------------------------------------------------------------------■追記ドビュッシーの「月の光」を聴いています。朝の光を浴びたら(浴びてないけど)、今度は、夜の光でも。と思って、古いテープを引っ張り出してきました。ありきたりですが、ピュアで幻想的で、いいっすねぇ♪月光を浴びながらそよぐ草の海のように、旋律が五線譜を揺らめいているかのよう・・・なんて。ドビュッシーは、「フランス印象派の代表的作曲家」と言われているようです。音楽を映像としてとらえたはじめての作曲家で、「色彩とリズムをもつ時間」が特長的で、音楽表現の領域を高めたそうです。ほほ、なるほど。言葉としての知識はありませんでしたが、ドビュッシーの音楽に触れたことのある人なら、「音楽と映像」を体内感覚として自然に受けとめてきたのではないでしょうか。「月の光」の他にも、「夢」も知られているのかな。全然詳しくはないのですが、好きなジャズメンがよくあげる音楽家でもあったので、では、と聴いてみたりするようになりました。各分野で影響を受けた人がいるようですが。もう一人、ジャズを演る人たちがあげていたのが、ラヴェル。「ボレロ」が有名ですね。同じ旋律を繰り返しながら、次第に感情を高ぶらせていく独特の手法。「音の錬金術師」とか「オーケストラの魔術師」などの異名があるくらい、楽器の音色や配色について、繊細で表情が豊かだった…うむ。これもカラダは、おそらく感じてたという程度でして。最近、こうしてPCに向うとき、クラシックをかけることが多くなりました。理屈・理論はわかりませんが、なにか作業をしていて、とても心地よい。同じ曲を、繰り返し聴いていても飽きないですね。というより、流して聞いているからなのでしょうが。いや、流してないのもあるぞ。アニメ「あたしんち」のエンディングテーマでも使われている「威風堂々」など、思わずペンをタクト代わりにして、指揮者気分を味わったりしています。音楽は分野を問わず、あるとき、すぅ~と好きになれるのがいいですね♪--------------------------------------------------------------------------オープン。もっと光を、我が日常に。生まれてから一度も目覚まし時計を使ったことのないと言う、早起きの達人からの伝授は、意外と簡単なものでした。「寝るときに、カーテンを開けて寝る」そうすることで、朝の光ともに自然に目覚めるのだと言います。本でたまたま知ったのですが、長年、この方法で確実に目覚めるのだと。朝の光と目覚め、体内時計や生体リズムの関係については、いろいろな説や文献もあるのだと思いますが、カーテンを開けて寝る。というのは気がつきませんでした。カーテンは閉めて寝るものと思い込んでいたから。これからの時季、試してみるのにはいいかも。環境的に、フル・オープンはやりずらかったりするけど、光が寝床に入るくらいならできるかな。オープン。開けることで、光射し、目覚めのときを迎える。そういう意味では、こうしてここに書くことにも一理あり。日々、もっと優先させることがあるだろうと思いながらも、ついつい気になり、なにかを書きとめる。それが個人的な想いにしても、なにかを声にし、誰かの声に反応してみることで、自分でも気づかなかった日常を開け、光を浴びることになるかもしれない。開けて、入る光でもたらされる、生活酸素。さて、今日はどんな暮らしの光合成が行われるのか。
2004.04.21
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■追記2俵 万智さんの本、はじめて買ってみました。古本屋の店頭¥100コーナーで。いや、申し訳ない。でも、この本で過去のフィリピンの旅行とつながるとは。1997年5月初版 同年7月末日40版。いやいや、すごいですね。「男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす」「恋には、大人の返事など、いらない。君に向ってひるがえした、甘く苦い反旗。チョコレート革命とは、そんな気分をとらえた言葉だった」だそうです。------------------------------------------------------------------------------■追記「ゴミ捨場に歌を歌える子どもには歌いたいから歌う喜び」「ゴミは拾い家計を助ける子どもらのなんだろうこの明るさは」「子どもとは何をおいても笑わねば、笑わねばならぬ生き物と知る」「こんなにも嬉しいことであったのだ、そう、学校に行くということは」「文明とはすなわちゴミの異称にてコーラの缶を投げる青空」(俵 万智 /「チョコレート革命」 スモーキーマウンテンより抜粋)確かにフィリピンの人たちは、屈託なく笑う。子どもたちは、とくによく笑い、人なつっこい。貧しさをまったく気にしない、というより、あれは地の笑いではないのだろうかという気がする。あきらめの笑いでも、悲しみ慣れの笑いでもなく、一人の人間と人間が、同じ時間を共にすることを素直に楽しむ。そんな大らかな笑いのように思えます。みんなよく働きます。子どもたちは、朝早くから渋滞の街に出て、車の間を縫って朝刊を売る。夜遅くの道は、仕事帰りのバイクやオート三輪などで混雑しています。セブ島に泊まったとき、ホテルの周りには高い壁やフェンスが張り巡らされていました。敷地内は、外国人のためにつくられた楽園。楽園の周りには、まだまだ未開の地の暮らしが広がっていました。ホテル内を散歩すると、フェンス越しに母娘が「アクセサリーを買わないか」と声をかけてきます。貝殻でつくったアクセサリー。誰かが通るまで、一日中そこにいるのです。ホテルスタッフになれるのは、限られた者だけ。仕事がないのです。翌日、ルアーフィッシングをしようと、ホテルの外に出ました。あの母娘が近づいてきました。ロッドを振るのをやめ、話をしました。「日本は憧れの国。でも、永遠に夢の国」。にこやかに、優しい笑顔で、そう言っていました。目的はあったでしょうが、言い出そうとはしませんでした。「記念に、なにか貝殻のアクセサリーをくださいな」とてもうれしそうな顔をしていました。これも、旅の縁(円($))なのでしょう。話を戻して、スモーキーマウンテン。いまさらながらに知った映画、「神の子たち」「忘れられた子供たち 」のこと。ゴミ捨て場崩落事故に始まり、ゴミ捨て場で生活する3家族を通して描かれるもの。監督は、「ゴミ捨て場に住む人々の悲惨さではなく、ここで胸を張って暮らす人々や家族の姿を伝えたかった」そうです。成田からマニラまで、約4時間。旅の空の向こうに約7000の島々。マゼランが戦いに敗れ、死んだ国。日本の戦禍を大きく被った国。日本とつながりの深い国。------------------------------------------------------------------------------「地図になきスラムの名前 煙なす『スモーキーマウンテン』塵芥の山」(俵 万智 /「チョコレート革命」「旅過ぎて 深夜につながる 忘却の風景と週末とぽんぽん船¥100本」(雲珍)山高く積み上げられたゴミが、自然発火して煙を上げ・・・スモーキーマウンテン。フィリピンのマニラ市の北に位置する、東洋最大のスラム街と言われた所。地図にない村。地域の再開発政策が進められ、強制退去の後も、スモーキーマウンテンの向かいに、新しいゴミの山ができ、そのゴミを拾って売って暮らす人たちがまだ多いのだそうです。一部の富裕層が国の富を独占し、コネなき者には夢もない国とも。スモーキーマウンテン。腐敗臭は、くすぶっているのは、ゴミ山だけなのでしょうか?
2004.04.20
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■追記リアミラーを、どうやら盗まれたようです。誰だよ、ったくよぉ。状況的に自然に落ちたり、ぶつけたりが考えにくいのでヤラれたんでしょうなぁ。しかし、こういうものも盗るんですね。破損なら「あらら」だけですが、他人の仕業(の可能性が高い)は、ちょっとねぇ。よかったよなぁ、お互いに出くわさなくて。ぼくは、こういうとき意識的に感情をキリたい方で、できてない人間なので、ぼくのためによかったです。これは、ぼくにとって「正しくな~い」出来事なのであ~る。------------------------------------------------------------------------------Googleで、「正しい 方」と入れてみました。http://www.google.com/search?q=%90%B3%82%B5%82%A2%81@%95%FB&num=20&ie=Shift_JIS&oe=UTF-8&hl=ja&lr=lang_ja&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5あら、出るもんですね。上から順番に・・・「正しいアダルトサイトの歩き方」「正しいコンドームのつけ方」(コンドームの達人による伝授だそうです)「正しい手乗りうにの育て方」「体脂肪の正しい減らし方正しいパクり方」「正しいタコチュウの遊び方」「体脂肪の正しい減らし方」「正しい遊び方」「正しい日常生活の送り方」「ワーファリンの正しい飲み方」「子供の正しい殴り方」「台車の正しい乗り方」「東横線の正しい乗り方」「正しいベビー靴選び方」「正しいエイプリルフールの騙し方」「簡単で正しいHTMLの書き方」・・・・・・ふぅぅぅ。「119番の正しいかけ方」「相対論の正しい間違え方」なんていうのもありますね。まだまだありますよぉ。お試しに、お遊びにいかが?「正しい」とは、私やぼく一個人や一組織から見た「正しい」という意味にとってもいいんですかね?「なにかを基に組み立てた、自分なりの考え方です」という前提付きの声、意見ということでいいのでしょうか?世の中には、長い歴史や宗教観、価値観、それぞれの都合などもあって、簡単に「正しい、正しくない」と言えないもの。そういう分け方をしてはいけないものも、いろいろあると思うのですが、どうでしょうか?だいたい、よくわからないのに「正しい、正しくない」なんて言えないし。「正しい~~方」という言い方には、「あなたに、このように思うことを要求します」というトーンがこめられているような気がします。(小学校の頃、なにかの多数決を黒板に書くのには便利だったけど。)お笑い的な意味合いで使われる場合もあるでしょうが、そうでない場合も、けっこうありますもんねぇ。ところで、誰か、「正しい世界の見方」なるものを教えてくださいませんか?世の中が、たいへんなことに満ち満ちているのに、フィリピンの♂♀♪に一時、心惹かれたばか者を、今日も歯磨いて、飯食って、ンコして、あの仕事しないとお金にならないと言っているばか者を、「それは正しくない行い」だと言ってくださいませんか?聞くフリだけはしますけど。
2004.04.19
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■追記Kikiさん。フィリピンのご両親、共にシンガーだそうで、その血を引いたのでしょうね。10人兄弟・姉妹。あちらでは普通だそうです。「日本人は仕事がイチバン、フィリピン人は家族がイチバン」「ワタシたちの仕事は、すべて家族のため」と言っていました。日本人は仕事がイチバン…がどうかはさて置いて、フィリピン人は家族がイチバン…は、そういう人が多いのかもしれないですね。過去2回ほどフィリピンに行きましたが、ホテルスタッフや町の人など、話をする機会があった人がハン押しで言っていたのは、家族への想いです。夜7時頃、ホテルから繁華街に繰り出しました。40~50分ほど走る道の両脇に、家々が点在しています。どちらかというと、あまり立派ではない家です。そのどの家の家族もが、外に出て話をしているんですね。クーラーもないでしょうし、夕食後に涼みを兼ねて、ああして時間を過ごしているのだろうか。家族の時間を。ほんとうにそうなのか、運転をしてくれたホテルスタッフの人に訊いてみたところ、やはり、そうなのだそうです。もちろん、全員ではないでしょうが、「家族が一緒にいられるときにいる。ということを、とても大切している」と。地元ドライバー君、当時、まだ20代後半と言っていましたが、すでに子どもが4人。「普通」だと。「日本人は、とてもお金持ち。私たちは、とても貧乏」「でも、家族のためにこうして働けることを、ハッピーに思う」そう言っていました。ストレートに、肩に力を入れずに、そう言える彼に好感をもちました。同時に、その時は以前勤めていた会社の旅行だったのですが、なんだか恥ずかしい気持ちになりました。助手席から見た、満天の星空がきれいでした。多くの商店の窓に鉄格子が付いていたこと、マニラ国際空港に向う途中の大きな橋の下にひろがるスラム街も印象的でした。------------------------------------------------------------------------------一人部屋の中でグズっていて、いいことあるの?人生はキャバレーキャバレーにおいでよ生きてりゃ、幸も不幸もいろいろそれでも、自らなにかを求めてなにかに出会いつらい出来事に傷つきながらも精一杯、感動して生きなきゃ人生つまらないじゃない好きに笑って 好きに泣いて好きに暮らそうよキャバレーにおいでよ歌詞通りではありません。このような内容ではないかと。深夜の酔いの中で、心に響いた「人生はキャバレー♪」映画「キャバレー」は、ナチス台頭の頃のベルリンを時代背景としているのでしたね。ユダヤ人への迫害、親衛隊、さまざまな人たちの関わりあいなど。 歌ってくれたのは、N.Y.N.Y.のKikiさんです。ちょっとケイタイ映りがイマイチですが、ほんとはもっときれいです。いんやぁ、それにしても彼女?の華奢な身体で、すごい迫力、歌唱力♪ライザ・ミネリにも負けてないよん。たぶん…酔いの倒錯で、個人的な想いも、タコサン入って♂♀∽あちらにも商売とはいえ、けっこうお気に召していただけました。う~~ん、あぶなかった。踏み込んでみたかった?あっちの世界。世間が、世界が、毎日、大変なことになっているのに、ノーテンキですんまそん。映画、イスラエル、それにお店の名前に・・・ムリにつなげる必要はないのですが、ちょっとなにをか感じた夜でした。ちなみに、ライザ・ミネリのお母さんは、この人でしたね。
2004.04.18
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■追記横須賀は昨年、ペリー提督が浦賀沖に来航以来、開国150周年を迎えました。「よこすか開国祭」と称して、今年もちょこちょことイベントが組まれているのではないかと思います。ネット情報で知ったのですが、三谷幸喜さん描くところのNHK大河ドラマ「新選組!」で、「近藤勇・土方歳三・坂本龍馬・桂小五郎の四人が連れ立って黒船を見に行くという場面が一部で批判されている」・・・のですか? 史実ではありえないと。(少し前の情報ですが)ぼくが読んだものには、龍馬さんが浦賀水道を見下ろす小高い丘から、一人で見つめていたとありました。史実ではありえない、ですか。ふ~ん。観てないので、まったく内容は知りませんが、「だとしたら、どうであったか」ということを描いているのではないのですか?これは、ドラマですよね。三谷幸喜さん、面白い人ですね。奥さんも好きだけど。ああ、尾道ラーメンもいいですね。名前と坂道(近所にいっぱいあるのに)に惹かれるだけだけど。--------------------------------------------------------------------------- ■身長:約9m ■全長:約10m ■体重:約5トン特長は、お腹からしっぽまでが滑り台になっています。http://asobiba.jp/asobiba/contents/123_kurihama.htm昭和29年、ビキニ環礁での水爆実験で太古の眠りから目覚めたゴジラ。現れ出でたのは、横須賀市の観音崎沖。その4年後、観音崎・たたら浜にゴジラ滑り台が作られ、1973年に老朽化のため一度姿を消し、1999年に復活。横須賀商工会議所青年部が中心となり、署名運動や企業、市民から寄付を募り、再上陸の運びとなったそうです。Gプロジェクト。ゴジラの制作スタッフの協力を得て、2代目は「くりはま花の国」という場所の、小高い丘にいます。秋にはコスモスが咲き乱れ、子どもたちや家族が遊ぶ、平和なスポット。今年は、生誕50周年。12月には映画の公開も予定されているそうです。28作目。今度が「最後の戦い」になるのだとか。朝日新聞では、「ビキニ被爆50年」と題した連載記事をはじめ、関連記事が時折、載っています。「『実験台だった』 今も確信」以前に見たNHKのドキュメンタリーでも、元・米軍兵士へのインタビューを中心に振り返っていました。取材中、椅子に座った元・兵士を、ずっとバストショットで。最後に、カメラは彼の手元に寄ります。淡々と語ってきたその姿から、グローブのように異様に腫れ上がった手へ。「死の灰」の洗礼。さて、今日は、所用で埼玉の親戚宅へ、泊まりです。埼玉の夜は、Fプロジェクト…か?親戚が、フィリピンのおかまちゃんと仲が良く(友人として)、何度か話をする機会がありました。踊り、容姿などオーデションと毎日、プロのレッスンを受けたきちんと見せるためのショーパブです。OLさんも楽しんでいます。彼らは・・・彼女ら(むちゃくちゃきれい。酔うと倒錯しそう)は、一見、不真面目そうに見えますが、話をすると、家族の話、仲間の話、国の話が中心です。ギャラは、プロモーターやお店がどかっと差っぴくので、彼女たちの生活は質素なもの。自分たちの稼ぎの多くを、国の家族のもとに送ります。国をまたいで稼ぎにくる。ただ、いい加減だけでは、続きません。ネットワークも濃いみたいで、つながりをほんとに大事にしています。
2004.04.17
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■追記いま、何時? そうね、だいたいね♪ N.Y.の「55」も、「がんばらない宣言」かぁ? これからね。---------------------------------------------------------------------------そうそう、すっかりこれを忘れていました。「がんばらない宣言 いわて。」というのがありましたね。http://www.pref.iwate.jp/info/ganbaranai/ganbaranai1/top.htm新聞広告のイメージキャラクターは、作家の椎名誠さん。岩手県の出だったんですね。隣県出身だけど、知らなかった。どうしても啄木さんや賢治さんのキャラが強くて。この広報も、椎名さん自身が関わって(そうもっていくでしょうね)いるそうで、岩手県知事と北上川で対談して、岩手の自然の良さについて話し合ったとか。「スローフード」「スローライフ」などの言葉もちらついてきますが、椎名さんは、それは言わないのじゃないのかな。県議会では、「がんばっている人に、がんばるなというのか」という質問まで出たんですって。これは、昨日の反対です。それだけ、言葉に人を動かす、どう動いたかは別にして、力があったのでしょうね。県広報として、きちんと存在したと。実際、他県の人から「行ってみたくなった」という声も多く届いているようです。そういえば、「がんばった人には、NCAA。がんばらなかった人にも。」という、スポーツ飲料はどこへいってしまったかな?残念ながら、市場で、がんばれなかった。ん? もともと「がんばれなかった」だったかな?「がんばらなかった」との違いは、大きいけど、まぁいいや。今日は頭が痛いので、日記も、「がんばらない宣言」。追記にすべきところを、本日回しにしましたとさ。もともと、がんばってないけど。
2004.04.16
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■追記どうも、ダレ症状の具合がよろしくないな。体調も絡んでいるのかどうなのか、「ちょっとな」と自覚あるときは、仕事の流れも連鎖反応を起こすようです。目の前のこと以外でも、ちょっと面倒、ほつれのちどり足だったりして。それほどのこたぁありませんが、気の作用・反作用みたいなものがあるのかなぁと思ったりします。ほれ、「加油」。気をこめ、自分に「がんばれ」でも言っておきませう。違う言葉でもいいのだけど、今日のお題ですので。マラソンの沿道の声援で、「がんばれはイヤ」と選手から言われたらつらいかもなぁ。「○○さぁ~ん」ばっかりも間が抜けるし、「もっと腕を振れ」とか「歩幅が狭いぞ」もうるさいだろうし。瞬時に通り過ぎて行くし。ま、どうでもいいやな。こちらは、どうでもよくない。邦人3人が解放されたそうで。とりあえずよかったですね。---------------------------------------------------------------------------「加油(ジアヨウ)」。中国語で、「がんばる」という意味だそうです。昨日の昼、たまたまつけたTV番組内でのクイズ。油を加える・・・言われて、ああ、なんとなくかな。爆笑問題のお二人は、「松岡修三」と答えていました。「がんばってください」時折、この言葉について、違和感を表する人がいます。と言っても、目に耳したほとんどが、作家やマスコミ関係など、多くの人の注目を集める方なので、あちこちで言われる機会も多く、感じるところもあるのでしょうね。おかしいとされる使い方で、よく言われるのが、いま、まさにがんばっている人に向って、「がんばってください」と言うこと。たとえば、ボランティア活動、被災地などで救助・援護活動をしている人。リハビリ中の人やつらい出来事から立ち直ろう、立ち向かおうとしている人。懸命に、もう十分にがんばっている人たちに対して、「がんばってください」と声をかけること。それは無責任で、失礼で、心ない言葉ではないか。など。「一緒にがんばりましょう」とか、自分に向って「がんばる」ならわかるが、他人に向って、ただ「がんばってください」は、軽すぎる発言ではないかと。わからないでもありません。我が身を振り返れば、こうした場での掲示板にも使ったことがあると思います。ちょっとしたやりとり(と言ったらなんですが)の際、うまい言葉が見つからず、考えることをやめて、にごしてしまったときなど。さすがに、少し考えて物言いいしなければいけないなというときは言えない言葉です。そういうことでいいの? そうですね。いけないですね。あくまでも自分に対して言いたい、再考したいこととしてですが。普通の会話の中で、誰かが「がんばってください」と言ったとしても、あいさつくらいの意味しかないでしょう。ほとんどの場合、そこに悪意をこめる人もいないでしょう。人の声かけは許していい。あるいは流していい。「ありがとう」で、お終いにしていいのかなと思います。違和感のある言葉も、日常の立ち位置を省み、ささやかな明日につなげる機会にもなるのでしょう。
2004.04.15
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■追記2ワンオォ~、ニャニャン、ンモウ~、ブヒャ~、ギャオ~・・・これ、みんな動物の「ぼく」「わたし」「おれ」「おいら」なんて。バウリンガルやニャウリンガルなら、どう訳してくれるのでしょう?ほんとのところはわからない。ならば、できるだけ多くの一人称をあげてみて。と言われたら、ワンワンとかニャンとか入れて答えても、間違いではないのかもしれません。全国人称辞典とか、呼び名大百科に当たるものはあるのでしょうか?ありそうですね。そうしたもので、全国土地土地の「ぼく」「わたし」を調べてみたら面白いでしょうね。理解不能なお楽しみが、いろいろ出てきそうです。ちなみに、我が故郷は、「わ」。---------------------------------------------------------------------------■追記「今年の被害額急増『おれおれ詐欺』 3月で2億円超す」神奈川県警捜査2課の調べによれば、今年の被害額が昨年5月から年末までの額を、もう超えたと。「自分にかかってきたのが、そうだとは思わなかった」と話す被害者が多いのだそうです。一件あたりの被害額は、約136万円也。年々、高額化していると。「借金返済」を筆頭に、「交通事故の示談金」など……ごていねいに借金の取立屋役、警察官役などの演技、演出付き。ははぁ~。「おれおれ」、こりゃこらぁ。これが、「ぼくぼく」ならば、「詐欺」までいくのも少ないか?確かに、緊迫感はないものなぁ。どうでしょ?「おれ」も、それだけ多いのかな。---------------------------------------------------------------------------ぼくは、「ぼく」を使っています。たとえば、こうした場やプライベート・メールでは。仕事上のメールでは、おおよそ「私」を使います。その程度の「ぼく」であり、「私」です。軽者くん、こにゃにゃちは。(「おれより軽い1mg」だったかな? 所さんのCMを思い出します)以前は、書く場では、「私」一本だったのですが、あるときから、どうも違和感を感じて、意識的に「ぼく」に変えました。ぼくが、「ぼく」も似合わないのですが、上手い一人称が見つからず、それ以上、こだわることもなくで。日本語は、一人称がなくても書けるから、便利ですね。できれば、すっきりとぜんぶ省いてしまいたいのだけど、表現力が貧しくて、成行き上、あった方がわかりやすいかなと思うところには使っています。「おれ」も「おいら」も、きらいじゃないです。「おれ」は、以前は、無意識に出ていたようですね。昔、女性と話をしていて、「『おれ』は、そう思うんだ。だけど『おれ』の言う…」という答え方をされた時があります。この人、年下だったけど、「おれ」の位置が、うむむ。見えたぞぉ。まぁ、どう見えたかはどうでもよくて、「おれ」の言われ方が可愛いかったから、フルオッケイ。やっぱり、軽者。「おいら」は、好きさ。でも、なかなか使えない。北野武さんが、時折、使っているようです。似合うものな。あと、「北の(こちらも「きたの」)国から」の、田中邦衛さん。五郎さんの訥々とした「おいら~…」も、味わいがあります。「あんた、それじゃ『私』がないじゃないの?」なんて、誰も言わないでしょうけれど。意味が違いますが、よく日本人を評して、日本の方も外国の方も、そうおっしゃる人がいますね。そうなのかしらん。でも、昔から「われ思う」「世は満足じゃ」「わらわは」「まろは」とか、「私」を出してきたうように思うのですが。あれは、えらい人たちだから?そういえば、「朝まで生テレビ」でスタジオ見学に来ていた外国の人が、「日本人がこれだけ熱く話すなんて、びっくりした」したと言ってましたっけ。日本は、詩や詞、映画、小説でも、絵画でも、内面的なものを描いたり、表したりすることを大切にしている民族のような気がしますが、どうでしょうか。四季があることも、表現に関係しているでしょうね。和菓子職人の、四季を映しとる手技などすごいもの。あれだって、職人の五感が彩り、かたちに生きてますよね。さて、ぼくは、ぼくぼく仕事にかかろう。結局、これだもの。お月さんと標識。いつ撮ったか忘れたけど、出てきたから、ちょっと。どうせなら、標識の○、フレームきるなよぉ。
2004.04.14
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■追記今日は、「決闘の日」だそうです。FMで、ちらりと聴こえてきたのですが、「宮本武蔵と佐々木小次郎の、巌流島の決闘」…ウンヌンと言っていたので、たぶん、その日?に因んでいるのでしょうね。「決闘」…ジョン・ウエインやジュリアーノ・ジェンマの西部劇なんていうのもありますけど、今どき、この言葉を聞くと、最初に思い浮かんできたのは、残念ながら。。。いや、あれは決闘とは言わないなぁ。さて、イラクの方は、どうなりましたかな?勝った負けたでいかない出来事が、あちこちで。---------------------------------------------------------------------------「野球がスローで退屈だと思う人、それはその人が退屈な心の持ち主にすぎないからだ」(ニューヨークタイムズ紙 故レッドスミス記者 「野球は言葉のスポーツ」/中公新書)スポーツは、勝ち負けにこだわらないと面白くありません。プレーヤーであっても、観客であっても。以前、録画したビデオのF1を、結果から観てしまい、興ざめしながら義務的に観ていたことがあります。それが、劇的な逆転などあったりしたら、もう最悪です。ひいきのチームや選手が勝つことは、時に、我がこと(までもいかないか)のようにうれしいもの。とくに、ワールドカップやオリンピック、F1もそうですが、世界クラスの試合には、もろナショナリズムが観る想いに反映されてしまいます。「よっしゃぁ~」買った負けたで、大騒ぎ。なんだけど、それがすべてというわけではなくて。併せて、あの国のあの選手の足技、頭脳プレーに、わぉ~であれこれ。あのレーサーの、あの状況での危機回避能力にすげぇで、しかじか。むずかしいゴロを、凡ゴロでさばく名選手の予測プレーを知って、なぁ~る、ほれぼれ。野次馬スポーツの能書きは、けっこう楽しい。同じスポーツ中継の録画を3,4度も観て、人によくそんなことができるな。と言われたことがありました。ほんとですね。でも、好きなものを何度も観ていて気がついたのは、「もしかして、このときこの選手はこんなこと考えて、このプレーをしたのではないか?」そんな想いが浮かんできたことです。「いや、こう考えてのかもしれない。だから、あのとき…」好きな本を読んで、前と今回とで感じ方や気がつき方が変わってくるのと似ているのかな? 似ていないかな?80%の勝負のゆくえと、20%の想うなにか。春、スポーツ、花盛り。
2004.04.13
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■追記今回の件で、個人的に心証を害した某セキュリティソフト。「もう二度と、この会社のモノは使わん」となっても不思議はないですね。個人的には、そうなりそうで、ならんところがあります。これは、この類のサービスがぼくにとっては、「利用する」ものだからです。量販店・ディスカウントストアとの関係のように、「器=会社を『買う』のではなく、器の中のモノだけを他店と比べて買う」を重視するからです。だから、按配がよろしくないと、やっかいなことにもなるんですけどねぇ。こりまへん。現に、ちょい前に同じ会社から買った印刷機能をもったソフトなら、ほぼなんでもPDFデータ化できるソフト。優先価格で買ったので、なんと1,600円くらいだったのですが、これは、ほんとに重宝しています。まさしく「やすい・かんたん・手間要らず」で、これは人におすすめしたいくらいです。「こりゃ、ちょっとまずいんでないかい」ということがあっても、最終的に全キライにならないんですねぇ、たぶん。部分的に相性が良くて、使えるのなら、そこだけの関係で、今後、つきあっていけばよいわけだから。と、のど元過ぎたら、考えるようです。坊主憎けりゃ…も、それはそれで、さっぱりしていいかもですが。この辺は、物の見方や性格がでるところかもしれませんね。---------------------------------------------------------------------------かんたんは、かんたんではなかった。週末、セキュリティソフトの更新で、違う会社のものに乗り換えようとしました。「やすい、かんたん、手間要らず」が売りの、有名タレントをCMキャラクターに使っている会社のソフトです。ダウンロード販売で取り込み、確かにかんたん。いったんセットしてしまえば、あとは、まったくおまかせ状態。のはずでした。ところが、利用開始の手続きを、何度やっても相手サーバーが受け付けない。その後、メールで対応策を送ってもらい、再トライ10回くらいしてもダメ。あっちゃのソフトを抜き、こっちゃの情報を更新し、結局ダメで、これはPCとの相性が悪いとあきらめました。で、返金・返品手続きの問い合わせをしたのですが、そこからの対応がまずい。ナシのつぶてなのです。最初に不具合の様子を伝え、対処法をもらい、試し、ダメで、「これは合わないから」と返品・返金を申し出、連絡待ち。待ってもこないので、3度目のメールを送り、「先ほど、こういう状態と理由でこうしたいと思うがとメールを入れたが、どうして答えないのか」「たいへん困っている」「返品・返金について、いついつまでに連絡がほしい」と言ったのに、「こないので、また送るが、こうした状態が続けば、脅かすわけではないが、メディアに対してなんらかの声を発する」「そういう手立てを知らないわけではない」と書いて、また待ちました。こない。ばか。といってまずいのなら、ほんとに、まずいっす。「カスタマセンター」と名乗る資格はないと思います。「ほうれんそう」…報告・連絡・相談。ビジネス・コミュニケーション(だけじゃないけど)の、きほんのき。これを、仮にもセキュリティソフトを売る会社の担当部門が知らないなんて言わせない。4度目のメールを入れ、今度はさとすように伝えました。「対応の意味がわかりますか? いま、内部でどうしようか検討しているのなら、その旨をひと言、そう書いて過程を知らせればよいのです」「黙って放っておけば、客は、無視されたと思いますよ」「忙しいのも、PC環境それぞれで答えられないのもわかります」「でも、黙っているのは無視と同じ。安い客だから、どうでもいいと思ってると受け取りますよ」と。その後、ようやく返金についての返事がきました。実は、昨日、トラブルの解決法を探していて、まったく同じ状態になった人のサイトに辿り着きました。(楽天の住民でした)その方も、「対応が遅く、問題を解決しようとする意思が感じられず、その会社の製品は使わないことにした」「私の周りではその評価」とのメッセージと、その会社がそのとき送ってくれた対処法をいただいたのですが、あとから自分が受け取ったものと同じ。その後の対応も同じ。つまり、同じトラブルがたくさん起きていて、相変わらず、同じ対応をしていた。「かんたん」は、最初から最後までなにもなかった人にはかんたん。だけど、途中でつまずいた人には、「一応、対処法送っておけ」「あとは知らん」…週末+本日の莫大なタイムフィーのロス。一人格闘技で、あたふたじたばた。ほんと、3倍返しくらいしてほしい。いま、食のトレサビリティ(食の履歴書)や、モノ・サービスの製造・過程を伝えることが、企業間で盛んに行われているでしょ。ユーザーに、「見えないを、見える声にして届ける」大切さを知っているからです。メールをやりとりの基本にしている会社なら、なおさらです。こういうのは、TOPがどれだけ、しつこく言って。会社に浸透させているかです。良くも悪くも、中小はTOPで決まると思います。黙っていてもやるしくみをつくるのが、TOPの仕事なのですから。今回も、ひと言「いま、こういうことで検討しています」と数行、過程メールをくれたら、ずいぶんと違ったものになったのに。通販でものを買ったとき、電話&メールで、「いま、あなたの注文したものは、「オーダー通り作られています」「○○支店から出荷状態に入りました」「いま、出荷されました」など、10回近くにわたってフォローメッセージを受けたことがあります。「私たちは、今後もあなたと長い関係を築いていきたい」というメッセージが感じられますよね。「安心」「信頼」と言いますが、結局は、こうしたアナログな想いをどれだけ感じさせられるかだと思います。「デジーアナ」…デジタルなしくみは、アナログな関係のために。ぼくの場合は、物言う不満客。でも、ほんとに怖いのは、「物言わぬ不満客」。もう少し、窓口なら勉強してほしい。こんなの、ビジネスコミュニケーション以前の、パーソナル・コミュニケーションの問題なのだから。あ~、多大なる時間のロス(仕事を止めたから、ロスですね。タイム銭の)に、一気書き。なおさねぇぞ。酒も飲んだし。ぼくは、のんべではないのですが、毎日、水割り(ちょっと前までは、水で薄める行為が気持ち悪くてできなかった)、欠かさず2杯は飲みます。欠かさず。自慢できることではありませんが、最近ボトルの減りが早い早い。違う会社のソフトにしたら、すんなり。あ~あ。 自宅から5分。お山に向う高架橋から。
2004.04.12
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フィンランドのある研究グループの、チョコレートに関する発表。FMの番組内でのニュースから。チョコレートを食べ続けた妊婦から生まれた子どもは、そうでない妊婦から生まれた子どもより、よく笑うという研究結果を発表したそうです。ふ~ん。どこかで「セキに効くのは、のどの薬よりチョコレート」。トローチなどより効果的だと、イギリスのなにかの学会で報告されたっていうことだけど。カカオかココアか知りませんが、そうしたチョコレートに含まれる原料、成分がいろいろとよろしいのかもですね。香りだけでも風邪に有効であると書いてる人もいました。5,000年前の南アメリカでは、すでに薬として使われていたんですって。赤ワインやお茶と同じで、抗酸化混合物が含まれ、血栓症や心臓病…ああ、この辺は聞いたことありますね。また、アルツハイマー病を予防する働きがあることも知られている…ほう、そうですか。そうらしいです。チョコ、大活躍。んで、最初のチョコレートと妊婦さんの関係に戻って。フィンランドのある研究グループによれば、「よく笑う。だけど、なぜよく笑うのかわからない」ですって。思わず、吹きだしました。よくわからんが、そういうことらしいって「研究結果」ですね。詰めが甘かったわけね。フィンランドも、チョコレート、有名なんでしょうね。イラクの人質問題は、いい方向に向っている…んですよね?実は、PCのちょっとした不具合で、ネットを切っているので、リアルタイムに情報をつかめません。世界のあちこちで、日本の小さな小さな片隅で起きているアンハッピーに、チョコレートの力を。(いま、FMヨコハバに、ブレット&バターという音楽組がゲストで出ています。関係ないのですが、チョコついでに)
2004.04.11
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アット・ユア・オウン・リスク。英語で言うところの、自己責任。地上最大の一枚岩と言われる、エアーズ・ロックの前にも、こう書かれた看板が立っているとなにかで読みました。ロッククライミングをしようとする人のために書かれているのでしょうね。「危ないぞ、おやめなさい。ウンヌンカンヌン」と書かれるよりも、ひと言ずばっと言われた方が、場のメッセージ力がありますね。数多く墓標もあるということですし。でも、登る人は登るのでしょう。ロッククライミングを始めた頃からの夢が、そこにあったのかもしれないし。理屈だけでは、この胸のときめきをとめられない。やらずにはいられない。ということもあるでしょう。さて、夢もなく、自慢もできない話。なんですが、日常でやってしまうこと。大きな交差点など「ここは信号を守らないとやばい」と思う場所を除いて、赤でも渡ります。ただし、歩行者の場合、子どもたちがいないとき、「いつ車が来るんだ」の場合です。いいことだなんて、もちろん思いません。極端に悪いことだとも思いません。時間の節約なんてことも、とくに思いません。自分の目で見て、大丈夫だと判断し、カラダよ渡れと動いてしまいます。これは自己責任とは、ちと違うでしょうね。そう思って、渡って事故にあったら、ドライバーにも多大な迷惑(ですまないけど)がかかりますから。ドライバーの皆さん、ごめんなさい。ぼくも車に乗るときは、信号は黄色は止れで守るのですが、でも、歩行者になるとできないのです。困ったことに、やめる気はないのです。社会のしくみはしくみで、個人は個人の想いと行いで、考えなければいけないことってありますね。イラクの人質問題、いい方向にいくことを願います。
2004.04.10
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■追記21年から2年へ。ゴム弓、巻き藁から実射へ。高校では、弓を覚える過程である儀式…じゃないけど、ほとんどの人間が通る行いがありました。隠れ実射です。弓道部に入り、1年ほどは的に向わせてもらえません。ぽくたちの高校だと、毎日4kmのランニング、100回ずつの腕立て伏せと腹筋他、そしてゴム弓を半年間。その後、道場内にある巻き藁に向って、棒矢(ぼうや)と呼ばれる羽のない矢を打ち込みながら半年間、型をきちんと身につけます。(ちなみに、矢には、甲矢(はや)・乙矢(おとや)の二種類があって、競技では各2本の計4本×2回=8射、甲矢・乙矢の順に用います。見分け方があるのです)一年も続けると、さすがに的に向いたくなるのが心情。近いうち、その日は来るのですが、がまんできません。休日は道場も休み。なのですが、同級生と示し合わせて集まります。道場の雨戸を2的分くらい開け、この時を待ってましたとばかりに弓を引きます。そこに、おもむろに上級生の登場。「やばい、怒られる」と思いきや、ニコニコしています。聞けば、「俺たちもそうだったよ」「弓を引きたくて入ってきたのだからね」「せっかく身につけた型を壊さないようにやれよ」と言って、帰っていきました。うすうすわかっていて、様子を見にきたのです。自分たちが上級生となったときも、やはり同じことが繰り返されました。顧問の先生は、県大会で模範演技をするほどの腕と地位にあった人でしたが、こうした話を、やはりニコニコ。いま思えば、「好きこそ物の上手なれ」と、教え子たちを温かく見守っていたのでしょう。確かに、可愛がられたもんな。引越しの手伝いなんかさせられたりして。私生活の公開。気を許してくれていたのでしょうね。---------------------------------------------------------------------------■追記。武道や茶道、華道など、道の言葉には独特の言い回しがあります。中には、生活の言葉として生きているものあったりして楽し。思い出した弓道用語をちょっと。・手の内 (てのうち)弓手(押手)での弓の握り方、かたちのこと。弓は左手の親指の付け根と小指の付け根でぐっと絞るように、後の指は軽く握って添えるのが基本。弓を射る際、すべての動作に影響を与える重要な部分です。「手の内を見せるな」は、ここから来た…のかどうかはわかりませんが、そうなのかな?・もたれ矢を射る機が来ているのに、手元から離れていかない、その動作が出来ない。上達過程で、心が臆するのか? 精神的なものらしい。実は、経験あり。かなり苦しみ、入門者のゴム弓に戻し、その後、二段をとりました。かぁっこいい。でも、このときはさすがになにをか感じたなぁ。・早気 (はやけ)もたれの逆。 矢を引いてきて、会に至らず、離してしまう。これも、精神的なものが関係してしまうらしい。多くの人が経験あり。催眠術のように身体が反応してしまうから、ほんと不思議です。・手下 (てした)弓の握りより、下の総称です。・勝手(かって)弓を押す押手(おして:左手)に対して、弦(つる)を引く右手のこと。・会 (かい)弓を押し引きしてきて、 引き分け、やがて離れに至る過程。・離れ (はなれ)離すではなく、離れ。会から、的がぐ~と手元に寄ってきて、時満ちて、手元から矢が離れていく。ぴんと張った糸がプツリと自然に切れていくように。そう教わったけど、これがなかなか、その境地には。・残心・残身 (ざんしん)矢を発した後の姿勢のままに、心身の緊張が収まっていくのを待つかたち。「心」の方だといいますが、これもまた、なかなか。・物見 (ものみ)的を見こむために、的のほうへ顔を向けること。弓構えのときは、矢を伝わって的を見て、また同じように顔を戻します。・金的 (きんてき)対抗試合などの、弓のイベントで使います。ほんとに金的。ハレの日の、祝いの的して用いる小さな的です。・口割 (くちわり)矢を引き納めたとき、矢幹が唇の合わせ目にくるように。ひとつの目安ですが、こうなる姿がやはり美しい。・肩入れ (かたいれ)素引き。弦(つる)を張った弓に、矢をかけないで耳の後ろあたりまで引くこと。・澄まし (すまし)これは、武道共通かな? 稽古の前後に正座して目を閉じ、雑念を静める。高校の道場は、民家と接していて、夕方の街頭田舎チャイムとともに、飼い犬の遠吠えがはじまり、笑いをこらえるのに必死でした。とくに1年生のときは。3年生は神様的存在でしたから、ほんとまずいっす。---------------------------------------------------------------------------バスの中から、道着を着た少年が降りてきた。素足に草履もかっこいいぞ。空手かな? 見たところ、中学になるかならないか。でも、黒帯。経験もわからないので、早いのかそうでもないのか、検討がつきません。これが弓道なら、早い。だいたいこの年齢じゃ、やらんだろうな。他の武道の黒帯に当たる段位には、実技以外に筆記もあるし、そこそこ年齢がいかないと、なじみのないものでしょうね。高校時代の3年間は、弓を引いていました。(二段取得のときの筆記試験の一題は、「弓道と自然観について」みたいな…ははは。出すなよぉ、そんな問いを。なに適当に書いたんだろ?)道着、好きでした。気持ちの背骨がすくっと伸びるような感じがして。いつも着るわけではなく、大会が近づいてきたときだけ。前・中、ですね。ふだんはジャージに、学生ズボンとか、思い思いの格好をしているのですが、試合を前にして誰からともなく。白い綿着に、黒の袴姿。和のいでたちに、日常を脱ぎ、射るためのあらたな時間に向う。そんな心持ちが湧いてきたように思います。道着は、道気なのかもしれない。気構えの気。覇気の気。ゲゲゲの気。そんなものはない。道着を着ると、気持ちが天地に伸びていったような気がしたのはいまだに覚えています。1,2年ほど前に、車で15分くらいのところに市の立派な道場が出来ました。以来、ずっと「弓復活」を企てているのですが実現しません。理由は、察しがついていて、要は気持ちに余裕がないのです。でも最近は、これは反対で、やることによって、あらたな時間のほぐし方が生まれてくるのだろうと思っています。やってみたいことをやらない理由をつくってしまっているのでしょうね。再び、道着から入る。も、アリかなと。気持ちの背骨をすくっと伸ばす時間を創るためにも。野球やサッカー、レーシングスーツなど、好きなスポーツのユニフォームがかっこよく見え、そこから本道の魅力にハマっていく。も一度、これで行こうかいな。
2004.04.09
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■追記2ローギアで引っ張って、2速・3速と加速していく。マニュアル車時代は、あの感覚が好きでした。ローで4,000回転くらいまで引っ張ってから、2速へつなぐ。エンジンのうるさ心地よさ。乗り方にはクセが出るものですが、オートマ車になってから、ローで引っ張る走り方ができなくなりました。(Lギアあるけどさ)いまでも信号待ちから、発進時にまったく踏み込まない車の後につけて走ると、正直イライラします。初心者の頃に買ったクルマ整備本で、低い回転数で乗り続けるとエンジンがふけなくなるので、たまにグイグイ上げてやれ。というのを読んでから、マニュアル車時はグイグイと。その習慣が抜けないのか、スタート時に加速しない車に続くと、イラつくのです。仕事もこうだといいのにねぇ。ちなみにF1マシンは、3,000CCで800~900馬力、18,000~19,000回転まで使います。乗用車が7000~8000回転までを考えるとやっぱり戦う車はすごいものですね。あるレーシング・ディスタンスを走るためだけに作られた、エンジンの力。---------------------------------------------------------------------------■追記今年は、ニシンが豊漁だという記事をよく見かけます。北の土地の春告魚。昭和30年以降、激減して「幻の魚」とさえ言われていたようですが、今年、北海道の増毛町では昨年の100倍の水揚げだそうです。そりゃ、すごい。北の漁場は、春からいきなりトップギア。いままでの獲り過ぎ、汚し過ぎ、構わなさ過ぎが、一つの生の営みを滅ぼしつつあったのだろうけど、今年はなぜに?その一方での、地元の地道な幼魚放流や若いニシンの保護活動の成果なのか。はたまた異変か。まだわからないそうです。地の人が動いて、自然も動いてくれたのかな。また「石狩晩歌」をがなりたくなってきました。---------------------------------------------------------------------------「うつぶせ寝で死亡、病院に過失」地裁判決先月の新聞の社会面にあった小さな記事。5年ほど前に、船橋市の市立医療センターで起きた生後4ヶ月の我が子の事故に対して訴訟を起こしていた夫妻のこと。約7,400万円の損害賠償請求訴訟で、千葉地裁は、市に約5,800万円の支払いを命じたとありました。ちょっと気になっていたので、以前、日記にも書いた、赤ちゃんのうつぶせ寝による事故で闘っている友人夫妻にメールで訊いてみました。やはり、「船橋のうつぶせ寝は、モロかかわっています。市側も、控訴を断念したので、勝訴確定しました!私のまわりは、報われてきていますが、うちは相変わらず、報われませんねえ(T_T)」と返ってきました。うむむ。最近、ようやく原告側の勝訴が出だしているとは言え、圧倒的に病院側に有利に働く医療裁判で、勝訴のみならずこの賠償額を引き出したことの意味は大きいのではないかな。ほんと、これまでスズメの涙だったものね。(スズメ、すまん)友人夫妻が10年前に真っ向から立ち向かい、会をつくり、うつぶせ寝事故の医療裁判に風を起こしてきたのを知っているので、個人的には「画期的」の感があるのです。「自分たちでなんとかするしかない」と起こした行動が、その後の同じ境遇に置かれた人たちの支えとなり、自らの生きる糧にもなった。ただ忘れていい過去ではないもの、そうできないもの。問い続けていかなければいけないものをもったとき、人が、小さな個人がとり続けてきた想いと行い。自らが気づいて、もった想いと行い。想いの火種を絶やさず、やがて小さな火となり、大きな火を誘う。「まず、動く」「行動する」「動かなければ、なにも変わらない」と、口にしたり、目に耳にしたりするけれど、最初になにかを想い、動かすときのエネルギー、2速・3速へと加速させるまでの持続力って、要りますものね。相当に。みんな、いろいろやりながらですから。とくに、その道に精通した弁護団を抱える病院と闘う、個人の医療裁判の労力はたいへんですね。いま、想いを同じくする、小さな者と小さな者が共生・共創の道を探る、ということがいろんな方面で起きているのではないでしょうか。裁判にしろ、商売にしろ、気持ちが前を向いたとき、人やコトの情報も見え、つながっていくのでしょうから、意味のある偶然なのかもしれませんね。さて、我が日常も振り返って、トップギアの伸びがいまイチだったら、一度ニュートラル、そしてローギアに入れ直し、2速・3速、セカンド、サードプレイスと居場所を見つけたっていいじゃないか。いつだって遅くなんかないよ。そんなことも、ちょいと心をよぎるのでした。付け足しで、思い出した言葉も記しておきましょ。「人間は最終的にとことんのところ何を欲しているのか。それは世に理解されることであり、世に認められることである。理解され認められれば、その心ゆたかな自覚をてごとして、誰もが勇躍して励む。それによって社会の活力が増進し誰もがその恵みにあずかる」(矢沢永一「人間通」新潮社)
2004.04.08
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■追記握る力と言えば、寿司職人もそうですね。握る手技。寿司桶のしゃり、ってんですかい、そのご飯を足りず、余さず、ひと握り。適度な空気を含んで、口の中ではらりと解けてひろがる。なんでしょうな。残念ながら、そういうお高いのにはとんと縁がありません。円がないのか。はは。もともと、庶民の食べ物だったと聞きましたが、全国各地に有名店、本物印のブランド店がひしめいて、いまでは高級外車みたいな使い方をされていますね。以前、TV番組で「お客の組み合わせで、ほんとうに値段は変わるのか?」というお試しをやっていました。都内有名店のカウンターで。若い女の子二人組み、カップル、男性一人だったかな。頼むネタを順番を変えて、同じものを頼む。結果は…はい、正解。予想通りです。一番しか覚えてないけど、それです。すべてではないでしょうが、違うんだ、やっぱり。ついでに、寿司用語ってありますね。お茶のことを「あがり」だとか、しょうゆを「ムラサキ」だとか、お勘定を「おあいそ」など。あれは、確か内向けの言葉ですよね。人には、それぞれ苦手な、抵抗を感じる言葉使いがあると思うのですが、あれをお客の側で使う場面に出くわすと、ちょっとなぁなんて思ってしまいます。大した意味はなく、自分のこだわりみたいなもんですが、「お茶ください」「お会計お願いします」「ごちそうさまでした」と、ふつうに言うのが、いちばんしっくりくるのではないかな。どうでもいいんですけど。---------------------------------------------------------------------------あ~、やっぱりこっちの方が歯ぐきに心地ややなぁ。久しぶりに、茶色社の電動歯ブラシを使って感じたこと。ペングリップ。茶色社から、いつのまにか手動に戻って、鉛筆を握るようにそして軽~く持って…を、かなり意識して歯磨きしてきたつもりだったけど、今日、茶色社にまた戻して、あらら。いい感じ。手動だと、要らぬ力が無意識に入ってしまうのか。たぶん、歯磨きしながら歯磨きに集中してないからかな。とくになにかを考えながらしていないけど、確かに手元に集中してない。電動の高回転だと、歯ぐきを傷めるのがイヤだから、けっこうコンセントレーションが高まります。ペングリップの基本をしっかり保つ。歯一本あたり5数えたりして、次の歯へ。きちんと磨いたという充実感があります。じゃぁ、電動を止めないで続ければ。そうなんです。ボディに歯ブラシの部分をセットして、最後に洗って、はずして…が、つい面倒で。でも、こうした単純作業が面倒か否かで、その日の体調やメンタルな部分がどうなのか。個人的には、生活のものさしにしています。握る力が強すぎて、ダメになること、いろいろありそうですね。さまざまなスポーツギアの握りとか。地球の衛星写真は、「宇宙の卵」みたい。青白い卵はないでしょうが、ちょっとした力の入れ方、握り方でね。宇宙飛行士が地球を外から眺めて、「美しくて、あやうい、もろい存在」と言う人が多いと読んだことがありますが、いま、その内側でねぇ。あっちこっちで、あぶないことになってます。さらにミクロには、本日の新聞にあった塾嫌いになった小児2の息子を絞殺してしまった親。子どもの未来を自分が握りしめ、潰してしまったわけですね。力の入れどころ、むずかしくも考えたいものですね。
2004.04.07
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■追記2メモ用紙を枕元に置く。一時やってみたことがあります。で、寝ていて目が覚め、ふと思いついた下らないことをメモ。なんですが、朝、読んだら、よ、読めない。いったい何を書いているのか、書きたかったのか、解読不能な文字群。書いてるときは、寝ぼけたオツムで、「おお、これはいけてる」などと思いながら書いていたはずですが、さっぱり読めん。し、なんとか読めても、つまらんのです、これが。下らないに、達しない下らなさ。で、やめてしまいました。蒲団の中で思いついたことは、書かないとたいがい忘れてしまうのですが、その程度のことなのでしょう。本日も、ぽっかり橙、円の月でした。いい夢を見ることができるだろうか。---------------------------------------------------------------------------■追記。ちょいと前、一番長生きする睡眠時間は、7時間と報じていました。これも、ある角度からの統計でしょうが、短い眠りはいずれにしろ良くないようです。だって、ふとんに入ると、心臓痛いもん。負担かかってるんでしょうね。日本人の3大疾病。皆さんはどのくらいでしょうか? ぼくは最近だけですが、3時間半から4時間かな? 忙しいとか、そんなんではなく、ただのダラダラ起き。世の成功者たちが起きる時間に寝ているとさ。時間創造人は、4時起きが基本らしいです。午前中に8時間で、今日やる仕事を。午後8時間で明日以降の仕事を。ということです。ふ~。早起き(たま~にしたとき)は嫌いじゃないんだけど、できまへん。近頃。陽気と一緒に、再挑戦しましょと思っておりますばい。よく生きるために、よく眠る。なのかな。昔、「寝ているのは、死んでいるのと一緒」と言った人がいましたけど。なにかをつくりだす人で、結果も出ていたようですので、それなりに説得力はありましたけど。できんなぁ。でも、面白いなと思うのは、人間、長く生きてると早起きになる人が多いでしょ?やっぱり、生きてる時間は起きてる時間と、カラダや脳が呼びかけるのでしょうか?赤ちゃんや惰眠むさぼり少年・少女、若造くんは、そう見ると、生命力が強いから、よく眠るのかもですな。長く寝るのって、体力要りますよね。---------------------------------------------------------------------------といっても、小説の話ではありません。できないし。敷き蒲団を変えたら、睡眠の質が変わったかも話。2万円くらいのものですが、腰の部分がちょい固めの凸になっていて、厚みが適度にあって、横たわったときの心地よさ。ぼくの眠りにはフィットしているようで、蒲団に入るとき、密かな、小っさな喜びを覚えます。とくに、起きたときの「疲れ方(困ったもんです)」が、明らかに変わりました。起きる名残惜しさが、だいぶ減ったぞ、と。でも、これ、けっこうおっきい。枕も、数年前からテンピュールという1万円くらいの枕を使っていますが、こちらもマイ・ヒットのようで、相乗効果を発揮しています。通販生活で大人気だった同価格くらいのものを取り寄せてみたこともありますが、こちらは合わず返しました。多くの人がほめていましたが、使ってみないとわからないものですね。でも、通販生活は、あとで電話をよこして「なぜ、買わなかったか?」をていねいに訊いてきました。¥150だったかな?雑誌。ただの読み物としてもずっと人気がありますが、こうした企業姿勢の延長線上に、本やモノを届ける姿勢があるのでしょう。そういえば、伊勢丹にも「なぜ買わなかったかチェックシート」があるって昔読んだことがあったけど、まだあるのかな?枕は、親にもプレゼントしました。身内や気の許せる人には、こうした身の回りグッズの贈り物、けっこう喜ばれるようです。「蒲団」という字を眺めていたら、「蒲田」という場所を思い出しました。学生時代、友人が住んでいたのでよく遊びに行きました。深夜は怖いけど、食べたり、買い物したりするには楽しい街。住むには、う~ん。西口にあった珈琲館という3,4階建ての専門店、まだあるのかな?アイリッシュ・コーヒーってたかな? 高いところからなにかとなにか、ブランデーと珈琲? 違う?忘れた。それを合わせて注ぐ。それ見たさに頼んだことがありました。全国の珈琲野郎の修行場所だということだったけど、なつかしい。一気書き上げ型は、むずかしくなってきたので、続けていくためにも当面、ちょこ書きスタイルでいきましょかい。と数行書いておしまいにするつもりだったのに。。。いいのかぁ? こんなことやってて。急ぐことが2つもあるのに。完全に優先順位を間違えてる。否。逃げてるのかも。真昼の逃寄稿。
2004.04.06
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仕事帰りに見た、橙の円の月。のはずっだったんだけど、マイ・ケイタイ月は、あのぽっかり月を見たママに写し取ってくれないなぁ。これじゃ、路上の風景です。まぁ、いいか。今日は、満月? 違うかな。今年、最初の満月は、スーパー銭湯の露天風呂から眺めてた。なんだか気がつくと、円の月が出ています。新井英一さんの「古いブルース」という曲にも、月が歌われています。♪ぼうず、お前に聞かせてやろうかおれの親父の古いブルースボタ山だらけの唄だけど 今じゃ俺らが聞かせてやる月が出た 月が出た 出た出た出たぁ~月が出た ボタ山だらけの上に出たあんまりエントツが高いもんで さぞや親父さんけむたかろう迫力のある、厚みのあるしゃがれブルース声にのせて、出た出た、お月さん。でも、しんみりとではないな。明るく、というのでもないし。働く町にどかっと昇る、汗にまみれた、たくまし月。クルマの中で、出た出た出たぁ~♪---------------------------------------------------------------------------今週は、このスタイルで逃げませうかね。スタコラコスタ。
2004.04.05
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雨です。桜の花は、散り頃でしょうか。でも、来年もきっと咲くのでしょう。同じ場所で、同じように、年を重ねながら。咲く気に満ちた、桜の木。動かない木は、人を動かす。---------------------------------------------------------------------------なんて。雨の日曜の夕方に、スティービー・ワンダーのバラードがラジオから流れています。乗鞍高原のワインディングロードをドライブ中、心地よい曲がり道と歌声に吸い込まれそうな気分になったことを思い出します。(追記)夕方、雨の路上、白線の上で片足上げて靴下のずれを直そうと思ったら、スリップダウン。クルマの方は要注意。
2004.04.04
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春は、人が出会ったり、別れたり。物事の節目、折り目ということも手伝って、さまざまな光景や話題にふれる機会も多いですね。やっぱり人生は出会う方が楽しいから、春の陽気に誘われてそういうことがもっと起きたらいいなと考えています。いま、いちばん楽しいと感じる出会い方は、仕事で誰かと出会うこと。利害関係が絡む出会いが面白い。お金を間に挟んだ関係づくり、がいいですねぇ。こういうのは、言い切っちゃった方がかっこいいんだけど、も少し言葉を足すと、お金を間に挟もうとしたときに出来たり、見えたりしてくる関係づくりが楽しいんだと思います。自分のできることを通して、お金を稼いでいくための世のしくみを考えたとき、人とその人のもつものとの掛け合わせ、組み合わせ、過程なくして、そう思い通りにはなっていかない。いまある仕事だって、仕事先とつながっていこうとする想いと行いがあって成立していることですものね。お金の話って、人との関係、関わり方が見えやすいでしょ。周りの人もそうだけど、自分のスタンスを問うときに。仕事は、ただ知り合うことが目的ではなくて、その先のなにか。だから、有り体だけど、とにかく自分にとっての新しい可能性。掛け合わせによって起こる、未知数の出来事に期待したいと。10×1,1×10。自分が10であるなら、それに越したことはないけれど、出会う相手がそうであっても、なにも問題ないですよね。でも、1だとつきあっていけない?10の人は、1の力を2,3と引き出してくれる力をもっていると思っています。10の人は、なにも仕事の能力だけをいうのではいうのでなく。たまらなく、また会って話をしたくなる人間味にあふれた人もいますよねぇ。日頃、小さな会社の人たちと出会う機会があるのですが、そういう人たちの方が圧倒的に「多色」である。というのが個人的な想いです。これは、本に書いてあったことですが、あるビデオ工場で150mの直線ラインをスパイラル(螺旋)ラインに変え、完全分業制から一人何工程も受け持つようにした。一人で最後までやるかたちと、3人で1つのものを作り出すかたち。理屈では生産性は下がるはずだけど、1.5倍に上がったと言います。なぜ? 著者は「やる気」を引き出したからだと言います。「君がここをすべてやりなさい」と言われたら、やる気を出してやるしかない。これからの時代は、やる気を出すか出さないかで、大きく変わる時代に「なってしまった」と。小さな会社の元気な社長、社員に惹かれる人が多いのは、「個人の力」「個人の想い」「個人の存在」というものを意識している人が多いからじゃないかと思います。小さな会社、スモール・カンパニーなどは、時代の言葉としてあったにせよ、いま、大きい会社で、ほんとに困っているところ多いでしょ。環境への身の置き方や個人の想いなどの連鎖の結果も関係しているんじゃないかなぁと感じています。---------------------------------------------------------------------------昨夜、花見の席で、モノづくり社長から一人の家具職人をご紹介いただいた。モノづくり社長が会社設立の際、「『このお金をあげます』と、70万円を差し出した人」がいるのは前から知っていたが、ああこの人でしたかぁ。話す笑顔や口調、家具づくりへのこだわり、全身から「いい人光線」が出ていました。「いい人」の表現がどうかわからないけど、それしか言葉が見つからない。ごく普通の三人の子持ちのお父さん。「ちょうど保険が満期になったから、これ使ってよ」とくれたのだと言います。出来るか、ふつう。家族もすごい!この人のつくる家具が、愛情あふれる家具であることは疑う余地がない。お金は一年半後、5%の利子をつけてモノづくり社長が返しました。こういうのを見ていると、人の縁たるものを感じてしまいます。モノづくり社長も、あちこちの花見の席から声がかかります。お寿司やら詰め合わせやら、あさりのみそ汁・ずんどう鍋ごとやら、差し入れが届く、届く。この人がいたからでしょう。同じ地区のモノづくりメンバーから、いかに愛されているかがわかる。若い女の子まで、帰り際「○○さ~ん」なんて声かけて帰る。この人気者めが。人の磁力。ちょっぴり、くやしい。
2004.04.03
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桜色。桜の花の淡く、それでいて存在感のあるピンク。あれは、花びらだけの色ではないのですね。幹の色であり、樹皮の色であり、樹液の色でもあると言います。木が全身で、最高のピンクを色づかせようとしている。たまたま、春に花びらとして表された姿を、ピンクとしてとらえているに過ぎない、らしいです。桜の木だけを材料にした染める、「桜染」という手法があるそうです。花咲く前の小枝の中に潜んでいるピンクを用いて、染め上げていく。当初は、なかなか上手くいかなかった。桜で、ただ色を染めようすると、オレンジ色に染まるのだそうです。桜の木の中に、オレンジ色に染まろうとする成分がたくさん含まれている。でも、ほんのわずかだけ、花びらのピンクに染まろうとする力も備わっている。この色を取り出すために試行錯誤、工夫を重ねたそうです。なによりの秘訣は、ピンクに染まる小枝を見つけることだと。「若さがあって、素直」がポイント。100年以上生きた桜でもOKなものもあれば、4、5年の若木でも、若さも素直さもないものもあるそうです。なんだか桜の話をしている気がしません。桜の木の、桜色への全身の働きかけも、人の目…ある限られた視界の中では、桜の花びらに現れ出たピンクにしか見えない。花びらの一枚一枚には、その背景での蓄積があり、集約されたかたちで、華やかで、豊かな彩りで人を魅了する。と感じ入れば、また花咲く姿に味わいあり。春、桜の木の下で、人と人とが集い、出会う夜。花に咲け、人の想い。---------------------------------------------------------------------------雨も午後には上がり、花見の夜。まではよかったのですが、風強し。しょう油のお皿が風に飛び、ひっかぶり。うう、クルマを運転していてにおいますがな。
2004.04.02
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約4000種類もの、香りのメモリー。ウイスキーライターとの対談の中で、ブレンダーが答えた、香りの記憶。「訊かれたから、目安としての数を答えたまでで、ほんとうは数を限定するのはむずかしい」と。毎日、テイスティングしているウイスキーにも、そのたびに新しい香りの発見がある。タマネギの皮でも剥くように、剥いてもまた中にある。発見の連続なのだそうです。発見の連続は、新しい感動へとつながり、積もり積もっていく。ブレンダーに欠かせない能力は、嗅覚。だよねぇ。人間は、本来、すごい臭覚をもっているのだけど、日常生活の中で忘れているらしい。なんだか昨日の話のようです。ブレンダーをめざす人は、毎日毎日ノージングして嗅覚を鍛えるしかないそうです。感覚って、人がなにもしなくてもきちんと機能してくれるというわけじゃなくて、鍛えるものなのですね。やっぱり。受身でいても、無感覚に「得る」と思えてしまう今の時代は、特にそうなのかもしれません。また、一つの感覚としての嗅覚というよりは、五感、全身的な感覚に代表される嗅覚、なんでしょうね。香水や食品分野の調香師、ソムリエ、フレーバリストなど、香り(だけじゃないけど)のクリエーターたちは、体調管理や食生活管理など、自らの生活を律して成り立つ商売ですよね。煙草って、そういう仕事の人いないのかな?他の仕事は、喫煙はまずいけど、まぁ、いいか。奥が深そうです、香りの仕事。話を戻して、ブレンダーにとって必要な能力がもう1つあるそうです。香りを記憶する力。香りをいかに記憶するか、ということが問われるのだと。たとえば、この人は1つの絵に置き換えて、香りを焼き付けていくのだそうです。あるウイスキーの香りを嗅いだとき、砂浜の絵を描く。夏の終わりの、晴れたある夕方6時頃、太陽は水平線に沈もうとしている。引き潮で、海岸の砂は乾いていて、まだ空気は暖かく、蒸散する海水が海面近くに白く煙っている。そこでは潮の香りとオゾンの香り、岩場に打ち上げられた海草の香りが、空気のなかに感じられる。このウイスキーをノージングして、この絵が頭のなかに現われるか、現われないか。もし、現れなければ、何かが正しくないということになるのだそうです。絵で想い、絵で現わす。最後は、言葉としてどう表すか。で、ウイスキーの琥珀の香りもずいぶんと違ったものになるのでしょう。香りは、感動の記憶の蓄積と再現力ということなのか。---------------------------------------------------------------------------総額表示スタート。切り上げや切り下げ、便乗値上げの問題もさることながら、消費税への無感覚化をねらいつつ、消費税改定への歩速を上げたのでしょうか。
2004.04.01
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