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土曜日、半日、ピーカンお空の下で、顔と腕が真っ赤っか。酒飲みオヤジのトナカイさんになってしまいました。昔、日焼けを良しとした頃もあったけど、いまは大の苦手。だから、意図せずしかたなく焼けてしまい、顔はますます水分を失い、老人肌まっしぐら。ばか者時代に焼いたときの皮がうまくはがれず、いまではしみとなって顔に残っているっていうのに、また…ン十年か生きていたら、シミだらけじいさんだ。間違いない。それにしても欧米人? 米国人は、女性でもシミ・そばかすを気にしない人が多いようです。知る限りですが。確かに外見や通常、美しいとされない身体の特長が気にならなければそれに越したことはないですね。性格や考え方が、その人の人生に与える影響大だものね。今では、企業面接に向けて、整形する男子学生だっているってことでしょ。ふ~む。すごいもんだ。小手、めんどうだ。こりゃ剣道だ。ちなみに日焼けは、マウスを使った実験によると、目だけに紫外線をあてたマウスも、耳にあてたのと同じ量のメラニン色素ができたのだとか。なんでも、紫外線情報が目から入り、三叉神経を通じて下垂体に伝わり、メラニン色素を作れという指示が出るためではないかということです。だから日焼け対策には、サングラスもあった方がいいということかな。若い頃、なんでもなかった日焼けがキライになったり、かと思えば、高校卒業くらいまで人に見られるのがイヤだった右脚のやけどの跡が、ある日突然(葉山・一色海岸、19の夏)、すげぇばかばかしいことに思えて、それから平気になったり。人の身体への悩みや想いは、その時々で変わるものですなぁ。まぁ、人がどうってことない。ということに、チマチマ悩んだりするから、悩みではあるのでしょうが。
2004.05.31
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理由なく、そんな言葉が浮かんできたので、検索にかけてみる。と、けっこうな数のページがヒット。地理的な用語もあれば、数学の世界もある、政治や歴史観に例えられ、企業の技術開発やPCでの描き方もあり…で、さまざまな分野の文脈に取り込まれ、「同心円」という言葉が出てきます。「同心円」の「同心」。言葉のもつひろがりが、人や物事の関係や距離を描きやすいのでしょうか。では、と「同心円」に人の感情や想いに関した言葉を加えて検索してみると、それでもそこそこの数、出てきました。夢や希望、成長などを語る場合もあるし、凡庸な毎日の繰り返しという意味合いで使われている場合もあるし。人生一直線、小刻みな曲がり道、螺旋階段に行き止まり…それぞれに、ごちゃごちゃジグザグと日々を送りながらも、自分の来た道を描けば、やはりさまざまな想いの像をつなぎ並べる円がいいのか。野坂昭如氏の小説で、吉川英治賞を受賞した同題のものがあるということですが、さて、どんな内容なのでしょうか。
2004.05.30
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すし詰め電車を楽しむために、音楽のジャンルごとの専用車両を作ってはどうだろう?いま、「女性専用車両」というのがあるけれど、前々からそんなことを思っていました。混むことを進んで・・・かどうかは別だけど、一時、ノリノリで過ごせる電車。ロックンロール車両、フォーク車両、ブルース車両、J-POP車両、演歌車両・・・50年代・60年代・70年代など、年代別で分けてもいいかもしれない。さらに一歩進めて、人数限定でカラオケ車両やライヴ車両。さらに勢いづいて、サンバ車両などいかがだろう?これは、あのリオのカーニバルの過激な衣装で乗り込んでもらう。朝からお姉さんたちには、ビジネスバックを肩にかけ、あのかっこうで駅まで向っていただきませう♪自宅から駅まで、車内も笛・太鼓のピッピカピィ~♪街を、通勤タイムをひとときハッピーにしていただきやしょう。しょうもねえな。女性専用車両が出だしたとき、なんだかやられた(って・・・ヘンだけど)思っていたので、まぁ、出してすっきりしませう。
2004.05.28
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■追記スパイスにも、過去にアヘン戦争のようなものがあったのかなぁと思ってネットをみていたら「スパイス戦争」って出てきました。もっとも、こちらはほんとに香辛料を取り合ったということですが。いまのインドネシア、バンダ諸島で、イングランドとオランダがナツメグの争奪戦を繰り広げたと。サフラン、ナムプラー、パプリカ、コリアンダー、ユズに胡椒に、バジル・・・何百?千?種類あるんだかわかりませんが、名前からしてそそりますな。--------------------------------------------------------------------------------テレビの料理番組や雑誌で、スパイス料理が多く紹介される季節になりました。大きなスーパーや百貨店、専門店などで、ずらりと並んだ茶色の小瓶♪ならぬスパイスの小瓶を、わけもわからず眺めてみるのも楽しいもの。ネット専門店もけっこうあるのだろうなと、ちらりと覗くと、スパイスの種類や効用、歴史などうんちくもあれこれと。詳しくはないけど、キライじゃないもの眺めたり、情報にふれることは、ちょっとワクウキ。コレクターにとっての、モノと量。なら、なるほど・ザ・ワールド。スパイスの小瓶なら、ラベルデザイン・かたち、スパイスのもつ自然の風合いなど、量が装飾の空間とともに、その人の精神世界にも影響を与えているのでしょうね。なにをいっとんじゃろ? まぁ、そんな感じで。スパイスについて、前々から思っているのは、好きな人は人好き・話し好きな人が多いのではないかということ。好きじゃない人は、人ギライ・話ギライか?そんなことはないと思うけど、好きな人についてはそうなんじゃないのかなというだけです。スパイスの大きな効用の一つは、食欲増進ですよね。食べたい、食べるぞという欲を、さらにエナジーアップする力。マズローという人も、人間の欲求段階についてなにか言っていましたが、それはどうでもいいんですが、食べることは、日常的なその人の動物的な?「欲」が見えやすいと思うのです。欲の集約。食べることが好きだという人は、禁欲・・・ちゃう菌欲・・・ちゃう金欲や物欲、性欲、成功欲、なにか声を発したい欲、さりげなくよく見られたい欲・・・(なんでもありだわ)をもっている、割かし表に出やすい人だと思っています。もちろん、ぼくはこうした欲を大いに肯定します。すべてにルールがあるわけだし、誰かがぼくに向って「食べることが好きだから、お金儲けも大好きです」なんていうわけでもありませんが、とにかくそう思っています。だいたい、人がウマそうに食う姿って、こちらを元気にしてくれるし。ぼくも食べることが好きです・・・が、ただ上に上げた欲が、欲だけで現実化できないところが、とほほであります。ついでに、余計な口を滑らせると、ここに日記書いてる人は、全員食べることが好きだと思っています。じゃなきゃ、公開日記なんて書かないと。食べることが嫌いな人、関心のない人・・・ほんとにいるんですよ。今日は、風邪をひいてのどが痛い。スパイス禁止か?なんの話じゃ、今日は。
2004.05.27
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「すぅっと飲んで、すっと帰ろう」と言ったのは、小説「高杉晋作」での山岡荘八さんではなかったか。久々、立ち飲みに行きたい。今日の夕方、ふと思いました。近頃は、とんとごぶさたですが、立ち飲みの時空間が好きです。ヨコハバでたま~に行っていたのが、桜木町駅のミナコイミライ地区の反対側。昔はゴールデンセンター、今はぴおシティと呼ばれる、流行らない駅ビルの地下街に何軒かあります。いま、スタンドバーと称する立ち飲みが都内をはじめ、いろんなところにけっこうできているという情報を目にとめましたが、あれとはちと違います。あちらはレトロな感じを演出し、女性客が気軽に・・・というより、すすんで来てもらえるようなお店のつくり。ぼくが落ち着くな思うのは、昔ながらの立ち飲み。キャッシュオンデリバリーで、串カツとビンビール一本と千円札一枚を出し、またなにか頼むときはカウンターに行って・・・これの進化系が、酒屋さんの立ち飲みです。小学生の頃、友だちが酒屋をやっていて、お店に遊びに行くと、昼間から赤ら顔の酒くさオヤジたちがいて、ぼうずを楽しそうにからかってきました。その雰囲気に圧倒されて、ここは子どもが立ち入ってはいけない空間なのだ。かなり大きくなるまでそんな感じをもっていました。立ち飲み。夕方に立ち寄ると、みんな思い思いに飲ってます。スポーツ新聞を読みながら、飲みながら、今日の気を吐き出す人。文庫本片手にチューハイをあおり、一人静かに飲む人。近くのオジ会社員たち。白髪交じりのおっちゃんと行き遅れた(すまん)だろう女性の、さばさばとした会話と時折のばかっ笑い。現場から直行してきただろう、げんき兄ちゃんたち。それぞれが一時、立ち飲んで、飲んでいたかなぁと思うと、知らぬ間にいなくなっています。毎日、ちょこっとやって来ては、ちょこっと飲っていく。そんな人たちも多いようです。ここに出入りする人たちは、もしかしたら、生きることにあまり器用な人たちでないかもしれない。出で立ちやら、一人飲む姿を見ながら、そう感じることもあります。だからといって、悲壮感が漂っているわけでもない。みんな、人が人を思うよりは案外、淡々と生き暮らしているのかもしれない。おそらくは、そんなに悪い人はいないのではないか。そんな気もするし、そう思いたいのです。あの、今度行ったとき、くっだらな~い話でもしませんか?ほんの一時だけ。で、最後は中村雅俊さんのあの歌の文句の感じで。♪また会う約束などするこもなく それじゃまたなと~~
2004.05.25
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海の公園の自動販売機で、パンを売っていました。米や卵の自動販売機もあるし、ならばパンもとくにめずらしいというほどのことはないのですが、「天然酵母・無添加・ロングライフ」の貼り紙に、妙に違和感を感じてしまいました。場的に、空間的に、これらの言葉に臨場感を感じなかったのですね。でも、「人気商品」なんてあったくらいだから、売れているのでしょう。レストラン?で食べると高くつくし、でも、なんか食べたいし…どうして、ここにパンの自販機が? おそらくはマーケティングとかそういうことからきたのではなく、コネがあった。その程度のことなのでしょう。以前、「児童販売機」などとダレジャしてみましたが、コインを入れて、どんなものが出てきたら、さて面白いだろうかと考えてみる。たとえば、その日のこれから起こることを現実化してしまう予言カード。そこに書かれていることが、必ずその通りになる。いいことも悪いこともあって、それを選ぶことはできない。一種のギャンブルカード。一億円拾うかもしれないし、仕事で大失敗をやらかすと出るかもしれない。自分の過去のある一日を変えてしまえるカード。白紙のカードに書き込むと、その過去の日に遡って、現在が変わる。悪い日をいい日、何事もなかった日に変えることもできるが、引き換えに違う悪いことが起こることが前提条件。それはなにかわからない。豆腐の角にアタマをぶつける程度かもしれないし、もっと重大なことかもしれないし。アラジンと魔法のランプに出てくる、ランプの魔人が出てくる。一生、自分のしもべとなり、なんでもいうことをかなえてくれるが、生涯、そして死んでからも、来世で生まれ変わっても、なんになってもいつでも、どこでも、夢の中でもぴったりと着いてくる。飽きてきたのでお仕舞い。こんな自動販売機があったら、利用しますか?ちょっと、叶うとかその代わりとか、似通っているかな。そういうことを考えて・・・この通りじゃないけど、現実と未来との間でなにか思いが行ったり来たりしていなくもありません。(今日は、こんなこと書きたかったのか? ま、いいか。タイトルを「コインの末裔」とダレジャしようと思いましたがやめました)
2004.05.23
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「協働社会」という言葉を、よく目にするようになりました。前々からあったのでしょうが、一人や単独企業ではなかなか生きづらいことを、今また多くの人が感じているのかもしれません。この広場も、ある意味、言葉や想いの共同社会なのかな?さまざまな分野や地域で、ある目的や喜びに向かい、思いを近くする者の共同体が組織され、さまざまな声を発信しています。自分たちの「祭り」をもつこと。いろんな知恵や技が集まれば、なんでもつくれ、なんでも売れる、活かせる。個性豊かなテキヤの面々が集まることで、これまでなかった新しい大きな魅力が生まれ、一つの場から、それぞれの場所へ、返ってくるなにか。それぞれの祭りへの期待感もふくらみます。でも、祭りがあるから、集まって問題が解決したり、満たされるのではなく、問題を解決するために人が集まることで、祭りが生まれ、賑わいをつくっていく。それぞれのテキヤは、それぞれの技や思い入れを、生産の場にどう活かせるのか。なんとか活かし、喜ばれ、自分も喜びたいと願い、試行錯誤する。そんな働き方を、暮らし方、在りかたとして時間を過ごしたいと思いながら生きている人たちも増えているのだと思います。あなたの周りではどうですか?別に、「働く」ことに限ったことではないと思います。
2004.05.22
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宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、夏の夜の物語。銀河系のはくちょう座から、こと座、わし座、さそり座、ケンタウルス座、みなみじゅうじ座までを巡る旅。(でいいでしょうか?)地上では、賢治の歩いた北上川が真北から真南に流れ、8月15日の午後8時、まっすぐに立った天の川を川面に映しだす。天の川と地の川が、南の地平線上で合流する。賢治は、その光景をつぶさに観ていたのでしょう。一日一日と日を重ね 星を見上げてごらん手が届かないほど遠くだけれどいつかきっとわかる自分が何処に居るのか きっとわかるよいま、アラン・パーソンズ・プロジェクトの「デイズ・アー・ナンバーズ(旅人は星を数える)」が流れています。
2004.05.21
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疑うことよりも、信じることのエネルギーの方がはるかに大きい。あるコミックの中にあった言葉。他人や家族に対して、あるいは自分自身に対しての場合もありますね。よくある言葉なのかもしれませんが、似たようなことを思っているときに接すると、妙に心に響きます。後者についてでしたが。「信じる」という言葉は、自分なりに言い換えた方がいいかなとは思いますが、胸の内でそうしてみましょう。
2004.05.20
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■追記中学時代、十和田八幡平国立公園で行った2泊3日の学校キャンプ。2日目に待っていたのは、八甲田山 死の彷徨ウォーキング。あの第5連隊の後藤伍長の銅像前まで、そして戻りも、いやいや歩いた歩いた。どのくらい歩いたのか、もう覚えていませんが、もうこれ以上は・・・の一歩手前まで歩いたような記憶があります。学生時代、少しだけ登山もかじりましたが、歩いてヘトヘトになったのはあれが最初で最後です。キャンプ地に戻って、靴を脱いだら、靴下に大きな穴が開いていました。当然、落伍者も出て、確か先生たちがクルマで拾っていたようですが、キャンプに来て、精魂尽き果てるような(実際は尽き果てていないので、夜騒いでいたのですが)ことを、よく企画したものです。深い意図はなかったと思うのですが。--------------------------------------------------------------------------------「住まば日の本 遊ばば十和田 歩きゃ奥入瀬 三里半」十和田湖・奥入瀬川を世に知らしめ、蔦温泉を終焉の地と定めた、明治の紀行作家・大町桂月の言葉だそうです。昨日、本屋で「週刊 にっぽん川紀行5号 奥入瀬川」という雑誌を見つけました。なつかしさに誘われて購入し、パラパラと眺めています。自分の育った街から、クルマで1時間ちょっと。秋の紅葉も素晴らしいが、新緑の季節もこれまた心惹かれるものがあります。田舎に住んでいた頃は、家族や友人たちと四季折々、思い出したように出かけました。「十和田湖(奥入瀬)を見ずして、湖を語るなかれ」とは、誰が言ったのでしょうか?はい、ぼくたち、田舎の友人たちが勝手に言っております。「十和田湖を見たら、他の湖は目じゃねえべ」・・・(芦ノ湖、琵琶湖、中禅寺湖ファンのみなさん、ごめんなさい。)ほんとのところはわかりませんが、地元の人にとっても、春夏秋冬、なにかを感じさせる、そんな気配を擁しています。初夏、青森方面から谷地温泉、蔦温泉、十和田八幡平国立公園を抜け、十和田湖に入ったときにはもう夜。霧雨の降る中、奥入瀬の川面には 渓流沿いの建物の灯が落ちて揺れている。田舎を離れて10数年後のロングドライブの一風景が、いまも詩情豊かに、旅の余韻を残しています。湖をクルマでグルリと一周できるのですが、裏手にあたる場所から一面にひろがるブナ林を望めます。これはひたすら雄大。「ブナの海」です。どこかの首相の言葉ではないですが、「感動した!」。ひたすら眺めていたい。この風景の一部に、心も溶け込んでいけたら少しは大きな心がもてるかな。今日は、ただの故郷自慢だな。今の土地暮らしの方がすっかり長くなってしまいましたが、いつの日からか、なんていい土地に住んでいたんだろうと、外からみて思うようになりました。中に入り、県というレベルでみると感慨に浸るだけではいかないことも多いようです。今の日本で、自然(土地)が残っていて、産業・商業が芳しくなくて、農業は天候不順にやられて・・・となると、どうなるか?「活性化」の名のもとに、国のいろんなことを引き受けたり、持ち込まれたり。どこでも、似たようなことはあるのでしょうが。まぁ、今日は田舎自慢のロマンチックよ、カムバック。奥入瀬へ、いらっしゃい。
2004.05.19
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■追記「セミの羽を取って、焼いてミソつけて食べたらうまかった」と、小学校時代のクラスメイトが作文に書いていて、「おっ、いけそうだな」と、早速、家に帰って友達と試してみました。う~ん、にがい。こりゃ、いけてないわ。ガスで焼いたのがいけなかったのでしょうか。やっぱ、炭焼きかな。セミの羽化。子どもの頃、夜、家の庭の木やカーテンにつけた幼虫の様子を眺めているのが好きでした。田舎では夏になると一日中、セミの幼虫を採りに行ったものですが、今の子どもたちもそうなのかな?だいぶ山が宅地化されたと聞いているけど。今年も梅雨をはさんで、暑い夏がやってくることでしょう。--------------------------------------------------------------------------------米東部では、初夏に向って数十億匹のセミの大合唱に包まれるらしい。ニューヨークやバージニアなど15州とワシントンで、「17年ゼミ」の羽化が始まっていて、6月終わりにかけて一斉に鳴きだすのだといいます。1987年の成虫たちの子どもたち。17年も土の中に潜んでいて、6週間ほど生きる。アメリカにもさまざまなセミの種類はあるのでしょうが、このセミは17年の地中を選んだ。オスの鳴き声は、クルマのエンジン音にも匹敵するほどらしく、メスを呼び、交尾する。メスは樹木の枝に卵を産みつけ、それが孵るのは2021年。体長約3cmの成虫が、フットボール場ほどの大きさに100万匹もの密度で発生する場所もあるのだそうです。以前、としまえんの広告で、木にびっしり群がったセミ・・・があったけど、あんなものではなさそうですね。「気持ち悪い」という人も多いだろうけど、ぼくにはなかなかに元気者ニュース。もちろん、心情としてだけど。実際、そばで鳴かれたら暮らせないかも。17年潜んで、6週間ほど生きて、その次、会えるのは17年後。人ごとで申し訳ないけど、大いに鳴けやワメけや、歌いなさいにがなりなさい。
2004.05.18
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■追記風に吹かれて、風を感じて、風まかせ、風のシーズン、風に聞け、風になりたい、風の色、風の舞い、風の贈り物、風立ちぬ、和風、軽風、風雲、春嵐、春疾風、薫風、花信風、凱風、南風・・・「風」を使って、今の気分を言葉にしたらどんな言葉になりますか?--------------------------------------------------------------------------------今年は、風の強い日がほんとうに多い。今日もそう。住んでいる町が、もともとは山だった場所だから。だけではないと思います。全国的にそうではないのかな?風はなぜ吹くのだろう?海上と陸上の温度差によって気圧差が生じ、それを埋めようと空気の移動が起こるかららしいですが、それでいいですか?強風は好きではありません。(みんな嫌いかな)目にごみが入ったり、髪がパサついたり、うっとしい、歩きにくいというだけではなく。風音を含めた風の吹く様に、心の状態や暮らしの風景のようなものを重ね合わせるからなのかもしれません。たぶん、緑陰を抜ける風は、草むらや浜辺に横たわるカラダの上を抜けていく風は、桜の花びらが散るときに描く風は、いまかかっているハワイアンミュージック(昨日ラジオで聴いたKONISHIKIさんの「私の青い空」で吹く風も)・・・強風ではないでしょう。風情、風雅、風味、風合い、風流などという言葉もありますね。人は、風になにを感じているのでしょう。今日、吹く強風は、向う風、逆らう風、流される風、消し飛ばされそうな風・・・さて、どんな風? 心がどう在るのか、感じたりする風であります。えっ? なにのんきなこと言ってる? 洗濯物が飛んでって、それどこじゃない。あ、追いかける風でしたか。スツレイ。
2004.05.17
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■追記今日は、やたらとウイルスメールが届きます。なりすましメールって言うんですか? あれ。Hello!やHi! Re: ImportantやImportant Re: My details やMy details Re: Your information など、ヘンテコリンな件名で届くもの。ふつう、こんな件名のタイトルでメール送る奴いないって。と思うけど、それでも添付ファイルを開いてしまう?インターネットにつなぐだけで感染するというのは、「ホイサッサ」でしたでしょうか? 制作者が捕まったから解決するというものでもないのでしょ?ウイルスメールた、知り合いや仕事先のメールが感染して、それ経由で送ってくるのか?アドレスを公開しているものを拾って送ってくるのかな?これは捨てるだけしか対応法はないのかな? めんどくさいです。問いばかりです。--------------------------------------------------------------------------------ごみ。といっていいのでしょう。部屋の中の3/4のものは。ろくに読みもしない、これからも開くことのないだろう本。気分にまかせて買うだけは買った雑誌。切り抜こうと思っていて、たまった新聞の山。PC内の永久(に目を通さない)保存情報。いつかは使える、また使えるかもと保存してある資料や書類。いまではめったに観ることもないビデオ、聴かなくなったテープ。なんとなく気に入らなくなって着なくなった服。押入れに眠ったままの趣味の道具の数々。「どんなモノを捨て、いかにモノをもつかを考えるということは、いかに暮らすかを考えること」「捨てる」ことについて書かれた、あのベストセラー本もそのとき読んではみたけれど、役立っていないから、これもごみにしたかな?捨てたい。捨てたいと思いながら、もう何年も同じような状態。目につく場所には、「毎日、捨てる」と書いてあるのに。持たないでいたいと思うのに。そう、「毎日、捨てる」で在りたいのに。個人的には、「捨てなきゃ、入ってこない」は、言えてる法則です。「入れたら、すぐ出す」もそうですね。(ヘンな意味ではないよん)とりあえず、一つやりました。年賀状と手紙。小学生時代から最近のものまで、なつかしい名前、死んだ友だちのメッセージ、捨てがたいメッセージ・・・に、数秒間だけ目をやり、次々とシュレッダーへ。どんどん切り刻んで、あっという間にごみ箱がいっぱい。その繰り返し。モーターが焼きつくような匂いがしたので、ちょい中断です。ちょっと名残り惜しい気持ちや感傷めいたものもないわけではありませんが、これは前々からやりたかった。人の気持ちを大切にしないということではありません。ずっと押入れに入れていて忘れていて、ようやく本日実行。一日に向う気持ちが不調になったり、妙に不安感をいだいたりしたとき、モノや情報物が溜まっていくようです。向き合わないで、うっちゃるくせに、未練たらたらで。3/4のごみの中には、ぼく自身の迷い、どっちつかずの気持ちもいろいろ埋まってるらしい。「捨てる」で、心よ動け。と、強引にでも「捨てる」をもう一度。
2004.05.16
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「げんじ」に、「へいけ」に、「ひめぼたる」ほたるの鑑賞会のことが、新聞の地元版や広報紙に載るのは、もう少し後でしょうか。里山と言われるところは、徒歩でもクルマでも近くにあります。毎年というわけにはいきませんが、さて今年はどうなるかな?ほたるの点滅は、オスとメスの出会いの合図。オスは飛びながら光り、草むらで光るメスを探す。お互いが出会うと、光で会話を交わすのだと。点滅は、会話であり、方言であり、コミュニケーションであり、場所によって光り方が違うので、違う所のほたるを採ってきて放してはいけないのだそうです。やはり、水が合うもの同士が育つ場所で、想いを成就させていくのか。それぞれがそれぞれの場所で、ゆるやかに、すばやく、ほのかに、時に力強く、光のシグナルを交わす。希望の光は、恋愛なのか、仕事なのか、家族なのか、なんなのか?「火照る」「星垂る」と、字を当てたりもします。初夏の自然の暗闇の中で、同じ光を見ても、年それぞれ、ロマンチックの行方は違うのだと思います。えっ、なにも感じない? う~ん、それも寂しいかも。
2004.05.15
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■追記「ごまかす」の語源をたどると、「胡麻化す」「胡麻菓子」など。諸説あるようですが、「ゴマ」にちなんだ説が有力みたいです。ごまかす。スポーツ選手が、古傷やウィークポイントをごまかしながら戦い抜く。などともいいますね。言わない? 言うことにしておきましょ。ごまかす。というと、聞こえは悪いけど、生きてると、凸凹ジグザク曲がり道。急坂で、時にはずっこけ、すっ転んでは浅キズ、深キズ、バンソウコウ。相手の在ることでは、公私を問わず、ごまかしが効かないこともたくさんあるから、ちゃんと正面向いてぶつかろうと思うばかりに、ふれあうなんてものじゃなくて、ハートとボディが押し合いへし合い、見えないところでキズだらけ。時には、自分を上手くごまかすことも必要ですね。昨夜、一緒にいた人たちの話を聞きながら、そんなことも思いました。--------------------------------------------------------------------------------ゴマは、西洋・東洋において霊的な力を発揮する神の作物だった。というところから、アリババの呪文につながっているというのは、ほんとうでしょうか。「道は、徐々には開けない。突然、開けるのだ」とは、ある人の本にあった言葉。「少しずつ開けるはずだと思っていると、毎日がゼロの連続だと続けられない。でも、突然開くのなら、毎日がゼロの連続でも笑っていられる」のだと。ということで、根拠なく笑っていようかな。昨夜の焼酎ロックがうまくて、調子にのって何杯飲んだでせうか。屋久島、大分、熊本、沖縄、沖縄、鹿児島・・・このあたりから覚えていません。近頃、固有名詞がちっとも出ません。まだ、ちと気持ち悪い、あ、い、う、え、おおぇ~。「脳が縮んでいる」と言われました。夜更かしが関係あるそうです。シナプスがぷつぷつ切れまくって、ボケのはじまり。固有名詞忘れは、そうらしいです。やばい。早いうちに、突然開け。カモン、来い来い、「オープン・セサミ」。
2004.05.14
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和の甘さは好きだけど、ご飯にあんこをかけて食べられない。マヨネーズはきらいではないけど、ご飯にかけては食べられないあと、なんだ? もう詰まった。とにかく、かけご飯、混ぜ物、食の組み合わせについては、いたってオーソドックスな方です。だから、リンク先の女性が、納豆に砂糖を入れると知って、思わず「ええええ~」となった。そしたら、掲示板に「砂糖の入ったきな粉を白いご飯にかけて食べる」などとあります。ふ~~む。きっと人それぞれ、土地それぞれ、いろいろあるのでしょうね。その辺りの食の組み合わせや、味覚についても調べてみたかったのですが、今日はパスしましょ。個人的に、あえてあげるとすれば、バターライス。あったかいご飯に、とろとろバター。北の方ではふつうだと思いましたが。あと、食の嗜好と人の志向、思考は、関係あるのでは?と前々から根拠なく思っています。その辺も知りたいところだけど。ご飯に、きなこも、マヨネーズも・・・ぼくの目からは、食の祭りばやしです。ピ~ヒャララのドンドコドン♪町外れから聴こえてきて、残念ながら行けないけど、楽しそうな雰囲気を遠くから感じていましょ♪今宵は、串焼き牛タン。その店で一日限定6食だそうです。串と牛タンの組み合わせ。こりゃ、口の中でカネ・タイコ・フエの大競演。関係ないけど、「祭りばやしが聞こえる」・・・観たいなぁ。レンタル店にはないのでせうか?
2004.05.13
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■追記♪探し物はなんですか? まだまだ探す気ですか?♪それより僕と踊りませんか ♪夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか陽水さんの「夢の中へ」は、ふつうの言葉で、詞っぽくない言葉でふつうじゃないこと言っているような気もします。で、以下の一節をどう解釈するか?♪探すのをやめたとき 見つかることもよくある話でアイデアとか、なにかを考える場合などにあると思うのですが、「やめる」というのは、あきらめることや投げることではないでしょうね。考え続けていた、探し続けていたから、ある瞬間にそれがなにかとつながり見つかった。になるのではないのかと思います。よく散歩をしていたときに、トイレで、風呂場でひらめいた・・・と言いますが、その前に机の前でうんうんと考え続けていた。いきなり、なにかが生まれたわけではなく、考えることをやめたのではなく、凝り固まって、思考回路が渋滞して、それでも頭の片隅に残っていて。そのとき、違う行動の中でふわっと緊張感がとけた思考回路とつながるのだと思います。作家が「小説を書く秘訣は、毎日、決まった時間、机に向うことだ」と言っていたと思いましたが。ヘミング・ウェイではなかったかな?ある著名なCMプランナーの人も「発想は、机に向ってするもの」と、なにかの本で言っていました。ある人は「頭で考えた理屈が出尽くして、もう出ないというときにカラダが書かせる」という人もいました。これらは、よくよく耳にする話。なにかいいなと思ったら、しつこくアイデアを追えということかな。ただアイデアだけなら、同じこと浮かぶ人、きっと1000人くらいはいるのでは?近くにあっても、それをかたちにするのに、みんなけっこうジタバタ、ジグザクしてるのでしょ。なにかを発想する、考えるって、なにもアイデア、書き物商売だけじゃなく、どんな仕事でも必要なことですものね。--------------------------------------------------------------------------------「そうだよ、記憶メディアをアダプターに入れて、PCに差し込めばいいだけじゃん」。少し前の話ですけど、こんな「あほ~」な答えに気がつくために、1年以上かかったというおばかで、こっぱずかしい話。以前に買ったデジカメのドライバーを更新しようと、ネット上のメーカーサポートのページから自動インストールを試みたのですが、上手くいかない。デジカメとPCをライン接続して、何度やってもダメ。「ドライバーオンライン診断・修復機能」というので、PCと周辺機器との接続状態に問題が発生していないかを診断し、問題が発見された場合は修復してくれるはずなのですが、そこで必ず前へ進めなくなり、「やり直せ」と表示されます。で、「いいや」と投げました。いつのまにか安デジカメは、棚の隅でホコリをかぶり、存在そのものも忘れがちに。でも、また使いたいなという気持ちが起きてきて、少し前になんとかならんかと、あれこれやっていて「かんたんな答え」に、ようやく行き着きました。コンパクトフラッシュのアダプター、¥800弱。これでシャンシャンです。ライン接続による不具合は解消されたわけではありませんが、したかったのは「デジカメで撮った画像を、PC上でみたり、使ったりする」ことですから。規定・固定概念で、凝り固まっていたんですねぇ。ここの人たちは、デジカメを使いこなす人も多いようので、ほんと「ばかみたい」と思うでしょ。いや、ほんと。最初に「気がつく」と言いましたが、本気で「気がつこう」としていなかった。見つけようとしていなかった。「困った」や「こうしたい」「こうなりたい」の素、解決法は、自分のご近所にきっとある。というのを、生活テーマの一つとして掲げていたつもりなのに、口先のみで身になじんでいなかったのであ~ります。まだまだ、ありそうだなぁ。
2004.05.12
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さまざまな回転運動と動力。たとえば、クルマや自転車などの乗り物、工場の機械や家電で使われる歯車、モーターなど。飛行機や船舶、人工衛星、ミサイルなどがバランスを維持しているのも、フーコー先生が発明したジャイロスコープ(地球ゴマ)を使った装置が活かされているのでしたね。野球の投手の直球も、逆回転による揚力を得て、重力に逆らって真っ直ぐにミットをめざす。回転運動によって動力を持ち得るのは、機械やモノ・固体だけかと思ったら、な~んと生物の体内にもモーターがあるらしいです。http://www.kyoto-np.co.jp/kp/people/gakken/gakken29.htmlサルモネラ菌が移動する際に動かしている「べん毛モーター」というのがそうらしい。なにかと人騒がせなサルモネラ菌、やるじゃないか。太さが髪の毛1本の1万分の1くらい(直径約20ナノメートル)、長さ1万ナノ(10マイクロ)メートルほどのべん毛を高回転させて、菌を移動させているんですって。モーターの回転速度は、18,000回転/分。す、すごい。F1マシンのトップエンジン並みだ。あっちゃこっちゃで、日々、回転。時に焼け付き、トラブルに見舞われ、メンテナンスを施しながら、ごまかしながら、前になんとか進んでる。月火水木、ドッテン回転、だ。ああしたいこうしたい、思うことの方向が揺れるときは、動きたいのに動けない。かたちにしたいのに、なかなかかたちにならない。そんなことってあります?夢の締切りはあるのか、ないのか? 過ぎる時間と固まった自分にあせりやいらだちを感じつつ、匍匐前進。回れ、メリーゴーランド。夕方の路地裏も周れ周れ。みそ汁のだしをとる匂い、魚を焼く匂い、古い民家からもれてくるジャズの音。ああ、腹がへった。日本のめしが食いてぇ。夕暮れの小さな幸福を感じます。食欲あるうちゃ、まだいける。食って、気分を回転、開店。
2004.05.11
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ジーン・ケリーが傘を小道具に歌い踊る、おなじみのシーン。もう、いつ観たのかは記憶にありませんが、映画館を出た後、妙に気分が軽やかだったのは覚えています。今日は、こちらも夕方まで雨が降っていました。それにしても今年は、やたらと雨と強風の日が多くないですか?雨の日に、憂鬱な気持ちになったり、なんとなくやる気が失せるなんていう人もいるのでは?残念ながら、ジーン・ケリーのように上手に雨を楽しむことはむずかしいですね。天候と心理状態、確かに影響があるようです。低気圧の日は、心拍数が少なくなり、気分が沈静化する傾向にあるのだとか。長期間のぐずついた天気が続くとき、うつ病の予防の必要性を唱える専門家もいるようです。これから6月・7月に向って、雨の日がまたまた多くなります。リフレッシュ方法の一つや二つは、考えておいた方がいいかも。ジムに通ったり、泳いだり、晴耕雨読・・・本を読んだり、もいいのですが、人に会いに行くのも、とても効果的ではないかと思います。今日も実際、出かけてきたのですが、元気な仕事人、元気な趣味人、元気な世話焼き、元気な遊び人・・・元気な人からの、元気力エネルギーをもらう。人と会って話をする。話すことで固まってる自分をほぐしてやるのもなかなかに楽しいものです。ある調べでは、ここ20年間の一観測所の1年間の平均降水日数は、約140日。雨国、日本。全国でだいたいそれくらいの日数があるとして、「雨の日は、人に会う」なんて決めたとしたら、けっこうな人数(延べ)、いろんな話をする機会ができますね。
2004.05.10
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そんな生活キーワードを、いつからかなんとなく。今日、たまたま読んでいた本で気がついたのですが、あの「1/fゆらぎ」がそういうことでしたね。不規則さと規則正しさの、ほどよく調和している状態。規則的でありながらの不規則。不規則の中の規則性。小川のせせらぎ、波の音、心拍音、星の瞬き、そよ風、木目、ホタルの光、雨音、音楽、陽光・・・あと、どんなものがあるでしょうか。これらは自然界に存在する法則や人工的に作り出したものだったり。目に見えないにしても、なにかのもの、かたちであったりします。とは別に、人との関係において、日常における言動で、こうした不規則の中で働きかける、作用する某かの法則みたいなもの・ことって、いったいなんだろう? と考えてみたりしています。あなたの不規則の規則的、規則的な中での不規則ってなんですか?
2004.05.09
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アラビア海に仕事に出ていた友人からお土産が届きました。豆やらリプトンの紅茶やら、ちょっとした小物がスーパーの袋らしきものに入っています。ちょっと不思議な気持ち。アラビア語を「見て」いると。なにやらニョロニョロと・・・あちらの人にも、日本語が妙な文字に見えるのでしょうね。アラビア文字は、28のアルファベットと2つ補助的文字で構成されているそうで。右から左へ書き進み、「?「や「,」が裏返しの書き方をする。漢字のような表意文字ではなく、表音文字。母音は、日本語の「ア」「イ」「ウ」に当たる3種類だけで、「イ」と「エ」、「ウ」と「オ」の区別はないそうです。しかも、新聞など通常の読み物では、母音は省略されて書き表される。アラブの人たちは、これを文脈と照らし合わせ、単語の意味と読みを推測して読むのだそうです。え、え~? 一見、記号に見える文字配列? 子音と母音の組み合わせだってどうするのだろう?でも、ちゃんと一定の法則、リズム・型にのっとっているので、母音記号が無くても困ることは、まずないと。たとえば、オフィス」や「机」を意味する単語「maktab(マクタブ)」は、「m」「k」「t」「b」の4つの文字で表されるようですが、アラビア語になじんだ人だとあるルールに基づいて瞬時に言葉の意味を理解するのだそうです。http://www.aii-t.org/j/maqha/study/abc/index.htm他、アルファベット綴り方でも語頭形・語中形・語末形など、単語同士のつながりかたや形にルールがあるらしい。ふだん、自分たちがなにげなく使っている言葉でも、他国の人から見たらずいぶんと妙に見えたり、複雑に感じたりするものなのでしょう。世界には数千種の言語があると言われていますが、それぞれの歴史・文化の背景の中で海岸の石が丸みを帯びるように、文字のかたちや意味、法則ができあがってくる。考えてみたら、日本語も漢字・ひらがな・カタカナ・縦書き・横書きの右左と、自由度の高い言葉ですね。お国や土地土地で、長い歳月をかけて出来上がった言葉の成り立ち、装い。人は、人になにかを伝える手段として言葉を用いるわけですが、それが違えば、考え方や感じ方がそうそう一つにならないのもうなずけます。ぼくたちは、さまざまな言葉をもった人たちがいる、地球という土地に住んでいる。
2004.05.08
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■追記2ミス・リードを重ね、ついには大きく離塁。牽制球にタッチアウト。やはり本日の新聞の一面。「三菱ふそう前会長ら逮捕」の記事。前会長が虚偽報告、隠蔽工作を指揮し、現会長が(ハブ破損の多発への危機感について)「『それがお客様にどのような影響を引き起こすのかという意識が希薄だった。総合的にそういうことを考えられなかった』と話した」と言います。「考えられなかった」とは、いったいなんだろう?脱輪して母子を襲ったのは、お菓子の国のお菓子でつくったハブと豆腐でできたタイヤとでも言いたいのだろうか?この会社は、クルマを作っている会社ではなかったのか?社会面では、犠牲者となった女性の母の話も。「『リコールしましょう』とは誰も言えなかったのだろう。客を見ずに宇佐美前会長ばかりをみていた結果だ」とは、三菱自元幹部の談。これもスリーダイヤの重み、しがらみというやつなのでしょうか。もう、よろしいのではないでしょうか。即刻、退場。責任はきちんととって、ユニフォームを脱いではいかがでしょうか。三菱ふそう関係の方や取引関係の方がいたら、ごめんなさい。でも、要らんですね、こんな企業。誰も大して困らないですよ、きっと。無くなれば社員や関係先は困るけど、それはなんとかしましょう。大企業だけ許されていいことではないですね。中小企業の人(だけでないけど)は、リストラ・不況で、何度も自分たちでなんとかしてきています。どうにかなります。企業としては、もう退場でいいのではないでしょうか。-----------------------------------------------------------------------------■追記3塁打をねらえ。3塁打に大興奮。3塁打がだんぜん楽しい。観る側としては、ホームランではなく。あえて、そう言ってみましょうか。打ったぁ。入ったぁ? フェンスだ。リバウンドを捕りそこねた。1塁、2塁・・・周った周った、球来た、来た来た来たぁ。すべろすべろぉ。アウト?セーフ? セーフ? やた~、オッケイ。野球の醍醐味、エッセンスが3塁打にはある。そういう見方も面白いかも。ホームランよりも少ないだろうし、価値性もあるかな。どこかの球団みたいに、4番打者級集めるのはいいけど、走れない野球などつまらないですね。あのチームでは、3塁打級も2塁打になってしまうのではないのかな。なぬ? 人生はホームランでいきたいと? うむ。いけたらいいですなぁ。こりゃまた、ままなりません。とんでもないカラ振り、三振、振り逃げ、トンネル…時折、ちびファインプレーに快打・快音。さて、こちらでも3塁打をねらってみたいけど、なにをもって3塁打としましょうか?とりあえず、ベンチからの声援や野次に、塁上から応える愛嬌たっぷりのポーズでも考えておきませうか。贅沢言わず、渋いポテンヒットでもオッケイよん♪-----------------------------------------------------------------------------「塁上広告」 大リーグが新収入源本日の新聞スポーツ面のコラムから。大リーグ機構が、1~3塁のベース上に「スパイダーマン2」のロゴをプリントし、公式戦で使用することをHPで発表したとあります。それに対し、消費者問題活動家のラルフ・ネーダー氏が「グロテスクだ。野球ファンは反乱を起こすべきだ」と反発するなど、批判も起きているそうです。面白いなぁ。と思うのは、ある新しい場をつくったり、新しい場からの声が発せられたときに、ある立場からの声があがってくるということ。双方のやりとりを聞いていることが楽しいです。いろいろ話し合って、運営側とファンとがなじめる接点を見つけられたらとは思いますが、個人的にはいいのではないかと思います。TV観戦というかたちで野球を観ることはめったにないのですが、「ベースに広告」。それ自体で野球を楽しむ気持ちに水をさすとか、面白みが半減するとは感じないからです。むしろ、野球場でのフェンス広告や周囲の雑多なしくみ、演出も含めて球場の空気として楽しめる方なので、そう思うのでしょう。一方の、「よろしくない」という声や気持ちもわからないではありません。対象に対して、どういう思い入れや接し方をしているかでも違ってくるでしょうから。いつか再開したいと思っている弓道。たとえば、道着が柔道のように「カラー道着を採用することになりました」と言われたら、話が違ってきます。あれは上は白、下は黒袴でなくてはいかん。でないと、またやるぞの気持ちにも火がつかない。ぼくのやる気が「楽しくない」。弓道については、道着や道具に関する想いも含めて「楽しい」という気持ちを持っているのだから。
2004.05.07
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■追記2神々の住む島、バリ島に伝わるブラックマジック(黒魔術)。誰かに呪いをかけたい、災いをもたらしたい。という場合、バリアンと呼ばれる呪術師のところへお願いに行くらしいとは聞いたことがありますが、今でもバリの人々の生活風習として生きているのだろうか?と、ネットの各情報を読む限りでは、根強く存在しているようですね。人が人に呪いをかけたい、かぁ。毎日、生きていれば、某か、あん畜生こん畜生と思わぬこともないわけではありませんが、こりゃ相当にエネルギーのいることだ。今のストレス日本、摩擦多き人間社会においても、なかなかそこまではと思うけど。宗教や文化・風習・風土の違いと言ってしまえば、それまでかもしれませんが、その土地土地で育つもの、その理由というものがやはりあるのでしょう。しかし、ブラックマジックを操るという人、世襲制ではないのだろうと思うけど、どんな人がどんなかたちで、こうした世界に身を置くようになるのでしょうね。「ブラックマジックウーマン」という曲がありますね?全然関係ないけど、あれ、ストリップ劇場でかかるナンバー1の曲だっていうのをどこかで聞いたことがあります。「黒魔術の女」・・・ちょっと意味深・・・でもないかぁ。-----------------------------------------------------------------------------------------------■追記くしゃみの語源は、「くさめ」にある。というのは、ご存知の人もいると思いますが、どうも鎌倉時代から伝えられるまじない言葉だったらしいです。「くさめ」=。糞食め(くそはめ)や、休息万命(くそくまんみょう)の略だとも。「休息万命」が、長寿を意味する梵語で、釈迦がくしゃみをしたので弟子たちがいっせいに「クサンメ」と唱えたという説もあるそうです。糞食めに、釈迦のくしゃみに、お下劣なんだか高尚なんだか、話がなんだかなぁ。洋の東西を問わず、古代宗教とくしゃみのまじない言葉については結びつきが強いようです。西欧でのペスト流行時には、くしゃみの呪文もあったというのだけど、いったいどんなものだったのでせうね。ところで、今日は妙に鼻がムズムズしてくしゃみがでるけど、誰かがウワサでもしているのかな? 1回か2回、それがモンダイだ。これも、もう通じない話かな?3回ならルル3錠か。-----------------------------------------------------------------------------------------------朝日が燦々、おはようさん。朝日が燦々、おはようさん。いつだったか、なにかで手に入れた某新聞社からの怪獣(快獣)ブースカ目覚ましが雄たけびの声をあげる。寝ぼけ眼で王冠を押すと、「しおしおのぱ~」。おい、ブースカ君。今までなんとも思わなかったけど、「しおしおのぱ~」って君が脱力したり、意気消沈したときの口癖だったね?これから目覚める人にかける言葉としてはどうなんだろうね?連休明けの起き抜けいちばん、ふと思ってしまいました。呪文。そんな言葉も浮かんできました。「しおしおのぱ~」は、呪文・・・とは、ちと違いそうだな。呪文・・・呪いの言葉。あらためて、文字にして書くと、ちょっと物騒な気もするけど、元々は、密教・修験道・陰陽道などで唱えるまじないでしたね。日常生活の中でも、恋のおまじないとか、呪文とか・・・えっ? 言ったりしない?それは古い歌の文句だけ? はいはい。でも、アニメの世界とか、今も昔もしっかりありそうだけど。一つや二つ頭に浮かんできますが、あえて書きませんが、あなたのちちんぷいぷいな言葉は何ですか?日常のなにもかもがぱっとバラ色に変わる呪文を手に入れられるとしたら、使ってみたいですか? まぁ、弱い人間ですから、まったくないと言ったらうそになるかなぁ。でも、世界で起こっていることをみたら、一国の指導者の言動が、他国や世界中を揺るがす呪文なのかもしれないですね。権力をもつということは、呪文を手にしているのことかもしれない。ミクロにみれば、何千何万もの中小企業の社長も、自社の社員に対して意識的・無意識に呪文を使っているかもしれないし。指導者やトップと呼ばれる人たちは、その使い方を間違えて、世界や社員を「しおしおのぱ~」にしないでほしいと思うのであります。(ハラヘッタハラヘリハラハライクサガデキン・・・昼下がりの呪文)
2004.05.06
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出先のお店の玄関に、クルマがお尻から突っ込んだ。ドライブギアとリバースギアを入れ間違えての発進らしいです。自動ドア2枚分を粉砕してしまいました。幸い、けが人は出ませんでしたが、ドライバーの精神的ショックは大きいようです。前に進もうとアクセルを踏んだら、後戻りした。意図したこととはまったく反対の動きに、瞬間、ワケがわからなくなる。パニックと人の好奇の目の中で、気持ちは宙をあおぐばかり。思えば、日常の中でも誰しもが似たような経験をしているのかもしれない。あの人に良かれと思ってしたことが、誤解や悪意にとられ、関係をむずかしいものにしてしまう。物事の始めにあたって描いた成功曲線が、思い通りどころか、反比例のカーブを描く。自分の意思の外で起こる逆行状態には、後悔や疑問やあせりがついてまわります。一方で、あえて意図して流れに逆らう人たちもいます。組織においての大多数に対する少数・個人。デジタル主流の中でのアナログへのこだわり。政治経済をはじめ、さまざまな分野での潮流に逆行する想いや行い。その中には、その時、無茶・無謀にみえたことが、実は先見性を持った行為であったりすることもあるでしょう。世の中に光明を見出すのは、後々考えれば、自らが意図し、意思をもって流れに逆らった人のつくりだしたものであることも多いですね。ただ、一国や少数国の我がままで、意図的に流れに逆らい、世界的な未来に逆行し・・・ということも思えないこともないではない現実であります。
2004.05.05
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Googleに「休み」と入れてみたら、約 1,080,000 件と表示されました。やはり、日本全国ア~ンド万国共通の話題なのかな。で、ここも休んじゃおう。数日後、お会いしませう。
2004.05.03
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■追記2動物は、生まれてまもなく歩き出す。人も歩き出すとき、手取り足取り、理屈で教えて歩き出すわけではありません。「歩く」という行為を、生まれながらにして、カラダの記憶として備えているのでしょうね。歩くことは、人的移動手段や運動として存在するだけなく、脳を活性化し、集中力を高めたりする役目もあると言います。散歩しながら、仕事のアイデアや物事の構想が浮かんだなどは、よく聞く話ですね。人間は、生まれながらにして、歩くことをカラダの記憶として受け継ぎ、歩きながら、歩く意思を持ちながら、新しいなにかを見つけていく。そんな生き物なのかもしれません。-----------------------------------------------------------------------------------------------■追記あんなに嫌いだったピーマンが、ある日を境に、突然好きになった。小学生の頃、周りで「ピーマンが好き」と言う女の子が多かったのです。そもそも、いかにも苦いぞという、においがイヤでした。「なんで、あんなまずいものを」と思っていて、ある日、ピーマンの肉詰めをイヤイヤ食べさせられて、「おお~」。その日から、大嫌いが大好きになりました。これは、カラダの記憶とは違うかもですが、いくら加工して違う味付けにしようがどうしようが、素材に対しての「なんだよぉ、こりゃぁ」が、カラダの記憶としてどこかにインプットされていたのではなかったのか?食わず嫌いという言葉もありますが、本能として遠ざけていたものを、なぜ、いとも簡単にも好きになってしまえたのか?あ、こちらの素材としての中身が軽いから。ぼくより軽い、ぼくの本能。「敵は、本能寺にあり」てが。-----------------------------------------------------------------------------------------------自転車の乗り方や水泳での泳ぎ方は、一度覚えると忘れない。らしいですね。 昨日、春の陽気の中、自転車で久々に動き回り、心地よかった。それにしても、あらためて考えてみると不思議な気がします。なぜ、カラダは乗り方を記憶しているのでしょう?で、ちょっと調べれば、「カラダで覚える記憶学習は、小脳がつかさどっている」と。「神経細胞の情報の受け渡し場所であるシナプスでの伝達効率が長期間抑えられる「長期抑圧(LTD)」により実現する」のだそうです。はぁ・・・運動指令信号が、大脳から手足の筋肉を動かす神経へ直接伝わると同時に、小脳にも入る。たとえば、自転車の乗り方を間違えた場合、間違いを知らせる誤差信号が、小脳からなんとか細胞にも伝わり、その平行線維のシナプスに長期抑圧が起きる。へぇ・・・その積み重ねで、正しい乗り方だけが伝わるようになるのだとか。わかりました? まぁ、関心ある人は調べてみてね。昔から路地裏のこちゃこちゃ曲がり道を覚えたりするのが好きだったりするのですが、これもカラダで覚える記憶学習になるのかな?人の家に行くのにそんな道だったとして、一度覚えると、次からは曲がり角がカラダのリズムとなり、軽いステップでも踏むかのように楽しくてしかたがない。自分が意思をもったレーシングマシンになって、曲がり角をコーナーに見立てて、小刻みに攻めたてるのが気持ちいい。目印がどうとか、そういうことを意識することもあまりありません。その場所を久々に訪れたとしても、だいたいはすんなりと行けます。目に入る無意識な情報があるから、科学的な理論で説明できることはあるのだろうけど、脳内に分泌されるエンドルフィンみたいなものが潤滑油となって、カラダの記憶に訴えかける。「楽しいぞぉ。忘れたくないぞぉ」・・・そんな理屈にならない理屈が、いちばんしっくりとはくるのですが。
2004.05.02
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■追記。ネットに書かれていた情報ですが、米国ではこんな実験を。春に川を上って産卵するサケの卵を、違う川でふ化させて秋に放流。親子で、海へ出る時期も生まれた川も違うのに、4年後、子供達は、春に生まれ育った川に帰ってきたそうです。サケは、遺伝によって産卵の時期を知り、記憶を手がかりに川へ帰って来るのだと。一方では、長崎大の先導生命科学研究支援センターというところの研究。その一つが、遺伝子を特定する技術を、水産業や新規産業の創出などに役立てていきたい。「例えば、帰巣本能をつかさどるサケの遺伝子を、ブリなどの回遊魚に組み入れ、産卵などで本県近海に戻して漁獲量の向上につなげたり、特許や技術を売買する計画もある」そうです。さて、どう思われるでしょうか?----------------------------------------------------------------------------------------------- ♪沖を通る貨物船 眺め テネシーワルツ歌おう(青い瞳のステラ~1962年 夏/柳ジョージとレイニーウッド)沖を行く船は、どこから旅立ち、どこへ行こうとしているのか。港から港へ、積荷を降ろし、お~い、また日本へ戻ってくるのかい?もし、船自身が意思をもっているとしたら、律儀に同じ場所に戻ってなどこないで、7つの海の旅から旅へと、航海を続けるのでしょうか。海は広いぞ、大きいぞ。さて、狭いか広いか週末日本、黄金週間。国内外に旅する人も多いけど、帰省する人も多いことでしょう。今日・明日がピークなのかな?北の土地から、それぞれの想いをもって出てきた友人たちの多くは、帰省ではなく、とうの昔に帰ってしまいました。面白かったのは、男の方が20代後半で見切りをつけて、さっさと帰ってしまった。女の方は、反対に見切りをつけて北から都市へと出てくる人も、ちらほらいました。男は見切りというより、跡継ぎや実家の都合・事情もあったのでしょう。都市は、田舎者のひとときの腰掛けであったかもしれませんが、それもよし。多くの者は、帰り、ゆとりある暮らしを手に入れたようです。「人はサケと同じで、生まれ育ったところに帰りたがるんじゃなかろうか」ずいぶんと前に、母がぽつんとつぶやきました。帰りたがるのか、自ずと帰ってしまう定めなのか。まぁ、ええんでないかい。それぞれの場所で、元気にやろうぜ、皆の衆。人も、サケも、ハトも、ミツバチも、ワンちゃんも、行って戻るも、戻らずも、それぞれの積荷を載せて、ボンボヤージ。
2004.05.01
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