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ユニクロの柳井会長が最高の教科書と絶賛しているビジネス書。ITTの会長だったハロルド・ジェニーン氏の回想録。ITTの企業価値を高めるために自分がしたことを書いているので、非常に具体的である。ビジネスマンには全て自分が手がけないと気が済まないタイプと人に任せてスマートに仕事を片付けるタイプに大別できるが、ジェニーン氏はどうやら前者のようだ。世の経営者に自分で経営せよと本書で呼びかけている。権限委譲すると言うのは聞こえは良いが要は人が経営するのを承認しているだけだと容赦がない。その結果ご自分はどうなったかと言うと、定時は来客やら会議やら報告やらが立て込み、自分が経営の為に使える時間はその後になるので、ひとりで夜食をボソボソ食べ、11時ごろに退社する生活だったようだ。こういう本を読むと社長も大変だとも思うし、本当に好きでないと続かないだろうとも思えてくる。しかし、真摯にこの会社を少しでも良くしよう、黒字を続けていこうと堅く心に誓っていれば必然的にこうなるのだろう。帯にジェニーン氏を「経営の鬼神」と称してあるがその通りだと納得できた。
2005年05月31日
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40を過ぎたボクにとっては死刑宣告を宣告されたような挑戦的な題名である。本書の最後に”とどめ”を刺すかのように四十歳が年齢制限とあるが、平均寿命が延びているからこの本のタイトルから10年ぐらいは賞味期限を延ばして考えたい。筆者の意図はこの部分だけは同意しないことにしておこう。邱永漢氏の89年から91年に架けての作品。事業を立ち上げるのにどのようにすればよいのかが書いてある。まずは小さく始める。これ納得。将来伸びる業種を選ぶ。お客さんのほうから来てくれる商売を探す。そんなモノがあるものかと思って読み進めると当時脚光を浴びた貸しレコード屋やコンビニが例に挙げられていた。社会が変化するときに隙間が出来る。その隙間を埋める仕事が伸びる業種なのだそうである。何があるかな?乏しい脳みそを絞って考えよう。
2005年05月30日
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シンセン在住のMr.Kに案内してもらった。参加者はMs.N、Ms.S。シンセンの街を一望できる蓮花山、蛇口地区を訪れた。蓮花山はシンセンの中央に位置する112mの小高い山であるが、公園として整備されておりゲイラカイトを楽しむ子供がたくさんいた。頂上にはトウ小平氏の銅像が立てられてある。これがあの有名な銅像か。としげしげと見入った。銅像は歩く姿になっていて、南に向いている。頂上から南には建設中の新市政府庁舎からまっすぐ皇崗、福田保税区方面が見える。なんか、トウ小平がシンセンの守護神か後見人のような位置になっていた。展示室があり、町並みのモデルがあった。トウ小平氏のミニチュア像もあったので、お賽銭の積りでHK$1を足元においてきた。Mr.Kはそんなことしても誰かに取られるだけですよ。と懐疑的だったが、そんな罰当たりなヤツはいるのだろうか?MR.Kの方が常識的かもしれない。蛇口地区は高いビルもなくゆったりしていた。衣料品や靴などが軒を並べている場所に連れて行ってもらった。さしずめブティック街のようなものだろう。品揃えが意外と豊富なので驚いた。蛇口のフェリー乗り場付近にある海上世界広場には瀟洒なレストランが並んでいてイルミネーションで飾られていていいムードだった。みなさん、お疲れ様でした。Kさん謝謝。=番外編:蛇口フェリーターミナルでの事。おばさん2人が話しかけて来た。道でも聞かれたのかと思ったら、これから北京に帰るのだと言う。お金が足りないので数百ドル無心してくれないか、とせびってきた。「あなたがボクの母親だったら喜んで出すが、今知り合ったばかりで、あなたとは何の関係もない」ときっぱりと断った。厚かましい、エエ根性しとる。しかし、こんなのに出すやつおるんだろうか。
2005年05月29日
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HSBCのCENTRALにある支店でPANDA COINを購入。@HK$3,395だった。4月上旬が@HK$3,453だったので、ほんの気持ちだけ安く購入できた。LUCKYである。
2005年05月28日
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ディズニーランド行きの電車は暫らく前にLOCAL TVでも紹介されていた。ニュースネットアジアに出ていた記事にシンセン皇崗のゲートからディズニーランド向けにバスを60便出すのだそうだ。整理券を予約しないと入園できないのだが、LOCAL社員でTRYしたヤツがいて予約電話に電話したが全然繋がらなかったので諦めたそうだ。いける人は強運の持ち主と言うことになる。ディズニーランドをあてこんで香港のマンションの価格は高騰している。ボクが住んでいるオリンピックも今年初めに比べると25%位は値上がりしているようだ。ディズニーランド近辺に住む人たちは花火がうるさくなるとか煙が匂うなど今までになかったトラブルを抱え込むことになるが不動産の価値も上がるし毎日花火も見えるんだったらいいじゃん、と他人事だから思ってしまう。=広東省から香港に個人旅行した人たちの数:600万人、きっと来年はディズニー景気でもっと増えるだろう。海外消費は中国人が世界1!? 987USドル使っているのだそうだ。ちょっと前までは日本人がルイヴィトンの本店で・・・と言う逸話が花盛りだったのにそれが中国人に代わってしまった。主役交代か。でも、負けないゾ~!!
2005年05月27日
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仕事帰りに軽く汗を流してから家路に着く。こう言うライフスタイルはカッチョエエ。と思い立ち、早速実行。だが、一つ誤算があった。ボクが考えることは皆考えることで7時半に着いたところで満員状態。ロッカーが空いてない。諦めて帰りかけたときに漸く交代でロッカーを使えた。小腹が減ったので味千ラーメンでギョウザをつまんで満悦だった。やりたいことをやったのだから満足なのだが、もうひとつ誤算が待っていた。ぐずついたイヤな天気だなと思っていたのだが、ラーメン屋を出るときは雷雨。南昌行きのバスに飛び乗り南昌から地下鉄で帰宅した。雨に濡れたのは南昌でバス停から地下鉄に乗るまでのちょっとの間だけで済んだ。
2005年05月26日
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実家より荷物が到着。何が入っているのかわくわくする。いつになっても親とはありがたいものだ。
2005年05月25日
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邱永漢氏の昭和39年の著作。小林一三は阪急の創始者である。三井銀行から脱サラして阪急の前身箕面有馬電鉄の設立に加わった。色んなエピソードや逸翁独特の考え方が紹介されていたが、『「自分の計算から出発せず」「需要家の生活状態から出発する」』と言う考え方は逆転の発想だと思った。そう言えば当社でも値段はお客さんが決める。と言っていたのを思い出した。売れる値段で供給できるcostに収める工夫をする。ウチの社長も小林一三さんの知恵を借りたのだろうか?それにしても今はデフレだから売値がドンドン安くなったらやはり限界には達するはず。それでもお客さんが決めた値段で売るのだろうか?
2005年05月24日
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目覚ましを6時に掛けていたが、止めてまた寝ていた。物凄い轟音が轟いたのでびっくりして目が覚めた。バケツの水をひっくりかえしたどころではない。放水車から水を撒かれたような勢いで空から降ってくる。こりゃ会社にたどり着くまでにびしょびしょになるな。と覚悟していた。幸い出勤する7時半には雨が小降りになっていたので助かった。午前中に倉庫屋のMr.Tが来た。ネクタイを締めている。珍しい奴だ。ああでもない、こうでもない、とああ言えばこう言う典型的な香港人だが、理屈は通っている。今回はこちらからの依頼事項で来てもらった。無難なところで折り合った。昼は鮭の焼き魚弁当、夜は自炊し、大根を電子レンジに掛けて味噌をつけて食べた。変わったことは特になし。
2005年05月23日
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華仁堂へ昨日行って来た。ここ2週間ほど悪化しており、べろを見た黄先生から何を食べたか聞かれた。トマト、きのこ、どっちもだめなんだって。一番最初に診察を受けたときに作ってもらった表をもう一回良く見て食べていいものを把握するよう、何を食べたか記録するよう宿題を出された。ホント食べていいものが限られてくる。ちょっと前までこのまま治ってくれ!!と思っていたのが逆戻りしている。気をつけよう。さあ、これから、漢方入浴剤で入浴だ。あしたはもっと良くなるゾ!!
2005年05月22日
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モーツァルトとプラハと題して香港管弦楽団の演奏会が香港大会堂音楽庁 8時開場で開かれた。演目はハイドン:無人島序曲モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番 in E flat K.449ハイドン:ピアノ協奏曲 in Dモーツァルト:交響曲第38番 in D プラハ指揮:David Athertonピアノ:Imogen Cooper珍しいものを2つ見た。ひとつは扇風機。指揮台の前に丸い機材を置いていたので集音マイクかと思った。それにしては何で指揮者の方を向いているのかと不思議に思っていた。演奏が終わったら、プロペラが止まったので扇風機と判った。流れる汗をものともせずに一心不乱に演奏するのが芸術家と思っていたが違うスタイルの人もいると知り驚いた。確かにステージは照明で暑いし一番運動量が多いのが指揮者である、しかも、燕尾服まで着ている。別に扇風機の音が聞こえたわけじゃなし、珍しいものを見た、程度でいいか。もう一つは2曲目のモーツァルトのピアコン。ソリストが2楽章のカデンツァで急に演奏を止めた。何だと思ったら、ススッと指揮台に近寄りスコアで楽譜をチェック。そりゃ2曲もコンチェルトがありゃ大変だとは思うよ、でも、ソリストがカデンツァ忘れるか!!何事もなかったように後を続けて全部演奏したけど。こいつぁいただけなかった。文句を言いついでにもうひとつ。チューニングの前に舞台でフレーズを指をさらうな!!緊張感が薄れるではないか。
2005年05月21日
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NNAに出ていた記事。シンセンの人口密度が3,597人/平方kmとなり、理想的なcapaの倍になっているのだそうだ。シンセンの定住者が1,300万人で83.5%が流動人口だそうだ。20年前までは牛がタンボを耕す農村だったのだから流動人口が多いのは不思議ではない。NNAの記事の見出しでは”シンセン定住1,300万人 深刻な飽和状態”とあったので人口密度がそんなにひどいのか、と言うのが問題だと思い、Wikipediaで調べてみた。結果からいうと、上には上がある。まだまだ余裕あるじゃん。社会投資をして環境を整備したらもっと詰め込める。(別に詰め込むのを奨励しているわけではないのですが。)そこで《調べた結果》を下記します。シンセン:3,597人香港:6,688人蕨市:13,500人・・・・・日本で一番人口密度の高い都市東京都特別区:13,100人・・・2番シンセンとドッコイソッコイの日本の都市福岡市:3,900人千葉市:3,300人
2005年05月20日
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師匠のMr.Sと激闘。昼休みだけでは終わらないので、携帯のカメラに盤を写し、仕事が終わってから再開である。いつものパターンでは粘りに粘り終には力負けしてしまうのだが、この日は違った。車(日本の将棋の飛車に相当する)が2枚も最後まで残っていた。飛び道具の砲(駒を1個飛び越えた向こうの駒を取ることが出来る)も活躍した。将(王将)の横にある士(斜めだけ行ける)を砲で取り、将を越えて向こう側の相(斜めに2枡分だけ動く)を取り、車による抜き王手で勝敗は決した。大きなclaimを抱えていた師匠もきっと仕事で頭が一杯だったに違いない。でも、初勝利!!やったゼ、ベイビィ!!
2005年05月19日
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LOCAL紙信報のコラムニスト曹仁超氏のインタビュー記事が出ていた。1)人民元切り上げについて大幅な切り上げは近日中はない。直ぐにでも処理しなければならない緊急課題があるので、人民元の切り上げは後から手をつけざるをえない。緊急課題とは・地方と都市の経済格差・四大国有銀行の不良債権処理・07年1月の金融市場開放。今は人民元はアンダーバリューとの指摘を受けているが97年のアジア危機当時はオーバーバリューだったんだよ、とさりげなく立場の違いを述べている。香港ドルの貯金1/3ぐらい人民元に変えちゃったんだけどなぁ・・・。2)香港ドルはどうなる?ドルとのペッグ制は変えない。3)中国の将来今後10~15年は繁栄を謳歌するだろう。問題は政治的腐敗。中央政府がどこまでコントロールできるかにあるとしている。例えば広東省は他の省の企業から来る商品に関税を掛けているらしい。都市化が進行する一方で農地を奪われた農民が1,500万人もいる。本土金融機関の不良債権を本土は15%と見ているが、香港セミナーでは20%、米国投資会社は40%一番厳しい日系証券会社は50%と見ている。どこまでも悲観的な日本人と結果オーライの楽観的な中国人の国民的気質もあるが、ここまで差があると用心して掛かるに越した事はない。中国企業による香港市場への上場でIPOが話題になるが、International Problem Openと言うジョークもあるそうだ。私も儲ける筈がSMIC、TOM Onlineと立て続けに失敗。鳴り物入りのLINK reitはご破算といい思いをしたことがない。それでも同氏が中国は成長期なので楽観できると言う意見には賛成してしまう。4)個人的な投資分野同氏は造船、農業分野に投資しているそうだ。中国の経済には市場経済と統制経済の二面性があって保険は中央政府の支援がなく外資との競合にさらされるが、造船、農業は支援しているのだそうだ。私は人寿株たくさん持ってるよ~ッ!!たくさん。
2005年05月18日
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1983年発行の邱永漢氏の著書。題名だけ見ると早起きの薦めと勘違いしてしまうが小売店主やビジネスマンのための評論、アドバイスが内容。時代背景と場所を現在に読み替えねばならないが変化の激しい社会で参考になる体験者の知恵は今でも十分に通用する内容だ。お手本になる人を探して徹底的に真似しなさい。という箇所があり、なるほどと思わせる。問題は自分がどっちの方向に向いているか、でなきゃお手本の探しようが無いのに気がついた。この本の最後に著者は「人の集まるところに集まれ」「人の欲しがるものは何かよく観察せよ」「一度失敗したことのある人は、二度と同じ商売に戻るな」「新しい漁場が行く手に拡がっているのに、後ずさりして溝に落っこちることはないぞ」とアドバイスして締めくくっている。
2005年05月17日
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邱永漢先生が台湾から香港に亡命した時期に居候していた跡がホテルになっている。雌伏の時期である。毛糸のセーターまで編んでいたほどだから悔しかっただろうと思う。香港で本当に寒いのはそれこそ何週間かだけだが、地元の人たちはダウンのコートにマフラー、手袋といういでたちになる。寒がりということもあるが、それでも毛糸なしでは厳しいだろう。手元の金を食いつぶすだけの亡命生活ならば新しいセーターを買うには使用期間が短いのでいかにももったいない。「何でワシがこんなところで、こんなことせなならんのだ。」と絶対思っていたはずだ。そんなこんなを想像しながらこのホテルのレストランでコーヒーを啜りながら邱先生の手による小林一三の伝記を読んで休日(釈迦の誕生日の振り替え休日)を過ごした。
2005年05月16日
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小交響楽団と名づけられているが、立派なフルオーケストラである。指揮者が葉詠詩という女性というのも珍しいが、意欲的な演目だった。会場である香港大会堂は満員御礼。子供がやたらに多かったので、うるさくされるとかなわんなあと思っていたが杞憂に終わった。Violinを習っている子供が多いのだろうか。concertの後でソリストのTedi Papavramiサイン会には長蛇の列を成していた。団員目録にホルン、トロンボーン、ティンパニーに日本人の名前があったので、香港まで来て頑張っている音楽家が存在していることを知り、尊敬と羨望と感心をミキサーに掛けた気持ちでみていた。Satie :ParadeLalo :Symphonie Espagnole,Op21(Vn Tedi Papavrami)Brahms :Symphonie NO.4 E minor,Op98・Satie :Parade初めて聞いた曲。Satieのピアノ曲は知っているが、オーケストラの曲を作曲していたとは知らなかった。透明感があるが崩れそうな危ないバランスとは違い、あれも試してみようこれも試してみようとした実験曲だったのではないだろうか。タイプライターや鉄砲、ガラスコップを打楽器に使っている。ガラスコップはチェロとユニゾンのメロデイーを奏でたが音程がperfectに合っていたので驚いた。指揮者の葉詠詩が妥協せずにそこまでやらせたのだろう。・Lalo :Symphonie Espagnole,Op21(Vn Tedi Papavrami)これも何回かしか聞いたことが無い。PapavramiのVnは何故かレトロと言う言葉を思い出させた。アルバニア生まれで11歳からフランス政府の国費留学に選ばれAlain Marionの下で研鑽を積んだという経歴である。当年とって33歳。低音部が心地よく響き、もうひとつのVnの魅力を知った。・Brahms :Symphonie NO.4 E minor,Op98ブラ4は小気味良いTEMPOで始まった。ベーム・ウィーンフィルの歌うような出だしが正統と思っていたボクは少々面食らったが一楽章のおしまいのTEMPOから逆算して出だしのTEMPOを決めたのだと最後に納得した。指揮者が引っ張っていく感じの演奏だったが、三楽章のFlのSoloではFlの注文を聞いた格好になっていた。ClのSoloはあっさりと捌いていたが、音色はボクの好みの明るく丸い音。演奏とは全く関係ないがバレルが白いのにどうしても目が行ってしまった。きびきびとした好感の持てるオケという印象を持った。曲の選び方や着こなしている服から、小松一彦先生を思い出してしまった。きっと両者には関係はないと思うが。
2005年05月15日
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コピーソフトを売っている店がこぞって入居している雑居ビルが旺角にある。そのビルまるごとコピーソフト屋と言っても過言ではない3階建てか4階建てのビルだ。そこへWindows XPを買いに行った。お祭りのような雑踏に混じって店番のアンチャンが食べる弁当の臭いだろう鼻を曲げるようなにんにくの強烈な臭いががプンプンする通路を掻き分けてある店舗でXP日本語版を見つけた。ゲームもついでに買ったが、ゲームの方は45分待ってくれと言うので先にHKD20を先に払って別の店舗に入った。日本のアニメや韓国のドラマも置いてある。これは目移りしてしょうがないや、と狭い店内のめぼしいソフトに手を伸ばそうとした時に誰かが何かを叫んだのを合図にシャッターが降り始めた。手入れだ!!シャッターが下りては用をたせないので全ての客が出て行くことになる。ゾロゾロと皆が出る方向に従ってネイザンロードに出た。ボクのHKD20はどうなるのかな?明日行ったら普通にくれるのだろうか?これもriskのうちになるのだろうか。
2005年05月14日
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来年4月にトヨタ自動車が広州市に進出するのが南沙地区である。直接関連はしていないがコンテナ埠頭の整備を広州市政府が南沙地区で推進しており、第一期は昨年9月28日に竣工し、第二期工事を今行っている。07年に竣工予定の計画となっている。第一期が4バース、第二期が6バースだから、合計で10バース。塩田港が第三期までで12バースだから、塩田港の8割がたのcapaを持つ港湾が出現する。塩田港がシンセン、東莞、恵州などの珠江デルタの東側に立地する工場から輸出する商品をcoverしているが、西側には外航船が接岸する港湾が無かったため香港までbargeで運んでいた。この港が充実すると物の流れは確実に変わるだろう。香港の地理的な重要性は相対的にますます低くなると思われる。それにしても、アクセスは良くない。中港城(九龍サイドのフェリーターミナル)からフェリーで1時間半で南沙フェリーターミナル。ターミナルは4月28日に出来たばかりでモダンできれいな建物だが、ここから南沙のコンテナ埠頭までが1時間ぐらい掛かってしまう。今日の日帰り出張ではコンテナターミナルを出たのが4:30ぐらい。ところが5:30の最終フェリーに乗り損ね、広州東駅まで送ってもらった。着いたのが7時ごろ。香港行きの直通電車が8:20分。香港に戻ったのが10:30頃だった。当初の予定では見学を終わるのが3時ごろ香港には4時か5時に戻ってくるはずが、珍道中となってしまった。
2005年05月13日
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ある人からインターネットテレビのやり方を教えてもらい先週からtryしていたが、うまくいかなかった。ひょんな事で操作手順を変えたら、見れた。GYAOと言うUSENがやっているインターネットテレビである。明日のジョーをやっていたので、さっそく視聴した。ジョーが初勝利でうかれている回。鈍感でガサツなジョーと人情味溢れる下町の人たち。やっぱり名作はいいですね。立て!立つんだ!ジョー!!立たなきゃ、昨日に逆戻り・・・最後の歌で、漫画見てるのか説教されているのかわかんなくなったが、その通りである。昨日に戻りたくなければ歯を食いしばっても前に進むしかないのだ。追い詰められているわけではないが、そう思う。
2005年05月12日
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ヒョロヒョロの人からムキムキマンまでいる。ふくらはぎ、太腿、腰、背筋、腹筋を中心にトレーニングした。トレーニング前後に30分ずつウォーキングするので、やはり2時間ぐらい掛かってしまう。終わるとさすがにハラが減る。よせばいいのに、味千らーめんでギョウザとラーメンを食べて帰った。そんなんじゃあ減量にならないって?いいんです。新陳代謝ができたんですから。←いいわけ
2005年05月11日
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師匠のMr.Sと中国象棋を指す。激戦だった。昼休みだけでは終わらなくて、仕事が終わってから続きをしたが、1手差で負けてしまった。中国象棋は駒の数が少ないのと、取った駒が使えないこと、日本の将棋にはない大砲と言う駒があるのが大きな違いだろうか。そのほかにも王将の動く場所が真ん中の9箇所だけだったりと日本の将棋と勝手が違うルールがいくつもある。「貧乏人は負けじ魂が大切だ。」と言う意味の事を邱先生もおっしゃっている。こういう勝負事をすることで負けじ魂を鍛えていこう。ッエ?中国象棋をする口実だって?そうかもしれない。
2005年05月10日
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夕方ぐらい会社から帰るころから大雨が降ってきた。会社から葵芳駅までバスで移動し、駅前のビルで用事を済ませて陸橋を渡ったが、どこからこんなに人が・・・と言うほど人が居た。雨を避けてアーケードをみんな目指しているのだろう。みんな考えることは一緒なんだろう。きっと。
2005年05月09日
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学生時代は学校には行くが練習場へ行き朝から晩までクラリネットを吹いていた。それこそ飽きるまで。ところがバッハは守備範囲に入っていなかったこともあり、手付かずであった。みかん~♪さんがバッハに関係するブログを書いていたのを読んでいままでバッハを聞いてなかったのに気がつき、聞く気になった。尖沙嘴のHMV(CD屋の名前)でみかん~♪さんご推薦の曲を探そうとしたが、バッハが夥しいほどたくさんの曲を残していたというのを棚を見て初めて知った。ブランデンブルグ協奏曲って1番から6番まであったんですね。何という無知だったんでしょう。良く耳にする曲名なのに。。。結局、カラヤン ベルリンフィル 1965年録音のGrammophone社のブランデンブルグ協奏曲1~3と4~6、バッハのエエとこ取りしたCD都合3枚買って帰った。真夜中に聞いたが、透明で清々しい気分にさせてくれるので、きっと、ひんやりとした朝にふさわしい音楽なんだろうなと思いながらまどろんだ。みかん~♪さんのホームページhttp://plaza.rakuten.co.jp/mikanman
2005年05月08日
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セントラルの支店もカンパリドの支店もstockがなかった。この時期はどちらかの支店にまだ在庫があるはずなのだが、どうしてだろう。5月の連休に大陸から来た観光客が買って帰ったのだろうか。パンダを贈呈される台湾の人たちがこぞって買い集めてしまったのだろうか?仕方が無いのでガイドブックに載っていたCITY HALLの食堂まで飲茶しに行ったが、今日の営業時間は11時からだった。今日は空振りの多い日だった。
2005年05月07日
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邱永漢氏の著作。昭和46年の作品。30年以上も前に書かれた本になる。台湾から香港に亡命して結婚して子供が生まれ、子供のあざを治療するために東京に戻ってきてからの自伝。理財をテーマに追求をするに際して「小説家は体験を重んじる商売」、「もし、私が書くのなら、どうしたって自分でやってみなければならない。自分が傷つくことなしに、他人を説得したり感動させたりすることができるわけはない。」との考え方からみずから株を購入するところから始まった。そのように読めるので文筆活動の一環かとの印象があるが、成果が上がっているのは真剣に取り組んだ証左であるのは間違いない。うまくいかなかった砂利工場も周りに迷惑を掛けずにきれいに処理している。手掛けた事業を経営者として主観的に見て、作家として客観的に見て、経営コンサルタントとしてほかの経営者の相談にも乗ったりもしている。SOD社長の高橋がなり氏は自分を主観的に見る「アオリ」と客観的に見る「フカン」が必要と述べていたのを思い出した。この本で紹介されている事業の殆どはcloseしてしまったものばかりだが、「世の中には時代によって金の儲かる商売と、儲からない商売がある」と言うのを読んでLivedoorのホリエモンの顔を思い出してしまった。説明的なことをくどくど書いたが、この本で、私が大事にしたいと思ったメッセージは「負けじ魂は貧乏人の特権」。それから意表を衝かれたのが、「私は青春の賭けに負けた失敗者である。「お金儲けの神様」とはその往生した姿のようなものである」と言うくだり。邱先生が「台湾人の台湾」に賭けた夢がいかに大きかったか、この文章を書かれた時点では邱先生にとって二二八事件は終わってなかったのだ。そう思った。
2005年05月06日
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慰労会を葵芳駅前の中華料理屋で行った。海鮮料理だがうろこの無い魚を漢方医に止められている私は豆腐や野菜の特別メニューを2品作ってもらった。宴たけなわになってMS.Jがハイになり、周りの心配をよそにみずからワインでやたらと乾杯をし始めた。結果は沈没。同じ方向の面子が送って帰った。私も早く乾癬を治してみんなと楽しく飲みたいなと切に思う。
2005年05月05日
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自主トレ。黄埔まで行くには時間が掛かりすぎるので、同じグループの旺角ジムに行ってみた。8時半ごろに着いたが平日の夜だと言うのにものすごい人だかりになっている。週末と週央の2回汗を流そうと考えると水曜日、もしくは木曜日がバランス的にはbestだからだろうか。年齢層も幅広い。さすがにじいさんばあさんは居ないが、中高生から中高年までは揃っている感じだ。女性も結構見かける。余暇があると言うことは家事をメイドに任せられる、家が近い、自由になるお金もそこそこある、夜に来るぐらいだから昼間は働くか学校かの活動をしている。人のことなど余計なお世話だが、そんな事を考えながらトレーニングマシンをガチャンガッチャンしていた。11時ごろに終了しアシュレイロードのバス停まで出たが、味千ラーメンの看板が目に入るとどうしても食欲を抑えられずラーメン、ギョウザを食べて帰った。
2005年05月04日
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本社の人事部が社員台帳を作成するのに顔写真を集めているとのことで、デジカメで写真を撮ってもらった。顔が名刺だと言う言葉もあるが自分はこんな顔だったけなあ。とがっかりした。実物はもっといいはずなので、きっと写真写りが悪かったのだろうとあきらめて本社にmailで送付した。
2005年05月03日
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音楽に国境は無いとよく言われる。その通り。だが、純粋に音楽だけやってたら世界が丸く収まるかと言えばそんなことはないのである。今日の日経新聞のひと・ピープルのページに指揮者の大植英次氏の「私の苦笑い」と題するコラムが載っていた。師匠のバーンスタインに助言を貰おうと「英雄の生涯」を振ったら退席されたエピソードが紹介されていた。作曲者のR.シュトラウスが「ナチスの作曲家」の印象が強かったのが原因だ。このような微妙なきびは日本人には判らないだろう。考えさせられる話だった。
2005年05月02日
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邱永漢氏の著作。工業化に成功しお金持ちの国になった日本が次のステップをどう踏み出すのかが1989年当時の視点で書かれてある。痒いところまで手が届く行き届いた奉仕精神が日本人の特徴で、この精神が製造業に活かされて廉価な高品質商品を実現しmade in Japanが海外市場を席巻した。製造業も第三次産業も海外へ進出すると書いている。その通りの展開になっている。これからも産業界は海外進出が続くだろう。日本の行く末が危ぶまれるが日本が海外に出資した事業からの収益すなわち資本収支でメシを食うことになるのだろうか?ちょっと心配だが、個人レベルで言えば勝ち馬に乗ればよいと言うことになるのだろうか?
2005年05月01日
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