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行楽園球場5万人、甲子園球場6万人、巨人阪神戦は、満席です。野球を知らなくてもみんなが知っている二大チーム。そういう人は、この2チームだけが試合をしていると思っていた頃です。この2チームの熱烈なファンを見ていて、東京人と大阪人の別格を覚えました。 他にメーカーは色々あったのですが、この2社の看板が多かったのと家電の販売は、個人の電気屋さんが主で、そのメーカーの代理店(多かった)として、家電を売っていたからです。電化製品は各メーカーが鎬を削りながらも、内容は劣らずも、優れずも、同一性を保ってしまいながらも、新製品が生まれていくのですね。「君は薔薇より美しい」 「君の瞳は100万ボルト」化粧品メーカーのCMソングは、ヒットし続けました。どちらかというと 女性を賞賛する系のソングは、尚且つその新発売の化粧品、滅茶苦茶売れました。まるで それらを使ってメイクすると、そのCMモデルのように変身できるような錯覚感に陥ったのです。化粧品は昭和中期以降まで、ほとんどか゛メーカー希望小売価格で販売されていたので、収益莫大だったのでしょうね。
2015.07.29
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古いつるべ井戸で、水を汲み上げたら 生首が~~~っこのパターンは、人が怖いものを自ら拾い上げてしまったという怪談ですが、「細心の注意を払って、日々生活していきなさいよ。」という教えなのかもしれません。深~い井戸の中を覗くと、水が溜まっているのですが、なぜか苦悩に満ちた人の顔があるように見えるのです。怖いもの見たさで、夏になると 何人かで一緒に覗いたのでした。昼間の度胸試しの ひとつの課題として、「水トンネル潜り」というのがありました。昭和30年代までは、随所に隋道や深い穴が存在していました。格好の遊びの材料地でした。貫通するまで30メートルくらいあったと思うのですが、やはり、途中 中の薄暗いコンクリート壁が人の顔に見えたりして、確かに怖かったのですが貫通したときのうれしさと、迫力を味わえた満足感は堪らなかったですね。「赤い手の出るトイレ」 学校の怪談にありますが、それは 昭和30年代、1つの学校から全国の学校に怖い話の流行として広まったようですね。当時は学校に10室くらいふつうにトイレがあり、戸が開かないようになっているトイレがあったのです。もちろん それは不具合があっての事だったのですが生徒は「赤い手」と決め付けていました。汲み取りトイレってあの深さは 覗けたものでした。
2015.07.24
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安西マリアさんが亡くなって、一年と4ヶ月経ちました。一年前にアップした絵なのですが、ほんとに昭和でビキニ水着が 一番似合っていた女性だと思います。水着は昭和40年代 ポリエステル素材が主流になりました。そして、ワンピース セパレーツ ビキニと三種に分けていました。ハイレグが登場したのは、昭和の末期のバブル時、足長を演出 出来るようになりましたよね。昭和30年代まで、水着はコツトン素材で水着なのに、水に入ると悲惨なのですがその時 使用している物ってこういう物だという概念で使っているので、特に何とも思わないのですね。開発者が、頭をひねって新しいものを製作してくれますから。今夏の流行の水着はバンドゥビキニ肩紐はなくブラが横長で胸型が良く見える 上下別柄 片方を失くして、有り合わせを着けている ような感じの物です。さて、本題の なぜ女性はビキニを着たいのか?ですが、答えは簡単!「男性の視線を感じたいから」です。その視線は、女性にとって賜物なのです。現象を自己満足と言い放ち、逃避する女性も多いのですがなかなか、正直には言えませんものね。
2015.07.17
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それにしても昭和40年代、50年代は、曲のタイトルが「別れ」、内容も別れをテーマにした曲、なんて多かったのでしょうね。嫌いになったから別れるというのではなくまあ 唄なので別れる事情は述べてはいませんが別れの情景、場面を唄っているのですよね。[今日でお別れ」 「また逢う日まて」 「別れても好きな人」 「別れの朝」 「わかれうた」 「22才の別れ」 「北国行きで」「さらば恋人」 「星影のワルツ」 上げたら切りが無いのでやめておきます。戦後20年以上 超過して、世の中の空気が自由酸素になり、恋も自由そのものになって、でも 恋には切なさが付き物でそこに別れを引っ掛けると、人々は奮激して レコードを買ったのです。別れる二人は 婚姻関係のない、恋人同士が主流、まあ、離婚も別れですけど歌としては 成立しないのですね。まだ昭和40年頃は 離婚などすれば、差別待遇現象が起き、白い眼で見られたのですが、現在は日常茶飯事になりました。別れる時は、明るく出来れば別れたいものです。
2015.07.10
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昭和の中期、まだプライバシーという単語が常用されてない頃、寒い季節はまだしも家の戸は、明け払った生活をしていました。だから、なのでその家の内情は、みんな近所の人に知れ渡っていたのです。大きな声を張り上げても その本人には恥ずかしいなんて意識は皆無で、又、近所の人も、その声がしないと(どうしたのだろう?)と耳を疑ったりもしたのです。戸を開け払った部屋が まるで舞台のように言い争う夫婦、その内容はけっこう可笑しかったのです。もう一つ存在しなかったストレスという単語当時は、悩み 不安 蟠り なんて言っていたのかもしれないですけれど。明け透けの家で、大声を発していた人はストレス解消できていたのでしょうね きっと。
2015.07.03
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