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いつから自分から力みが消えたのかな。今はこうしていられることに喜びを感じる。聖書を開くと、取税人ザアカイ、盲人バルテマイ、マグダラのマリヤ、キリスト様に出会って第2の人生を送った人々が出てくる。「なんだ、これボクじゃないか」この人々の中に自分の姿を発見する。ボク自身は、やがてこの世からは滅びるけれど、聖書の中の人物の中に、ボクは永遠に隠れている。
2002年08月31日
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海へ行きました。まだ夏休みだというのに、泳いでいる人はだれもいませんでした。日は傾きかけていて、海面に光を投げています。足が立つか立たないかほどの所に行き、波間に浮かびます。温泉気分です。以前は冷たさをこらえていなければなりませんでした。車の中でモゾモゾと着替えをし、家に帰ってシャワーを浴びました。
2002年08月30日
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いぢゅいぢゅさん>共感が。。。。「むずかしい」と続くのでしょうか。そうですよね。ボクはのめり込むたちで、昔ボスから「のめり込むな!」と言われていました。でも考えるに、ボクの前にいる悲しんでいる友に、真の共感を抱いたわけではなかったんだ。ある種の自分の感情がかき立てられたに過ぎなかったと。ボクはあの当時、ボスは冷たい人だと判断した。あれから25年、ボクはやっとわかってきた。あのボスは正しかった。もし、だれかがボクのような者にも、心の苦しみを訴えてお出でになる人がいたら、このようにお話ししたいと思います。「ボク自身は共感が出来ないかもしれません。ごめんなさい。でもあなたの真の共感者はキリスト様です。ボクはキリスト様の陰であなたのお話を伺いますね」
2002年08月29日
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子供の頃よく遊んだ。缶けり、電気鬼、馬飛び遊びの中で育ったのかなあ。わが子を育てたことで、心に残っていることは、一緒に遊んだこと。自転車に乗せて、隣町に行ったり、クワガタを捕りに行ったり。ボクの臨終の床に、大人になった子供たちが集まってくる。ボクは言うだろう。「ほら、一緒に遊んだ昔を思い出そうよ」家族と遊ぶ、友と遊ぶ、教会の仲間と遊ぶ。賛美歌を歌ったり、お祈りをすることは、神様と遊ぶ事かも?空と遊ぶ、海と遊ぶ、草花と遊ぶ。ああ遊ぶ喜びには事欠かない。
2002年08月28日
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その年、子供たちとクリスマス会をしている最中に連絡があった。彼が見つかった。富士山麓でガソリンをかぶって黒こげになっていた。ボクは彼を何度も訪ねていた。母親とも懇意だった。彼と話していて、自殺の話になると、彼は急に声を潜めた。ボクはとても怖かった。台所へ立って、刃物を隠したい衝動に駆られた。「死んだら、お母さんが悲しみますよ」「あはは、ボクが死んでも悲しむ人なんか、いませんよ」日曜日、山行きの格好で来た朝もあった。「やまひでさん、これから山に行くんだけど、一緒にどう?」ボクは驚いて「行きたな、好きだから。でも日曜ではね」「堅いなあ。休めないの!」葬儀のあと、ボクはお兄さんに謝った。お兄さんはボクを慰めた、「こうなるかもしれない、と思っていました。」それから警察が、ボクと会ったときの様子を聞きに来た。
2002年08月27日
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強い喜びも、強い悲しみも、心の健康に良くないようです。喜びが非日常的に高まると、強い落ち込みが待っていることが多いようです。悲しみは、さらなる落胆への道。喜びは半分、神様にささげ、悲しみは、イエス様の十字架を仰いで、半分。信仰は、喜びからも悲しみからも、ボクたちを守ってくれます。
2002年08月26日
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ボクがキレそうになって、ふるえていた時そばにいて下さるイエス様がボクを引き寄せて下さいました母のようなぬくもりで妻のように慕わしく子のように瑞々しくボクの全身の力がゆるみつらい思いはいつの間にかうすれイエス様の暖かさが残りました
2002年08月24日
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以前、頼んだことがある葬儀屋から電話がありました。「牧師さん、死っていったいなんですか? 教えて下さい。ボク葬儀屋やめようと思います」あきらかにお酒を飲んでいた。人の死、悲しみに仕える仕事のストレス強いんだね。
2002年08月22日
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23日の分を書いたら、22日の日付で登録され、22日に書いた「自分との戦い」が消えました。神様が消して下さった。もうそんなこと書かなくてもいいんだよ、って。わ~い、神様ありがとう!
2002年08月21日
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ボクの友人のお母様が亡くなった。彼は臨終が近くなった母親を訪ねては、その耳元で、「育ててくれてありがとう」と繰り返して語ったという。
2002年08月20日
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「キリスト教って、ずいぶん色々な教派に分かれているんですね」と聞かれることがあります。 ボクは教派というのは、その家々のスタイルだと思っています。自分のスタイルは大切にします。 スタイルの違いを越えた「一つの教会」も信じています。それが日曜日の礼拝の中で唱和する「使徒信条」の中の「私は公同の教会を信じます」という部分の意味です。 全世界各地域にある教団、教派、大小の教会は、区別が取り払われた目に見えない一つの教会の一つの枝(部分)だと信じています。また「私たちはひとつの公同教会を信じます」と告白した時、信者たちは、違いを克服してキリストの体が分かたれることがないように、祈りながら努力するのです。 (昨日の礼拝でのお話から)
2002年08月19日
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新聞に第2東名高速道路を作っても、赤字になると載っていた。じゃあ、自転車専用道路にしたらどうでしょう。片側2車線に分離帯を作り、ゆっくり走るレーンとレーサー用とを分けます。屋根を付けてもいいけど、景観を損ねるかな。サービスエリアに、旅行者用のホテルを作ります。きっとすばらしいものが出来るよ。老いも若きもサイクリングだ!みんな健康になるぞ~
2002年08月18日
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「信じた人々の群は心も思いも一つにし(中略)すべてを共有していた」(聖書) 教会の始まりにこんな記録がある。のちに原始共産制などと言われる。これが信仰によって自発的に行われていたことがスゴイ。信仰の動力と言おうか、信仰の持つ本来の力なのかなと思う。 国家の間でこれが始まれば、富める国から貧しい国への富の分配となる。テロも無くなる? ちょっと話は発展するが、日本でも「減反制度」を廃止して農家はどんどんお米を作る。余った米は食料に欠乏している国に、米作り技術者と共に送ったらどうかな、と思っています。
2002年08月17日
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降園時の幼稚園、子供たちは先を競って玄関に出てきます。園庭に出た子供たちは、待っている母親、父親、祖父母の元へ。抱きついたり、手を握ったり、一番安らかな時が訪れるのです。でも、すべての子供たちがこのような経験を通ったとは限らないかもしれません。また私たちの心は、もうあの時のような純真さは消え去っています。しかし私たちが、私たちを創られた神様のふところに帰る時、あのステキな光景が、神様と私たちが出会う場所で、繰り広げられるのです。
2002年08月15日
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現代アメリカが生み出した知恵。その前提:「失敗の可能性のあるものは、失敗する」「始まりが悪いと、終わりは悪い。始まりは悪いと、終わりはなお悪い」「何かを口にすると、それが良いものなら消え去り、悪いものなら、実現する」「見あたらない道具は、新しいものを購入したとたんに、見つかる」「最高のシャッターチャンスは、最後のフィルムを使い切ったときに、やってくる」なんという悲観主義! 待てよ! 何事も、一番悪い可能性を常に考えていれば、あきらめもつきやすく、うまく行けば儲けもの・・・・これがアメリカ的楽観主義なんですね。 ある教会で「マーフィーの法則」と聖書を比較しながらお話ししたら、ちょっとした「マーフィーの法則フィーバー」となりました。 最後に聖書の名言をどうぞ。「神を愛する者たち(中略)には、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8:28)
2002年08月14日
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友だちとのお話の中で、田原米子(よねこ)さんの事が話題になりました。米子さんは・・・・若い頃、駅のホームから電車に飛び込んだのです。両足と片手を切断、残った片手も指が3本。ちょうど線路工事人夫がそばにいて、止血処置をしてくれたので命が助かったそうです。助けられたことを恨み、ベッドの中で絶望の淵をさまよっていた時、キリスト教に入信、それから立ち上がりキリスト教の伝道活動を始めました。やがて結婚をして、お子さんもおられます。この人のお話(講演)は皆さんの前で3本指で折り鶴を折り、「3本の指でもこんな事が出来ますよ」と始まるそうです。ボクもビデオで講演を見ましたが、超・明るい人です。自殺志願者が相談に来ると、「時が来れば必ず死ねますから、今は生きましょうね、と言います」と。
2002年08月13日
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(キャンプでの出来事)きっと、ふざけて言ったのだろう。ある子が「みんな名前で呼び合おう」と提案。そしてそこにいたボクを「やまひで!」と呼び捨てにした。ボクも笑いながら彼を呼び捨てに。おもしろい感情が生まれた。それからボクはそばにいた同じキャンプスタッフを呼び捨てにした。ボクはその日、みんなの名前を呼び捨てにしてみた。次の日も、どの人に対しても敬称略でただ名前だけで呼んでみた。
2002年08月11日
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人間関係の中で、「このことでは神様の言うことは聞けない」、という頑固な心が、自分ではどうにならないほど強いことに気づきました。ボクはクリスチャンになれないと、目の前が真っ暗になり、泣きたくなりました。ボクが暗い顔をしているのを見た友だちが、ボクにアドバイス。「キミは今ほんとうに自分の罪に気づいたんだと思うな。だからキリスト様が死ななければならなかったんだよ。罪に死ぬことが自分で出来るならキリスト様は死ななかったよ。だからキリスト様は、キミの身代わりにキミの罪を十字架で負って下さったんだ」それを聞いて、ボクはお祈りをした。「イエス様、ボクはあなたに従いたくないという頑固者です。罪人だとほんとうにわかりました。どうぞ、罪人のボクをイエス様の十字架に免じておゆるしください」そう祈ったら、神様の愛が心にあふれてきて、喜びの感情の高まりをしばらくは止めることができませんでした。
2002年08月10日
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いくつかの教会の中高生たちが集まり、4日間を過ごしました。森の中のひと群。生徒もリーダーも同じ神様の子供になって、分け隔てなく楽しむのです。最後の夜は、プログラムが終わってから、皆で湖畔に繰り出しました。昼間はルリ色に輝く本栖湖も、夜には影法師になります。ひとしきり、花火で遊びます。わー、きゃー、わっはは、やだー時が過ぎると、だれかが水際に寝ころびました。「見てごらん、天の川が見えるよ」「ほんとだー、すごいね」空の端から、中天に懸かかり、向こうの端まで渡っています。気がついたら、みんな寝そべっていました。湖面を伝わる風が、冷気を運んでいます。流れ星を見つけると、歓声があがります。いつまでも寝そべって、帰ろうと言う子がいません。みんなここでは時を忘れてしまうんだね。
2002年08月09日
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知事、首相、子供代表、それぞれのメッセージが心に響きました。戦争でアメリカが核を使わないように、圧力をかけて欲しい。(あすから日記はちょっと休ませていただきます。キャンプで本栖湖に行きます)
2002年08月06日
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青梅線・沢井駅は無人駅で、自動改札もなく、箱が置いてあって切符をそこに入れて出ていく。ボクは新幹線の東京都区内を買って、東京駅からそのまま、中央線に乗り継ぐ。去年もそうだった。途中で切符を買い直さなければ、正しい料金を払い損なうのはわかっていた。クリスチャンになったとき、セコイ行為はいっさいやめようと、キセル乗車を駅に告白しに行ったのに、ボクは、沢井で知らん顔して降りたら、どのくらい儲かるか計算していた。ボクの顔はゆがんでいた。その時、車掌が来た。「乗り越しの方は精算いたしまあ~す」ああ、神様が来た! 「沢井までお願いします」イエス様、ありがとう!
2002年08月04日
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日曜学校では、1ヶ月に1つ、聖書の句を丸暗記させている。「光の子らしく歩きなさい」とかね!お年寄りの信者さんのお祈りに心を合わせていると、聖書の言葉がポンポン出てくる。これには脱帽。わが家の宗教教育も、聖句暗記だった。自分の子供の頃は、母の手ほどきで、高村光太郎の詩を暗唱した。クリスチャンホームでなかったので。牧師養成学校の時代、賛美歌をどのくらい暗唱したか数えたら約50曲あった。ボクは金欠病患者だから、娘の大学受験の時、塾にもやれなかった。そこで彼女が採った方法は、教科書の丸暗記。英語と歴史の教科書は丸暗記したよ、って言ってた。もっとも、教科書に出ていない問題が出てきたと、試験から帰ったら布団の上で泣いていた。志賀直哉の「暗夜行路」を全部暗記したと言う人がいた。スゴイねぇ。ボクは志賀の短編は結構読んだけど、「暗夜行路」は読んでいない。丸暗記するほど、ステキな小説なんだぁ。いつかきっと読むぞ。で、聖書を全巻丸暗記する人ありませんか~ だめ? じゃ、新約聖書だけでも・・・あんたがやれば? ってですか? ボクはもう歳だから・・・・
2002年08月03日
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犬の散歩から帰り道、近所のおばあさまに会う。ちょうど、神社の森の前。蝉の声があたりをつんざくように響いている。「蝉がうるさいわねぇ」そうなんだ、うるさいんだ。ボクは蝉は夏の王様だと思っているから、全然うるさく感じないんだ。「王様、今朝もまた、たいそうご機嫌美わしうございます」
2002年08月02日
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この地に来てまもなく、ある信者さんが突然の心臓の発作でなくなりました。 納棺式で、棺に釘を入れ始めると、娘さんが棺にすがって取り乱してしまいました。きっとお父さん子だったのでしょう。それ以来ボクは、棺への釘打ちはやめました。 あれから20年以上たちました。あの娘さんも、立派な肝っ玉母さんになっているのです。
2002年08月01日
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