全16件 (16件中 1-16件目)
1
今朝見た夢はイイ夢だった。河川敷での子供たちとのキャンプだった。障害を持った若者たちが先に集まってキャンプしていた。彼らの歌う歌が上手だったので、「あの人たちに負けないように歌おうね」と言った。内の子供たちの賛美が始まった。年長の若者がリードし、それから高校生が二人、デュエットした。それがこの世のものとは思えないような美しい讃美歌だった。あの美しいメロディー、また神さまへの賛美を歌うきよらかな歌詞、いったいどこから来たのだろう。きのう如安さんのHPを見たので、その影響かな。影響されやすい。
2002年12月31日
コメント(1)
1月6日が、東の国(イラン?)から来た博士がイエス様にお会いしプレゼントをささげた「異邦公現日」。この日から節が変わり「公現節」となりますが、それまでは、クリスマスが続くのです。昨日はクリスマス後の日曜日として、ボクの教会ではクリスマスの歌を歌いました。じゃ、また来年ね! サンタさん又ね!町の人々の心には、もうクリスマスは過ぎてしまったでしょう。でも信者の心には灯り続けています。クリスマスの灯が。その恵みが。
2002年12月30日
コメント(4)
年明けに、アメリカがイラクを攻撃すれば、かつてのドイツが犯した誤りのように、歴史が続く限り語り継がれることになるでしょう。この攻撃は、イエス・キリストの御言葉への「アンチ・テーゼ」と思われます。ローマ教皇はクリスマスメッセージの中で、アメリカに自粛するように求めています。イギリス国教会のカンタベリー大主教のクリスマスメッセージの中でも、イラク戦を避けるように言及されています。
2002年12月27日
コメント(1)
チャールズ・ディッケンズ作ボクは高校生の頃、「クリスマス・カロル」を読みました。感動、感激して、「そうだ、これがクリスマスの真精神だ」と合点したのです。そうです、あのスクルージが、クリスママスの朝、変人ジジイから「やさしいおじさま」に変化していたという、世にも不思議な物語。今でも大好き。クリスマスの精神は、キリスト教の精神でもあるんだな。ボクもニヒリスト青年だった。でも神さまがボクの心に生まれて、ボクの心は暖められた。神さまありがとう。
2002年12月26日
コメント(0)
クリスマスの日付は、古くから「25日」とされていたらしい。肝心の「月」には諸説がある。羊飼いが夜なべの番をするのは、冬ではないなあ、という人もいる。12月25日にしたのは、異教の習慣に対抗したからという説は有力だ。冬至の祭り(太陽の誕生)に合わせて「義の太陽」と言われたイエスの誕生日を持ってきたというのだ。1月6日(または7日)は、ギリシャ正教のクリスマス。実はこちらの方が起源が古い。東方教会(ギリシャ正教)はカトリックより古いキリスト教なんだね。カトリックとプロテスタントは1月6日を「公現日」と呼ぶ。東の博士が贈り物をもってイエス様を訪ねた日としている。ボクの教会では1月6日までツリーを飾ることにしている。
2002年12月25日
コメント(0)
メシア誕生のしるしの☆を見た博士は、エルサレムへ行った。あれ~違うよ。神の都とか聖都とか呼ばれていたようだから、仕方ないか。でも、メシアが生まれた様子はどこにもない。そこで王様の所に聞きに行った。ダメ! 大変なことになるよ。王様は驚いて学者を集めてそんなことがあるのかと、調べさせた。聖書に書いてあります。ユダのベツレヘムと。やはり聖書を調べなくてはわかりませんな。王様のただならぬ雰囲気をよそに、博士たちは、ベツレヘムに行き、その赤ちゃんに会いました。黄金、乳香、没薬のプレゼントをささげました。今日はサンタさんが来る夜だ。内の子供たちにはもう来ないな。寂しい。そう言えば一昨年は、親たちの所にサンタさんが来てくれた。クリスマスの朝、目覚めたら枕元にきれいに包んだプレゼント置いてあった。驚いたよ。アワテンボウのサンタクロウスってやっぱりいるんだ。
2002年12月24日
コメント(1)
しあわせです。クリスマス、大好きな教会の皆さんと、心ゆくばかり楽しみました。信者さんたちも、いろいろな問題、課題があります。どうしてそんなににこにこしていられるの? と人には思われるのかも知れないけど。でも、イエス様のお誕生記念日を大切に思って、駆けつけて下さったのです。だからシアワセ。ありがとうね。イエス様、どうです? あなたのお生まれをみんなで感謝しましたよ。お祝いしましたよ。
2002年12月23日
コメント(3)
全世界の教会で、クリスマスの礼拝が守られるでしょう。家畜小屋でお生まれになった小さなイエス様、この方が、神さまの托身とは、だれが想像したでしょう。そんなトンデモないこと信じたボクは、なんてノーテンキなんだ。でも、今でも心から信じられる。どの方角から考えても、やはり信じることが、一番良い。
2002年12月21日
コメント(0)
イエス様のお母様になったのはマリヤです。マリヤへの思い入れはカトリックとプロテスタントで、少し違います。神さまのお子さんをお宿らせしたことは共通。神の御子を御産みになったかたは特別と考えるのはカトリック。プロテスタントは、普通の女性からお生まれになったことに意味があると考えています。カトリック教会がマリヤ様に祈るのは、マリヤ様からイエス様に祈りを届けていただくためです。ボクたち(プロ・・・)はイエス様に直接お祈りします。「わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」これは、これからイエス様の母になることを天使に告げられたマリヤが言った言葉です。始めは「どうして、そんなことがあり得ましょうか! わたしにはまだ夫がありませんのに」と抗議するのですが。マリヤはスゴイと言うか、女性はスゴイですね。
2002年12月20日
コメント(2)
聖誕ページェント(祝祭劇)は、キリスト誕生の預言から始まります。 聖書の国イスラエルには、紀元前8世紀頃から様々な預言者が現れて神の言葉を取り次ぎました。貴族の出(イザヤ)、人生経験の浅い若者(エレミヤ)、農夫(アモス)等々、国家の存亡にかかわる困難が次々とやってくる中で、イスラエルの神への信仰に立ち返ることが解決の道だと、口をそろえて語ります。 理想の国の樹立はメシアを待たねばならない、メシアが来れば! と預言者たちはメシア(ギリシャ語でキリスト)が来ることを待つようにと語りました。 そのメシアである方がイエス・キリストだったのです。その方がお生まれになった日が「クリスマス」なのです。
2002年12月18日
コメント(0)
教会のクリスマスには、「クリスマスの劇」が付き物です。「聖誕ページェント」pagent などと言います。これはキリスト様のお誕生前後の様子を劇にしたものです。ページェントは「見せ物」と言った意味だそうですが、ただ劇をして見せるのではなく、2000年前の世界で最初のクリスマスの出来事を黙想し、キリスト様を地上にお送り下さった神様に感謝をささげる時なのです。形を変えた礼拝かな?幕の合間には、クリスマスの讃美歌(クリスマス・カロル)が入ります。
2002年12月17日
コメント(2)
教会暦では、今「アドベント」(待降節)を過ごしています。私たちの暦が1月1日から始まるように、教会の暦は「アドベント」から始まります。「降る」(くだる)という意味です。キリストが天から地上に降ったクリスマスを待ち望みます。この期間は、クリスマスの意味を考え、自分がキリストをお迎えするのにふさわしい心となるように祈り、あわせてキリストが再び来臨される最後の審判の日が近いことを思い、罪を悔い改めてその日を待つ、そんな期間です。アドベントはクリスマス前の4週で、4回の日曜日を含みます。4番目の日曜日に「クリスマス礼拝」を持ちます。最初の日曜日から、1本ずつローソクに火を点す習慣があります。今年は22日です。皆さん、町の教会に行って下さいね!
2002年12月15日
コメント(0)
天使や聖人の絵には、頭の上に輪が載っている。ボクは、全部の人の頭に、その輪があると思う。その輪は、「この人は、世界中でたった一人の、独自な人」という意味。神さまの子であるしるし、そして人間のしるし自分は自分である、自分として生きる。ボクはキミのようにではなく、ボクのように生きる。ボクがボクのように生きることを、神さまは願っておられる。
2002年12月14日
コメント(1)
右足膝骨折から約50日、「年齢の数が過ぎれば、判を押したように良くなるよ」という励ましを背に、初外出は、東京の教団事務所へ。松葉杖を頼りに、新幹線に乗り、東京駅からタクシーへ。駅からタクシーなんて、今まであったかな? 事務所近くの「ほかほか弁当」の店で止めてもらい、昼食の弁当を買う。「こんにちは~、お祈りありがとう!」と言いながら事務所に入った。「おう、やまひで大丈夫?」ああなつかしい。そこで皆さんと会い、2つの会議を終えて帰ったのが、夜9時近く。ねぎらいの言葉がうれしかった。
2002年12月13日
コメント(0)
ボクのことを「やさしい人」と言って下さる人がいる。そうかなぁ。やさしさ=柔弱さ柔弱な牧師さんと言わないそのやさしさ。そう、皆さんの方がやさしいよ。ボクのような柔弱者を今日まで支えて下さった皆さん、あなた方の方がやさしいよ。
2002年12月07日
コメント(2)
「今日の日曜礼拝のお説教の声、いつもより小さい気がしたけど」「分かった? 準備不足で、来て下さった皆さんに悪いなと思いながら話したもんで」
2002年12月02日
コメント(1)
全16件 (16件中 1-16件目)
1