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人間の心の姿です。ボクはダイヤモンドだと思っています。たくさんの面を持っていて、光が当たるときらきら光ります。普通は人は1面だけを見ます。それで全体を判断しようとします。あの人こういう人だよ、と言います。でも見えないんです。他の面があり、それがはるかに輝いてることを。もし、その人のすべての面を知ろうとするなら、それは、生涯その人と一緒に暮らして・・・・それで多少は・・・
2002年11月30日
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ソロモン王が神さまから「あなたの願いをかなえてあげるから言ってごらん」と言われて、「王として民の心を聞き分ける心を」と答えました。それで神さまに誉められます。ボクに言われたら、「柔和でしとやかな魂を」と答えるでしょう。実は、これは結婚式で妻となる女性に勧められる言葉なんですが(笑)、やはりこれしかない。神さま誉めて下さるかな。
2002年11月29日
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キリスト教というのは、つまりは普通の宗教だけど、2000年の年月がもたらしたものがある。まず教会も過ちを犯すことが分かる。それから、「教理・教義」の作られ方だが、長い間の教理論争があっても、結局はバランスが取れた所、聖書解釈の中庸が選ばれてきた。熱狂的、偏った聖書解釈はだいたい5世紀頃までに出尽くしていて、あとはその繰り返しである。教派間の対立は、無くなりつつあるというのがボクの感想だ。カトリックとプロテスタントの対立の時代もまもなく終わるというのが、ボクの確信である。
2002年11月27日
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衰弱して休んでいた90歳に近づいた女性が、久々に礼拝に出席。礼拝の後、皆もうれしそうに駆け寄っていた。食堂に入り、90歳になったもう一人の女性と、並んで座った。車椅子に乗り、口を開くのが、やっとと言うほど、体は弱っているが、次に教会に来る日を一生懸命に話し合っている。帰り際、近づいて挨拶をした。黙って、ボクの顔をまじまじと見つめる。玄関まで来たら、「お大事に」と言って下さった。外に出たら、青年が自分の祖母のように大切に車に乗せている。胸が熱くなった。
2002年11月26日
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セイエドくんhttp://plaza.rakuten.co.jp/seiedo/ が鳥肌が立つような作家に出会ったと言うことで、ボクも出会いについて考えてみました。大学時代、Sを知りました。その頃、ボクのキリスト教信仰は自己流、自由奔放なものでした。しかしSの生き様にふれて、神に従うとはどういうことか、知らされたのです。彼は聖書通りの信仰を一途に求めていました。絵描きになりたくて、芸大を目指したが信仰のために絵を捨てたと言っていました。ボクが通っていた教会と、彼の教会は、異なる教派だったので、教派とか伝統とか言うことも彼を通して考え始めました。Sさんありがとう。ボクが牧師になれたのはあなたのおかげです。
2002年11月23日
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わーい、怪我をしてから、今日でちょうど1ヶ月。だめだ、はしゃぐとまた言われる。家族には、ボクがけがを楽しんでいるように見えるらしい。介護に疲れた家族の声かな。左足は、やせ細っているのに、相変わらず右足が丸太のように太いので、家族が心配して「変だよ、病院を変わりなよ」の大合唱。医者って変えるものなのかな。ボクは一つに決めたら、そこにじっといるタイプなんだ。「主は私の杖であって私には乏しいことがない」って、聖書のどこかになかったかなぁ。(勝手に書き換えるな=天の声)
2002年11月22日
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高校時代、社会科のテストで「新訳聖書」と書いちゃった。教会に行き始めていたので間違いに気づいた。やがて答案帰ってきた。たは、○になっていた。ホントは「新約聖書」と書くんだね。「約」は約束とか、契約とか言う意味だ。神様がボクに約束して下さった。「あなたがイエスさまを心に迎えるなら平安を与えるよ」ボクと神様が指切りした日から40年たった。その約束の力は、いつまでもいつまでも瑞々しい。
2002年11月20日
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神様は、幸福や優しさ紡いで下さる。じっと待っていると、幸運に出合える。いやなこともあるが、優しさに出会える印象がはるかに強い。だから、不幸と見える出来事からも、紡ぎいずるもの(幸福)があるはず。そう信じて差し支えないと思う。
2002年11月19日
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昨日、ボクの従兄弟(いとこ)が腎臓移植手術をしました。兄が、腎不全の弟に自分の腎臓を片方上げたのです。それでボクは昨日彼らのためにお祈りしていました。腎臓がマッチするかの検査だけで100万円ほどかかるのですって。とにかく手術は成功のようです。従兄弟たちの兄弟愛にほだされています。ボクの弟がそうなったら、何だかんだ言って逃げると思います。
2002年11月16日
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ウキクサは大洋に浮かんでいた風の具合で入り江に迷い込んだ海岸の小石に引っかかった子供がそれを見つけた「うちの水槽にちょうどいい」拾われて運ばれて水槽に入った家族の笑い声が聞こえる
2002年11月15日
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先日BS放送で放映した「ジャンヌ・ダルク」ごらんになったでしょうか。映画を見る限りでは、ジャンヌが天使(聖人)の直接啓示で行動して、教会の権威を飛び越えた、と言うのが「異端」であり火刑となった理由のようです。教会の権威は絶対で犯してはならないと言うのでしょう。使命に生き抜き、身に覚えのない罪を着せられ死んでいくジャンヌの死は気高いと思いました。500年後ジャンヌの「異端」が取り消され「聖人」に昇格、列聖されます。500年前の過ちを教会が認めた形。教会だって人間が集まっている所。そして人間は過ちを犯す者だから、教会も罪を犯すことは十分にあり得る。ボクもしょっちゅう間違っている。言うことを間違える。書くことを間違える。アドバイスすることが的外れ。神様だけは間違わない、それとボクがどんなに間違っても神様は赦して下さるのがボクの拠り所です。ジャンヌの火刑から約100年たって宗教改革が起こります。ローマ教皇庁に、一介の修道士マルチン・ルターがたてをつく。あれから500年、ルターの破門も解いて下さいな。列聖しなくても良いから。手をつなぎましょうよ。ローマのパパさまへ。
2002年11月13日
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信者さんとの信頼関係を損なったことがある。ボクが為すすべもなかった時、関係修復のために立ち上がって下さったのが、婦人たちだった。間に入って、忍耐強くとりなして下さった。キリスト様の十字架の元に最後までとどまったのは女性たちだった。
2002年11月11日
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旧約聖書って、前人未踏の山塊のようで、入り込むのはなはだ困難ですが、その中で「ルツ記」はページ数もごく少なく、叙情歌のようです。主人を失くし、もう良いから実家に帰りなさい、と言うしうとめに逆らい、しうとめの帰還の旅に付いていくモアブの女ルツ。しうとめナオミも、嫁のルツも共に夫を亡くして失意のうちに、ナオミの実家に帰ります。ルツは刈りこぼした落ち穂を拾い集め生計を立てます。畑の持ち主ボアズの目に触れ、親切を受けます。そしてボアズの妻になっていきます。ボアズがしうとめナオミの家督を嗣いだのは、ルツが魅力的だったからでしょうか? それとも神さまの測りがたいご計画によったのでしょうか。 ボアズの行為は、遠くキリストの十字架のあがないの恵みを指し示していると言われています。
2002年11月09日
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右足は股関節からつま先の手前までギブスが。それでビニールの袋に足を入れテーピングして風呂場に入ります。妻がイスを置いてくれています。イスに座って体や頭を洗うわけです。物を取ろうとした時、踏ん張った左足がつるっとすべって、痛い足の指の付け根を、鏡の下にある小物を置く出っぱりに「ゴン」と打ち付けてしまいました。痛っ! あれっ? 不思議だなぁ。すべって打ち付けた直後から、急に指の痛みが消えた。指が普通に動くようになった。
2002年11月08日
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月に2度ばかり母校(牧師養成学校)に出ています。けがをしているのでちょっとまだ外出が無理。授業に穴を開けるのは、学生に悪い。かといって多忙な他の講師たちに、余分なご奉仕を増やすわけには行かない。はっと気が付いて、妻に代理を頼んだ。教務に電話すると構わないです、との返事。妻は「とんでもないわ」と即座に言ったが、ついに出かけていった。「25年間働かせていただいた神様の恵みを、学生と分かち合ってきてね」と頼んで送り出した。本当にごめんね。
2002年11月07日
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ずっと以前「たね」というキリスト教文芸誌がありましたね。椎名鱗三さんなんかが投稿しておられたこと、うっすらと覚えています。種は地にまかれると自然に大きくなって実を結ぶ、という、イエス様がなさったたとえ話が、ボクは大好きなんです。一人の人の心に神様の命が入ると、だれも手を加えなくても成長していくと言う・・・・ボクが勤めている教会は「雑木林」の感がある。めいめいに、思い思いに立派に成長している。ボクは立派になった(なりつつある)1本1本の木々の間を毎日歩いている。雑木林の散策は楽しい。
2002年11月05日
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今、毎日の旧約聖書通読で士師記を読んでいます。この書を読む度に「信仰とは?」と考えさせられます。神様と人がどう関わるかの原点が、士師たちの生き方にあるのではと思います。今日は、士師エフタを読みました。彼は敵と戦いに臨む時、「神様がもし自分を勝たせて下さったら、自分の家に帰り最初に出迎えた者を、いけにえとして神様にささげます」という軽率な誓いをします。戦勝したエフタが意気揚々と家に帰ると、彼の最愛の一人娘が父を讃え踊りながら出迎えます。
2002年11月02日
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常時接続にしたので、不要になったターミナルアダプタを、楽天市場で売りました。100円で買っていただいたのですが、廃棄しなくてすんでほっとしたところです。やがてダンボールが届きました。切手と一緒に、見たこともないフルーツがいくつも入っていました。「ドラゴンフルーツ」と言うそうです。味は「キウイフルーツ」から酸味を抜いたような感じです。皮は赤い。中身は白でゴマのような点々が入っています。ちょうど信者さんが2人来ておられたので、見せると、「これはいったいなんですか?」さっそく一緒に賞味しました。
2002年11月01日
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