全17件 (17件中 1-17件目)
1
牧師養成学校時代、ボクに「ブラザー」というあだ名を付けてくれた友だちがいました。ブラザー・ローレンス(フレール・ロラン)という17世紀の聖人のイメージなんです。ローレンスは神様と共に30年間、台所での仕事をひたむきに続け「台所の聖者」と呼ばれています。不器用のため、いつも食器をこわしていたと言われています。ええ、それがボクだそうです。その友人はボクの誕生日のカードにこうも書いてくれました。「キミのロー・ペースは周囲に慰めを与える」
2002年10月31日
コメント(0)
この古い賛美歌は、アメリカの教会で国家のように歌われているそうです。日本訳の題「驚くばかりの」昨日の衛星Hiで2時間番組を放映しました。奴隷商人だった英国人ジョン・ニュートンが、やがて回心し牧師になりました。自分がどんなに大きな罪を犯していたか、悔い改めと、神様に赦された喜びを歌った賛美歌です。 Amazing grace! How sweet the sound that saved a wretch like me!「不思議な恵み! 何と甘い調べだろう。 こんな私のような卑劣漢をも救って下さるとは!」a wretch とは、奴隷商人をしていたニュートンの姿でした。しかしこの単語には、「哀れな」と言う意味もあり、アメリカで奴隷だった時代の黒人たちは、哀れな自分たちの境遇を重ね合わせて歌ったのだそうです。奴隷商人の悔い改めの歌が、奴隷たちの慰めの歌となりました。ボクたちの教会でもいつも歌っています。
2002年10月29日
コメント(9)
聖書には、ぶどうの木やぶどう園の話題が多いのは、イスラエルでは身近な木だからだろう。「あなたがたもぶどう園に行きなさい」マタイ20:4ぶどう園の主人は日雇い労働者を、夜明けに、朝9時に、12時に、午後3時にそれぞれ広場に出かけて行って、労働者を雇い入れる。仕事もそろそろ仕舞いの5時頃に行くと、一日ぶらぶらしている人がいたので、また雇う。仕事が終わって労賃を払う時、全員同じ金額だったので、朝からの人が不平を言う。その時「あんたとも一日1デナリの約束だった。私が何か不正でもしたかね?」と言って抗議をはねつける。何とも胸のすくお話だ。ボクは牧師養成学校時代、最終年に校則を破ってしまい問題になったのだけど、温情で卒業、赴任教会まで斡旋していただいた。こんなはすっぱなボクだったから、このぶどう園のたとえ話の良さが痛いほど分かる。ぶどう園の主人の計らいが特別にうれしい。
2002年10月25日
コメント(4)
信者さんの訪問の帰り自転車で走行中、停まっていた車の脇を通ったら、急にドアが開いて、飛ばされました。足の甲がドアに当たったようです。右ひざ骨折など、まだ検査をしています。教会には車椅子と松葉杖が備えてあって、この時のために神様がご準備下さっていたのかなぁ。(悲)車椅子に乗ってみると、十分広いと思っていた車椅子用トイレが狭い。廊下においてある荷物類が邪魔。わからなかったことがわかった。
2002年10月23日
コメント(9)
車の検査が出来てきた。ユーザー車検をしたこともあったが、車が古くなったので(平成1年式)最近はディーラーさんに頼んでいる。見積もりの段階で、オイル類を全部交換するという。エンジンオイルは、そんなに汚れていないはず、と断った。LLCも自分でやるからといいと断った。ブレーキオイルとオートマオイルは記憶が定かでなかったので言われるままに頼んでしまった。出来てきてから、前回車検の整備記録を見てみると、前回も全部交換してあった。え~っ2年で1万キロ強しか走っていないのに、ブレーキフルードもATFも替えるのかぁ。オイルってそんなに弱いのかぁ。ボクがぼんやりしてたのかな?
2002年10月22日
コメント(2)
日曜日は雨のはずだったが、日差しさえ差し込んだ秋の良日となった。夜の集会が終わって、若者たちが家路につく頃、雨模様となった。わぁうれしい! 神様が雨を待たして下さった。神様は優しく、配慮に満ちたかただ。ボクの子供たち(教会のメンバーの若者)は、この世の荒波にもまれている。苦闘している。でも日曜日には安らかな顔をして教会にやってくるのが、愛(いと)おしい。今週も、神様に守られようね。お祈りを忘れないからね!
2002年10月20日
コメント(4)
隣町で家庭集会を持っている最中に、妻から電話があった。「消化器を売る人がきている、交換の期限が来たって」「知り合いのお店で補てんするから、いらないよ」「そう言ったら、その店つぶれたから来たって」「この前、彼と会ったばかりだよ、つぶれてないよ」「え~っ、電話して良かったわ」ボクは妻は無事かとあわてて帰った。
2002年10月18日
コメント(5)
今日読んだ聖書に、「わたしに習う者になりなさい」って書いてあった。使徒パウロの言葉。やっぱり・・・と思いながら、もう少し注意深く読んだ。あ~っ、8行前にこんなことが書いてあった。「ののしられてはやさしい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世のくず、すべてのもののカスとされています」 な、なんだぁ、世のくず、カスにされたパウロに習いなさい、って言うのか。それならボクにも出来るかも知れない!
2002年10月17日
コメント(2)
娘が、ハーモニカをオークションに出すのだと。いくらで? と訊くと、「3000円」。「買ったぁ」火曜日の夜の妻と二人で持つ祈り会のあと、賛美歌をブーブー吹いて見ました。若い頃、よく吹いたっけ。こんなイイ、ハーモニカ持ったことがなかった。音量が豊か。レバーを押すと半音になる仕掛けになっている。妻が「この部屋では、音が大きすぎるわ」
2002年10月16日
コメント(6)
昨日の続きですが・・・良い行いの見本を示さなければならないと受け取られたら、困るなあ。こんなダメ人間だけど、生きていていいんだよ~いや、深い深い愛を受けられるんだよ、ゆるされているんだよ、ほらみんなボクを見てごらんよ~キリストさまが十字架にお係りになったので、神様のゆるしの深さがわかります。キリスト教は、恵みの宗教です。道徳教ではありません(微笑)
2002年10月15日
コメント(6)
キリスト教の牧師(専門用語で説教者)には、特別な試練が課せられています。神様はしばしばテストをしてくださいます。そのテストは不思議に「自分は立派にやっているかも知れない」と思い始める矢先にやってくるのです。お話を終えて、講壇から降りた直後から、そのテストが始まります。メンバーの皆さんは見ています。「うちの牧師さんは、お話しして下さった通りの、見本を示して下さるだろうか?」
2002年10月14日
コメント(5)
キリスト教は「言葉」の宗教です。キリストの言葉を「愛の言葉」として聴くのがキリスト教です。言葉が来る時に、神が一緒に来てくださいます。言葉を通して、言葉を発したかたと出合います。ボクたちを愛し、生きるためのまっすぐな道を作り、苦しみを和らげてくださる方として。聖書の言葉を「御言葉」と呼んで大切にしています。
2002年10月12日
コメント(1)
「雨ニモ負マケズ 風ニモ負ケズ」この詩を残した宮沢賢治は法華教の信徒として有名です。ボクはずっっと「法華教の生き方」を詩にしたのだとうらやましく思っていました。ところがこの詩は賢治が斉藤宗次郎というキリスト信者をモデルにして作ったのだとある雑誌で知りました。斉藤は花巻の禅寺の息子として生まれ、内村鑑三の影響を受けて信者になりました。花巻の地でのキリスト信者第1号だそうです。小学校の教師をしていたが、キリスト教への迫害が強く、教師を辞めざるを得なかった。また彼の長女は9才で腹を蹴られて亡くなりました。斉藤は新聞配達をして家計を支えなければならなかった。働きすぎて肺結核になったがその中で20年もの間、雨の日も風の日も新聞配達を続けたのです。朝刊を配り終えると、小学校への通路の雪かきをしました。子供を見るとだっこして校門内に入れて上げたそうです。病人を見ると訪ねて励ましたそうです。彼が花巻の地を去る日が来ました。だれも見送りに来ないかと思われたが、その日には、町長、有力者、教師、僧侶、神主、子供たちが見送りに来たと言うことです。その見送り人の中に宮沢賢治もいたのです。斉藤宗次郎が東京に着いて故郷から来た最初の手紙が宮沢賢治からのものでした。それから5年後に、例の有名な詩が出来たそうです。ハレルヤ!
2002年10月11日
コメント(0)
>BETHESDAさん ヘー,やまひでさんも旋盤をやられていたのですが???先輩方の巧みな業は惚れ惚れするものでした. (10月7日20時31分) ---------------------------------------ボクは旋盤工の息子でした。しばらくは父を手伝いました。ボクの兄弟(弟2人)も旋盤工です。ボクのは同じ仕事の繰り返しで「巧みな技」とまでは行かなかったです。油の匂いが染みつきましたが、楽しかったです。ボクが牧師養成学校に入ったこと、父は残念がっていました。その父も亡くなるときは、「神さまを信じるよ」と言ってキリスト教の洗礼を受けました。妻も木工所の娘です。職人の子同士が、別々の場所で神と出会い、牧師の道を進み、結婚に導かれる、っておもしろいですね。
2002年10月08日
コメント(1)
「病気はたるんでいるから、お金が貯まったからなるくらいに思っていた!」という人が重い病気にかかった。自分が頼っていたものが崩れ去ったその時、神に祈ったという。「人生とは神さまのミッションスクールである」とボクの友人が話して下さった。自分の心の貧しさを、気付かされる時、人は神に目を向ける。「心の貧しい人たちは幸いである。天の国は彼らのものである。」(聖書)
2002年10月06日
コメント(0)
老人施設で為すすべもなく横たわっている人。この人々の中に、精神の輝きを持った人と時に出会う。精神活動にずっと打ち込んできた人のように思われる。問題は、気力を失っていると見える人だ。この人たちが、毎日じっと眠っているように、精神も眠ってしまっている。でも、忍耐強い問いかけで、目覚めるのだと信じる。それが「人間のしるし」だと思うのだ。最後まで人間として、生きていただきたいよ。家族の忍耐強い訪問をよろしく!
2002年10月05日
コメント(0)
孤独だと思っていますか?愛されていないと、思っていますか?太陽の光をごらんください。それは、愛の光です。それはだれにでも公平に注がれています。その光は、命を造り、育て、実を結ばせます。あなたもその光を受けて、育てられてきたのです。その光の与え主がおられます。光の向こうに、神はおられます。愛の光はあなたに注がれている神の光です。あなたも愛されているのです。神の愛の笑顔があなたに注がれている。あなたが神に愛される人として。その愛を信じようではありませんか!あなたも愛を受けて生きられるのです。
2002年10月02日
コメント(3)
全17件 (17件中 1-17件目)
1


![]()