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天国は、平安、喜びだけがある所。都の明かりである主イエス様の命の光を、色とりどりに反射するため色々な宝石で飾られている。つらい労働はアダムとエバが罪を犯して楽園を追放されたところから始まった。天国にはやさしい愛の神様と共に働くすばらしい神様の葡萄園があるに違いない。楽園のあちこちから美しい賛美の声が聞こえてくる。 (9月29日の礼拝のメッセージから)
2002年09月29日
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わが子が3人、子供の頃は、みんなそんなに変わりません。自分の好みにまかせて接していたことにも、さほど気付きませんでした。自分は公平な親であると当たり前のように、考えていました。やがて、子供が大きくなると、それぞれに個性を主張し始めます。そうすると、彼らへの自分の思いが、自分にわかってきます。偏愛、それは父祖イサクも、父祖ヤコブも、子供たちに抱いた感情。先祖代々からのマイナスの継承、これも人間の背負う「原罪」か?でもそのことを知ったからには、アダムとエバの性にしては居られません。いつからか、子供たちのありのままを見つめ、受け入れるように、努めるようになりました。「何と個性的な子供たちなんだろう」神様が彼らにそれぞれ違った個性や天性を与えられたんだ。神様を愛するとは、神様が彼らに与えたものをも愛することだったんだ。それからは、ボクも、子供たちと一緒に成長する歩みを始めました。
2002年09月28日
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今日は「レディーズアワー」。市内の幾つかの教会のレディたちが、友人や家族を伴って集まった。賛美歌の独唱や「希望は失望に終わることがない」という講演を聴いた。4年半バングラディッシュで過ごした女性をお招きした。控えめだが、きらきら輝いている人。彼女はバングラの民族服サリーを着て立った。バングラではずっとサリーを着て過ごし、開発プロジェクトや子供たちの識字教育に当たった。バングラで、ある子供が手のひらに乗るくらいのお米を持ち帰った。お母さんは、それで薄いおかゆを作って12人の家族に食べさせたという。
2002年09月27日
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儀式(葬式、結婚式)を執り行うとき、お金のことをよく尋ねられる。以前は「いくらでも結構ですよ」と言っていた。すると、人を介して改めて聞かれるが、答えは同じ。最近は、「なさらなくていいですよ」と言うことにした。あるところで、お葬式を頼まれた。もじもじしながらも、やはり聞かれた。「ご心配はいりませんよ」と言った。終わってから「じゃぁ、お大事に」と言って、おいとました。息子さんが追いかけてきた。封筒を手に持って。「これ、少ないですけど・・・」お志、ありがとう。頂くね。今度、教会にいらっしゃいね。
2002年09月25日
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知り合いの韓国の人とお話ししました。(若い牧師さん)ボク「日本にいる北と南の人々が、本国より先に統一宣言できませんかぁ」彼「今の時期はどうでしょう。もっと北が国力を付けてからでないと、大変です」今回の首相訪朝の件は、向こうから切り出した。彼「弱腰のように、見えます。いつデポドンが打ち込まれるかわからない状況なので、強く出られないのかな」ボク「そ、そんなこと考えてもみなかったぁ」
2002年09月24日
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新聞等の報道によると、拉致の事実判明から、在日朝鮮の人へのいやがらせ、いじめが起きているという。問題なのは民族ではなくて、国家体制だ。国家の盲動に対して、盲動で応えるのは、理性を失った行動だろう。人間の評価を下げる行動はやめよう。
2002年09月20日
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行方の知れぬわが子を待ち続けたそこからの人生のすべてを傾けてあなたがたの人生はそれでピリオドではないはず横田さん神様があなたがたに託される使命がきっと始まるのですよ
2002年09月19日
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「偉大な力によって強く」聖書・エフェソ6:10-20 パウロは私たちに、人の力を越えた恐ろしい敵があることを語る。恐れさせるためではなく、注意ふかく信仰生活を送るようにさせるため。悪の力は天上にあり、人を悪に誘い惑わしている。悪の力は人の力を越えているが全能ではない。勝利を与えて下さる神さまを見上げよ。 悪に抵抗せよ。神が私たちに与えられる武器は、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の履物、信仰の盾、救いの兜、御霊の剣。今の世の武器なら、核、ミサイル、地雷、生物兵器戦などを言うのだろう。真理、正義、平和、信仰、神の言葉とは、神様の御心に従ってまっすぐに生きることに他ならない。それがサタンから守られる生活様式である。 次に戦いの方法は「祈り」である。 祈りにおいて、耐えず目を覚まして根気よく、と求められている。これが人を悪に陥れる悪の霊と戦うために神さまが下さった方法である。 主により頼み、その偉大な力によって強く、とは、祈りの中で神様に依り頼みつつ、神様の勝利を願うこと、信じること。祈るクリスチャンは、強いクリスチャンである。神さまのみ力がその心の中からあふれ出ている。
2002年09月15日
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◇富士山麓とハンセン病治療のこと◇「富士の雪解け水で身を洗えば、らいは清くなる」こんな言い伝えがあったそうです。御殿場から足柄を回り小田原まで徒歩で通っていたテストウィド神父の目に、一人の盲目の女性が映りました。ライ病にかかり夫に見捨てられ、御殿場鮎沢村の水車小屋で暮らしていました。テストウィド神父はその婦人を保護し、同じ病者を数人集めて、民家を借りて診療所としました。明治19年のこと。こうして日本のハンセン病治療の発祥地、神山(こうやま)復生病院の基礎が据えられたのです。カトリック、プロテスタントを問わず当時の宣教師たちの宣教魂には頭を下げます。ボクの勤めている教会に神学生が夏期伝道に来ると、見学に連れて行きました。富士山を間近に望む広大な敷地に、病棟を始め、チャペル、修道院、墓地、運動場、などが点在しています。人なつこく飾らないお人柄の林富美子医師のご案内で病者の部屋を訪ね、お話を伺うのです。林先生は今90才を過ぎてご健在!御殿場には、もう一つ「国立駿河療養所」があります。敷地内には木造の小さなチャペルがあり、こちらには、自ららい者であり、らい者伝道に一生をささげた大日向繁牧師という神様の御目には最も輝いただろう一人がおられました。
2002年09月13日
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犬の散歩の最中、人を傷つける言葉が、心の中から次々とわいてきた。その対象にされてしまった人に、言葉を投げつけているロールプレイと一緒。ぷうっと、心の風船をふくらませ、その言葉を風船の中に包みこむ。風船が舞い上がり、飛んでいく。バイバイ。
2002年09月11日
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犬の散歩をしていたら、ランドセルを背負っている女の子が後ろから声をかけた。「かわいいね。名前は何て言うの?」「チップだよ、ポテトチップの、チップね。ボクの娘が付けたの」それから、走って行ってしまった。やさしい子だね。
2002年09月10日
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エフェソ5:21-33 「互いに仕え合いなさい」「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。」イエス様の愛に生きる人々が、共に生きるために、共に同じ神様を見上げることが大切なこととして語られます。イエス様は、すべての人に信じる機会を与えるために、十字架にかかって下さいました。私たちがイエス様を信じる前に、イエス様の方が先に私たちを信じて下さって、ご自分の体を与えて下さいました。この世の中には、イスラム教徒、仏教徒、無神論者など、様々の人々がいます。すべての人がイエス様のご愛の対象です。イエス様の十字架のご愛にお応えして、イエス様に感謝をささげる群が、この地に存在しています。そこが教会です。主イエスの御愛は教会で輝き続けています。イエス様の御愛が、お互いの中に燃え、輝いています。信者がその心をイエス様にささげると同じように、信者である夫は妻に、妻は夫に、心を与え合うのは、十字架の愛が結ぶ実です。
2002年09月08日
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俗化されている部分もあるが、大自然の懐は深い。夜の湖畔の静けさ。中天の天の川。整備されたサイクリングロード。溶岩の上をそぞろ歩く樹海。氷穴や風穴。底なし穴のような忍野(おしの)のわき水。整備された日帰り温泉。すべての湖が四季に富士を映す。周囲には雑木林があり湖を守っている。都会の炎熱とは無縁の、神様が埋め残して下さった5つの水たまりたちよ。
2002年09月06日
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道をまたぐように虹が出ていました。「下をくぐるんだよ」と言われているように。運転している皆さんも、出現した思いがけないアーチに、心いやされているかも知れません。「ノアの箱舟」の物語の終わりに、虹が出てきます。「もう決して洪水ではあなた方を滅ぼさない」という神様の約束のしるしとなっています。
2002年09月05日
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「ブリキの太鼓さん」が教えて下さいました。こんなHPがあったなんて、面白いデス。ステキな富士山の写真の力作写真がいっぱいでした。ブリキの太鼓さん、さっそくありがとうね。---------------------------------------------------富士山ライブカメラのアドレスです。http://www.sunplus.com/fuji/livej.htm (9月9日17時20分)
2002年09月04日
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「わたしはあなたを愛している」(聖書・イザヤ書43:4)ボクは愛されている。この世の全部の人がボクを拒んでも、ボクは愛されている。「おまえなんかいらない。無益だ」だれがこう言っても、ボクには関係がない。ボクは愛されている。あのかただ。あのかたがボクに語っておられる。大空のはるか彼方から、その声が聞こえてくる。ボクの心の深い深いところに、その言葉は記されている。「わたし(神)はあなたを愛している」
2002年09月03日
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朝6:15から「朝の祈り」だれも来なかったので妻と2人で聖書を1章読み、御言葉を分かち合う。日課を読み、日曜日の祈りを2人で分担する。近隣の教会のために祈った。8時頃、朝食、週報の確認と印刷。車の移動、メッセージの最終確認と原稿印刷。9:30 日曜学校 子供たちが親に連れられて来る。ボクは出ないで礼拝の準備を続ける。10時 チャペルにはいる。メッセージと礼典のためにガウンを着る。10:15ごろ 礼拝司会者と2人で祈る。そのあと、賛美歌の練習。10:40 礼拝開始。12時ちょうどに礼拝終了。時間通りに終わった。何よりうれしい(苦笑)。みんなで食堂へ。支度をする人以外は食堂やチャペルで歓談。支度をする人が決まっていないのがわが教会の特徴。早いもの勝ち(バキ) ソーメンだった。材料は前日に伝道師(妻)がそろえる。食べる人は200円だが強制しない。食べる人が多ければ、一人の食べ分が減る(バキ)。チャペルでピアノを弾く子もいる。うまくなったね。1時頃役員会の始まり。教会の問題課題、来ていない人のこと、子供たちにどうして信仰を伝えるか等、話題になった。最後は全員が一言ずつ祈る。3時ごろ、隣町に住んでいる信者さんが、バスの時間が合わないと言うので、じゃボクがお送りします。帰り道、一人の人をお訪ねして、玄関でしばらくお話。入院している信者さんの所に立ち寄って、耳元で聖書の言葉を聞かせ、賛美歌を歌って聞かせ、お祈りをする。小さい声で「アーメン」と言って下さった。洗濯物が出ていたので、持ち帰る。教会に帰って、「楽天広場」でお話。ちょっと横になる。夕食。7:30 最後のご用、夕礼拝、残念だれも来なかった。妻と2人で賛美、新聖歌198 God bless you この歌が気に入ってしまって、いつでもどこでも歌う。だいたい空で歌えるようになった。岩淵まことさんの歌らしいきれいな歌。歌詞もきれい。聖書を読み、読んだ感想を2人で話し合う。楽しいね。8:30 終わり。ご苦労さん。お風呂に湯を入れるため蛇口を開いてから、また「楽天広場」へ。風呂場へ行って見たら、湯があふれそうになっていた。
2002年09月02日
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「わたしは世の光です」(キリスト) 御子イエス様は、私たちの心を照らす光。 光が外から私たちを照らすように、救いは私たちの中からではなく、私たちの外から来る。中からは決して生まれない。私たちの中にはどろどろした罪があるだけである。イエス様の光に私たちが包まれるとき、喜びに私たちの心が覆われる。光を受けよう。私たちがイエス様から受けた愛の光は、私たちの全身全霊の中に響きわたり、やがて私たちの中からあふれていく。
2002年09月01日
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