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長期間の作品制作と画廊への出荷が一段落し、やはり気持にのんびり感がある。そんな気持で昨夜は昔の映画を観た。YouTubeで偶然見つけたのだが、なんと私は69年ぶりの対面である。1953年9月公開の大映京都作品『怪談佐賀屋敷』。いわゆる鍋島猫騒動に材を採った、入江たか子主演「化け猫」映画の第一作。監督は荒井良平。 私がこの映画をよく憶えているのには特別の理由がある。1953年(昭和28年)9月、つまり『怪談佐賀屋敷』が公開されたこの年この月に、私たち一家は父の転勤によって長野県川上村梓山の甲武信鉱山から福島県南会津の八総鉱山に入山した。このとき八総鉱山はまだ探鉱の最中で、本格稼動はしていなかった。父の入山は、鉱脈が存在するか否か、採鉱に適するか否かの調査だった。そんな状況だったので八総鉱山はいまだ少数の人員が就業しているだけで、試掘抗の近くに事務所および労務関係家族住宅が数戸、そこから約1kmほど下った地区に鉱山長宅と職員社宅が2戸1棟の6棟すなわち我家を含めて13家族の集落だった。 さて、『怪談佐賀屋敷』が上映されたのは、事務所前の広場においてだった。夜、野外にスクリーンが張られ、ござが敷きつめられ、観客めいめいは座布団を持参した。わたしたち家族も1kmの道のりを歩いて観に行った。父母も私も弟も。私は小学校2年生だった。夏休み明けの2学期から荒海小学校に転入したのだ。 じつはいま、これを書きながら少し驚いている。というのは映画年表等によれば『怪談佐賀屋敷』が封切り公開されたのが9月3日だという。私たち一家が八総鉱山に入山したのはやはり9月だった。ということは、私が『怪談佐賀屋敷』を観たのは、東京などでの封切り公開から幾ばくも経っていなかったわけだ。鉱山関係者家族および建設事業関係者を含めてわずか2,3百人の娯楽のために、会社の担当者はずいぶんすばやいフィルム買い入れをしたものだ。 ところで、昨夜、69年ぶりの対面をしながら、私の記憶を確認していたのだが、小学2年生ではさすがにストーリーのすべてを記憶してはいなかった。あるいはストーリーを完全には理解していなかったかもしれない。しかしながら、藩主と検校が囲碁の対戦をし、惨敗の藩主が検校を斬殺するシーン。藩主が振るった刃が碁盤をまっぷたつにし、碁盤から血が滴るシーン。さらに女が行灯に頭を突っ込むとその影が猫となって油を舐めるシーン。斬殺された検校の母親が悔しさのあまり自害すると、検校の愛猫がその血を啜り、やがて老母に変身しまた化け猫となって敵方の娘を妖気で操る。女はまるでアクロバットのように空中に反転し、のりうつった猫のように鴨居に逆さまにはり付く。あるいは藩主の側室におさまった敵方の娘豊(入江たか子)の身体が猫に乗っ取られ、豊の美貌が化け猫に変身してゆシーン。・・・69年前の映像を良く記憶していた。 私は子どものころからあまり恐がりではなかった。たぶん『怪談佐賀屋敷』の化け猫も恐いとは思わなかったのだろう。しかし終映後、座布団をかかえて帰宅すると、我家の愛猫チョマコが「ニャー」と鳴きながら玄関に出迎えた。私はそのときだけはちょっと怖かったように思い出す。チョマコは長野県から連れて来た猫である。 昨夜、私は『怪談佐賀屋敷』を観たあとで、弟に知らせた。今日、弟が「観たよ」と言ってきた。彼の記憶と少しずれがあったようだ。化け猫に操られて空中反転する女がもっと凄まじかったと、彼の記憶にはあったようだ。 「まっぷたつに斬られた碁盤が榧(かや)の碁盤だと言っているね」と、弟は藩主と検校が対戦した碁盤のことを言った。たしかにその碁盤は榧の木でつくられたすばらしいもので、対戦をする前に検校が「みごとな榧の碁盤でございます」と、見えない目で盤面を両手でさするのである。 弟が榧の碁盤について言ったのは、じつは我家にも見事な榧の碁盤があったのである。長年懇意にしていたT氏が、山で榧のいいものを見つけたので碁盤を造ったと言って、父に贈ってくれたのだ。厚さが20cm。しかしその碁盤にはまだ脚がついていなかった。脚をどのように細工するか、おそらく考え中だったのだろう。脚がついていないままに厚さが20cmもあったので、父はそのまま使用していた。 1712年刊の寺島良安著『和漢三才図絵』の碁盤についての記述に、厚さ6寸(約20cm弱)「其木以榧為良(その木 榧をもって良とす)」とあり、樹齢300年、盤の四方に木目が通った四方柾目が、石を打ったときの音の響きといい最高のものである。・・・ところが、札幌で、その碁盤は盗まれてしまった。大勢が対戦する碁会に貸してくれとたのまれ、貸した。それきり戻ってこなかった。知らぬ存ぜぬの応えばかりが返ってきたのである。碁盤を贈ってくれたT氏にはまことに申しわけないことであったと、父は内心に思っていただろう。父は何事も詮索せず語らない人であったが。 弟は『怪談佐賀屋敷』を観ながら、どうやらその我家の榧の碁盤を思い出したらしい。 八総鉱山であのとき『怪談佐賀屋敷』を観た同級生や上級生は誰だろう。木村君、星君、大道寺さん、水野さん、三塚さん・・・『怪談佐賀屋敷』
Sep 30, 2022
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作品を出荷した。やることが沢山あり忙しい日々だったが、いまは一段落して一息ついている。 今月は残り二日。その二日間に、他の仕事のスケジュールがある。明日は4件、明後日は3件。しかし忙しいことは良い。私の元気の素だと思っている。来年の作品制作プランも考え始めている。
Sep 28, 2022
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午後、東急ハンズから注文してあった超微粒子研磨剤がとどいた。すばやい対応がありがたい。 ところで、その東急ハンズが今日26日に社名変更を発表した。「東急」が消えて、「ハンズ」という社名になる。本年3月にホームセンター大手のカインズの子会社になったためである。 東急ハンズの創業は1976年だったが、私は創業当初から東急ハンズを利用しつづけてきた。買い物をしなくとも、店内の商品をくまなく見ているだけでおもしろかった。工具が好きな私は、あれもほしい、これもほしいと、実際は買えもしないし、買ったところで置く場所もない。ただ欲望のままにうっとりと眺めていたものだ。各売り場の店員の商品知識も頼りになった。 しかし私が何より便利にしていたのが、木材等を図面通りに加工するサーヴィスだ。木材のみならずアクリルなども加工してくれた。 あるときなど、奇妙な形の加工をつづけざまに依頼するものだから、売り場担当者と加工技術者が、「いったいこれは何に使うのだろう」と、陰でちょっとした議論になったそうだ。そして私の職業をあれやこれや推測したのだという。「いつも寸分の狂いもなく加工してくださるのでありがたく思っています」と私が言うと、店員はついに、「お客様の詮索をするようでいけないのですが、これは何に使われるものですか?」と訊いてきた。 私は笑いながら、絵画作品に組み込むこと、また、その作品はこれまでニューヨークなどで発表してきたことを話した。・・・すると、次に行ったときに、「加工した者も喜んでいました。絵の一部になって外国の人たちが見てくれたんだと、嬉しかったです」と店員は言った。 きょう届いた品物が、東急ハンズという社名での最後の商品だとは、まったくの偶然だ。私は社名変更が準備されていたことをまったく知らなかった。創業以来46年間の愛顧を思うと、或る種の感慨がなくもない。社名変更後もこれまで同様の多種豊富な品揃えと、店員さんたちの専門的ともいえる適切な商品知識に支えられたサーヴィスを期待しないではいない。
Sep 26, 2022
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国際展のために画廊(エイジェントおよびプロモーター)宛の作品概要(summary)を書いた。いささか理屈っぽいが、一般観客向けではないので、まあいいか、というところだ。《私のこれらの作品はファンタジックで装飾的である。しかしながら、私は作者としてその意味を述べなければならないだろう。 私がこれらの作品に描いたのは、人間一人一人の個性的な肖像ではない。人間という立体的実像が遠近法および短縮遠近法を本質とする写実絵画に疑似的に表現されるとすれば、キュビズム絵画以降の抽象的平面性の条件はクレメント・グリーンバーグを引用すると、脱身体化された属性であり、それ自体以外のすべてのものから切り離された、収奪された特性である。 これを踏まえて、私は、人間という立体的実像が平面的抽象のなかで装飾化されている現代の視覚環境に目を向けている。その現代の視覚環境は、もしかすると、神話無き現代に新たな現代の「神話」を創造しているのかもしれない、と思いつつだ。 作画技法としては、意識的写実と偶然性(無意識的抽象)の融合の試みである。立体性が指向する奥行感(パースペクティヴ)を抽象的平面性で無化しているのである。 These works of mine are fantastic and decorative. However, as an author I would have to state the mean-ing. What I have drawn in these works is not a unique portrait of each person. If the three-dimensional realimage of a human being is quasi-represented in realistpainting, which essentially uses perspective and fore-shortening, the condition of abstract flatness in cubistpainting and beyond is, to quote Clement Greenberg, It is an attribute that has been transformed, a propertythat has been taken away from everything but itself. Based on this, I turn my attention to the contempo-rary visual environment where the three-dimensionalreal image of human beings is decorated in two-dimensional abstraction. I'm thinking that the modernvisual environment may be creating a new modern"myth" in a modern age without myths. As a drawing technique, it is an attempt to fuseconscious realism and chance (unconscious abstrac-tion). The sense of depth (perspective) oriented by three-dimensionality is nullified by abstract flatness.》
Sep 25, 2022
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朝から大忙しだった。作品出荷期限まで1週間に迫った。それなのにまだやることが沢山ある。週末は23日ころからまた大雨の予報が出ているので、戸外で仕事ができない。晴れているうちになんとかしなければというわけだ。 それにもかかわらず、私の悪い癖で、新しく思いついたことをすぐに実行してみたくなる。実行しないまでも、その準備を急ぎたくなる。ステンレスを細工するためのジグソーがほしくなったのだ。 やや値の張る工具なので、実物を見ないで注文するわけにゆかず、午後、買いに出掛けた。 いろいろな形式やメイカーをためつすがめつし、さらに、これはと思った物について商品説明をできる店員を呼んだ。主任がやって来て、商品パッケージを開封し、私が選んだステンレス切断用の刃がセットできるかどうかを、私の目の前で試しに組み立ててくれた。それから私が使用したい厚さのステンレス鋼が切断できるかどうかのスペックを確認。「だいじょうぶ適合します」と確証を得て、その工具を購入。・・・あらたな考えに意気揚々と帰宅した。 夜9時、再び出荷前の作品準備を開始。
Sep 21, 2022
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台風14号による激しい雨が午前9時ころにははれはじめた。暴風も予想されていたが、私のところではさほどのこともなかった。午後に民生・児童委員地区定例会議が予定されていた。各委員連絡網により、予定どおり開催が決まった。 ところがその決定があった直後から再び激しく雨が降り出した。大きな降雨連続線がちょうど東京上空に入ってきたのだ。都心は特に激しく、運行を停止した電車もあるという。我が市は都心から離れてはいるが、会議場へ徒歩で山をおりる私の足許を雨は川となり、その流れは波打って下った。 思い起こせば私は77歳のいままでに、もちろん毎年のように台風に遭遇しているけれども、幸いにも大きな被害にあったことはない。私の一家は・・・と、そこに思いが及んだ時、「ああ!」と思い出した一件。 あれは伊勢湾台風(昭和34年;1959年9月26日)だった。一家が八総鉱山に住まいしていたときだ。やや高台にあった家を暴風が襲った。廊下部屋のガラス戸を破壊し、内障子や襖を吹き飛ばし、家の中を突っ切って反対側の部屋の窓を破壊して吹き抜けたのである。 私は中学2年生で、そのころはすでに家族と離れていた。両親や家族がそんな目に遭っていたことを、後日、たしかしばらくぶりに一泊の予定で家に帰ったときに聞いた。そのときにはもう何事もなかったように家は修復されていたので、私にはちっとも実感がなかったのだが。 じつは、このことを思い出して、昨日、弟に確認してみた。弟は、「そうだよ。伊勢湾台風のときだよ。チーちゃんが警備詰所に走り、救助をお願いした。チーちゃんはたぶん死ぬような思いで、走ったと想うよ」 チーちゃんというのは従姉である。私が家を離れる前から我家に同居し、我家から嫁いでいった。私が現在、ときどき電話で長話しする従姉が、このチーちゃんである。 警備詰所は、八総鉱山とその社員住宅街へのただ一本の産業道の出入口に設けられてい、門はなかったが門衛のように保安員が常時詰めていた。いわば交番のような小さな建物である。従姉はそこに走り、会社の保安課へ連絡を頼んだのであった。 八総鉱山のそのやや高台の我家は、廊下部屋の外は100メートルばかり先方まで何もなく広がっていた。風を遮る物がなかった。したがってそのときの暴風は、まともに我家に体当たりで突っ込んできたのだろう。 二人の弟はまだ小さかった。どんなにか恐ろしかっただろう。 弟からそんな昔話を聴きながら、12歳で家を離れて暮らした私は、じつは一家の中で起った「事件」をほとんど何一つ知らない、と思った。私を心配させないためであろうが、両親はほとんど何も知らせてくれなかった。母からは毎月手紙が来ていたのだが、心配事は書かれていなかった。ありがたいと云えばありがたいことだった。しかしときどき不思議な気持になる。私自身の人生の記憶は、3歳頃から現在77歳まで、隙間無くぎっしり詰まっている。私は、自分がどんな生き方をしてきたか、良いことも悪しきことも、ほんの些細なことまで、その光景まで、自らに突きつけることができる。しかしながら、両親家族をまじえた一家の歴史となると、すっぽり抜け落ちている部分が非常に多い。他人同様に知らないわけではないが、あのひとたち(両親)のことを芸術家の端くれとして語ろうとすると、知らないことがあまりにも多いのだ。 私の手元に父の死病となった病の大学病院でのX線写真が在る。本来は患者やその家族の手元に存在するはずがない影像である。私はこのX線影像を見ながら、父が死んだ直後から作品にしたいと思いつづけてきた。しかし、もう20年になるのに、作品にできないでいる。思いだけでは作品化できないのだ。 そして、ここ一ヶ月ばかり、X線(レントゲン影像)に関する海外の論文を読んでいるのだが、読みながらふと思うのは、父の死の徴候をあからさまに示すX線影像を肉化する父の実体を、私はあまりにも知らな過ぎるということなのだ。私が作品化できないでいるのは、そのためではないか、と。 ああ、台風の話がへんな方に進んできた。もう、やめよう。
Sep 20, 2022
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昨夜来の雨が激しく降りつづいている。私の仕事場の窓から見える川向こうの高台は、篠付く雨に灰色にけむって、まったく何も見えない。普段はビル群の明りや、橋を渡る車列の明りが見えるのだが・・・ 我家の近所は通る人の声もない。車も通らない。ただ雨音だけが聞える。風の吹きようで、その雨音が変化する。屋根を叩く音がしたと想えば、樹木の葉叢を叩くおとに変わる。やさしい雨音ではない。かなり激しい。明後日、台風14号は関東地方を通過するかもしれない。その先触れの今夜の雨だ。 雨深く彼岸の秋をとざしけり 青穹(山田維史)
Sep 18, 2022
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大型の台風14号の日本列島縦断という予報が出ている。我が市の今後1週間予報は来週いっぱい連日の降雨となっている。それを想うと、今日の天候はまさに「秋旻高し」なのだが、無気味な晴れ間なのだろうか。気温は午後3時前までに30℃まであがった。 連日の雨になるならば、絵具の乾きぐあいに影響が出そうだ。先日、仕上がりにどうしても納得できず、考えに考えた末に、・・・画廊に送る期限が迫っているにもかかわらず、或る作品(実は2作品)の表面を全面的に削り落とした。そのうえで手を入れつづけていた。作品を廃棄しなければならないかもしれないと思いながら・・・ 今日現在、手入れ後の乾燥をしているところだ。・・・うまく行ったのではないかと思っている。削り落として正解だった、と。「美」は在るか? 在ると思う。 ところで、町内自治会の役員が訪ねてきて、19日の敬老の日をまえにして祝された。 まことに恐縮したが、いやはや「敬老」か! 私の18か19歳のときの日記では、私はすでに死んでいると書いたおぼえがある。77歳なんて高齢も高齢、自分がとてもそんな年齢まで生きているとは想えなかったのだろう。それが、若さというものだ。 しかし、今、10代には想像もできなかった「後期高齢者」という(随分失礼な)レッテルを国から貼られてはいるが、私の活力は減退していない。もちろん、年寄の冷や水にならないようにということは常々念頭において行動している。心身両面において自己を見失わないように、(一応)心がけてはいる。・・・おそらく、若い人が想像しがたい心がけだろう。 自治会の人は、「お元気でお暮しください」と言って帰って行った。「ありがとうございます」と、私は頭をさげた。
Sep 16, 2022
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映画監督ジャン=リュック・ゴダール氏が亡くなった。享年92。 ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として、その映画作品は1960年代の大学生に大変人気があった。『勝手にしやがれ』(1959)、『女は女である』(1961)、『気狂いピエロ』(1965)、『万事快調』(1972)、『勝手に逃げろ/人生』(1975)、『パッション』(1982)、『カルメンという女』(1985)、『ゴダールのマリア;第一部マリアの本』(1983-84)。 著書に『ゴダール 映画史』ちくま学芸文庫 2012年。 数々の映画作品を思い出しながら、ジャン=リュック・ゴダール氏を追悼いたします。 私事だが、拙論『卵形の象徴と図像について』(1993年 新人物往来社)の講義版において、『ゴダールのマリア/マリアの本』の或るシーンについて、少女の食卓のエッグスタンドの卵を前にして少女が両手をひろげるポーズ(in blessing forms the hand)、シーンのカット割りと卵の突然のクロースアップ、および大天使ガブリエルに同定されるべき浮浪者ふうな青年の存在を根拠として、このシーンが処女懐胎の象徴的イメージであると論じた。ジャン=リュック・ゴダール監督のこの映画作品は、私がキリスト教イコノロジー研究において大切にしている映画のひとつである。 ついでながら、拙論『卵形の象徴と図像について』は、『思想哲学書全情報 1945-2000』全5巻、日外アソシエーツ刊(2001年)にリストアップされている。
Sep 14, 2022
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作品の最終仕上げのはずが、100%納得できなかったとき、しかもこれ以上手を入れて納得できる状態になるかどうか、・・・つまり絵柄ではなく、画肌の仕上げの問題ということだが、・・・昨日から悩んでいたのはそのことだった。いくら考えても、100%成功する確信がもてない。確信となる根拠がほぼゼロに近い。手を入れることによって、作品そのものを廃棄しなければならなくなる可能性が、実のところむしろ100%近くある。 さあ、どうする。 私は、一晩中葛藤していた。そして今朝、心が決まった。手を入れることにした。絵の表面を削ることにした。100%の仕上がりの確信こそが、私に必要なことだと思った。 午前10時。意を決してサンディング(サンダーで削ること)を開始した。最初は#80のサンドペーパーで。次いで#120, さらに#240。次第に目を細かくしてゆき、#2000, #4000, ・・・#15000・・・、コンパウンドで#30000・・・ 午後3時までかかった。いささか疲れた。この後の薬剤掛けは、明日にする。さて、どうなるか。今夜は悪夢に魘されるかもしれない。 昨夜は十六夜(いざよい) 十六夜の障子に映るおぼろ影 青穹(山田維史)
Sep 12, 2022
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エリザベス2世イギリス女王が死去されて今日で三日。享年96。在位70年だった(1952 - 2022)。 エリザベス2世女王の在位年数は、ヨーロッパ諸国の歴代の王のなかで、フランスのルイ14世(在位;1643年5月14日 - 1715年9月1日)に次ぐ長期である。 女王について私が述べることなどあるはずもないが、ひとつ思い出すことがある。昭和28年6月におこなわれた女王戴冠式に、昭和天皇御名代として当時皇太子であられた現上皇が参列された。英国へ向かわれる御座船のプレジデント・ウィルソン号の写真が、私が購読していた『子供の科学』誌の表紙に掲載されたのだ。私はまだ8歳になる2ヶ月くらい前だった。以来69年、そのカラー写真印刷の表紙は記憶のなかでずいぶん色褪せてしまったが、いまだに忘れてはいないのである。船名もちゃんと記憶している。 ところで、これはめずらしいヴィデオだと思った4本の映像がある。いずれもエリザベス2世女王の肖像画を、画家が女王に直接拝謁して描いた、その制作現場の記録である。ロイヤル・コミッションとして数年毎に画家を指名して女王の肖像画を描かせているらしい。それらの肖像画の数々は一般にも公開されている。ロイヤル・ポートレートのコレクションは、イギリスの文化的伝統としてあるようだ。しかしながら、モデルとして画家の前に実際におなりになる姿は、数多い肖像画制作において一般に公開されたことがあったかどうか。それについては私はまったく知らない。 ヴィデオの1本のなかに、制作中の動画はないがルシアン・フロイドが女王を直接描いている写真およびその完成作が出て来る。それを見ると、私が「イギリスの文化的伝統」と言ったその文化の深さを知ることができる。 以下にそれらのヴィデオを掲載してみよう。 女王を描く方法 ロルフ・ハーリスによる女王の肖像(Part 1) ロルフ・ハーリスによる女王の肖像(Part 2) 女王の新しい肖像画の制作 肖像画家のロイヤル・ソサイエティ
Sep 11, 2022
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連日、作品制作に追われている。来週いっぱいで11月の国際展のための作品は、すべて作業を完了しようと思う。 今回の作品を次ぎの新作に発展的につなげてゆくための技術的な問題を、あれこれ頭の中で模索している。今回の作品で、困難な問題が2,3でてくることが、あらかじめ判った。技術的な問題、もしくは技法的な問題といってもよいが、じつはイメージを実現することに直接関わっている。切り離せないのだ。 技術の研鑚だけなら、さほどの問題ではない。時間はかかるかもしれないが、コツコツと一心にやっていれば身に付く。しかし、無意識裡に靉靆としているイメージの胚(embryo)を明瞭に意識化し、私の思想の内に一定の技法により物理的に統御するのは、時間をかければできることではない。技術が身に付いていれば一瞬で解決する場合もあり、しかしながら、一瞬一瞬を積み重ねてゆく長い時間も必要だ。・・・幸か不幸か、私はそこに私自身の存在証明をみつけてしまった。 午前中に、注文してあった新しい資材や工具がとどいた。いろいろ模索するので、手持ちの資材や道具では間に合わないのだ。普通に絵を描くための物ではない。あれは、どうだろう? これは、どうだろう? と、試してみたくなる。まあ、いろいろな物をつぎつぎ注文している。 さて、きょうは仲秋。東京の各地で名月が見られるというが、残念ながら我が市の夜空は一面の雲。さきほどベランダに出てみたが、まったく駄目。このように名月が見えないことを、季語で無月という。おもしろいね。月が見えないならどんなときでも無月でよさそうなものだが、あえて仲秋の名月についての無月なのである。 障子戸をあけて仰げど無月なり 青穹(山田維史) ところがである。22時近く、暗い部屋の畳床に、一条の明るい細帯がくっきり走っていた。きっちり閉まっていない障子戸の隙間を洩れ来る外明りである。私は、おやッと思い、障子戸を開けた。なんと、満月! さきほどまでの全天の雲は払われて、月が顔を出していた。まさに仲秋の名月。 いまここに我が面照らす良夜かな 青穹
Sep 10, 2022
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なんだろうねー、この男は。川崎幼稚園の増田立義理事長のことだ。3歳の園児が通園バスに鍵をかけた状態で置き去りにされ、5時間後に心肺停止で発見されて死亡が確認された事件。この通園バスは増田理事長が運転し、添乗者がひとりいたという。 記者会見における増田理事長の弁明を聞くと、この男は自分の不注意で子どもを死なせた重大さを、さほど重大だとは衷心より悔いていないのではないか、と私は感じた。前もって用意したコメントを読んだことに私はこの男の心の在り様を疑ったが、読み上げから離れての弁明にすでにして自己保身がある。 その弁明を、そのまま文字で再現してみよう。彼は、次のように述べた。 「ドアの方は見ました。でも後ろ側は見えないですね、運転席から」 この理事長は、この言葉で何を言おうとしたのだ? この、「でも」は、何を表わしている? ・・・私が、この男が自己保身に向かっていると言ったのは、この、「でも」という接続詞のためだ。そしてそれにつづく「見えないですね、運転席から」の「ね」。自分の過失を他人事のように言う。この「ね」で、いったい誰を説得しようとしているのか。 増田はバスのドアは見て、園児たちが降車するのを見ていた。しかしながら増田が座っていた運転席からは後部座席は見えない。見えないのであえて確認はしなかった。運転席から動こうとはしなかった。確認することなど念頭になかったのだ。・・・増田理事長の弁明のなかの「ね」は、いま私が〈見えない「ので」〉と書いた文意に一致するであろう。彼の言葉の「ね」は、その生き方のすべてを表明してしまっている、と私は思う。 幼稚園の理事長を務める者が、どうやら子どもを知らないようだ。子どもは大人のようには行動しない。車に揺られて眠ってしまう子どもだっている。かくれんぼのように座席の陰にかくれて、みつけてくれるのを、いつまでも待っている子どももいる。・・・子どもの理屈は、大人の理屈とはことなる。子どもには子どもの、大人が理解できないような理屈がある。しかし子どもの心理はなかなか察知できないものだ。・・・この通園バスに乗っていた他の園児たちがみな降車しているとき、死んだ園児がなぜひとりだけ車内にとりのこされたかは後々まで判明しないだろう。しかしながら、子どもを預かる者が、運転席から立ち上がりもせず、降車する子どもの人数も数えないとは、いったいどういうことだろう。 つい先頃、この事件とまったく同様の、通園バスに置き去りにされて死亡した幼稚園児の事件があったばかりだ。増田理事長はこの事件を同業者としてどのように見ていたのか。粗雑な神経、子どもを食い物にする商売根性だけなのか、と私は思う。 彼は、新しい理事長と園長が着任次第、すみやかに理事を辞任すると,上記の記者会見で述べた。責任を執るということらしいが、それは死んだ子どもに対する責任ではない。その点も、この男の心の中では曖昧のようだ。TBSNEWSーDIGのアナウンサーが、「(増田は)深々と頭をさげた」と言った。しかし、彼はいったい誰に頭を下げたのだ?
Sep 7, 2022
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幾とせや無人の門に芒かな 青穹(山田維史) 秋月や山をおりゆく後ろ影 雨あがり大工仕事の夜業かな 秋の蝶とぶもならずか連理引*【註】 連理引(れんりびき):幽霊が逃げ去る人を手招きすると、逃げるに逃げられなくなり、幽界に引き寄せられてゆく。その幽霊の手のかたちを連理引という。歌舞伎に一つの型としてみられる。拙句は、秋の蝶が弱々しく飛ぶこともできずに、やがて死んでゆくさまを詠んだ。
Sep 6, 2022
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可愛いものだね。早朝、雨の晴れ間に小鳥たちが柿を啄みにきた。一心に食べている。後刻、食い欠けを見ると、蔕だけを残して上手に食べたもの、半分だけのもの、一口二口くらいで放り出されたもの・・・鳥たちのそれぞれの性格ではあるまいけれど、私は厄介な庭掃除をしながら、それらの柿の様をおもしろく思った。もうそろそろ柿が色づきはじめている。鳥たちは良く知っている。青柿のときは食わない。熟すのを待っているようだ。 私は、過日、柿の枝伐りをしたときに、200個ほどの青柿ごと切り落とした。枝も青柿もあまりに大量だったので、その日は庭の隅に寄せるだけにした。2,3日経って、この実を利用できないかと思い、40個ほどをサラダ用に取り分け、残りを砂糖煮にした。 サラダは、ざく切りにして(もちろん40個全部ではない)他の野菜にまぜこむ。ドレッシングソースはライト・マヨネーズと黒酢を合わせた。青柿がほんのり甘い。 砂糖煮は、マロングラッセならぬ柿グラッセというところだが、ブランデーのかわりに5年前に仕込んだ柿酒を使った。数年前につくったときはブランデーを使用した。以前もこのブログに書いたが、我家のキッチンの戸棚には各種の果実酒が並んでいる。梅酒、枇杷鮭、洋梨種、柿酒などだ。梅酒や枇杷酒は30年物もある。私は30歳以降、酒類をまったく口にしていない。果実酒を仕込むけれど飲まないので、30年間暗がりに眠りっぱなしなのだ。 柿酒をグラッセに使ったが、煮込むのでアルコール分がとんでしまう。ときどき一つ二つ撮み食いをして、にんまりしているのである。 ちなみに戸棚には他に、大蒜の黒酢漬け、生姜の黒酢漬け、胡瓜のピクルスが並んでいる。もちろ添加物は一切無い。黒酢は長野県の内堀醸造の臨醐山黒酢を使用。どれもみな私がおもしろがって仕込んだ。季節を楽しんでもいる。これらは1年間で食べ切ってしまう。 ところで、台風11号は先島諸島や沖縄を暴風域に巻き込み、かなりゆっくりした速度で北西方向に進んでいるようだ。東京の我家のあたりへの影響はどの程度なのだろうか。 私は暴風に対する準備は一応したのだが、じつはちょっと心配なのは、隣の敷地で住宅新築中だ。足場を組みおわり、周囲をプラスティック・ネットでかこっている。昨日は柱を立てたようだ。・・・台風の予想される進路からは、中心勢力がおよぶことはないのだが、このような一般住宅建設現場を最大瞬間風速60~70m/sの暴風が襲ったらいったどうなることやら。 私はかつて70m/sの暴風の威力実験をTVで見た。ガラス窓など一瞬にして粉々になった。風はそのまま実験家屋を突抜け、家具を空中に吹き飛ばした。 ややのろのろした台風の動きをじっと窺っていると、こんな句が浮かぶ。 台風に構え黙すは手術台 青穹(山田維史) まるで手術台にいる患者のようだ。 ああ、そうだ。手術台といえば、ロートレアモンの『マルドロールの歌』の有名な詩句。「ミシンと洋傘との手術台の上の、不意の出会いのように美しい」。 シュルレアリストが多用したデペイズマン(dépaysement) の原理的な表現。デペイズマンというフランス語は、本来的には、(人を)異郷に送ることを意味する。あるいは異なった環境に置くこと、を意味する。日本語では「異化」と訳している。シュルレアリストは本来の意味を一層強調し、「普段見慣れた場所から対象を追放し、異なった環境に転置すること」を指し、物体の異常な並置を試みた。無意識を照らす夢を再現し、あるいは驚異(メルヴェイユ;merveille)によって意識を拡大する試みである。 拙句に「手術台」などと詠んだので、ロートレアモンの詩句を思い出した。ついでに私の蔵書のロートレアモン全集の画像を掲載しよう。・・・そうか、もう51年前に読んだ本か。26歳だったか。定価が2,000円というのが今では懐かしい。現在、同じ体裁で造ったなら、版組はコンピューターでコスト・ダウンしたとしても、定価は7,000円くらいか。『ロートレアモン全集』栗田勇訳 人文書院 1968年初刊(所蔵本は1971年の重刊) A5判 470頁 栞紐付 布装ビニールカヴァー 書名金凸版(かなとっぱん)銀箔押し及び特殊インク 貼り函ビニールカヴァー 帯 定価2,000円
Sep 4, 2022
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猛烈な暴風雨が予想される台風11号は、現在、宮古島の南およそ250kmの海上をゆっくり北上している。中心気圧935hPa、最大風速50m/s、最大瞬間風速75m/s。先島諸島は、明日以降に暴風雨域となり、午後11時以降には最大瞬間風速60m/sを超える可能性が予想されている。最大限の対策がのぞまれている。 我家のあたりは午前中には小雨が振っていた。現在19時は厚い雲におおわれているが、雨風はなく、静な夜である。 台風十一号暴風雨予報 静けさや嵐のまえの草の庵 青穹(山田維史) 二百十日台風 今日明日は二百十日よ律儀なる 玄関内にクサキリが跳び込んできた クサキリの雨の宿りか草の庵
Sep 2, 2022
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