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12月になり、最近は朝ずいぶん冷えるようになった。息子の様子は、、、寒さのせいか起きられない。想定内だったけれど、それでも落ち込んでしまう。せっかく適応教室に行けても「お腹をこわして、ずっとトイレで座ってたけど、和式なので足が痛くて困った。」「今日は思考力がぜんぜんなくて先生の説明が一つも頭に入ってない。」なんて言って帰ってくることも多い。適応教室は週4,5回行けていたのがだんだん週2,3回になってきた。休むと自分で決めた日はほんとによく寝てる。軽く12~14時間は寝ている。エネルギーを溜めているのだ。そうして起きるとまた笑顔で元気になっている。長く付き合っていかなくちゃならない病気なのだとつくづく思う。起立性の子の治り方はいろいろだ。息子は今年の夏泳げるようになってから、睡眠の不安は残っているけれど、体調面はずいぶんよくなった。勉強ができるようになってきたことでそれがよくわかる。ひどい時は思考力、集中力が低下してまったく勉強できなかった。たまに不安になって数学だけ自らやっている時期はあったけど、ほとんど二年以上何もしてなかったと思う。まず字を書かなくなって、そして漢字がまったく書けなくなった。もともと苦手なものが思考力が停止することでますますできなくなるみたいだった。今はそれに危機感を覚えてる。小学校の漢字ドリルを4年生からやり始めた。適応教室では歴史と数学は中3まですでに終わったという。もちろんテストをやっているわけではないのでほんとに理解しているのか、あやしい。でも一時期、ゲームで「信長の野望」やったり、歴史の本を読んでいたので知っている人物も多かったようだ。ゲームも実は役にたっていたのかもしれない。やっぱり一番問題なのは英語。英語は家でやりたいと息子に言われていたが、実は前回大阪医大に行ったときにT先生に親は教えない方がいいと言われていて、すごく悩んだ。自分の子供に一対一で教えることってむずかしい。教えたことがある人はわかると思うけど、お互い遠慮がないから、喧嘩になる場合も少なくない。T先生は親子関係を心配されていると思う。家庭教師や一対一の塾も考えたけれど、時間が決まっているとその時間に息子の体調を合わせるのは至難のわざだ。体調悪いのでちょっと休んでからやるということが多く休んでいる間に約束の時間はすぎてしまう。無理に時間に合わせるのは無理な病気だから。しかも週1で一時間でも結構値段もする。英語は勉強方法をまちがえなければ、やればやるほどできるようになる科目だと思う。逆にいうと、楽しては上達しない科目。毎日習慣づけてやらなくちゃいけない教科。週1では足りないから結局私が手伝わなければいけないかもしれない悩んだ末、旦那のやってみればの一言で私が教えることになった。スムーズにできるときはいいけど、わからない問題になると息子もイライラして親子関係にひびが、、って思う日もある。息子に実の親子で教えることのむずかしさを話して、お互いに勉強しているときだけ、気をつかいあうように約束した。この先どうなるか。先日適応教室で、国数英の受験の過去問を先生と一緒にやったという。漢字は書けなかったけど、国語は読めばなんとかなりそう、数学も解ける問題はあったという。「英語は、、、一問もわからなかった。」だって。ひぇ~
December 16, 2009
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息子の通っている適応教室には今男の子5人女の子8人来ている。息子と同じ起立性調節障害の子は市内にはいるけれど、適応教室にはきていない。13人の子供たちそれぞれ適応教室に来ている理由はばらばらだ。みんなごく普通に見える。中には大人から思うとそんな理由で学校に行けなくなったのって思う子もいるかもしれない。でもそれがその子の理由なのだと思う。大人の価値観だったり、世間の物差しで測ることはできない。適応教室に来ていない別室登校、保健室登校の子も世の中にはたくさんいるだろう。ある日適応教室に迎えに行くと隣の中学の3年の息子さんを持つお母さんに話しかけられた。同じ高校にもしかしたら行くかもしれないからとあいさつされた。すでに息子にも仲良くしてねと話したという。その子は教室に入れなくて不登校になり今は別室登校しているという。息子が動き出したことでまた私自身の視野が広がった。いろんな子がいるのだとあらためて思う。起立性でもそうでなくても結局は親は待つことしかできないのだと思う。ブログを始めたころ、「待っているだけでいいのか」「早期処置をしなくていいのか」って言われたことがある。今だから書けるけど、その時はすごく心が揺れた。でも子供自身にほんとうにいっぱいエネルギーが溜まってないと動けないのだと今ならわかる。起立性の子なら、自律神経がある程度整ってきてその子に十分やる気が起こってこないうちに親が焦ってどう動こうとだめなのだ。もちろんいろんな情報を仕入れて、子供に提供することはいい。そうしてただ親は待つのだ。子供にやる気があってもいざ蓋を開けたら、だめだったなんてことだってある。でもだめでもうまくいっても、決めるのは子供なのだ。「乗り越えられない障害はない」と娘に言われ、それを座右の銘にしてときには無理にでも笑顔を作ってやってきた。やりたいことはできる限りやらせてあげて、時にはわがままかなって思えることさえあってもやらせてあげる。そうして子供たちは少しずつ少しずつ力を溜めていくのだ。生きていれば、なんとかなる。生きていれば、どん底からだって這いだせる。「生きていること、それが基本」息子の病気で学べたことを考え、今は感謝の気持ちがあふれてくる。
December 2, 2009
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