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10「ガリレオ資金」・8月14日・
ガリオア資金 (ガリオアしきん)とは、 GARIOA ) 、占領地域救済政府資金のこと。
第二次世界大戦 が終わると、アメリカ軍占領地の疾病や飢餓による社会不安を防止し、占領行政の円滑を図るためアメリカ政府がオーストリア等の占領地、そして旧敵国の占領地である日本と西側ドイツに対して陸軍省の軍事予算から支出した援助資金である。例外として朝鮮にも割り当てている。
この資金は、 1947 年 度からは正式に陸軍省予算から計上され、 1951 年 度まで続いた。一般的に、 食糧 ・ 肥料 ・ 石油 ・ 医薬品 など生活必要物資の緊急輸入という形で行われ、これらが国内で転売換金されることで資金としての性格を持った。
なお、 1946 年 7月より よる陸軍救済計画として実施された支出については、後に プレ・ガリオア資金 と呼称され、返済等についてガリオア資金と同等の扱いをうけた。
西ドイツ では、 1948 年 7 月 のアメリカとの協定で見返り資金 [1] として利用することを義務付けられた。
特にガリオア資金の場合、別勘定とすることは資金を被援助国の債務として保全する意味も持った。一方日本では、当初は貿易資金特別会計 [2] に繰り入れられ、貿易の補助金として日本政府の裁量で運用されていたが、 1949 年 からは ドッジ・ライン の枠組みの中で西ドイツと同様に見返り資金としての計上を義務付けられた。
対日援助額は、1946年度から 1951 年 度までの累計で16億ドル弱であり、 占領地域経済復興資金 と合わせて18億ドルである。
西ドイツは、 1953 年 に33.178%の返済率のもとで資金返済に関してアメリカと協定を調印した。日本は、アメリカとの断続的な交渉の上で、 1962 年 に西ドイツの返済率にならって約 5 億ドルの返済協定を調印した。
11「 ジェーン台風」9月3日・ (昭和25年台風第28号、国際名: ジェーン )は、 1950 年 (昭和25年)に主に 強風 により 近畿地方 や 四国地方 などに大きな影響を与えた 台風 である。
1950 年 8月30 日 、 硫黄島 の南西海上で台風第28号が発生。当時の日本はアメリカの占領下にあり、気象業務も米軍と共同で行われていたため、番号ではなく、アメリカ式に「ジェーン台風」と呼ばれた。1950年は暖候期を中心に台風の発生緯度が比較的高く、ジェーン台風も高緯度で発生している。最盛期は、中心気圧940 ヘクトパスカル 、最大風速50m / sであった。
台風は、 9月3 日 10時に、 徳島県 日和佐町 (現 美波町 )付近に上陸した。その後、台風は 淡路島 付近を通過し、12時頃 神戸市 垂水区付近に再上陸した。
その後、 若狭湾 へ抜け、 日本海 へ進み、 9月4 日 4時頃、 北海道 渡島半島 南端に再上陸した。台風は北海道を縦断し、 オホーツク海 へ抜けた。
台風による影響は、降水による影響よりも、強風による影響の方が大きかった。 四国 ・ 紀伊半島 の沿岸では35m / sの暴風が吹いた。また、 近畿 ・ 北陸 ・ 東海 では30m / sの暴風が吹いた。 和歌山 では、最大風速36.5m / s、最大瞬間風速47.2m / sを記録した。神戸海洋気象台でも、最大瞬間風速40m / s以上となったが、計測器の破損により、一時欠測となった。 大阪湾 では、台風の強風による吹き寄せで 高潮 が発生し、船舶に被害が出たり、多くの家屋が浸水したりした。
被害
死者 – 398名
· 行方不明者 – 141名
· 負傷者 – 26,062名
· 住家全壊 – 19,131棟
· 住家半壊 – 101,792棟
· 床上浸水 – 93,116棟
· 床下浸水 – 308,960棟
和歌山県 箕島町 (現 有田町 )では、辰ヶ浜漁港から出漁した 漁船 が台風に遭遇。13隻13が流出、3隻が沈没、21隻が破損。100人以上が行方不明となった。
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