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私が作った新聞エコバッグ。これは新聞紙一枚とノリだけで作っています。 ところで、以前、リミンブログで紹介したことがありますが、昔、秦野に在った幻の「落花生味噌」 をご記憶でしょうか。大豆のかわりに落花生を使う味噌は秦野を代表する家庭の味でしたが、今は落花生100パーセントの味噌を作っているお宅は、ほとんど見かけなくなりました。もともと、豆にならない落花生の小さな粒(シーナと呼んでる)を捨てるのは勿体ないし‥なんとか利用できないものか?大豆の替わりに使って味噌にしてみようと考案されたものですから、近所のお店ですぐ買えるというものでもないのです。それに、秦野の落花生農家さんそのものも減っているし‥そんなこんなで今では、「落花生100パーセント味噌」はほとんど入手困難になっています。まさに幻の「落花生味噌」どんな味噌汁になるんだろー?無いとなると興味が湧くのがこの世の常か、人の習い?!一度は、落花生みその味噌汁食べてみたいね~と想像で言い合うだけでしたが、この際だから、作っちゃおう!その幻の味噌とやらをスローフード秦野で再現してみよう!そんな話で、只今リミンは(個人的に?)盛り上がっております。(笑)という訳で、「幻の落花生味噌プロジェクト」が年明けからスタートします。ご登場頂くのは「JA秦野」女性部・元部長の大澤玲子さん。一年間に渡る味噌作りの講師をお願い致しました。庭の一角にある作業場で。大澤玲子さんに味噌作りの話を伺いました。 打ち合わせに伺ったのは、雨が降る寒い日でしたがお庭では、仲間の皆さんが家族で集まって、餅を搗いての食事会をやっていらっしゃいました。小豆やキナコの搗きたてのお餅に自家製漬け物、出来たてチャシューに熱々おでんと、手作りの品が並ぶスローフードな食卓に飛び入りでお邪魔してしまいました。(皆さま、ありがとうございました。)秦野の落花生味噌も、もとはと言えば、新聞紙を再利用する新聞バッグのように秦野のお母ちゃんたちの「もったいない」+「なんでも手作り当たり前」の精神から誕生したんですね。ただしこちらは味噌なので、新聞バッグのように、いつでも誰でも何処でも作るというわけにはいきませんが、次世代に伝えたい、これからも守り続けたい地域の「伝統の味」だと思います。この「幻の落花生味噌・再現プロジェクト」は、スローフード秦野メンバーの山口さんの提案を、秦野支部テッラ・マードレ活動の一環として実現するものです。提案者である山口さんの想いを伺いました。『幻の落花生味噌を私達で再現してみましょう! 今回は、いつもの生産者、消費者という垣根を超えて、 最初から完成まで皆で一緒に一つの作品を作りましょう』夢が形になっていくように、私も頑張りたいと思います。もしご参加希望の方がいらしたらリミンまでご一報を。●追伸スローフードが出した、名古屋で開催されている生物多様性条約第10回締約国会議への「意見表明」 (2010年10月18日発信)です。
2010年10月30日
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『沃土』和田傳 昭和12年11月10日発行 定価1円50銭 丸背秦野木綿装上製本 定価1円50銭に時代を感じますね。今では幻となった「秦野木綿」を本の装丁に使っています。かつては普段着や夜具に使われた武骨な木綿ですが、このシンプルさが、今見るとなかなかお洒落です。それに最近は、あまり見かけなくなったけれど、こんな風に布貼りでケースに入った本がありましたね。子供の頃、本棚に並んでいた本はたいていそうだったような気がします。昔、秦野の町の辻々からは一日中カタン、コトンと機織りの音が聞こえていたそうです。「秦野木綿」は綿糸を、天然藍草を発酵させた瓶の中で染める先染織物でした。製織に細かな手法を要するため機械化は難しく、量産もできず家内工業の手仕事だったといいます。この木綿の他にも葉たばこの産地で有名な秦野でしたが、煙草の他にも落花生や米穀などを東海道方面に運んでいました。これら輸送に活躍したのが秦野―二宮間を結んでいた今は無き「軽便鉄道」です。湘南軌道の貨物ホーム(大正時代の絵はがき)ちなみに初代の「秦野駅」は今から約100年前(明治39)年に、現在の秦野市本町2丁目に誕生したそうです。当時は一頭の馬が牽引する馬車で「湘南馬車鉄道」と呼ばれていたのです。その後、農業の生産力も増えてきて急増する物流に対応するため、馬車から蒸気機関に転換したのが大正2年。秦野の近代的動力への大きな変換の時代です。名前も「湘南馬車鉄道」から「湘南軽便鉄道」にと変わります。二代目「秦野駅」(大正時代の絵はがき)たばこ葉の輸送に便利なようにと、専売公社秦野支局のあった(現ジャスコ)前の場所に二代目「秦野駅」が造られました。今は「NTTドコモ」になっています。初代「秦野駅」も「台町駅」と名前が変わり通過駅になって‥今では煙草農家もなくなり「秦野たばこ祭り」にその名を残すくらいに。「秦野木綿」も地元で記憶に留めている人は僅かになっています。昭和12年、軽便鉄道はその役目を終え、ついに姿を消しました。昭和62年、五十年ぶりに秦野駅の名が復活。新宿―小田原間を結ぶ小田急線の「大秦野駅」(オオハタノエキ)が「秦野駅」となり現在に至っています。今の秦野駅って三代目だったんですね。写真は「台町駅」と改称された初代「秦野駅」の夢の跡地。明治から昭和を駆け抜けた軽便鉄道は、煙草や木綿と一緒に人々の新しい時代への夢や希望も運んだのでしょうか‥。
2010年10月24日
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秋も深まってくると、なぜか美術館の情報を見たりして、落ち葉の舞い散る季節はやっぱり「芸術の秋」なのかしらん。今年は、いつにない酷暑の夏を耐えしのんだせいもあってか、ここんとこ北海道やら北国に向かうことが多いリミンちです。で、今回の葦牙ジャーナルの連載ルポの取材も偶然ですが、やっぱり北へ。直通バスで福島県です。会津若松駅からレンタカーに乗り換えて、目指したのは以前「風の翼の歌声が‥」でご紹介しました[西会津国際芸術村]4年ぶりの再訪問です。取材チームのハジメ君の運転で決死の山岳ドライブ、「東京からの取材陣、会津の山奥で遭難!」なんて記事になったらどーしよう?!と言いながら、どうにか辿りつきました。いまや私にとっても懐かしい校舎が待っていました。ちょうど「第5回西会津国際芸術村公募展2010」の開催中で、事務局長をはじめスタッフの皆さん&サポーターズの皆さんが総出で迎えて下さいました。国際芸術村の内容は過去記事で書いているので割愛しますが、木造建築が与えてくれる懐かしい安らぎの空間に「ここまで来てよかったー」と癒される想いです。廊下を歩いていると、どこからかコーラスの練習が聞こえてくるような気がします。校庭からは体育の先生が吹くホイッスルや掛け声までも‥50年前に卒業した母校の昔のままの姿に会えるなんて、この中学校の卒業生の皆さんは、お金では買えないすばらしい財産をお持ちなんですね。木の部屋を生かしたアートのディスプレイもシンプルでセンスあふれる一見の価値ありです~そして、蘇った木造校舎を支えているものは、「守ろう」とする熱い想いと、ずうっと変わらずに手伝いに駆けつけてくれる「人々の手」なんだと思います。皆さん、お忙しいところお邪魔いたしました。ありがとうございました。今回の突撃ルポ「ちょっと、お邪魔します」は葦牙ジャーナル91号に掲載予定です。●「西会津国際芸術村」理事長・安藤寿美子さんからのお知らせ『芸術村とはいいながら、今まで施設には陶芸窯や版画のプレス機さえありませんでした。なんとかしてプレス機を手に入れようとしていた矢先、それを知った著名な版画家・故永瀬義郎氏のご遺族や関係者から、遺品のプレス機の寄贈&遺作展の開催の申し出を受けました。 そして今年5月、各方面のご厚意とボランティア支援のおかげで、大型プレス機は無事に西会津に運ばれて来ました。感謝を込めて「永瀬義郎 版画遺作展」をご遺族と共に開催致します。 尚、遺作展は世田谷のギャラリーspace Sでも巡回展として開催予定です。』【永瀬義郎 版画遺作展】東京巡回展 2010年10月23日(土) ~31日(日) オープニング 10月23日(土) 午後5時~ 東京・世田谷 ギャラリー「space S」 世田谷区等々力5-14-18 TEL:03-3701-1471
2010年10月16日
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『わー、自宅の敷地を川が流れる。マイ・リバーがあるなんて!』 『しかも、裏の丹沢の伏流水。ワサビ田まで作れるなんて!』『ウンブリアの風景と似ている。幸せの風が吹いてますね~』10月3日【わさびや茶園のスローな暮らし】に集まった皆さん、感動の面持ちで沢に下りて水を飲んだり、深呼吸したり。本当にココに来るとしばし日常の浮世のウサも忘れます。緑茶工房の山口さんちの食卓にのぼるものは、穀類、豆類、季節の野菜、味噌や漬け物はもちろんゴマ、トウガラシ、ワサビ、こんにゃくまで、ほとんど手作りするため買ってくるモノはあまり無いそうです。『この幸せ感あふれるスローな暮らしを支えているのは、 三世代が同居する家族の総力があればこそですね 。』参加の皆さんから、そんな声も聞かれました。確かにそうだと思います。暮らしの中の伝統を伝えるグランママの力はやっぱり大きいそして、実動部隊?のカナメとなっているのはきっと、こちらの若奥さんじゃないのかな~。 ↓どこのウチでもお母さんは家族の中心、太陽みたいな存在だものみんなで手分けして食卓の準備を手伝います。エプロン持参で駆けつけてくれた助っ人の方が多くて大助かりでした。男性陣は、力仕事&焼き芋、燻製作りなど火を使う担当で、なんだか「大草原の小さな家」のお父さんみたいです‥女性陣は盛り付けたり、運んだり。食卓というのは、男性、女性、両方の協力のもとに出来あがる合作なんだな~としみじみ思いました。イタリアでよく見かけたお庭で家族や仲間と食事する。みんなで作ってみんなで食べる幸せ時間!「大きな幸せは小さなテーブルから始まる」のです。スローフード秦野がお届けする「おいしいの幸せ」は私達のテーマ「おいしい」「きれい」「公平な」という「三つの想い」のうちのひとつなんですよ。さて、私達、食べていたばかりではありません‥手もみで作る秋摘み茶、何時間も根気の要る仕事です。みんなで少しづつリレーで体験させてもらいました。わさびやさんの「おいしいお茶」は秦野のおいしい水が育ててくれる。丹沢山系のきれいな湧水があればこそ。緑の山から滲み出す水がきれいな小川となって里山へ。豊饒な大地は食卓に豊かな恵みを届けくれる。そんなこんなでなんとか完成です。スローフード秦野オリジナル「秋摘み手もみ茶」と山口さんが作った丹沢紅茶、今日の記念のお土産です秋の木漏れ日が背中にやさしく降りそそぎ、山から流れる水音が、みんなの談笑のBGM。「お皿(カップ)の中は大地とつながる」スローフードが提唱する「きれいの幸せ」を胸いっぱいに吸いこんで‥[テッラ・マードレ](母なる大地)へ感謝の気持ちがわいてくる素敵な一日となりました。スローフードな幸せをおすそ分けして下さった山口さんご家族の皆様ありがとう!ご参加の皆さま、またお会いしましょうね☆★
2010年10月04日
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