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みかん園の1月‐2月たより2月も末になりました。みかん園は、今、収穫後の片づけと新たな作業のはじめています。みかんの収穫は当方の収穫は、ようやく2月13日にすべて終了しました。みかん農家の方たちは、昨年12月末のうちにみかん収穫を終えていて、今は、農協の選果場に、軽トラに満載したみかんが運び込まれています。これは、援農の方たちの協力を得ての、1月29日の収穫の様子です。11月初めの早生の収穫から始まった温州みかんの収穫ですが、2月13日に、最後の高枝部分の収穫を終えることが出来ました。まわりを見れば、1月後半にはあちこちで梅の花が咲きだし、あたりに花の香りが漂ってたんですが。また、1月下旬には、足元にはアキタブキのフキノトウが出だしていました。しかし、この間は週サイクルで、収獲し-搬送して-販売して-また収穫に帰ってくる。その間には、みかん箱の注文を取って、農協から出荷する。毎週、毎週これを続けてきたわけで、ヘトヘトすが、泣き言は言ってられません。2月24日の多摩の団地の、みかん朝市です。なかなか、まわりの景色を見ている余裕なんて、なかったんですね。その間には、1月21日投票で八王子市長選挙もあったわけです。近しい人の、不幸もあったわけです。学習も発信しなければ、なんのために生きてるか、とわれているわけです。さて、今日の小田原行きですが自前で収穫してあったみかんの最後ですが、新春のつどい用に、まえから注文が入っていたので、その為にとってあったみかんの搬送をしに行ってきます。「みかんの最後」といっても、みかんの終わりというわけではありません。それは農家の事情次第ですが、湘南ゴールド、ネーブル、清見、レモン、バレンシアと、これからまだまだ中・晩柑橘が続きます。もっとも、私などが引き受けるのは、わけあり品です。味は良くても、一般流通に乗らない柑橘が出る場合があるんですね。もったいないんです。最高の味ですから。それらを持て余すような場合には、当方の頑張りが必要になってくるわけです。あるか、ないか、実際のところは、その予定はわからないんです。しかし、少なくとも、なんだかんだ言ったとしても、5月の甘夏までは、少量でも、いろいろな収獲と販売が続いていくわけです。金柑だって、野菜だって、農家の方からは、提供してくれますから。もっともこれからは、主流の温州みかんに比べれば、生産量は少ないし、あくまで、おもには生産農家の方たちの販売の都合にかかっているわけです。当然、市場で売れれば、その方が値段は高いわけですから、それに越したことはないんです。私などの値段は安いですから。交通費もかかりますから、農家の受け取り金は少ないんです。当方にとって、自前で栽培している湘南ゴールドと甘夏があります。これは確実にあるんですが。湘南ゴールドは4月上旬ですし、甘夏は4月下旬からです。これまでは時を争っての温州みかんの収獲と販売でしたが、それは終わりましたから、みかんの山場を越えたことは間違いないわけです。これまでとは違いますが、そのかわり、草刈りなどの基礎的な手入れががはじまっているわけです。みかん畑の方は、ほっとした姿に戻っています。もとの常緑樹の畑に帰っています。まわりに荒廃化が広がっていることが、一見して明らかですが。手入れが不足しているのは明らかですが、しかし仕方ありません。この時期のみかん園の手入れですがこの間の収穫作業で、枯れてしまった木が積まれてます、その後始末もしなければなりません。湘南ゴールドはヒヨドリが狙っていますから、防鳥の網掛けも必要です。ところどころでは、すでに雑草の繁茂も始まりだしています。もうすこし暖かくなれば元肥の施肥も必要ですが、根回りの草刈りも始めねばまりません。みかんの手入れの年間サイクルが、いよいよ、新たな年度の始まりだしたということです。
2024年02月26日
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エンゲルスの「カール・マルクス」前回、真下信一先生の1977年のNHKラジオでの講演「カール・マルクス その人と思想」(『真下信一著作集1』青木書店1979年刊)を紹介しました。そこには、マルクスが、自己の哲学の基本(唯物弁証法)を書こうとはしたんだけれど、結局、まとまった形では書くことが出来なかった。それは、直面している『資本論』をまとめる作業、このことを優先事項にしていたこと、そのためそれを果たさずしては、いったい自分はなんのために自分が生きてきたのか。多くの犠牲をついやしたことの意味がなくなっちゃう、そうした悩める現実の事態があったわけです。そうした事情からして、その後に生きる私たちとしては、それをエンゲルス『フォイエルバッハ論』やレーニン『唯物論と経験批判論』などで、その空白をカバーせざるをえないところとなっている。そうした状況を真下信一先生は1977年に懐古していたわけです。そうなれば、私などその後の世代としては、『フォイエルバッハ論』を参考・手引きにして、マルクスの生前は刊行出来なかった草稿集、『ヘーゲル法哲学批判』『経済学・哲学手稿』『ドイツ・イデェオロギー』などですが。基本の理論として、これを理解しておく必要があるじゃないですか。それで、今回は『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル法哲学批判」を学習課題としているわけです。当然ながら、それは、かつてをさぐる訓詁学でも、自分勝手な意見をはく解釈学ではないと思うんです。今を生きていく上で、誰しもにとって、欠かせない方法、姿勢をつくるものと感じているからなんです。それで、1840年代の当時を状況や、直面した問題えがいた作品を、基礎作業として当たってみたんです。前回紹介した真下信一先生の1977年の講演『カール・マルクス』も、そうした中での発見の一つでしたが。今回はエンゲルスの「カール・マルクス」(『ME全集』第16巻 1869年7月)です。エンゲルスの「カール・マルクス」(1869年7月)日本では、1869年は、明治維新のまさにその頃のことですが。もちろん、エンゲルスの関心、その一番の関心はマルクスの『資本論』刊行です。このマルクスの紹介、1867年に『資本論』第一巻が刊行された直後です。エンゲルスのマルクス紹介ですが、その当時にみたマルクスの心意気、マルクスの『資本論』研究の態度、その中身の意義を紹介したものとなっています。「この著書は全生涯の研究の成果をふくんでいる。それは科学的表現に圧縮された労働者階級の経済学である。ここで問題となっているのは、扇動的な文句ではなくて、厳密に科学的な演繹である。なんぴとも、社会主義にたいしてどういう態度をとろうとも、ここで社会主義がはじめて科学的に叙述されていること、この業績を・・・実現・・したことは、・・認めなければならないだろう」(P358)「彼はこの学問を25年間たぐいない良心性をもって研究し、考えぬいたのであるが、この良心性は、結論が形式と内容のうえで彼自身を満足させるまでは、彼はどんな本も読まずにはおかなかったこと、どんな異論も考慮に入れないままにしなかったこと、あらゆる論点を完全にきわめつくしたことが彼自身はっきりするまで、彼の結論の体系的なかたちで読者にあたえるのを彼に許さなかったほどのものである。」(P359)まぁ、これは今回の場合、一連の探究の結果ですから、これは「おまけ」です。今回、肝心なのは、1840年代にヘーゲル左派から出発したマルクスですが、それが、どうしてへ―ケル哲学の検討の必要となったのか、そのことから、どうして20年を経て『資本論』の発表との結果になったのか。この出発点となったころの問題です。エンゲルスの「カール・マルクス」、マルクスの心意気を紹介してくれています断っておかなければならないのは、このエンゲルスのマルクス紹介ですが、これはマルクスの生前のものです。ですから、これは二人の協議があり、当然マルクスのチェックもされているはずのもの。ようするに、これは二人の「共作」だということです。そこでの論点について、箇条書き的に拾い出してみました。1、1818年に生まれたマルクスは、ボンとベルリン大学で、ベルリンでは哲学に没入し、「知識の首都」に5年間滞在した。ボンで大学教授につこうとしたが、ウィルヘルム4世の反動政策で断念した。2、ケルンで1842年1月に『ライン新聞』が創刊された。マルクスは当時としては未曽有の大胆さでライン州議会の議事を論説で批評し、大評判となった。そのため当局の検閲は二重にも課せられた。しかしそれも『ライン新聞』の「頑固な悪意」には何の役にも立たなかった。1843年初めに内閣は『ライン新聞』の廃刊を命令した。ここからが問題です。3、ライン州議会議事録の批判は、マルクスに物質的利害関係の諸問題を研究することを余儀なくさせた。[意見はその背後に、意志とは独立した客観的な諸関係があるということ。それが意志のあり方を指定しているということ]。ここでマルクスは新しい観点、法学も哲学も予知していなかった観点に当面した。ヘーゲルの法哲学を手掛りとして、ヘーゲルが「構造物の絶頂」とした国家ではなくて、むしろヘーゲルが継母あつかいしていた「市民社会」こそが、人類の歴史的な発展過程を理解するための鍵をなしている領域であるとの認識に達した。しかし市民社会の科学は経済学であり、この科学はドイツでは徹底的には研究されておらず、イギリスまたはフランスでのみ徹底的に研究されるものである、との結論だった。4、マルクスは1843年夏にパリに移り、そこでおもに経済学とフランス大革命の歴史研究に没頭した。パリではルーゲと『独仏年誌』を発行したが、一巻しか出せず、1845年ににはギゾーによってフランスから退去を命じられて、ベルギーのブリュッセルに移り、同じ研究をしながら二月革命の勃発まで同地にとどまった。5、マルクスが流行の社会主義とは、学者ぶったかたちのものとさえ、どう違っていたかはプルードン批判の『哲学の貧困』がしめしている。これは1847年にブリュッセルとパリで刊行された。この著作のなかですでに、現在詳細に述べられているマルクスの理論の多くの重要な論点が見られる。6、二月革命前に、ロンドンの労働者大会で採択された『共産党宣言』(1848年)は、本質的にマルクスの著作である。以上は、エンゲルスの「カール・マルクス」(1869年7月28日執筆)からの抜粋です。ここに記されている評言は、エンゲルスのマルクスを見る心意気がしめされています。それは、隣にいるマルクスの了解を得ているエンゲルスの言葉でもあるわけです。前々回に、マルクスの『経済学批判』「序言」を紹介しましたが、マルクスが、『経済学批判』を刊行するにいたる自らの思想のあゆみをまとめたものでしたが。このエンゲルスの作品は、それを理解するうえでも、役立つんじゃないですか。ましてや目下のテーマですが、1840年代にマルクスはヘーゲル弁証法をどの様に批判したのか、何が問題で、ヘーゲル法哲学を検討しなければならなくなったのか。そこからどのような、新たな独自の立場がつくりだされたのか。なぜそれが、今においても、基本的な問題なのか、それが見えてきます。こうした流れをつかむ上でも、基本にある問題をつかむ上でも、このエンゲルスの「カール・マルクス」は大事な作品だと思います。
2024年02月25日
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中野晃一氏が東京・新21区に来たる中野晃一氏が、2月24日、衆議院選挙・東京新21区の市民連合の集会に来てくれました。私などは、東京・八王子市鹿島に住んでるんですが。中野晃一氏といえば、民主的共同を目指す、今を時めく人じゃないですか。その方をですよ、自家に見れるなんてことは、なかなかあり得ないことじゃないですか。なんたって、今を時めく、全国的に民主的共同のために東奔西走している守護神じゃないですか。その中野晃一氏を、その実物を、じかに見れるということですから。私なんかは、午前中の多摩市のみかん市で、ヘトヘトだったんですが。それで、朝市を11時に切り上げて、多摩から八王子、そして会場の日野市まで出かけてきました。あらわれるとともに、その存在感ですが、中野氏というのはガッチリとした人ですね。俗流唯物論じゃないけれど、がっちりしてなけりゃぁ、この難局を吹き飛ばすなんてことは出来ません。やはり、会場に現れた途端に、その第一印象はがっちりとした「民主的共同の守護神」でした。もちろん、話しの中身です。今の政治に対する批評こそが、彼が今の市民を励ます天下一品の見識なことを、ズバリと実証していだったんですが。この「キックオフ」集会の、私などの印象ですが、日野の共産党・清水都議の話は、隣の保守的な八王子市でも今回の市長選挙では、画期的な市民の意志表示がしめされたと、私などがあまりに評価が薄くてストレスを感じていた、その意義をしっかりと強調してくれました。また、立川市の、市議と都議ですが、グリーンとか立憲とかその党派の立場のちがいはあっても、熱く共通して、今回の立川市長選挙とその後に示されている市民と政治の変化の様子を報告してくれました。発言者の全体が共通して要請していることは、ここで当地の市民が頑張ること、それにより今の政治を変えること。ひどい事態にあきらめてはならない、ここで頑張らずして、いったいいつ頑張るのか。いまは、党派を超えて、共同のエールをかけあって頑張るべき時だ、とその根本が提起されてました。今の政治をそのまま続けてはならない、圧倒的な国民の多くが思いをいだいている。政治家たるもの、これにどう答えるかで、その人の人となりが問われている。今は、その瞬間にある。であればこの総選挙において、また6月の都知事選挙において、それはその審判をきっぱりと下すチャンスなんだということ。この集会参加の63名ですが、その共通の思いだったと思います。訂正です、聞き違えました。集会参加者は、113人+オンライン参加13人とのことです。今の国民一般が抱いている根本的な願いですが、それを「残念でした」と、そでにするわけにはいかないじゃないでか。そのための現実的な力をつくる、これは全国に共通している社会責任ですね。この総選挙で八王子市の東南部のもっている位置ですが衆議院選挙の新東京21区というのは、新たな区域でして、立川市と日野市の全体と、八王子の東南部です。私などは八王子市鹿島で、その東南部に位置しています。ようするに、政治のご都合主義でして、今回はじめて日野・立川の人たちと共同することになった次第です。でも、いいじゃないですか。自分も大変ですが、相手方だって同じですから。ただこの集会で感じたのは、日野と立川の市は、その歴史もあります。二市はこの間の経験がありますから、民主的な人たちが、その火が燃えつくのに時間はかかりません。歴史的な土台があるわけです。森田・日野革新市政があり、阿部・立川革新市政の歴史があります。今回の発言に、その歴史を感じさせられ之した。他方、その点で問題は、八王子部分です。私などが住んでいる、八王子の東南部の市民意識の問題です。日ごろ、政治の風が吹いてません。保守的な長い物には巻かれろ、政治なんてろくなものではないとの、これまでの「棄権」を主流とするんじゃないでしょうか。ようするに歴史の足を引っ張りかねない。それが日常です。それとも、「俺だって、理性をわきまえた市民なんだ」との立ち上がりをつくれるのか。ようするに、私などの見立てでは、この選挙の行くへは、八王子の政治的へき地でもある、この八王子東南部の人たちが、どのような意志表示をするか、そこが終極的には、一つのキャスチングボードを握っているんじゃないかと思います。一寸の虫にも五分の魂です。さんざないがしろにされてきた、八王子のへき地の市民の意思が、今回の一つのキーポイントになってくる。こんな感想を感じさせてくる、今回の遠路・日野市でひらかれた集会でしたが、東京・新21区の市民連合キックオフ集会の感想でした。
2024年02月24日
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前回の真下信一先生の感想について思う前回、『真下信一著作集1 学問と人生』(青木書店 1979年刊行)の、「カール・マルクス その人と思想」から、NHKラジオでの1977年3月の講演を紹介しました。真下信一氏(1906-1985)は、戦前の苦難の中にあって、理性と科学をまもった方です。1977年といえば、真下先生は71歳、いわば晩年に入るころのものです。この中で、マルクスの『共産党宣言』(1848年)にいたる青春時代を生き生きと紹介された。私などは、それは哲学者としての見識が伝わってくる、他に得難い絶品の紹介だとおもいます。ぜひそれを確かめてみてほしいんですが。その際、講演の終わりの部分にある「私じしんについての懐古」を紹介しました。それは次のような一節です。「ここでひとこと断っておかなければならないことがあります。それはマルクス自身は自分の哲学をとくに体系立てて述べているわけではないということです。多少ともまとまっているのは、いま取り上げているごく簡単な『フォイエルバッハ・テーゼ』くらいのものでしょうか。彼の哲学を、哲学として体系立てて精密化したのは、エンゲルスと、彼の後をついだレーニンでした。そういう次第ですから、マルクス主義の哲学を深く知るには、どうしても少なくともエンゲルスの『空想から科学へ』とか、『フォイエルバッハ論』とかの論文、また『反デューリング論』および『自然の弁証法』、それから、レーニンの『唯物論と経験批判論』および『哲学ノート』を勉強する必要があると思います。・・・』(P242)この先生の感想にたいして、私などは、「このアドバイスですが、忙しい現代人にとっては簡単ではない宿題かとおもいます。しかし私などおもうに、現代をひらくためには、その学習がやはり必要だと思うんですよ」との感想をかきました。今回は、この感想に対して、あらためて思うことがらです。一、この真下先生による課題の提起は、正解だと思うんです。私などが『フォイエルバッハ論』をアドバイスとして、マルクスが亡くなるまで草稿のままにおかれた『ヘーゲル法哲学批判』『経済学・哲学手稿』『ドイツ・イデェオロギー』ですが、それを学習しかえす必要がある、そうしたことで唯物弁証法と唯物史観を学ぶ必要がある。このことは、1945年以降の戦後の民主主義社会の中で、はじめて自由にひらかれた課題だと思うからなんですね。二、私などは1950年生れですが、1969年に東京・法政大学に、関東の片田舎の真鶴から通うことになったんですが。本棚の片隅には『日本マルクス主義哲学の方法と課題-シンポジウム-』(新日本出版社 1969年8月刊行)があるんですが。また、『戦後の文化政策をめぐる党指導上の問題について-文化分野での「50年問題」の総括」(日本共産党中央委員会出版局 1974年8月刊行)があるんですが。たまたまの、これはめぐりあわせというものでしょうが、これは戦前からの「唯物論研究会」の哲学や「プロレタリア文学運動」の文学面での、歴史的な総括的な検討が行われていたということですね。それまでの歴史や事情もほとんど知らずに、田舎から出てきた私などでしたが、そうした日本の各分野での歴史総括を目にすることになったんです。知りませんでしたが、今から振り返れば、あの当時は、そうした時だったんですね。三、真下信一先生のこの発言ですが、私などは正しいと思うんです。だけど、この基本と課題の意義は正しいし、それぞれに強調されるんですが、その実行はどうか。その切磋琢磨はどうかとなると・・・。その意義が強調されればよいところでして、その実行による切磋琢磨や討論するとなると、まぁ、あまりみかけないんですね。それは、私などの社会的認識の狭さからかもしれませんが。私などが見るのに、確かにその意義の強調はあります。個々人による専門的な研究はあるだろうと思います。しかし、それらを討議したり、総括的な全体の成果のまとめというのは、ほとんど目にすることはないんです。「それは違う」という方もおられると思います。「こういう研究があるよ」との紹介もあればして欲しいんですが。残念ながら馬耳東風で、私などには一向に聞こえてきません。しかし、きっと全国では、人それぞれにいろいろな努力が行われていると思うんですよ。ただそれを私が知りえていないだけのことだと思うんですが。しかし推測ではことがらは進みません。四、結論です。以上のことからして、私は私なりに前にすすむこと。今回のテーマでは、唯物弁証法と唯物史観の学習ですが、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』をアドバイスとして、マルクスの『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」の学習をすすめるということです。思うにそれは、マニアックな趣味としてではなく、たんに過去を詮索すること、解釈することではなくて、1840年代の当時もそれこそが問題だったと聞きますが、今日においてはなおのこと変革の理論として学ぶということです。そこには何が問題なのか、まぁ、そこが問題ですが。ザルで水をすくうようなことにならないように、頑張るということです。
2024年02月22日
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マルクスの「ヘーゲル弁証法」批判(その3)前回は、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』が、マルクスの「ヘーゲル弁証法」批判を読み解いていく上での一つの道になると、私などの基本を紹介しました。しかし、大きな山に登る上では、さまざまな道があるとおもうし、ひとそれぞれに、これまでにもいろいろな努力があったと思います。今回の紹介は、マルクス自身による自分のあゆみについての自己紹介です。『経済学批判』の「序言」(1859年1月)ですが。日本では、『大君の都』のオールコックが駐日領事としてやってきた、幕末の時点です。『経済学批判』「序言」は、マルクスが唯物史観を一般的に定式化したものとして紹介されます。「私の研究にとって、導きの糸として役だった一般的結論は、簡単にいえば次のように定式化することができる。人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。・・・」マルクスといえば唯物史観、唯物史観といえばこの基本的な定式が紹介されるといった有名な部分です。たしかに唯物史観を、簡潔にして包括的にまとめられていますから、その説明には必ずといってよいくらいに、くり返しこの箇所が取り上げられてきました。私などが「序言」を注目する点ですがしかし、私などがこの「序言」を注目するのは、その唯物史観の内容紹介をしている点もさることながら、同時にマルクスがここで、どのような経過から、どの様な問題とぶつかるなかで、そうした理論が探究課題となったのか、その全体的なながれ、その考察の筋道を自己紹介している点に注目しているんです。マルクス自身の自己紹介です。「1842年から1843年にかけて、『ライン新聞』の編集者として、はじめて私は、いわゆる物質的利害関係に口だしせざるをえないという困った破目におちいった。・・・・」「私を悩ました疑問の解決のために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であって、その仕事の序説は、1844年にパリで発行された『独仏年誌』に掲載された。私の研究の到達した結果は次のことだった」と。私などの今回の主題-「マルクスはどのように『ヘーゲル弁証法』を批判したのか」ですが、この唯物弁証法の問題ですが、ここでの自己紹介の中に、確かに含まれているとおもいます。ただこの「序言」は、歴史観として多くの人に注目され紹介されるわりには、その哲学的な側面については、あまり紹介されることがないと思うんですが、どうでしょうか。大事にしたい真下信一氏の講演最近、認識を新たにしたラジオ講演があります。『真下信一著作集1 学問と人生』(青木書店 1979年刊行)の中の、「カール・マルクス その人と思想」なんですが。NHKラジオで、1977年3月に3回にわたって講演されたものとのこと。真下信一氏(1906-1985)は、図書館くらいでしか見ることは出来ないと思いますが。マルクスが、『共産党宣言』(1848年)にいたるまでの、若いころのあゆみを、哲学者の立場から、生き生きと紹介してくれています。その講演の第二回目ですが、パリ時代の『独仏年誌』からブリュッセルでの『ドイツ・イデォロギー』のころの生きた活動を紹介してくれています。この中で、唯物弁証法にいついて述べています。基本的なことですが、哲学として唯物論とは何か、についても述べられています。この講演の終わりの部分ですが、「私じしんについての懐古」として、次のような点を紹介しています。「ここでひとこと断っておかなければならないことがあります。それはマルクス自身は自分の哲学をとくに体系立てて述べているわけではないということです。多少ともまとまっているのは、いま取り上げているごく簡単な『フォイエルバッハ・テーゼ』くらいのものでしょうか。彼の哲学を、哲学として体系立てて精密化したのは、エンゲルスと、彼の後をついだレーニンでした。そういう次第ですから、マルクス主義の哲学を深く知るには、どうしても少なくともエンゲルスの『空想から科学へ』とか、『フォイエルバッハ論』とかの論文、また『反デューリング論』および『自然の弁証法』、それから、レーニンの『唯物論と経験批判論』および『哲学ノート』を勉強する必要があると思います。・・・』(P242)このアドバイスですが、忙しい現代人にとっては簡単ではない宿題かとおもいます。しかし私などおもうに、現代をひらくためには、その学習がやはり必要だと思うんですよ。私などは、今回は、マルクスが「ヘーゲル弁証法」をどのように批判したのか、を課題として立てているわけですが、マルクス自身が開拓してきた事柄ですし、故真下信一氏も提起している課題でもあること。このことを確認しつつ、さらに前にすすみたいと思います。
2024年02月18日
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自民党の裏金問題、衆議院予算委員会に注目です2月14日衆議院の予算委員会で集中審議が行われました。自民党の裏金問題です。岸田首相は「自民党の調査の結果がでたら、答える」として、質問にちっとも答えようとしません。しかし、この集中審議でも、これまでのマスコミ報道でも、事実の一端が見えてきます。選挙があるたびに、1566万円などキックバックが多額に跳ね上がっている。「私が初当選した2003年のときは、それがすでに当たり前になっていた」などの証言もある。〇いったいいつから、裏金づくりの仕組みが出来ていたのか。〇「上からの指示で、記載しなくてよい」との証言だけど、誰の指示で行われていたのか。〇いったい何に、その裏金は使われたのか。日本共産党・塩川鉄也議員の質問は注目ですこの問題では何が問題にのか。質問のポイントは、私などの疑問とピッタリなんですが。なかなか、首相の答弁は、まともに答えようとしないじゃないですか。一見すると、「やってる」かのような感じをしゃべりますが、しかしまったくまともに答えようとしない。それで、インターネットで、審議の中継録画を見たんです。2月14日、衆議院の予算委員会・集中審議での塩川鉄也議員と首相とのやりとりの全体を見たんです。衆議院インターネット審議中継 (shugiintv.go.jp)これでわかりました、塩川議員の質問を、岸田首相はその都度はぐらかしている。このはぐらかしの仕方は相当なものです。これぞ政治家の答弁というやつです。質疑の中身が何故わかりにくいのか。普通の市民の質疑の会話とは、いったいどこが違うか。テレビを見ていただけでは、仕事で疲れた身としては、話の筋が見えにくいんですね。新聞で要点をおさえつつ中継録画を見るさいわいにして、翌々日の「しんぶん赤旗」(2月16日付)に、論戦ハイライトが掲載されました。おそらく、新聞の活字だけを読んでいたら、私の忍耐力の不足もあり、新聞の一面ですから、全体をよむのを投げ出していたかもしれません。しかし、録画と紙面を比べてみると、議論のやりとりの筋がどこにあるのか、逃げまくる首相にたいして、要点をおさえて逃がさない塩川議員。議場からは「そうだ!」との賛同とも、声援ともとれる全体の声もきこえてきます。こうなると、首相のはぐらかしや先延ばしを許さずに、真相の究明を求めている政治家と、それに対して、「調査中だから」「問題議員に説明責任がある」とか、自己の自民党総裁としての真相解明する態度ではない、無責任になんとかその場を逃げきろうとしている首相の姿が見えてきます。国民がもっと、真相をつかむ必要があります今、政治家の幹部に任せていたら、この歪んだ政治を正すことは出来ません。国民が、努力して真相をつかむ必要があります、誤魔化されちゃだめです。だいたい国民が求めもしてない、他国を攻撃するためのポンコツ兵器を爆買いして、そのために、国民の平和や暮らし、民主主義をこわす道に、つきすすもうとしている。それは、一部の連中のための金儲けと利権のためですから。ここを変えていくための入り口が、今のこの問題にあるということです。ここに国民の批判力が問われている瞬間だということです。新聞の活字で要点をつかんで、録画で真相をキャッチする、事態をリアルにつかむために、この方法も一つとして、お勧めします。
2024年02月18日
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八王子で「学校給食の無償化」請願を採択八王子市議会の文教経済委員会で、2月13日学校給食の無償化を求める3件の請願が審査されて、全会一致で採択されました。それを知らせるニュースが、昨日、届きました。今日の新聞には、「格好給食の無償化」を求める動きが、東京全体に広がっていることが紹介されてます。これを見ると、23区内は無償化の目途が立っているんですが、西側の半分の三多摩地域では実施してない市が多いんです。八王子市でも、これまで学校給食の無償化を求める請願が、くり返し出されましたが、市議会の多数を占める自民党と公明党により、請願は否決されてきたんです。八王子においては、給食費は、一人当たり年間で、小学生で49,210円、中学生-51,000円がかかるというんです。子どもを持つ親の負担が、いかに大変かがわかるかと思います。「少子化」問題というのも、ここにも一因が見て取れます。八王子は萩生田なんとか議員の基盤です。自民党の政調会長だとか、文部科学大臣だとか、自民党の要職にあったそうですが、その足元では、市民の要求などは馬耳東風どころか、蹴飛ばしてきたんですね。統一協会にくわえて裏金作りが問題になって、当人は逃げまくってますが。「いったい、何をやってるのか」と、八王子でも全国でもきびしい目が向けられているわけです。この1月21日に八王子市長選挙があったんですが。そんな八王子ですから、それまでは、前市長は給食問題では、全40議席中、自民14、公明10議席が請願を否決する態度に合わせて、まともに取り合おうともしなかったんですね。議会の多数派の顔色をうかがうだけで、八王子市民の要求にたいしては冷たく、馬耳東風だったんです。流れを変えた市長選挙市民の共同候補が、滝田候補が、明確な形で「学校給食の無償化」をも柱としての市民との政策協定を結んだんですね。ましてや、国民・市民の厳しい目が向けられる中ですから。この市長選挙で、萩生田・自民・公明のかつぐ市長候補も、母体の自民・公明のこれまでとは打って変わって、「学校給食の無償化」を政策として掲げたんですね。掲げざるを得なかったわけです。選挙の結果は自公候補が勝ちましたが、僅差の当選だったんですね。これまでにない風圧がしめされたわけです。市長選挙後の1月29日には、市役所内に、学校給食の無償化実現に向けて検討会がつくられたとのこと。そした流れの中での、今回の2月13日の文教経済委員会でした。各委員の発言に注目です3つの無償化を求める請願が審査されました。各委員の発言です。自民党委員-「学校給食費無償化の庁内検討会も立ち上がった。無償化にむけて市も動き出した。一括採決をもとめたい」公明党委員-「学校給食費の無償化は新市長の公約でもあった。都の補助も出て前にすすんでいる。請願の採択に賛成する」立憲民主党委員-「子どもたちにしわ寄せがいかないように財政措置をとってほしい。採択に賛成する」共産党委員-「請願は1万筆をこえる署名が集まっている。新市長も公約に掲げている。市民からの熱い要望・期待にこたえて、この請願に賛成する」こうして、全会一致で請願は採択されました。当り前の要求であり、請願だと思うんですよ。「なんで、これまで蹴飛ばし続けてきたのか」といいたくなるんですが。そこが政治の独特の世界です。とにかく、これまでは、それは市議会だは蹴飛ばされ、行政は無視し続けてきた請願です。これまでかたくなに頑迷に妨害してきた八王子市議会でしたが、全都・全国の流れもあって、とらかく遅ればせながら、この1月29日から合流することとなった。八王子市民の願いと動きが、ここに八王子市政(議会と行政)を動かしたわけですが。だれがやったとしても、良いことはよいことですから、良い議決をしたときは、それを評価しなければなりませんね。しかし、このことは新たな八王子のはじまり、古い頑固な八王子だって代わりうる。そうした可能性を示しているんじゃないでしょうか。これからが問題ですまだまだ、この給食費についても、検討が始まったばかりです。そま中身の制度設計はこれからです。東京都は、学校給食費について、区市町村の無償化・軽減には、2分の一を補助するとの方針を、昨年12月に来年度予算として打ち出したそうです。さいわいにして、八王子は、たよれる都議会議員ももっていますから都議会議員との連携が求められています。また、今回の市長選挙がつくった民主的共同ですが、保守の良識的人たちをも含めた広範な民主で共同が見えたわけですが。この力が、新たな八王子の状況と動きをつくりだしているわけですから、それぞれのところで、この力を、基本的な力を強めてゆけるような、そうした良識と努力が求められているということだとおもいます。
2024年02月17日
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学校給食無償化へ八王子でも動く2月15日に東京・八王子市の知人からメールが届きました。「学校給食の無償化へ、2月13日八王子市議会の文教委員会で行われた請願審査で、全会一致で採択された。学校給食無償化へ前進です。3月4日、本会議にかかる予定です」とのことです。この動きの意味は、八王子の事情と具体的な経過をご存じない方にはわからないと思いますが、大きな朗報です。八王子市民が、全国的な流れを背景にして、八王子市政を動かしたということですから。当り前ともいえる学校給食の無償化の要求であり、八王子市への請願でしたが。八王子市では、子ども一人当たり年間で、小学生で49,210円、中学生で51,000円かかります。これじゃあ、若い方たちが子どもをつくることに躊躇する、つくれないとのこともあたりまえです。全都・全国的にも、当然な要求となっているわけですが。八王子市でも「八王子の学校給食の無償化をすすめる会」ができて、何度も市議会に請願を出してきたんですが、その都度、自民党と公明党が、市議会の議席40人中の24議席をしめていて、この請願を否決してきたんです。いわば議会の決定権を持っているわけです。しかし、この1月21日に八王子市長選挙がおこなわれましたが、滝田候補(一部の保守をも含めた共産、立憲、生活者ネットワーク、社民の共同候補)が、僅差で敗れはしたものの、この要求を正面から掲げて努力されていたんです。すると、選挙で問われることとなったら、自民・公明が推した候補者も、これまで反対してきたところのその無償化を、公約として掲げるようになったんです。これって、わかりますか。これまで自民と公明が議会で賛同していれば、もうとっくに市議会の意思として、市政を動かせたんです。しかし、否決してきた。そのために、毎回、毎回、市民は多くの労力を割いて請願署名を集める努力を重ねてきたんですね。こうした経過があったんです。そうした経過からすると、「2月13日八王子市議会の文教委員会の請願審査で、全会一致で採択」は、これまで動かなかった市議会が、八王子市長選挙での八王子市民の要求にたいして、ついに動いた、動かした、ということです。これまで、ねばり強く要求してきた声です。蹴飛ばされても、蹴飛ばされても求め続けてきた市民の願いですが、もはや今回を市長選挙を前にして、自民・公明もこれまでの態度をとれなくなった。もはやこれを否定するならば、否定する議員・市長は市民から退場の審判をくだされてしまう、そうした現実事態にたちいたったということです。そうした流れでの市長選挙を経て、そのうえでの今回の事態です。こうした経過の結果、今回の市議会の委員会で採択されるにいたったわけです。市議会を動かした力というのは、こうした人たちの努力だったんですね。しかし八王子は、これは一点の結果でしかなく、まだまだ問題だらけなんです。学校体育館に空調設備を設置して欲しいとの請願、設備のある少ない学校でも「防災目的のものだから子どもたちの教育には使わせない」なんてことを行政が決めているわけで、これをあらためさせること。また、国保料は7年連続して値上げされ、三多摩で一番の市民負担になっている。これも国の市からの補助を減らせという方針に対して、「忠実」な萩生田議員の地元ならではの事態、これが実際なんです。こうしたひどい問題を、ほかにもわんさと抱えているんです。いずれも市民の請願は、蹴飛ばされ続けてきた、それがこれまでの八王子なんです。まぁ、あれこれの全体の問題はともかくとして、学校給食を無償化してほしいとの市民要求が、八王子市議会で2月13日文教委員会で採択されたこと。この一点は確かです。まだ一報なんで、それ以上のことは聞けていないんですが、市民が、ついに頑迷だった八王子市政を動かしたこと、これは市長選挙をふくめてこれまで努力が実際に活かされたということ。これまでたいへんな努力された方たちですが、その苦労が報われようとしている。これは八王子市民にとって大きな勝利です。保守の頑迷な風土とされてきた八王子ですが、ここでも市民の声がこえをあげるなら政治を変えることが出来る。保守とされる人たちの中からも、この事態はあまりにひどいと、しがらみを断ち切って、共同する人たちもでてきた。『命がけなんだ』と街頭でマイクではなしていた。これは何をしめしているのか、政治というもののいいかげんさを日々見せつけられているわけですが、しかし、政治も捨てたものじゃない。市民の切実な道理ある要求は、頑迷で無茶苦茶な八王子市政であっても、それを動かすことが出来る。この努力の大切なことを、今回の経験というのは、天下にしめしたんじゃないでしょうか。
2024年02月16日
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温州みかんの収穫、完了!今季の温州みかんの収穫ですが、2月14日、ついに完了しました。左側についている果実は甘夏で、これは園主が大事にしているもので、収獲は4月下旬です。見ての通り、その他のみかんの木からは、すべて収穫を完了しました。前回1月24日の同じ個所の写真です。高枝の、最後に残った2本の木ですが、まだ、みかんがたくさんついていたんです。ヤレヤレでしたが、無事にこれで今季の温州みかんの収穫を終了することが出来ました。ひと仕事を終えての、みかん園の全景です。今回は、伐採した枯れ枝の野焼きもしました。右側にその野焼きのあとが、白く確認できます。野焼は、真鶴など周辺地域では禁止されているんですが、それもわかるかと思います、この時期の山は枯草の囲まれてますから、注意しないと、山火事に燃え広がる危険があるんです。毎年、全国ではそうした山火事の事件が起きているんですね。したがって、風のない日で、朝のうちからこの焼き場にはり付ける日にしか、出来ないんです。まだ、枯れ木は半分残っていますが、今回のところは、これにて無事に終了しました。今季の収穫作業を終えてのみかん園の全景です。これがみかん園の全景です。みかん園の周辺は、耕作放棄地が原野にかわって、やたら目につきます。私などの努力というのは、ドンキ・ホーテじゃないけど、この荒廃化からみかん園を守るためのたたかいです。私の故郷の真鶴と、東京・八王子の住まいとを往復していた時に、その途中のある、この小田原・早川のみかん畑と出会いました。50年前の高校時代の知人が、ここで頑張っていたのが縁だったんですが。ほんらい「宝の山」であるみかん畑が、農家が70-80代と高齢化しつあることと、政治の無策により、この30-40年間に、みかん農家はギリギリの、風前の灯火になっているわけです。この事態を知れば、個人の努力ではあだな努力であることは承知ですが、しかし、孤立化しがちな農家のために、その状況を発信すること。その活路をさぐって、応援すること。まあ、これが、私などにできるささやかな抵抗です。残された人生はわずかですが、今を生きる者としての一つのポリシーです。
2024年02月15日
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「日本社会の自由の発展」、一つの問題意識私などは1950年生れですから、戦後の平和・民主の「憲法」の下で生きてきました。最近感じるんですが、日本社会は危なっかしいですね、どこに政治によって導かれていくかわからない事態があります。建て前としては、それが「国を守ることだから」として、くらしや福祉、教育を押しつぶしてまでも、今の岸田・自民公明政権は、軍事費を5年間に43兆円もの国民負担を押しつけている。「大砲か、バターか」それは、世界もそうですが、近代の日本において問われてきた大きな問題ですね。私などは、戦後の日本に73歳を生きてきて、この当たり前な、とっくに解決しているかと思われた問題が、今さらながら、いまに不確定要素として問われるとは、思わなかったんですが。日本共産党が、先の1月の第29回党大会で、今日の日本の自由のあり方を宣言しました。私などが思うのに、それは当然だと思うんですが、それにかんして、二つ角度から、思うところがあります。一つは、日本の歴史のなかでの自由ということです日本でも、ことさら「自由」が問われるのは、今が最初のことじゃないですね。自由の問われる次元が違うかもしれませんが、1976年に日本共産党は『自由と民主主義の宣言』を出していますね。旧い私などは「男女同権」「男女平等」など、それ以前からの歴史があること、それは当然なことかと思ってきたんですが。今、「ジェンダー平等」ということで問われている問題ですが、個々の具体的な問題ですが、私などは、はなはだ疎かったんですね。あらためて、みずからのありかたをかえりみて、それを認識・反省させられます。これらは、戦後の「世界と日本」の社会進歩が提起している課題なんですね。「人権」の思想は、フランスでは1789年に確立したにしても、日本では1868年までは、お上にものをいうことだけでも命がけだったんですね。自由民権、大正デモクラシーにより大日本帝国憲法はつくられたにしても、治安維持法にみられるように「人権」などということは、無いに等しい実際じゃないですか。それが歴史的に、脈々として1945年までつづいてきたわけです。現行の憲法が宣言され、戦後80年をへたわけですが。それでも、それがわからない政治家があちこちにいるじゃないですか。子どもたちには、教育で平和や道徳、ルールを守れなどといってながら、自分たちは、手前勝手なご都合主義している、私たちはそんな姿を見せつけられてる。建て前としてることと、実体とがが乖離してますね。私などは思うんですが、具体的な問題としては、「ジェンダー平等」ということは、その言葉は使わなかったとしても、日本の民主主義の問題として、歴史があるじゃないですか。一つの大きな基本的な提起として、「三つの自由」『自由と民主主義の宣言』があるじゃないですか。今問われているのは、さらにそれを発展させ、押しすすめるものですね。それは、世界でも様々な形で問われていることじゃないですか。今の時点で、新たな側面が課題として浮き上がってきていることですね。「同一性と、差異」、同じ問題が、さらに発展した形で今日に問われている。世の中は、けっして時代は無為に過ぎてきたわけではない。同時に、その国、その時代に、障害となっている問題があったし、あるということです。先人が苦闘させられてきた問題を、今を生きる者は新たな形で前進するためにたたかっている。そうしたことを実感させられる昨今です。ようするに、問題を今日にどう発展させるべきなのか、この問題です。もう一つは、世界の歴史における自由ですが。そもそもの「自由」ということについてですが。マルクスにおいても歴史を学ぶ中から発展させたことじゃないですか。私などが見るには、マルクスの自由の思想の元には「自由の哲学」ともいわれるヘーゲル哲学があるわけで。さらにその素材には、その背景には、ルソーやルターの思想がある。わたしなど信仰心の疎いものには、よくは分かりませんが、確かにそれがある。脈々とした流れがあり、その今日的に問われていることがらとみます。マルクスの努力というのも、その近代の自由を、社会権として発展させようとした努力の一つとしてみます。これも、その後にすごい豊かな発展性をしめしているじゃないですか。そのことは、前に見たように、日本の近代においても、日本でもそうした世界のあゆみに目をひらき、さぐった人たちがいる。脈々としてあるじゃないですか、日本の近代史も捨てたものじゃないですね。その世界の流れと自分たちとを結びつけようとした努力があるわけで。私などは、この二つの流れの中にいるわけですこの宝の上に、流れの上に、今の私などがあるわけでして。それを意識的につかんで、押しすすめれる力をつくることが大事ですね。しかし、いずれも前に進むには障害や逆流と戦うことてもあります。「自由」や「自由主義」にもいろいろありますから、勝手な「歴史修正主義」の自由も、経済の「新自由主義」も、逆巻いている現在ですから。その自由ということの中身が問題ですね。しっかりと発展させていく軌道に乗せていくためには、その相克をとらえて、無知と野蛮な逆こうとは、しっかりと戦わなければならないということですね。私など、古くあいまいな人間は、そうしたあいまいな自由の中に生きてきたわけで、一つひとつ、このブランクやあいまいさを埋めて、明確にするようにして。そうすることで、前に押しすすめれる力をもつ必要があるということです。いずれにしても、「知を力」としなければならないと感じている次第です。
2024年02月11日
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定例のみかん朝市2月10日(土)は、定例のみかん朝市でした。「ここのみかんは美味しい」とうれしい声がかかります。無農薬ですから、果皮の姿は劣るんですが、味の方は、酸味のなかの甘さが特徴で、フレッシュで完熟してますから、美味しいんです。私などは、どんどん味見をしてもらって、納得して買っていただいています。それと、1キロ袋が300円と、とても安いんです。今回は、フキノトウも並べられました。ということで、今回の朝市も無事に終了です。温州みかんの朝市販売については、もはや最終段階です。あと、1回か、2回で、当方の温州みかんは終了します。あとの柑橘がどう出るかどうか、それは農家の人たちの都合次第です。
2024年02月10日
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フキノトウが開きだす2月5日(月)は東京でも大雪となりました。6日(火)に小田原に行こうとしたんですが、すでに晴れてはいても、この雪のため、小田原・厚木道路も閉鎖されていて、内陸交通の集まる厚木あたりは、トラックなどの車で大渋滞をきたしていました。やむなく、この日は引き返したんですが。一夜明けた7日(水)のこと。昨日の混雑はどこへやら、普段の交通事情にもどっていました。午前10時発で、小田原行きでした。今回、気になっていたんですが、案の定、畑でフキノトウを見つけました。去年、亡くなった園主が、このフキの畑を紹介してくれたんです。ちょうどそれから、まる一年がたつわけですが、そこが、今年はどうなっているか、気になっていたんです。去年は、援農者の力を借りて、畑にかぶさっていた竹を切り払いました。援農が来てくれて、フキ畑に覆いかぶさる竹を押し返しました | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)今回は、去年のうちに一度、竹払いをしておいたんです。そのおかげで、去年ほどは竹の倒れはなくて、畑の全体を見て回れました。そしたらフキノトウが、いっぱい咲いていたんです。それで、急いで、再度竹払いをしたんです。というのは、フキノトウを採るためでもあるんですが、これからいっせいに、ここがフキ畑に変わるんです。竹を払って整備しておかないと、フキが収穫しずらくなるんですね。フキノトウが出たということは、間もなくフキの葉の本体が生えだすということです。それは、園主さんたちが、ずっとこの畑のアキタブキを守ってきたからなんですね。すごいんですよ、あちこちに咲きだしたフキノトウを踏まないように竹払いをしたんですが。この畑にかんしては、たくさんのフキノトウが出だしていました。東京も大雪が降りましたが、もちろん箱根山も大雪です。しかし、山を下った小田原は雨くらいだったようです。雪は、まったくありませんでした。空間の厚木・八王子とは大違い。高低の箱根山とも大違い。湘南・小田原は、海沿いということもあって、まったく雪はなしでした。しかし、正面の大山や丹沢は、雪がうっすらとまだら模様になっていましたが。フキノトウを例年見かける箇所を見てみたんですが、この畑以外では、まだまったく出ていませんでした。アキタブキだからこそ、こうして一足早く、顔を出したんだろうと思います。農家の人に「フキノトウの季節だけど、今年はどう?」聞いてみたんですが、『例年ならば今頃は出ているはずなんだけど、今年はまだでいてない。イノシシが出てるから、それにやられたのかもしれない』とのこと。ようするに、フキの種類の問題だけでなく、その畑の自然条件も、発芽するのに関係してそうです。しかし、今の時期は寒い。小田原だって、朝晩は寒さの厳しい中にあります。ストーブがないと、暮らせません。だけど、こうした中にも、自然がしめしていますが、春はすぐそこまで、確実に来ているということです。フキノトウがそれをしめしています。今回の小田原行きですが、結局、これが主題となりました。ただ見るくらいのつもりで行ったんですが、とんでもなかった。畑には、いっぱい、採りきれないほどのフキノトウが生えてました。今週のみかん販売ですが、この季節の便りをそえようということで、120個以上のフキノトウを採ってきました。
2024年02月09日
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マルクスの「ヘーゲル弁証法」批判(その2)当方は、昨年(2023年)12月17日に、第一回目のマルクス『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法」批判の学習を始めました。「科学的社会主義」というのは、唯物弁証法の哲学の世界観、唯物史観の歴史観、そして『資本論』などの経済学、これらをその構成部分にふくんでいるわけですが。変動の激しい現在の日本社会にあって、哲学などの問題に時間をかけるような余裕は、一般にはなかなかないじゃないですか。私なども東京・八王子市に住んでいて、その中で週間の半分を神奈川県・小田原真鶴のみかん畑に通う年金農夫をいとなみとしているわけでして、哲学については素人のわけですが。それでも八王子と小田原のこの二重生活の中でも、このテーマ〔マルクスのヘーゲル弁証法批判〕は、外せない課題だと思っています。第一に、問題の主題ですが、「マルクスは唯物弁証法を確立した、それはヘーゲルの弁証法を批判することによって確立した」ということは、哲学史の世界では常識なこととされています。私などの目標とすることは、この常識を確かめようということです。「もしいつかまたそんな仕事をする暇でも出来たら、ヘーゲルが発見したが、同時に神秘化してしまったその方法における合理的なものを、印刷ボーゲン二枚か三枚で、普通の人間の頭にも分かるようにしてやりたいものだが。」(マルクスのエンゲルスへの手紙 1858年1月16日ころ 全集29巻)想像するのに、マルクスの日常は『資本論』をまとめたり、さまざまな具体的な社会問題に追われていて、こうした問題に集中する時間がなかったんですね。そのことは、『資本論』第2版の序文〔1873年1月24日付〕にも、1876年1月9日付のディーツゲン宛の手紙〔全集 第32巻〕でも、マルクスはくりかえし述べている宿題となるテーマだったんです。第二に、ではこの「マルクスのヘーゲル弁証法批判」が、まったく果たせなかったかのか、というと。そうではないんですね。私などは、少なくとも2つの材料があると思うんです。一つは、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1886年)です。1883年にマルクスが亡くなった後、残された草稿の束をエンゲルスは目を通して、その宿題にたいして、エンゲルスはこの作品にまとめました。もう一つは、『マルクス・エンゲルス全集』です。マルクスが生きていた間には刊行されることのなかった草稿が、その後に刊行されたんです。「ヘーゲル法哲学の批判から」(全集第一巻 1959年刊行)、「経済学哲学手稿」(全集第40巻 1975年刊行)、「ドイツ・イデェオロギー」(全集第3巻 1963年刊行)など。ですから、エンゲルスがそのエッセンスを1886年にまとめたこと、さらにその後に、その原本となる材料が、日本語訳においても刊行されていて、少なくともそれから48年問以上が、経過しているんです。そしてこの間には、多くの研究者が「マルクスはヘーゲル弁証法をどの様に批判したか」-このテーマを研究してきたわけです。第三に、私などには、今は再認識の時だと思います。戦前の日本では、大正デモクラシー以降のマルクス主義は、国禁の書であり、治安維持法の弾圧対象でしたから、国賊・非国民の取り締まり対象でしたから、自由な研究は出来なかったわけで。1945年以降の、戦後民主主義の憲法のもとで、はじめて公に研究や議論が可能になったわけです。なおかつ、戦後は一時期は「百家争鳴」の時期もありましたが、しばらくすると政治反動からして大学からマルクスは隅に追いやられる風潮もあったわけで。その中でも、さまざまな努力はあったと思います。しかし、私など一般人からしたら、身近に討議されることもなく、自分自身ではよくその中身が判らずにきた。私などの現在というのは、そうした歴史の経過と制約があるわけです。これまでも研究者は、個々人の中で探ったはずです。しかしその学習というのは、あまり形として残っていない。あるのは、教科書のように分かり切ったことのように扱われる解説だったり、または素人には近づきがたい細かな専門研究的なものですね。ですから、私などにとっては、「マルクスはどのようにヘーゲル弁証法を批判したのか」、その成果ですが、それらを背景にしての再挑戦ということになります。それは、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』をヒントにして、1840年代の草稿の探究過程、今回は『経済学・哲学手稿』をあたってみるということです。自分自身の頭で、基礎的な事柄をつかむための努力だということです。私などにとっては、今日の光の中で、あらためてその生きた意味をさぐり、今日に生かそうとの探究だと思っています。日々、あれこれの忙しい問題があるわけですが、その中でも、しっかりと欠かせない探究課題だと思っています。以上を前置きとして、『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル法哲学批判」にすすみます。
2024年02月07日
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首相の施政方針演説に思う1月26日に召集された第213通常国会ですが。1月31日付の新聞には、30日の岸田首相の施政方針演説が、その全文掲載されています。人間、時には「何が問題なのか」を探るためには、演説文章を読むことも大切と感じています。1月1日の能登半島地震の発生の事態をうけて、政治としてどのような対応が必要なのか、1月24日には閉会中審査として予算委員会が開かれ、検討されました。また、1月30日の施政方針演説が行われる前に、異例とのことですが、1月29日に、自民党政治資金の裏金問題で、予算委員会の集中審議がひらかれました。それを受けての岸田首相の施政方針演説でした。これを読んで、震災対応と政治資金問題の二点について感じたことですが。〇震災とその対応について「被災者の帰還と能登を含めた被災地の再生まで責任をもって取り組む決意です」一般的のはその通りなんですが、ここで問題なのは、この言葉の中身であり現実性です。どの様な課題と内容を、どの様なスピードをもってあたるのか、だと思います。この演説には、地元自治体や全国からの緊急対応チームが、救命救助、インフラ復旧に頑張っていることの紹介と感謝はあります。普通であれば、その状態からして、首相としては問題が何であり、課題であるかを明確に立てようするはずですが。続く文章は、「こうした厳しい状況の中でも、何よりもすばらしいのは、被災者、支援の皆さんの整然とした行動と『絆の力です。・・・」まぁ、これは、励まそうとする気持ちからかもしれませんが。だとすれば、そのあとに、そうした対応策がしっかりと具体的に提起されなければならないはずなんですが。どういってるか。「政府・地元が一体となって被災者に寄り添い、生活となりわいをしっかり支えていく息の長い取り組みを続けていきます。」「異例の措置でもためらわずに実行していきます」「政府として、『できることは、全てやる』という考え方で、全力で取り組んでいきます」「また、私をトップとした『復旧・支援本部』を新たに設置することにしました。」わかりますか。ようするに、一般的な決意を述べているだけなんですね。地震からすでに一カ月が経過しています。予算委員会の休会審査でも、現地での切実な待ったなしの要望が出されている。今、具体的に何が問題であり、政府の責任として何をどのように実行しようとしているのか、それが問われている時に、一般的な決意にとどまってるとしたら。そこが問題です。言っちゃぁわるいけど、これは一生懸命にやっているよとのポーズをとっているだけですね。国の責任者としてやれること、やらなければならないことは、具体的にあるわけです。それなのに、集団でつくられた文章でしょうが。はたしてその言葉にたいして、本当に責任を持つのか、そこが問われている大事なところですね。問題と課題を明確にして、対応の中身も規模も、その速度も変えるようにしないと、「被災者の帰還と能登を含めた被災地の再生まで責任をもって取り組む決意です」この言葉は、カラ文句となり、現地は無責任な事態に置かれるところとなる。どこに努力があるのか、どこに行くかのか、具体的にわからない事態におかれることになる。こうした事態というのは、国民の不幸ですね。これを変えさせていくには、国民の力が必要です。〇自民党の政治資金の裏金づくりを正す問題ですが「政治改革」ポーズをとることで、問題を逃げようとしている。政治家・派閥のパティ―が、自民党の企業団体からのお金集めの仕組みになっていたこと。これがおおまかに明らかになったんです。この実際の事態を具体的に明らかにすることなくして、「政治改革」といっても何をどう変えるのかわかりません。ようするに「改革」の言葉で目先を変えさせようと誤魔化そうとしてるんですね。「今、(国民からの)その信頼が揺らいでいる。自民党の政策集団の政治資金の問題で、国民から疑念の目が注がれる事態を招いたことは、自民党総裁として極めて遺憾であり、心からおわび申し上げます」これもまた同じです。「政治資金の問題」-ようするに禁止されてるはずの企業団体献金が、パーティー券購入という形で、資金集めが行われていたこと。それでもって私的な金集め(金儲け商売)をしていた人もいたとのこと。これじゃぁ、「国民のための政治」とか、「震災者によりそって」などという言葉は、カラ文句ですね。その実態が顔を出した。「国民から疑念の目が注がれる事態を招いたことは、・・・」-よく考えだした言葉遣いですね。ようするに、何が問題なのか、何を改める必要があるのか、そのことの解明を避けるための逃げの方便の言葉ですね。このごまかしの姿勢ですから、国民としてははぐらかされずに、これを正させるためには、しっかりしと監視して、誰が、いくら集め、何に使ったのか、明らかにすることが必要ですね。「政治資金規正法」というのは、それを明らかにするためのものですから。そのルールにそくして、明らかにする義務があるわけです。政治的、道義的責任もあるわけです。はぐらかされません。〇ここに政治の歪みの根本がありますだいたい、昨今の政治ですが。どうして国民は、望んでもいないのに、他国を攻撃するような兵器を買わされるのか。平和・民主の憲法の下で、どうしてトマホークですか、5年間で43兆円ですか。そのために、国民の平和やくらし、福祉や教育を犠牲にさせられるのか。どうして、消費税を下げて経済の活性化をとの、国民の多くの声が、国政で否定されるのか。自信の多い日本列島の危険な中で、国民の反対世論を蹴飛ばして、原発政策を復活・推進しようとするのか。「規制委員会は問題ないといってるから」などと。被爆国として、核兵器の廃絶の世界に広がりつつある声を、それを推進すべきはずの日本政府ですが、それがどうして蹴飛ばすのか。政治の歪み—国民の声を聞くのではなくて、「国民のために」は綺麗ごとの建て前、方便であって、実際は政治屋は自分たちの金もうけになる方向に、政治を歪めている。その根本的な原因が、お金の力でして、それが国民の声とは反対の方向に政治をおし進めている。そうした病気が、近年とくに悪化してきた。そうした関係を、ずーっと誤魔化し続けてきた国の政治でしたが。今回の事態は、その底にあった実態が、それが国民の目に明確になったということです。国民の一人とした、よくその事態をつかんで、どうしたらこれを変えれるか、この事態にどう対応すべきか、それが問われている現在です。
2024年02月05日
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2月3日の朝市をおえて今年の温州みかんですが、収穫も販売も大詰めを迎えています。2月3日(土)は、東京・多摩の団地の朝市でした。みかんの販売は、あと三回くらいでしょうか。2月中には終わるところまで来ています。小田原・早川では、みかん農家が12月末までに収穫したみかんですが、軽トラックに満載して、農協の選果場に出荷しています。農家の集中力はすごいもので、短期間にみかん畑から温州みかんが消えました。当方はというと、いまだもって高枝のみかんの木が2本残っているんです。「ウサギと亀」でして、ゆっくり慎重に収穫してたんですが、12月にはいったら、みごとに農家に追い越されました。これは1月31日に収穫する前の様子ですが、木が大きいので、これからは木に登っての収穫となり、これまでのように簡単には採れないんですね。木に登って、枝切りをしながらの収穫となります。しかし、あと残りの木は2本ですから、なんだかんだ言っても、大詰めに来ているのは間違いないわけです。収獲も大変ですが、販売も大変です収獲したみかんですが、私の場合は、無農薬ですから病痕もついていたりしてますから、農協の集荷・販売ルートにはのせることは出来ないんです。基準に満たないんです。したがって、独自に東京の多摩に搬送して、販売しなければなりません。いくつかのみかんファンの方の所に卸して、そして土曜の朝市で販売しています。当方のみかんは、見栄えの方は、いまいち劣るんですが、美味しくて安いんですよ。朝市では、実際に味見をしてもらって、納得していただいて購入してもらってます。それなりに、その味を評価してくれるお客さんたちも、いるわけでして。10月末の、早生みかんの販売から始まった団地のみかん土曜朝市ですが、温州みかんの販売については、あと少し、いよいよ大詰めです。あと3回くらいで終了するところまできています。ただし、柑橘には温州みかん以外にもいろいろな種類がありますから、清見とか、日向夏だとか、湘南ゴールドとか、甘夏とか、寿限無寿限無と、なんやかや5月までいろいろな販売が続きます。しかし収穫量の中心は温州みかんですから、それが一番の山場でして、その他の柑橘は、量は知れていて、すぐに終わっちゃいます。温州みかん後の仕事はしかし、春分の日とかをすぎて陽気が暖かくなると、雑草の繁茂がはじまります。みかん園の手入れは、そこからはじまります。ということは、2月-3月というのは、つかぬまの農閑期ともいえます。しかし、カイガラムシの防除や、剪定、施肥、草刈りがはじまりますから、農閑期とはいっても、やはり忙しいのですが。しかし、収獲は、みかんの年間サイクルの締めくくりであることは間違いありません。「ヤレヤレ」でして、この一年間の苦労が一区切りつくところです。もうひと踏ん張りです。
2024年02月04日
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共産党・山添拓議員の追求に注目当方は、みかんの収穫でふりまわされているんですが、2月2日(金)に帰京して、この間に貯まっていた新聞に目をとおしたんですが。問題になっている自民党の裏金づくりの問題の追求ですが、その不正を、海千山千を相手にして、はたして日本国民がただせるのか注目しています。貯まっていた新聞に目を通していたんですが、やはり、異例のことですが代表質問前に、1月29日「政治資金パーティー」の集中審議がありました。その全体は確認しきれていませんが、すくなくとも、その中で注目すべき質問は、共産党・山添拓参議院の追及でした。しんぶん「赤旗」1月30日付で、注目しました。ただし、新聞の紙面というのは、実際のやりとりを報道するには、紙面に可能な字数からして限られているじゃないですか。私などは、その点からして、インターネットでの中継録画を、これをカバーするようにしています。今回の場合も、それは正解でした。参議院インターネット審議中継 (sangiin.go.jp)1月29日の参議院予算委員会での山添拓議員の追及です。私などは、漫然と聞いていると、ザルですくうようなもので、やりとりの核心がつかみにくい。何が問題なのか、多くは聞き取れずはぐらかされちゃうんですね。海千山千の政治家たちを相手にしての質疑ですから、山添議員も同じかとは思うんですが。聞いている私など国民も、たいがいの普通の素人の感覚では、はぐらかされちゃうんですね。ところがです。この山添議員の追求ですが、それにはぐらかされず、誤魔化されずに、順々と問題を追及しているんです。問題が何かを、しっかりと握って放さないんです。そこが、問題のところです。岸田首相が、聞かれた問題を懸命になってそらそうとするんですが、山添議員は、それにはぐらかされずに、問題を追及しているんですね。この質疑のやりとりから浮かび上がってくる問題ですが、感覚的には、問題の輪郭は明らかだと思うんです。その問題は、海千山千の政治家たちが逃げや誤魔化しをうっているわけですが。大事なことは、それを許さずに、問題の根本を問いただしていく力ですね。どちらの側に道理があるか、全体から浮き上がっていると思います。この基本点を確認することが大事であり、だとすれば、国民の願いに答えれる政治を、この閉塞した現状をどのように変えるのか。誰も願わない、軍備の大増強の道、国民の暮らし切りすての政治をどの様に変えるのか。国民の声と力が、求められています。
2024年02月02日
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みかんの収穫は大詰め小田原のみかん園、温州みかんの収穫は大詰めです。1月31日に、今回も援農の方が来てくれました。この畑のみかんの収穫を、すべて完了することが出来ました。この夏には竹とつる草がかぶさっていたみかんの木を、草刈りして救い出したんです。周辺を見るとわかるかと思いますが、クズやヤブカラシ、センダングサが押し寄せてきています。それを1回、2回と草刈りして、押し返しての今回のみかんの収穫です。私などは、もうヘトヘトですから、一人単独では活力はしれてるんです。ひとりであれば、おそらく収穫しきれなかったと思います。そこに、こうしてボランティアがきてくれたからこそ、もうひと踏ん張りができているわけです。みかんの木だって、果実がついていれば養分をとられ続けますから、木は弱ります。枯れちゃう場合が、多々あるわけです。だから、援農の人たちがあるかないかは、このみかん園の存亡につながってるんですね。みかんの収穫がしきれずに、ヘトヘトにさせられてる状況ですが、まわりを見れば、梅の花が咲きだしています。小田原は曽我梅林、湯河原は幕山の梅林、熱海も梅林があって、「梅まつり」が、まもなく始まるかと思います。みかん園のあちこちには、梅の木が植えられているんですが、ほのかに梅の花の香りが漂い出しているんですが、くたびれていると、梅どころじゃなくなってるんですね。梅の花が視野に入るようになるもの、援農者の支援おかげでして、みかんの収穫に目途が見えて、少し余裕が出てきたからこそです。ヘトヘトになると、相模湾の景色も、富士山すらも、目に入らなくなります。1月29日、午前11時5分、小田原サービスエリアから見た富士山です。みかん園にむかう時には、まだ富士山を見るような余裕があるんですね。ただ、この冷気が近づいてきてますから、早くみかんを収穫しきらないと、みかんの劣化がはじまります。ただ木が弱るだけじゃなくて、みかんの果実の色が薄く、黄色っぽくなるんですね。だから、なんとしても、収獲を終えなければならないわけです。農家の人たちは、12月末までには収穫を終えてますが、今は農協へみかんを選果して、満載したトラックではこんでいますが。私などは、1月末から2月に入るというのに、まだ収穫しきれてなくて、最後のもうひと頑張りが必要なんですね。高枝のところに、最後のみかんが残っているんです。あと、もうひと頑張りです。
2024年02月01日
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