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最近は自民党の総裁選挙だの立憲民主党の代表選挙だのアメリカの大統領選挙だので誰をリーダーにするかが話題になっているので、徒然なるままにリーダーについて考えることにした。●リーダーとは何かリーダーとは集団の指導者や統率者のことである。総理大臣、代表取締役、町内会長、学級委員長とか、集団の規模に関わらずリーダーがいて、集団の方向性を決定する。リーダーとしての能力や統率力をリーダーシップと言う。トップダウン型でメンバーに指示を出す人もいるし、ボトムアップ型でメンバーの話をよく聞いて根回しして折衷案を出す人もいる。株式会社あしたのチームによる「30歳以下の若手管理職 「新しい会社のリーダーズ」 に関する調査」だと、若手管理職のMBTI診断では「INFJ・提唱者型」「INTJ・建築家型」がトップ2で全体の3割を占めていた。E(外向型)がリーダーに向いていそうという印象と違って管理職の2割しかいなくて、I(内向型)とJ(判断型)の特徴を持っていて洞察力と合理的判断力がある人にリーダーが多いようである。日本ではコミュ力を重視して採用している企業が多いけれど、実際にリーダーになる若手の性格は企業が求める人材とは違う点が面白い。どういう人がリーダーに向いているかは孫子の智信仁勇厳とかの基準がいろいろあるけれど、いくら理想のリーダー像を求めても実在しない人をリーダーにはできないし、リーダーに向いているタイプを選ぶことよりもリーダーになってはいけないタイプを避けることのほうが集団の存続には大事だと思う。●リーダーになってはいけないタイプイギリスの歴史家のジョン・アクトン(1834-1902)は「Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely(権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する)」という格言を残したけれど、これは歴史が実証している。人々の救済を掲げたキリスト教の教会でさえ教皇が王以上の権力を持ったら腐敗して免罪符を販売して金儲けして人々を弾圧する側になってカトリック離れが起きて、カトリックとプロテスタントの宗教戦争が起きた。テンプル大学の社会心理学教授のデヴィッド・キプニスも「Power Corrupt」という論文で検証していて、「人は権力を持てば持つほど行使したがる」「人は権力を持つほど権威主義的になる」「権限が弱いと権力は堕落しない」と結論付けた。日本人は政治に興味を持っていない人が多いのでどうせ誰が総理になっても同じだと思いがちだけれど、ただでさえ人間の普遍的な性質として権力を持つと腐敗するのに、人間性に問題がある人が権力を持つとなおさら大勢を不幸にするので、リーダーになってはいけないタイプは避けなければならない。・ブリリアントジャークブリリアントジャークとは優秀だけれど人間性に問題があって周囲に悪影響を与える人を指す。最近は兵庫県の斎藤元彦知事(東大卒、元総務省官僚、維新の会と自民党の推薦)が瞬間湯沸かし器や暴君という悪評が多くて、お土産をほしがったりして意地汚いだけでなくて部下が自殺して問題になっている。秋田県鹿角市の関厚市長(京大卒、元農水省官僚)は「俺の言うことを聞かないやつは懲戒免職にしてやる」「おまえ、退職金をもらえなくしてやろうか」などと高圧的な発言してパワハラ疑惑が出ている。この人たちはブリリアントジャークの典型例だと思う。ブリリアントジャークに該当する人は人格障害なんじゃないかと思う。自己愛性人格障害の人は承認欲求が強くて他人に認められたがって努力はするけれど、自己満足のために権力が欲しいだけで権力を用いて他人に奉仕するつもりがなくて、自分の尊厳が傷つけられると激高して、自分の言いなりにならない人を恫喝して従わせようとする。こういう人でもワンマン経営者として頭角を現すこともあるけれど、政治家として強大な権力を持たせてはいけないタイプの人である。任期が長引くほど諫める人を排除して周りをイエスマンで固めて強権化していくので、こういう人に長期間権力を持たせるのは危険である。・頭が悪い人どんなに頭が良い人でもあらゆる分野での専門家にはなれないし、政治、経済、軍事、外交、防災、教育、福祉、医療とかの専門家の意見を聞いて判断する必要がある。頭が悪くて専門家の意見を理解できない人や、あるいは自分で物事の論理や整合性を考える能力がない人はたとえ人柄が良いとしてもリーダーになってはいけない。新しい技術の利便性だけでなくて危険性も理解できないと、治験が不十分で副作用が不明なワクチンを国民に打たせて薬害を起こしたりする。専門家だからといって頭が良いわけではなくて、メンデルの遺伝学の研究を否定した生物学者たちや、センメルヴェイスの手洗いによる消毒を否定した医師たちが科学的真理を検証しようともせずに頭ごなしに否定する馬鹿だったように、自分で物事を考えようとしない馬鹿な専門家は大勢いる。天動説から地動説、聖書から進化論、金本位制時代の古典派経済学から現代貨幣理論へのパラダイムシフトを受け入れられない人も科学的に合理的な思考ができない人で、権威がある人が言ったことを鵜呑みにして自分で物事を考えていないので、通説と違うものが真実だと言われても理解できないままそんなはずはないと否定する。頭が悪いリーダーが馬鹿な専門家の意見を鵜呑みにすると必然的に間違った行動をとるようになるし、頭が悪いと何が間違っているのかも理解できないので問題の解決も遅れる。森鴎外は陸軍の軍医のトップまで出世したけれど、『脚気現象は果して麦を以て米に変へたるに因する乎』という論文で脚気と麦飯の関係を根拠なく否定して、日露戦争で白米食が採用されて麦飯の支給が後回しになって2万7千人が脚気で死んだ。根拠のない自説に固執して科学的に合理的な思考ができていないので私は森鴎外は頭が悪いと思う。20世紀の日本は頭が悪いリーダーが多いせいで大勢の人命が失われることになった。最近は小泉進次郎を自民党総裁選に推す人がいるようだけれど、もしおぼろげに46という数字が浮かんで消費税率が46%になったら日本の経済が壊滅する。そいういう馬鹿なことをやりかねない人に権力を持たせてはいけない。・利益を追求する人論語で「君子は義に喩り、小人は利に喩る」というように、志がなくて利益を求めて右往左往する小人は人の上に立つべきでない。そういう人がリーダーになると社会的弱者を助けても儲からないから別に助けなくていいじゃんと社会福祉を削減して弱者を切り捨てたり、儲けるために弱者から搾取したり、個人の利益のために賄賂を受け取ったり売国したりして社会が荒廃していく。経済の語源は経世済民で、民を救って幸福にすることを意味していたけれど、今では経済学者や経営者が政治家に取り入って規制緩和させて合法的に民を虐げて不幸にして金儲けするレントシーカーになってしまっている。昔は悪政をした王や領主は国民の反乱で殺されたので経世済民をして国民の不満を減らす必要があったけれど、今では政治家はどんな悪政をしても殺されることはないと開き直っているので経世済民をやらなくなった。維新の会が典型的で、経営者気取りで新自由主義の政策を推進して公立病院と保健所を減らして新型コロナ禍で日本で一番の死者数を出した一方で、やる必要がないIRと大阪万博には巨額の公金をつぎ込んだり、上海電力を咲洲のメガソーラー事業にステルス参入させたりして中国と癒着している。失政で亡くなった人たちの遺族が政治家に対して復讐をするわけではないので、吉村知事は慙愧することもなくのうのうと政治家を続けている。利益にとらわれた人は道徳観も狂っている。かつては利益のために黒人奴隷の貿易も植民地の搾取も正当化されてきたし、現代でも利益のために戦争をやりたがっている人たちがいる。イスラエルが自国の利益のためにハマスへの報復を超えてパレスチナ人を民族浄化してガザ地区を占拠しようとして、ガラント国防大臣は「We Are Fighting Human Animals」とパレスチナ人を動物扱いして、スモトリッチ財務相はガザへの支援物資の配給をコントロールすべきだと主張して「今日の世界の現実では戦争遂行は不可能。市民200万人を飢えと渇きに追い込むことは世界の誰も許さないだろう。ただ、彼らが人質を解放するまでは、それが公正で道徳的な行為かもしれない」と発言した。アメリカが1990年からイラクに経済制裁して50万人の子供が死んだと言われているけれど、マデレーン・オルブライト国務長官はCBSテレビの「60 Minutes」のインタビューで「the price is worth it」と発言した。利益を求めることを正当化して計画的に数十万人を虐殺してもなんとも思わない人が世界各国の政治経済の中枢にいて、こういう人たちはいくら儲けても満足せずに際限なく利益を求めて、時間をかけて研究開発して良い商品やサービスを作って利益を出そうとせず、手っ取り早く他人の権利や財産を侵害して利益を出そうとして世界に惨禍をもたらす。・決断力がない人リーダーがやることは決断することである。戦争や大災害の際には検討が長引いて対処が遅れるとどんどん状況が悪化して国が亡ぶので、決断に時間がかかるようではいけない。岸田文雄は検討ばかりして無駄に政治を停滞させた一方で、アメリカからの指令はすぐにこなしてロシアに強硬姿勢をとって必要以上に経済制裁をして外交官まで送り返して北方領土問題の解決が遠のいて日本の国益を損ねていて、岸田はリーダーの器でなくて上司に命令されたことをこなす従業員レベルの器でしかなかった。・有言不実行の人民主党は一度やらせてみようという国民に与党になる機会をもらっても、マニフェストとして掲げたことをやらなかったうえに、財務省に丸め込まれてやらないと言っていた消費増税をやったことで信用を失って、いくら自民党がダメでも政権交代をさせてはいけない政党になった。岸田文雄も総裁選で所得倍増を掲げて総理になったとたんに金融所得倍増に方針を変えた。この人たちは地位と権力が欲しいだけで、国民のことはどうでもよくて政治家としての志は何もなくて嘘をついても恥とも思わないのだろう。・逃げる人戦国時代の武将は戦に負けても自分の首を差し出すことで家臣を守ったし、西郷隆盛は西南戦争の挙兵には反対していたけれど自分のために挙兵した私学校の生徒に生死を預けて最後は切腹して義理を通したように義に厚い人だからこそ大勢の人がついてきた。立派なリーダーたちは自分の命より大事な信念や使命があったからこそ後継者を育てて、自分が率いてきた集団と運命を共にして、一人でなく皆で大事を成した。我が身と財産を惜しんで部下を守ろうとせず責任を取らずに一人だけで逃げる人には部下はついていかないし、たまたま事業が成功したとしても志が継承されないので一代限りで終わって大事をなすこともない。自己愛性人格障害の人は褒められるのが好きで責められるのが嫌なので、仮病で記者会見を欠席したり、嘘をついて言い逃れをしようとしたりする。政治家は記憶をなくしたり、ご飯論法で質問をはぐらかしたり、ハードディスクにドリルで穴を開けて証拠を隠滅したりして追及から逃げようとする。会社経営者で経営が傾くと経営再建や債務処理を投げ出して失踪する無責任な人も少なからずいる。セウォル号の船長は乗客を救助せずに乗組員だとばれないように制服を脱いで逃げて、殺人罪で起訴されて無期懲役になった。・公私混同する人元市川市長の村越祐民は市長だったときにリース代が高いテスラを公用車として導入したり、市長室に360万円をかけてガラス張りのシャワー室を作ったりして、市民のためというより自分のための公私混同ともとれるような非合理的な公金の使い方をして、次の市長選挙では惨敗した。危険な道路を改善したりして良い政策をやっていたとしても村越でないとできないようなことではないので、じゃあ他の人が市長でもいいじゃんと市川市民は判断したようである。舛添要一はテレビ番組では政治家を批判していたくせに、自分が東京都知事になったら公用車で別荘通いしたり家族の宿泊代や飲食代を政治資金扱いしたりして公私混同が原因で辞職した。公私混同する人は監査がある上場企業の取締役や政治家とかになると変な金の使い方が批判されて長続きしなくて大事業を成すことはないし、不正の追求に議論が割かれて議会が停滞してしまう。リーダーが模範を示さないと、部下のモラルも低下していって上司がやってるからいいじゃんと不正をしかねない。・縁故主義の人縁故主義だと身内に対する批判や罰則が甘くなる。泣いて馬謖を斬るようなことができずに信賞必罰の原則がなくなると、そこから権力の腐敗が始まっていく。それに縁故主義者は血族以外を信用しないので、有能な部下が集まりにくくなる。世界中の様々な王朝は縁故主義で政治をやろうとしたがゆえに腐敗して部下が謀反を起こしたり国民が反乱を起こしたりして滅んできた。スリランカでは兄のマヒンダ・ラジャパクサと弟のゴタバヤ・ラジャパクサの兄弟で10年以上大統領になって首相や財務省に親族をあてがって、中国の債務の罠にはまったうえに化学肥料を禁止する馬鹿な政策をして主要産業である農業が壊滅して輸出で外貨を得られなくなって自滅して、国家破綻宣言をして反政府デモが起きたら大統領一家はモルディブに逃げた。ラジャパクサ一族は頭が悪くて目先の利益を求めて中国になびいて縁故主義で親族を優遇してさらに逃げ足が速いという複数の欠点を抱えていて、リーダーにしてはいけない人たちだった。岸田文雄がお坊ちゃんを秘書官にして官邸で遊ばせていたのも批判されたけれど、外国の縁故主義者が親族で要職を固めるのに比べたらかわいいものである。●分断の時代に必要なリーダーとはどの国もたいてい建国時は単一民族や単一宗教だったりするけれど、隣国を征服したり交易したりするうちに多民族多宗教になって統治が難しくなっていく。人種や民族や宗教や性別やイデオロギーで分断されて対立している現代では対立を解決できるリーダーが必要になる。水と油はそのままでは混ざらなくて分離するけれど界面活性剤を使うと乳化するように、文化や宗教が異なる人同士も何の工夫もなければ融和することはないので、何かしらの哲学や政策が必要になる。「和を以て貴しとなす」は中国のことわざらしいけれど、聖徳太子が定めた十七条憲法の最初にも書かれていて、聖徳太子は神道に仏教を融合させたことで宗教の対立を起こさない国家の礎を作って、観音菩薩の化身として崇拝の対象にもなった。現代はそういう立派な政治家はいないのじゃなかろうか。多様性と移民について考えるという記事でも考えたけれど、間抜けなEU各国はEU内の移動の自由化だけでは満足せずに目先の利益目当てでアフリカや中東の不法移民や自称難民を労働者にしようとしたら、福祉に寄生するフリーライダーやテロリストを大勢呼び寄せることになって多文化共生に失敗した。スウェーデンは左派のステファン・ロベーンが2014年に首相になってから積極的に移民や難民を受け入れて、銃による犯罪やレイプが急増している。ちょっとでも考えたらどうなるかわかるだろうに、同化のための十分な政策もなしにイスラム原理主義者や犯罪者を含む移民を受け入れたら失敗して当然である。アメリカも民主党政権では不法移民対策が不十分で、スウェーデンと同様に国家を揺るがす問題になりかねない。カマラ・ハリスはCalifornia DREAM Actというのを作って、16歳以下で親と一緒にアメリカに不法入国したDreamersと呼ばれる人たちを保護して市民権を与えようとしているけれど、トランプは「彼女は最悪の国境問題担当の副大統領だ。何百万人もの犯罪者が入り込んでくる国境は他に存在しない。不法移民の多くは犯罪者。しかも常習犯なのだ」と批判している。もしハリスが大統領になったらアメリカは南米からの不法移民が増えて南米化していくだろう。スウェーデンの移民受け入れの失政は犯罪の増加と言う形ですぐに影響が出たけれど、中国でバブルが崩壊すると北京オリンピック以前からずっと言われてきても景気が悪くなるまで時間がかかったように、大きな国の失政はすぐには影響が出てこない。アメリカは不法移民の流入によるホームレスの増加、犯罪の増加、社会保障費用の増加などで数年かけてじわじわと内政が悪化していって、白人キリスト教徒の保守層との分断と対立が深まるだろう。アメリカは現状でさえ刑務所不足で軽犯罪が野放しで、開拓時代みたいに貨物列車が襲われて物資が略奪されている有様なのに、南米のギャングが不法入国して犯罪が凶悪化するといずれ警察官が取り締まりしきれなくなるだろう。コロラド州オーロラではTren de Araguaというベネズエラの不法移民のギャングが武装してアパートを徘徊している様子の監視カメラの映像が公開されてニュースになっていて、4つのアパートを占拠して縄張りにしているようである。こういう南米からの不法移民の犯罪がアメリカ各地で起こりうるし、もしテキサス州が不法移民の犯罪に耐えかねて独立運動をしたりしてアメリカが内戦になればアメリカの栄華の終わりの始まりになる。たとえエリート揃いの大企業の経営が好調でも中産階級以下の庶民の生命や財産が脅かされるようになったら国家の運営としては失敗だろうし、武装した貧民が金持ちの家になだれ込んで貴金属を略奪したりして金持ちの安全さえ脅かされるかもしれない。かといってトランプの強引なアメリカファーストのやり方だと、不法移民の流入は抑えることはできても中国とかの他の国との分断と対立が進んで、アメリカが世界のリーダーとして自由と民主主義を主導する役割は果たさなくなる。ハリスとトランプのどっちが大統領になってもそれぞれ違う形で分断と対立を深めることになる。じゃあどうすればいいのか。黒人の女性だとか白人の男性だとかの属性でどこかの集団の代弁者になるのでなくて、自分の属性を捨てられる人が分断から融和に導けるリーダーになれるのじゃないかと思う。しかしそういう人はアメリカでは大統領の候補にもなれないだろう。たぶん今後100年くらいして人類が分断と対立に疲弊したころに、哲学者や芸術家や人工知能とかの権力や利益への欲がない人の中から地球規模で人類を俯瞰して国境を越えたリーダーシップを発揮して融和に導く超越者が出てくるんじゃないかと思う。19世紀のアメリカの哲学者のラルフ・ワルド・エマソンは「コンコードの聖人」と呼ばれて、自然の中でエゴイズムが消えて「透明な眼球」として無となっていっさいが見えるという思考をしているけれど、そういう人がまた出てくれば世界は変わるかもしれない。
2024.08.27
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最近はフワちゃんという芸人がやす子という芸人を誹謗中傷して炎上して楽屋で態度が悪いこともばれて仕事がなくなって活動自粛したり、オリンピックの選手や審判が誹謗中傷されたりしているので、徒然なるままに誹謗中傷について考えることにした。●誹謗中傷とは何か誹謗中傷とは特定の人物や組織の名誉や人格を傷つけることで、誹謗はハゲやデブとかの事実に基づいた悪口を公然と言うことで、中傷は噂や嘘などで事実無根の悪口を公然と言うことである。「あいつは不倫して離婚した」と事実に基づく悪口を言うと名誉棄損罪になって、「あいつは淫乱だ」と事実を指摘せずに悪口を言うと侮辱罪になる。本人は冗談のつもりで言ったとしても、言われた側には冗談に見えないものは誹謗中傷に当たる。フワちゃんはやす子の「やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす」というツイートに対して「これにアンチコメントがつくなら」という大喜利のようなことを芸人仲間とやろうとして「お前は偉くないので、死んでくださーい 予選敗退でーす」と誤送信したようだけれど、やす子からしたらそういう事情は知らないのでいきなり暴言を言われたと感じて当然である。大喜利みたいなことをやりたかったのならその場に居ない他人を巻き込まずにその場に居る芸人仲間同士でやるべきだった。芸人同士だからやす子が謝罪を受け入れて手打ちにしたようだけれど、もし一般人だったら侮辱罪として訴えられかねなかった。●誹謗中傷でないもの名誉棄損罪や侮辱罪は親告罪で、告訴して裁判をしないとどこまでが誹謗中傷になるのかはっきりしないけれど、過去の判例や社会的な慣習などである程度の基準はある。・芸としての毒舌有吉弘行は「アメトーーク!」というテレビ番組で品川祐におしゃべりクソ野郎というあだ名をつけたけれど、これはエンタメとしてそういう台本があって毒舌を言われる側も了承していてリアクションすることでギャラをもらっているので、芸人同士で悪口を言う分には告訴されることはない。プロレスラーがマイクパフォーマンスで公然と対戦相手の悪口を言うのも同様に試合を盛り上げるための演出なので、「何コラタココラ」「おっさんなめんなよこの野郎」とか言っても侮辱罪として告訴されることはない。・批評スポーツや芸術には技術の良し悪しがあるし、政治や経済には政策の効果の良し悪しがあるので、一生懸命頑張ったからといって必ずしも褒められるわけではなくて、現実と理想のギャップが批評の対象になる。例えば「あのタイミングで選手を交代して逆転されたのは監督の判断ミスだ」とか「あのドラマのヒロインは演技が下手で浮いていたので別の女優を起用した方がよかった」とか「あの市長の政策は膨大な予算をかけた割に効果がなかったので責任をとって辞任するべきだ」とかは個人の人格を否定するものではなくて技術や戦略や判断についての批判なので誹謗中傷には当たらない。批判的だからと言って悪意があるわけではなくて、あれはダメだったからこうすればもっとよくなるのにという建設的な提案である。・商品やサービスに対するクレーム「検品体制が甘くて商品にバリが残っていてけがをした」とか「担当者がタメ口で馴れ馴れしくて態度が悪い」とかの口コミを書いたりして、対価に見合うサービスを受けられなくてクレームの正当性が証明できるときは誹謗中傷には当たらなくて、企業から補償や謝罪を受けられることもあるし、他の客に対しても役に立つし商品やサービスの改善につながるので公益性がある。・叱責立場が上の人が立場が下の人の失敗を叱る場合は職務遂行上で必要な指導の一環で、他の従業員や客の前で公然と事実を指摘してもその指摘が合理的であれば侮辱罪は認められにくいだろう。・価値観の表明人間には性格の相性や価値観の違いがあるし、誰かを嫌いになることもある。「あいつは嫌いだ」と言うのは自分の価値観の表明にすぎなくて相手を誹謗中傷しているわけではないので、表現の自由として認められる範疇だろう。ただし名誉棄損罪や侮辱罪として告訴されることがないとしても、その価値観に賛同しない人からは批判されうる。最近は川口ゆりというフリーアナウンサーが「夏場の男性の匂いや不摂生してる方特有の体臭が苦手すぎる」「1日数回シャワー、汗拭きシート、制汗剤においては一年中使うのだけど、多くの男性がそれくらいであってほしい…」とXに投稿して男性差別だと批判されて事務所に契約を解除されたそうな。1日数回のシャワーは現実的でないにしても私は契約を解除するほどの差別的なコメントだとは思わないけれど、カチンときた男性が多かったのだろう。カードショップで臭い人は出入り禁止になるくらいの問題になっているけれど、それも差別ではなくて他の客を守って店の営業を続けるためだろうし、人前に出る時はやれる範囲で体臭対策をやるのがマナーだろう。・首相などの公務員に対する報道公然と事実を指摘したら名誉棄損罪になるといっても、政治家が不祥事を起こしたのを報道したら名誉棄損罪になるのでは報道の自由や言論の自由がなくなって権力の監視ができなくなってしまう。名古屋法律事務所の記事によると、刑法では首相など公務員について摘示された事実が真実であることの証明があったときは処罰されないという例外扱いになって、真実であることが証明できなくても確実な資料や根拠に照らして真実だと信じた場合にも名誉毀損罪は成立しないそうな。・動物や非実在人物に対するコメント「この警察犬は権力の犬だ」や「アンパンマンはアンポンタンだ」とかは法的人格を持つ実在する人間の名誉を棄損しているわけではないので、誹謗中傷しても法的な処罰の対象にならない。●誹謗中傷しないためにやること、やらないこと・一般化する固有名詞を出さずに「柔道の試合で勝った選手がガッツポーズをするのは相手への礼がなっていないのと同様に、負けて畳に座り込んでごねたり泣いたりするのも相手への礼がなっていないので柔道家としてはダメだ。柔道発祥の国の選手として勝っても負けても世界の手本となる礼を示すべきだ」と一般論を言うのは特定の個人に対する誹謗中傷にはならないので、告訴されることはない。ただし一般化するといっても「男は」「女は」と主語を大きくしすぎると批判されやすくなる。・感情的にならないスポーツは選手だけでなくて観客も熱中するがゆえに興行が成り立つので、情熱の裏返しで選手のミスに対して厳しくなって感情的な暴言が出やすくなる。eスポーツでもプレイヤーが勝ちたいがあまりに熱くなって「引くこと覚えろカス」と味方に対しても暴言が出る。イラついた感情をそのまま言語化せずに自分の意見と感情を切り分けて、個人の人格を否定するような意見を言わずに技術や戦略や判断などの非人格的な部分に対して意見を言うとよい。仏教で人間の苦しみの根源とみなす三毒の貪瞋癡では瞋(自分の心と違うものに対して怒りにくむこと)がこれに該当して、他人が自分の思い通りになることなんて夫婦でも親子でもないのだから他人の言動にいちいち怒るのは不毛である。・炎上に便乗しない有名人が炎上すると掲示板が祭りみたいになって、レスがほしくて過激なコメントをする人やそれをもてはやす人が出てきて、一線を越えて誹謗中傷や脅迫や殺害予告をする人もいる。フワちゃんに対しても誹謗中傷が殺到していたけれど、フワちゃんに非があるからといってフワちゃんを誹謗中傷してネットリンチしてよいことにはならない。・投稿する前に見直す誹謗中傷は罰金を払ったり前科がついたり仕事がなくなったりしてでも言う価値はない。インフルエンサーや言論人とかなら炎上しても知名度向上につながるけれど、一般人が炎上しても良いことはないので、きわどいコメントをして注目を集めようとせずに投稿前に見直して毒気を抜いておく方が良い。「死ね」「生きる価値ない」などと直接生死に言及すると強い悪意がある中傷として侮辱罪で告訴されかねないので、生死に関することは安易に言うべきではない。・事実を確認する2017年の東名高速道のあおり運転事故では容疑者と苗字が同じだけで無関係な会社社長が容疑者の親族で勤務先だというデマを流されて中傷される事件が起きて、中傷した5人は名誉棄損罪で30万円の罰金を払って計176万円の損害賠償の支払いを命じられた。デマを流す人にも問題があるけれど、デマをそのまま信じて事実確認しない人にも問題があって、一方的に批判してストレスを発散できる相手がいれば相手が誰だろうが事実がどうだろうがどうでもよいのだろう。刑事事件などでは容疑者として言及されるだけでも相手の名誉が傷つくので、事実が確認できないことについてはうかつに意見を言うべきでない。・専門外の事に口を出さない警察官でもなくて何の知識もない一般人が刑事事件の犯人を推理してあいつが怪しいだの言って探偵を気取ったところで、事件の真相が明らかになるどころか中傷になる可能性の方が高い。現行犯逮捕でない限り容疑者の段階ではまだ犯人と決まったわけではないし、裁判で判決が出るまでは犯人が確定していない。それに容疑者が控訴している場合は最高裁まで裁判が長引く。凶悪犯が許せないという感情はわかるけれど、それをぶつける相手の容疑者が犯人とは限らないし、事件に無関係な人がしゃしゃり出てきて厳罰を求める理由はないので、事件について何か言いたいのなら容疑者への批判よりも被害者の支援に回るとよい。スポーツや芸術の批評でも専門知識がないと技術に対する批評にならずに人格否定になりかねない。・片方の言い分を鵜呑みにしない漫画家の結賀さとるがイラストレーターの花邑まいに自作をトレースされたと言いがかりをつけて取引先にトレースを認めさせようとしたりブログでトレパクを主張したりしたことで花邑まいの仕事がキャンセルされて、それで花邑まいが名誉棄損で訴訟したら勝訴して、東京地裁は結賀さとるにブログの削除と314万円の賠償を命じた。結賀さとるが花邑まいにトレース行為などを理由に損害賠償を求めた反訴は並行で審理されて棄却された。判決文では花邑まいのイラストのほうが先に描かれていて結賀さとるが後で描いて取引先に納品したイラストはアクセス権限があって部外者が閲覧できなくて外部にも発表されていないので花邑まいがトレースすることは不可能で、それにもかかわらず線の重なりがあってトレースでなくても線の重なりが生じうるので、線の重なりがあるだけでトレースしたとは推認できないとしている。結賀さとるの主張に追随して花邑まいを誹謗中傷した人たちも名誉棄損になるので、双方の言い分が食い違っているときは片方の言い分だけを鵜呑みにしてあいつは悪いやつなんだと誹謗中傷してはいけない。・中立的な視点を持つ芸能人のアンチは中立的に批評する視点を持っていなくて相手のやることなすことすべてをけなしていて、悪口を言うことに慣れてしまって歯止めが利かなくなって誹謗中傷に発展していく。批判だけするのでなくて良い所は認めるべきで、そうでないと建設的な批評にならない。・寛容になる人生で一度も失敗しない人はいないし、若気の至りや飲酒による判断力の低下や更年期障害や仕事のストレスや加齢による前頭葉の委縮や精神疾患の発症とかで一時的に行き過ぎた言動をする人もいるけれど、そういう人たちは社会にまったく貢献していない悪人かというと違う。何か責められるようなことをしたとしても司法が相応の罰則を与えるし、情状酌量の余地があって反省している人たちを敵視して誹謗中傷してやっつけようとする必要はない。政財界の巨悪を批判せずに自分の人生にほとんど影響がない有名人の些細な不祥事をあげつらって粘着して誹謗中傷するのは興味関心の優先順位がおかしい。・公然での発言を控える口が悪くて悪口を言いたくてしかたがない人はSNSや掲示板で全世界に向けて発信せずに自宅で家族と話すだけにとどめておけば「公然」に該当しなくなるので名誉棄損罪や侮辱罪の要件は成立しなくなる。道端で数人で世間話をするだけでも「公然」に解釈されて名誉棄損罪や侮辱罪として告訴されうるので、基本的に家の外で他人の悪口を言わないに越したことはない。大塚・加藤法律事務所の記事によると自分のコメントを含まない単純リツイートでも名誉棄損の判決が出ているので、リツイートを使いこなせない人はあまりSNSに関わらないほうがよい。・ダイレクトメッセージで直接やりとりするSNSや掲示板で皆が見れる状態で投稿をせずに、ダイレクトメッセージなどを使って一対一でやりとりして他の人から見られないようにすれば「公然と」の要件を満たさないので、名誉棄損罪や侮辱罪にはならない。・動物に例えない和田アキ子が陸上女子やり投げの北口榛花に「なんか、トドみたいなのが横たわっているみたいな。かわいいな」とコメントして批判されている。動物は一般的に人間よりも知能が劣る存在だし、宗教や文化によっては不浄な存在として扱われているので、かわいい動物に例えるつもりで使っても相手が褒められたと受け取るとは限らない。悪意はないので侮辱罪として告訴されることはないだろうけれど、普通にかわいいと言えば済むのでわざわざ動物に例える必然性がない。くまのプーさんみたいでかわいいと言うと怒る主席もいる。・フィクションのキャラクターを批判対象にするインターネットがなかった頃はナイーブな視聴者が多くてドラマの悪役やヒール役のプロレスラーを悪人だと信じこんで誹謗中傷していて、それがストレス発散の娯楽として機能していたので華のある悪役がいるドラマやプロレスは人気があった。SNSができてからはそういう人たちが直接芸能人のSNSで誹謗中傷するようになったけれど、実在の人物でなくフィクションのキャラクターをストレス発散の対象にすれば悪口を言っても問題にならないので、悪口を言いたくて仕方がない人は悪役が出てくるドラマとかを見るとよい。●まとめ人間は言語能力を発達させたことで情報を共有して蓄積して議論して社会を発展させてきたけれど、その言語能力は他人を害して社会を壊す方向にも使われうる。日本人は自分が損をしてでも相手の利益を減らそうとするスパイト行動をとる意地悪な人が多いそうだけれど、金持ちや芸能人やインフルエンサーに嫉妬して誹謗中傷して成功者を引きずり降ろそうとするのは生産的でないし、名誉棄損の訴訟も弁護士や裁判所の人的資源の無駄遣いなので、誹謗中傷はしないほうがよい。誰かの言動を批判するにしても個人の幸福や社会の発展に役立つことを目的にするべきで、教養ある文明人として恥ずかしくない言葉遣いをするべきだろう。岸田文雄のように所得倍増という嘘をついて総理になってPB黒字化を目指してインボイス制度を導入して控除廃止とかのステルス増税して国民を困窮させて能登の被災者を見捨ててウクライナの支援を優先する支持率最低のクソみたいな政治家でも増税クソメガネや財務省の犬と呼ぶのは下品で行儀が良くないので、もっと上品に御増税うんこメガネ様や財務省のわんこちゃんなどと呼ぶ方がよいかもしれない。
2024.08.13
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2021年に子供の国語力低下について考えるという記事で考えたときにはPISA(OECD生徒の学習到達度調査)で読解力が低下していたけれど、2023年のPISAでは日本は読解力が3位で、前回の2018年に過去最低の15位だった状態から回復したそうな。ところが小学6年生と中学3年生を対象とした2024年4月の全国学力調査だと中学国語の「話す・聞く」「読む」「書く」の技能別で「読む」の正答率が過去最低の48.3%で、「話す・聞く」の59.1%、「書く」の65.7%に比べて極端に低くなっている。間違えた人はキーワードだけ見て、言葉の意味はわかっていても文章としての言葉のつながりを理解していないそうな。前回よりも試験が難しくなったという見方もあるので正答率が低いからといって読解力が落ちたとは限らないけれど、楽観的に見るよりは悲観的に見て対策する方が良いだろう。というわけで徒然なるままに読解力の低下について考えることにした。●読解力は必要なのか読解力の低下は子供がスマホで動画を見ている時間が長くなったことが原因とみられているけれど、動画で情報を得られるのだから本を読まなくていいという人もいる。YouTubeには大学の講義やシンポジウムの動画がたくさんあるし、医療でも法律でもたいていのトピックは専門家がYouTubeでわかりやすく解説しているので、本を読まなくても動画から学べることは多い。しかし動画は文章よりも情報伝達効率が悪い。それでタイパとか言い出して短い切り抜き動画ばかり見るとますます得られる情報が少なくなって、結論だけ見てその結論に至るまでの背景や論拠を考えないようになる。それに文章は能動的に意識を集中して読んで理解する必要があるのに対して、動画は受動的に聞き流すことができてしまうので、動画で知った情報の方が記憶に残りにくいと思われる。中学生の頃に読解力が低いままだと、高校生、大学生と年齢が上がって知るべき情報が増えていくにつれて学習効率が落ちていくだろう。大学生は卒論を書くために動画で誰も解説していないような専門分野のマイナーな文献や先行研究を自分で調べる必要があるけれど、読解力が低いと論拠となる情報を正しく引用できなくてろくに研究もできなくなると思われる。というわけで文章読解力が落ちた分を動画の視聴で完全に補うことはできないので、私は読解力は必要だと思う。動画はそれ自体は有用だけれど、子供のうちは情報源を動画に偏重しないで先に読解力を身に付けて、それから動画で情報を得るのがよいだろう。●読解力の低下がもたらす問題・議会制民主主義の危機古代でも話したり聞いたりすることはたいていの人ができたけれど、文字を読み書きできるのは教養がある貴族や官僚だけで、庶民の識字率は低かった。口頭で伝えられる内容には限界があるし、記憶には間違いも多くて伝達ミスが起きるので、様々な学問の研究成果が記録された資料を読める事が正しい知識を持つことにつながる。それゆえに読解力が高くて長くて複雑な文章を読めることが教養の度合いを示す指標になる。近代国家は識字率を上げて国民に高等教育を施して、教養ある国民が選挙権や被選挙権を持つことで、議会が世襲貴族に占領されなくなって国民の代表による議会制民主主義が成り立つようになった。政治家は法律や科学的根拠を基に政策を議論する必要があるので、いろいろな資料を正しく読めない人とは議論にならないし、議論ができないと議会が機能しなくなる。読解力が低くて政策が理解できない国民が変な政治家を選ぶようになると、個人的な問題で終わらずに議会制民主主義を脅かす社会問題になる。こないだの東京都知事選挙で石丸伸二が若者の票を集めて躍進したのも衆愚政治に向かいつつある兆しといえる。石丸は安芸高田市長のときに議会で寝ている議員をSNSで批判して知名度を上げて、具体的な政策がないのにSNSで露出を増やして若者の浮動票を集めたけれど、テレビでのインタビューではインタビュアーへの敵意が強くて議論がかみ合わない石丸構文が話題になって、石丸支持者も誹謗中傷をして評判を落とした。石丸に投票した人たちは議会は敵と対決してやっつける場所でなくて政策を議論する場所だと理解していないのじゃなかろうか。これは小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」といって郵政民営化に異論を言う人を抵抗勢力扱いして小泉劇場としてブームになった時のB層の投票行動と同じで、敵を作って戦う姿勢を見せれば政策の良し悪しを無視してエンターテイメントとして支持を集めることができてしまうけれど、結果として郵政民営化は失敗だったし小泉純一郎や投票した人たちがそれを反省するわけでもない。改革を主張する維新の会も同様で、公立病院や保健所を削減して新型コロナ禍で大阪で一番の死者を出していて改革どころか改悪して失敗しているのに、テレビで露出を増やして既得権益と戦って変える姿勢だけ見せれば支持を集めてしまうし、失政の結果に対する責任を取らない。小泉進次郎も同じ内容を繰り返す小泉構文が国語力の低さを表していて、二酸化炭素の削減目標で46という数字が浮かんできたと言い出して科学的根拠がないままでたらめに政策が決められてしまっている。もし100というセクシーな数字が浮かんでいたらマジでヤバイことになって、マジでヤバイということは、マジでヤバイことになるところだった。・扇動されやすくなる読解力がなくて情報の真偽を確かめられないとフェイクニュースや陰謀論を信じて社会を破壊する活動に参加しかねない。真偽を確かめるためにはまず情報を誤読せずに正しく理解して、論拠がどこにあるのかを把握して整合性を検証する必要がある。動画などで音声として聞くと複雑な文法や論理を理解しにくいけれど、文章として読めば前後の文章を比較して論拠や論理の飛躍や矛盾を見つけやすくなる。それに動画は話している人を映すので、話の内容についての議論よりも発言者に対する批判になりがちである。そんで発言者に差別主義者だの陰謀論者だのなんだのとレッテル貼りをして議論そのものがなくなってしまうと情報の真偽の検証がおろそかになる。発言を文章化すると発言者と発言内容を切り離して客観視することができるので、動画でなく文章をベースにして議論するほうがよいだろう。・クソリプの増加文章読解力不足で論旨や論点を理解せずに誤読して、具体的な指摘や提案ができず、嫌いな相手に感情をぶつけて憂さ晴らしをしようとする人たちがクソリプを量産していて、インターネットという文明の利器が非生産的な誹謗中傷に使われて、本来は有益な情報交換ができるはずの掲示板やSNSが不快な場所になっている。MBTI診断で思考型と感情型に分かれるように、人の意見にも思考型と感情型のどちらが優勢なのか特徴が出る。私のブログやYouTubeのような場末のSNSにもクソリプがたまにくるけれど、クソリプを送る人は感情型といってよいだろう。誰でも意見を言う自由はあるし、生産的な指摘や提案や批判なら歓迎するし私が間違っているなら訂正するけれど、生産的でないクソリプは相手にしても時間の無駄なので私は無視している。ショーペンハウエルが馬鹿と議論しても無駄だと言っていたように、相手は物事を理解する能力がなくて、相手の間違いを指摘しても相手はなぜ間違っているのか理解できなくて間違いを認めて意見を変えることはないので指摘する意味がないし、教師でもないのに無料で相手を指導して間違いを正してやる義理もない。せっかく人間として生を受けて自我を持ったのに、豊かな言葉を学問や芸術に使わずに誹謗中傷に費やすのは不毛で、私は人間として理性を磨いて生きようと思っているので理性が乏しくて物事の道理を理解していない人たちとはなるべく関わりあいたくない。村上春樹がSNSを見ない理由として「大体において文章があまり上等じゃないですよね。いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです。だから、逆の言い方をすれば、まずい音楽、まずい文章っていうのは聴かない、読まないに越したことはない。」と答えたのも作家としては当然の感覚で、人間は周囲の環境から何かしらの影響を受けるので、まずい文章を読めばそれに影響されて変なミームや流行語や差別用語を使ったりして言葉が荒れかねない。中国のことわざに「一顆老鼠屎壞了一鍋粥」(一粒の鼠の糞が粥の鍋をすべて壊す)というのがあるそうだけれど、一行のクソリプでも読まないで済むならそれに越したことはない。辻美紀や工藤静香が料理を作ってSNSに写真を上げるとけなす人が大勢いるそうだけれど、他人が何を食べていようが自分が食べるわけでもないのだからどうでもいいだろうに、芸能人に嫉妬して粘着しているアンチは他人に不満を募らせて文句を言って非生産的な行為で人生を浪費している。「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざがあるけれど、それに付け加えるなら「クソリプはうんこ」で、クソリプをすればするほど自分の評価が下がっていることにクソリプしている本人は気づいていないのだろう。感情的にクソリプをしてうんこまみれで生きる自由もあるけれど、おそらく幸福とは程遠い生き方になる。木村花や韓国の芸能人のように誹謗中傷が原因で自殺した芸能人もいるし、名誉棄損で訴えられて書類送検されたり慰謝料を払ったりする人もいるし、クソリプは個人の幸福や社会の発展に何も寄与していない。クソリプから殺人事件にも発展して、2018年の福岡IT講師殺害事件ではブログに「低能」と罵倒コメントして荒らしていた人が低能先生とあだ名をつけられて、その対処法を紹介したHagexというIT講師のブロガーが逆恨みされてセミナーで刺殺された。今後読解力がない人が増えたら、相手の意見を理解できずに自分の意見を押し付けようとして揉めて殺害する事件が頻発するような殺伐とした社会になるかもしれない。●読解力を向上させるにはどうすればいいのか読解力を向上させるためには小説を読むのが良い。ニュースやプレスリリースや論文とかのわかりやすく書かれている文章とは違って、小説はあえてわかりにくい言葉遣いをして日常生活では起きないような出来事を書いているので、内容を理解するために橋渡し推論や精緻化推論を頻繁に行って言外の意味を補完して、ワーキングメモリを働かせてこの登場人物はこういう体験をしてこういう価値観を持っているのでこういう言動をしているのだというメンタルモデルを登場人物ごとに作って人物像を想像する必要があって、単に言葉の意味を理解する以上の複雑な認知能力が要求される。例えば恋愛小説なら「恋をした」「嫉妬した」みたいに直接感情は書かないので、頬が紅潮して目をそらしたとか物陰から横顔を眺めていたとかの描写を手掛かりにして言外の微妙な感情を推測する必要がある。本格ミステリだと登場人物の言動や犯行現場の状況を正しく読めないと犯人の推理ができないし、正しく読むことが推理の面白さにつながるので、楽しみながら読解力を鍛える訓練になる。キーワードの拾い読みだと小説は理解できないので、キーワードだけ見て早合点して全体の文章のつながりを理解していない子供の読解力を向上させる対策としてはうってつけである。幼児向けの絵本は絵で状況を補完しているけれど、小説は絵がなくてより高度な読解力が必要になるので、言語能力の発達に応じて絵本から小説にシフトしていくのがよいだろう。しかし子供向けの漫画は多いのに、学校の図書館におけるような子供向けの児童小説やジュブナイル小説があまりないのは出版界の課題といえる。ライトノベルは青少年向けだけれど、たぶん娯楽色が強くて読書感想文の対象にならないので学校の図書館に置いてもらいにくいと思う。その需要を埋められたら小中学生の読解力が向上するかもしれない。国語の授業で小説を読ませないでもっと実用的な勉強をさせろという人がいるけれど、たかが小説さえ理解できない程度の読解力しかないのでは実用的な知識を学ぶどころか文章を曲解して間違って覚えることになりかねない。計算自体はできるけれど算数の文章問題を理解できなくて回答を間違える子供がいるように、読解力がなければ他の学問を学ぶうえでも障害になる。大人になってから小説を読まないのは個人の自由だけれど、認知心理学の点から見たら子供の言語能力を向上させるためには小説を読むほうがよいだろう。
2024.08.05
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