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恋する者の心は限りなく優しく、また謙虚である。彼は自分自身を飽くまでも無力( 事実、彼には金も権力も無い ) であり、見窄らしいし、何の取り柄もない( だから、失恋した ) 孤独な男と感じていた。 可哀想で、哀れな女である明子は、そんな男の彼が愛するのに如何にも相応しいとも、考えたのだ。が、当の明子は自分を可哀想とも、況してや哀れなだとも、当然思っていない。そして、横川が明子を愛したようには、彼を愛しても、恋してもいない。 明子は、横川を結婚の相手として不足がないと評価し、彼の自分に対する態度がこの上もなく優しいのに、満足していた。 この場合の明子の自然さに比べて、横川の側の状況がなんと異常に感じられることか…、俺には自分が経験した事の様に、ありありと思い浮かべることが出来る、待ち合わせ場所、多分、小綺麗な喫茶店で、明子を待っている彼の姿と、その心の動きとを……、約束の時間が十分過ぎ、二十分過ぎ、三十分過ぎても、明子は現れない、何か事故にでも遭ったのではないだろうか、いや、急ぐつもりでタクシーに乗ったのだが、道が混んでいて……、?? それにしても遅い、彼女の家へ電話を入れてみようか、いや、いや、もう少しだけ待ってみよう……、あっ、ひょっとしたら約束の時間を間違えたかな、いや、そうではない筈、昼食を一緒にしようと言ったのだから間違いなく午後の一時半だ、本当にどうしたのだろうか、もしかしたら場所を勘違いして、どこか他の店で同じようにイライラしながら、僕を待っているのかも知れないぞ、もし、そうだとしたらどうしようか…、しかし考えてみるまでもなくそんな事は有り様はずもないことだ、この店、前回にデートした喫茶店の「ポエム」と言ったのだから、やっぱり彼女の家に電話してみようか……、そうだ、もう一杯コーヒーを注文しよう――、きっと何か事情が、よんどころ無い事情が出来て、電話で連絡しようにもこの店の電話番号を調べようにも時間的な余裕がなくて、……、やっぱり、家の方に電話してみよう、……、あっ、出た、お手伝いさんの声だ、お嬢様も、奥様もお出かけで御座います、か、行き先も分からない、仕方がない、もう少し待つとしよう、そろそろ、一時間が過ぎてしまう、どうしたのだろう、待てよ、日にちをを間違えたのかもしれないぞ、明日の日曜日と、でも、今日の土曜日は偶々仕事が入っているが、午前中で終わるからと言うので、午後の一時半に時間を決めたのだし、明日と間違えることはないと思うのだし、それにしても一体どうしたと言うのだろう、もしかしたら、こんなに遅いのは約束を忘れてしまったのかも知れない、うっかり忘れてお母さんと一緒に買い物にでも、或いは、もしかして途中で男友達と出会って、その男性が昔の恋人で…、いや、いや、下らない想像はよそう、しかし、いずれにしてもこんなに待って来ないところをみると、もう来ないだろう、でも、交通事故などでなければよいが…、あと少し、あと五分だけ待ってみよう、やっぱりダメだった、もう帰ろうか、しかし、帰った直後に現れたら、どうしよう、困ったな、困ったな…、あっ、明子さんだ、来てくれた、本当によかった……、 「御免なさい」と明子が少しも悪びれずに一言、「いや、良いんだ」と横川、彼は心配と不安で精神的にクタクタになっている自分を、一瞬にして忘れ、腹も立てずに明子を受け入れる、彼女は必ず約束の時間に三十分以上は遅れ、彼はその都度強い心配と不安に心を悩ませながら、明子を根気強く待ち続け、「御免なさい」を言う恋人を素直に許した。 明子を待つことは横川にとって一種の拷問に等しかった。しかし、その拷問の儀式に耐えることが、明子への愛情の証明であるとさえ、彼は思いつめた。それは彼女が、可哀想で哀れな女が、自分をほかの誰でもない、この横川慎二という男を必要としている、と彼は信じ込んでいた、以上は、彼女を愛する彼としてはむしろ当然のことと考えたのだ。が、彼は知った、恐らくは婚約した直後に、正確に言えば婚約という儀式を経験する過程で、彼は彼女や叔母が自分という人間をどのように眺め、如何様に評価し、どう理解したかを。そしてまたそのように見て、評価し、理解した彼に何を真に望んでいるのかを。 年齢二十三歳、容姿端麗、身持ち良く、品行方正、短大の英文科卒、特技は英会話、茶道・活花・日本舞踊の素養有り、家庭裕福というのが、彼以外の者皆が正当に理解し、把握していた明子の「正体」であることを。彼はこの時に初めて、明子との結婚の真実の意味合いと、自分が現に置かれている状況の何たるかを客観的に、つまり常識のレベルで、正確に理解できたのである。 こんな筈ではなかったと横川は思い、同時に急激な強い焦燥感に駆られた。もはや遅いのだった、取り返しのつかないことになってしまったと、感じたから。しかし、彼は彼女を全く誤解していただろうか、否である。 以上の真相を悟った今でさえ、彼の明子に対する気持ちや感情は、全然変化がなかった。とすれば、彼は唯彼女の或る部分を、( それは明子本人にとっては殆ど本質的と言える重要な部分なのだが )そのある部分を知らなかっただけに過ぎない。が、彼の犯したそのミス、余りにも重大すぎる過失は、決定的なものだった。 明子も叔母も、横川同様に彼が自分では自分の本質と考えている ある部分 を知らない。と言うよりは、その必要がないからこそ、その必要がなかったので、知ろうとしなかった。だからそれは、ミスでも過失でもない。それが、世間の常識というものだった。 彼、横川なる人物は、客観的に突き放して言えば、人を愛する時に、一般的ではなく、異常な強さを以て愛し過ぎる性癖と、過剰さを発揮し、同時に自己の愛情に対して、余りにも献身的・自己犠牲的で有り過ぎるのだ。悪いとすれば、その様な彼の性癖や過剰さなので、誰を責めるわけにもいかない。が、この儘で明子との交際を続け、結婚してはいけない。そう彼は強く感じ、激しい心の動揺を覚えた…。
2021年06月30日
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横川には結婚の意志など少しもなかったが、精神上の重大な危機を切り抜けた直後の安堵感、松村氏に寄せる強い尊敬と信頼の念が、彼に松村氏の好意溢れる言葉に従う気を起こさせた。 見合いと言っても堅苦しい形式ばったものではなく、知人の娘さんを紹介するといった程度に考えて良い、という松村氏の言葉を彼は額面通りに受け止めてもいた。しかしながら、予め横川に関する情報、それは適齢期の娘のお見会いの相手としては、殆どそれ以上は望めない程に、理想的な諸条件に関するものある、を松村氏を通じて知らされていた明子や叔母の方は、最初から大乗り気であり、本人に会った瞬間に、もう決定的に心が傾いてしまった。 叔母は女手一つで成人させ、熱心に嫁入り支度をさせている娘を、一日も早く嫁がせたい一心だし、明子本人は、自分ひとりでは恋人は愚か、結婚相手を見つけ出すことなどは及びも付かないような娘だったので、母親の指図通りに行動するしか能がなかった。そしてそれまでに何度かお見合いを経験していたが、仲々思うような相手に恵まれずにいた。一度だけ、こちらが大変気に入った相手には断られたりしていた。横川のように何から何まで結構尽くめの相手では、先方から断わられるのではないかと、明子や叔母は最初から強い不安を抱いていた。 横川は、明子や叔母達のそういった状況や、微妙な心理など想像もしなかった。と言うよりも、世俗の垢に塗れていない、そういう意味では世間知らずの彼には、夢にも考え及ばない事柄だった。彼はただ飾り気のない素直な態度で明子に接しただけであった。そうして、何物にも因われない、謂わば虚心坦懐な横川の心に映ったのは、明子という女の、ありのままの姿であった。飛び抜けた美人とは言えないが、控えめな化粧を施した顔は、生娘らしい恥じらいの表情を漂わせて、どちらかと言えばチャーミングであった。言葉付きも態度も、若い女性の媚を殆ど含まず、素朴で自然なのが好感を与える。しかしそれは、特別に新鮮な魅力でも、驚くような個性でもなく、ごくありふれた、謂わば平凡な娘の、平凡な特徴だった。積極的に嫌う理由もない代わりに、進んで好きになる要因もない。だから、最初の顔合わせが終わった後で、松村氏から感想を訊かれた際に彼は、自分の感じたままを正直に述べた。 松村氏は苦笑しながら、少なくとも全く気に入らなかった譯ではないのだから、暫く交際してみるようにしたらよい。先方は母娘共に大乗り気なのだからと告げた。 その時点でもまだ、横川は自分が結婚を前提として適齢期の娘とお見合いをしたことの意味を、十分には実感できてはいなかった。明子を自分の妻となるべき相手として考えてみることが、どうも上手く出来ないのだった。が、松村氏に指示された通りに、彼は明子を映画に誘った。そんな折に、若い男女が観るのに相応しい外国の恋愛映画を見た。映画が終了して、場内が明るくなり、観客たちが席を立ち始め、自分も立ち上がろうとした彼が隣の席を見ると、明子が手にしたハンカチで目の辺りをそっと押さえている。明子の家まで送って行く夜の街灯りと闇の中で、彼はついさっきまでは遥かに遠くにいた明子が、急に身近な存在になったことを感じていた。平凡な恋愛映画の、なんの変哲もない悲しい結末に涙する明子を目撃した途端に、彼はそれまで気にも止めていなかった、松村氏から聞いていた彼女の境遇のことやその他のことが、何故かしら急に強く思われたのである。先ず父親の味を知らずに育ち、母親とも小学校五年生になるまで離れて生活し、それ以後も、母娘二人きりの暮らし。たとえ物質的には恵まれていても、どんなにか辛く、悲しく、寂しい思いを体験したであろうか、という明子に寄せる想い。次いで、最初の時には気付かずに、その夜始めて気付いたのだが、左目の下のかなり大きな痣を、肌色に塗って匿している事、色白というよりは貧血気味で顔色が蒼白いこと、表情にどこか翳りがあり、態度がどことなくおどおどとしていること。以上の、彼女について自然に感じ取れる観察結果から来る 可哀想な女性 という印象。つまり、彼は彼女という娘にすっかり同情してしまった。夏目漱石は外国のことわざを翻訳して「可哀そうってことは、惚れたってことよ」と表現したそうだが、横川の明子に対する感情が、正にそれだった。横川は、明子という極めて平凡な女を、母親だけの片親だというその境遇の故に、流したその涙の故に、その顔の痣の故に、どことなく頼りなげなその挙措動作の故に、同情し、愛し、そして恋心を覚え、やがて熱烈に溺愛するに至った。そして、そうなるのに大した時間を必要とはしなかった。恋は思案の外、とか、恋は闇とか言うが、恋心は人を本当に盲にはしない。只、恋する相手に対して寛大になり、限りなく優しくさせることは事実だ。 明子が時間に関して常識はずれにルーズな事、日常生活に差し障りがある程ではないが、彼女の所謂一般教養が非常に偏狭で幼稚なこと、金銭的に非常に締まり屋であること、物の考え方が極端に自己中心的で、自分勝手すぎる傾向が顕著であること、などなど、一口に言って精神的に余り健全であると言えない、明子のそうした色々な欠点を徐々に知るようになっても、彼女を深く愛するあまりにそれらを世間で言うところの、世間知らずなお嬢さんの無邪気さとして受け止めた。そして彼女を知れば知るほど、横川の彼女に対する同情の度合いが深まり、益々強く彼女を 可哀想で、哀れな女性 と思うようになった。
2021年06月30日
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その妄想的な 白昼夢 は、譬えばこんな風にして展開し始める……。( 横川は俺と同様に、幼くして産みの母親をなくしている。兄弟は年の大分隔たった兄が一人で、姉や妹などの女の近親者はいない。恐らく、そんな環境が作用したせいだろう、彼は普通以上に女性的なものに強い憧れの念を、持っていた。それは先の母親を慕う子供心と結びついて、一種病的なと言って良い激しい情念と化した。外見の美しい女性の持つ「美しさ」は、殊更に彼の心を限りなく惹きつけたに相違なかった。女性の持つ外見的な美しさ、優しさは、その儘そっくりその女性の内面の美しさ、心の優しさに結びついていると思えた。また、そう信じて疑うことを知らなかった。一方で、横川の容貌と人柄は異性達の関心を惹きつけて余りあるものがあった。つまり彼は人並み勝れて異性に持て囃された。しかしながら、生来のはにかみ屋やで照れ性の彼は、同世代の異性との恵まれすぎた接触の機会を、あまり上手く活かすことができず、その結果、少年のような未熟な女性観を、持ったままで成人した。 恐らく中学生の時から覚え始めたであろう強い性欲に、横川がどの様に対処したか、俺には分からないが、多分女の肌を知らない童貞のままで、大学生になったのだと思う。そして、彼の女性観を覆す事件が起きた。多分、ずっと年上の、彼にとっては母親のような女性に挑まれ、関係を持ったのであろう。忌まわしい想像を逞しくすれば、相手の女性は義母その人だったかも知れない。その時彼は、その年上の女性に犯された、と感じた。肉体的だけでなく、精神的にも。それから間もなく、学友に唆されて、生まれて始めて商売女を経験した。それと前後して彼は去年の失恋の相手、仮に L と呼んでおこうか、その L と巡りあったのだ。 裕福な家庭で伸び伸びと育った彼女は、快活で陽気な印象を与える、理知的な美人だった。二人は急速に接近し、自他共に許す恋仲となった。 横川は L の美しさに限りなく魅了され、彼女の示す好意と優しさに酔った。昼も夜も、L と一緒の時も離れている時も、彼は彼女の事だけを考え、心の内側に恋人の全てを所有していると感じる事が出来た。また同時に、彼は彼女から感じ取ることの可能な、ありとあらゆる女性的な物を、雛鳥が親鳥の嘴から餌をついばみ、貪り食う時の様に、貪婪なまでに必死に、余すところなく受け止めたいと努めた。 L に対する、その様な息苦しい程の異常な思い入れが、彼の態度をどこか不自然でぎこちないものにしないでは、おかなかったのだ。 横川は、L を恋し始めた瞬間から、恋人との身体的な接触を、それがチョッとした手や肩の触れ合いであっても、無意識に、恐れていた。そして彼女を深く愛すれば愛するほど、その 恐れ の意識もまた異常に強く育った。 異常な初体験と、引き続く商売女達との体験によって齎された女性の肉体に対する強い羞恥心を、病的に亢進させていたからだった。恋人の白い手にそっと触れ、その細い肩を優しく抱き寄せ、唇に接吻したい。横川は、そんな衝動に駆られた時に、そうすることによって L を失うのを虞た。若い恋人の極めて自然な行為も、L に対した場合には、相手の汚れを知らない心と身体の美しさへの冒涜行為の如く思われたのだ。 この様な奇妙で、不自然な心理状態を間違いなく正しいのだと錯覚する程に、それ程劇しく純粋に、そして一途に彼は彼女を愛したのである。が、そんな独りよがりで狂的な青年の恋心を、女性に理解しろと言うのは酷というものだろうか。 やがて、その当然の帰結として、しかしながらそれを L の裏切りと感じるような形で、二人の恋に破局が訪れた。 横川は一気に、驚愕、憤怒、悲嘆、疑惑などの、嘗て経験したことのない激しい感情の渦の中に、巻き込まれ、翻弄され、遂には深い絶望の淵に沈んだ。彼はその絶望の底でも尚、心の痛苦に耐えてもがき続けた。L の不実を呪い、我が身の不運を嘆いた――。 何もかも、誰も彼も信じられない気持だった。同時に、己の無力さに思い至り、生まれて初めて感じる劣等感に苛まれ、自虐的な自己嫌悪に襲われた。また、自分自身がひどく見窄らしく、ちっぽけに感じられ、そういう自分が救いようもなく哀れだった。彼はその時ほどの強烈な孤独感を味わったことがなかった。孤独、孤独、孤独、どこまで行っても孤独の連続…。 横川を立ち直らせたものは、彼の若さだったのだったのだろうか、それとも、時間の経過がもたらす心の治癒力、乃至、精神の浄化作用だったのか、ともかく二ヶ月後の彼はある日の朝にまるで憑物が降りた如くに、穏やかで平安な心に戻っている自分に、気がついた。 あれ程の心の動揺と苦痛とが、まるで嘘のようであった。そんな横川の心理状態を確認したかの様に、松村氏が彼に、明子との見合い話を持ち出したのだった。
2021年06月28日
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それにしても、俺が早くから直感していたように、横川と明子の二人の間は何という危うい、曲芸的・アクロバティックな状態で、結びついていることか。 一方の徹底して即物主義的な物の考え方と、もう一方の、適度に心情主義・センチメンタルな考え方とが、等価で均衡を保っているのだから。 余りにまで対蹠的なので、またその両者が男と女なので、常識では考えられない、奇跡に近い人間関係が成立可能になっているのであろう。 俺はその時に、横川と明子の事をそんな風に理解して、それまで殆ど無関心でいた二人の一種奇妙な関係に、興味と関心を持つようになった。 横川と会ってから三日して、珍しく叔母の家を訪ねて、叔母や明子に会って見る気になったのも、半分以上は意地の悪い野次馬根性からであったが、俺自身のこのような考え方が果たして正しいのかどうか、確かめて見たいという、俺としては稀にしか湧かない謙虚な気持も、幾分かは働いていたことも事実だった。 しかし案の定、明子本人は勿論、叔母も横川の本質を何も理解していなかった。二人に相応しい仕方で横川を理解し、評価し、そしてその結果に対してこの上もなく満足していた。唯々単純に、心の底から喜んでいるように見えた。 横川が失踪した事を松村氏から知らされた俺は、そんな事柄をぼんやりと思い返していた。 相変わらず横川の行方が皆目掴めないままの状態で、三週間ほどが経過した。日数が経過するにつれて、横川と明子の月下氷人役を演じた松村氏の立場が、特に叔母や明子の側の、実に陰に篭った非難にあって、甚だ具合の悪いものになりつつあることを、俺は知った。 何かの話のはずみに松村氏が叔母や明子の前で、横川の例の失恋事件に言及したことが、その発端だったらしい。横川の失踪に関し、明子の側からは原因になるような事が全くつかめないいでいるところに、松村氏の発言があった為に、大勢が一気に傾いてしまったのだ。 今度の横川の突然の失踪は、去年の秋の失恋事件が原因であり、彼が前の恋人への未練を断ち切れずにに、婚約者の明子を裏切って蒸発した。もしかしたら、その前の恋人とよりが戻って、二人は何処かへ駆け落ちをしたのかも知れない。充分考えうる事であり、もしそうだとすれば全くの謎が、忽ちに氷解する。 そうかも知れないが、そうに違いないになってしまった。そう断定した叔母と明子は今度は、それまでモヤモヤしていた不満と怒りの感情を、松村氏に向けて爆発させたのだ。 そんな重大なことが横川にあった事を隠し、しかも聞けば、三ヶ月足らずしか日数が経たない時期に、横川を明子に見合いさせるなんて、松村さんは一体どういう気なのだろうか。そんな無責任な人の気が知れない。―― 今や完全に不幸な被害者の立場に立った叔母たちは女特有のヒステリー的な制裁と復讐の念に凝り固まって、根っからの善人である松村氏を執拗に苦しめたのである。 叔母や明子にとって自分たちに不当な損害を与えた者は、相手が誰であっても、その瞬間から許し難い敵に変化する。 たとえ純粋に好意や善意から出たことであっても、結果が悪ければ、それに何ほどの価値があろうか。悪意だろうと、憎しみからだろうと、好結果がもたらされるのなら、それでよい。「人生意気に感ず」などと言った言葉は、人生の落伍者や負け犬が往々にして吐く、戯言にしか過ぎない。 そういう叔母たちの論法からすれば、松村氏の示した善意など迷惑この上ない、糞の役にも立たない感情であった。叔母にとってもう一つ気に喰わない点があった。それは横川の家の態度だった。最初から横川と明子の結婚話にあまり乗り気な態度を見せず、むしろ親としては冷淡に過ぎると思えるような様子だったが、婚約の直前に母親が横川とその兄の実母ではなく、父親が二度目に結婚した相手であることを、聞かされたのだった。その理由が了解出来たと同時に、こちらが片親だという引け目が幾分でも薄らいだ気がしたものだったが、今度の様な事態になっても横川の親が、叔母の所に一度も挨拶に出向いて来ないことが、叔母には面白くないのだった。 そんな感情も付け加えられて、松村氏が叔母の店の大事なお客の一人でなかったなら、慰謝料の請求をしかねない、機嫌の損ねようだった。 しかし明子に就いて言えば、精神的には少しも傷ついてはいなかった。即ち、こうなった今、その事によって少しも不幸にはなっていない。彼女は少し損をしたくらいにしか感じていない。が、代わりは直ぐに見つかるだろうから、そんなに悲しがることはないと思っているのだ。 「僕は今度のことでは、横川に完全に裏切られたという感じがするのだ。あんなにも、心を許しあったと思っていたのに、駄目だったんだな、結局は」 松村氏と俺は、局の近くのスナックで、ウイスキーの水割りを飲んでいた。 「僕は最初のうち、横川は決して僕を裏切らないだろうという確信していた。だから、少なくとも、僕だけには本当のことを手紙なり、電話で、知らせてくれるだろう。そうしたら、どんなことでも横川の為にしてやろう。そう思い続けていたのです」 現在では松村氏も殆ど、横川の蒸発の原因をあの失恋事件との関連の中で、捉えていたのだった。 「しかし、横川くんをもうちょっと骨のある、一人前の男として、責任ある行動の取れる人間だと思っていましたよ。いや、横川の苦しい立場も十二分に分かります。彼も、よくよく苦しかったのでしょう、きっと。だけど、苦しいからこそ頑張らなくっちゃあ。本当に苦しい時こそ、人間の本当の価値が決まるのではないのですか……。本当に苦しみ、本当に困った時こそ、僕のような存在が必要だったんじゃないのですかねえ。その為の友情だった筈なのに、横川君は、最後の土壇場で僕の信頼を見捨てた。つまり、彼にとって僕は本当に信頼するに値しない男だったわけだ。こんな悲しいことがありますか、よりによって横川に裏切られるなんて…」 年甲斐もなく 友情 などという青臭い美徳を信奉するなんて、罰が当たって当然の事なのですよ。俺は、酔いに乗って多分に感傷的になっている松村氏の、大甘な内容の言葉を聞きながら、心の中でそう呟いていた。がその次の瞬間、横川は松村氏を裏切ってはいない、少なくとも、松村氏が今言った様な意味では、裏切ってなどいない、と、殆ど確信に近い形で考えている自分に気がついて、愕然とした。 ―― 確とした根拠などはない、単なる俺の妄想的な想像にしか過ぎない、しかし俺は、そう考えることで、横川に「してやられた」という、或る焦りのような物を感じたのだ、それは、世界に人多しと言えどもこの俺にしか描き得ない、想像世界だった、簡単には否定し得ない、その癖にひどくバカバカしい、とても信じ難い、現実離れした世界の想像図だが、その白昼夢は気味悪いほどに拡大して、時間が経つに連れて、或る確固とした現実感を持ち始めていた……
2021年06月25日
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謂わば一点非の打ちどころがない独身男性であるから。 叔母や明子の側から問題がなくとも、横川の方は一体明子の、どのような部分に惹かれているのだろうか? 明子の物の考え方の狭隘さを別にして考えた場合でも、彼女はどう贔屓目に見ても、世間一般の平凡な娘でしかないと、俺には思える。常識的に考えれば全く不釣合いな組合せであった。だから、松村氏の喜びにも拘らず、俺は明子なんかに横川はもったいないと感じたし、二人の交際もそう長くは続かないと考えたのだ。 だから、四月になって明子と横川が秋に式を挙げるべく、正式に婚約したと聞かされた時には、少なからず吃驚したと同時に、横川に対して失望感に似たものを覚えた。 何故ならば、自分でも気づかないうちに、横川の中に自分と近い物を感じ、彼の存在を強く意識して行動していた節があるからだ。謂わば同類意識のような親近感だった。で、俺は彼に対する自分の期待感のようなものが、なぜか裏切られたように感じたのに相違なかった。「奴も、結局は世の中に大勢いる 俗物 の一人にしか過ぎなかったわけか」、俺としたことが少々買い被り過ぎてしまった…。俺は自嘲気味に独語して、一人苦笑いした。 しかし、男と女の問題なんて言うやつは、こんなふうな塩梅で万事運ばれているのだなと、非常に漠然と合点が行った様な気もした。 春といってもまだ肌寒い、四月の雨の夜に俺は予告もなく、突然に友子の部屋を訪れた。彼女の部屋のあるマンションの近くでタクシーを降り、公衆電話からダイヤルすると、俺の予想を裏切って、直ぐに受話器が取られ、友子の声が聞こえてきた。友子は嬉しさを隠そうともせずに子供のように燥ぎ、一種の興奮状態で俺を出迎えた。友子と会うのは去年の暮れ以来のことであった。 その夜、友子に会いに行った俺の目的は友子と 別れ をする為だった。口に出してそれを言う心算だったのだが、口に出してそれを言う心算の予定が狂ってしまった。とうとうそれをせずに友子の部屋を翌朝出てしまう結果に終わった。 さよならを言っても言わなくても、その事自体はさして重要ではない。これから俺が友子に会わない時間の長さが、最も確実に俺のサヨナラを友子に伝えることだろう。 彼女にとって俺は一体何なのだろうか? 俺はただ彼女に対して純粋に男でありたいと願った。しかし友子は俺を「男」から「夫」に変えたいと欲しだした。それは彼女の世の中に対する虚栄心以外の何物でもなかった。結婚、俺との正式な結婚生活を夢見る友子は、紛れもなく世間一般の愚かな女だった。俺はそういう彼女を今でも責める気は少しもない。むしろ、女としては当然の考え方だとさえ思いもする。しかしなのだ、にも関わらず俺は彼女とは「結婚」したくない。 それは、彼女の好きな言葉を借りれば、俺が嘗て彼女を愛したからであり、尚且つ、現在も愛し続けているからなのだ。 友子と別れるのは、二人の大切な思い出を傷つけ、壊したくないから。彼女への純粋な愛情を大切にし、むしろ愛おしむ為である。友子よ! 我が愛しの女性よ、世間並の結婚を望むのなら、俺以外の男を選ぶがよい。 これが、何時いかなる場合でも、冷静に計算し、間違いなく行動する、俗物根性と、打算とを合わせて持つ俺という男の言い分なのだ。 六月、梅雨期に入ったせいか、二三日ジトジトした雨が降り続いて気分が晴れないでいる時に、松村氏から俺は電話で、横川が失踪したことを聞かされた。 横川は、いつものように会社に出掛ける様子で家をでたまま、もう二三日感も行方不明だと言う。家族の者や友人にも、明子にも、勿論松村氏にさえも、そして、会社の誰にも何も告げずに書置きの手紙のような物さえ残さず、彼は姿を消してしまったのだ。 俺は、ひと月ほど前に局近くの喫茶店で、横川と一時間ほど雑談する機会を持った。俺の方は書き上げた原稿を松村氏に渡してしまった後だったし、横川も仕事が一段落したところだと言って、局の廊下で偶々顔を合わせた俺を、お茶に誘ったのだった。 その折の横川は本来の彼らしく、明るく、快活で、楽しげであった。話題は自然、明子のことになった。彼の明子について語る口調には、少しも浮ついた所がなく、それでいて、その内容はまさに恋する若者のそれであった。俺はその時も、彼が明子をそんなにも強く、純粋に愛している様子を見て、実際のところ戸惑ってしまった。 「明子の、一体、何処に惚れたのですか?」、こんな俺の、悪意と皮肉を込めた嫌味な質問に対してさえ、横川は微笑を口元に浮かべながら、穏やかに答えたものだった。 「そうですね。惚れたというよりも、最初はむしろ同情したと言ったほうが、正しいでしょう。彼女をよく知っている貴方だから率直に言えるのですが、同情して、そして惚れたのです。尤も今じゃあ、もう首ったけですが、はっは、はははは……」 俺は横川のその発言を耳にした途端にその時までどうも腑に落ちなかった彼の明子に対する、姿勢の全てを了解できたと思った。そしてそれを、いかにも彼らしいと感じた。
2021年06月24日
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「越後屋」は松村氏が行きつけの店の一つで、こぢんまりして静かな雰囲気を醸しているので、気楽な会話を楽しみながら、一杯飲(や)るのには好都合な場所だった。以前にも松村氏に連れられて二三度来たことがあった。 カウンターの前に並んで席を占め、二人は日本酒を飲み始めた。一時間ほど経った夜の七時半頃に、ひと組の若い男女が入って来た。男は横川であり、俺にも軽く会釈すると、松村氏の脇に腰を下ろした。連れの女にも俺は見覚えがあったので、一瞬注視すると、その若い女が驚きの声を発した。 「あらっ、公三兄さんじゃありませんか」 女は従妹の明子だった。明子は、俺が大学時代に下宿していた叔母の娘で、俺を呼ぶ時に「公三兄さん」と言うのが当時からの呼び癖であった。 俺も驚いたが、松村氏も横川も同様に意外と行った表情をした。 俺が明子との間柄を二人に話すと、今度は松村氏が横川と明子の取り合わせを説明する番だった。 俺の叔母、つまり明子の母親は銀座で小さなクラブを経営して、自分で店のママをしているが、その叔母の店の十年来の常連で、その種の店では稀に見る信頼の置ける堅実な客だったようだ。二三年前から一人娘の明子の結婚相手を探してくれるように、叔母からそれとなく頼まれていたが、明子が去年の春に短大を卒業したので、今度は本格的に結婚相手の事を考えて欲しいと、叔母から改めて真剣に頼まれたらしい。それで横川と明子は今年の正月に、松村氏の紹介で知り合ったばかりの関係であった。 「お見合いというような堅苦しいものではなくて、二人の交際のキッカケを作っただけなのですよ、僕は」 三十分ほどして、横川と明子が店を出て行った後で、松村氏が俺に言った。 二人は松村氏の仲介で見合いをして、目下交際の最中であり、今夜は偶々その交際の謂わば途中報告という形で、松村氏の居る場所に立ち寄ったわけであった。 俺は、叔母が大嫌いであった。いや、正確に言えば、毛嫌いして、好きになれなかったと言うべきかもかも知れない。母親に幼くして死別した俺は、人一倍母性というものに憧れ、母親的な愛情を渇望していた。だから、叔母を知る前の俺は、母親の実の妹だという理由だけで、会ったことのない東京の叔母に密かな恋慕の情をさえ抱いていた。 俺がその叔母に最初に会ったのは、中学二年の時である。しかし、美しく着飾った若い叔母は俺のイメージと違っていた。確かに微笑を顔に浮かべ、優しい言葉付きで俺に話し掛けてくるのだが、妙に和み難く、懐に入り込むことを冷たく拒む何かが常に付き纏い、傷つきやすい少年の心を悲しませた。その感じを当時の俺は上手く言い表す事ができなかったが、「この人は肉親ではない、赤の他人だ」と思った。叔母の俺に対する上辺の優しさとは裏腹な、本質的によそよそしく冷淡な態度は、俺が大学に入学して叔母の家に下宿するようになってからも変わらなかった。 大学時代の俺は極力叔母の生活にかかわり合いを持たないように努めた。叔母が銀座でクラブを経営しているらしいくらいは知っていても、店の名前や場所さえ知らずに過ぎた。だから、叔母の一人娘である従妹の明子の生活にも殆ど、関心がなかった。 当時、叔母の家の住人と言えば、叔母と明子とお手伝いの女性、それに俺の四人。俺が大学生になってから郷里の父親から聞かされたのだが、叔母は明子の父親とは死別したのではなく、明子が生まれてから二年程で協議離婚したのだと言う。 片親のない寂しさを知る俺は、自分の体験から明子に同情していた。まだ中学生だった、どこか陰のある少女の明子に「公三にいちゃん」と呼ばれる時などは、実の妹に対するような感情にとらわれることもあった。にも関わらず、叔母に対してと同様に、明子を本当には好きになれなかった。 明子に会うのは何年ぶりだろうか、すっかり娘らしくなって、結構美しくもなっている。 「そうか、あなたがあのママの甥御さんだったとは…、本当に奇遇ですね」 上手くいっている二人の様子に、松村氏はすっかり満足しきっているようなのだが、明子の人となりを知っている俺は、早晩、明子が横川から愛想を尽かされるだろうと、心の中で思った。叔母は現在の職業がそうさせたのか、生来そういう性格だったのか、徹底した物質主義・金銭至上の亡者だった。 叔母はこの世を渡る上で、信ずるにたるものは お金 と、お金に裏打ちされた権力だけであるという、確固不抜の信念を以て、自分の全行動を貫き通している。 従って、叔母が他人を評価する基準は目に見える容貌・肩書き・社会的な地位・権力・財力・収入とかいう 外見 だけである。 叔母の娘である明子はもっと徹底して金銭中心主義の考え方に、凝り固まっている。明子は愛情とか善意・好意と言った精神的なものは、それが具体的な行為や行動となって表現されなければ、一切認めようとはしなかった。彼女は自分に百円呉れる者よりは、五百円呉れる者の方が差し引き四百円だけ余計に愛情を持っていると判定する。そういう意味で、明子の思考の原理は単純であり、且つ明快だった。 叔母や明子の目から見た横川は、そういう意味では理想に近い結婚相手だと言える。横川はハンサムだし、長身だ。言葉遣いや物腰が洗練されていて、嫌味がなく、育ちも良い。一流大学出の秀才で、父親はお堅い金融会社の総務部長、しかも彼は次男だと言う。おまけに、世間での評価の高いテレビ局の幹部候補生という折り紙付きだ。
2021年06月22日
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全く独立した男と女の、全く純粋な行為であったからこそ、俺は、そして恐らくは友子も、蕪雑さを排して純粋な陶酔の極に達し、絶対的な絶頂感を味わい得た。そう、今でも俺は信じている。 そうした二人の関係に、友子が 愛情 という手垢に塗れた感情を持ち込んだ瞬間から、二人の 楽園 は崩壊して、失われてしまったのだ…。 が、そういう彼女を、俺は咎め立てしようとは思わない。それどころか、俺は心の片隅では限りなく愛おしみ、過ぎ去ってしまった二人の楽園に熱い惜別の涙さえ流している。そして、この俺にはおよそ似つかわしくない感傷的な感慨に、ともすれば陥りそうになる。しかし、俺は夏以来知子とは別れようと考えている。 深夜、一日手厚い歓待を受けた松村邸を辞し、気持ちの良い秋風が夜の闇の中に落葉散らしている郊外の歩いて、俺は帰路についた。もうあたりはすっかり夜霧の深い海の中に沈んで、私鉄の駅までてくてく歩いて行く俺の影だけが、虚ろな実体のない存在のように感じられる。そこにはまだ自然が確かに実在していたからだ。俺は住み慣れた都会の喧騒と煤煙の中へ、人々と、重苦しく澱んだ空気のある大都会へと急いだ。 十二月から正月、二月にかけて俺は仕事に忙殺された。この三ヶ月間だけで、一時間物九本、内アクションもの四本、ホームドラマ三本に時代劇二本。三十分もの八本、内ホームドラマ四本、コメディ三本、それに十五分の昼帯を三週間分という、新人のライターとしては驚異的な分量をこなしたことになる。 おまけにどの作品も出来は悪くなく、評判も上々だった。俺は民放テレビドラマのシナリオを書く骨を完全にマスターしたという自信を深めた。 一月の末に珍しく近藤から電話があり、「シナリオ界に輝かしい新星が彗星のごとくに登場だね」などと皮肉を言っていた。電話の様子では、仕事の依頼がさいきんめっきり減ってしまったので、生活も窮迫し、ひどく苦悩している様子だった。 利用できるうちはトコトン利用され、用が無くなったら即座に切り捨てて、見向きもされない。シナリオライターばかりではない、流行歌手や芸能タレントなど、現代社会では才能も消耗品化されてしまう。ありとあらゆる利用価値がお金に換算されてしまう。 何も今に始まったことではない。昨今ではお金が全てだ。金銭が人や物や、その他の諸々もの全部を支配している。弱肉強食という生物界の掟は、原始の昔も、今もちっとも変わっちゃいないのだ。 近藤秀介はそのちょっとした才能に支えられて、一時的に流行作となり、強者の仲間入りが許された。然し、才能は消耗品だから、当然に激しい消費に耐えかねて、摩滅し尽くしてしまった。そして近藤は現在一個の弱者の立場に転落してしまった。謂わば自業自得なのだ。俺が少しばかり今の近藤に哀れみを掛けた所で、我々が現に生きている社会そのものの冷酷非情さの前では、何の役にも立つまい。 所詮、人は、人それぞれに己の宿命を背負って自分自身の人生を生きなければならにのだ。少しばかり強者になりかけている俺にした所で、より以上の本物の強者が出現したら、ノミかシラミ同然、強者等とは身の程を知らない、愚者の戯言にしかすぎない。 嘗て近藤から受けた恩義のことを他人は言うだろうか。しかし俺は、「恩義」などという時代錯誤も甚だしい死語に引け目などは感じていない。彼はあれの才能を自分の便宜のために利用しただけなのだから。俺はただ近藤の二の舞を踏むまいと自戒すれば事足りる。 三月のある日、松村氏と四月から始まる新番組のの脚本の打ち合わせの為に、氏に誘われて新宿の小料理屋「越後屋」に行った。
2021年06月21日
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人間は 神 にもなれれば、虫けらにもなれる可能性を持った存在だという認識を持つことが、大人になることだとすれば、人に生まれて大人になるということは、随分と辛く、悲しいことではある。 辛くても、悲しくても、人はいつか必ず、大人にならなければならないのだ。 横川程に知性も教養も人並み以上に優れた男が、こと女に関する事柄に関しては、少年の域を出ようとしなかった。 それは彼の怠慢であり、人生に対する甘えにほかならない。そう俺は断定しないではいられない。もっとも彼のそういう点での甘さこそは、横川の育ちの良さを証明する、何よりの証拠でもあるから、俺のような品性下劣な人間は、彼を精神的に幼稚だと嘲弄してばかりもいられないわけだ。 横川とか松村氏とか、こうした善良な人たちと付き合っていると、何だかこの世界が楽しく感じられるような気がするから不思議だ。ほんの瞬時ではあるが、人間が信じられるような気になってしまう。 人はいとも簡単に人を殺してしまうから、人間性の尊厳だとか、人命は何物にも代え難く尊い。人の命は地球よりも重い、などと、厳しい御託宣めかして戒める。 歴史上の事実を見ても、毎日の新聞記事を読んでも、虫けらの人間が、虫けらの相手を殺戮・殺傷し続けているではないか。我々の世界で、殺人行為程に日常茶飯で、普遍的に見られる行為は、ほかにあるまい。 しかし、「臭いものには蓋をしろ」とはよく言ったものだ。人々は、ごく当たり前な事を忘れたフリを装い、繰り返し、飽くことなく人命の尊重を説くことを止めない。「人を殺した者は、殺される」、この原始的な制裁法は現代の社会でも生きている。 文化には進歩という事があったとしても、人間性にはそれは無い。 俺を含めて、人間は全て虫けらと同じ存在だという認識から出発して、虫けらでありながら、虫けら以上の存在になりたいと志向する虫けらが、即ち人間である、という認識に至る。だが、虫けらはどこまで行っても虫けらであることを止めはしない。 俺の中に棲む虚無感は、この虫けら性に由来し、又、俺の持つ尊大無頼な態度も、この同じ虫けら性の自覚に、その源を有している。そう言ったら、余りにも自己弁護し過ぎるだろうか……。 俺はまたぞろ、友子のことを思った。彼女は人気の美人テレビタレントであり、容貌も肢体も飛び抜けて人に秀れ、収入も抜群に多く、裕福な生活を維持できる程のものがある。その上に、数多くの男友達を持ち、同性の取り巻きにも事欠かないでいる。更には、彼女は超多忙な毎日を送っている。が、果たして、彼女は今幸福なのか……? 一般的な意味合いで言えば、彼女の年齢で、彼女のような状況にあるならば、つまり、金銭的、物質的な豊かさという点で、至極幸福であると言わざるを得まい。 しかし、実際の、俺のよく知っている友子は、幸福なのか? いや、彼女は自分自身を幸福だと感じているのだろうか? 答えは、ノーである。何故なのか…。それは本人にも分からないだろう。 友子は世界一不幸な女だとも言えるだろう。それでは友子は、俺と出会ったことで不幸を少しでも改善出来たのか。それも答えは簡単明瞭、ノーである、残念ながら。 俺を知ったことで、彼女はなお一層不幸になったとも言えるだろう。これも、残念至極なことだが。彼女は俺を知ったことで、以前にも増して不幸になった。 しかし更に不幸なことに、彼女は俺と生活を共にすることで、幸せを掴めると期待し始めているのだ。それは紛れもない事実であった。その知子の幸福への期待感は、無意識ではあっても、祈りのような切なさを感じさせずにはおかないのだが、他人事のようではあるが、俺にはどうすることも出来ない性質のものだと、感じている。 ただ、知子のそうした過度な期待が、俺には非常に重荷に感じられてならない。それは嘘ではない。俺は彼女との間にかつて持った共通の体験以外のものが、介在して来るのを極度に恐れている。曰く、純粋な愛情。 最近、友子が使い出した 愛情 という言葉を、俺は極度に嫌悪した。二人の間には、そもそも愛情などと言う感情は存在していなかったし、そんな感情など無くとも二人はベッドを共にし、無我の境地を共有する事が可能だった。 むしろ愛情などという砂糖菓子の如きやわなものが介在しなかったからこそ、俺はあの最初の晩に、純粋に男で有り得たのだ。それは謂わば無償の行為だった。更に言えば、あれ程までに友子の中にのめり込む事が出来たのだ。世間で売春と呼んでいるものとも無論違う。 俺も彼女もお互いを金で売ったり買ったりはしなかった。しかも、ただそれだけに留まらない。二人の間に金銭の授受がなかっただけなく、二人は精神的にも対等な位置にあり、支配と従属の関係は微塵も存在しなかった。
2021年06月18日
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「あなたも知っている横川のことなんだが、最近失恋をしましてね」、「失恋ですか、随分とロマンティックなんですね」、「いやあ、当人にしてみれば、そんな暢気なことは言っていられないんだな。相当に手酷いショックを受けたらしい。今日、横川にも声を掛けたのだが、そんな事情があって、ことわってきたのです」 松村氏の語るところによると、横川の失恋というのは、こういう話であった。 横川には学生時代から付き合っている年下の美しい女性がいた。彼は改まって自分の恋心を告白したことはなかったが、その女性が自分の気持ちを理解してくれているものと、思い込んでいた。彼の恋は純粋にプラトニックなものであったらしい。それだけに横川の恋情は激しく、一途なものがあったらしい。 彼には多分に古風な所があって、何でもない女性に対してはごく普通に冗談なども気軽に口に出来たが、その恋する女性に対しては、自分でも歯痒いほどに、ぎこちない態度を取ってしまう。それを、相手の女性は彼が自分に対して少し冷たいと、感じていたようである。 横川は大分以前から友達に教えられた トルコ風呂 に通うこと覚えていた。罪の意識を感じることなく、気軽に生理的な欲求を処理できるトルコ風呂を、彼はむしろ遊びとして楽しんだ。そして、そういう謂わば便利で手軽なセックス欲の捌け口があったことが、彼のその恋人に対する徹底した禁欲的な態度に、拍車をかける結果となったようだ。彼は恋人の情勢に対する不自然さに、全く無自覚でいた。 そして、当然のごとくに、不幸な破局がやって来た。10日程前の夕方、横川はその美しい恋人が男と一緒に 連れ込みホテル から出て来る現場を偶然に目撃してしまったのである。それは彼にとって実に残酷な体験であった。彼は最初の絶望的なダメージが薄らいだ時、恋人と連れの男の事に関して、何とか口実やそれらしい説明を探し、正当な理由付けを試みたが、全くの徒労に終わった。 それは、恋人と男とが昼間の情事をそのホテルで持った事は、厳然たる事実だった。 が、それでも尚横川は、恋人のその様な行為が全く信じられなかった。その折の、二人の様子から見て、その時限りの偶発的な交渉とは考えられない。以前にも、同じような事が二人の間に繰り返されたに相違なかった。彼は、完全に裏切られたのだった。しかも、全く完膚なきまでに、物の見事にだ。 「女って、皆んな、こうなんでしょうか。そういう娼婦的な要素を、どんな女性も持っているのでしょうか?」 絶望の淵に沈み込んだ横川は、松村氏に、こう訊いたそうだ。 俺は、この話を聞いて、少しく横川に対して優越感を覚えた。女という異性に、極めて素朴な、青臭い、少年のような浅い理解しか持たない横川に対してだ。彼が通っていたトルコ風呂の女と、彼がプラトニックに恋していた金持ちの令嬢とが全く別の人種であるという考えは、恋という病に取り憑かれた男が等しく囚われる錯覚である。 男好きで淫乱な女がいて、それとは全く別個な存在として、純潔無比な貞女がいる。この両者は、全く種類を異にする人間である。 こうした女性観を、少年の日の俺も、かつて抱いていたことがある。しかし人は、様々な経験を経て大人になり、同時に、人間に対する理解を深める。 この世に在る人の数だけ、それぞれ違った人格があり、気質がある。実に様々な人間がいる。富める者、貧しい者、正直な者、邪悪な者、聡明な者、愚鈍な者、貞潔な者、淫乱な者……、などなど、いちいち数え上げていたらキリがないだろう。人間性とは、こうした雑多な属性の集積にほかならない事を、人は否応なく知ることになる。
2021年06月18日
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「これからこの近所で、人と会うのだが、よかったら一緒に来ませんか。なに、相手はうちの局の人間で、酒でも飲みながら駄弁ろうというだけですから、気を使う心配はないのです」 一寸、電話を掛けに席を立った松村氏が戻って来た時に、俺に言った。 松村氏に連れられて行ったスナック風の小さなクラブで俺は、松村氏と同じ局に勤める横川に紹介された。 横川は長身で、端正な顔立ちの青年で、俺と同年輩ぐらいに見えたが、後で聞くと俺と同じ大学の出でで、二年後輩と言う事だった。勿論、二人が顔を合わせるのは、その時が初めてであった。横川は初対面の俺にも気取りがなく、気さくに語り掛けて来た。 「僕は、松村さんの人柄と才能に敬服してまして、まあ年齢は十一歳も離れているのですが、まるで実の兄さんのように慕っているのです。僕には本当の兄が一人いるのですが、その兄とは全く気が合わず、赤の他人も同然の関係なのです。全く不思議ですね、人と人との関係と言うものは……。松村さんに対する僕の感情は、殆ど恋愛感情に近いものなんですよ。松村さん程のいい人を、僕は知りませんね。あなたも本当に良い人と知り合いになりました」、「おい、おい、もうそれくらいにしてくれよ。確かに、ここの払いは私が持つから――」、松村氏が笑いながら言った。 「ほらね、僕が言ったとおりでしょ、ハッ、ハッ、ハハ」 俺もつられて笑った。横川の語調は穏やかで、態度にはまるで嫌味がなく、自然だった。育ちが良いというのは横川のような人間を言うのであろうと、俺は感じた。俺が同性に自然に好感を抱くのと、珍しい現象であった。 松村氏と横川の間柄は、会社の仲の良い先輩と後輩という域を遥かに超えていた。二人は年齢とか社会的な立場、職業的な地位などの枠を飛び越えて、もっと人間的に結びついていた。このふたりの間には、普通の意味の利害関係は介在しない。唯単に、一個の友人として、対等な同志として付き合っているのだった。大袈裟に言えば、今の日本には有り得べからざる人間関係だと言えた。少なくとも俺が知っている限りでは。 ふたりの人間関係に対する俺の驚きには、異なった要素が混じり合ってもいた。一つは、その様な人間関係の在り方に対する、素直な羨望の念と、もう一つはその様な人間関係を支えている、松村氏と横川の間のバカバカしいまでの楽天性やお人好しさ加減に向けた、激しい侮蔑の感情とである。 しかも、その二つの全く相反する感情が共に強烈であったので、そのトータルな作用として、全く俺は二人に対して激しい嫉妬の念を禁じ得なかった。 そう、何時、いかなる場合でも俺は松村氏や横川程に、徹底したお人好しにはなれない。松村氏や横川達だとて何時でも、また誰に対してもあれ程に手放しでお人好しであるわけではあるまいが。この自信家を誇って来た俺が、他人の行動や人間関係を常に上から見下ろし、皮肉で批判的なポーズをとり続けているこの俺が、松村氏と横川に鮮烈な引け目と劣等感を味わわされたのである。 俺は松村氏との仕事を立派にやってのけた。今回、松村氏が新たに手がけた時間帯、水曜日夜九時台の六十分枠の娯楽アクションドラマ「炎の男」の三分の一以上は俺の脚本が採用された。そして、土曜日の夜八時台のホームドラマ「ハッスル一家」は、ここ二年間常時高視聴率を保ち続けて、松村氏のプロデューサーとしての地位を確固たるモノにした東洋テレビ随一の看板番組であったが、その脚本も俺に書くようにチャンスを与えてくれた。俺は脚本の執筆に全力を傾注した。 知子からは時々連絡があった。局のロビーや、銀座の喫茶店で顔を合わせることもあった。しかし俺は冷淡なくらい無愛想に知子に対して振舞った。友子は最近かなり売れていて、深夜のショー番組で司会者の相手役を勤めて人気と好感度を更に高めていた。 松村氏の招待を受けて、郊外に近い静かな住宅街にある松村邸を訪ねたのは、秋も大分深くなった十一月の中旬頃であった。 松村氏の奥さんは小柄で、明るい感じのする美人だった。三十四五歳であろう。 松村氏の家庭は平和でゆったりして、全て満ち足りた和やかな雰囲気に溢れている。仕事のできる善良な夫と美しい貞淑な妻、礼儀正しい聡明な子供達、快適な住まいと庭、平和な文化国家日本を象徴するような理想的な家庭ではないか。 そのどれもが、俺とは無縁な存在である。俺はこの家を偶々訪れた唯単なる客にしか過ぎない。俺は友子のことを頭に浮かべた。そして友子と結婚して、このような家庭を築いた時の事を想像してみた。が、それは困難な不可能に近い作業であった。俺には松村氏の立場にある自分を想像することすら出来ない。そんなことを考えるなんて、全く馬鹿げていた。ナンセンスな事だ。 しかし、結婚生活の名に値するのは、おれが今目の前にしている、松村氏夫妻のそれ以外には無いはずだし、幸福な結婚生活こそは人生の精華であり、人々が皆渇望し、憧れて止まないものではないか。それなのに俺は、少しも羨ましいとは感じない。 俺はごく幼い頃から、ごく普通の家庭の味というものを知らなかった。物ごころ附いた頃には俺の家庭には義母と言う赤の他人が侵入していたからだ。 子供の頃には、友達の家庭を悲しくなる程に羨ましいと感じていたのに、しばらくぶりで幸福な家庭を目の当たりにしながら、少しも心の動揺を受けず、また少しも不幸ではなかった。それは俺がもう一人前の大人になったからだろうか。しかし、大人の俺は妻を娶り、子供を儲け、、自分自身の家庭を築く必要がある。とすれば、松村氏の家庭こそこの俺が手本とすべき模範ではないか……。俺は又もや友子を思った。―― あたしは、あなたの何なの。セックスだけなのかしら、あたし達ふたりの関係って…、二週間前、久しぶりで知子の部屋で一夜を過ごした時に友子が言った言葉が、耳に蘇り、脅迫するように胸に堪えた。その夜、俺は知子と会う場合にはいつもそうであったように、ひどく深酔いしていた。したたかに酩酊して、正常な知覚が麻痺した状態で、突然に思い立って電話し、会い、ベットを共にし、朝になって別れる。部屋を出た瞬間には、彼女のことを全て忘れてしまう。されが、知子との付き合い方だった。
2021年06月15日
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女に対してもそうだった。百八十センチ程の長身で、肩幅が広く、足の長いプロポーション、フェイスもまあ二枚目の部類に属し、私立の一流大学の学生である。大多数の女に好意を持たれる基本的な要素を備えていたし、元来がマザーコンプレックス的な傾向の強い俺は、大体に於いて女に優しかった。 当然のように俺は、多くの女と肉体関係を持った。が、結果的には俺はその相手の誰に対しても夢中になったり、溺れたりはしなかった。 その女たちが一様に欲したのは、若い俺のフレッシュな肉体であり、決して俺のユニークな精神ではなかったから。 俺は人が友情とか、恋愛とか呼んでいる、個人と個人の精神的な結びつきに対して、非常な懐疑の念を、子供の自分から抱いていた。 しかし、上手く世を渡って行くテクニックと言うか、生活上の処世術の知恵としては、あたかもその男に対して親愛の情を抱き、その女に対して純粋な恋愛感情を抱いているかの如くに振る舞うのが、何にも増して大切なことだという事を、謂わば本能的に俺は会得してもいたのだ。 大学の同級生の紹介で、俺が近藤秀介を知ったのは、大学三年の秋だった。 近藤は当時、売れっ子の若手ライターだった。映画とか演劇には子供の頃から興味を持っていた俺は、生まれて始めて書いたテレビドラマ向けのシナリオを近藤秀介に郵送した。お前さんが書いているようなものなら、素人の俺にでも簡単に書けるぞ、と言った悪意に満ちた挑戦状のつもりだった。 近藤はその作品によって俺の才能を認め、その才能を伸ばしてやろうと考えたのか、或いは単に即戦力として使える当時の近藤にとって重宝な存在だったのか、これが契機となって俺は新進気鋭の脚本家・近藤秀介の仕事を手伝うようになった。 最初の半年程は、近藤が書き飛ばした原稿の整理や、清書が主だった。特別に面白くはなく、むしろ退屈な作業だったが、学生アルバイトとして非常に割の良い仕事と言えた。 慣れるに従って、俺が近藤の代作をするようになった。俺が書いた作品に近藤が手を入れるというのではなく、殆どその儘で、名前だけ近藤が自分自身のものを記入して発表した。 近藤は大変な売れっ子で、テレビ映画、スタジオドラマなどを一時間物にして月に平均五、六本のペースで、三十分物が入った時には、月に十本を越すこともあった。 俺は、大学を卒業してから四年と数ヶ月、某出版社に勤めた。別にこれと言った目的もなく、ただ何となく楽に入れたので、その出版社に入ったのだが、、仕事は実に退屈なものだった。が、収入は新米のサラリーマンとしては比較的よい方だったので、俺は与えられた仕事を適当にこなし、専ら遊びの方に励んだ。そして当然に遊び相手の女にも不自由しなかった。 卒業と同時に叔母の家を出て、一人でアパート生活を始めていた。そして、生まれて初めて味わう一人だけの生活を俺は心ゆくまでエンジョイした。 だが、その一方で、俺は何となく物足りない思いでいた。サラリーマンで出世しようなどとは無論頭から考えてなどいなかったのだ。しかし漠然とした野心のようなものだけは、心の底でいつも蠢いているのだ。 何となくサラリーマンになり、何となく満たされなかった。物心が附いてからの俺は常に 何となく であった。その癖に人一倍の野心家なのであり、山師的な心情を温めていたのだ。 そんな時だった、銀座で偶然に近藤秀介に会ったのは。彼は相変わらず売れっ子でいたが、最近はスランプ気味だと言い、俺に自分の仕事を手伝ってくれと強く懇請した。 二三年でプロとして一本立ちできるように世話を焼くことさえ条件に持ち出しさえした。君の実力なら十分プロのシナリオライターとしてやっていけると、盛んに俺のことを持ち上げたりもした。俺は前に近藤の助手をアルバイトとしてやった時に、シナリオライターという職業が俺の性に合ったものだと感じたことを、思い出していた。 こうして、近藤と偶然の機会に再会したことが俺にシナリオラーターとして身を立てる決意をさせた。才能には自信があったし、ちょっとしたチャンスに恵まれさえしたなら、必ず自立出来、かなりの所までやれると踏んだ。少なくとも、近藤くらいの売れっ子にのし上がることは間違いのないことだと感じた。収入は悪くないし、時間的にも大分自由がきくし、サラリーマン生活などとは比較にならないくらいに快適な日常生活が約束されていた。 俺が近藤の仕事を、今度は彼の弟子として手伝うようになってから、近藤秀介の作品が再び周囲から注目され、注文が殺到した。 この一年間に評判を呼んだ近藤の話題作の殆どが、俺の手になるものであることを知る者は、俺と近藤の他にはだれもいない。テレビドラマのシナリオライターになる道は意外に狭く、限られているものだという事実を俺が知ったのは、つい最近のことだ。脚本家としての才能のある人間は、恐らく大勢いる思われるが、その作品を発表する場が極めて限定された狭いものなので、よほど幸運な者でないと、その才能は埋もれたままで終わってしまう。 更に、プロとして生活していくとなると、もう一つ違った才能が要求される。つまり、誰か自分にシナリオを書くチャンスを与え得る人物に接近して、その人物に取り入ることが不可欠だ。自分自身を先ず第一に売り込むことが出来なければ、プロとして通用しないし、生活は出来ない理屈だ。 それが証拠には現在売れているプロライターの大半が物書きとしての才能など少しも持ち合わせてはいないではないか。本当のことをズバリ言えば、今のテレビ界はライターに才能など要求していない。物を書く技術だけが必要とされているのだ。なまじ才能などという贅物を持ち合わせていると、バカを見る羽目に陥ってしまう。大多数の者が己の才能に自分自身が躓くからだ。何事も程々に、適当に、如才なく、要領よく立ち回るに如くはない。 どのような状況下であっても、必要とあらば利害得失を冷静に計算して行動できる者でないと、持てる宝物の才能も有効には生きてこないのだからして。 ともあれ、俺は最も実力あるテレビ局の大物プロデューサーの一人である松村氏に気に入られ、その上にその才能も認められつつあるのだ。 俺のシナリオライターとしての将来は、考えうる最も安全な手段で保証されたのだった。
2021年06月11日
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彼女は頻りに仕事に関する愚痴を、呂律のおかしくなった舌で、たった数時間前に会ったばかりの俺に聴かせるのだった。 「そう」、とか、「うん」とかばかりの相槌を打っている俺に友子は、業を煮やした如くに言った、 「あなたって脚本家の癖にハートがないのね。若い癖に無感動なのね」と。 「君も、そう思う」、「思うわよ」、以外に素直に彼女が言ったことを俺が肯定したので、拍子抜けがした様に、友子は俺の顔をじっと見た。「俺も、そう思うんだ」、「意地悪!」、そう言いながら友子は肩で俺の脇腹を押すと、そのままでもたれ掛かって来た。 「君は疲れているね。そう、いつも疲れている。君は本当は寂しがり屋なのだ。だけど、少し意地っ張なものだから、無理して強がりを言ったりしているのだ。だから、疲れる。芯は優しくて、根は甘えん坊なのだよ、君は……」 彼女は俺の言葉を聞きながら、両の眼に涙を浮かべていた。俺は彼女が泣き上戸なのをその時に知ることになった。 俺はふと、今夜はこの女と寝ようと決めた。その時まではそんな気は全然なかったのだが、酔っ払い、全身がダルく、帰るのが面倒になったのだ。 それから俺たちはそのスナックを出た。腕時計を見ると三時を回っていた。二人は深夜の路上をもつれ合うようにして歩き、近くの連れ込みホテルに入った。俺が「あんたと寝たい」と言い、友子がそこへ案内したのだ。 その夜、俺は久しぶりに燃えた。アルコールが回って身体は気だるく、頭も焦点を失った如くに思考が纏まらない。 したたかに酔いしれていたけれども、友子の身体の新鮮で強烈な感覚に、俺はゾクゾクするような戦慄と感動を味わった。 全く何年ぶりであろうか、俺が女と寝て、こんなにも感動したのは。始めは処女のように恥じらいを示していた友子の肉体が次第に弛み、融け、俺のリズムとぴったりと一致して来た。俺はこの上ない恍惚境を彷徨うようだった。俺だけではなく、友子も同様の境地に遊んだに相違ない。 それは遥かな原始の昔に、雌雄の二匹のアミーバーから進化した原生動物が合体して、一個の生命体になる瞬間に経験したであろう生命の歓喜、生命の根源から湧出する絶頂感のそれを錯覚させるような、一種神秘的な体験であった。 そうした俺の極めて個人的な体験は、裏通りに面した薄暗い安ホテルの、ジメジメとしたベットの上で演じられた裸の男と、裸の女のぶつかり合い、絡み合いに対する、余りにもセンチメンタルな、まったくもって子供じみた、馬鹿げた、そして最も俺らしくない、甘っちょろい少女趣味の感銘ではある。 急性のアルコール中毒症状を呈した俺の脳髄が夢想した、実に他愛のない幻想であると言えようか。しかし、その夜の情事が俺を完全に変えた。つまり、俺は友子に惚れていた。早熟な十代の頃から数多くの女たちと接し、そしてその故にこそ、女というものに絶望し、女に対する夢を全く失っていると信じ込んでいた俺に、友子は突然通り魔の様に襲って来て、心臓のど真ん中を差し貫いたのだった。 「なかなかいいじゃありませんか」、見ると、松村氏は既に原稿を読み終えていた。「そうですか……」、おれは純情な若者らしく、嬉しそうに笑ってみせたが、「出来」に関しては自信があった。 テレビ局のプロデューサーである松村氏が「いい」と言うことは、俺の書いたシナリオが基本的にはOKと言う事を意味する。後は、撮影現場の都合とか、出演者のスケジュール等による一寸した小直しの注文が、制作を請け負っている制作プロダクションのプロデューサーから出るだけである。 俺はその時点でテレビドラマの脚本家として一本立ち出来ることを確信した。元々、シナリオを書くことにかけて俺にはかなりの自信があった。その強い自信は学生時代からのものであった。 俺は高校を卒業すると上京し、母方の叔母の家に寄宿して大学に通った。郷里の親からは、大学に入る時の入学金を除いては、殆ど金銭的な援助を受けずに、大学生活の四年間を終えた。その理由は、少しでも早く独立した自分自身の生活を手に入れたかったからだ。お袋は俺が幼い頃に病死していた。父親はその後新しい妻を迎えたが、その義母を俺は少しも好きになれなかった。オヤジはオヤジ、俺は俺だ、と子供の俺は自分自身に言い聞かせていた。 俺の大学生活はアルバイトに終始した。しかしその内容は傍で考える程みすぼらしくも、惨めでもなかった。むしろ後半の二年間は快適とさえ言えた。 俺には、人並以上の豊かな才能があり、学業の上でも、人との社交にかけても、自分の能力に対する強い自信・自負の念が、俺の一番の特徴だと自覚している。しかも、その自負心を対人関係で、相手の社会的地位、俺が利用し得る度合、人柄や教養などに応じて、適宜にコントロールして、俺に対する相手の心証を決して悪いものにしないという計算もまた、我ながら巧みであった。 要するに俺は、必要な場合には自分のプライドを傷つけることなく、他人に媚びることが極めて上手かったのだ。
2021年06月09日
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ここで私自身の過去を振り返って、自己反省の材料としてみようと思いました。 私の1970年頃の精神的なポートレートとして、昭和48年の創作をご紹介したいと考えます。若書きですので、手直ししたい箇所は多々あるのですが、そのままで掲載致します。私自身の血の滲むような実体験が色濃く塗り込められていて、気恥ずかしい気持ちに駆られますが、フィクションとしてお楽しみ頂けたなら、望外の幸せです。 「 俺 の 結婚 」 葉月 二十八 著 昭和48年9月 「やっぱり、友子とは別れよう」 ― 俺は自分自身に言い聞かせるように呟いた。 夏の夕暮れの銀座通りは、自動車の吐き出す排気ガスと、押し合いへし合いする雑踏の熱気が混じり合って、息をするのも苦しい程に蒸し暑い。 松村氏と待ち合わせている喫茶店「イヴ」に入ったが、氏は予想した通りにまだ来ていなかった。もっとも約束の時間五時半には十分程は早い。その上に、多忙を極める松村氏は人を待たせるのが常でもあったし…。 コーヒを注文してからウインドウ越しに通りの方をぼんやりと眺めていると、間もなく店の前に泊まったタクシーから松村氏が降り立った。 松村氏は店の中で俺の姿を直ぐに見つけると、「やあ」と声を掛けて小肥りの身体を、俺の前の椅子に運んで来た。ずり落ちそうな黒縁の眼鏡を気にしながら、熱心に俺の書いた原稿に目を通す松村氏を前にして、俺はまた友子の事を考え始めている。 友子を知ったのは去年の秋である。 シナリオライターの先輩・近藤秀介に紹介されて、東京のキイ局である東洋テレビに勤める松村 博氏に初めて会った晩のことである。 その夜は、俺にしては珍しく泥酔して、記憶にはっきりしない部分があるのだが、友子に関する箇所だけは妙に鮮明に記憶しているのだった。六本木で飲み始めて、翌日までの仕事を抱えた近藤は先に帰り、何軒目かに入った銀座のクラブに同席した女の客が、友子であった。 「人生にくたびれちゃったの……」、初対面の俺にもたれ掛かる様にして友子もかなり酩酊している様子だった。 顔馴染みの松村氏と頻りに会話を交わしながら、時々、俺の方に視線を走らせるのだが、俺はただタバコの煙をふかし、ウイスキーの水割りを喉に流し込みながら、二人のお喋りに耳を傾けていた。 野性的なイメージで売っているセクシーなテレビタレントというのが、その時までに俺が知子に関して持っていた印象の全てであり、精々二十歳を少し越えたばかりと思われるが、男なんかにはもうウンザリして飽き飽きしてしまったというような風情と、そのどこか物憂い投げ遣りな仕草に、少しだけ興味を惹かれていはたが、それだけの事であり、大した関心はなかった。 俺たちは結局そのクラブで看板迄飲み続けることになった。 俺と松村氏は帰る方向が違うので、それぞれに車を拾った。 「小林君、済まないが途中だから、トモコを送ってやってくれないか」 松村氏の声と同時に、知子が俺の隣の席に乗り込んで来た。彼女は運転手に「池袋」と、自分の行先を告げると、俺の方に体を寄せて来た。 窓から吹き込んで来る秋の気配のする夜気に顔を打たせながら、俺は黙ってシートの背に凭れて目を閉じていた。友子の手が俺の太腿の上に置かれ、熱い吐息が左の頬にかかった。「ねえ、眠っちゃったの……」、目を開けると友子の顔が、直ぐ近くにあった。胸の膨らみを俺に押し付けるようにして言葉にならない言葉をくどくどと掻き口説く知子と、俺はその後どんなことを話したのかは、よく覚えていない。最初、誘うように唇を寄せて来たのに応じて、二三度吸った知子の口腔内のヌルヌルとした粘膜の感触とザラザラとした舌の味わいだけが、妙に生々しく蘇ってくる。 池袋で一緒にタクシーを降り、どこか近くのスナックのような所で、もう少し飲もうという事になった。で、知子の行きつけらしいスナックのカウンター前の止まり木に、並んで腰を掛け、俺も知子も大分酔いが回っていたのに、俺はビールを、彼女はジンライムを、かなりの量飲んだように思う。
2021年06月08日
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老齢は明らかに迅速なり。われらに必要以上に迅速に切迫す。 偉大な人物たらんとする者は、自分自身や自分に属するものをではなく、正しいことをこそ愛すべきなのだ。 人間のことは何にてあれ、大いなる心労に値せず。 自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。 あなたのひあいがいかに大きくても、世間の同情を乞おうとしてはならない。なぜなら、同情の中には軽蔑の念がふくまれているからだ。 嫉妬深い人間は、自ら真実の徳をめざして努力するよりも、人を中傷するののが、相手を凌駕する道だと考える。 親切にしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをし ているのだから。 愛に触れると誰でも詩人になる。 目は心の窓である。 人間の最も基本的な分類として、「知を愛する人」、「勝利を愛する人」、「利得を愛する人」という三つの種類がある。 哲学というものは、たしかに結構なものだよ。ひとが若い年頃には、ほどよくそれに触れておくぶんにはね。しかし、必要以上それにかかずらっていると、人間を破滅させてしまうことになるだ。 驚きは、知ることの始まりである。 いかに知識を身につけたとしても全知全能になることなどはできないが、勉強しない人々は天地ほどの開きができる。 我々は、自分が熟考しているものになる。 恋されて恋するのは恋愛でなく友愛である。 正義とは、強者の利益にほかならず。 魂には眼がある。それによってのみ心理を見ることができる。 無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしない。 賢者は、話すべきことがあるから口を開く。愚者は話さずにはいられないから口を開く。 二度子供になるは老人のみならず、酔っぱらいもしかり。 真理は子供の口から出る。 だれに対しても、不正を不正をもって、悪を悪でもって、埋め合わせしてはいけない。よしんば、その相手にどれほど苦しめられていようとである。 少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。 彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身が見出しやすくなる。 恋という狂気こそは、まさにこよなき幸いのために神々から授けられる。 正義とは、己にふさわしきものを所有し、己にふさわしきように行為することなり。 徳は一種の健康であり、美であり、魂のよいあり方なり。それに反し、悪徳は病気であり、醜であり、弱さなり。 はじまりは労働の最も重要な部分である。 思慮を持ち正義をかざしてその生涯を送らなければ、何者も決して幸福にはなれないだろう。 何年もたち、君の意見の多くがその逆になることもあるのだよ。 子供と動物とはずいぶんよく似ています。どちらも自然に近いのです。でも子供が狡猾な猿よりも良く理解することが一つあります。それは偉人の立派な行為のことです。 リズムとハーモニーは、魂のもっとも深いところに至る道を持っている。音楽は、世界に魂を与え、精神に翼をあたえる。そして想像力に高揚を授け、あらゆるものに生命をさずける。 徹底的にどうしようもなく道を踏みはずした悪人に対しては、怒りをあらわにすべきである。 ただ死者のみが戦争の終わりを見たのである。 哲学は、最高の文芸なり。 時は、未来永劫の幻影なり。 科学は、知覚以外の何物でもなし。 破廉恥に対する羞恥心も、美を求める努力も、ともに欠けているようでは、国家にしろ個人にしろ、偉大な美しい行為を果たすことはできない。 哲学者の全生涯は、まさに死に至ることと、その死を成就することに他ならず。 次いで、プラトンの師の「 ソクラテス に 習う 」に入ります。 よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ。 本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著作がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ。 良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい。 人間の美徳はすべてその実践と経験によっておのずと増え、強まるのである。 幸福になろうとするならば、節制と正義とが自己に備わるように行動しなければならない。 ねたみは魂の腐敗である。 何人も本意から悪人たるものなし。 我々が皆自分の不幸を持ち寄って並べ、それを平等に分けようとしたら、ほとんどの人が今自分が受けている不幸の方がいいと言って立ち去るであろう。 自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。 財産や名誉を得る事のみ執心し、己の魂を善くする事に努めないのを恥とは思わないのか。 魂の探求の無い生活は、人間にとっていきがいの無いものである。 汝自らを知れ。 生きるために食べよ、食べるために生きるな。 世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ。 いかなる財宝とくらべようとも、良友にまさるものはないではないか。 他人からされたら怒るようなことを人にしてはいけない。 指導者とは、自己を売って、正義を買った人間だ。 一番大切なことは、単に生きることではなく、善く生きることでである。 嘘はいつまでも続かない。 少量をうまくやる方が、大量にまずくやるよりもよい。 金持ちがどんなにその富を自慢しているとしても、彼がその富をどんなふうに使うかが判るまで、彼をほめてはいけない。 富は良心をもたらさない。しかし良心は、富ばかりでなく、望まれるもの全てを、個人にも国家にももたらすのである。 人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りえることなり。魂なき生活は人間に値する生活にあらず。 不正を受ける者は、不正を働く者よりも幸福である。 勉学は光であり、無学は闇である。 真の賢者は己の愚を知る者なり。 賢者は複雑なことをシンプルに考える。 友と敵とがなければならぬ。友は忠言を、敵は警告を与う。 父母に恩を感じないなら、汝の友となる者はいないだろう。 とにかく結婚したまえ。良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる。 子供は、生まれたその日から、厳しくしつけなければならないものだ。幼にして謙遜なれ。弱にして温和なれ、壮にして公正なれ。老いては慎重なれ。 満足は自然の与える富である。贅沢は人為的貧困である。 法は、善人のために作られたのもではない。 悪法もまた法なり。 何人たりとも、不正に報いてはならない。 善人においては、現世にても死後にても悪は発生せず。 唯一の真の英知とは、自分が無知であることを知ることにある。 名声は英雄的行為の芳香なり。 われはアテネ人にあらず、ギリシャ人にあらずして世界市民なり。 死はいうまでもなく、肉体よりの解放にほかならず。 私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ。 吟味されざる生に、生きる価値なし。 一番小さなことでも満足を感じることが自然が与えてくれる富だから。 唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である。 死は、人間のもっているすべての恵みの中でも最高のものである。 討論が終わったとき、悪口は歯医者の道具になるのだ。 わたしは最小限の欲望しかもたない、したがって、わたしは神にもっとも近い。 良い評判を得る方法は、自分自身が望む姿になるよう努力することだ。 あなたのあらゆる言動を誉める人は信頼するに値しない。間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる。 出発の時間がきた。そして、私たちはそれぞれの道を行く。私は死ぬ、あなたは生きる。どっちが良いのかは神だけが知っている。 人間に関することに安定などないことを忘れてはならない。それゆえに、繁栄している時には過度の喜びを避け、逆境にある時には過度の落ち込みを避けなさい。 死ぬことと、自分の信念とどちらが大事か! 教育とは、炎を燃え上がらせるものであって、入れ物を満たすものではないのです。 私は知識を授けるのではなく、知識を産ませる助産婦である。 知恵の始まりは言葉の定義である。 どれだけ人生、自分自身、我々を取り巻く世界について理解していないかに気付いたときに、我々一人ひとりに英知が宿る。 私は誰の師にもなったことはなかったが、一方で、誰の問いにも答えなかったことはなかった。 息が止まらない限り、私は知を愛し続ける。 ソクラテスの思想は、内容的にはイオニア学派(紀元前6世紀から5世紀にかけてイオニア地方を中心に活動したギリシア哲学における自然哲学者たちの総称)の自然哲学者に見られるような、唯物論(観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方)的な革新なものではなく、「神のみぞ知る」という彼の 決まり文句 からもわかるように、むしろ神々への崇敬と人間の知性の限界・不可知論(物事の本質は人には認識する事が不可能であるとする立場のこと)を前提とする、きわめて伝統的・保守的な部類のものだと言える。 「はかない人間ごときが世界の根源・究極性を知ることなどなく、神々のみがそれを知る。人間はその身の丈に合わせて節度を持って生きるべき」とする、当時の伝統的な考え方の延長線上に彼の思想はある。 にもかかわらず、彼が特筆される理由は、むしろその保守性を過激に推し進め、その結果として、「知っていることと知らないこと」、「知り得ることと知り得ないこと」の境界を巡る、当時としては異常なまでの探究心・執着心、節制した態度にある。 「人間には限界があるが、限界があるなりに知の境界を徹底的に見極め、人間としての分をわきまえつつ最大限善く生きようと努める」、そういった彼の姿勢が、その数多くの内容的な欠陥・不備・素朴さにもかかわらず、半端な独断に陥っている人々よりも、思慮深く、卓越した人物であると看做される要因となり、哲学者の祖の一人としての地位に彼を押し上げることとなった。
2021年06月05日
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