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今夜はこの詩がいろんなところに登場すると思うのですが、定番ということで。新しい年が皆様にとって良い年でありますように。除夜の鐘 中原中也除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。千万年も、古びた夜の空気を顫はし、除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。 それは寺院の森の霧つた空……そのあたりで鳴つて、そしてそこから響いて来る。それは寺院の森の霧つた空……その時子供は父母の膝下で蕎麦をくうべその時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出。その時子供は父母の膝下で蕎麦をくうべその時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出。その時囚人は、どんな心持だらう、どんな心持だらう、その時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出。除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。千万年も、古びた夜の空気を顫はし、除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
2007年12月31日
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ベストとかいうんではないですが、今年印象に残った本ということで。○桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」 文句なく面白かったです。○桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」 打ちのめされました。どうたとえたらよいか、分からないくらいです。○佐藤正午「ジャンプ」 もっと早く読めばよかった。ミステリとしてはどうかと思いますが・・・。○尾崎真理子「現代日本の小説」 ほんとうは、僕にとって小説の行く末なんてどうでもよいことだと思われなくもないのですが、尾崎さ んの率直な姿勢に敬意を感じました。 また、話を聞かせて欲しいと思わせるようなかただと思います。そして、30年ぶりの再読になりますが○リチャード・アダムス「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」 ほんとに、うさぎたちがパタパタと歩くのが目に見えるのです。時を越えています。
2007年12月31日
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やっぱり年末ということで、本のかたずけをしました。本棚に収納するというのは、とっくの昔に不可能になっているので、散らかっている本を隅に寄せ、積み上げることしかできませんでしたが、とりあえずプロフィールの画像のような見苦しい状態は解消されました。これでは「看板に偽りあり」。うそつきになってしまうので、ちょっと悩んでみましたが、すぐにもとどおりになるんで、うそつきにならずにすむんでした。しかし、このような買書とつんどくがいつまで続けられるのでしょうか?
2007年12月30日
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楳図かずおさんの楳図パーフェクション版「漂流教室」が3巻でもって完結しました。これが少年サンデーに連載されていたのが1972年から1974年。ちょうどオイルショックの前後。みんなトイレットペーパーを買ってましたねぇ~。そういう影響もあるかも。しかし、なんでトイレットペーパーだったんだろ?
2007年12月30日
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石月正広さんという人の「月の子」という本を買書。この本は、累伝説をもとにしたもので、元禄年間に書かれた「死霊解脱物語聞書」という作者不詳の書物によっています。「死霊解脱物語聞書」は以前に読んだとき、なにか祐天上人の宣伝みたいで、もうひとつ面白くなかったので、この本がどのような描き方をしているのか興味をそそられ買ってみました。ちなみに、映画化もされ有名な「累ケ淵」は、累伝説を変奏するように三遊亭園朝が創作した「真景累ケ淵」が原作で、どちらかというと人の因業、因縁をめぐるお話でなかなか面白いものでした。僕は、「累ケ淵」をテレビの怪談シリーズで始めて知りましたが、鎌なんかが出てくる恐ろしい話で、僕が小さかったこともあって、ほんとにおっとろしい思いをしたのを思い出します。「累の物語は江戸時代初期慶長17年(1612年)から寛文12年(1672年)までの60年にわたって繰り広げられた実話に基づいていると言われる。下総国岡田郡羽生村の百姓、与右衛門(よえもん)とその後妻お杉の間には助(すけ)という娘があった。しかし、連れ子であった助は生まれつき顔が醜く足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていた。そして助が邪魔になった与右衛門は、助を川に投げ捨てて殺してしまう。あくる年に与右衛門とお杉は女児をもうけ、累(るい)と名づけるが、累は助に生き写しであったことから助の祟りと村人は噂し、「助がかさねて生まれてきたのだ」と「るい」ではなく「かさね」と呼ばれた。両親が相次いで亡くなり独りになった累は、病気で苦しんでいた流れ者の谷五郎(やごろう)を看病し二代目与右衛門として婿に迎える。しかし谷五郎は容姿の醜い累を疎ましく思うようになり、累を殺して別の女と一緒になる計画を立てる。正保4年8月11日(旧暦)(1647年)、谷五郎は家路を急ぐ累の背後に忍び寄ると川に突き落とし残忍な方法で殺害した。その後、谷五郎は幾人もの後妻を娶ったが尽く死んでしまうという怪現象が続く。ようやく6人目の後妻きよとの間に菊(きく)という娘が生まれた。寛文12年1月(旧暦)(1672年)、菊に累の霊がとり憑き、菊の口を借りて谷五郎の非道を語って供養を求めて菊の体を苦しめる。近くの弘経寺に所化として滞在していた祐天上人はこのことを聞きつけ、菊の解脱に成功するが、再び菊に何者かがとり憑いた。祐天上人が問いただしたところ、助という子供の霊であった。古老の話から累と助の経緯が明らかになり、祐天上人は助にも十念を授け戒名を与えて成仏させた。」(うぃきぺでぃあ)
2007年12月29日
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ヴォルテールの「ミクロメガス」を読みました。「メムノン」「慰められた二人」「スカルマンタドの旅行譚」「ミクロメガス」「白と黒」「バビロンの王女」の6篇が収録されています。いずれもひねくれたコントといった感じで、中でも一等ひねくれてていいかげんということでは「白と黒」がいっちゃん好きです。植木等演ずる無責任男みたいで、もう、やる気ないのか!といった感じです。笑えます。続けて「カンディード」を読んでいきます。「カンディード」には、「メムノン」「スカルマンタドの旅行譚」「ミクロメガス」も重複して入っているので、この3つは違った訳で読むことになります。「カンディード」は再読ですが、もうずいぶん前に読んだものなので、今回はどう感じるでしょうか。
2007年12月28日
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二階堂奥歯さんの「八本脚の蝶」のなかで、ウィリアム・ギブスンの詩が紹介されていたので、長いですけどコピーしてみます。奥歯さんはこの詩を、岡崎京子さんの「リバーズエッジ」のなかで読んだので、探してみたと書いていました。愛する人(みっつの頭のための声)ウィリアム・ギブスン黒丸尚 訳I明かりの下マシーンが夢見る憶えている雑踏を渋谷タイムスクェアピカデリー憶えている駐車中の自転車草の競技場土に汚れた噴水夜明けへとゆるやかに落ちていく中愛する人の腕の中思い出される夜に沿ってハイアットの洞穴の中空港の半減期の中ハロゲン狼の刻の中思い出される刻ラジオの沈黙の中ラジオの沈黙ラジオの沈黙ラジオの沈黙II.たかがミステリの歴史たかが人間がどう迷うか、だろうがただ、どうしても迷うのさ、現にどこの街だろうと、たかが物事の流れただの交差点の雑踏ただの舗道に落ちる雨それが歴史というにすぎない、実際父はそうして迷った母も同じ母というのは、実際そういうもの、物事のありかたとしてミステリのありかたとして、ということでも狼たちも暗い公園で迷う坊やたちも同じこれは別のありかた近頃の落ちかたIII.この街は悪疫のときにあって僕らの短い永遠を知っていた僕らの短い永遠僕らの愛僕らの愛は知っていた街場レヴェルののっぺりした壁を僕らの愛は知っていた沈黙の周波数を僕らの愛は知っていた平坦な戦場を僕らは現場担当者となった格子を解読しようとした相転移して新たな配置になるために深い亀裂をパトロールするために流れをマップするために落ち葉を見るがいい涸れた噴水をめぐること平坦な戦場で僕らが生き延びることTHE BELOVED (VOICES FOR THREE HEADS)BY WILLIAM GIBSONROBERT RONGO: KYOTO SHOIN, 1991「平坦な戦場で 僕らが生き延びること」岡崎京子さん、二階堂奥歯さん、黒丸尚さん、そしてもちろんギブスンに多謝!
2007年12月27日
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正月へ向けてテンプレートを変更してみました。今年も残すところあと僅か。あぁ~もぉ~、胃が痛いのですけど・・・。
2007年12月26日
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マルセル・ブリヨンの「砂の都」を買書つんどく。どなたかのブログで、この本のことを書いてあるのを見ると、「幻想小説」みたいなことを言っている。「こら買わなくちゃ」と思い、仕事終わってから書店に駆けつけて買ってきました。動機がひどく単純です。「幻想は絶えず自身を養い続けそれ自体の織り出す夢により疲れを知らずに増殖する―ラマ教遺跡の噂に中央アジアのシルクロードを訪れた考古学者が一人、突然襲う砂嵐の中、13世紀と思われるオアシス都市にワープする…幼い頃の思い出を魂の片隅に留める者には、星辰と共に言いようもなく懐かしい夢物語。」(「BOOK」データベースより)なんのこっちゃ、ようわからん紹介ですね。SF小説のようでもあるらしい。あまり関係なく、コニー・ウィリスの「ドゥームズデイ・ブック」を連想してしまいました。14世紀のイギリスにタイム・トラベルする話で、そりゃーもう、この本大好きなんです。大のお勧めでもあります。マルセル・ブリヨン「1895~1984。アイルランド系の父と南仏に先祖を持つ母の間にマルセイユで生れ、ラテン的知性とゲルマン的感性の対話の中に育つ。その広範な知識から美術評論家、考古学者、伝記作家、歴史家、小説家と多様な場面で活躍し、1964年アカデミー・フランセーズに入会」(「BOOK」データベースより)
2007年12月26日
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スカーレット・トマスという人の「Y氏の終わり」という本を買書つんどく。ぜんぜん知らない人なので、「BOOK」データベースでお茶にごし。「偶然はいった古書店で大学院生アリエルがめぐりあったのは、ずっと探していた「Y氏の終わり」という一冊の本。それは、主人公のY氏が人の心のなかでくりひろげる冒険を描いた、呪われているとされる伝説の小説だった。読み進むうちに、小説のなかの出来事は、過去に実際におこったことなのではないかとアリエルは疑いはじめる。そこに書かれた方法をためしたアリエルは、人の心のなかにはいることができるようになる。しかし、本を狙う男たちに追われ、旅に出ることに―。わたしがここにいる理由って?世界はどういうふうにできたの?この世界で、愛するとはどういうこと?長い旅を続けるうちに、アリエルが抱きつづけてきた疑問がひとつずつ解き明かされていく。ミステリの興奮、SFの思索、ファンタジイの想像力―イギリスの新鋭作家によるジャンルを越えた話題作、待望の邦訳。」・・・らしい。面白そうです。しかし、本をめぐる本というのは、メタとかメタメタとかいうようなややこしい議論は置いといて、本を読むものにとってなにか特別の魅力(魔力?)を持つものではないか、と思うんでした。
2007年12月25日
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今夜、子どもたちは、クリスマス・プレゼントをもらうために、早々とベッドに入ります。僕は、子どもたちが寝静まったことをたしかめてから、枕元にプレゼントを置きます。いつまで、このようなことが続けられるのか。その時、少し寂しいおもいをするのでしょうね。おっと、こんなことで感傷的になって、プレゼントを取り違えたりしないようにしなくっちゃね。
2007年12月24日
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クリスマス・イブなのですが、おもいっきり関係無い花輪和一さんのコミック「刑務所の前(第3集)」を買書。花輪さんは「刑務所の中」で大ブレイクしてしまって、1982年の「鵺」以来の愛好家としてはうれしいような、うれしくないような、やっぱりうれしいような奇妙な気分がしたものでした。「ニッポン昔話 」なんか、きれいし面白い本で、シリアルナンバーっていうんですか、それと護符なんかもついてて楽しいのですが、現在は絶版になってしまっているようで残念です。ただ、コミックで3800円なんて高い値段で買って相当ふところが痛んだので、ぜひ廉価版での復刊を望みます。
2007年12月24日
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フリオ・リャマサーレスの「狼たちの月」を買書。「スペイン内戦の悪夢」を描いたものとか・・・。というより、この前に翻訳された「黄色い雨」を買書つんでいるので、それに先立つ長編デビュー作「狼たちの月」も買いました。で、なぜ「黄色い雨」を買ったかというと、木村栄一さんの翻訳であることと、その木村さんが後書きでリャマサーレスをファン・ルルフォに喩えていることが影響しています。木村栄一さんの翻訳が好きで、またファン・ルルフォが好きなんでした。フリオ・リャマサーレス「1955年、スペイン北部、レオン地方の田舎町ベガミアンに生まれる。マドリッド大法学部卒業後、弁護士となるも、ほどなくジャーナリストに転身。早くから詩人として知られ、『のろい雄牛』『雪の思い出』(ホルヘ・ギリェン賞)などを発表、次第に散文作品に移行する。1985年、初の長編小説として『狼たちの月』を発表、大きな注目を集める。ついで1988年には『黄色い雨』を刊行、海外でも高い評価を集め、わが国でも2005年に翻訳されるや多大な反響を呼び起こした。紀行文、エッセイ集などもある。」(「BOOK」データベースより)
2007年12月23日
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綿矢りささんの「夢を与える」を読みました。二重の意味で痛々しさを感じた小説でした。まず、結末が痛々しい。ストーリーは、幼くして芸能の世界に身をおいた少女が、初めてこれが自分の生き方だと思った生き方をして、あっけなく破滅するというもので、これに両親の関係とか自分の恋を絡めて痛々しく描かれていきます。次に、綿矢さんのかけがえのない魅力だと僕が考えていた、どこか妙な感覚とか文体が影を潜めてしまっていると感じました。僕の感想ということで勝手なことを書くと、もうこれを出版しちゃったのだから、後はいろいろな試みをどんどんして、もっともっと書いていただいて、新しい綿矢さんスタイルの小説を読ませていただきたい、と思いました。
2007年12月22日
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阿部和重さんの「ニッポニアニッポン」を買書。ニッポニア・ニッポン=トキ=鴇、朱鷺。これも尾崎真理子さんの「現代日本の小説」に触発されて買ったもの。阿部和重さんが芥川賞をとったとか、授賞時の態度がもうひとつだったとか、佐藤亜紀さんがそれに対して文句?言ってるとかゴシップ的なことは耳にしているものの、肝心のどのような小説を書く人なのかは知りません。朱鷺と言えば、僕にとってなつかしいような、と同時に怖いもののような、と感じるのはなぜだろうと考えるに、どうも篠田節子さんの「神鳥」のイメージがあるらしいと気がつきました。なんか、おっとろしい朱鷺の絵をめぐるホラーだったような気がします。「昭和56年(1981年)1月11日から1月23日にかけて、佐渡島に残された最後の野生のトキ5羽すべてが捕獲され、佐渡島のトキ保護センターにおいて、人工飼育下に移された。(センターで付けられた足輪の色から『アカ』『シロ』『ミドリ』『キイロ』『アオ』と命名される)その後、繁殖の試みが続けられたが全て失敗し、2003年10月10日朝、最後の日本産トキ(キン)の死亡が確認され、日本産のトキは絶滅した。」(ういきぺでぃあ)
2007年12月21日
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ブライアン・セルズニックという人の「ユゴーの不思議な発明」という本を買書。イラストがたくさん入ったきれいな本です。メリエスの映画にインスパイアーされて書いたとか。買って持って帰ってくるのも重かったけど、クリスマスからお正月にかけて読んでみましょう。ジョルジュ・メリエス(1861年~1938年)「フランスの映画製作者で、映画の創生期において様々な技術を開発した人物である。パリ出身。“世界初の職業映画監督”と言われている。SFXの創始者で、多重露光やディゾルブ、ストップモーションの原始的なものも開発した。もともとはマジシャンで劇場経営者であったが、1985年、同じくフランスのリュミエール兄弟による映画の公開を見て映画製作に乗り出した。彼の最も有名な作品は1902年の映画『月世界旅行』である。題名の通り月へ探検に行く物語だが、1本の映画の中で複数のシーンがあり物語が存在するという、当時としては画期的なものであった。」(うぃきぺでぃあ)
2007年12月20日
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ボフミル・フラバルの「あまりにも騒がしい孤独」を買書。ボフミル・フラバル「チェコの作家(1914~1997)。ミラン・クンデラ、ヨゼフ・シュクヴォレツキーと共に、二十世紀後半のチェコ文学の三羽烏と目されている。モラヴィア地方の町ブルノに生まれ、プラハ・カレル大学で法学を修めたのち、様々な仕事をしながら創作を続けた。共産党政権時代には検閲が厳しく、作品の多くがタイプ印刷の地下出版や外国の亡命出版社で出版された。代表作は、本書『あまりにも騒がしい孤独』のほか、『断髪式』(1973)、『僕はイギリス国王の給仕をした』(1975)など。映画化された作品も多く、イジー・メンツル監督による『つながれたヒバリ』(1990年度ベルリン国際映画祭金熊賞)、『僕はイギリス国王の給仕をした』(2007年度ベルリン国際映画祭国際評論家賞)などがある。」クンデラはチェコ事件の際に、国外に亡命しましたが、フラバルは国内で創作を続けました。チェコ事件(1968年8月20日)「チェコスロヴァキアの自由化・民主化運動(「プラハの春」)を警戒したソビエト連邦(ソ連)がワルシャワ条約機構加盟の5ヵ国(ソ連、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、ブルガリア)の軍隊60万人以上を動員して同国に侵攻し、全土を占領した事件。ソ連は民主化運動を制圧し、ソ連に忠実な共産党政府を復活させた。」僕が、高校1年生の時、地理の授業の自由発表で取り上げたのが、このチェコ事件でした。この時「戦車と自由」などを読みましたが、今やすっかり忘れています。
2007年12月19日
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綿矢りささんの「夢を与える」に再挑戦。3月頃に一回読みかけて挫折していたので、なんでそうなったのかと当時のことを振り返ると、どうもレイモンド・チャンドラーを再読するのに気をとられていたらしい。村上春樹さんの翻訳が出る前なので、「長いお別れ」も清水さんの訳で再読しています。これはとても好きな小説です。またいつの日か、村上さん訳の「ロング・グッドバイ」も読んでみようと思っています。そして、もちろんその日のために、「ロング・グッドバイ」もつんでいます。
2007年12月18日
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クリスマスむけにテンプレートを変更しました。
2007年12月17日
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デイヴィッド・リンゼイの「アルクトゥルスへの旅」を読みました。「アルクトゥルスはうしかい座α星で、おとめ座のスピカが近くに輝いており、アルクトゥルスのオレンジ色とスピカの青白い色の対比から、アルクトゥルスとスピカは夫婦星と呼ばれる。アルクトゥルスが男性、スピカが女性である。」(ウィキペディアより)そういえば、男性性、女性性、中性性という問答も本の中にあります。全体的に、真、善、快楽、欲望そして苦痛をめぐる教義問答のようなことが、延々と繰り広げられます。積み木崩しみたいなものです。最後にたどり着いたのは、「真」はからっぽで永遠の闘争と苦痛がある、でも・・・みたいなことでしょうか。よく分かりませんでした。なんとなく、ジョージ・マクドナルドの「リリス」を読んだときのことを思い出しました。さて、続いてはヴォルテールの短編集「ミクロメガス」と「カンディード」をメインで読んでみようと思っています。「カンディード」は昔読んだときに、とても面白かった記憶があるのですが、今回はどうでしょうか?
2007年12月17日
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石原千秋さんの「謎とき村上春樹」を買書。石原さんは漱石と、近頃は受験国語に関する本が多かったので、村上春樹は意外でした。なんでも、「最近は文学では人が集まらない」といわれたのがきっかけで、「それでは現代小説をとりあげよう」と始めた早稲田大学での講義が元になっている、とあとがきに書いてありました。
2007年12月16日
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蜂飼耳さんの「紅水晶」を読みました。やっぱり詩人さんですね。言葉使いがおもしろいです。「くらげの庭」の冒頭を引用してみます。「輸入物の苺を食べてはいけない、と清子からいわれている。とくにアメリカから来る苺には魚の遺伝子が組みこまれているから、口にしてはいけない、と止められている。どうして魚の遺伝子なんかを?と訊くと、清子は背後から脅かされたように両目を剥いて、皮よ、と声を低めた。皮、ですか?そうよ、苺の表側のね。運ぶ途中で痛みやすいからって、皮を少しでも丈夫にするために魚の遺伝子を組みこんだのよ。え、でも、動物と植物を混ぜることなんて、できるんですか?できますよ。まるで自分の発見であるかのような誇らかな音声を織りまぜて、清子は断言した。」ちょっとユーモラスなところを引用しましたが、この本全体の印象としては、張りつめているのに静かさがあります。ただ、表題作の「紅水晶」は小説としては破綻しているのではないか、と思ってしまいました。僕には、引用した「くらげの庭」と特に最期の「六角形」が面白かったです。でもほんとは、もう少し幻想的なものを期待していたんですけどね・・・。
2007年12月15日
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恩田陸さんの「いのちのパレード」が発売されました。早川書房の「異色作家短編集」へのオマージュとのことです。恩田さんはオマージュをよく書かかれますので、オマージュ・リストというのまでありました。しかし、なんと言っても僕にとっての恩田さんのオマージュ作品と言えば「ジェニーの肖像」に捧げられた「ライオンハート」です。
2007年12月14日
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二階堂奥歯さんの「八本脚の蝶」が本になった頃、ネットで見ていたのですが、そうこうしているうちにサイトそのものが無くなっていたような気がしていたのが、このたびなにげなく見ていたら別サイトにそっくりコピーされてあったんですね。これから、また少しずつ読んでみようかと思っています。それはそうと、大江健三郎さんの「セヴンティーン第二部 政治少年死す」なんかもネットで読めますね。びっくりしました。著作権とか著者の許可とか、どうなってるんだろう?
2007年12月14日
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亀山郁夫さんの「ドストエフスキー -謎とちからー」を買書。30年前に、ドストエフスキーばかり読んでいた時期があります。いくつかは、その後も読み返したりしていますが、特に「白痴」と「悪霊」が好きです。亀山さんが訳した「カラマーゾフの兄弟」は、気になりながらも読めていませんが、気合が入ったら読んでみようと思っています。ドストエフスキー関連の評論もたくさんあり、亀山さんのものもいくつかつんだままになっていますが、学生時代には椎名麟三さんの「わたしのドストエフスキー」に特に感銘を受けました。「坩堝の中はからっぽだった」というスタヴローギンの喩え方には、ほんとに興奮した思い出があります。構造主義という考え方(方法?)が、ぼつぼつ一般的に口にされ始めた時期でした。あれから30年たっちゃいました・・・。って、感傷的になってどうすんねん!
2007年12月13日
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コーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」を買書つんどく。この人の小説も「すべての美しい馬」以来堂々つんできていますが、こういったクライム・ノヴェルを書いているとは思わなかったので、完全に見過ごしていました。(つんどくだけなんだから、別に見過ごしていようといよまいと同じじゃないか、という意見もあります。ごもっとも!)この本は「このミス」でも取り上げられているらしいです。僕は何故か、マッカーシーはずいぶん若い人だと思い込んでいたのですが、1933年生まれで、もう70歳を超えていることに今回初めて気がつきました。
2007年12月12日
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古書店で、新潮日本文学64の「大江健三郎集」を買書つんどく。このごろ古書はインターネットで買うことが習慣みたいになっていたので、リアルな古書店で買ったのは久しぶりです。なぜ買ったのかというと、「奇妙な仕事」「芽むしり仔撃ち」から「個人的な体験」まで、たくさんの作品が入っていて、それで600円ということでお徳な感じがしたからで、考えてみればこういう買い方は間違っていると思います(キッパリ)。しかも、置き場所にも困るし・・・。
2007年12月11日
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黒史郎さんの「獣王」を読みました。架空の動物園(エイセラニ・ハウザンド)とその身体を器(箱舟)にして動物をそこに運ぶ女、その女に魅かれる男、そして二人の間にできた子ども。ラストを除く全編がモノローグで叙述されていくので、途中でモノローグの主体が入れ替わっていることが分かったとき、にわかに全体が信用できないものになります。ラストは3人称ですが、いかにもうさんくさいです。幻想文学的な仕掛けを使っていると思うのですが、僕には最後がゴチャゴチャしているような気がして、うまくいっているのかどうか分かりませんでした。いずれにしても、黒さんには、ホラーというジャンルではなくて(まして僕の苦手なクトゥルーなんかじゃなくて)、まっすぐ幻想文学へ向かわれることを勝手に期待しています。
2007年12月10日
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村田喜代子さんの「八つの小鍋」を買書。「熱愛」「鍋の中」(芥川賞)「百のトイレ」「白い山」(女流文学賞)「真夜中の自転車」(平林たい子賞)「蟹女」(紫式部文学賞)「望潮」(川端康成文学賞)「茸類」ほんとにベストシングル短編集といった趣で、お買い得!と、思いました。最近、この本やら「笙野頼子三冠小説集」のように、お徳感のある本が文庫で出るのでありがたいです。さて、もちつきが待っています。
2007年12月09日
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いよいよ、もちつきの季節がやってきました。今日は一箇所だけですが、明日は三箇所も行かなければなりません。忙しいです。って、一体僕はなにやってるのでしょうか?もちつきです・・・。
2007年12月08日
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コカコーラの自動販売機にふと目がとまると、そこに見慣れない缶がありました。「アーモンドショコラカフェ」アーモンド?ショコラ?カフェ?なんなんだろう?一体誰がこんなもの飲むのだろうか?というわけで、飲んでみました。・・・。さて、完全版「漂流教室2」が発売されました。楳図かずおさんのマンガの凍りついたような奇妙な間は、よくあるようで無いものだとつくづく思います。そして、楳図さんの「ウルトラマン」(これ怖かったんですよね)をなぜか思い出しながら読んでいるんでした。
2007年12月07日
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黒史郎さんの「獣王」を買書つんどく。メディアファクトリーからは、思い出したくもない山白朝子=乙一さんの「死者のための音楽」が、先日出版されましたが、それに続く「獣王」です。山白朝子=乙一さんの「死者のための音楽」の装丁は白、黒史郎さんの「獣王」の装丁は黒、としゃれというかコントラストはあざといです。ところで、黒史郎さんは「夜は一緒に散歩しよ」で第1回『幽』怪談文学賞長編部門大賞を受賞しています。僕は、この本を持っていないし読んでもいないので、どんな小説を書く人なのかまったく知らないのですが、どうも「獣王」というのはクトゥルーもののようで、実はちょっとニガテかもしれません。ニガテそうなものを金出して買う自分が信じられないのですが、こんなこと人に言ってもしょうがないですよね。黒史郎さんの「黒蟲珊瑚」というブログを見つけました。
2007年12月06日
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そうそう、今日書いてました「別のブラウザ」というのは、ファイアー・フォックスです。それで、「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」なんだったんでした。しゃれを書き忘れると、間が抜けます。いや、もともと間抜けてたんでした・・・。(ファイアー・フォックスは狐ではなくて、レッサー・パンダのことだと聞いたような気もしますが)
2007年12月05日
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インターネット・エクスプローラーの調子が悪いというか、機能しなくなったので、別のブラウザをインストールして使ってみました。しばらくこれで様子を見てみようと思います。ところで、内山節さんの「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」を買書。うちの柴ワンコは、まるでキツネみたいですが、以前に、キツネ憑きのキツネは、キツネというよりイタチかオコジョみたいなもんだというのを読みました。犬神憑きのイヌはネズミのようなもんだとも・・・。それはともかく、この本によると50年くらい前まで、日本のいたるところでキツネにだまされるということがあったそうです。それが、1965年くらいを境に途絶えてしまう。なぜなのか?という疑問からこの本を書いたそうです。1965年といえば、前年が東京オリンピックで、僕は多くの人といっしょに国道に並んで、通過する聖火ランナーに、国旗を振って歓声をあげてました。高度成長期といえばそれまでですが、内山さんがどのような説明をされるのか楽しみです。しかし、キツネに騙されたんでもいいから、しばし良い夢を見させてくれるとありがたいな、なんて思ってしまいますね。
2007年12月05日
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家のパソコンでインターネットが見ることが出来なくなりました。原因は分かりません。ま、いっか。ようやく、ディヴィッド・リンゼイの「アルクトゥルスへの旅」上巻を読み終わり、下巻に入りました。善やら悪やら欲望やらに関する禅問答を読んでいるみたいですが、もうちょっとがんばってみよう。なにをがんばるのやらよく分かりませんが・・・。ま、いっか。
2007年12月04日
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蜂飼耳さんの詩を見つけました。 「たこ」ふたり霧雨をさけ吸いこまれた 店内に骨壷のような しろいコーヒーカップを あげさげ するたちのぼるものが男の顎を くらくするあるいはあかるくはじめての町に よるが注がれるうるんでいく頬をこぼさぬようにはしら のようなものをささえ直した ら男の背負うガラス張りのよるにその頭の ひだりわきにタコ焼きの屋台があっておおきく染め抜いた字が「たこ」と よめるのだった「たこ」は 風にめくれてときどき、男の頭の みぎわきにも現れるのだった 男は中野重治などについてかたるがもう だめなのだった男のひだりの闇の袖からあおいネクタイのようなちぎれた鎖を垂らすサラリイマンがつかつかとあゆみ出てひかりの中でタコ焼きを買っていく男はなにひとつ知らないのだったふたつ骨壷のようなものがながれてからになるのだった(佐川亜紀さんの「佐川亜紀のホームページ」より引用しました。ありがとうございました。)
2007年12月03日
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蜂飼耳さんの「紅水晶」という本を買書つんどく。ウィキペディアによると、蜂飼耳さんというのは、日本の詩人、エッセイスト、小説家だそうな。絵本も書いています。でも、もっぱら詩人さんのようです。情報少ないです。で、これは著者初の小説集らしいですが、本の装丁がとてもきれいだったので、思わず買ってしまいました。
2007年12月03日
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毎年恒例のクリスマス・ツリーを出しました。それだけですけど・・・。
2007年12月02日
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伊坂幸太郎さんの「ゴールデンスランバー」を買書つんどく。「オーデュボンの祈り」「ラッシュライフ」「陽気なギャングが地球を回す」「重力ピエロ」と欠けているところはありますが、堂々つんできています。どうだ!
2007年12月02日
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高山文彦さんの「エレクトラ -中上健次の生涯」を読み終わりました。著者の中上さんへの思い入れが強いからか、特に前半は二人の疾走についていけず、おいてけぼりになって、しらけている自分を発見するわけなんでした。後半、小説界にデビューしてからは抵抗感なく、面白く読むことができました。この本で驚いたのは、高橋一清さんと鈴木孝一さんという出版の編集に携わる人たちが、中上さんの作家としての形成に関わっている部分に大きくスポットを当てているところで、編集者(っていうのか?)というのはすごい人たちであることに目を見開かせてくれた点です。これは考え方が変りました。しかし、作家としての中上さんはともかく、生活者としての中上さんはあまり尊敬できそうもないと思いました(ゴメンなさい。また考え変るかもしれません。)
2007年12月01日
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いつものタイミングよりちょっと遅かったような気がするのですが「ベルセルク(32)」が発売されました。おはなしは一体どこへいっちゃうのか?はたして完結する時がくるのか?そもそも、三浦さんは、完結させる気があるのか?どうか心配です。しかし、ゾッドがあいかわらずかっこいい。
2007年12月01日
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