2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全6件 (6件中 1-6件目)
1
子ども達と宮崎駿監督作品の“ポニョ”を観てきました。CGを一切使っていないという、この作品の映像はやわらかく繊細で、細かいところまで描き込んであって、とても素敵でした。特に冒頭の海の中のシーンはうっとり。ずっとこのままこの幻想的な場面を見ていたいという気持ちになりました。 娘は。“ポニョ”の可愛らしさにすっかり虜になっていて、家に帰ってからポニョの絵を描いていました。小さい子どもも、ある程度大きい子でも飽きずに楽しめる作品で、子ども達にも大好評でした。 子どもが楽しむことができるのはもちろんですが、単純なストーリーのようでありながら、大人も所々に深く考えられるようなエッセンスが詰まった作品のように感じました。 月の大きさと海、過去と現在などの空間や時間を超えたものや、自然のもつ力、それらの鍵ともなっているかのようなポニョのお母さんの存在。人間を捨てたお父さん。姿、形に囚われず、その存在をまるごと愛し、受け止める心。やさしい心を持ちながらも、表面は頑固で偏屈なお年寄りや、ゆったりとした時間を過ごし、柔和で穏やかなお年寄り達。あの場面からポニョが眠くなってしまった理由。などなどさまざまなことをちょっとずつ考えると自分なりの考えがいろいろと浮かんできて、面白く見ました。 登場人物の中で良かった(私がちょっと憧れた)のは宗介のお母さんであるリサ。いろいろなことが次々に起こっても動じない。常にその時にやるべき事を考え、即座に判断して行動する。たまに怒れたり悲しくなることがあるけれど、そんな時はその感情を一気に出し、その後はすぐに気持ちを切り替える。そして何よりどんな時も子どもを信じている。そんなリサに元気づけてもらった気がします。 お土産として、ポニョのシールとノート、クリアファイルを買って帰りました。 せっかくの長い夏休みなので、もう一作品くらい子ども達と映画を観に行こうかなと思っています。
2008年07月28日
コメント(4)
長い夏休みがやってきました。とりあえず、昨日夏休みの大まかな計画を立てました。昨年は計画倒れに終わった部分も多く、母としては後半イライラすることもあったので、今年はアバウトに。 時々購入する小学生ママ向けの雑誌eduの8月号の特集は“ママが楽をすると子どもが伸びる”ということで、大まかに7つあります。その1は“親があれこれ計画する必要なし”そして最後のその7は“ダラダラしていても叱る必要なし”でした。それを見ただけで気が楽になります。 昨年は実験教室や体験教室、工場見学、観劇や運動教室やなどいろいろと計画にも入れてあちこちと飛び回っていたのですが、今年はまあ、のんびりとしようかなと。夏休みといえども、週に1、2回はPTAの仕事で学校やさまざまな地域の講演会等にも参加しないといけませんし。 PTAといえば、7月もバタバタと忙しく活動していました。地区の盆踊りはPTAも中心となるので、盆踊りの練習や準備もありますし、夏休みのPTA役員作業として、特別教室のカーテン洗いや遊具のペンキ塗り、田んぼの草取りなどがあるので、そのプリント作りや役割分担もあります。9月に入ると運動会があるので、その中のPTA種目(子どもも一緒に出来るもの)についての検討などなど週に2、3回は集まりがありました。 男性の役員さんは当然昼間は仕事なので、男性役員も交えた打ち合わせとなると、夜になります。盆踊りの練習も夜ですし、悲しいかな、子ども達は夜の留守番にも慣れてきました・・。(まあ、少しすれば主人も帰宅するので子ども達だけ家で居るのは長い時間ではないのですが) 何はともあれ、元気で楽しい夏休みになればと思います。娘は毎朝、朝食作りを手伝ってくれるそうですし、息子はお風呂洗いと新聞取りをしてくれるそう。それも楽しみです。
2008年07月22日
コメント(0)
![]()
スピリチュアル・フォーカス ナンシー・パーソン 2007.9 “スピリチュアル・フォーカス”とは、意識またはエネルギーに集中すること。 著者は写真家でもありヒーラーでもある方。物事の否定的な面にフォーカスするのではなく、肯定的なものにフォーカスしていくことの必要性を説いています。否定的、懐疑的、、物事の悪い面の方ばかりを意識し、そちらに集中してばかりいると、それにとら、低い波動の方に流れていってしまう。そうではなく、肯定的な面にフォーカスすること。例えば国の指導者などを批判するばかりでなく、反対に、私たちの心の中にある愛のエネルギーを祈りとして送ることができる。戦争反対を掲げるのではなく、世界の平和を掲げた方がよい。言葉一つ(否定的なものと肯定的なもの)でも波動が変わってくるようです。 この“フォーカス”というフレーズを意識すると、自分がどのような感情に今フォーカスしているのかを常に客観的に見ることができ、とても自分自身の役に立っています。 優しい音楽 瀬尾まいこ 2005.4 3つの短編が収められている本。「優しい音楽」は、駅のホームで千波の唐突な行動から始まったタケル恋。その出会いの意味が彼女の家に行くことで分かる。「タイムラグ」は深雪は不倫相手から、ある日奥さんと旅行に行くから、自分の子どもを一日預かってくれないかと頼まれ、預かることになる。どの子ども佐菜との不思議な時間。「がらくた効果」は同棲している章太郎とはな子の家に佐々木さんというおじさんが住みつくことになる。(はな子がホームレスのおじさんを拾ってきたのだが)佐々木さんは礼儀正しく、律儀でありホームレスの人には見えない。奇妙な3人の生活。 現実にあったらちょっと不快な感じのする話なのだろうけれど、瀬尾さんが書くととてもやさしくて穏やかな世界になって、心地よく感じられます。瀬尾さんの作品は、私にとって読後はふわふわとした空気が漂う感覚になるので、時々ふっと読みたくなるのです。この他にも昨日の日記で少し書いた『エンジェルストーリー(ダイアナ・クーパー)』 『エンジェル・ガイダンス(ドリーン・バーチュー)』の2冊を合わせて、今月読んだ本は7冊でした。今年読んだ本は合計42冊です。目標の、年間100冊読めるかなあ。
2008年07月04日
コメント(0)
![]()
7月に入ったけれど、今日は肌寒く、7分袖の服を着ていました。あと2週間ちょっとで夏休みに入るなんて嘘みたいです。親ががんばらないほうが子どもは伸びる! 親野智可等 2008.3 メルマガや子育て関係の雑誌で有名な親野智可等先生。子育てについてのちょっとした心がけや、子育ての基本について分かりやすい言葉や具体例を交えて書かれています。 “親ががんばらない”というのは、ちょっと子育てにも力を抜くということ。あれもこれも子どもを頑張らせようとしたり、何とか物事を身につけさせたいとすると、親にも余裕がなくなり、結局は子どもに強制させようとしたり、小言を言ったりイライラとぶつけたりしてしまう。そして、親の思い込みが、親子共々に無用な苦しみを作り出してしまう。だから、もっと気楽に楽しみながら子育てを進めていってほしい、という願いが書かれています。 “自分はがんばっているのに、子どもが変わってくれない、などと思わないことです。変わる変わらないは子どもの自由です。あなたにできることを一生懸命にやって、結果を求めすぎないことです” 本文より 『気になる子どものシュタイナーの治療教育』 山下直樹 2007.3 シュタイナー教育については、学生の頃に興味があり、いろいろな本を読んでいました。その根本となる考え方にとても感銘を受けたことを覚えています。障害をシュタイナー理論から見た場合、どのように受け止めていくのか興味があり読んでみました。 著者はスイスにある治療教育施設で障害のあることともに過ごす中でいろいろと学び、その体験を中心に書いています。ある時、著者は、障害をもつ子シモンについて話しているときに「シモンの問題だと思う行動の全てを自分の中に見つけてごらん」と言われ、そのことが生活しているにつれ、何となく分かってきたそうです。つまり、障害だと思っている行動は実はすべて自分の中にもある同じ思いや行動であり、そこが極端に増幅されているにすぎない、障害は特別なものではなく、困ったことではないという見方です。 そして、障害をもつ人は「あなたは私に何を教えようとしているのですか?」「あなたのこの人生での課題は何ですか?」などさまざまな問いを引き出させてくれ、“何らかのメッセージを与えようとしてくれる”すばらしい存在に変わっていくそうです。これは、障害をもつ、もたないに関わらず、全ての人に共通することではないかと読んでいて感じました。「水分の摂りすぎ」は今すぐやめなさい 石原結實 2004.3 5月に読んだ本「病気にならない生き方3」には、とにかく“水”をしっかり摂ることの大切さが書かれていたのですが、図書館へ行くと、その本の横に、本書が並べられていました。以前に著者の本は読んだこともあり、気になって読んでみました。 著者は現代人は水分過多の人が多く、そのために引き起こされる病気や害が多いと言っています。中でも著者が大きく取り上げているのは、水分が体の冷えを作っているということ。冷えが病気につながるということは著者の他の本でも読んだことがあります。同じ水分を摂るのなら、生姜湯など体を温める方法で摂るのがよいそうです。 いろいろと健康についての考え方はありますが、さまざまな方向から物事を知って、自分の体質や習慣にはどれが合っているかを見極め実行していくことが大切だなと感じました。
2008年07月03日
コメント(0)
![]()
今日の日記も昨日やその前の日記に書いた友人のことと関連しています。 今年の初めに、レイキを身につけました。レイキには以前から興味があったものの、身につけようと思ったのは、先月亡くなった友人が病気になったことが大きなきっかけです。 厳密に言うと、きっかけというのはもう少し前。2年近く前に年配の方ですが、とてもお世話になったAさんが、ガンで亡くなりました。度々お見舞いに行っていたのですが、元気なうちはいろいろな話をしたり、体によい食べ物や飲みもの、好きそうな本や音楽を持って行ったりすることができ、選ぶ自分も楽しいし、相手の方も喜んでくれました。しかし、病気が進むにつれてAさんは食べ物を摂ることができなくなり、本を読んだりすることはおろか、話をするのも辛そうになっていきました。そうなっていくにつれてどんどんとできることが少なくなっていき、何もできない自分が情けなくも感じていました。 そんなときに、Aさんの友人が気功を使えるということで、気をAさんに流しに来て下さっているという話を聞きました。その友人の方は私も知っている方で、そのようなことができることを初めて知り、驚きました。Aさんは、「気功を流してもらうと本当に楽になるんだよ」「時々来てくれて、やってもらって本当に有り難いんだよ」ととても嬉しそうによく言っていました。その姿を見て、末期と分かっていてもやれることはあるんだ、精神的にも肉体的にも楽にしてあげるようなことや方法はいろいろあって、何か自分でもそのようなことができればいいなと強く思いました。 だから、友人が同じガンという病気を患ったとき、“気”というものの存在が頭に浮かびました。気功は修練がいるものですが、レイキは誰でも、数時間で身につけられるものです。 友人のこととは関係なく、レイキについて興味が出始めた昨年の夏頃に、自宅の近くにヒーリングサロンがオープンしたことを偶然HPで知ったのも縁でした。秋頃に、早速そこでレイキヒーリングを受けさせていただいたことがあり、その効果を自分でもとても感じていました。ヒーラーの方もとても素敵な方。レイキ交流会に度々参加し、レイキっていいなあ・・と思っていた頃に友人の病気を知ったのです。 何か、友人に出来ること・・を考えたときにレイキのアチューメントを受けようと思いました。レイキには4つの段階があります。ファーストレベルは手を当てることによってレイキを送りますが、セカンドになると遠隔で送ることもできます。(他にもいろいろなことができるのですが)ファーストを受けた後、1ヶ月ほどして、友人のお見舞いに行けないときは家から送ろうと思い、セカンドレベルまで身につけました。もちろん、友人のためというだけではなく、自分のためでもあり、家族にもヒーリングをしたいという思いも大いにありました。 友人はそういう目に見えない力も信じる人だったので、(江原さんの番組も好きで時々、話題にしていました)すんなりと受け入れて「体がぽかぽかとする」「気持ちが良くなった」といつも喜んでくれました。そういうことを送るという行為だけでも、喜んでくれたら、生きる力にしてくれたら・・という思いでした。そのことが何か彼女の支えになったりすることがほんの少しでもできていたなら・・と思います。 レイキを身につけてからいろいろなことが変わっていったような気がします。自分に必要なもの、必要でないものも少しずつ分かってきました。 先日は、レイキをアチューメントしてくださった方から、エンジェルのこともいろいろと教えていただき、エンジェルヒーリングも受けてきました。 ヒーリングの後に、エンジェルから伝えられた言葉を教えてもらったのですが、それは、本当に今私にとって必要な言葉で、本当にそうなんだ・・と深く心に入ってきました。また、一見意外だと思うことが、振り返ってみると、幼い頃の思いと繋がってきてとても不思議な感覚でした。それについて、「もしかしたら、前世での関わりが何かあるのかもね。そのことが必要になった時はまた、エンジェルが教えてくれると思いますよ」とヒーラーの方から言われました。人によっては、そのことを知ることが必要なため、前世でのことがエンジェルから伝えられるようです。 そんなエンジェル関連で読んだ本。エンジェル・ガイダンスエンジェル・ストーリー エンジェルについて書かれた本は、読んでいて温かな優しい気持ちになります。
2008年07月02日
コメント(0)
梅雨はじめじめとしているから、嫌だ・・という人も多いけれど、私は結構6月が好きです。5月のちょっと浮かれてバタバタと外に出る生活から、外に出るのを控え、家で一息ついて考えたり、家の中から雨の音を聞いたり、読書をしたり音楽を聴いたり。そして、雨に濡れる紫陽花が好きです。あの薄くて奥深い紫や水色、桃色の花の集まりに見入ってしまいます。 でも、今年の6月は長かったのか短かったのか、6月の初めが遠い昔のようでいて、ごく最近のような不思議な時間の流れだったように思います。 土日は、子供会の行事、学校行事、PTAの活動、娘のピアノの発表会など、毎週、親子でバタバタとしていました。 そして、実は今月は前の日記に書いた友人の死以外の死も身近で続いていました。 小さい頃、よく遊んでくれた親戚の叔父さんの死、子ども達が通う学校の子どもの死、そして友人の死。3人の方が亡くなり、3回のお通夜や葬儀に立ち会いました。 10代、30代、50代と年代の違う方々の死。 中でもやはり、子どもの死というのは親や周りの友達、先生方など本当にたくさんの人々にとってショックなことです。泣きながらお焼香している小学生の子、1人1人にお母様が「ありがとね。今まで本当にありがとね」と声をかけている姿、「お父さん、お前を守ってあげられなくてごめん」と泣くお父様の姿は思い出すだけで涙が出てきそうになります。 もう何年も会っていない叔父でしたが、幼い頃の思い出は今でも鮮やかに思い出せます。 今まで忘れていたいろいろなことがよみがえってきました。 亡くなった友人の子どもはまだ6歳。友人のことはもちろんですが、葬儀でお父さんのスーツの裾をつかんで、泣きながら歩く姿も忘れられません。 葬儀が終わって落ち着いて考えると、人にはそれそれの人生があり、出会い交流のあったたくさんの方がいる。そして自分もその人の人生の中の1コマに関わっていたのだということに改めて気づき、何とも言えない気持ちになります。家族であればその人の人生に関わった時間が長い分そこに含まれる気持ちもより深く、それだけに寂しさや辛さは言い表せないものでしょう。 生きているといろいろな時期があるし、いつ自分に死が訪れるとも分かりません。亡くなった人から得たもの、感謝の気持ちなどなどいろいろと考えさせられる月でした。
2008年07月01日
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1

![]()