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「タコさん、あんたの日記、本当にコメントないわね。誰も読んでないんじゃない?止めたら?」先日、きついお言葉をいただいた。「だいたいね、ブログって、二日書かなかったらやってる意味ないのよ。読者に失礼でしょう!」ごもっとも。昔は、一日に3回も4回もアップしていたことがあり、本業が何かわからないくらいで、スタッフから厳しく諭されたこともあった。でもこのサイトは2000年の9月のホームページの時代から続いているもので、当時の気の置けないスタッフが作ってくれた物に由来している。そう簡単に止めるわけにはいかない。実は、食事の次に日記を書くのが好きで書くことは山ほどあるのだが、最近、30歳代に戻ったように仕事で忙しくて。因みに、昔読んだ本にこう書いてあった。「30代で暇な人は、もう勝負あったなのだ。」その後の人生、30代にどれだけ仕事をしたかにかかっている、という本だった。そういえば、私の会社の主なスタッフは皆30代、なんてプレッシャーをかけているわけではないが。だいたい、昔と違って会社では誰もタコの日記なんか読んでないだろうし。「私の日記は、時として本当にコメントし難いものがあってね、だから少ないんだとおもうんだけど。」なんて話でお茶を濁した。大体、痔の日記なんかにどうコメントすりゅいいんだ、なんて威張ってみる話でもないが。ということで、初心に戻って連続失恋の話でもまた再開しようか。メルボルン、街のプロレスラーと 10年前毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月30日
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友人がピザの釜を購入してから、ちょくちょく呼んでくれる。身近なメルボルン、ピザ情報。度寒い冬には最適だ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月29日
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「タコさん、人は平等というでしょう。じゃさ、病気だって平等に扱われていいとおもいませんか。」慶応大学を出てサラリーマンをして、友人と会社を興したという50代半ばのKさん、どこから見てもカツラとわかる髪にネットをかぶせて私と話込む。ここは、関東でその筋では知らない人のいないといわれている横浜の「松島病院」、痔の総合病院。六階建ての病院には、死に至らない病の患者がぎっしりと入院している。「たとえばさ、私は胃潰瘍だったんです、って割と素直に言えるでしょう。でもさ、私はイボ痔で手術したんですって、堂々といえますか?これが差別といわずになんなんですか。病気が可哀相でしょう?違いますか?」お互いに手術したばかりで、あまり力んだりしると飛び上がらんばかりに痛みを覚える頃で、わりと静かに話しはできたのだが、カツラのKさんは怒っていた。いったい、20代半ばのうら若き女性が堂々とイボ痔の手術で会社を休んだんです、と言える世の中は来るのだろうかと、私も消沈してしまった。1984年10月のことだった。私は、32になっていた。しかし、この病院の中にいる限り、代議士だろうが女優だろうが皆フンドシに寝巻き姿の痔の患者、気持ちが通じ合う心地良さが充満していて心地よい。ここにいる限り、同病相哀れむことのできる平等社会。それが昂じて調子に乗って食後に女性大部屋の「果物パーティー」に呼ばれ、隣の部屋の八巻さんと一緒にいそいそ出かけ、大騒ぎして婦長さんに大いに怒られたりもした。ほぼ皆が元気に退院できる病院ってそんなにない貴重な体験ができた。私はその後、半年でオーストラリアの移住の旅に出た。Kさんは、時々の便りでその後も何度もこの病院に厄介になったと葉書をくれた。痔が取り持った交友はしばらく続いた。母は、「お前は本当にどこでも友達ができるんだね。」と感心していた。オーストラリアに移住する前に、世田谷のKさんの家に遊びに言ったりもした。何も隠し事のできない仲、みたいな心安さがあったのだろうか。しかし、いつからか手紙のやり取りは消え入るように途絶えてしまった。私は、余計な想像はせずに、いつも寝巻き姿で笑いながら痛さを堪えてスリッパを摺るように静かに歩くKさんを思い出すことにしていた。そして、Kさんの手紙の最後にいつも書かれていた一文を思い出して苦笑いした。「タコさん、オーストラリアでは、どうぞご痔愛ください。」毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月28日
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最近の朝ごはん、臆面もなく一挙公開。ポリッジに、蜂蜜よりさらに健康にいいといわれるネクターを入れる。3分ほどしたら(冗談です)黒ゴマの磨り潰したもの、きな粉、そしてナッツを入れておしまい。大いに食欲をそそられるくらいまで、しつこくかき混ぜて、一気に食う。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月26日
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裸でシャワーを浴びていた。もっとも、服着て浴びる人はそんなにいないだろうが。ホテルの備え付けの化粧セットが3つある。読もうとしても字が小さくて読めない。というより昔は十分読めたのだろうが、進行性老眼に罹っているので読めない。どれがシャンプーかどれがローションか?あ~。ということで一旦シャワーを止めて、裸のまま部屋のメガネを探すが、こういうときに限って見つからない法則が。体をブラブラさせながら切ない思いが付いて来る。あ~。怒涛のような短期のフィリピン出張が終わり真冬のメルボルンで体を縮ませている。セブの出勤風景毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月26日
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再びセブ入り、ホテルのインタネット環境が悪く、便秘のような日々。前日wifi完備、と謳っているのでこのホテルを使ったのに。確かに、wifiはきているのだがあまりに弱く、PCのネットが作動しない。お陰で、ステテコ姿とかではないが、一階のビジネスセンターにラップトップを持ち込んでワイヤー接続。新約聖書によると、弟子たちが船に乗って難破しそうになって本当に怖くて恐れを抱いているとき、イエスが言った。「恐れるな、私だ!」と。私は、ナンパしようとしていたことはあるが難破の方はない。しかし、いずれにしてもドキドキして怖いものだ。そんなとき、大丈夫だとしっかり言ってくれる人がいてくれると本当に気持ちが落ち着く。人生、60年もやっていると人間もだんだん図々しくなってきて、あまり怖いこともなくなってくるもんだ。私は学生時代洗礼を受けてクリスチャンだったが、今は、宗教には与しない人間になっている。でも、心のそこからの叫びみたいなものにはいつも敏感でいたいとは思っている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月22日
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「大草原の小さな家」に出ていた少女のような格好をして、シンディーがキャンプ場から出て来た。ウエストをしっかりと絞った薄いピンクのロングドレスだ。腰まである素直な黒髪が左右に揺れている。今日は、シンディーと村の教会に行くことになっている。1974年7月、私はアメリカのワシントン州シアトルから車で3時間の東部にあるクリスチャンのキャンプ場で裏方ボランティアをしていた。見る物何もかもが大きい。女性も大きく見える。シンディーは、おそらくインディアンの血が混じっているのだろうか、どこか東洋的な黒い瞳が愛くるしかった。話し方が、やや舌足らずで18歳にしては子供っぽかった。16歳のジムとスージー、そしてシンディーと私の四人でボーリングに行った帰り、二人っきりになれた。薄暗い道を歩いているときに手が触れ、そして体が触れ合った。クリスチャンキャンプの裏方同士だから、そこはそれあまりに地味な触れ合いではあったのだが。干草のにおう、星の綺麗な夜だった。「タコ、今日、一緒に教会に来てくれて、本当に嬉しかったわ。私、神様に二人のこと少しだけお祈りしたの。」真夏だというのに、涼しいくらいの天気の中、顔だけが火照るのが分かった。22歳の夏。日本に帰ってからもシンディーとはしばらく文通していた。「雲を見るたびに、あの雲が日本のタコに届くんだろうな、なんて思っています。」還暦になっても、こんな話で日がな一日過ごせるのだから、なんと安上がりな人生だろうか。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月18日
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「タコ、本当に久しぶりね。父と言ってたのよ、あの日本人はもう来ないんじゃないかって。」メルボルンで飲んだ後は必ず寄っていたグリークカフェのオーナーの娘、ナターシャが嬉しそうにそう言ってくれた。なかなか、最近は飲む機会も減ってきて前のようには行けなくなったのだが。「7月からね、3ヶ月ギリシャに遊びに行くのよ。ずっと前から計画していたんだけど、やっと行けるわ。確かに、経済が大変なことになっているけど、報道ほどは悪くないようよ。」自分の両親の生まれ育った祖国が、今世界恐慌の引き金にならされようとしている。彼女にとってはあまり認めたくないことだろうが。「久しぶりだから、サービスするわ。」きついショットをサービスしてくれた。酔い覚ましに入る店で、こんなの飲んだら何のためにきたかわからない、などと無粋なことは言わないで一気に煽った。せめて、ナターシャが帰る3ヵ月は、ギリシャでたいしたことが起こらないように願いたい。「本当は、父も母も一緒に来るといいんだけど、何せこの店もあるしね、、、、」そういいながら、やさしく別れのハグをしてくれた。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月17日
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13日は、家族、友人、そして近所の方々が集まってお祝いしてくれた。人が集まるのは好きなのだが、それが自分の為となるとやや苦手。それも、赤ワイン3杯も煽れば忘れてしまうが。14日は、会社のスタッフがハンプトンにある素敵な日本食レストランに招待してくれた。昼には学生さんから花束も。豪華寿司刺身セットが終わるころは、気持ちも胃袋も超満腹。お祝いに襟巻きと赤パンツ。早速使わせていただく。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月15日
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指折り数えて待ちに待った還暦日を迎えた。シニアカードがもらえると、オランダ系の連れ合いが嬉しそう。家族、友人、ご近所さんが今夜集まり遠慮のない酒盛り。「赤飯炊いて、お父さんと一緒にお祝いするよ。」エリザベス女王と同じ年の母が、昨年逝った父と日本でお祝いしてくれる。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月13日
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割と、日本食に近いようなものも多い。干物がけっこういける。ただ、一般的に塩味が強い。ご飯に小さな魚の干物をのせて、その塩味でご飯をかき込む。食の貧しさを塩でカバー、ということからそうしているらしい。写真のようなご飯は、ほとんどのフィリピン人にとっては望みようがない。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月12日
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いつまで、ロマンポルノ見てるんだ、と言われそうだ。ロマンポルノといえば学生時代、池袋ロサ会館、弁当持込で観にいって休憩時間にホールでお袋の作ってくれた「鮭弁当」を食べながら、人生こんなことでいいのだろうかと悩み悶え、それでも続けて2本目を観続けていた自分、そんな淡い思い出も蘇る。「男はロマンだよ。」サラリーマン時代、直属の上司にそんなことを言われ、ロマンポルノを思い出した訳ではないが、やはり夢とかロマンが仕事のエンジンになっていないと続かないなと思い知らされた。じゃ、女はなんなんだ、などという話でもなかったが。生きていく力、生かされていく力、ロマンでもロマンポルノでもいいが、そんな力がやっぱり必要なのだろう。閑話休題。ちょっと疲れたときは甘いものがいい。「男はマロンだ」とかいいながら。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月12日
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「タコさんはさ、インドにいるときはすごく元気だったけど、本社に戻ってくると青菜に塩だね。」販売促進部の笠原さんがそう言った。自分でも、そう思った。インドでのセールスキャンペーンで出張していた時は、仕事も仕事以外も勢いを感じていられた。インドへの出張は3回に渡った。最後に行ったのは、1983年11月で、この時技術関連のチーフとして4つ年上の笠原も一緒だった。笠原さんは、実にナイスガイでしかもポーカーフェイスがしっかり作れる人。デリーの空港で、私が現地の駐在員から頼まれて持ち込もうとしたロマンポルノビデオを没収されたときも、彼は実に冷静沈着だった。私は、営業としてキャンペーンチームのリーダーだったが、6時間に及ぶ入国管理官の足止めに狼狽して地に足が着かなかった。逮捕されると言われて、警察官だった父の顔と嘆き悲しむ母の顔が浮かんだりした。没収される前に、しっかり見ておくんだった、などと地団駄踏もんだが。一ヶ月に及ぶインド全土のキャンペーンで、笠原さんには本当にお世話になった。勤めていた建設機械メーカーで一生を終える自分がどうしてもイメージできなかった。会社の嫌な部分も見せられてきたし、それに対する反対よりも同調してしまう自分も見えた。中途半端な気持ちを引きずったままサラリーマンになってしまったこともあるだろう。会社を辞めたのは、ちょっと格好よく言わせてもらえるなら、「自分への辞令は、会社ではなく自分が出した。」みたいなことだろう。格好悪く言えば、というよりこれが真実なのだろうけど、自分に挫折、仕事に挫折だったのだろう。「はじめの一歩」に戻りたくなった。オーストラリアで人生のやり直したくなった。そして、1985年6月に一人で東村山からオーストラリア入りした。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月10日
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「刺青に関しては、総合的に判断しないとならないので、いろいろ検討しています。」日本のヤクザ稼業から足を洗った人の再就職に関する話とかじゃない。今朝、通勤の車の中でビクトリア州の警察トップの方の発言で、警察官に刺青をしている人が結構いて、新規採用のときに刺青はどう判断するんだ、とトークショーで問われたときの回答。オーストラリアにいると、刺青は本当によく見る。両肘にくもの巣のあるオージー男性に迫られてこともあった。20年前、街中で刺青の警察官を見たときは、ああここは日本じゃないんだなと強く感じた。子供のとき、家に風呂がなかったので両親とよく風呂にいった。どういうわけか、そんな小さい頃から男風呂だったが。父は警察官だった。東京は練馬の豊島園の近くの警察官住宅に住んでいたが、西武線中村橋の近くにあった銭湯に歩いて行っていた。実は、よく覚えているのだが体中刺青の入ったオジサンを見て、私は怖くて怖くてずっと泣いていた。父は職業柄そういう人と面識があったようで、よく話していた。私にとってはいい迷惑だった。私は、動物園では象が怖いと泣いているような子供だったらしい。子供のときは、怖いものがいろいろあるもんだ。刺青のオジサンを見ては泣いて、象を見ては泣いて。大人になるということは、すごいことで、今は刺青の人を見ても、象を見ても泣かない。ただ、去年の大震災の前の美しかった日本の姿なんかを見ると、ぽろぽろと涙が出てくる。怖いものが違ってきている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月08日
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「タコさん、同じことをずっと続けることって、すごいことですね。結果がそれほど出なくても、それが大切なんだよね。」メルボルン移住大先輩の荒川さんが、しみじみとそう言われた。励ましてくれたのだろう。自宅で一人で始めた留学代理店業務、16年目に入った。もうすぐ還暦。3、4年前からしつこく言い続けてきたことが現実となる。還暦過ぎたら、続けるべきこととそうじゃないことを明確にしたい。「人生を変えたい!」英語でいうと、I’d like to change my life. だろうか。ゆめゆめ、ライフをワイフとかに言い間違えないようにしていかなとならないが。ここは一応カタカナにしておこう。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月07日
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日記を書かないと、いつまで、冷やし中華食べてんだ、といわれそうだ。「フィリピンに住んだら、メイドさん雇えるのかしらね。そしたら、ご飯作らなくてよくなるのね。良いわね。」オランダ系の連れ合いの目が輝いた。「でも、メイドさん不細工なメイドさんにしないとね。あなたが、変な気を起こさないように。」私は、終始無言で会話は終了した。尚、写真と本文は全く関係ありません。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月04日
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SMショッピングセンターという、初めて聞くとなんとも鳥肌が立ちそうな名前のセンターへ行った。また、セブでの話。日本食レストランで昼食となった。暑さも手伝って、「冷やし中華」を注文。そんなに期待せずに待った。ところがどうだ、出てきた「冷やし中華」、日本でも食べられないほどの味。感激!「おおおお、20人、大丈夫かい?」この「冷やし中華」を舐めるように食べていたとき、大きく無愛想な日本人の男の声がした。団体が入るということで、一人で食べていた私が移動させられるハメになった。この空気膨れのような40がらみのメガネ男は、私を完全無視。この20人の団体、男が10人皆日本人。女性は小柄で年端もいかないようなフィリピン人。どうやら、それもんの団体ツアーらしい。「はい、ちゃんと男女男女に座ってよ。楽しくやりましょう!」途端に「冷やし中華」が不味くなった。一刻も早く食べ終えて、店を出たくなった。こちらのショッピングセンターに行くと、年のいった白人男性とフィリピン女性とのカップルが非常に多いのに驚かされる。驚いちゃいけないのだろうが。その内、目が慣れてくる。でも、だいたい一対一のカップルだ。あの空気デブのツアーガイドに言わせれば、自分たちはこの国に貢献している、女性を雇用しているんだから、とか言われるのだろう。別に、法律を犯しているわけでもないしと。非常に後味の悪いSMとなった。しかし、これは序の口だった。有名なフィリピンレストランに行ったとき、こんな日本人のグループが、別々に3組もいた。きれいごとをいうつもりは全くない。良いとか悪いとかの判断もしたくない。でも、うまく口では説明できない哀しさが残った。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月02日
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それはいったい誰の子だ?などという話しではない。遠い昔の話のことだ。「タコ!電話だよ、、、、、、アミちゃんだよ。」私は二階の階段を駆け下りて電話口に立った。「タコちゃん、会社辞めるんだって?同期の酒井さんから聞いてビックリして。オーストラリアに行くんだって?」1984年9月に約9年勤めたサラリーマン稼業から足を洗った。お世話になった方々など、いろいろな人に手紙や電話でその旨を伝えた。サラリーマン時代、4年ほど交際していた会社同期の亜由美からの電話だった。10月のことだった。家にも何度も来て泊まったりもしていて、母も気に入っている人だった。「そうなの。思い切ったわね。タコちゃん、私と結婚してたら、、、絶対にできなかったわね。貴方の夢が叶わなかったわね。」真剣に結婚を考えていた亜由美だったが、彼女は寿退社してこの3年前に私の前から完全に姿を消していた。そんな彼女からの電話は、まったく予期せぬものだった。とりとめのないことを、まるでタイムスリップしたかのように話し続けた。「そうそう、私に子供ができたのよ。孝子っていうの。」「そう、それは良かった。」全く手の届かぬところへ行ってしまった亜由美の声だけが、受話器を通して私に届いている。でもこれは、私の今の日常生活では小さな点のように消えていってしまう微かな声だった。「じゃ、気をつけてね、タコちゃん。」昔のようにひょうきんにおどけた甲高い声で言ってくれた。「ありがとう、アミちゃんも、、、、幸せにね。」「アミちゃん、元気にしていたかい?」母はそう一言いっただけで、そのまま台所に立った。10月の末から、代々木にある「パナリンガ学院」という日本語教師養成講座に通うことになっていた。オーストラリアで日本語教師になることを目指していた。二階に戻って、そのパンフレットに目をやったが、ただ字を追いかけているだけで、内容は全く頭に入らなかった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年06月01日
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