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大好きなレストランで、日本行き直前に飲み会、食べ会。気の置けない方々と、気を遣うことなく、言いたい放題。(これは、私だけかもしれないが。)月曜に日本。その前に、メルボルンの夜を友と満喫したかった。もうこれ以上飲めない、食べられない、という時にお開き。それでは、しばらくメルボルンを後に。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月31日
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移住を求めて1985年6月16日にシドニー入りした。日本にいては何も始まらず、無鉄砲にも観光ビザで飛びこんで来てしまった。33歳になっていた。日本で言うなら歌舞伎町のど真ん中、みたいなキングスクロスに投宿した。週84ドルのSpringfield Lodge という所を日本から予約していた。場所がよく分からずに決めたが入ってみて驚くことが多かった。売春宿街みたいな所でもあった。でも、すぐに慣れた。最後まで慣れなかったのは横になると床に着いてしまうよなスプリングの効き過ぎたベットだった。でも、一人で寝るんだからこれも別段大きな問題ではなかった。ここの映りの悪いTVで、あの日航機墜落事故も見た。私の移住を求める長い長い旅は、この薄汚れたホテルの部屋から始まった。サラリーマン時代の先輩が、たまたまシドニーに出張していて会う事になった。取引先の三井物産の土方さんという人も一緒だった。海外経験の長い土方さんからいくつかのアドバイスをもらった。1 孤独に耐えるのはいいが、部屋の片隅で耐えるのではなく、堂々とまん中で耐える。2 まず自分からAction を起こす積極性を持つ。3 日本人ということを変な意味で意識せずに現地に溶け込む。しかし、日本人を30年以 上やっているのだから、忘れていいこととそうでないことをはっきり意識すること。4 国際結婚して日本人の夫としての威厳を保ちたかったら、日本で数年住んでみること。 それができないのであれば、本当の意味でオーストラリア人に成りきるよう努力する こと5 自分の信念は決して曲げないこと。そして最後に極めつけ、母親に毎週か二週に一度は手紙を書くこと。その夜は、宿の柔らか過ぎるベットでいろいろ頂いたアドバイスを思い出したりして、なかなか寝付けなかった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月28日
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オーストラリアに最初に現れた日本人は、慶応3年(1867年)にメルボルンのプリンセス劇場で公演した12人の日本人曲芸団「大ドラゴン一座」(全豪日本人会編『オーストラリアの日本人』)ということであるから、日本人とオーストラリアとの関わりは、130年以上に及ぶことになる。最初に来たのは軽業師、芸人だった。私の甥っ子、タコ丸は指で大根を回す芸でTVに出たことがある。よく学校で鉛筆を回したりしたことは誰にでもあるだろうが、それが高じてきゅうり、大根とエスカレート。放っておけば、細身の人間まで回しそうな勢いだったようだ。芸といえば、メルボルンはその人口比からゲイが世界一多い都市と聞いたことがある。なんでも一番はいいことだが、私がお付き合いさせていただいた方の息子の結婚相手。彼女のお父さんが、ある時からお母さんになってしまった、なんてこともあった。詳しい説明はこの際省略するが。「名前は何て言うんだい?」アリススプリングスからダーウィンに向う空いているバスの中で、オージーの男が私の隣に座ってきてそう切りだした。1985年7月のことだった。その男は、両肘に蜘蛛の巣の刺青をして細身でやや髪を長くした善良そうな人に見えた。話しかけられると嬉しくなる移住候補生の頃の話で、いろいろと会話が始まった。オージーは親切でいいな、何ていう印象を大きくしようとしていた時、この男が私の太腿を撫でるような行為に出だした。鳥肌が立ち、あっちこっち縮みあがってしまい、そんな様子が露骨に顔に出たのだろう、その男は別の席に移っていった。夜のバスの窓ガラスに映るその男を目で確認しながら、なかなか寝付けない車中泊となった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月27日
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2012年03月26日
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ネット上で話題になっている写真をシェアーさせていただいた。脱サラしてオーストラリアに来る前に、横浜の6階建ての大きな松島病院で私も2週間程滞在してお世話になった記憶がある。中学時代、陸上部の星と自分で言っていた頃、先生に運動した後すぐに座るなよと言われて座ってそうなった。実に20年来の友におさらばした病院。オロナイン、ボラギノールからの解放。しかし、私たちも知らない間にとんでもない外国語のTシャツとか着ているのかもしれないが。この少年の健康を祈る。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月24日
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「タコ君、3年生の木内さんって知ってる?」中学2年の3学期、コークスを用務員室に取りに行っていたら同級生の荻原が聞いてきた。何だか、浮き浮きした顔をやや紅潮させている。東京の練馬区にあった練馬中学に通っていた頃の話だ。何でも、上級生の木内さんという女性から声をかけられたという。大杉さんというもう1人の女学生と一緒に私も交えて4人で映画に行かないかと誘われたらしい。こんなことは、後にも先にもなかったことで、私も石炭ストーブの前で急に顔が火照ってしまって言葉も出なかった。4人で観に行った映画は、エリアカザンの「エデンの東」だった。ねちねちした感じのジェームス・ディーンがすごく印象的だったが、14歳の私にはやや難しい映画だった。中学生のグループ交際で観に行く映画ではなかったような気がしてしまった。その頃の一つ年上の女生徒は、大人に見えてしまうほど年の差感じた。全身真面目が学生服を着ているような頃の私で、自分の芸のなさに呆れるほどだった。会話もぎこちない。今だったら、守備範囲は前後20歳くらいまで拡大しているような気もする。唯、こんなことは言わせてもらっているだけで、まったく他意はないのだが。ちょっとコケティッシュで悪女的な感じのする木内さんに心が動かされ、いろいろ先の先まで考えてしまったりもした。ういう時が一番楽しいとも思えた。「タコ君さ、俺木内さんがいいんだけど。」荻原も木内さんが好きになったようだった。それはないだろう、と思わなかったと言えば嘘になるが急に全てが面倒くさくなったしまった。というより、自分は荻原には勝てないと思った、というのが正直なところだったような気がする。そんな訳で、始まりも終わりも、ものすごく早い最後のグループ交際となった。4月に日本に一時帰国する。中学時代の学友との還暦同期会がある。渋みを増しているであろう荻原に会えるのが楽しみだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月23日
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「タコ、べ平連の集会があるから行かないか?」高校時代、友人にそう誘われて行ってみた。機関銃のようにまくし立てながら早口に話すオッサンがいた。小田実だった。本は読んでいたが、本人に会うのは初めてだった。1970年、高校三年の年は、世の中の騒然が続いていて私たち高校生も無関心ではいられなかった。その年の6月の日米安保条約延長の動きに向けて私もデモに参加、持っていた傘の柄が機動隊に当り引きずられそうになったことがあった。体力はしっかりと鍛えておかないとならないと思った。「どう、ベトナムに行ってみない?」得意のインターネットディールで、オランダ系の連れ合いが格安ツアーを見つけたらしい。一度は行って見たいと思っていた国の一つベトナムだ。二つ返事で了解した。ということで、この7月にホーチミン、ダナン、そしてハノイに行けることになった。ダナンの近くのリゾートは、なんでも世界一美しいと言われているとか。戦争との関わりで関心を深めた国だったが、今は平和な国になっていてこうして観光もできる。いろいろと肌身で感じてみてみたい。やっと行ける。こんな平和になった国に、今、日本が原発を売ろうとしている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月22日
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オランダ系の連れ合いの両親が車を買い換えた。昨年、体を壊した父親に代わって、普段はまったく運転をしていなかった母親が運転しやすい車ということで。車のナンバープレートは前の車のをそのまま使っている。父親がJIMで母親はMIAというのでその名前を一緒にしたものだ。入院するまで、最後に別々の所で寝たのは長男が生まれた50年近く前と言っていた二人。どこへ行くにも、何をするにもいつも二人一緒。そんな二人を象徴するようなナンバープレートだ。縁あって一緒になった二人がいつも一緒にいる。これが夫婦のあり方なのだろう。そんな夫婦のDNAをしっかりと受け継いでいるのが私の連れ合いだ。私の場合は日本に帰ることが多く、一緒にいられないことが結構あるが。昨年亡くなった私の父親は本当にどこへも行かない人だった。いつも家にいる。だから私の両親もいつも一緒にいた。母は、連れ合いの両親とは違って、もしかしたらたまには一人になりたかったのかもしれないが、状況がそれを許さなかった。「一人で大丈夫かい?」母に電話する。「大丈夫だよ。」母の元気な声が返ってくる。「この間送ってくれたオーストラリアの写真。仏壇に備えてお父さんに見せてやったよ。」母は仏壇に向かって毎日いろいろ話しているようだ。今も一人ではない、ということなのだろう。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月20日
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最後にインドに行ったのは1983年の11月だったからもう30年近く前になる。機会があればもう一度行ってみたい国の一つだ。隣のクリスさん夫妻と近くのインド料理屋に行って来た。インドに行けないので、今は料理でお茶を濁している。「友人に結構な金持ちいがいてね。」話好きのクリスが言い出した。何でも、その人が病の床に伏しているときに、子どもたちが既に遺産のことでとんでもなく揉めていて、その友人は死んでも死にきれないと言っていたらしい。そんなある日、その友人が子どもの中では割とまともだった独身の息子に何か言い残したいと言ったそうだ。その息子は遺産の件で何かあるのだろうと話を聞いた。「いいか、ずっと独身でいろ。もし、結婚しても子どもは絶対に作るなよ。」そう言い遺したそうだ。金持ちは金持ちでいろいろと苦労があるもんだ。そう思いながらインド料理を食べつくした。私の場合は、こういう問題は全くない。最近のニックネームも「金子なし」になっている。このまま途中で血迷ったりしないで、このニックネームを保持して行きたいもんだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月18日
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ギリシャ人の町オークレイ、私のブログでも何度も紹介していて、この町の町長さんとかがいるのなら、表彰とかはいいけれど赤ワインの1本くらいは貰ってもいいと思うのだが。なにしろ、ギリシャの経済破綻が世界中の人の頭に擦り込まれいて、脳の使われている部分の4%くらいはこのギリシャの話で埋まってしまっているような毎日。それを背景に、オーストラリア移民が増えてきているようだ。週末に行くと、本当に賑やかだ。移民の子孫がまたその子孫を増やしている。そしてこれに新移住者が加わってきている。いつも買う魚屋の横の肉屋の外ではソーセージの試食。そして、茶飲み友達の話のようにギリシャ系の男たちの会話が延々と続く。カフェでも、中高年から老人まで何の話か分からないが大きな声で歓談が途切れない。因みに、オランダ系の連れ合いの両親は、金曜日の午前中に決まった同じカフェでドイツ人、オランダ人のお茶の会に参加している。ゲルマン系と地中海系で一つだけ違う点は、ゲルマン系は夫婦のカップが基本だが、地中海系のギリシャ人は男だけ。私はどちらかというと、ゲルマン系がいいように思えるが、日本人移民は極少ないので、これらの人々のように群れることができないかもしれない。と言って、じゃ韓国系とか中国系移民と一緒に、なんてことも起こらないだろう。畢竟、連れ合いの付録のようにくっついていって、ゲルマン系とお茶するしかないのだろうか。きくところに拠ると、タイのチェンマイやフィリピンのセブあたりでは、日本人の中高年がワンサワンサといるらしく、そこでは日本人コミュニティーの元気がいいという。タイ語は全く忘れてしまったが一応大学で勉強したし、フィリピンは仕事で関係もあることだから、老後は第二の海外で、なんてことが起こりうる可能性もなきにしもあらずのようだ。オーストラリアは物価も高いし、大嫌いなウランも売っているし。まっ、すり減った左脳を駆使していろいろと検討だけはしてみてみたいところだが。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月16日
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オランダ系の連れ合いが、重い腰をやっと上げてくれた。因みに、腰は本当に重くなってきてはいる。2年ほど前からダンスがストップしていて、軽快な音楽が鳴り出すとすぐに踊りだしたくなる性質の私が、また始めようと何度も提案していてやっと再開が決まったのだ。足の裏とかが痛くなることも彼女が行かなくなる理由の一つではあったが、一番の理由は100人を超えるロックンロールのクラスでは、Progressive と言われる相手がどんどん代わるダンスが多く、汗臭い中年の男と踊るのが嫌だったようだ。それに、インストラクターが毎回毎回同じつまらないジョークを言うのも辟易していた。因みに、私の場合は汗臭い中年の女性と踊ることは別段問題はないように感じてはいるが。インターネットディールで格安で踊れるダンス教室を連れ合いが見つけて行くことになった。20人もいないような小さなクラスで、彼女も気に行っているようだ。先日、柄でもないが街中でやっていたミュージカル「コーラスライン」を観に行って来た。一緒に踊りたくなるほどだった。私の先祖は、ドジョウすくいの名人だったのかも知れない。ということで、毎週このダンスクラスに通い、将来は老人ホームの余興でミュージカルでやってみたいと密かに願ったりしている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月14日
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何でも初めての体験は忘れられないもの。初めて女性に平手打ちをくらったことなど、理由は忘れても今でも痛さまで蘇る。日本帰国の際は、毎日タコを食べている。共食いでタコ力を付けないとならない。母は歯が悪いので、私が一人で食べている。週末にメルボルンでタコを買って茹でてみた。生まれて初めてのことだった。ちょっと、ヌルヌル感がたまらず、引いてしまいそうになったが敢行。オランダ系の連れ合いは、口をわざとクチャクチャいわせて不味そうに食べているので、私がタコが主食のように大喰らいの晩御飯になった。まったく問題はなかった。忘れられない初体験が一つ増えた。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月13日
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巣鴨地蔵通りで両親に、塩大福、切り餅、イナゴの佃煮を買って、タイ焼きを食べ、都電に乗って山手線の大塚駅へ。そこで、あの地震に遭った。父の介護のためにオーストラリアから一時帰国の時だった。あれから一年。今日メルボルンは抜けるような青空。メルボルンの街中で日本人も多く参加する脱原発集会があるので行って来た。日本の東芝、日立、三菱が世界の先頭ランナーで原発を推進してきて、これからもしていく。この体制は変わりようがない。日本の経済体制が変わらない限り、これからもずっと続いていく。しかし、意思表示はしていかないと、と思う。こんな中、オーストラリアはこれからウランを大々的に増産していく。ウランの使用先は、核兵器か原発。ということは、世界で恣意的に戦争を起こしていかないとならない状況ができる。それがウランビジネス。国民を騙して、戦争を起こしていく。昔からのパターンだ。そして、原発はどんなことがあっても推進していかないとならない。日本は海外輸出促進。こんな世界に私たちは生まれ、生きていかないとならない。今日の集会は、ウラン採掘反対のオーストラリア人の動きと連動、盛り上がりを見せた。一個90円のタイ焼き、太ると思って一つで我慢したが、もっと喰っておけばよかった。あれから東村山の家に帰り着くまで9時間以上もかかったのだから、、、、、、、、毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月11日
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「タコ君ね、ウエートトレーニングしたからといって痩せるわけじゃないんだよ。」ロシア語科3年の菊池さんがそう言った。大学一年の時にウエートトレーニング部と聖書研究会に入部していた。体とそして魂を鍛えるべく励んでいた。「ダンベルとかベンチプレスで胸の筋肉を付けることで、肉を上に引っ張るんだよ。だから余計な脂肪が少なくなったように見えるんだよ。」部長の言うことだから説得力があり、私も納得してバスト増強に努めることにした。大学時代はそれなりに効果があったが、社会人になり深酒と不摂生でどんどん脂肪の塊と化してしまってた。そして、それでいいと思うようにもなっていった。今、一つになってしまった腹をもう少し割れないものかと励んでいる。高校時代は何もしなくても割れていた。大学時代は鍛錬で3つくらいにはなっていたと記憶する。そして、もうすぐ60の手習いとして、まずは黒くなった腹を二つに割ることを目標としてウエートトレーニングを開始した。問題は、魂を鍛える術を人生のどこかへ置いてきてしまっていることだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月08日
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足立良子さんという、私も面識のあった方がオーストラリアに関して出版された本にこうあった。もう、20年近く前の本である。日本人には出来ない事1 浜辺で一日中ぽかーんとして寝転がっていられること2 庭の手入れに何時間も夢中になれること3 長時間のパーティーに腰が浮き上がらないこと他にもいくつかあったが、この3つが特に残っている。これらは本当に私にもできないことだと思えた、当時は。ところがどうだ、今読み返してみるとどれも問題なくすっぽりと当てはまるではないか。人は環境の動物、とはよく言ったもんだと感心したくなる。もう私は、顔の大きなオージーに半分くらいはなっているのかも知れない。してみると、90歳近くにまでになったなら、そのときは98%くらいオージーになっているのだろうか。そんなに長生きしたとしても、オランダ系の連れ合いからはスマイルが足りないと言われ続けているだろうから、安全をみて2%くらいは日本人であるだろうという数字にしておくことにする。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月07日
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最近、料理の写真がないので、そろそろ世界中からクレームが来そうで、先手を打ってここのところのカフェランチ。オランダ系の連れ合いが、インターネットディールで買いまくっているようで、私も仕方なくお伴させていただいているが、、、、毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月05日
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メルボルンでカラオケ、何年振りだったろうか。会社スタッフがあまりカラオケ好きではないこともあり、ここ数年、歌うのは日本帰国の際となっていた。そんな中、関係会社と2社合同のカラオケの会があった。しかし、どうも勝手が違う。私が歌う歌を知らない人がほとんどだ。それもその筈、最年長の女性が36歳という設定。僅かに一人、私の歌に相槌を打ってくれるのは50代の男性。ということで、得意のデュエット「東京ナイトクラブ」をこの男性と歌う、という血迷った会になってしまった。若い人が歌う歌は、結構早口歌が多くしかも難解だったりする。私は、基本的にはカラオケは踊れるようなリズムの楽しい曲がいいが、到底そのようなことが期待できない状態だった。もう一つ気が付いたのは、他の人が歌っているときにスマホをいじったりしている人が多いこと。昔はこんなこと考えられず、いじっているのはタンバリンくらいのものだった。みんなで楽しく手拍子でわいわいがやがやみたいなカラオケは、「お母さん私の麦藁帽子、どこへいってしまったのでしょう」状態で望みようながいことを悟った。小皿叩いてチャンチキおけさ、とか言いだしたら放り出されそうだ。実は、私の18番と19番、「君恋し」「銀座の恋の物語」は最後に歌おうと思っていたがそのような状況はまったくなく、そのまま歯痒いお開き。考えてみれば、今年還暦のオヤジじゃタコでなくても浮いてしまうのが当たり前。糸が切れた凧のように、メルボルンの空を低空飛行しながら帰宅となった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月03日
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しつこうようだが、メルボルンは世界で3番目にギリシャ人が多い街。ギリシャ以外では、最大のギリシャ人コミュニティーを持つ。昨年からのギリシャ経済破綻で、失業率が40%を超すと言われているギリシャ本土からのオーストラリア移住の問い合わせが激増しているという。特に、メルボルンにそれが顕著だという。すでにここにはギリシャ人が売る程いる。そんな訳で、メルボルンのいろいろな所にあるギリシャ人街が益々賑やかになっている。とはいっても連れ合いはオランダ系だから、今からギリシャ人になる手立てはない。しかし、考えてみなくても日本人は極貧の日本から多くの人が海外移住をしてきた歴史を持つ。ブラジル、アメリカ、ハワイ、オーストラリアなど。古い所では山田長政のタイとかも。ここしばらく、日本はあまりに住み易い国であったから海外移住など真剣に考える素地がなかった。しかし、今は経済も破綻しかけているし原発事故も収束していない。してみると、ギリシャのように海外移住が激増してくるのだろうか。先日、そんなことを思いながらギリシャ料理を味わった。これからは、ものすごく頭を柔軟にして、発想の転換を図ってやっていく時代になったと思う。そういえば、4年間メルボルンで英語を勉強していた60代の石山さん、日本に帰らずそのままタイに移住を目指して行かれてから久しい。もうすでに、変化は現れているようだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年03月01日
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