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「一度きりなら浮気継続性を感じさせた場合は不倫」フィリピンにいるときには、全くといっていいほど読書ができなかった。メルボルンに戻り、日常がかえってきて本をペラペラとめくっていたら、ために成りそうな言葉に出会った。因みにその本は、東野圭吾の「夜明けの街で」だった。浮気と不倫の違いって、こういうことだったのか。だからどうだということはないが。やはり、読書は欠かせない。日本は読書の秋、メルボルンは身も心も熱くなる初夏を迎える。推理小説がいいようだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月31日
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「タコさん、何ボーっとしてるんですか。ちゃんと、焼き鳥の串刺し続けてくださいね。」ヘッドシェフでチーフの新川さんが言った。私より年下だが、プロのシェフ。私は、オーストラリアビザ狙いのにわか作りのキッチンハンド。昔、私が勝手にメルボルンの青山・六本木と呼んでいたサウスヤラという所にあった日本食レストランで働いているとき、寿司シェフでチーフの新川さんが言った。仕込みをしながらレストランに流れるラジオからの音楽に思わず手が止まってしまった。一ヶ月前にニュージーランドを旅行中にある宿舎で流れていた曲だった。That’s what friends are for.http://www.youtube.com/watch?v=wTcHT4zpAGs「タコ、どうしても行かないとならない所があるの。」ニュージーランドをバックパックを背負って旅行しているとき、アメリカ人のリサと移動中のバスの中で知り合った。リサは30歳の消防士、ファイアーファイターで休みを利用して1人で南島を回っていた。背中まで素直に伸びた金髪を束ねて大きな笑顔を作りながらややハスキーボイスで話かけてきた素敵な女性だった。いや、実は、布袋にいっぱいに詰まったニンジンをぼりぼりと音を立てながら食べているリサに思わず話かけようとしたのは私の方だった。しかし、目が合ったときに彼女のほうから「ハーイ」と挨拶してきたのだ。手にしていた分厚いペーパーバックはフロイトの本だった。1986年1月2日のことだった。バスは、クイーンズタウンから氷河の山、フランツジョセフを目指していた。それからアーサーズパスを経由して、1月4日にクライストチャーチにたどり着くまで可也の時間を一緒に過ごした。旅行代を節約するという意味で、クライストチャーチの街の安ホテルの同じ部屋を予約した。夕食が終わって、ホテルの戻り、寝ようとしているときにホテルのラジオから、雑音の混じったThat’ what friends are for. が流れてきた。安ワインの酔いも手伝って、浮いた気持ちが勝手な夜の想像を大きく膨らませる。夜の11時近くに一体リサはどこに行くというのだろうか。遅いから明日にしたらと言ってみても、しかし、リサはバックパックをすばやくまとめ、フロントにタクシーを一台予約してしまった。「きっと電話するわ。また会いましょう。ニュージーが駄目なら、タコが住んでいるメルボルンに必ず行くわ。」会ってまだ2日しか経っていないのに、ずっと一緒にいて恋心が一人歩きしてしまっていた。惚れ易さは、小学校の時からの折り紙つき。「有難うタコ!」そういいながら、リサはタクシーの窓を目いっぱい下げて、唇を丸くすぼめて手の平に近づけて投げキスをして消えていってしまった。しつこい私からやっと解放された喜びだったのだろうか、あの時にリサの笑顔が忘れられない。That’s what friends are for.毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月28日
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諸々の事情で、母の作る芋の煮っ転がし、半年先の楽しみに延期となった。「河口湖の温泉の予約、ちゃんとキャンセルしたのかい?楽しみにしていたんだけどね。」私は、昔から「諸々の事情」っていうのが好きではない。ということで、しばらく「世界一すみ易い街メルボルン」で庭掃除とか、バスルームの補修などしながら過ごすことになってしまった、、、、、、毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月25日
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日本の一時帰国で、私が一番頻繁に行く所は?ジジチャリで買い物に行く「いやげや」スーパーのある清瀬も確かに良く行くが、実は所沢だ。何しろ、毎朝1時間半の早朝ウォーキングは埼玉県の所沢を目指して歩く。そして、買い物は所沢商店街。飲むのもここ。「何だこの歌?変わった演歌だな。」1980年代の初め、勤めていた会社の檜山課長の引越しの手伝いに行ったとき、車のラジオから流れる演歌に同僚の前川さんがそう発言した。一回聴いたら忘れられなくなるほど心が動かされた。その歌手の名前は、「さいた・まんぞう」。それから、埼玉県出身の人にお会いすると、いつもこの歌を話題にしてきた。ところがどうだ、最近の若い方々はこの歌をまったく知らない。後世に残すべき名曲「なぜか埼玉」が風化しようとしている。ということで、11月の帰国時の朝のウォーキング中に聴く歌の一曲は、所沢を歩きながら「なぜか埼玉」になる。ときどき口ずさんだりしながら。http://www.youtube.com/watch?v=Kz6_CEuJFpE毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月23日
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「おい、タコ君!行くぞ。」豪州アジア課の杉田副課長が業後間もなくこう行った。「行くぞ」というのは、今晩は赤坂か、六本木に飲みに行くぞ、という意味だった。チョンガーの私は二つ返事でスタンバイ。建設機械メーカーの海外営業部にいた1980年代初めの頃の話だ。「タコ君、うちの部の半期の交際費7,000万円、まだまだ余ってんだよ。使い切らないと来期は減額だからな。仕事と思って使い切ること!」杉田福課長、真面目なコメントをしているようで、顔がニヤけている。赤坂で行くところは大体決まっている。「ニュー・ラテンクォーター」だった。グランドキャバレーが姿を消す最後の頃の話で、私は会社のおかげで十分と恩恵にあずからせていただいた。「吸わない?」ラテンで横についた美由紀さんがパーラメントをすすめてくれた。「タコ君、、だめだよそんなの吸っちゃ、はっか系はあっちが役立たずになるぞ。だいいち、今までタバコ吸わなかったんだから、30前にして今更覚える ことないんだよ。」先輩の前川さんがそう諭してくれた。おかげで、タバコは吸わずの人生が続いている。「じゃ、踊りましょう!」タバコを吸うのをやめて、美由紀さんとチークダンスを踊り始めた。「前川さんのパーラメントの話ね、あれ嘘だからね、大丈夫なのよ、、、、、」といいながら美由紀さんがぐっと手を握り締めてきた。「それにしてもタコ社長は元気なのかな、たまにはラテンクウォーターで過ごした日々を思い出して下され。」昔のように日記を更新していないので、シドニーのお友達がが励ましの一曲とお言葉を送られてきた。気分は赤坂、、、、、http://www.youtube.com/watch?v=5sISS5zEtWU&feature=youtu.be毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月20日
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子どもが行ってもとしま園、子どものときここの近くに住んでいた。練馬区向山町2丁目だった。西武池袋線の豊島園駅から近かった。私の幼年期、少年期、青年期には、この豊島園には思い出がいっぱい詰まっている。乗り物では、何といっても「ウォーターシュート」、着水したときの大きな水しぶきと船頭さん(というのだろうか)がそのときに高くジャンプするのが見ものだった。母は、エスカレータにも乗れない人だから乗るときは当時若かった父とだった。前の方に座ると、水しぶきがかかってスリルが上乗せされる。高校生のとき一度だけ、それこそ4歳年上の年増の美佐子ちゃんを木陰に引っ張って接近しようと試みたことがあったが、一緒に行っていた兄に顰蹙をかって不発となった。豊島園で浮いた話はそれくらいで、あとは純粋に乗り物やプールを楽しんだ遊園地として記憶に残っている。閉鎖が云々されているらしいが、その前に浮いた話の続きでも夢見ながら行ってみるのもいいかもしれない。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月18日
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人生、もろもろの問題は5万とあるが、その中でも困ったことが、、、。メルボルン、いよいよ春の嵐の季節。風がふくと桶屋が儲かるのかどうか分からない街ではあるが、花粉が元気に飛び交ってくれる。「あなたにはまつ毛がない。」とオランダ系の連れ合いに言われ出してから久しい。だからといって付けまつ毛とか検討しているわけではない。ないまつ毛に輪をかけて、かろうじてあるまつ毛がいわゆる「逆さまつ毛」、反対側にカールして目につき刺さってくる体質。だからこの季節、メルボルン中の埃、花粉が私の小さな目に入ってくる。たまらない。明日から、水中眼鏡でも掛けようか。メルボルン、世界で最も住みやすい街、と言われている。今はそれに、「季節限定」とか言ってみたくなる時期ではある。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月15日
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「タコ社長をおごる会」が先日盛大にメルボルンで執り行われた。会社を始めて16年、いつの頃か私の提案で極自然に始まったこの会、続いている。歴史がある。こういういい習慣はできるだけ続けていって欲しい。今は、黙っていても3年に2回くらいは行われている。本当に有難いものだ。いつの日か、私は社長を譲る日がくるのだろう。そうしたら、「会長をおごる会」とかにして欲しいもんだ。しつこい性格は変わらない。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月12日
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何も威張っていうことではないが、日本帰国が決まった。11月に3週間ほど行かせていただくことになった。左手首を骨折してギブスの母だが、その頃には料理ができるようになっているかもしれない。「宅配の料理を頼んだんだけど、不味くて不味くて、断ったよ。」料理が得意で大好きな母。何よりも自分の作った料理が食べられなくて困っているようだ。「また、河口湖の温泉に連れてってね。」母は、来年の1月に87歳を迎える。国際免許を取って、元気に帰国したい。本年4月の帰国時の写真。母はピザが大好きだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月11日
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インペリアルホテルだった。インドのニューデリーに出張したときに投宿した。1983年の11月、私は建設機械新製品のセールスキャンペーンにリーダーとしてインド中をチームで回っていた。一番年下だったが、営業ということで名前だけのリーダーになった。「アメリカから仏教の勉強に来ています。」素直に伸ばした金髪の髪をやや揺らしながらドナが話を始めた。インペリアルホテルのロビーの赤い長椅子で長い会話がゆっくりとしかも静かに流れだした。白いシースルーのブラウスが気になって仕方ない。1952年2月の生まれだというから、私とは同じ年だった。「あなたは、日本人なのに仏教徒じゃないの?」至極当たり前の質問だった。「これから、山奥に入って修行をするのよ。エネルギーを体一杯に浴びながら数週間過ごすわ。」仏教徒のドナには、邪念が微塵も感じられなかった。私は邪念しかない。話が長くなり、時計は夜の11時を回っていた。するとドナが透き通るような声で言った。「私の部屋でお茶でも飲みませんか?」「タコ君、何してるんだよ。明日朝早いんだからね。」技術協力部の菊池さんが何を勘違いしたのか、肝心なところで声をかけてきた。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月09日
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「フィリピン女性は最高だよ!」タクシーの運転手が大きな声で言う。「但しね、あんたが金持ちならの話だけど。」昔日本で、三高とかいう言葉が流行ったことがあった。でも、フィリピンは一高だ。高学歴も高身長もまったく関係ない。金、金、金の世界。「もてる」という言葉がこれほど無価値な国もない。70歳過ぎて120キロくらいのずんぐりむっくりとした白人男性と、曲げたら折れそうな華奢なフィリピン女性が手をつないで歩いている。そこら中にいる。格好いいとか腹が6つに割れているとか、全く関係ない。畢竟、運動に力も入らなくなる。金にすり寄り、金に阿る。一事が万事そんな風に見える。いやいや、それはごく一部ですよ、と言われるかもしれないが今のところ説得力に欠ける。ショッピングセンターに行けば、プロ、セミプロの女性が声をかけてくる。質問はいつも一緒。「マッサージ?」「どこに泊まっているの?」「電話番号教えるわ。」1人じゃなく3人くらいで追いかけて来られることもある。こんなことは、幼稚園以来ないことだ。歩いている女性、全てがプロに見えてくる。しかし、金の切れ目が縁の切れ目。この罠に嵌って、女性の家族一族郎党に身ぐるみ剥がされ放り出された日本人も少なくないという。それでも、そんな落ちぶれた人を、貧しい人が助ける社会でもあるらしい。餓死者と自殺者がいない。貧しい人は貧しい人同士で助け合っている。金持ちにたかるのも皆でたかる。今後、ショッピングセンターでは、物欲しそうな顔をせずに、わき目も振らず歩くことにする。* この私の日記に対し、フィリピン人を侮辱しているとフィリピン在の日本人の方々から強いお叱りを受けました。フィリピン人が好きで、リタイヤメントビザを申請しようとしている私ですが、そのような結果を招いてしまったことに深くお詫びいたします。この日記はプロ、セミプロの女性の方々のことを書いています。タクシーの運転手が勧める女性は100%プロです。ショッピングセンターや、ナイトクラブなどで話しかけてくる女性も全てプロの方々です。最初は、普通の人かなと思いましたが、結局はお金の必要なプロということが分かりました。私はフィリピン新参者ですから、フィリピン人のお友達がまだいません。話しかけてくるプロの女性たちのお話として書かせていただきました。一般の方々に誤解を招くような不快な思いをさせてしまったことを反省しております。本当に、申し訳ございませんでした。また、自分の中にフィリピンをステレオタイプで見たり言ったりすることがなかったのか、と省みて今後十分に気をつけて参ります。また、プロと見た人が実はプロでなかったということもある筈ですので、その方々にもお詫びいたします。こえからは、フィリピンのお友達をつくって、本当のフィリピン社会に溶け込んでいけるようにやって参ります。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月09日
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メルボルンに戻った。やっと真面目な日記が書ける環境になったような気がする。「100メートル先からでも日本人女性と中国人女性の見分けはつく!」と豪語していたときがある。まったく、威張って言うことでもないし、言わなかった方が良かったとも思えるくらいの話ではある。最近は、中国人、日本人、服装などの見た目ではまったく分からないことも多くなってきている。しかし、決定的に違うところがある。韓国人女性なら若い女性の6割はしているといわれるプチ整形、キムチのニオイなども判断材料になるところだが。実は、歩き方の違いなのだ。中国女性はだいたいが外股歩き、胸を張って堂々と歩く。日本女性は着物文化の名残、やや内股気味に控えめに歩く。だから100メートル先からでも分かる。200メートルになると自信はないが、、、。そして、あまり近づくと足は全く見なくなるし。因みに、ずっと前からフィリピン人女性の歩き方が気になって仕方なかった。何なのだろうこの歩き方は。絶対に日本人女性にはいない歩き方だ。太っている人も痩せている人も同じような歩き方をする。だらだらと外股に歩くのは見慣れていたのだが、後ろから見たときに多くの女性が大きさにはまったく関係なくお尻を左右に振って歩くことを発見したのだ。この発見も、それほど人生に重要な発見とは言い難いが。しかし、いわゆるモンローウォークなどとは似ても似つかない振り方なのだ。そして、男性にも同じ歩き方をする人もいる。ゲイの本当に多い国だが必ずしもゲイとは限らない人もそうだった。ちょっと練習したら、私にもできたので何かの時にお見せしたいが、公共の場では勘違いされると困るので止めておくことにする。しかし、歩き方一つとっても各国でこれほどの違いがある。誰から教えてもらうわけでもなく自然に身につくこの不思議。こんなことにではなく、もっと別なことに尽きない好奇心が働いていたら、私の人生、もう少し違ったものになっていたのかもしれないがもう遅い。いずれにしても、余生、気をつけながら、観察を続けていくことにしていきたい。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月07日
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あって5欲、なくて3欲、などと言われる。因みに、私に残っている欲は食欲くらいなもの。メルボルン、家族、友人、会社同僚、あまり関係のない方々、全く知らない方々などとの飲み会が目白押している。オランダ系の連れ合いも、クーポン片手に待っているらしい。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月03日
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踏んだり蹴られたり、風邪引いたりしている。セブの街のホテルにいる。60の手洗いにはビデがついていて手動シャワートイレになっていて嬉しい。そういえば、昔インドに仕事で行ったときにトイレに紙がなく、手桶があるだけだったのを頼まれもしないのに思い出す。更には、ニューデリーの飛行場内の男子トイレの朝顔の高さが短足日本人には届かないくらい高くて苦労したこともついでに思い出す。「専務!ニューデリーの飛行場のトイレ、朝顔にとどかなかったでしょう?」サラリーマン時代の直属の上司安川部長が専務を相手にそう言ったという。豪快な人だった。私が20代の若手社員だった頃の話だから、もう鬼籍に入られておられる先輩も多いだろう。高校紛争を経験した頃は、闘争に参加しながら自分は絶対企業戦士とかにはならないとか言っていたが、私を含めほぼ全員がサラリーマンになった。私は僅か9年で自ら脱落したが。東京都立国立高等学校昭和46年卒3年4組還暦クラス会が10月6日に行われる。出たかったが無理だった。私はその日の朝、セブからメルボルンに戻る。高校のある国立は、桜の名所。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年10月01日
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