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ハイチに贈る(43) フランス領サン・ドマングは、18世紀のフランスにおいて、「カリブ海の真珠」と呼ばれていました。それはこの島の美しい風光を愛でたものではありません。サン・ドマングで生産された砂糖やコーヒーが、フランスにもたらした巨額な利益を指して、こう表現したのです。フランス本国の話で恐縮ですが、1788年の貿易統計によれば、フランスの輸出入を合わせた貿易総額は、約11億リーヴルです。このうちフランス領西インドとの貿易は約25%、2億7千万リーヴル強を占めています。しかもこのうちの80%、即ち輸出入合計の約20%、2億2千万リーヴル弱を、サン・ドマングとの貿易が占めているのです。これはまさしく圧倒的な比重です。フランス領西インドとの貿易総額、2億7千万リーヴルのうち、1億9千万リーヴルが輸入額でしたから、輸出は8千万リーヴル程度だったことになります。圧倒的な入超だったのですが、この1億9千万リーヴルの輸入物資のおよそ8割は、欧州各地への再輸出に当てられていたのです。カリブ海域の植民地物産である、砂糖やコーヒーがフランスの輸出に占める割合は、全輸出額の36%に達していたのです。当時のフランスは、対ヨーロッパの貿易収支で黒字(出超)を続けていたのですが、それはカリブ諸島域の産品の再輸出のおかげだったのです。実は18世紀を通じて、フランスの輸出総額は、イギリスの輸出を上回っています。18世紀の100年間で、フランスの輸出はおよそ5倍に増えています。この間イギリスのそれは3,5倍程度です。こうした輸出の高い伸びは、植民地貿易の隆盛に支えられたものでした。この時期、植民地貿易の拠点として知られたボルドー、ナント、ラ・ロッシェル、マルセイユなどの港湾都市は、未曾有の繁栄を誇り、革命期には、ジロンド派の議員を数多く輩出しています。そのフランス領西インド諸島の中心に位置したのが、サン・ドマングでした。18世紀後半のサン・ドマングは、世界で消費される砂糖の40%を、コーヒーもまたかなりの量を産出していたというのです。それが現在のハイチは、砂糖もコーヒーも自国の消費量を賄う程度にまで落ちてしまっているのです。 続く
2010.02.28
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クロニクル 機動隊浅間山荘に突入1972(昭和47)年2月28日連合赤軍の5人のメンバーによる浅間山荘の占拠は、同年2月19日の夕刻のことでした。同山荘は河合楽器の保養所で、切り立った崖の上にありました。管理人はタマタマ不在で、管理人の妻が人質になりました。5人の立て篭もりは10日間続いたことになります。長期戦となった原因は、立て篭もった5人が、武装蜂起のために所持していた相当量の武器を持っていたこと、人質の救助を優先したことにもありますが、犯人側が何の要求もせず、包囲した警察陣に何も要求せず、何も語らなかったことによります。この日、突入を決意した機動隊と長野県警は、朝10時から救出作戦を開始、難航の末夜6時半過ぎに、人質を救出、犯人5人を全員逮捕しました。この事件では、警視庁機動隊の隊長クラスが2名、長野県警の警備の隙をついて山荘に近づいた市民1名の3名が犠牲となり、機動隊員15名と信越放送のカメラマン1名の計16名が重症を追いました。重傷者の中には、失明した人もいます。他に軽症者11名が出ています。この日の突入の模様は、各テレビ局が生中継し、夜6時代には、NHKと民放をあわせた視聴率は89,7%という驚くべき数字に達しました。また同日9時40分からのNHKの特番も50,8%という驚異的視聴率を上げています。この数値は報道特別番組としては、現在も破られない新記録となっています。マスコミは連日このニュースを報じていましたが、日清食品のカップ麺を、機動隊員が湯を素注いで食べている姿が報道されたことから、発売後間もないカップ麺の売れ行きは、この事件を契機に大きく伸びるというオマケがつきました。同社が、警備に当たる警察官の食糧にと、湯を注ぐだけ絵食べられるカップ麺を、大量に差し入れたからでした。
2010.02.28
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五輪狂想曲2週間に渡った五輪狂想曲も、間もなく終ります。私的には、カーリングのルールをやっと覚えました。あまりめまぐるしくなく、ゆっくり観戦できましたし。次第に日本でもはやるのではないでしょうか。ところで、メダルメダルと騒ぐマスコミの喧しさには、ほとほと呆れました。そんなにメダルが欲しいなら、五輪の時だけではなく、五輪と関係のない時期から、五輪に向けた選手強化の長期計画や戦略の検証をやるべきでしょう。それをやらずに直前になって。メダルメダルと騒ぐのは、なんともいただけません。日本のスポーツ界の中で、長期方針で競技を育ててきたのは、岡野、長沼、川渕と続いたサッカー界くらいでしょうか。そのサッカーも川渕後は、少々頼りないですね。他の競技団体はどうでしょうか。選手第1、強化第1ぼ体制が取れているのでしょうか。隣国の韓国に大きな差をつけられている現実を見るとき、見通しは決して明るいとはいえません。浅田真央ちゃんと、キム・ヨナさんの演技には、冷静に見るとかなりの実力差が出来ていることが見て取れました。国と連盟と選手が一体となった強化体制が出来ているか否かによる明暗だったように思えます。これは浅田選手のせいではありません。連盟の怠慢だと私は思います。それだけに、数日前の朝日新聞に載った、長野五輪スピードスケート男子500メートル金メダルの清水宏保氏の一文に目が止まりました。「悲しいお金の使い方」という見出しのついた文章です。1部を丸ごと引用します。「~日本はまだまだスポーツ後進国というしかない。五輪の期間中、国中が注目しメダルの数を要求される。選手が責任を感じるのは当然だが、ノルマを課せられているような感じにもなる。それまでの4 年間のフォローを国やJOC はきちんとしてきただろうか。政府の事業仕分けが行われ、スポーツ予算は削られる方向になった。全体的な削減は仕方がないとしても、仕分けの仕方は適切だろうか。」「 例えばお隣の韓国はスポーツ先進国になった。国威発揚という特殊な事情があるにせよお金の使い方が違う。日本には国立スポーツ科学センターがある。韓国にも同じような施設がある。韓国ではそこに選手が集められ、召集された時点で、日当が出る。日本では利用するのに料金が発生する。韓国ではメダルを取れば、ほぼ生涯が保証されるのに対し、日本の報奨金は多いとは言えない。 バンクーバー五輪では、JOC の役員、メンバーが大挙して現地入りしている。予算は限られている。そのため、選手を手塩にかけて育てたコーチや、トレーナーがはじき出され、選手に快適な環境を提供できていない。お金の使い方が逆であろう。」「競技スポーツだけではない。『1 人1ドルスポーツの予算をつければ、医療費が3・21 ドル安くなる』という統計を見たことがある。ヨーロッパではスポーツ省のある国が多い。スポーツを文化としてとらえる発想が根付いているからだ。生涯スポーツが、また競技スポーツのすそ野となる。五輪の時だけ盛り上がって、終わったら全く関心がないというのではあまりにも悲しい。日本にスポーツ文化を確立させるため、国もJOC も努力を惜しまないでほしい。」さすがですね。あれだけの記録を残した大選手だからこそ言えることですね。韓国が強いショート・トラック。長野五輪で金メダルを取った西谷選手など、その後就職もなく、職探しにきゅうきゅうとしているという記事を見た記憶があります。これじゃ後が続かないなと思いましたら、案の定ジリ貧になり、中国、韓国に大きく遅れを取りました。清水氏の言う、スポーツ文化を根付かせたいですね。
2010.02.27
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世界経済の現状(110)先週の英誌『エコノミスト』に、OECD加盟国の財政赤字ワースト・ランキングが掲載されました。ランキングの算出法は、「今後借金を何処まで増やすことが出来るか 」を、総合的に点数化して、ランキング化したものです。ランキングが高いということは、増えた借金の借り換えが出来なくなる可能性が高いことを示します。現在ギリシアが、4月と5月に満期の来る国債の借り換えが出来るかどうかの瀬戸際にありますね。ランキングの結果、1位は当然ギリシア、2位はアイルランド、3位はイギリスです。ポンドが危ないことを平然と発表しています。こういうところが『エコノミスト』の記事や統計が、国際的に信用されている理由になるのでしょうね。そして4位が日本です。5位がポルトガル、6位がスペイン、7位がフランス、8位アメリカと来て、話題のイタリアは10位でした。日本はGDP対比の借金の残高比率では、既にイタリアを抜いてダントツの世界1位です。一方で借りいれの95%が、国内に滞留する個人や金融機関の資金と、日銀のオペでがっちり賄っており、借り換えの不安は今のところありません。ですから、その点では余裕があります。しかし、借りいれの残高比率は、やがてGDP比率で200%を超えてくるだろうと、予測されています。その日本以上に凄い勢いで借りいれを増やしているのがイギリスです。2008年以後の借り入れの伸びは、実に大きいのです。ユーロの地位が揺らいでいる事情が良く見えますね。 続く
2010.02.27
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政治を斬る(51)民主党政権の誕生以来の様子を見ていて、気になる点が増えてきました。ヴェテランが少なく、政権運営のノウハウを持っていないことが、どれだけ大変なことなのかが良く分かります。自民党政権も、とりわけ小泉内閣以降は、決して行儀の良い政権ではありませんでしたが、それに比べても民主党政権の行儀の悪さは際立っています。国会は議論の場ですから、強行採決が馴染む場所ではありません。それなのに、この党にとって、強行採決はなぜか楽しげで、日常の風景かのように、濫発しています。従来は、会期末に重要法案をあげるための措置として、実施されてきました。しかし、民主党の強行採決は、国会審議の入口で濫発されています。議会軽視もはなはだしい所です。政権交代で政治が悪くなることを、我々は誰も望んでいません。民主党政権の奮起を期待したいところです。第2に、公共事業の箇所付け問題です。民主党は国会に提示することなく、予算案が国会に提出された段階で、都道府県や市町村に箇所付けを発表しています。これは自民党以上に露骨な利益誘導政治です。利益誘導政治の悪弊を断つこと、これも我々が民主党に期待したことでした。それなのに、これは何だですね。とどめが長崎知事選の応援に長崎に入った、民主党の石井一(はじめ)選挙対策委員長の放言です。「民主党候補以外に投票した場合、県への予算がどうなるか。皆さん承知しておいてくださいね。」です。これはひどすぎます。利益誘導を超えた、国会議員による地方政治への明らかな介入です。自民党時代にも、野党よりの知事が出てくると、予算その他陰湿な意地悪は確かにありました。しかし、これだけはっきりした介入はありませんでした。どうも民主党の議員たちは、政権を奪ったら、何をしても良いと、誤解しているように思われてなりません。こうしたマイナス面は、早いうちに払拭しないと、手痛いしっぺ返しを受けることになりそうですね。 ザビ
2010.02.27
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ハイチに贈る(42) サン・ドマングの奴隷達は、1791年8月に叛乱を起こしましたが、あのような大規模な叛乱が、突然降って沸くわけはありません。そこで、叛乱発生以前の奴隷の抵抗が、どのようなものであったかを、考えてみることにします。白人の言語と異なる、したがって白人には理解できない、クレオール(クリオーリョ)語を生み出したことも、その一つです。独特のリズムを持つ歌やダンスもまた、ウサ晴らしと同時に互いの絆を確かめ合う手段でした。白人の奴隷主も、こうした行為は容認していたのです。奴隷達の不満の捌け口として、いわばガス抜きの効果を狙っていたのです。奴隷の抵抗の中で最も重要なのが、プランテーションからの逃亡でした。特に国土の5分の4が産地であるサン・ドマングでは、逃げ込む場所はいくらでもあったのです。そのため逃亡は日常的に起きていました。逃亡に失敗すれと、厳しい制裁が待っていましたが、それでも逃亡は後を絶たず、逃亡に成功した奴隷達は、山間の僻地で共同体を組織し、土地を耕し、小屋を建て、周囲に柵をめぐらして要塞化し、その地を拠点に襲撃や略奪を繰り返したのです。断片的な史料の記載を拾ってみますと、1720年の1年間だけで約1千人の奴隷が逃亡しています。1751年には、スペイン領サント・ドミンゴとの境界域の山中に、約3千人の逃亡奴隷の根拠地が造られていました。こうした逃亡に手を焼いたフランスとスペインの現地当局は、1776年に、逃亡奴隷の逮捕と相互送還の協定を結んでいます。逃亡奴隷にいかに手を焼いていたかが、見て取れます。そしてフランス革命の時期に入ると、奴隷の逃亡は活発化します。北部のそれもル・カップの周辺だけに限っても、1790年10月から91年8月の蜂起までの11ヵ月弱の間に、1500人から2000人の奴隷が逃亡したと記録されています。これは当該地域の奴隷数の1割に迫る数字です。より大胆な抵抗は、毒草などから取り出した毒を飲料水などに混入して、白人の奴隷主を毒殺しようという試みです。この最も大規模な例が、マカンダル陰謀事件です。ギニア生まれの黒人奴隷フランソワ・マカンダルが、逃亡後に大規模ま集団を組織し、1757年秋から58年の春にかけて、毒薬を白人用の飲料水に混ぜて、白人達の大量殺戮を図ろうとした事件です。この陰謀は、密告で暴露されたため、大被害には至りませんでした。逮捕されたマカンダルは焚刑に処されたのですが、奴隷達の間にはマカンダルは蚊に姿を変えて、火中を脱出した。またいつか人間の姿に戻って、白人を懲らしめに戻ってきてくれる」という、伝承が生まれ、彼の名は、ハイチの黒人たちの間に、語り継がれたのでした。 続く
2010.02.27
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1985(昭和60)年2月27日もう四半世紀になるのですね、25年前の今日、田中角栄元首相が脳梗塞で倒れました。一命は取り留めたものの、言語障害が残り、表舞台に立つことは不可能となり、この日をもって、事実上政界から退く形になりました。形式的には、なお、翌86年の衆院選で、新潟3区からトップ当選を果たしますが、主なき選挙と言われた通り、参謀達の努力での当選であり、この日以降議会に登院することは出来ませんでした。
2010.02.27
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政治を斬る 番外編…小沢問題とグーグル事件の闇(16)スノーボード、ハーフパイプで五輪に出場した国母君も、マスコミの集中砲火を浴び、精神状態の良くない人たちの生贄にされかけました。「五輪選手にしては、服装が良くない。腰パンスタイルとは何事か!」と。そしてマスコミは、「インタビューの受け答えが気に入らない。まともに答えないとは何事か!」と。思い起こせば、東京五輪の時のことです。一糸乱れぬ軍隊式の行進と挨拶をした日本選手団に対し、他国の選手団はおおむねノビノビと自由に、思い思いのスタイルで入場行進を楽しんでいました。その光景をマスコミも不安視し、こんなに選手を縛る役員達の旧式の頭が、選手をがんじがらめにして、実力を発揮させないのだと、警鐘を鳴らしたものでした。その批判が堪えたせいか、閉会式では選手を縛らず、日本選手団もはじめて伸び伸びと自由な行進を楽しんでいました。それなのにです。あれから40数年を経ているのに、また東京五輪の時代にタイムスリップしてしまったのかと、呆れてしまいました。腰パンスタイルそのものは、私も大がつくほど嫌いです。不健康でだらしなく見えるからです。しかし、今や日本中に溢れていることも事実です。その日本中に溢れている状態には、何も文句を言わないのに、国保君だけはケシカランというのは、どういうことでしょう。国母パッシングに参加した人の一部は、腰パン実践中の人物もいたでしょうし、身内にそうした若者を抱えた人は、多かったのではないでしょうか。まさに自分の非は棚に上げて、平気で人を非難する。困ったことですね。そしてマスコミです。アスリートの多くは、迷惑だと思っても、マスコミのインタビューに笑顔で応じる選手も数多くいます。しかし、自らも緊張する五輪の本番を控えた時期に、精神を集中して、雑念を払いたい時期に、メダルだ難だと1番払いたい雑念を引っ張り出すような、レヴェルの低い質問を、次々に繰り返すインタビュアーには、いい加減にしてくれと、言いたくなるのは良く分かります。おそらく、選手の中には、内心国母選手に拍手を贈っていた向きも、多かったのではないかと私は思います。選手は大変な努力をして、代表の座を勝ち取っています、その選手のインタビューの回答が、自分達の期待を裏切ったのはケシカランと、選手を袋叩きにして恥じないというのは、マスコミの驕りに過ぎるように思います。自己表現の下手なアスリートが、ストレートに回答する意志がない旨を表現した。これは大いに認められて良いし、プレッシャーに耐えるために、あえて、若者のファッションを演じてみた。それだけのことに大騒ぎする日本社会の寛容性の欠如の方が、私は大きな問題だと思います。政治と金の問題にも、同じような匂いが感じられます。私は、民主党の掲げた政策課題の中で、公務員制度の徹底改革に最大の期待を寄せており、自民党を離党した渡辺元行革相の遣り残した課題を、より徹底した形で、やり遂げるには小沢幹事長の豪腕が必要かと、彼に期待してきました。そのため、大事の前の小事として、政治と金の問題には眼を瞑ってきました。この問題はここで閉じますが、成案なった公務員制度改革法(案)には、実を言うと非常に落胆しています。この案は、かつての自民党案より、かなり後退したものとなっており、政と官の問題では、なお官の優位が残る内容となっているからです。次回より、再び「政治を斬る」シリーズの本編に戻りたいと思います。 続く
2010.02.26
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ハイチに贈る(42) サン・ドマングはフランスの植民地でしたから、黒人奴隷の扱いもスペイン領とは異なる面も持っていました。その好例が、比較的早い時期から奴隷同士の結婚を認めていたことです。フランスは、アフリカから女性の奴隷も比較的数多く導入したのです。植民地の白人は、圧倒的に男性が多数で、白人の男女比は、女性を多めに見積もっても男性2に対して女性1が良いところでした。大陸のスペイン植民地では、白人女性を娶れない下位の白人は、現地女性を妻とするケースが多かったのですが、カリブ地域では現地人は死滅させてしまっていますから、そうは行きません。ここでは黒人女性を性の捌け口とするケースが多かったのです。女性が妊娠した場合、奴隷身分から解放して自由を与え、子はムラート(混血)となったのです。フランス革命当時の人口構成で、ムラートが白人の8割に達していたことは先に記しました。奴隷同士の結婚は、奨励されたわけではありませんが、家内奴隷や熟練を要する仕事についている奴隷たちを懐柔する必要から、奴隷主は彼らの結婚を容認し、時には斡旋さえしたのです。こうして、現地生まれの奴隷2世が登場します。カリブ世界に連れてこられた奴隷達は、プランテーションの内部に、自分達の生活空間を持ちました。彼らはろーま・カトリックの信仰を強制されましたが、日没後の生活空間の中で、ヴードゥーの信仰を守り育てることによって、ヴードゥーを頼りに辛い生活を生き抜きました。ところで、黒人奴隷の言語は何だったのでしょうか。支配者の言語はフランス語であり、スペイン語であり、ポルトガル語であり、また英語と、宗主国の言語でした。アフリカ西海岸といっても、そこにあった部族国家の言語は様々です。ですから、奴隷達の語る言語は様々です。彼らは互いの意思疎通のために、カリブ世界で独特の言語を作り出しました。この言語を、現在クレオール語とか、クリオーリョ語と呼んでいます。クリオーリョ、クレオールとは、植民地生まれの白人、植民した1世の現地化した子孫を指す言葉です。彼らも本国の言葉を使います。ですから、連行されてきた黒人たちが作り出した共通言語を、クリオーリョ語とかレオール語と呼ぶのは、オヤッと思わされるのですが、カリブ世界や中南米世界の独特の音楽や衣装、生活文化の一切をクリオーリョ(クレオール)文化と呼び、言語もまた、クリオーリョ(クレオール)語と呼ばれるのです。クレオール言語が登場して後の、サン・ドマンゴでは、先輩の奴隷達が、いわば語り部よろしく、新参の奴隷達にクレオール語を伝え、意思疎通が図れるようにしたのです。 続く
2010.02.26
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クロニクル 「ドラゴン・ボール」放送開始1986(昭和61)年2月26日ドラゴン・ボールは鳥山明作の漫画です。この日から1989年4月19日までフジテレビ系列で放送されましたた。全153話で1度終了しましたが、ストーリーはそのまま続編の『ドラゴンボールZ』や『ドラゴンボールGT』に続きました。
2010.02.26
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政治を斬る 番外編…小沢問題とグーグル事件の闇(15)14日投票の長崎県知事選、民主党の候補が自公の候補にかなりの差をつけられて、敗北しました。国会議員を民主党が独占する県での、民主党推薦候補の大差での負け。明らかに鳩山・小沢ラインの金銭疑惑の影響でした。マスコミのアンチ小沢キャンペーンが、大きくものをいったことも確かです。不況の煽りで貧富の差が開く一方という経済情勢が、金銭疑惑に敏感な世相を造っていることもあります。世知辛さを増す世相に、日本社会は、常に人身御供を求め、話題に上がった人物を攻撃して溜飲を下げる、実に殺伐として品も情もない、雰囲気を漂わせていますね。朝青龍がそうでした。彼は問題児で恰好の悪役でした。強烈な個性の強力な悪役なしに、面白いドラマは作れません。3月以降、相撲界は彼を引退に追い込んだ愚を航海することになるのでしょうが、横綱審議委員会と世論にも大きな責任があります。元々相撲界に品格などありましたか? 理事選の堂々たる談合振りに、品のカケラでも見られますか。最初からそんなものはありません。69連勝の双葉山、後の時津風理事長も、戦後のことですが、自分が信仰した新興宗教を警察から庇おうとして、暴力を振った過去があることは、知る人ぞ知る事実です。大鵬も新宿のバーでの武勇伝が伝わっています。ここに私は時代の精神風土の違いを感じるのです。それも悪い方向への…。私には、横審は偽善者の集まりに見えてなりません。その偽善者集団に拍手喝采を送る国民もまた、他人のミスには厳しく、自分のミスには甘いという、問題点を感じてしまうのです。これだけのことで、逸材を葬り去ってよいものでしょうか。 続く
2010.02.25
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ハイチに贈る(41) それでは奴隷小屋はどうような造りになっていたのでしょうか。この点は、僅かにプランターの側の記録がありますので、その一つを記すことにします。サン・ドマングに実在した、奴隷数98名のコーヒープランテーションの例です。ここには奴隷小屋として、約70平米の煉瓦造りの小屋が4棟建てられていました。4つの棟は、葦の格子でさらに4室に仕切られていました。床は土を踏み固めただけの土間で、開口部は入口だけで、窓もありません。各室は17~18平米ですから、10畳弱といった広さでしょうか。この部屋に6人程度の大人が起居していたことになります。5~6人が同居する部屋が4部屋で1棟。その棟が4棟配置された空間の全体が、奴隷達の生活空間であり、特に日没から夜明けまでの時間は、プランターに干渉されない時間でした。ここで奴隷達は、コマンドゥール(奴隷監督)の眼を盗んでは、時にちょっとした楽しみの時間を持っていたのです。こうしてカリブの島々でも、彼らのそこでの生活に根ざした文化や娯楽、生と死を共有する場が形成されたのです。しかも、こうした奴隷達の生活圏の形成は、プランテーションの形成と表裏一体の関係にありました。なぜかというと、プランテーション形成以前の、初期植民の段階では、黒人奴隷は奴隷主の家の一郭に同居していたため(馬や牛などが同居していたのと同じです)、独自の生活空間を持つことは、出来なかったからです。プランテーションにおいては、黒人奴隷たちが日々の労働と生活の中で、互いに協同し連帯することを可能にする条件を、見出すことが出来たのです。 続く
2010.02.25
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クロニクル 夕刊「フジ」創刊号発売1969(昭和44)年2月25日もう41年になるのですね。東京五輪の終幕から4年4ヶ月、この日日本で初めての駅売りタブロイド判夕刊紙、『夕刊フジ』の創刊号が発売されました。ライバル紙の『夕刊ゲンダイ』と市場を2分し、発売から40年以上を経過した現在でも、発行部数は東京版が105万8,000部。大阪版が50万1,000部を数えています。
2010.02.25
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ハイチに贈る(40) 砂糖プランテーションの場合、最も多くの奴隷が従事する作業が、農耕部門でした。サトウキビの栽培と収穫は、とりわけ労働集約型の仕事だったのです。労働内容は単純でしたが、身長の2倍以上に成長したサトウキビを、灼熱の太陽の下で裸同然の姿で刈り取る作業は、とても苛酷なものでした。サトウキビを刈り取って精糖所に運ぶ作業は、何よりもスピードが求められました。刈り取ったサトウキビは、短時間で糖質が変質しれしまうからです。その先の工程では、刈り入れ直後に裁断したサトウキビを、圧搾機にかけて糖汁を搾り、これを煮沸・攪拌して濃縮します。それから粗糖と糖蜜とを分離します。こうした作業は、猛烈な暑さに耐えうる屈強な体力と、高度の技術や熟練、そして微妙な勘、意気のあった連携と規律などが必要です。当然かなりの熟練が必要ですから、こうした労働に従事する奴隷は、普通の農耕奴隷よりもかなり高く評価される奴隷も、いたことになります。こうしたプランテーションの労働システムの中核に存在したのが、奴隷監督(コマンドゥールと呼ばれていました)です。奴隷監督は最低でも2名、大きなプランテーションでは5,6名が存在しました。彼らは、奴隷の労働や生活全般を監督するために、プランターによって登用されるのです。その意味で奴隷監督は、いわばプランテーションの中間管理職であり、プランターにとっての忠実な部下でした。ですから「カイマンの森」の儀式と、それに続く8月22日の蜂起は、白人プランターにとって大きなショックでした。ついでにプランテーションにおける日常の生活条件も見ておきましょう。プランテーションには、大きく三つの空間があります。刈り取ったサトウキビを粗糖や糖蜜に仕上げる工場や倉庫などがある工場部分。栽培作物用の畑、家畜の放牧場、奴隷の菜園、草地などの農業用地部分。そして最後にプランターの邸宅と奴隷小屋のある居住空間部分。このうち、奴隷小屋ですが、プランターの邸宅から近すぎもせず、遠すぎもしないという微妙な位置に、まとめて配置されるのが常でした。近すぎるといつ襲撃されるかもしれない危険があり、遠すぎたり散財していたりすると、監視の眼が行き届かないからなのです。 続く
2010.02.24
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クロニクル どこの誰かは知らないけれど…1958(昭和33)年2月24日>どこの誰かは 知らないけれど 誰もがみいんな 知っている 月光仮面のおじさんは 正義の味方だ 良い人だ…<この歌ご存知でしょうか。そうです「月光仮面」の主題歌です。現在のTBS(当時は東京放送)系で放映されたのですが、その記念すべき第1作が、52年前の今日放映されました。川内康範原作、大瀬康一主演の「月光仮面」は、子ども達の熱狂的に支持され、平均視聴率は40%、最高視聴率は67.8%(東京地区)を記録する人気番組となりました。しかし、、月光仮面の真似をして子供が高い所から飛び降りて怪我(または死亡)をする事故が続発し、新聞や週刊誌から有害番組だと批判を受けるようになりました。そのため残念ながら、1959年7月5日をもって放送は打ち切られることになりました。、最終回の視聴率は42.2%(東京地区)でした。
2010.02.24
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ハイチに贈る(39) カリブ諸島の奴隷制プランテーションの特徴は、労働集約型の粗放農業だった点にあります。1ヶ所ぬ数十人から数百人の奴隷が集められて、集団労働に従事するのです。集められる人数の違いは、栽培作物の違いによって決まってきます。砂糖の場合は数十人では足りません。次に粗放農業というのは、輪作の導入や堆肥などの肥料を施す近代的農法ではなく、地味が枯渇すると別の土地に移動することが、繰り返されるところから、名付けられました。こうした傾向は、特に砂糖プランテーションにおいて顕著でした。ここに一つの例があります。現在ハイチの首都であるポルトープランスの近郊で、フルリオという人物が所有していたプランテーションのケースです。フルリオ氏はプランテーションの用地として、1791年の時点で327ヘクタールに及ぶ土地を所有していました。これは東京ドームにして60~65個分に当たる広い土地になります。しかし、フルリオ氏が実際にサトウキビ栽培に宛てていたのは、およそ20%程度の65ヘクタールに過ぎなかったのです。他にも類似の例はいくつもあります。これは、サトウキビは土地を荒らすため、数年栽培したら別の土地に移り、さらに耕地を転々として土地を使いまわすのです。甚だ効率は悪いのですが、それがプランターにとっての常識だったのです。使い捨てられたのは、土地だけではありません。既に記したように奴隷もまた、消耗品だったのです。フルリオ氏のプランテーションの奴隷数は、1777年から1789年までの平均で256名になるのですが、彼はこの13年間に117名の奴隷を新規に購入しています(年平均で毎年9人を購入した計算になります)。インディゴのプランテーションを経営していたエケ家の場合は、1767年に106名の奴隷を所有していたのですが、エケ家では69年~78年までの10年間に、この106名と全く同数の106名の奴隷を購入しています。そしてエケ家が1782年の時点で所有した奴隷の総数は、120名に留まっています。苛酷な労働に基ずく農耕奴隷の死亡率の高さを、この史料からもうかがい知ることができます。 続く
2010.02.23
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クロニクル 荒川さん金メダル2006(平成18)年2月23日丁度女子のフィギュアも始まりますね。4年前の今日、トリノ五輪の女子フィギュアおフリー演技が行なわれ、荒川静香選手が見事に栄冠を獲得しました。日本のマスコミはうるさすぎて、よってたかって選手を疲れさせ、かつプレッシャーをかけて潰していますね。悪意がないだけに余計に始末が悪い持て余し者になっているようですが、自分達は気付かないのでしょうね。あの想像力の鈍さはどうしようもないですね。マスコミの監視から自由なところで、選手にノビノビと試合に集中してもらいたいものですね。
2010.02.23
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世界経済の現状(109)ユーロの危機…6PIGSと呼ばれるポルトガル、イタリア、ギリシア、スペインは、いずれも20世紀の間はインフレに苦しみ、通貨は安値に放置されていた国ばかりです。国債を発行したくても、国際的には誰も相手にしてくれず、緊縮財政を取らざるを得なかった国ばかりです。それがユーロへの加盟が認められ、通貨をユーロに切り替えた途端、様相が様変わりしたのです。リラやペセタは信用できないがユーロとなると話は別だというわけでした。ユーロならECBや独仏が支えてくれるだろうと、国際金融界が判断したからです。ですから、PIGS諸国の国債も、買い手が次々に現れたのです。何しろ通貨がユーロになったのですから…。物価は高値に安定したままでしたが、外資の流入で生活も潤いました。それが「あいつらは、人の金で贅沢してやがる」という生理的な反発に繋がったわけです。それも当然でした。外資の流入による国債の発行で緊縮財政から解放されたPIGS諸国は、人気取りの放漫財政に傾き、バラマキを続けました。その結果はお決まりの不動産バブルでした。何か事が起きれば、外資の逃げ足はすこぶる早いことは、1998年のアジア金融危機を少しでも学習していれば、すぐに気付くことなのですが、金持ちになった気分のPIGS諸国は、政府も国民も肝腎のことを忘れていたのです。そのツケが今出ているわけです。実はユーロの発足当初から、財政規律に問題のある南欧諸国をユーロの仲間に加えて良いのかという議論はずっとあったのです。謹厳実直で規律を尊重する気風の強いドイツや、そんなに謹厳ではないけれども19世紀からの金融帝国であるフランスなどが、どうして南欧の国々を仲間に加えたのかというと、特に大きかったのは、輸出依存度が40%を超えるドイツの事情が大きく働いたのです。ドイツがフランスを説得して、南欧の国々のユーロ加盟を実現したのです。因みに日本の輸出依存度は16%程度ですから、ドイツは日本を数段上回る輸出立国なのです。欧州最強通貨だったマルクではなく、各国共通の通貨ユーロ建ての輸出となれば、為替変動は一切受けないのですから、輸出立国のドイツにとって、とても美味しい話だったのです。ユーロで統合されたことによって、ギリシア、スペイン、イタリアなど、通貨が弱く、輸入物価の高騰に悩まされていた国々が、突然金持ち国と同じ通貨を手に入れて、ひと時優雅な生活を味わって有頂天になり、金持ち国の顰蹙をかっていたところで、ずっこけたという構図なのです。そして国際金融資本の側から見ると、ユーロだからと安心して投資していたところ、どうもユーロの基盤はそうしっかりしていないようだ。ECBは何も決められないし、独仏は他の国なんて知らないよという態度のようだしと、まさに思惑が外れてしまい、ひたすら早く逃げることを実践した。これが現在の状況です。ギリシアの負債は、ギリシアにとっては大きいですが、ユーロ圏全体や、独仏にとっては、僅かな額に過ぎません。しかし、今後出てくるのは、ギリシアとは比べ物にならないほど規模の大きいスペインとイタリアです。ECBと欧州委員会はいったいどうするのでしょうね。悪くするとユーロが空中分解する可能性も出てこないとは限りません。ユーロの翳に隠れた形になっている、英国ポンドも状況は少しも改善していません。ここにも大型爆弾が埋まっています。 続く
2010.02.22
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ハイチに贈る (38) ここで蜂起にいたる時期の、ハイチ(当時のサン・ドマング)の人口構成を確認しておきたいと思います。植民地時代のサン・ドマングの人口構成は、白人、ムラート(白人男性と黒人女性の混血)を中心に1部解放黒人を含む有色自由人、黒人奴隷の3者で構成されます。これはサン・ドマングに限らず、この時期のカリブ海植民地に一般的な形でした。白人の大部分はフランスからの植民者(コロン)で、プランテーションの経営者、植民地行政を担当する官吏、貿易商人などでした。さて、サン・ドマングの総人口を見ると1681年の6,648人から1788年の455,053人まで、約100年で70倍近くに増えています。1年後の89年には、さらに3万5千人増の490,103人と74倍にまで膨らんだいます。これを構成人口別に見て行くと、白人は4,336人から30,826人と7倍にしかなっていません。ムラート中心の有色自由人は210人から24,848人と118倍に、黒人は2,102人から434,429人と207倍にまで急増しています。ところで統計の揃う1788年にゆいて、サン・ドマングの総人口と、他のフランス領植民地の総人口を比較すると、グァドループが101,971人、マルティニーク88,870人、トバコ3,951人ですから、サン・ドマングの人口が、抜きん出て多いことが分かります。内白人は27,717人ですから全体の6,1%、ムラートらの有色自由人は21,808人の4,8%、黒人奴隷が405,564人で89,1%となります。白人1人当りの黒人奴隷数は14,6人になります。マルティニークやグァドループなど他の仏領植民地、そしてジャマイカ外の英領植民地で同じ比率を求めると、6倍~8倍の間に収まります。ですから、抱える奴隷人口でもサン・ドマングは他に比べておよそ2倍もの奴隷を抱えていたことになります。こうした黒人奴隷を使って、プランテーションではどのような作業が、そして生活が営まれていたのでしょうか。明日はその点を考えてみることにしましょう。 続く
2010.02.22
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クロニクル フロリダ購入1819(文政2)年2月22日江戸時代も後期、天保の改革の少し前です。この日、アメリカとスペインの間でアダムズ・オニス条約が結ばれ、両国の国境が一応画定しました。その一つが、スペインが合衆国にフロリダを500万ドルで譲ることでした。そのためアメリカでは、この条約のことを、フロリダ購入条約と呼んだりするのです。条約はまた、テキサスのサビーヌ川沿いの両国の国境紛争を解決しました。この結果アメリカは、ロッキー山脈から太平洋までの領土権を確保したのです。カリフォルニア州オレンジ郡にお住まいのマダム・リンダ夫妻のお住まい周辺は、この条約の結果として米国領になったものと思われます。対メキシコの国境線が一応画定することが出来ました。
2010.02.22
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ハイチに贈る (37) ハイチの革命運動を、運動の当事者である黒人の側から記録した史料は、残念ながらありません。それは彼らが文字を記録することを知らなかったのですから、望みようがないことです。昨日から記していることも、フランスの革命政府側の調査報告書が元ネタです。フランスの国民公会が1795年にサン・ドマングに派遣した、実情調査団の団長ガラン・クーロンが作成した『サン・ドマングの騒擾に関する報告』を借りると、およそ次のようになります。 8月22日夜10時頃、アキュルで行動を開始しました。2つのプランテーションを抜け出した奴隷達が、近くのプランテーションを抜け出してきた奴隷達と合流、ここでブクマンとオーギュストの指揮に従った。その後次々とプランテーションを移動して、仲間を増やしていった。ノエのプランテーションでは管理人と精糖場の責任者を殺して、農園に放火した。偵察に出ていた兵士がアキュルの方角に火の手が上がるのを見ているのは、この火であろう。蜂起は燎原の火のように広がり、ランベ、ポール・マルゴ、プチ・タンス、カルチエ・モラン、リモナード、プレザンス、プレーヌ・デュ・ノールに拡大した。蜂起の広がりを下の北部州の地図で、ご確認ください。あちこちで火の手は拡大し、23日早朝までに殺害されたプランター(プランテーションの所有者)、管理人、精糖場責任者は37名に達した。逃げ遅れた白人の多くは殺害されたが、奴隷に慕われていたプランターは、助けられて放免されています。蜂起集団はル・カップへ向かいました。その数は1万2千から1万5千の間でしたが、パニックに陥ったル・カップの白人達は、4万だ5万だと噂したということです。蜂起した奴隷達は、その3割がプランテーションで奪った銃で武装し、他の者は農具を武器代わりに手にしていました。蜂起集団は、指揮官の命令でル・カップに向かう全ての道路を封鎖しました。そのため、植民地議会に出席するため、西部州のレオガンヌからル・カップに来ていた議員たちは、スペイン領サント・ドミンゴを経由して、帰るしかなくなりました。9月末までに、この地で200以上のサトウ農園が破壊されています。燃える農園を描いた作者不詳の絵をあげておきます。蜂起翌日の1791年8月23日の情景とされています。蜂起の性格をまとめておきます。まず、蜂起の規模に注目できます。蜂起に参加した黒人数には、諸説があるのですが、5万人説が最も少なく、最も多い数字は15万人となっています。固く見て最小の5万人説をとっても、北部州の奴隷人口の3割が参加したことになります。この数字は蜂起参加者とすれば、非常に高い参加率です。次に最近になって明らかになったことですが、この地域の司教管区の白人司祭たちの多くが、蜂起を支持したり、蜂起に連帯する姿勢を見せていることがあげられます。北部州の司祭は24名だったのですが、そのうち3分の2にあたる16名が、プランターと奴隷との交渉の仲介役を務めたり、蜂起に積極的に加わったりしているのです。第3に、蜂起は破壊と殺戮を伴いました。殺戮は決して無差別ではなかったことは、クーロンの『報告書』からも確認できます。しかし、相当規模の破壊的暴力が振われたことは否定できません。9月末までの約40日間で、殺害された白人は1千人以上、炎上したサトウプランテーションは161ヶ所、同じくコーヒープランテーションは1200ヶ所、被害額は約6億リーヴルと推計されています。当時北部州のサトウプランテーションは288、コーヒープランテーションは2009と推計されていますから、この間に6割のプランテーションが破壊されたことになります。これがハイチの革命の発端でした。始まってすぐに黒人奴隷の蜂起は大規模で北部州全域にわたるものになりました。そして人権を剥奪され、ムチによる強制労働を強いられていた奴隷達が、なぜかくも広範に解放を目指して立ち上がることが出来たのでしょうか。その点を考えたいと思います。 続く
2010.02.21
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政治を斬る 番外編…小沢問題とグーグル事件の闇(14) 小沢事件は、どうやら「大山鳴動ネズミ1匹」的な騒動で終りましたね。ネタを提供した米国側の事情が、明らかに変化しました。2月4日とされた彼の元秘書達の拘置期限の直前に、米国のキャンベル国務次官補が小沢民主党幹事長を訪問しました。しかも駐日米国大使まで同道しています。その上、その席で幹事長の訪米を要請し、大統領との会談までセットしても良いとまで持ちかけています。駐日大使は日本国内における大統領の代行者です。その大使や米政府代表の資格で来日した国務省のナンバー2が、礼を尽くして面会した人物が、翌日とか翌々日に起訴されたとしたら、米国政府のメンツはまる潰れです。ですからこの時点で私は、米国は「小沢の起訴は見送れ」というサインを、日本の検察に送ったと解釈しています。鳩山内閣の迷走を見て、オバマ政府は、対日関係は小沢抜きでは調整できないと、考えを改めたのでしょう。自民党時代と違って、どのボタンを押せばよいかを探るのに時間がかかったということなのでしょう。マスコミは、小沢独裁などと書きたて、日本のマスコミとマスコミの影響を受け易い世論の中で、彼はすっかり政界の悪役にされています。さながら大相撲の朝青龍とスノーボード日本代表の国母君のように…。しかし、どの世界にも悪役は必要です。バイキンマンなくしてアンパンマンはヒーローになれず、クッパなくしてマリオとルイジの冒険が成り立たないように。(個人的には、私はアンパンマンよりも、やられ役のバイキンマンに関心があります。あのどこかドジなところは、とても愛すべきキャラクターですね。作者のやなせさんの彼に寄せる愛情が感じられてならないのです。)実際に小沢幹事長の政治的力量は、彼の虚像ばかりが肥大化してしまって、良く分からないのが現状ですが、その力量を測る良いチャンスが、ちょうど来ているようにも思うのです。きれいごとを並べている余裕は、今の日本にはないだろうにと、私はこの問題を巡る世論に冷ややかです。 続く
2010.02.21
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クロニクル スーパーマリオブラザーズ発売1986(昭和61)年2月21日ファミコンを社会に定着させた最大の功労者といえば、やはりマリオとルイジの兄弟の冒険物語、クッパ率いるカメ一族からピーチ姫を助け出すこの作品になるでしょうね。皆さんいかがですか。この作品「スーパーマリオブラザーズ」のファミコンディスク版が売り出されたのが、24年前の今日だったのです。息子が友達連中と夢中になって、誰が何処まで進むかを、しきりに競っていたのを、休みの日などに良く見たものでした。任天堂のファミリー・コンピューター(ファミコン)の名を世に定着させ、家庭用ゲーム機市場という、新たな市場を切り開いた功績は、高く評価して良いようにおもいます。この「スーパーマリオブラザーズ」は1作で、日本国内で681万本強を売り上げ、世界全体ではその6倍に近い4,024万本を売り上げたことが、ギネスブックにも登録されています。
2010.02.21
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世界経済の現状(108) ユーロの危機…5ギリシアの財政危機を巡る今週の動きを見ましょう。産経新聞は次のように報じました。1番要領よくまとめていますので、これを引用します。 「欧州連合(EU)は16日、ブリュッセルで財務相理事会を開き、財政危機に陥ったギリシャへの対応を話し合った。15日のユーロ圏(16カ国)財務相会合はギリシャが策定した財政再建計画について、目標とする財政赤字削減が3月中旬までに軌道に乗らなければ追加対策を講じるよう求めており、理事会もこれを追認した。」要するに、危機が明るみに出た後に、ギリシア政府が発表した財政再建プログラムが、EU各国が納得するレヴェルに達しておらず、各国はギリシア政府の財政再建にかける本気度を疑っているのですね。ギリシア政府が再提出した2月の案にも、まだ懐疑的であり、一応承認はしたものの、それは3月中旬までの暫定承認であって、そこで進捗状況を改めてチェックして、追加対策を要求することもあるよ。最終的に支援するか否かは、それから考えるよというのです。そして、EU財務相理事会は、5月15日までに、2010年度予算を保護するための方策を講ずるように,ギリシアに迫っています。なぜ5月15日かというと、200億ユーロのギシシア国債の償還期限が、この4月から5月に集中しているため、その借り換えがスムーズに行くかどうかが、大きなポイントになるためです。借換債の発行をスムーズに進めるためには、財政再建の道筋が市場に受け入れられなければならないからです。そして、2月15日と16日にEUの財務相会合が開かれ、1ヶ月の猶予を与えたという事実から、EU諸国が単独でのギリシア救済は勿論、EUとかユーロ圏という形でも、自分達はギリシアに対する金融支援はしたくないという意志が、はっきりと読み取れるように思います。先週浮上したドイツによる単独救済案は、翌日には否定されました。ドイツのメルケル首相は、金融危機の関係もあって2期目の現在は、低支持率に喘いでいたのですが、ギリシアへの金融支援を拒否した結果、その直後から支持率が急激に回復して、一息ついているのです。逆に言うと、ドイツ国民は、自国によるギリシア救済には、強い拒否反応を示しているのです。ドイツの世論調査によると、ドイツ単独は勿論、EUによるギリシア救済に反対する声は67%という高さを示しています。また、ギリシアはユーロから排除すべきであるという問への賛成も、53%と半数を超えているのです。ドイツ単独とか、EUによるギリシアに対する金銭的支援、ギリシア救済の可能性は、まずなくなったと考えて良いように思います。ドイツ在住の友人からの便りによると、ドイツの大衆紙には、以下のような記事が出ていて、読者の喝采を受けているというのです。「ギリシアは、オレたちを騙して、とてつもなく贅沢な生活をしてきた」「やつらは分不相応な贅沢を続けて、赤字を溜め込んだのだ。それなのに、オレたちが貯めた貯金を狙うなんてとんでもない話だ。何であんな怠け者のごく潰しを助けなくちゃならないんだ。」こんな調子だというのです。これは感情のレヴェルですから、根は深いですね。 続く
2010.02.20
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ハイチに贈る (36)フランス革命、とりわけ憲法制定国民議会が発した「人権宣言」は、フランス領サンドマングの植民者たちをも揺さぶりました。虐げられていた黒人たちにも、その様子は伝わります。文字を持たない彼らが書き残したものはないのですが、フランス側の資料と、黒人たちの伝承によって、ある程度のことは分かります。ということで、ここからハイチの革命について、しばらく記すことにします。ようやく本題に到達した所です。(フランス革命については、2007年の7月から100余回連載しましたので、そちらを参照してください)フランス革命の何たるかを、黒人たちは又聞きを通じて理解してゆきます。当初は白人農場主たちの動揺を見、彼らの話を立ち聞きした奴隷監督達が、噂話をし、それが黒人一般に広がります。奴隷監督に多いムラート(白人と黒人の混血)には、多少文字の読める者もおり、彼らが事態の解説を買って出ました。こうしてサンドマング北部の黒人奴隷達が、1791年8月22日の夜を期して、一斉蜂起に立ち上がったのです。蜂起に先立って8月11日の夜に、「カイマンの森の儀式」と今日伝えられている、ヴードゥーのセレモニーを擬した、蜂起の誓いが交わされています。下の絵はその様子を描いたものです。作者は現代ハイチの画家、アンドレ・ノルミルです。鬱蒼とした森の中の小広場に100人近い黒人が集まっています。中央の火の脇で両手を広げた男性と、仰向けにされた黒豚、踊っているようなポーズの女性が見えます。中には棍棒のようなものを振り上げている人物もいます。黒豚は生贄で女性はヴードゥー語でマンボと呼ばれる女性の神官というか巫女のような存在です。伝承によれば、この夜の集会にはサンドマング北部各地の農園から、200人ほどの奴隷監督が集まり、蜂起の誓いを立てたのです。黒豚が引き出されたのはこの時でした。誓いを確かなものにするためです。マンボが鋭利な刃物を頭上にかざして髑髏の舞を舞い、アフリカ風の歌を歌い、全員が地に顔を伏せながら唱和します。それじゃら彼女が黒豚の腹を抉り、その血が木桶に集められます。まだ泡だっている血が皆に配られ、マンボの合図で指揮官に選ばれたブクマンの命令に、従うことを誓いました。この集会の記録は、後サンドマングに派遣されたフランス議会の代表団による報告書にも記載されたいます。それによると、この集会では、「フランス本国では、国王と国民議会が週に3日の自由な日を認めたのに、白人プランターたちがそれに反対している」ので、どうするかが図られ、法令の執行官の到着を待とうという意見よりも、白人と戦って週3日の自由日を獲得しようという意見が勝ったと記しています。週3日の自由日というのは、全くの誤報です。しかし、誤報を信じた黒人たちが白人プランターの支配に対し、牙をむいて立ち上がったことは間違いのない事実です。指揮官に選ばれたブクマンは、ジャマイカからの逃亡奴隷で、クレマンという人物の農園で御者をしていた人物で、ウードゥーの男性神官(ウンガン)でもあった人物でした。ブクマンはこう語ったと言われます。「白人の神は悪事を唆すが、われらの味方である神は、われらに善行を求め、不正への復讐を命じたもう。神はわれらの戦いを導き、助けてくださるであろう。…」と。ハイチ革命の英雄、トゥサン・ルベルチュールはまだ登場しませんが、このようにフランス革命の自由の精神に触発される形で、1791年の8月に、大西洋を隔てたカリブ海諸島の一廓に、革命の精神が芽吹いたのです。 続く
2010.02.20
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クロニクル 大阪ドーム完成1997(平成9)年2月20日13年前の今日、大阪市西区に大阪ドームが完成しました。東京ドーム、福岡ドームに続く、日本で3番目のドーム球場でした。オリックス・バッファローズのフランチャイズ休場で、現在は命名権を京セラに売却したため、京セラドーム大阪と呼ばれています。
2010.02.20
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世界経済の現状(107) ユーロの危機…4ギリシアの財政危機は、今後どのように再建されるのでしょうか。或いは放置されるのでしょうか。英誌『エコノミスト』も書いていますが、考えられる方策を検討してみましょう。まず、ユーロがギリシアを救済する案です。石油も出ないくせに、アブダビなどの資金を当てにして、バブルがはじけて進退に窮したドバイは、結局アブダビ等の支援で急場をしのぎました。ユーロによる救済は、あの方式です。しかし、これは難しいとみます。先ず、ECBは個別の国を救済することは出来ない決まりをEUはもっています。この決まりには例外規定もあるのですが、もしECBが救済すれば、ギリシア国債のような高い金利をつけた「BAD LOAN」の購入者のリスクだけを、ECBが引き受けてやることになるわけで、これは理に適わないことになります。さらに、放漫財政を続けて、財政再建の努力を放棄していても、ECBが救済してくれるなら、その方が楽ですし、得です。当然こうなれば、第2、第3のギリシアが出てくることになり、財政再建努力は、どこかに消えてしまいます。ということで、この案でEUやECBがまとまることは、まずありえないように思われます。EUの会議で常に何も決まらないのが、このことを物語っています。次に、ギリシアをユーロ圏から追い出してしまう方法があります。ECBにとっても、EUにとっても、1番面倒がないように見えますが、国際政治的に見て、そしてギリシアの地政学的な位置から言うと、悩ましい所です。ギリシアはEU内に引き止めておきたいという、政治的な思惑が独仏英には働くように思えますので、この案もありそうでないように思えます。第3に、EU外の機関、即ちギリシア国債をデフォルトし、IMFの管理下で再建をはかる案があります。自力再建が可能ならば良いのですが、それは先ず難しそうです。となると、現在ハンガリー、ラトビア、ルーマニアが厄介になっているように、ギリシアも1度国債をデフォルトして、IMFの指導下で、厳しい緊縮財政を敷いて、再建を進めるしかないのではないかという案です。この案の難点は、EUにとって、ユーロ圏外の力を借りて、ユーロ圏内の問題に介入されるという屈辱に耐えなければならないという点にあります。誇り高いフランスやオランダにとって、簡単に受け入れられることではなさそうです。そして、先週10日に急に浮上してきた案が、ドイツが単独でギリシアを救済するというドイツの単独救済案です。これは、おそらく観測気球に過ぎません。先ずありえない案でしょう。事実メルケル首相は、翌11日にきっぱりと否定しました。そして、こんなニュースが流れました。「EUは、ギリシアが資金供給以外の部分で、IMFの支援を受けることで合意した」と。資金供給以外にIMFが援助できることって、何かありますかねぇ。何もないでしょう。これは単なるリップサーヴィスですね。そして「EUはギリシアを全面的に支援することで合意した。しかし具体的内容は、来週以降に相談することになった」とも発表しました。今日現在、ギリシアの財政再建計画を承認し、さらに追加の計画が出るのを見守ること以外、何も決まっていません。支援は精神的な支援に留まっていて、つまり、何も決まっていない。決められないのが現状なのです。外向けに、EUが真剣だ。ギリシアを支援するつもりだ。そういう思わせ振りな態度をとらないと、ユーロが暴落する危険があります。EUは必死になって、ユーロの暴落を防ぐために、ギリシアを支援するような口裏合わせをしている。しかし、具体的な支援となると、足並みが揃わないので、そこへは踏み込まない。おそらくこんな所なのでしょう。現実派こんな所のようです。 続く
2010.02.19
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ヴァレンタインの翳で…チョコレート哀歌ヴァレンタインデーが過ぎました。日本では束の間のチョコレート狂想曲が終息したようですね。イラクの小児ガンの子ども達を対象にしたJIM-NETの「愛のチョコレート募金」へのご協力、有り難うございました。チョコ募金の成功にニコニコしておりましたら、友人から「アムネスティのこのサイトを読め」とメールをもらい、読んで思わず絶句しました。以下のサイトです。 http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=21881部の国に奴隷制度が今でも残っていること、現在ハイチの子どもたちが狙われているなどは、承知していました。しかし、奴隷制度が残存する背景に、以下のような事実があることには、気付かずにおりました。もって不明を恥じています。しかし、気付いたからには、謹慎しているわけにも行きません。恐縮ですが、皆さんにも苦い思いのお裾分けをさせて戴きます。イザ!お覚悟を…。チョコレートの原料はカカオ豆です。現在このカカオ豆の7割は、西アフリカで生産されています。ここまでは、比較的知られている事実です。この西アフリカにおけるカカオ豆の最大の生産地は、コートジポワールで、全体の4割を生産しているカカオ豆大国です。コートジポワールに続くのがガーナですが、日本ではガーナからの輸入が多く、2005年の統計ですが、ガーナから38359トン、コートジポワールからは2325トンとなっています。カカオ豆は、砂糖、紅茶、コーヒーなどと並んで、途上国にとっては重要な外貨獲得源です。こうした体制は、西欧列強の植民地支配時代に形成されました。この点は「ハイチに贈る」で記したサトウキビプランテーションと同じです。問題は列強が夫々の植民地で、気候にあった嗜好品を次々に生産させたために、こうした嗜好品は常に過剰生産の状態にあることです。カカオ豆も例外ではありません。それどころか高栄養のカカオ豆は、美食の時代の常というべきか、摂取が控えられるようになって、需要は伸び悩んでいるのです。そのため大変厳しい価格競争にさらされ、価格は値下がりを続けているというのです。この状態で利益を上げるためには、労務費を切り詰めるしかありません。こうして最も低廉な労働力である子どもを、奴隷として使うという構図が出来上がったというわけなります。奴隷仲買人は、1人あたり15~30ドルという値段で、子ども達を買い集め、カカオ豆の農場に送り込みます。送られた子ども達は、奴隷監督のムチに追い立てられながら、シャツ1枚の姿で労働するわけです。当然この姿のままで、農薬を撒布することもあるわけです。カカオ豆農場で働く子ども達の数は、西アフリカ各地で25万人をくだらないと言われています。問題は、カカオ豆の売価の低さに起因することは明らかです。チョコレートの価格の内、カカオ豆の代価として農園主に支払われるのは0,5%、200円のチョコレートであれば、1円に過ぎないという現実にあります。当然労働に支払われる部分は、さらに少なくなるわけですね。この市場価格の安さ、そこに潜む問題性が、児童労働や児童の人身売買に繋がってきます。私たちが口にするチョコレートの翳に、こうした悲惨な事実が存在していたのですね。私たちが、安価な価格でコーヒー、紅茶、砂糖、チョコレート、果物などを楽しめる背景に、時には思いを致しながら、贅沢な時間を過ごすじかないなと、そんなことを考えながら記させて戴きました。
2010.02.19
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ハイチに贈る (35)カリブ海を巡るイギリスとフランスの海上戦は、18世紀の半ばまでは、両国の力が拮抗していたのですが、 ヨーロッパにおける七年戦争(1756年~1763年)の期間に、アジアと中・北米で戦われた、英仏植民地戦争におけるイギリスの勝利で、イギリスの優位が決定的になります。この時インドでは、プラッシーの戦い(1757年)に勝利したイギリスがフランス軍を駆逐することに成功し、北米大陸でも海軍力で優位となったイギリスが勝利したのです。カリブ海でもイギリスは、フランス領のマルティニーク島やグアドループ島を一時占領しています。戦後こも2島は、フランスがカナダ(ケベック州など)の領有権をイギリスに譲渡することと引き換えに、フランスに返還されました。その後フランスは、アメリカ独立戦争(1775年~1783年)に乗じて、オランダ、スペイン、ロシアの協力を得て、1781年ヨークタウンのイギリス艦隊を包囲して降伏させるなど、イギリスとの海上戦の不利を挽回しますが、82年のセインツの戦い(小アンティル諸島の一廓レサント諸島附近)に大敗して、劣勢を完全に覆すには至りませんでした。こうした形成の中で、カリブ諸島にもフランス革命(1789年~1799年)とそれに続くナポレオン時代(1799年~1815年)の大波が押し寄せて来ます。この大波の中で、ひときわ大きな輝きを見せ、カリブ海の一等星となったのが、ほかでもないフランス領サンドマング、現在のハイチなのです。 続く
2010.02.19
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クロニクル 大浦天主堂完成1865年2月19日(元冶2年1月24日)幕末ですね。明治維新の3年前のことです。現在から145年前のことになります。この日長崎県の長崎市に大浦の天主堂が完成しました。天主堂は長崎原爆で破損しましたが、爆心地から離れていたために、幸い焼失は免れ、破損はしましたが修理可能な形で残ったのでした。1952年に修理が完了し、翌1953年に洋風建築としては初の新国宝に指定されました。現存する教会建築として、日本最古のキリスト教の建築物となっています。正式名称は、日本二十六聖殉教者聖堂(天主堂)。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、その正面は殉教地の西坂に向けられています。3年前の2007年にパリで、建立時の長崎司祭が保存していた手紙類の中から、建立当初の設計図面が見つかり話題となりました。また教会の建築後、何人もの隠れキリシタンが教会を訪れ、司祭と感激を分かち合ったことが伝えられています。
2010.02.19
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世界経済の現状(106) ユーロの危機…3ギリシアに話を戻しますと、この国の2009年度の財政赤字は対GDP比で12,7%です。日本はこの比が100%を大きく超えて、200%に迫っているのに、世界で最も低い金利で、国債を発行し続けることが出来ている不思議な国です。この日本を脇にどけると、ギリシアの財政赤字は、EU諸国の中では、突出して高いのです。欧州委員会が目標としている数字は3%なのですから…。ギリシアは2012年までに財政赤字を2,7%にまで削減する案を、欧州委員会に提出し、2月2日に承認を受けたのですが、市場は納得しませんでした。再建計画にある経済成長見通しが甘すぎると受け止められた上に、赤字削減に欠かせない労働組合の協力を、政府が取り付けられずに組合に拒否されてしまったからです。こうした事情からユーロの暴落が起きました。まさにギリシアショックの到来でした。このギリシアショックは、このシリーズの(1)に記した通り、昨年11月のドバイショックよりも深刻です。ドバイは、中東の小さな首長国連合UAEに限定された話でした。ところがギリシアの通貨は、欧州共通通貨ユーロなのです。ことはドルに続く決済通貨に成長してきていたユーロの信認に関わる問題になってくるのです。ユーロには、特定のユーロ導入国の財政破綻について、それを救済する仕組みが今のところないのです。ギリシアを救済する国もありません。欧州委員会は、ユーロに加盟するルールと、ルール破りに警告するルールは作りましたが、その警告に従わない国、或いは従えない国をどうするかは、考えていなかったのです。実際にギリシアは、欧州委員会のルールを粉飾という形で破ったのですが、そのギリシアに対する措置をどうするかも、すぐには決められず、右往左往しているのが、現在の欧州委員会の偽らざる姿なのです。こうしたユーロ圏の決め事の頼りなさが、市場の不安心理に火をつけ、ユーロの暴落に繋がりました。不安心理が広がると、本来優良であるものまでが、大きく根を崩します。これはサブプライムローンが破裂した時に体験した事実です。これをユーロに当てはめてみます。ユーロは本来、ドイツ、フランスといった高い格付けを持つ国を基本に構成されたのです。だからこそ、各国に財政規律を義務付けたのです。イタリアは、当初から問題が囁かれていましたし、後から加わったギリシアは、財政規律が当初から疑われてもいました。ユーロは統一通貨ですが、国家主権は各国政府に残されたままですから、ルール違反の財政運営をした国家が、ユーロの信認を傷つけたとしても、相した国を制裁する権限が欧州委員会やECBにはないのです。さて、ユーロ圏諸国が発行済みの国債の中で、ギリシア国債の比率は実は2%程度に過ぎません。比率的には問題にならないくらい少数派です。しかし、サブプライム危機の時もそうでしたが、全体の中では、僅かなウエートしか持たなかったサブプライム債権の悪戯で、信用市場は大きく傷つきました。ギリシア国債についても同じことが言えるのです。ギリシア危機で、ユーロは大きな爆弾を抱え、順調な時には隠されていた問題点が大きくクローズアップされて、我々の前に示されたということなのです。それは噂されている解決策を検討すると明らかになります。 続く
2010.02.18
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ハイチに贈る (34) 18世紀に入ると、カリブ海世界はまた様相を変えることになりました。ヨーロッパにおけるスペインの地位が大きく変化したからです。1661年、成人に達していたフランス王ルイ14世は、神聖を開始します。世に言う「ルイ14世の世紀」が幕を開けたのです。ヨーロッパの覇権は彼の手中にありました、フランドルその他、北部や北東部、東部から東南部にかけて、フランスの国境地図は、この時期に大きく書き換えられました。そして、18世紀に入ると同時に、スペイン王位継承権に空隙が生じると、ルイ14世はすかさずスペイン王家に血の繋がるブルボン家の王族を、スペイン王として送り込もうとしたのです。ブロ友のkopandaさんが数日前のブログで紹介していましたが、「国土は戦争ではなく、婚姻によって奪うを良策と心得るべし」というのは、オーストリアハプスブルグ家の家訓です。この家訓は、元々妻のイサベラと共にコロンブスを支援したスペインはアラゴン王国の王フェルナンドが実践した成果を土台に、スペインとオーストリアという2つのハプスブルグ家に伝えられたものでした。それが今、相次ぐ戦争で疲弊し、フランスに敗れて凋落したスペインは、自らの家訓をルイ14世のフランスに実践される身となったのです。フランスの膨張に危機感を感じた西欧の国々が立ち上がって、世に言うスペイン継承戦争(1701年~1713年)が、13年の長きにわたって続くのですが、その結果は双方に満足の行かない傷みわけ的解決にはなるのですが、スペインはブルボン家の王をいただくことになったのです。この事実がカリブ諸島に大きな影響をもたらしたのです。実は18世紀のはじめ、英仏の海軍力は拮抗しており、両国はあちこちで植民地の争奪戦を展開するようになっていました。そのフランスの同類とイギリスはスペインを看做します。それゆえ、英仏の関係が緊張し、ヨーロッパや植民地(北米やインドなど)で英仏が戦争を行なうたびに、イギリスの海軍や配下の海賊達は、カリブ諸島や中南米のスペイン植民地をも、襲撃の対象としたのです。 続く
2010.02.18
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追悼! 藤田まことつい先ほど、闘病中と報じられていた俳優の藤田まこと氏が、昨日午前大動脈瘤破裂で死去した旨の発表がありました。昭和8年生まれ、76歳でした。何か不思議ですね。本日のクロニクルに、ザ・ピーナッツの引退を取り上げ、「シャボン玉ホリディ」のことを記事にしました。日曜日の夕6時半からの30分番組でした。関東では日テレ系で。この「シャボン玉ホリディ」の前の番組が、藤田まこと主演、脇で白木みのるが絡むぶっつけ本番の「てなもんや三度笠」でした。こちらも視聴率の高いお化け番組でした。この番組でスターダムにのし上がった藤田まことは、苦労人のペーソスを演じるのが巧みで、「必殺」シリーズの中村主水、「はぐれ刑事純情派」の安浦吉之助、「京都殺人案内」の音川警部、「剣客商売」の秋山小平など、ちょっと背中を丸めた苦労人風の役で、茶の間での高い人気を誇っていました。「てなもんや三度笠」大学生の頃、家にいると良く見ていた記憶があります。また1人、名優が逝きました。 合掌。
2010.02.18
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クロニクル ザ・ピーナッツ引退表明1975(昭和50)年2月18日もう引退から35年も経つのですね。双子の姉妹デュオ、ザ・ピーナッツが、この日所属する「渡辺プロダクション」で記者会見を開き、16年間の歌手生活から引退することを表明しました。伊藤エミ・ユミの姉妹デュオ、ザ・ピーナッツは1959(昭和34)年の2月11日、第2回日劇コーラスパレードでデビューしましたから、丁度歌手生活16年ということになります。2人といえば、「ヒッッ、パレー。ヒッッ、パレー。みんなのヒッツパレーッ!」でお馴染みのフジTV系「ザ・ヒットパレード」と、「シャボンダマ ホリデェー」の日テレ系の「シャボン玉ホリデー」ですね。抜群のハーモニーに歌唱力が伴い、ナベプロへの貢献度も大きかったですね。4月までサヨナラ公演を続け、4月25日に正式に引退し。以後は公式の場に一度も出ていません。引き際はきれいでした。
2010.02.18
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世界経済の現状 (105) ユーロの危機…2ユーロ問題は混迷を深めています。ここで少し詳しくユーロを論じてみます。ユーロは1999年に、EU内の決済通貨として誕生しました。マーストリヒト条約が、この年初めから発効したのです。その3年後の2002年1月1日に、欧州15ヶ国で。ユーロという単一通貨が使用されるようになりました。それから8年、現在では欧州22ヶ国(うちEU加盟国は16ヶ国)で流通しています。僅か8年で、ドルに続く基軸通貨の地位に上り詰めました。しかし、昨年後半から、ユーロに対する警戒感は強まってきました。ユーロという通貨の厚化粧を剥がすと、この通貨が欧州最強の通貨だったドイツマルクを基礎に、そこにフランスフランをリンクさせることで、ベースが造られたことが分かります。この2カ国が中心となって、設けた加盟条件は、(1)インフレ率を2%以内に納めること。(2)財政赤字は、当該国のGDPの3%以内に納めることの2点でした。税制規律の緩かったイタリアやスペイン、ギリシアなどは、こうした基準を達成すべく、大変な努力と厚化粧を施して(最近明るみに出たギリシア政府とGSとの通貨スワップ協定など、そのさいたるものです)、何とか加盟を達成しました。そして2008年頃までは、欧州の景気も良く、不動産バブルも同時に進行して、ユーロ圏諸国は繁栄に酔うことが出来たのです。1昨年の後半から、各地の破綻が話題になりました。アイスランドの破綻がきっかけでした。この国はユーロ圏外でしたが、人口僅か30万人少々のこの国が、ユーロの誕生に併せて、金融自由化に踏み切りました。途端にアイスランドの銀行(それは日本で言えば、信用金庫クラスの小さな銀行です)が、高金利を武器に、イギリスや大陸の金持ちの預金を集めました。こうして集めた大口の資金にレバレッジをかけて、不動産投資に走り、不動産バブルに乗って大きく儲けたのです。まるで、住専に群がったバブル紳士さながらだったと思っていただくと、分かり易いです。そしてお定まりの破綻。2008年8月のサブプライムローン問題の顕在化とほとんど同時でした。リスクマネーの縮小に伴い、あっという間に、資金が引き上げたからです。アイスランドクローネは、現在IMFの管理下におかれ、バブルは束の間の夢に終りました。アイスランドの破綻のプロセスは、次のようになります。金融自由化 → 国内金融機関の大量の資金調達 → レバレッジを効かせた不動産投資 → 土地バブルの崩壊 → 財政出動による国家財政の悪化。このプロセスは、アイスランドに限らず、不動産バブルに浮かれた全ての国に共通のプロセスです。一足早く1990年代にバブルがはじけた日本も同じでした。昨年11月に発生したドバイショックも同じです。そして、スペイン、アメリカ、アイルランド、イギリス皆同じです。ユーロ圏の国々には、第2、第3のアイスランドになりそうな国が、ずらりと並んでいます。2008年9月のリーマンショック以降、欧州諸国の財政は急速に悪化しているのですが、実はユーロの中核をなすドイツにまで、欧州経済・財務相理事会による財政赤字の是正勧告が出されているのが、現実です。つまり、ユーロはその根幹部分すらが毀損の危機にあるのです。ですから、ドイツがギリシアを支援すれば済むと、気楽に考えて済む事態ではないのです。 続く
2010.02.17
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ハイチに贈る (33) 以前に連載した「コーヒーの旅路」にも記しましたが、ここでプランテーションで働かされる黒人奴隷について、記しておきます。アフリカ大陸での奴隷狩りは、白人には不可能です。地形になれ狩猟生活を営む黒人を捕らえるのは、先ず不可能です。奴隷狩りは、沿岸部で王国を形成している黒人たちが、鉄砲や布、ガラスなどと交換で、引き受けるのです。捉えられた黒人たちは、大西洋を渡る帆船にギリギリまで積み込まれます。奴隷は人間ではなく商品として扱われるのです。しかし、奴隷商人たちは、奴隷の叛乱を恐れます。ですから黒人たちの抵抗意欲が無くなるギリギリまで、彼らの体力を消耗させるのです。飲み水も十分には与えず、食事も日に1回、鎖で数珠繋ぎにした状態で、日に2回10分くらいづつ甲板に出すだけ、こんな生活を強いるのです。ですから、航海中に脱水症状を起こしたり、伝染病に罹患して亡くなる奴隷も多かったのです。運ばれる黒人の3人に1人は、航海中に命を落とし、海に捨てられてたと推計されています。黒人たちにとって、大西洋航路は、「死の航路」でもあったのです。カリブ諸島や南北アメリカ大陸に着いた奴隷達にも、なお試練が続きます。彼らを買い取ったプランテーションの経営者、プランターの下での苛酷な労働と、現地の風土病です。現在の推計で、16世紀~19世紀にかけて、カリブ諸島を含む南北アメリカ大陸に送られた黒人奴隷の数は、途中の大西洋に消えた黒人を除いてなお、1千万人をくだらないだろうとされています。1千万人以上の若者や子どもが、力ずくで連れ去られた西アフリカ社会がどうなるか。この点を想像するのは、そう難しいことではありません。現在でも、少子化は経済の活力を削ぐと、騒いでいるくらいなのですから、働き盛りの若者や未来の働き手を中心に、これだけの数の人たちが連れ去られたのです。アフリカ社会の活力は大きく削がれてしまいました。今日に至るアフリカ世界の停滞の、大きな理由の一つがこうした奴隷狩りにあります。 続く
2010.02.17
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クロニクル 中部国際空港開港2005(平成17)年2月17日5年前のこの日、中部国際空港開港(愛称セントレア)が開港しました。所在地は愛知県の常滑市沖の人工島です。この空港の整備に当たり、1985年に調査名目の経費が付与されていますから、計画が動き出してから、完成まで20年を要した大プロジェクトでした。空港の場所が知多半島の常滑沖と、名古屋から距離があるため、成田国際空港と同じくアクセスに問題があり、開講当初は好調に発着便を増やしましたが、開港人気が続いたのも2007年までで、その後は搭乗者数の減少が続いています。特に、米国の住宅バブル崩壊後の世界不況が本格化した2008年度からの減少幅は大きく、2009年11月現在、定期国際線は旅客便週258便、貨物便週17便に減ってきています。現在はこうした国内線や国際線の減便の影響が大きく、建て直しが急務となっています。
2010.02.17
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政治を斬る 番外編…小沢問題とグーグル事件の闇(13) 昨年8月の衆院選での民主党の勝利は、長すぎた自民党支配の中で溜りに溜まった日本の政治や経済の膿を、一挙に切開する外科手術を期待する国民の期待、まさしくこの1点に尽きました。しかし、溜まりに溜まった膿はあまりに多く、優先順位をどうつけるか、戸惑っているうちに、様々な問題点が見えてくるようになりました。しかし、そうした中でも官庁に付随する外郭団体や独立行政法人に、大きな問題があることなど、行政機構という伏魔殿にメスを入れることが、優先度の高い課題であることに、変わりはありません。公務員制度の改革、とりわけ縦割り行政の悪弊の是正、官僚の無謬神話という根拠のない思い上がりの破壊、なお残る護送船団形式の行政指導の廃止などは、まさに喫緊の課題です。これさえ実現すれば、財政を巡る様々なトリック、日米関係をややこしくしている外務官僚の暗躍、日本の教育をゆがめている文部科学省のでしゃばり、地方自治体をガチガチに縛り上げている総務省のおせっかい、日本の農業をダメにした農水省と農協の癒着の構造、幼稚園と保育園の一元化を妨害している文科省と厚労省の縄張り争いなど、日本社会を歪め、その活力を奪っている諸問題のかなりの部分は、解決の道筋が見えてきます。小沢幹事長には、検察との妙な妥協ではなく、民主党の看板である公務員改革、官僚支配の構造の根幹の切開を、ぜひとも断行するための、エンジン役となることを、私は期待しています。こうした行政改革は、福田内閣時代に、当時の渡辺善美行革相(現みんなの党代表)が孤軍奮闘してまとめた案がありましたが、官僚の抵抗の前に閣内でも孤立して果たせなかったという事実があります。それだけ官僚機構の抵抗には強いものがあります。そして改革というからには、戦前から続く、この伏魔殿にメスを入れることは欠かせません。大事の前には、高々数千万円程度に拘っている時ではなかろう。少々乱暴ですが、私はこのように考えています。
2010.02.16
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ハイチに贈る (32) こうしてカリブ海の島々は、遅いか早いかの時間差はありましたが、いずこもサトウキビの導入によって、島の風景も島に住む住人の構成も、社会や経済のあり方も、何もかにもが一変してしまったのです。まばらにしか人の住まなかった島に、サトウキビプランテーションが広がると、1万人を超える黒人奴隷が、アフリカから囚われてきます。歴史用語で「砂糖革命」と呼ぶ事態が招いた変化です。世界市場を相手に売り込むことが出来る「世界商品」としての農産物、それだけを単品で作り出す場にカリブ諸島は、西欧の国々によって作り変えられたのです。こうして「モノカルチャー」と呼ばれる農業形態が出来上がり、白人が経営するプランテーションが広がったのでした。カリブ諸島の砂糖、ブラジルのコーヒー、米国南部の綿花など、生産物は様々であっても、出来上がった光景には、大きな差はなかったのです。国語辞典は、プランテーションについて、次のように説明しています。「熱帯・亜熱帯地域の植民地で、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を用いて、砂糖・タバコ……などの商品作物を栽培する大農場」と。ポイントは、奴隷に代表されるような、安価な労働力を大量に使用して、「世界市場」向けの大量生産を行なうことにあります。しかし、砂糖プランテーションは、単なる農業経営ではありませんでした。先ずは下の絵をご覧下さい。サトウキビは刈り入れを済ませたら、素早くそれを砕き、砂糖の原液を絞りだすことが必要なのです。放置しておくと液は漏れ出してしまいますから、短時間に搾り取る作業を済ませることが出来るか否かで、収穫量が大きく違ってしまうのです。ですから、サトウキビプランテーションには、必ず収穫したサトウキビを砕いて絞るために作業場が設けられていました。一番上の絵がそれです。この工程は、大変な力を必要としましたし、作業のスピードが求められましたから、初期の段階から大型の道具が導入され、蓄力や風力を利用するケースも多かったのです。一番下の絵がそれです。サトウキビプランテーションは、単なる農場ではなく、必ず砂糖の原液を絞り取る、簡易工場のような施設を伴っていたのです。プランテーションで絞り取られた砂糖の原液は、何箇所かに集められ、そこで火にかけて煮詰められます。2枚目の絵がその工程を描いています。煮詰めた砂糖は、さらに蒸留されて結晶体になります。これが粗糖です。3枚目の絵の工程です。こうして製造された茶色の粗糖が、ヨーロッパに送られ、欧州各国の港に近い工場で精製され、純白の砂糖が出来上がるのです。 続く
2010.02.16
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クロニクル 京都議定書発効2005(平成17)年2月16日京都議定書とは、気候変動枠組条約に基づき、1997年12月11日に京都市の国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)で議決した議定書のことです。正式名称は、気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書と言います。97年の京都会議で決まった所から、この名があります。しかし、その京都議定書は1997年に締結されたのに、その議定書の発効は遅れ、ようやく8年後のこの日正式にスタートしたのです。スタートが遅れた最大の原因は、アメリカ合衆国とロシアという二酸化簡素の排出量の多い国が、とじょうこくにお参加するものでなければ、意味がないという屁理屈を並べて、参加を拒否していたことにありました。2004年の秋に、ロシアが京都議定書を承認、ようやく発効に漕ぎ着けたのですが、米国は最後まで未加盟のままでした。
2010.02.16
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政治を斬る 番外編…小沢問題とグーグル事件の闇(12) 小沢民主党幹事長の政治資金規制法違反事件に関する検察の捜査を巡って、私が最も危惧する点は、両者の間で妙な妥協が行なわれることです。これには前例があります。日本歯科医師連合会(略称日歯連)の橋本派に対する1億円献金事件を覚えておられると思います。日歯連から1億円の小切手を領収証も出さずに受け取ったとされる橋本元首相や野中幹事長、青木参院幹事長ら橋本派幹部(日歯連側の証言による)は、誰1人として起訴されず、たまたま当時橋本派会長代理の座にあった村岡兼造議員が、授受の席には同席していなかったにも関わらず、ただ1人起訴され、ご丁寧にも高裁で有罪判決を受けた事件です。事件が発覚したのは、2004年の夏でした。あの当時検察庁は揺れていました。警察・検察共に庁内の予算を水増し請求でプールし、遊興費等に当てていたことがマスコミの調査で暴露され、小泉内閣がどのように対処するかが、注目されていた時でした。事件に関係したり、監督責任を問われる立場にあった幹部たちの昇進をストップしたり、責任を問う形で、昇進ラインから外すとすると、検察・警察の威信を問われるばかりでなく、人事権を政府に握られることになるからでした。この時、小泉首相の側から、検察の不祥事は不問に付す。人事には一切影響させない。その代わり日歯連事件は、丸く納めろ。こんな指示というか、裏取引が持ちかけられたのでしょう。既にガタの来ていた橋本派に、さらに追い討ちをかけ、派内の小泉支持派で、参院のまとめ役である青木氏の政治生命を絶つことは避けたい。これが小泉首相の腹だったと、私は見ています。検察があの時の例を参考に、小沢氏不起訴と公務員制度改革のスローダウンを取引しようとしたとしたら。そして幹事長サイドがそれを受けたのだとしたら、それこそが現在の日本にとって、大きなマイナスになります。私はこの点を疑い、気にしています。 続く
2010.02.15
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ハイチに贈る (31)カリブ諸島の不幸は、この地にやってきた西洋人達が、島に定着することを考えなかったことにあります。フランス人は勿論、北米大陸では土着したイギリス人たちも、メキシコやペルーには住み着いたスペイン人達も、その大部分はカリブ諸島には土着することを考えず、この地で一旗あげたら、資産と共に本国に引き上げることしか考えていなかったのです。ですからバルバドス島のように、サトウキビの生産適地がなくなると、島ごと放棄されることも少なくなかったのです。下の地図をご覧下さい。この地図はバルバドス島の地図です。南側の海岸線に、ビッチリと文字が書き込まれていますね。この文字はすべてサトウキビプランテーションの名前を書いているのです。サトウキビを収穫して、粗糖にした商品の積み出しに都合が良いように、島の南岸一帯が、サトウキビのプランテーションに埋め尽くされている様子、お分かりいただけますね。次の2枚の版画は、サトウキビの植え付けと、刈り取りの様子を描いたものです。サトウキビの高さが良く分かりますね。労働が黒人によって担われていたことも…。島に君臨した白人は、限られた少数者でした。しかも、財産を築くと本国に引き上げ、これから財産を築こうという言う連中に、奴隷の監督を委ねて帰国してしまい、後は本国で地代とも収益ともつかないものを受け取って暮らしました。それゆえ、カリブ諸島は、先住民がほとんど死滅させられていたために、少数の奴隷監督と、多数の奴隷によって構成される社会となったのです。 続く
2010.02.15
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クロニクル 人間国宝誕生1955(昭和30)年2月15日丁度、今年が制度が誕生して、55年目に当ります。人間国宝の語は、55年前の今日、文部省は文化財保護法に基づき、文部大臣が指定した重要無形文化財の保持者として各個に認定された人物を指す通称です。文化財保護法には「人間国宝」という文言はないのですが、重要無形文化財保持者を指して人間国宝と呼ぶ通称が広く用いられています。
2010.02.15
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政治を斬る 番外編…小沢問題とグーグル事件の闇(11)検察官僚は、官僚機構の有力な一員です。民主党政権は、その官僚支配の構造にメスを入れようとしています。天下り先である特殊法人や独立行政法人に改組した省庁の直轄団体は、まさに事業仕分けの対象として、狙いを定められています。そして、官僚機構の頂点である事務次官制度の廃止にも狙いが定められています。官僚が政治の手伝いをするのは当然ですが、官僚機構の大先輩である中国の歩みを見ても、政治のコントロールが少し甘くなると、手がつけられなくなる官僚機構の暴発は、枚挙に暇がありません。自民党政権下の後半は、まさにその様相が強くなっていました。民主党への政権交代で、まさにその点が問われたのです。事務次官会議が廃止され、官僚人事は大臣が最終判断するとなれば、最高位は各部局の局長で済みます。それは、権力の栄華を極め、選挙の洗礼を受けることもなく、お飾りの大臣をひな壇に飾りながら、人形を操るように振り付けして、意のままに操りながら、実権を握り続けるという、美味しい役回りを演じてきた、高級官僚には耐え難いことだったでしょう。ですから、自分達を轢き摺り下ろそうという民主党政権は、彼らにとって不倶戴天の仇のように見えた。そこで、今までは見過ごしてきたような形式犯であっても、それを捜査することで、自分達を敵に回すとどうなるかと、民主党の権力中枢を狙い打ちにした。それには、米国のCIAが協力して、材料を提供し、さらに米政府の一部もグーグルを材料に側面支援をするなど、普天間移設問題で自らの権威を否定されては困る外務官僚も全面的に協力した、こうした図式が浮かび上がってきます。小沢不起訴に対し、市民団体から検察審議会に異議申し立てが行われたとか、この市民団体の告発を受けて、検察は小沢幹事長の資金団体の虚偽記載の捜査を始めたとされますが、あまりのタイミングの良さから、この市民団体というのは。検察の息のかかったやらせのようにも思えます。当面不起訴にしたけれど、何かあれば、検察審査会に「不起訴不当」の判断を出させるぞという、メッセージのようにも思えます。検察機構も相当な伏魔殿ですね。 続く
2010.02.14
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ハイチに贈る (30) カリブの海賊が活躍し、大アンティル諸島の勢力図の塗り替えが進行している間に、実は砂糖産業を取り巻く情勢も、大きく変貌を遂げつつありました。18世紀のヨーロッパに、紅茶やコーヒーに砂糖を溶かして飲む習慣が広まったのです。紅茶の輸入が増え、オランダ領東インド(現在のインドネシア一帯)へのコーヒーの移植に成功したことで、中産階級がコーヒーや紅茶を楽しむことが出来つところまで、価格の低下が進行したのです。ここに、砂糖の需要は一挙に拡大したのです。値崩れで意気消沈していた砂糖産業、とりわけサトウキビ農園の経営者達は、再び元気を取り戻しました。こうなると、奴隷労働の組織的かつ効率的な利用法を身につけていた、イギリスやフランスのカリブ海植民地の地主達は、猛烈な勢いでサトウキビプランテーションを拡大します。サトウキビの栽培には、適度な雨量と暖かさが必要です。その上サトウキビは土壌の栄養分を大量に吸収して土地を荒します。そのため、雨量が多い熱帯、亜熱帯の地域で、常に新鮮な耕地を求めて、栽培地を移していかなければなりません。大アンティル諸島で最初にサトウキビ栽培が普及したのは、バルバドス島でしたが、この地の生産適地は間もなく枯渇してしまい、18世紀に入ると、ジャマイカ島が世界最大の粗糖の生産地となったのです。このジャマイカ島の生産量を、1740年代前半に追い抜いたのが、フランス領サンドマングでした。 続く
2010.02.14
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クロニクル 箱根駅伝始まる1920(大正9)年2月14日今日はバレンタインデー。そして90年前の今日、第1回の箱根駅伝が行われました。この大会は、アメリカ大陸を継走で横断するための代表選考会として実施されました。なぜそんなことを考えたのかというと、この8年前のストックホルムオリンピックに出場した日本人五輪選手第1号の金栗四三さんが、「五輪で日本を強くするには、長距離、マラソンの選手を育成すること」が大切と発案したのがきっかけでした。箱根駅伝は、第二次世界大戦中に一時中断されましたが、戦後1947年には復活しています。そして第32回(1956年)大会から、現在の1月2・3日の開催となりました。また、第1回大会では学生のための大会ということで、午前中は授業を行い午後から行われました。そのため、ゴールは夜遅くになりました。第1回の出場校は、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学、東京高等師範学校(現・筑波大学)の4校でした。 開催に当たって東京帝国大学や中央大学、法政大学、立教大学、日本大学、東京農業大学、東洋大学、専修大学など多くの大学・旧制専門学校・師範学校などに参加を呼びかけたのですが、4校以外は10人の選手を揃える事ができず、上記の4校のみの出場となりました。
2010.02.14
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追悼! 玉置宏司会業の玉置宏さんが亡くなりました。ここ2年ぐらい、随分顔立ちが変わり、生気が感じられない雰囲気になっていましたから、心配していました。玉置さんといえば、何といっても「ロッテ 歌のアルバム」でした。まだロッテ球団を引き受ける以前で、ロッテといえばガムの会社と思われていた頃の1958(昭和33)年、私が高1の年のスタートです。「ロッテ ロッテ ロッテのガムは あなたとボクの…」で始まるリズミカルなコマーシャル・ソングが流れて、玉置さんが登場するスタイルでした。2回目以降の最初のセリフが、決めセリフの「1週間のご無沙汰でございました」。何度聞いても飽きないセリフでした。ラジオでも名セリフがありましたね。「それでは皆さん。またお耳にかかりましょう」。懐かしい人物が、また1人亡くなりました。合掌!
2010.02.13
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ハイチに贈る (29) 欧州でのスペインの覇権は、オランダとの80年戦争(前出)、ドイツ各地を戦場とした三十年戦争、イタリアを巡る対仏戦争そしてオーストリアを助けてのオスマン帝国との戦争という、いくつもの戦いを同時並行的に継続したことに伴う財政破綻と、国内の疲弊で、ついに崩れます。そこきっかけは、1640年のカタルーニャの叛乱でした。48年にはオランダとスイスの独立を承認。イタリア戦争でもフランスに完敗し、大陸の覇権は遂にフランスに渡ります。そして海上の覇権も、オランダに奪われてしまいます。当然、大アンティル諸島の防衛もおぼつかなくなります。スペインにとって、銀を産出するメキシコやペルー、ペルーの銀を大西洋に陸送する要地としてのパナマなどの方が、遥かに重要度が高いからです。こうした中、イングランドでは、ピューリタン革命の中で革命派の軍事部門を握ったクロムウェル独裁が成立します。このクロムウェルの政府がスペイン領アンティル諸島に目をつけ、エスパニョーラ島の占領には失敗するのですが、隣のジャマイカ島を奪取することに成功します。カリブの海賊として名高いヘンリー・モーガンは、1671年に1500人の海賊軍団を率いてパナマ地峡に上陸、パナマ市を襲い、同市を廃墟と化しています。この焼け跡は現在も残されています。イギリスに遅れたフランス系の海賊は、カリブ海の小島を根城に活動を続け、エスパニョーラ島の西北部に組織的な侵入を繰り返します。こうして1665年にかけて、島の西部に一大根拠地を作り上げたのです。スペインは1697年になって、この地の放棄を決定し、ここにエスパニョーラ島の西部、約全島の3分の1の地が、フランス領サンドマングとなったのです。この地が現在のハイチです。
2010.02.13
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クロニクル グリコ森永事件時効2000(平成12)年2月13日10年前です。グリコ・森永事件、あの毒入り事件が、この日時効を迎えました。犯人は何処に潜んでいたのでしょうね。いまだに謎ですね
2010.02.13
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ハイチに贈る (29)大アンティル諸島のスペイン支配を切り崩していったのは、当時バカニアと呼ばれていたカリブの海賊たちでした。南北アメリカ大陸には、大型の草食動物が少なかったのです。そこにスペイン人が様々な生活上の必要から豚や牛、馬や羊を持ち込んだのです。こうした草食動物たちは、生態学上の空白を埋めていくことになりますから、猛烈な勢いで増え始めます。柵をして飼うわけではありませんから、周囲の山谷へ溢れ出して、次第に野生化する種も出てきます。こうなると、それほど大人数でなければ、田畑など耕さなくても、手近な牛や豚を射止めて食用にするだけで、十分生きていけるようになります。カリブの島々でこうした暮らしを始めた人たちが、バカニアと呼ばれるようになったのです。バカニアと呼ばれる人たちの形成過程を追ってみると、主としてイギリス人やフランス人の脛に傷を持つ、荒くれ者の船乗り達が、様々な略奪や通商活動をしながら、次第にカリブの島々に吸い寄せられるようにやってきて、そこに居残る形で形成されたことが分かります。こうしたバカニアたちは、荒稼ぎのチャンスがあれば、徒党を組んで海に出て海賊行為を働きます。ですから、当然スペインにとっては、極めて目障りな存在です。当時最大のバカニア集団は、エスパニョーラ島の西北端に近いところに巣食っていました。スペインの根城だったサントドミンゴからみると、島を隔てた反対側になります。折からオランダ西インド会社に対するスペインの逆襲が始まり、このバカニアの拠点も危なくなります。バカニアたちは、それならとこの地を引き払って、別の島に拠点を移します。大型の草食動物さえいれば、どこでも暮らしていけるのですから、移動するのも気楽なのです。1640年頃までは、こうしたいたちごっこが続いていたのです、
2010.02.12
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