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おはようございます、ひなこです。今回は、湯治の旅ならぬ、湯痔の旅です。サイコロの旅1で、痔持ちであることをカミング・アウトした大泉洋ちゃんの痔を治すため、24時間で激走して、まわれるだけ温泉まわるぞ!という企画です。集合場所は、HTB、1996年11月9日の午前3時です。この時点で、大泉洋ちゃんは、何をするのか知りません。集合場所と集合時間しか知らされない男なのです、常に彼は。彼に企画を教え、浴衣に半纏という温泉ルックの衣装に着替えハイエースで出発したのは、その1時間後である午前4時。当然のようにそのハイエースを運転させられているのも、また大泉洋ちゃんです。出演者とはいえ、一番年下の若い体力のあるやつということで、こき使われます。なおかつ、「高速には乗るなよ、金ねえからな」と言われます。低予算でお送りしております。まず向かったのはニセコ。6時になり日が昇って明るくなりました。薬師温泉の露天風呂です。お湯の温度が低いそうで寒そう。吐く息白いですからね、既に北海道は。いや、6月の夜だって息白いことあるからね。それから、長万部(おしゃまんべと読みます)の二股ラジウム温泉へ向かいます。2001年には建物が新しくなって、秘境感は薄れたそうです。そして、次は、川の横に穴が開いているという、これまた露天風呂の八雲の熊の湯。迷子になりながらもたどり着き、先客のおばさんと小競り合いしながら、温泉卵を作っておばさんの出待ち。寒そう。ちなみにその場所は、北緯42度9分41秒、東経139度59分51秒だそうです。そして、どんどん南下し、椴法華村の海岸の温泉、水無海浜温泉。これまた露天風呂。でもこの時は満潮だったらしく、波荒くザッブンザッブン荒れ狂う日本海の冬の海水が容赦なく温泉に入ってきて、「これは温泉じゃなくて、ただの海水です」状態。入る前には、『大泉式心臓マッサージ』をお忘れなく。凍てつくように冷たかっただろうなあ、秋の海水浴。可哀そうだけど、バラエティー番組を作っている時に、こういうスィチュエーションに遭遇するっていうのが、どうでしょう班、運を持ってるねえ。そして、ハイエースはフェリーに乗って津軽海峡を渡って青森へ向かいます。本州の方から見たら、北海道も青森も同じようなものかもしれないですが、道民から見たら青森は別世界、だって海外ですからね。どこに行くのか知らされていない洋ちゃんも「おいおい、北海道出るのかよ!」って言ってましたが、ちょっと大事ですよ、青森に行くっていうのは。フェリーが揺れるもんだから船酔い防止に、カメラのうれし(嬉野さん)も、出演者も、ディレクターの藤やんも皆横になったまま撮影したりして。そして、真っ暗な道を八甲田山方面に向かい、饅頭蒸かしと呼ばれる、地上に噴出する蒸気の上に木箱を置いた場所へ向かい、木箱の上に1時間ほど座ります。真っ暗だし、雨はざあざあ降っているし、怖い、怖い、そして、更に恐山へと向かいます。恐山にも温泉があるそうで。この頃から、四国八十八か所参りテイストはあったんだ、発見。ところが、恐山は冬季は閉鎖されるということで、再開は5月1日ですという案内を読んだところで24時間が終わり、”痔・エンド”というオチを付けて番組は終了します。いやはや、どうにも、若いどうでしょう班。懐かしいなあ。続く。
2017年05月29日
おはようございます、ひなこです。白鵬、優勝しましたねえ。それから、明治のカールが北海道で販売中止なのか。西日本では続けるようですが、私には関係ないしなあ。子供の頃はよく食べました、カールのチーズ味。歯にくっつくのが難でしたが。最近は柔いお菓子が売れないと書いてある記事があったのですが、「今の日本人は硬いものは食べないよな」と意味不明でしたが、「スマフォを使うから、手が汚れるものは食べなくなった」「カップに入ったお菓子が主流になった」と書いてあるのを見て、そちらの説明の方が納得できました。うちの息子も、日本でコンビニによく行ってましたが、ポッキーとか、手が汚れないお菓子を買ってましたね。さて、どうでしょう。本当は、この前にビシバシステムとのコントというのがあったみたいですが、水曜どうでしょうクラシックの時点でお蔵入りになったようです。これは、夜中に軽トラで札幌の町をまわって、粗大ゴミを拾ってきて、それで宮の森に家を作るという企画です。最初の北海道での放送日は、1996年11月6日と13日の2回です。宮の森というのは、札幌の高級住宅地なんだそうです。これは、夜中ロケで、撮影開始が夜中の1時。朝の7時まで撮影は行われたようです。芸能人大変よの~。途中で雨も降って来たし。撮影日は、1996年10月16日(水)。札幌は、10月末には初雪が降りますからね。そうとう寒かったと思いますよ。最初は、中央区を回るのですが、結構あっさりと色々なものが拾えます。ヤラセじゃないのと思うくらい。その後で、苗穂だったかな、移動します。電子レンジ、掃除機、昔風のでっかいラジオ、冷蔵庫、ソファー、椅子、ベッド、敷布団3枚、卓球台、エレクトーン、日本人形、テーブル、食器棚、扇風機等々。あっさりと粗大ゴミでそれなりの家になりました。コンセントにプラグをさしたら動くのか、というチェックもするのですが、エレクトーンが弾けました。洋ちゃんは「ドボルザークの新世界を弾く!」と大ぼらをかまします。最後は、鈴井さんがお父さん、洋ちゃんがお母さんに扮装して、ミニコントをして終了。専業主婦の洋ちゃんが会社に行くお父さんを見送り、その後1人留守番をしながらエレクトーンでネコふんじゃったを弾きます。これ、今から21年前に放送されたものですからねえ。まだ、こういう家庭の設定が不自然ではなかった時代なんだなあと感慨深いです。今の若い人は、共働きが普通モードで、こういうエプロンをつけた奥さんが「いってらっしゃ~い」と夫を見送るなんていう感覚はないんじゃないだろうか、いやそれ以前に皆、独身か、などと思いました。2017年にこういうコントをやっても、変な感じがするんじゃないかなと。時代の流れを感じた水曜どうでしょう内のコントなのでした。1996年、自分は何をやっていたかなと考えると、SMAPファンになった年です。あれからずっとSMAPと中居君ファンであり続けたわけですから、ねえ。(「やすらぎの郷」の姫風)長続きしたよね、本人もファンも、お互いに。続く。
2017年05月28日
おはようございます、ひなこです。自分の33年前の英国旅行の話を思い出して書いていたら、『水曜どうでしょう』を再度見直したくなりました。『水曜どうでしょう』は、北海道のHTBのローカル深夜番組でした。私は道民ですが、日本を離れて長いのでオンタイムでは見ていなくて、『しあわせのパン』という映画を見てから、大泉洋さんってどんな人なんだろうと思って見始めてハマりました!記念すべき第1回は、1996年10月9日放送されました、「サイコロの旅1」です。この旅は、翌週の16日と2回にわたって放送されました。1996年9月12日水曜日、大泉洋ちゃんと鈴井貴之さんは、アン・ルイスさんのインタビューのため東京に行きました。どうやら交通費などは向こう持ちだったようです。で、低予算のローカル番組なので(ナレーションはディレクター自らが担当)、せっかく東京に出てきたんだから、ここでなんか企画やろうということで、サイコロの旅が始まります。当然ですが、お二人ともすごく若いです!21年前ですものね。洋ちゃんなんかまだ大学生だと思います。サイコロの旅とは、サイコロを振って(サイコロキャラメルのサイコロ)、その出た目によって、ボードに書いてある所へ行くというものです。4人(出演者の二人と、カメラの嬉野さんとディレクターの藤やん)は、15日までに札幌に戻らなければならないのですが、とにかくサイコロ次第でどこへ行くかわからないという企画です。でも、洋ちゃんには秘密にしてあって、「今晩、品川プリンスホテルに宿泊して企画を考える」と嘘を伝えてありました。そうか、すでに初回から、大泉洋には何も知らせていないというパターンが確立していたんだ。で、初回、ボードには深夜バスの名称が書かれている中、サイコロを東京で振ったところ、四国は愛媛県松山行きのバスになり、4人は翌日の朝四国へ上陸します。四国。私も行ってみたい。でも、二人は道後温泉でひとっぷろ浴びるとすぐ次のサイコロを振り、結局船で大分県の臼杵市へ向かいます。九州。私も行ってみたい。臼杵市でサイコロを振ると、福岡県小倉に電車で移動することになり、そこでサイコロを振ると、新幹線で大阪に行くことに。洋ちゃんは初新幹線だったそうです。そして、新大阪駅から寝台列車で新潟に行き、新潟からフェリーで小樽に18時間かけて着きました!15日の早朝に小樽に着いたので、鈴井さんはラジオの仕事に間に合い、ディレクターは子供の運動会に行けたそうです。洋ちゃんは、その日、親戚が来ることになっていたそうです。のどかだね。これ、本当にやらせなしでサイコロの目に従ったのか、まあテレビなのでよくわかりませんが、北海道民からすると、やっぱり四国、九州、大阪、新潟って、遠いところだから、興味がわいて面白いです。まあ、お二人は何も見るわけでもなく、ただ移動しているだけで、面白くもなんともないでしょうが。鈴井さんも番組内で「旅行っていうのは、行きたい所に行くもの。僕たちは決して自分で行きたいと思って行ったわけじゃないしね」と仰っています。また、洋ちゃんが痔持ちであることが発覚。(自分で告白した。新潟行きの寝台列車が3人分しか取れず、1人は自由席で座って一夜を明かさねばならないが、当然一番若い大泉君が自由席と言われ、「俺は痔なんだ!長時間座っていられないんだ!」とごねるのですが、結局自由席になった)のちに、湯痔の旅という企画が成立するのでありました。四国から九州に行く船でうれしーは船酔いし、藤やんは、大阪到着前に鼻血を出したそうだ。そりゃ、ハードよね、このスケジュール。体張って作ってますって感じです。私は見てるだけだから、笑ってますけどね。そして、この後、このサイコロの旅はシリーズ化するのですが、この第1回ですでにサイコロを振る前に、♪何が出るかな、何が出るかな、という歌を洋ちゃんが歌っています。続く。
2017年05月27日
おはようございます、ひなこです。稀勢の里、休場しましたが、高安が大関に昇進しそうですね!!!稀勢の里にはしっかり怪我を治してもらって、再度の活躍を期待します!先日、スーパーで買い物をした時、毎月スーパーで無料で配布している雑誌の5月号を頂いてきました。家に帰って、パラパラとページをめくっていたら、こんな広告発見。ムムム。CALBEEといえば、カルビーのかっぱえびせんでお馴染みのカルビーですよね。古いたとえだなあ。カルビーのポテトチップス♪。これでも古いですけど、それ以降は知りません。スーパーでお菓子セクションなんて行かないので、知りませんでしたけど、カルビーのお菓子が売っていたのか、オーストラリアで!今度買ってみようかな。ワサビ味は勘弁してほしいですけどね。では、ご機嫌よう!明日からは、新シリーズの予定です。
2017年05月26日
おはようございます、ひなこです。先日、こちらの薬局のカタログ(私宛に郵送されてきた)をパラパラ見ていたら、KONJAC SPONGEなるものが載っていました。新発売!とのことです。コニャック?写真を見ると、海綿スポンジみたいな感じなので、「海綿って英語でKONJACって言うのか?否、違うよな。だってギリシャ語でスポンゴだもの」などと考えていました。(ちなみに英語では、海綿はスポンジです。ギリシャ語を知っているのは、村上春樹さんの「遠い太鼓」に書いてあったからです)で、写真の下の方に書いてあった小さい字の説明書きを読んだら、日本の植物を使ったお肌にとっても良いスポンジとか書いてあるではないですか。「どうして日本が出てくる?ヘチマ?」理解不能な私。音の感じだと、「今昔スポンジ」とか「こんにゃくスポンジ」とかイメージできますが。と思って、ここで早速グーグル先生にお伺いを立てます。あった、コンニャクパフ!ダイソーでも売ってるらしい。これで顔を洗うと、お肌がすべすべになるらしい。知らなんだ。「ひなこ、日本人なのに、何も知らないのね」なんて言われるところだったわ!覚えておきましょうKONJAC SPONGE。ただのコンニャク(白)ピンククレイ(ピンク)アロエと緑茶(緑)竹炭(黒)コンニャクボディーウェイヴ(形が波状)と4種類あるようです。お値段、9ドル99セント。げ、高い。ダイソー、108円なのに。品質、大きさ、違うのでしょうか。見たことないから、よくわかりません。続く。
2017年05月25日
おはようございます、ひなこです。先日、眼医者に行く途中、UGGのブーツ大セール!という看板を見かけました。UGGと言ったら、オーストラリア名物のもこもこムートンブーツです。ひなこは、あのブーツがいかにもオーストラリアっぽく田舎臭い感じがして、昔からあんまり好きではなかったので、ああいうブーツは持っていませんでしたが、数年前に日本に帰った時、母が「これ温かいのよ」と履いていたので、安い中国製のを一つ購入してみました。オーストラリアは冬でも日中は20度くらいあって暖かいので、外で履くためではなくて、室内履きにしようと思って買ったのです。が、更年期障害のホットフラッシュのせいか、ここ数年、珍しく、冬に家の中で足元が寒いという感じがあまりしなくて、そのままに放置してあったのですが、今年は、しっかり寒くて、履いています。以前は、オーストラリアで買った室内履きを履いていたのですが、このもこもこブーツは足首まであるので、確かに暖かくて良い感じです!腹巻付きパンツ同様、手放せなくなりそうな予感。こちらは、外は暖かいけど、家の中が寒いんです。(とっても道産子発言)でも、まあ、寒いと言っても北海道とは比べ物になりませんが、北海道は家の中は暑いですからねえ。石油ストーブに床暖もありますからねえ。玄関は2重になっているし(ドアの外に玄関フードと呼ばれるもう一つの引き戸のドアがある!)、窓ガラスも2重になっているし、壁に断熱材が入っているし、家の造りもびしっとしてますからね。オーストラリアの家は、造りが、お粗末で、隙間風がスースー入ってきますからねえ。レンガって、やっぱり石系だし、寒いですよ。でも、日本の家でブーツを室内履きにすることは許されませんよね。こっちの家は、頑丈は頑丈だから(地震国ではないので、レンガにタイルと重い物で出来ている)ブーツで闊歩しても平気ですけどねえ。では、ご機嫌よう!
2017年05月24日
おはようございます、ひなこです。北海道産塩昆布!2袋日本で買ったので、最初の1袋目は、大根ときゅうりの薄切りと混ぜで食べ、2袋目は、きゅうりの薄切りと混ぜで食べました。いやー、美味しかった!この昆布の旨味、うちの旦那にはわかるまい。日本で新聞(道新)で読んだんですが、海苔って、日本人が食べるとちゃんと消化されるけど、外人が食べると消化されないんだそうです。この昆布も、私が食べると、栄養がばっちり吸収されて体に良さそうだけど、夫が食べると、ヨードの取りすぎで甲状腺機能が低下したりしそうです。新しく買った炊飯器で白いご飯を炊いて、わっさわっさと食べました。「これって何かを連想させるなあ」と少し考えたら、松前漬けでした。松前漬けは、昆布ががごめ昆布でもっとネバネバしてるけど、あれ何が入っていたっけなあ。数の子と、するめを細く切ったやつだったよね。ネバネバした食べ物好きの私なので、「あー、松前漬け~」とちょっと郷愁に浸りました。きゅうりと昆布を食べてしまった後に残ったお汁、日本にいたら捨てちゃうと思うのですが、なんせ南極の一歩手前にいる身なので、つゆの中に白飯を投入して混ぜ混ぜして食べました。というわけで、帰国してあっという間に、2袋、なくなりました!!!続く。
2017年05月23日
おはようございます、ひなこです。これは、日本でのいただきもので、こんな商品があるとは全く知りませんでした。 くまモンは、どうしてパッケージについているのだろう・・・。袋を開けると、透明ビニール製の靴下状のものが2枚入っています。(これがでかい)で、足の裏部分に液体が染み渡るようになっています。付属品のシールでびしっと留めて液漏れしないようにして、私はその上から靴下をはいて、家の中を普通に歩いたりしていました。2時間くらいはいていたのかな?その後で、足を洗浄。で、数日後には、皮がむけて、かかとがツルッとなる、ということでした。しかし!私の足の裏は、全く変化せず、「嫌だわ、50過ぎて、面の皮だけじゃなくて、足の裏の皮も厚くなっちゃって、私には効果がないのかしら」とちょっと落ち込んでいました。そうしたらですね、5日ぐらい後から、もう足の裏の皮がずるむけになりまして。知らない人が見たら、変な皮膚病持っている人だと思われそうなくらい。というわけで、現在、私の足の裏は、ツルッとしています。で、思ったのが、これを顔に塗ったらどうなるんだろうということです。ピーリングとかってあるじゃないですか、顔の美容で。この液、ちょっと顔に塗ったろか、みたいなねえ。でも、パッケージには、「足の裏以外の場所には絶対使わないでください」と書いてあります。まあ、顔に塗る勇気はないかもねえ。続く。
2017年05月22日
おはようございます、ひなこです。食べ物が続いたので(今日も食べ物といえば食べ物だけど)、お掃除の話。ミニマリストの筆子さんが、お掃除は酢と重曹で!と言っていましたが、ひなこはやっていなかったのですが、重曹を買ってみました。ちょっと臭いが気になる部屋があったのですが、じゅうたんに重曹を撒いてしばらく放置してから掃除機をかけると良いと聞いたのでやってみました。はい、効きました!あっぱれ、重曹君!掃除機本体の臭いも消えました。やるねえ、重曹君!なので、冷蔵庫にもちょっと入れときましたよ。小さい容器に入れて、薄いきれを被せておきました。(こぼれ防止)酢の方は、コバエ(フルーツフライとこちらでは呼ぶ)取りの罠を作っています。夫が、週末、趣味のようにマーケットで果物を買うんですが、スーパーマーケットの商品と違って、虫さんも一緒に家に入ってくるんですよ。「勘弁してくれよ」と思っても、小心者なので口には出せず、罠を作ってコバエをキャッチしています。ネット情報では、めんつゆを使うと書いてありましたが、もったいなくてめんつゆなんて使えないので、私は酢を使っています。お水、食器洗い洗剤少々、バルサミコ酢、リンゴ酢を混ぜて置いておくと、匂いにさそわれてコバエが溺れ死んでいます。掃除ですごい!と思ったことがあるのは、スィトリック・アシッド。日本語では、クエン酸でしたっけ?洗面台まわりの水あか汚れに効きます。ティッシューやトイペ、あるいはキッチンペーパーなどの紙ものを敷いて、その上にクエン酸液をかけて浸して置いておくと、綺麗になりますよ。私の住んでいる家は貸家なんですが、窓には全部白いブラインドがついています。昨日は、とっても久しぶりに、2階のブラインドを取り外して外で水洗いしました。ブラインドって駄目ですよ。衛生的じゃない。軍手でこすって掃除したりするのも、面倒だし、やっぱりカーテンの方が良いです。カーテンだったらはずして洗濯すればいいだけじゃないですか。でも、貸家だから勝手にカーテンに変えることもできないので、ぶつぶつ言いながらブラインド掃除をしなければならないのであった。続く。
2017年05月21日
おはようございます、ひなこです。今朝は土曜日ということで、夫が早朝市場へ行ったので、今、パパイヤとビーツの葉のタヒーニ和えを食べました。ビーツの葉って初めて食べました。産地で大雨が降って、ビーツが流されたそうで、ほんの少ししか売っていなくてなおかつ高かったそうなので、じゃあ、葉っぱも食べるか、と思ったのでした。今日のヒット商品は、「乾燥とろろ」です。去年、7年ぶりぐらいに風邪をひいて、こういう時のために、日本食のフリーズドライ食品を買って備蓄しておいたらいいかも!とひらめいて、日本で、アマノフーズさんの味噌汁だの雑炊だのを入手したのですが、フリーズドライの山芋というのもあったので買ってみました。むかーし、むかし、シドニーで、粉末とろろというのを高かったけど一度買って、下痢したことがあったので、恐る恐る食べましたが、これは下痢しませんでした。蕎麦にのせて、とろろ蕎麦にしました。美味しかったです!が、いかんせん、量が少ない!これが1人前なら、私、日本で1回につき、10人前くらい食べてるな!ぎゃ!続く。
2017年05月20日
おはようございます、ひなこです。タヒー二とは:練りごまです。殻付きと殻なしが売っていて、殻なしの方は、色が白くてお上品でしたが、より栄養があって、健康には殻付きの方が良さそうな気がして、殻付きを購入しました。まず作ったのが、ほうれん草と人参の白和え。(私の母は、こんにゃくと人参の白和えとか作るけど、こんにゃくは簡単に手に入らないので)ほうれん草は、お湯を沸かしてからほうれん草を投入して、さっと茹でて、切ります。人参は切ってから茹でます。こちらは水から。豆腐は水切りして、つぶす。そこに、砂糖、味噌、タヒーニ、ほんだし、醤油などを適量ぶち込んで混ぜる。味見をして自分の好みの味付けにしてくださーい。いい加減な私・・・。これだから、お菓子作りは苦手です。そして、最後にほうれん草と人参も投入して混ぜ混ぜして出来上がりです。とても美味だったので、インゲンを買ってきて、これもタヒーニと醤油と砂糖で和えて食べました。ゴマが食べたいというのも、体が老化と戦っているからでしょうか?!ゴマサプリ、日本で人気ですものね。サントリーでしたっけ。続く。
2017年05月19日
おはようございます、ひなこです。中国人のお店に売っているのは、前から知っていたのですが、タイ米のもち米ってどんなやねん、と買ったことはなかったのですが、先日、初めて、清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ってみました。小豆も一緒に買って、お赤飯を作ったんですが、普通にできました、美味しい赤飯が!そうか、タイ米のもち米って、やっぱりもち米なのか!などという、回りくどい納得の仕方をしながら、むはむは食べました。忘備録的に、レシピを書いておきます。小豆 1/4合 (米を計るカップで計量)は、半日水にうるかして(北海道弁。新潟の人が新潟でも使うと言ってたけど、つけておくことです)、それから茹でます。1回沸騰させて、その水は捨てます。あく抜きです。そこに新しい水を入れて、柔らかくなるまで再度煮ます。この煮汁は捨てずにとっておきます。普通の米(うるち米) 半合は、研いでこれもうるかしておきます。もち米 1合半は、研いでうるち米と混ぜ炊飯器へ。小豆を上に乗せ、小豆を煮た汁を、炊飯器の水加減の 1,5合の線よりやや多めくらいにする。もし、小豆の煮汁が濃いなら、普通の水と混ぜて、色を加減してください。お好みで塩を入れて炊いてもよし。これが、米計2合のレシピ。もうちょっと多めに作りたい時は、小豆 半合うるち米 半合もち米 2,5合水 2号半より若干少なめの線です。これは、米の合計が3合です。いつもはこれで作っていたんですが、今回は、初のタイ米もち米。もち米のパッケージには、2時間うるかせと書いてあります。「うーん、どうしよう」と思って、中をとって1時間うるかしました!適当!でも、美味しくできましたからよしとします。山菜おこわ、私好きなんですが、山菜おこわの具は、日本人経営の店に行かないとないです。それとも、中国人のお店を探せばあるのか?!山菜おこわは電子レンジでつくります。続く。
2017年05月18日
おはようございます、ひなこです。ずっと33年前にタイムスリップしていたので、頭の軸をガキーンと切り替えて、最近の話題にします。最近のお気に入りシリーズ!「ハイウェストショーツ」日本で買ったんですけど、確かベルメゾンで。要は、腹巻付きの下着パンツです。冷え対策にと思って初めて購入しました。そうしたらですね、これが優れモノでした!!!ぬくいです!お腹が暖かいと足も温かくなるんですね。お尻も太ももも温かいです。幸せ。もう1枚、GUNZEの腹巻付きのショーツを、同じくベルメゾンの激安セールで(現品限りで色も選べない)ゲットしたんですが、こちらは、裾が切りっぱなしになっています。ベルメゾン商品の方のレビューに、「裾が厚ぼったくて、ピッタリフィットのパンツだと段差が透ける」と苦情を述べていた人がいたんですが、そういう方はこちらのGUNZE商品が気に入るでしょうね。しかし、私は生地が厚手のベルメゾン商品の方が気に入りました。もうこれなしではスースー寒いです。でも、通販なので買ってみないとどんなかわからないということで、試しに1枚、グンゼは安かったから1枚と計2枚しかないので、洗濯中は、今までの普通の下着プラス「腹巻」をしています。腹巻は、セシールで買いました。カイロを入れるポケット付き。どれも、綿95%です。最近、化繊はどうも相性が悪くていけません。しかし、あれですね。こうやって人はおばあさんになっていくんだなと。子宮筋腫の手術をしてから、傷口あたりにパンツのゴムがあたるのが嫌で、股上の長いパンツしかはいてませんでしたけど、腹巻付きとはくらべものになりませんもの。今度、日本に帰ったら、同シリーズを揃えたいです。友達が、シドニーのユニクロでもそういう商品が売っていると言っていましたが、私は日本に帰った時の楽しみに取っておきたいと思います!続く。
2017年05月17日
おはようございます、ひなこです。1984年3月18日、日曜日。無事、成田に帰ってきました。帰りも香港で日本行きの飛行機に乗り換えましたが、日本の前に行った台湾の台北から成田に向かう途中で、すっごく揺れて、自分のテーブルにあったオレンジジュースをもろにかぶりすっかり濡れ、ジェットコースターみたいなので、吐きそうでつらかったです。というのは、覚えているのですが、成田での記憶が欠落しています。友達がお迎えに来てくれたんだったのか、全く何も覚えていません。多分(というか絶対)、羽田にリムジン・バスで移動して、羽田から千歳行きの飛行機に乗ったはずです。北海道じゃなくて湖水地方。でも、そこの記憶は、本当にぽっかりと抜けていて、突如記憶が戻るのが、千歳空港に着いたら、バイト先が一緒だった人に偶然会ったことです。「あ、ふゆのさん!久しぶり~。どこ行って来たの?」「はい、ちょっとイギリスに1か月行ってました」「ええええ?!」みたいな会話をして、南千歳の駅まで荷物を持ってくれました。バイト中は、話したこともほとんどない人だったし、学年は一緒だけど年上の人だったし、恐縮して断ったのですが、「いいから、いいから。疲れてるでしょ」とわざわざ南千歳の駅まで来てくれたんですよね。あの懐かしの駅までの通路を歩いて。誰かのお迎えに来てたんじゃないのかな、空港に。だって到着ロビーで会ったんだし。その人とは会えたんだろうか。悪いことしたなあと思ったけど、とってもジェントルマンな人だったんだあとも思いました。で、そこから実家へ夜行寝台列車に乗って帰りました。これも今はもうないです。が!この寝台列車でも眠れず、ロンドンのノヴォテル・ホテル、機内、寝台列車と3日間、数時間しか寝ていない超睡眠不足状態で、ふらふらと家に帰りました。「ただいま~」と玄関を開けると、母に、「いやーこの子は本当に地球の裏側に行って帰って来たんだねえ」と言われました。母にしたら、月から帰って来た人みたいな気分だったんでしょうね。そして、「何が食べたい?」と聞かれたので、「豆腐とわかめとねぎの味噌汁と納豆とご飯」をリクエストして、3日間ほどそれを食べ続けました。納豆ご飯とみそ汁の朝食で、やれやれと思っていると、突然高校の同級生から電話がかかってきて、「今晩クラス会だから来い!」と言われました。で、昼寝もせずにその日の夕方から、着たきり雀(服は札幌の自分の部屋にある)で、帰国時のままの服装でクラス会に行きました。あ、ロンドン最終夜、クラッシュのギグ会場で購入したTシャツ(帰りがけに買ったんだろうな。立ち見でびょんびょん飛び跳ねて腕振り回して見てたから、手荷物なんて持っていられん状況じゃったけんのお)着てたのかも、長袖の下には。寝たのが、夜の12時くらいだったのかなあ。(若いからタフ。今、絶対無理)一度もトイレにも起きず、あれほど深く眠ったことはないというぐらい熟睡しました。目が覚めたら、時計は5時を指していたのですが、それが朝なのか夜なのかもわかりませんでした。頭はすっきりしていましたが、それほど長く寝たという感覚はなくて、今は朝の5時で5時間後なのかなと思っていたら、母が晩御飯の支度をしている音が階下から聞こえてきて、「おっと、夕方の5時か。ということは・・・・、17時間寝てしまったのかよ」と驚愕しました。未だに、あれが私の人生で一番長く寝た日ですね。親もびっくりしただろうな。疲れてるんだろうとは思いつつ、死んでないだろうなと途中で何度か様子を見に来たんじゃないだろうか。私は死んだように寝ていたから知らないけど。ポール・セローの旅行記の『鉄道大バザール』と『ゴースト・トレインは東の空へ』みたいに、私も、来年の2月と3月にかけて、34年後になりますが、34年前と同じルートを旅するなんて企画を実行したらすごく面白いだろうなとこれを書いているうちに思いました。が、もうそんな気力も体力も残っていないひなこでした。今年、日本に帰る飛行機の搭乗をシドニー空港で待っていた時、まだ十代という感じのオーストラリア人の若い娘二人(一人はドピンクの髪で、一人はド紫の髪)を見かけました。速攻、直行、日本に着いたら、即、秋葉原へGO!みたいな二人組で、日本のアニメとか漫画とかきゃりーぱみゅぱみゅとか、大好きなんだろうなと思わせる姿でした。その二人を見ていたら、19歳でイギリスに行った自分のことが重なって、日本で楽しい時を過ごしてくれたまえ、という優しい気持ちになりましたよ、おばさんは。イギリスでの1か月はそれはそれは思い出深いものとなりましたが、日本で日本のごはんを食べ、お風呂に入り(もう1週間に1回しかシャワーしないなどという生活は許されません!)、村上春樹さんの本を読んでいると、「ああ、日本人に生まれてきて良かった」という気持ちになりました。そして、シリア人マネージャーさんに親切にしてもらったので、本屋で『アラビア語会話入門』なんて本も買ったのですが、すっかり本棚の飾りとなりました・・・。再度のイギリス行きを目論んでいましたが、ヴィザが取りやすかったオーストラリアにその2年後やって来て、現在に至るひなこでありました。長々と思い出話に付き合ってもらって、申し訳ないです。年寄りは、昔話しか、できんようになるんだね。「むかーし、むかし、あるところに、ひなこというイギリス好きの女の子がおってのお」完
2017年05月16日
おはようございます、ひなこです。1984年3月17日、土曜日。睡眠不足で筋肉痛。どんだけ、騒いだんでしょうか、前夜。通算19泊したロンドンから飛行機に乗って日本に帰る日がやってきました。懐かしの航空券。Eチケットなんてない時代です。「ああ、まだイギリスにいたいよ~」と後ろ髪をひかれながら、飛行機に乗り込みました。今みたいに、空港からブリッジでまっすぐ乗る時代ではありませんよ。バスで飛行機の近くまで行って、タラップを上るのですよ。一歩一歩上へ上りながら、「あー、まだいたい~。また来るぞ~」と声に出して言っていました。絶対また来ようと思って、この時残ったイギリスポンド紙幣は結構何年も持っていたのですが、その後オーストラリアで両替しました・・・。前夜、睡眠不足でしたが、飛行機の中でもよく寝れませんでした。こんなに連日睡眠不足なんて、私にはとても珍しいことです。ひなこ、子供の頃から現在に至るまで、「寝る子は育つ」な人ですから。続く。
2017年05月15日
おはようございます、ひなこです。今日は、母の日ですね。ひなこは、日本にいる時、近所のローソンに行ったついでに、母の日ギフトを頼みました。なんか、年々、母の日父の日ギフトの申し込みが早くなってる気がします。1984年3月16日、土曜日。ロンドン最終日です。翌日の飛行機で日本に帰ります。ということで、最終日は、泊まるホテルが込みで入っているため、長らく15泊した安宿をチェック・アウトして、移動します。15泊もしたので、すっかり安宿に慣れてしまって、ここを出る時、皆とお別れするのはちょっと悲しかったです。「日本に帰って写真を現像したら、郵送するけんねえ!!」などと言ってお別れしました。涙。そして、地下鉄に乗って、ハンマースミスへ行きました。ハンマースミスと言ったら、クラッシュにホワイト・マン・イン・ハンマースミスなんて歌もあって、ほほ~、ここがハンマースミスかと思いつつ、今夜泊まるノヴォテル・ホテルへと向かいます。3月17日は出発日として記入されています。ロンドン初日に同室だった方は、親族で不幸があったとかで、予定より早く帰国してしまったそうで、この日、私はツインの部屋をシングルユースしました。さて、今夜は、ロンドン最終夜。はい、クラッシュのギグの日です。ハンマースミスから地下鉄でブリクストンへと向かいました。カムデンマーケットで買った赤いレザーの帽子をかぶっていたら、黒人の女の人が後ろから追いかけてきて、「ちょっと!その帽子どこで買ったの?!」と聞かれました。地元ロンドンっ子にそんなこと聞かれるなんて!とちょっと感激。でも、こういうのって泥棒が気をそらすために使う手口でもありそうですね。ひなこは、日本にいた時からそういう傾向がありましたが、ロンドンでも、多くの人々に「すみません、どこそこに行くのはどうやって行くんですか」とよく道を聞かれました。いや、私に聞かれてもね。多分、怖そうな人に見えないんだと思います。前座のバンドがステージから消えて、いよいよクラッシュ登場です。ミック・ジョーンズとドラムのトッパー・ヒードンは既に脱退していて、ミックはいなかったんだけど。あれ、ポール(シムノン)もいなかったんだっけ?いや、いたはずだよな。ジョーしか見てなかったから覚えてないという・・・。ジョーは金髪のモヒカン頭になっていた!すっごく楽しかったですけど、なんというか、本当に手を伸ばしたら触れてしまえそうなくらい近くにあの憧れのジョー・ストラマーがいたんですけど(立ち見)、「なんだ、ジョーも普通の人間だったんだ」みたいに覚めて思っている自分もいました。終了後、今何時だよと腕時計を見たら時計がなかった・・・。それで、這いつくばって時計を探しました。他にも這いつくばって何かを探している人々がいたけど、落ちてる小銭を集めている人もいた。もう見つからないと思ってあきらめて帰ろうとした時に、ふっと見つけましたけど、その腕時計。会場は地下鉄の駅のすぐそばだったので、地下鉄に乗ってホテルまで帰りました。でも、興奮しているので、ほとんど寝れませんでした。余談ですが、ジョーはこの18年後、2002年12月22日に心臓発作で自宅で亡くなりました。50歳でした。私、ちょうど日本に帰って、実家に着いて、道新をペラペラめくっていたら、ジョー・ストラマー死亡の記事を発見して、とてもびっくりしました。続く。
2017年05月14日
おはようございます、ひなこです。1984年3月11日、日曜日から、3月15日、木曜日。と、急に端折ってますが、同じところに泊まり、同じ街・ロンドンにいたので、写真も撮ってないし、段々と旅行者じゃなくて、居住者のようになってきて、この日にこれをしたというのが判別できなくなってしまっているためです。非日常から日常へと変わってきちゃったんですね。お世話になったマネージャーさんと、ひなこと、お世話してあげた従兄弟のおじさん。シリア人。まさか、33年後に、この人たちの祖国がこんな惨状に陥るとは誰が想像できたでしょう。大英博物館の後、ナショナル・ギャラリー、テート・ギャラリー、ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムなどに行ったので、この間に行ったのかな。それまで芸術に触れる機会のなかったひなこですが、このようにあちこちめぐっていると、段々、ひなこ、この絵好きだなーとか、ターナーの水彩画良いなあとか、ちょっと思うようになりました。あとよく覚えているのは、上記のどこかの食堂でお昼を食べたんですが、ひなこはお子様っぽくサンドイッチと牛乳みたいな、給食から抜けきっていないものをモグモグ食べていたのですが、そこに、多分そこで働いている女性が一人、おひとり様のひなこの席に「ここ、座ってもよろしくって?」とやって来て、同席したんですが、彼女はスープとパンを食べていて、なんだろうな、おにぎり文化のひなことは、全く違う大人の女性という感じでかっちょよかったのと、でもやっぱりひなこはおにぎりの方が好きだぜみたいに思ったことが強く印象に残っています。🍙あと、私がロンドンにいる間に、ロンドンでリビアがらみの爆弾テロがあって、1日ホテルでぶらぶらしていた日がありました。ホテルの皆に、「何やってるの?」と言われ、「だってテロ怖いもん」と言ったら、「君は観光客なんだから、ホテルでぶらぶらしてちゃダメだろ」なんて言われたっけなあ。で、そのテロの影響でハロッズに行くのを止めたんですよね。ケンジントンの高級住宅地をちょっとお散歩してはみたのですが、ハロッズへは行きませんでした。最終夜に、唯一の夜の外出であるクラッシュのギグに行くので、その時着ようと思って黒いシャツを購入しました。赤いレザーの帽子をすでに買ったので、赤いレザーのベルトも買ったし。買い物はほとんどしていないつもりでも、やはり出てきたときより荷物が増え、コヴェントガーデンの雑貨屋さんで、そんなに大きくはないけどピンクと黒のアタッシュケースみたいな、スーツケースの赤ちゃんみたいなのも買いました。ロンドンで、ウィンピーのハンバーガーとフィッシュアンドチップスばかり食べていましたが、2度ほど違うものを食べました。ご飯が食べたくて、宿の近くのインド人の店で、一度カレーを食べました。生田斗真か?とお馴染みの突っ込み。ひなこ、辛い物が苦手なので、フルーツカレーなどという甘いのを選択しましたが、日本のカレーとは全くの別物だし、米は細長いバスマティライスかジャスミンライスでぱさぱさしてるし、日本の白いご飯が食べたいよ~!!!と欲求不満で帰ってきました。もう1回は、スパゲッティが食べたい!と思って(麺類に飢えている)、店の外にあったメニューにスパゲッティと書いてあったカジュアルな感じの店に入ってスパゲッティを食べました。イタリアンなのかと勝手に思って入ったのですが、食べている最中に、メキシカンと書いてあるのに気づきました。これも、ひなこが思うスパゲッティとはちょっと違って、欲求不満になりました。15泊した安宿で、シャワー(共同)をしたのは2回くらいのような気がします。日本で週に1回しか風呂に入らないなどということは、間違っても絶対ありませんが、多分湿度が低いからなのかな、イギリスでは臭くもならず、段々と不潔になっていきました・・・。恐ろしや。この安宿にひなこ滞在中に、イギリスの田舎の中学生だか高校生の修学旅行客が泊まったことがありました。あん時は、ホテルがすっごくうるさかった。まあ、ひなこは友達扱いされてましたけどね。続く。
2017年05月13日
おはようございます、ひなこです。1984年3月10日、土曜日。この日は、マダム・タッソー蝋人形館へ行きました。プラネタリムとレシートに書いてありますが、そんなものを見た記憶は一切ありません。寝てたのか?!でも、お金を払っているんだから見たんでしょうね。うーむ。何も覚えていない・・・。日記でもつけておけばよかったな。ここも、1日中時間をつぶせるようなところではないので、多分この後、週末だし、どこかの路上マーケットにでも繰り出したのではないかと思います。続く。
2017年05月12日
おはようございます、ひなこです。1984年3月9日、金曜日。この日は、一人で、前の日に見損なったバッキンガム宮殿の兵隊さんの交代を見に行きました。バッキンガム宮殿。Wellington Barracksにて整列中の皆さん。あれ?この人達、赤い服着てるはずでは?なんと冬季間は、このグレイのコートを着ているのです~。ちょっと損し気もするけど、いつもと違うレアなものを見れて良かったのか?行進中。最後尾。もう後ろに車が迫って来てます。通行止め早く終われ~!!と思っているでしょうね。この後、どこかへ行ったんでしょうが、今となっては覚えていません。多分、美術館かな?続く。
2017年05月11日
おはようございます、ひなこです。先日、「強い子のミロ」について書いた後、スーパーで一番小さいミロを買ってみました。ノスタルジー。私が子供の頃のミロって、結構でかい顆粒状で溶けにくかったのですが、いつの間にやら、サラサラパウダー状になっていたんですね。でも、子供の頃の思い出があるので、「ミロ、違う。こんなんじゃない」などと思いましたが、私が比較しているのは40年も昔の話ですね。♪回る 回るよ 時代は回る~本とか音楽もそうだけど、もう新しいものを読んだり聞いたりするより、昔のを懐かしがる傾向が最近顕著なんですが(そんなこと言ったらこの英国旅行日誌だってそうだぜ)、ミロも同じ分類でしょうかね。1984年3月8日、木曜日。朝ごはんを食べて、安宿B&Bマネージャーの従兄弟と観光に出かけました。この人(シリア人)は英語が全く話せず、意思の疎通は図れません。なので、この日は、カルチャー・バスという観光客向けの1日乗り放題、観光地を回るバスで観光することに私の独断で決定しました。行ったのは、バッキンガム宮殿、セント・ポール寺院、ロンドン塔など、ベタな観光地です。いやー、痩せてるなあ、自分。と19歳の自分の写真を見て思う。バッキンガム宮殿の所で、通りがかりのイギリス人のおじさんに、「すみません、シャッター押してもらえますか」と頼んで二人の写真を撮ってもらったのですが、そうしたら、そのおじさんが「君は何人?日本人?そしてあなたは?シリア人?へえ、ちょっとお茶でもしませんか」と言われて、一人だったら絶対そんな誘いには乗りませんが、同伴のマネージャーの従兄弟が、「行きましょう、行きましょう」とついて行ったので、なぜか3人でお茶する羽目になりました。そうしたら、この男性、日本語も片言話せるし、アラビア語も片言話せるんです。一体、この人は何者?!と怪しんでいたら、エホバの証人だったかな、いきなり日本語のパンフレットを渡されそうになったので、ひなこは「私は興味ありません」と受け取らなかったのですが、従兄弟君は、アラビア語のパンフレットを大事に受け取ってました。で、ひなこは、それを機に「では、先を急ぐので」とその場から立ち去ったので、従兄弟君も私についてきました。このせいで、我々は、有名なバッキンガム宮殿の兵隊さんの交代を見損なってしまいました・・・。いつもは、絶対日が暮れる前に宿に戻っていたひなこですが、この日は、フルにあっちこっち行ったので宿に戻った時は既に暗くなっていて、マネージャーさんが心配して待っていました。これを機に、マネージャーさんから家族の写真やシリアの写真などを見せてもらったり、ある時は「シリアのお菓子があるからラウンジで一緒にお茶でも」と誘われたりしました。他の宿では、自分の部屋にこもっていたけど、ここでは、いつも下のラウンジでスタッフの誰かと話したりしてました。工事中のビッグ・ベン。国会議事堂?ロンドン橋落ちる~♪から撮ったタワー・ブリッジロンドン塔から撮ったタワー・ブリッジロンドン塔名物の大ガラス、TOWER RAVEN。ひなこ、動物好き。この日の夜、BBC1のTOP OF THE POPSに出たバナナラマが、Robert De Niro's Waitingを歌っているところ。しかし、テレビが超レトロ。ソニーとパナソニックの国から来たひなこは、驚愕しました。続く。
2017年05月10日
おはようございます、ひなこです。1984年3月7日、水曜日。ロンドンでは、同じ宿に15泊したので、ホテルの従業員スタッフと仲良くなりました。マネージャーは、シリア人の男性でした。今でこそ、毎日シリア情勢をニュースでやっていますが、当時のひなこは、シリアと言われても、一体どこにあるのかも知りませんでした。このマネージャーは大変親切にしてくれて、私の部屋も最初の部屋からもっと良い部屋に、追加料金などはなしで変更してくれたりしました。私が文句をぶーたら言ったわけではなく、完全に彼のご厚意で良い部屋にアップグレードしてくれたのです。なので、私の記憶の中では、良い部屋のことしか覚えていません。白いご飯にたらこをのせて、ムハムハ食べている夢を見て目が覚め、「ああ、美味しかったなあ」とベッドの中でしばらく呆然としていたのもあの良い部屋でした。で、そのマネージャーが「大英博物館に絶対行け!自分は最初にロンドンに来た時、1週間通い詰めたぞ!」と力説するので、あんまり博物館などに興味のなかったひなこも、「そんなに勧めるなら、ちょっと行ってみるかい」という気になって、行ってきました、大英博物館。このあたりになると、どの日付だったのかは、もうはっきり覚えていないので、この日にしました。はい、大変面白かったです、大英博物館。古代エジプトのミイラとかたくさんあったのと、日本のものもすごくたくさんあったのをよく覚えています。世界中から、かすめ取って来た感はいなめませんでしたが。で、この博物館が予想外に面白かったので、急遽、ロンドンに沢山ある美術館や博物館めぐりをすることに決定しました。でですね、このマネージャーさんの従兄弟がシリアからやって来て、二人で訳の分からない言葉で話しているので「何語で話しているんですか」と聞いたら、「アラビア語」と言われ、博物館の売店で『ペルシャの美術』という本ににょろにょろとした文字が書いてあったのでそれを買ってきて、「これがあなた達の話している言葉でしょう」と自信を持って見せたら、全然違った、ということもありました。ああ、馬鹿なひなこ。で、毎日、あちらこちらに出かけているひなこに、マネージャーさんが言いました。「従兄弟を観光に連れて行ってあげたいが、俺は仕事が忙しくて無理。申し訳ないが、1日でいいからこいつを一緒に連れてロンドン見物をしてくれないか」というわけで、次の日、英語の全く話せない従兄弟(おじさんです)を観光に連れて行ってくれと頼まれ、一緒に出かけることになりました。これぞ、珍道中ですよね。続く。
2017年05月09日
おはようございます、ひなこです。未だ人参が残っていたので今度はサーモンスライス缶で人参しりしりを作ってみました。私はスモークサーモンは買うけど、缶詰(日本のみたいにブツ切りの骨まで食べれるやつとかじゃないし)の鮭は買いませんが、これも夫が私が日本に行っている間に買ったようなので、これを投入。美味しい!昨日書いたスムージーにも人参ちょっと入れたんだったな。1984年3月6日、火曜日。この日は、夕方からミュージカル、「キャッツ」を観に行きました。昼間は、コヴェント・ガーデンとか、ロンドン内のどこかをうろちょろしていたと思います。このチケットは、日本でオプショナルとしてお金を払って申し込み、現地でチケットをもらいました。ひなこ、ミュージカルを見たのなんで、これが最初で最後です。♪めーもりーってやつですよ。あんまり内容とか覚えてないんですが、唯一鮮明に覚えていることがあって、それは、私の周りには、アメリカ人の観光客しかいなくて、皆さん、アイスクリームをぺろぺろ食べながら、「いやね、あたしゃあケンタッキーから来てるんですけどもね、そちらさんはどちらから?」「え、あっしですか。あっしはミズリーの端っこの方から」「あたしは、フロリダざます」みたいな会話が大声でなされていた、ということだけです・・・。続く。
2017年05月08日
おはようございます、ひなこです。人参のとなりにひっそりとイタリアン・パセリも残っていたので、それは家にあったリンゴとオレンジのしぼり汁とスムージー・マシーン(夫が買った)に入れて、スムージーにして飲みました。美味しい。1984年3月5日、月曜日。この日は、ロンドン動物園にパンダを見に行きました。ひなこ、今現在に至るまで生パンダを見たのはこの時だけです。神経症的に歩き回るダチョウ。フタコブラクダ。動物園近くのカムデン・マーケットにも行ったんですが、この日だったのかは覚えていません。あの路上マーケットは週末だけだったのかも?イギリスのバンドのライヴを誰かが録音して、それをダビングして売っているという違法なライヴ音源のカセットテープを数本買いました。でも、カムデンで、赤いレザーの帽子を買ったんだよなあ。ロンドンっぽいと思って。あれはこの日だったのかなあ。続く。
2017年05月07日
おはようございます、ひなこです。冷蔵庫の中に人参が残っていたのを発見し、今朝は久々にツナ缶入りの人参しりしりを作って食べました。(オーストラリア風に発音すると、トュゥナみたいな、チューナみたいな感じ。)今日のしりしりはとても美味しくできました。なぜか?それは、お高いツナ缶を使ったからです。おほほ。いつも安いツナ缶をなおかつセールの時に買うひなこですが、私が日本にいる間に夫がすっごく高いツナ缶を購入していて、そうしたら味が全然違うというですね。やっぱり値段を反映してるのね。うまいよ。1984年3月4日、日曜日。この日は、キングス・クロス駅から列車に乗って、ケンブリッジへ行きました。”いつかここで学びたい!”などという高い志を持っていた訳では全くなくて、なんとなくミーハーに「ほほう、ここが天下のケンブリッジかあ」と思っただけですが・・・。ここは、ケンブリッジのクイーンズ・カレッジだそうです。アルバムにそう書いてありました。ケンブリッジで覚えているのは、川があって、学生達がカヌーを漕いでいたことですかねえ。それだけかーい!?すみません、それだけです。申し訳ないので、全然関係ない話を続けます。皆さん、♪強い子のミロ♪ってオーストラリア・オリジンだってご存じでしたか?ひなこは、全くの初耳でした!https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/reservation/?d_date=20170506&d_seq=66895ひなこ、子供の頃からミロが大好きで、お風呂上りにはミロを溶かした冷たい牛乳をぐびぐび飲んでいたものなのです。これから日本は、夏真っ盛りですが、こちらは季節が逆なので、段々冬になります。日本が真冬だった頃のこちらの前回の夏、すっかり夏バテしたので、日本帰国時、大塚製薬の高麗人参サプリ(アメリカ製)を入手したりしました。(来年用)本当は、アリナミンでも買おうかと思ったのですが、母が、「私、アリナミン飲んで胃を悪くして死んだばあさん知っているよ」と言うので止めました。本当にアリナミンが原因なのかは眉唾だろうとは思ったのですが、親の言うことを聞くのも親孝行かと思ったりして。夏には、28年ぶりに、(2回も)膀胱炎になりましたが、前回膀胱炎になったのは産後だったので、それと同等のダメージがあったのかと思い、産後の疲れにも効くと書いてあったアリナミンでビタミンB補給したらいいかなと思ったんですけどね。それで、昔飲んでいたミロも麦芽飲料だからビタミンBが摂取できそうだなとミロのHPを見てみたら、オーストラリア発祥と書いてあったのです!知らなかったなあ。続く。(2021/10/25追記)実家からこんなん出てきた。何も覚えてない。
2017年05月06日
おはようございます、ひなこです。1984年3月3日、土曜日。日本ではひな祭り、桃の節句ですが、ひなこはシェークスピアの生まれ故郷へ行きました。という今日は、端午の節句ですね。シェイクスピアの生家。入場券。今ググったら、ロンドンのメリルボーン駅から列車が出ると書いてありましたが、私の記憶では、そんな駅に行ったのは覚えていなくて、宿の近くのパディントン駅に、「ぎゃあ、乗り遅れる!」みたいな感じで走って行って、乗った気がするんですけど・・・。途中でオックスフォード駅に止まって、「ふむふむ。ここが天下のオックスフォードだ」と思いました。ストラトフォード・アポン・エイヴォンでは、駅から降りて、川があってそこを結構ちんたらと歩いて、シェークスピアの生家へ行ったはずです。最後の出口のところに、ノートがあって名前とか感想とか記帳できるようになっていて、「ひなこ参上!」と一筆書こうかと思ったけど止めたはずです。で、また、ちんたらとお散歩して駅に戻って、ロンドンへ帰りました。続く。
2017年05月05日
おはようございます、ひなこです。1984年3月2日、金曜日。多分、2週間のブリット・レイル・パスを購入したからだと思うのですが、ここから3日間は、ロンドンから近郊に列車の旅をしました。(2月20日から、3月4日まで、うるう年ですから14日間ですよね)この日は、ブライトンへ行きました。なんでブライトンかというと、元ポリスのスティングが出ていたイギリスのモッズ映画『さらば青春の光』(原題は Quadrophenia=4重人格)の舞台だったからです。私の記憶では中学生の時見たことになっていますが、1979年9月初公開だそうですから、日本ではそれより遅い公開だっただろうから、高1の時に見たのかな?中学の友達と一緒に見たから、中学の時見たという記憶になっているのか?ブライトンには、ヴィクトリア駅から列車に乗って行ったようです。(今ググった)ブライトン駅からまっすぐ歩いて海を見て帰って来たことしか覚えていません。あ、なんか変な親父にナンパされた!当然、追い払いましたが。いつも子供に間違われるので、徐々に化粧が濃くなっていて、この頃の写真を見ると、化粧がかなりケバイです。目の周りぐるぐる黒いみたいなね。今となっては、「その頃、毎日化粧してたんだあ~」みたいな感慨すらありますが。続く。
2017年05月04日
おはようございます、ひなこです。1984年3月1日、木曜日。徒歩で、新しいホテルに移動します。荷物を部屋に置いて、早速パディントン駅から、電話をかけます。「はろー、あのわたし、クラッシュのギグに行きたいんですけど・・・」そうしたら、相手の女性が、嵐のようにドドーっと何かを猛烈に話し出しましたが、全く意味不明でした。ぎゃあ!と叫びたくなりましたが、それをぐっとこらえて、「すみません、ここはちょっとうるさくてですね、よく聞き取れないんですが」などと、体裁の良いことを言ったら、再度、何かを早口で言っています。ぐぐぐ。もう恥も外聞もありません。「どうやったらチケットが手に入るんですかあああ?!」と絶叫したら、多分相手が、”こいつ、英語しゃべれないんだ”と悟ったらしく、「ここに買いに来い」と端的に教えてくれました。「ここって会場のことだよね?」「そうそう」「ブリクストンに行けばいいんだね?」「そうそう」そこで、地下鉄に乗って、ブリクストンに行きました。ブリクストンと言ったら、クラッシュに”ガンズ・オブ・ブリクストン”なんて歌もあって、ひなこは、”ほほう、これがあのブリクストンかあ”ぐらいにしか思っていなかったんですが、ロンドンをよく知る人に、後になってから、「そんな危ないところによく一人で行ったわね」と言われました。地下鉄の駅を一つ手前で降りてしまったので、長い通りを結局地下鉄の駅一つ分歩いたのですが、確かに白人の姿は一人も見かけませんでした。誇張じゃなくて、本当にたった一人も白人は見ませんでした。全部黒人でした。でも、まあ私も白人じゃないしな、という気分で、ひなこは全く怖くなかったのですが、実は無事で帰って来たのはラッキーだったらしいです。向こうにしたら、なんだこの子供のチャイナ・ガール、何やってんだ?!という感じだったのかしら。で、めでたくゲットしたチケットがこちら!!!じゃん!実は、私はロンドンに行く前に、ジョー・ストラマーに「2月19日から3月17日までロンドンに行きます!」とお手紙(ファンレター)を書いたので、今でも、このコンサートは私のためにジョーが開いてくれたんだと、勝手に思い込んでいます。いいの、いいの、自己満足で。ははは。続く。
2017年05月03日
おはようございます、ひなこです。1984年2月29日、水曜日。うるう年だった1984年。この日から、朝食は田舎のような豪華なものではなくなって、ただパンとジャムとバターと紅茶だけになりました。セルフ・サービスで、自分で容器に入ったジャムとバター、そしてパンを取って、紅茶もティーバッグで自分でいれるのです。というわけで、やっと前の日に湖水地方で聞き取ったオレンジ・ジュースじゃない方のジュース、グレープフルーツ・ジュースには結局ありつけなかったのです・・・。朝食を食べて、パディントン駅に行きました。まずは、実家に電話。日本を出てきて、早11日。それも、実家から出てきたわけではなくて、札幌から出てきたわけですから、親は大変心配していたと思います。一切連絡がないんですから!きっと怒られるだろうなと思って、「田舎をまわっていたから日本に電話がかけられなかった」とでも言い訳するかなどと考えていたのですが、「お母さん?ひなこです。今ロンドンから電話をかけてるんだけど」と言ったら、母はこう言いました。「いやー。そんな世界の裏側から電話をかけて、どうして話ができるんだろうねえ」「知らないよお。そんなこと言ったら、どうしてテレビが映るのか、ラジオが聞けるのかも説明できないでしょ」全く予想外の話の展開となりました。そして、「19日の朝に帰るからね」と言って、電話を切りました。そして、この日、残り15日間、ロンドンで泊まる宿を探さなけらばなりませんでした。パディントン駅の近くに安宿が並ぶ通りがあったので、片っ端から「明日から15日間泊まりたいんですけど」と言ってまわり、WESTPOINT HOTELというところに泊まることになりました。前金を払い予約しました。その住所を今グーグル・マップに入力してみたら、現在もそこは名前の違うホテルでしたが、なんと1泊一万円以上するようです!私が泊まった時は、連泊するから値引きもしてくれたんだろうけど、15泊で95ポンドと領収書に書いてあります。(翌日、この日払った前金を差し引いた金額を前払いで15日分全額を払い、もらった領収書↓)当時、1ポンド=350円くらいだったので、一晩7ポンドで計算しても、2450円だったのにねえ。まあ、33年前はシャワーもトイレも共同だったし、今は改装工事をして、全く別物になっているんでしょうが。さて、翌日からの残りのロンドン滞在場所も決まり、前日歩きまくって疲れていたので、安心して安宿に戻り、部屋でNMEを読んでいたひなこ。なんと、そこにこんな広告が載っていました。”ザ・クラッシュのギグ、ソールド・アウトのお知らせ。おかげさまをもちまして、全て完売となりました。つきましては、追加公演を3回行うことが決定しました!”な、な、なんだと?!はい、わたくし、ひなこ、中学生の頃から、クラッシュの大ファンだったのです。で、その追加公演の最初の晩が、ひなこロンドン最後の夜だったのです。これは、行くしかねえよな!と思ったのですが、小さな字で、”小切手か郵便為替、そして切手を貼った返信用封筒を同封の上ここに送ってください”などとごにょごにょ書いてある意味がよくわかりません。そこで、NMEを持ってフロントへ行き、そこにいたあんちゃんに「これはどういう意味だ?」と聞いたら、ほんの一瞬ちらっとそれを見てから、「ここに電話番号が書いてあるから電話して聞いてみろよ」と言われました。やる気のない奴。電話では、相手の言っていることがわからないのは、既に経験済みでしたが、もうこれは、クラッシュを見たい一心で、翌日、またパディントン駅に行って、公衆電話から電話してみたのでした。続く。
2017年05月02日
おはようございます、ひなこです。1984年2月28日、火曜日。この前夜、一緒に観光した方が、ロンドンへと列車で旅立ちました。その後は、ヨーロッパへ渡る予定とのこと。一方、ひなこは、彼を見送るため、ウィンダミアの駅に行くついでに、自分も湖近くのB&Bから、駅近くのB&Bに移りました。そして、この日、リヴァープールへ行くつもりでいました。ビートルズの出身地だから、行ってみようかと思ったのです。昨夜移動し、宿泊したお宿がこちら。カードが今までで一番かわいい。ところがですねえ、朝ごはんを食べている時に、ここの宿主のおじさんが、「これからどこ行くの?」なんて世間話をし始めて(ちなみにこの朝ごはんの時、初めて、オレンジ・ジュースとグレープフルーツ・ジュースと言っていることを聴きとりました。よし、これからは、グレープフルーツ・ジュース飲んでやるぞ!と思ったんですが、ロンドンの安宿では、そんなジュースはもう出てきませんでした・・・)私が「リヴァープール行くの」と言ったら、「リヴァープールは今、街全体がストライキ中で、すごく危険だよ。軍まで投入されてるんだよ。絶対行っちゃだめ!」と止めるのです。「なんだって、リヴァープールになんて行くんだよ?」「だってビートルズの出身地でしょ」「でも、ビートルズ、今現在はリヴァープールに住んでないでしょ?意味ないよ」なんて言われて。出鼻を挫かれ、列車に乗った後も、「どうしよう、どうしよう」と悩んでいるうちに、ロンドンに着いてしまいました。ロンドンの多分、ユーストン駅だったのかな?列車を降りましたけど、田舎から出てきて、突然すごい人の波を目にし、グラスゴーで味わった気分の100倍ぐらいの「ど、ど、どうしよう?!」感。この世にひとりぼっち、というとんでもない孤独感に襲われました。そこで、ロンドンを発つ時に渡された電話番号に電話をしたと思います。それで、「ロンドンに戻りました。元気です」などと少し話して、体制を立て直し、まず、駅の本屋で買ったのが、『ロンドンAtoZ』というロンドンの詳細な地図と、音楽新聞『NME』でした。さて、これからどうするか。まずは、今夜の宿を探さねばなりません。田舎だったら、駅前のツーリスト・インフォメーションで助けてもらっていましたが、生き馬の目を抜くロンドン。(本当にそういう気分だった)そういえば、日本からロンドンに着いた初日に、空港にお迎えに来てくれた人から、色々な割引券とかもらったよなあ。あの中に、安宿の割引券もあったっけ。と、そのチラシを頼りに、そこまで歩くことにしました。頼みの綱はA-Z。ロンドンの地下鉄だのバスだのには、乗る勇気がなかったのです。でも、飛び込みじゃなくて、駅の公衆電話から一応電話はかけたのかな。2泊空き部屋ありますか?って。そうじゃないと無謀ですよね。かなり歩いて、満室じゃあねえ。そうなんです。すっごい長い距離を歩いたんです。でも、まあ、観光客ですからね。街を歩くというのも、良い経験です。そして、たどりついたのが、こちら。ここには2泊しました。では、ご機嫌よう!
2017年05月01日
おはようございます、ひなこです。1984年2月27日、月曜日。この日は、前日、同じ列車に乗っていた、神戸の芦屋在住の大学生の方と、レンタカーをシェアして湖水地方を観光しました。当時、私は車の免許をまだ持っていなくて(という今もペイパー・ドライヴァーですが)、その方も、一人でレンタカーを借りるのはちょっと高いなあと思っていらっしゃったので、じゃあ、ひなこが半分出すから運転してくださいということになったのです。「湖水地方は、車でまわらないと良さがわからないよ」って地元の人に言われたりもしたんだと思います。神戸の芦屋と言ったら、村上春樹さんを連想して、気分はほとんど村上春樹さんとドライヴみたいな気分のひなこでした。この車を借りました。羊さんたち。ひなこが、写真を撮っていたら・・・。「あんた、うちの旦那に何の用?!」と奥さんが出てきた・・・みたいな。綺麗、綺麗。途中で、ヒッチハイクしていた現地の子供(中学生くらい?)を乗せてあげたりもしました。まさか日本人の車に乗るとは思っていなくて、緊張してましたけど。そして、工事のため閉鎖中だったポッター・ハウス。(たまたま通りかかっただけで、そういうものがあると知っていたわけではないんですが)4月になったら開くと大工さんに言われました。これは、やはりチケット売り場か何かだったのかなぁ。楽しい一日でした!そしてこの日の夜、車の運転を担当してくれた方はロンドンへと発ち、ひなこは宿を駅前に移動しました。続く。
2017年04月30日
おはようございます、ひなこです。1984年2月26日、日曜日。グラスゴーから、湖水地方のウィンダミアに移動しました。グラスゴーでは、何も良い思い出がないと昨日書きましたが、この日の早朝にホテルを出て、駅まで歩いている途中で、中学生くらいの女の子達が募金を集めているのに遭遇しました。私にも、「募金をお願いしまーす!」と声をかけてくれたのですが、何のための募金なのか、とかよくわからなかったので、知らんぷりして歩いていた私に(グラスゴーで心がやさぐれていた)、一人の女の子が、本当は募金したら貼ってもらえるステッカーを私のGジャンにペタっと貼って、ニッコリ笑って去って行きました。彼女の笑顔に救われたし、私ったらなんて嫌な対応をしたのかしらと反省もしました。これで、ちょっと心を立て直して、グラスゴーからウィンダミアへと向かいました。ウィンダミア駅で降りると、またここで、違う日本の大学生男子1名が同じ列車に乗っていたと知り、2人でツーリスト・インフォメーションに行き、宿を取ってもらいました。この宿は、湖の近くで、駅からちょっと歩きました。そして、次の日は駅の近くに移動して1泊して、ウィンダミア駅からロンドンへ戻ったはずです。この日は、移動日でしたので、宿から近くの湖でボートに乗ったりして、おしまいだった気がします。鴨がいたと思う。湖水地方出身で、湖水地方をこよなく愛した詩人、ウィリアム・ワーズワースのことを教えてくれたのも、この同行の神戸の大学生の方ではなかったでしょうか。ひなこ何も知りませんでしたから。『嵐が丘』(ブロンテ姉妹)の話とかも聞いた気がする・・・。教養のないひなこであった。翌日は、二人でレンタカーを借りて、湖水地方を観光しました!続く。
2017年04月29日
おはようございます、ひなこです。1984年2月25日、土曜日。インヴァネスから列車に乗って、グラスゴーで降りました。グラスゴーでは、観光するつもりとかなくて、次に行く湖水地方へのつなぎの移動日でした。ここでは、SMITH'S HOTELというところに泊まったようです。これも、駅前のツーリスト・インフォメーションで取ってもらったんだと思います。今までは、こじんまりとした田舎のベッド・アンド・ブレックファーストという感じの宿でのほほんとしてましたが、ここは、大都会の大きなホテルでした。この写真は、領収書なのですが、書かれている名前が全然私の名前じゃないんですが!根が田舎者なので、インヴァネスにはすっかり馴染んでも、インヴァネスの後のグラスゴーでは、ひょー、大都会!とビビりまくり。ホテルもそっけないし、グラスゴーでは、ちょっと落ち込んでホテルの部屋でごろごろしてました。なので、グラスゴーには、良い印象がありません。すみません。自分の部屋の窓から、緑の芝生が見えて、私の記憶ではグラスゴー大学の近くだったことになっています。グーグルマップで見てみたら、ホテルの向こう側に大きな公園が川をはさむようにあって、その向こうにグラスゴー大学があるようです。帰国後、ロイド・コール・アンド・ザ・コモーションズを聞くようになり、ロイド・コールがグラスゴー大学卒の人だったので、聞きながらいつもこのホテルの窓から見ていた景色を思い出していました。アズテック・カメラ(バンド名)も、最初はグラスゴーで活動していたバンドだったんじゃなかったっけ。そういえば、Faces of Strummer that fell from the wallなんて歌詞があったっけなあ。ウォーク・アウト・トゥー・ウィンターです。この歌詞について、当の本人、ジョー・ストラマー(私のアイドル)にインタビューしていたことあったけど。ああ、懐かしい。続く。
2017年04月28日
おはようございます、ひなこです。1984年2月24日、金曜日。本当は、前日の午後に、同じ列車に乗っていた日本人の大学生2名と3人で、バスに乗ってネス湖へ行ったと思うのですが、そうすると24日は一人で何やってたんだろうと、不明なので(洗濯をして昼寝?)、24日に行ったことに記憶を変更します!(ATARU風に、「アップデートしました!」)ネス湖行きバスのバス券。19歳のひなこ、ネス湖にて。バスの中からの景色は、ほぼ北海道でした。大学生の2人組男子は、東京から来ていたので、「わああ!すごい!綺麗!」と大感動していましたが、ひなこは、「うーむ。地球の裏側に来ているのに、気分は北海道って、なんだかなあ」な感じでした。で、お二人に、「それはですね、ひなこさんが大自然豊富な北海道に住んでいるから、普段から恵まれているから感動しないんですよ!」と力説されました。はあ、そうですか。確かに、ニュージーランドに行った高校の同級生も、「北海道みたいなところだよ。地球の裏側まで行って北海道に戻ってきたみたいな感じ」という感想を述べていたことがあります。ネス湖では、たくさん写真を撮りまくりましたが、ネッシーには遭遇しませんでした。無念。大ボラなのか、なんなのか知りませんが、このネッシーのためだけに、このスコットランドの奥地まで観光に行ったわけですから、PR効果はばっちり大成功だと思います。日本だったら、「名物ネッシー饅頭」とかネッシーのぬいぐるみとかありそうですが、インヴァネスでは何も買いませんでした。まあ、貧乏旅行だから、あんまりお金を使わない方向で旅をしていたのですけどね。続く。
2017年04月27日
おはようございます、ひなこです。1984年2月23日、木曜日。泊まっていたB&Bのめちゃくちゃ近所で火事になるという、とんでもない経験をしながら、チェック・アウトして、バスでエジンバラ駅に向かいました。本日は、エジンバラから、さらにスコットランドを北上してインヴァネスへと移動します。ネス湖に行くためですよ!ネッシーに会えるかなー。途中で海岸線の景色を右手に見ながら、やってきました、インヴァネス!インヴァネスで降りると、同じ列車に、日本人の大学生男子2名が乗っていて、同じ駅で降りていたのが判明し、3人で、ツーリスト・インフォメーションへ行って、宿を紹介してもらいました。本日の宿。多分、私は、ここには2泊したのだろうと思います。(日本人の大学生は1泊だったのかな?)玄関を入ったところに、カーリングのストーンがあったのを、今でも覚えています。初めて本物のカーリングのストーンを見たので、「本物~」みたいに思ったんです。あと、部屋の鍵を持たずに、オートロックのドアを閉めて、自分の部屋に戻れなくなったのを覚えています。(日本人、よくあるある)オーナーの女性に、「鍵を部屋に置いてきてしまった~」と言ったら、合鍵で開けてくれました。で、私の記憶では、この日、3人でバスに乗って、ネス湖に行ったと思うのですが、そうすると、次の日一人で何やってたんだろ?疲れて寝てたのか?洗濯して乾かしてたのか?とよく覚えてないので、便宜上、ネス湖には、次の日行ったことにしたいと思います。この日の夜、3人で、インヴァネスのウィンピーに晩御飯のため行ったのですが、ウィンピーってファーストフード店じゃないですか。でも、インヴァネスでは、ちゃんとしたお食事処になっていて、レストランみたいに席に案内されて、着席している私たちのところにウェイターさんだったかウェイトレスさんがオーダーを取りに来て、ちゃんとしたナイフやフォークがテーブルにセッティングされていて、都会の手づかみでムシャムシャ食べるハンバーガーとは全く別物だったのが印象的でした。でも、私のことだから、きっと手づかみでハンバーガーとホット・チップスを食べたんだと思いますが。ナイフとフォークでどうやって食べろと言うんですか?みたいな。それとも、フィッシュアンドチップスを食べたのかな。(←これもかなり食べた。これにも酢をかけるんですよー。すっごい寒い日に、新聞にくるまれた熱々フィッシュアンドチップスに酢をぶっかけて食べる。イギリスだねえ)フィッシュアンドチップスなら、ナイフとフォークでいけたかな?スコットランドの夜は、このようにして更けていくのであった。インヴァネスは、とっても静かな、人の少ない町でした。続く。
2017年04月26日
おはようございます、ひなこです。今日は、オーストラリアはアンザック・デイでお休みです。スーパーも午後1時から開店です。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/public/?d_date=20170425&d_seq=01984年2月22日、水曜日、エジンバラ3日目は、お買い物デイです。成田で見送ってくれた友人の一人に、「スコットランドの民族衣装を着ているお人形が欲しい!」と頼まれていたのです。(「キャンディー・キャンディー」の影響かと思われます!)なので、バスに乗って、エジンバラ駅方面へ行き、そこでお人形を買いました。駅の近くのちょっと高台の公園から撮った風景(だと思う)。地面が白いのは雪です。でも、道産子ひなこは、Gジャン一枚で平気でした。自分には、マザー・グースのナーザリー・ライムズの絵本だとか、子供向けの本を数冊購入しました。英文科っぽい!あと、また食べる物の話ですが、ポテチにヴィネガー味というのがあるのは、英国植民地オーストラリアでも定番なので今となってはもう驚きませんが、エジンバラでヴィネガー味のポテチを買って、で、なおかつもっと酢の味を求める人のために、粉の酢フレーヴァーが入った小袋がパッケージの中に入っていて、好みでこれを振りかけて食べんしゃいと書いてあったのがカルチャー・ショックでした。ジェレミー・オリヴァーのロースト・ポテトのレシピにおいても酢が振りかけてあったし、まあ、英国定番の味なんでしょうねえ。この日、隣のB&Bに移動しました。そうしたら、翌朝、近所で火事がありましてねえ。煙の臭いと消防車のサイレンの音で目が覚めて、最初は自分のいる所が燃えているのか?!と一瞬ビビりましたが、自分の泊まっているところではありませんでした。証拠写真。自分の部屋の窓から撮影。続く。
2017年04月25日
おはようございます、ひなこです。1984年2月21日火曜日、エジンバラ2日目、実質観光初日になります!まずは、1階のダイニングで朝食です!席に着くと、「オレンジ・ジュースかほにゃららジュース(聞き取れないひなこ)、どちらにしますか」と聞かれます。ひなこは、選択の余地なくオレンジ・ジュースをチョイス。そして、コーン・フレークスに牛乳をかけて食べ、薄いカリカリトースト(ああ、英国風)にバターとジャムを塗り、そしてその他に、メイン・プレートとして、ベーコンやらソーセージやらを焼いたものや、目玉焼き、トマト焼きの乗ったどでかいお皿もキッチンからほっかほかでやってきます。朝からナイフとフォークでお食事するも、異国情緒があり、いとをかし。そして、ミルク・ティー!(ひなこがコーヒーを飲まないので、コーヒーとの選択の余地があったのか覚えていません)豪華だなあ!そして、この日はエジンバラ城へ行きました。確か、宿から歩いて行ったと思います。St Margaret's Chapel ,The Palace of Holyrood Houseなどとアルバムには書いてありますが、あまり記憶に残っていません。(入場券は、お子様券だし・・・。何歳だと思われていたんでしょうね・・・。出発前に、北大で国際学生証を作ったんだけど、使った記憶がほとんどなし)私が今でもよく覚えているのは、エジンバラ城から歩いて宿のある通りに戻って、こじんまりとしたレストランで、昼兼夕食のような感じで、ピザを食べ、そしてホット・チョコレートを飲んだことです。頭は忘れても、胃が忘れないひなこであった。ピザとホット・チョコレートって組み合わせ悪いですけど、スコットランドは寒かったので、ホット・チョコレートを飲んで、文字通り(?)ほっと一息ついたわけです。ああ、面白くない。おばさんが言ってもおやじギャグって言うのかな?続く。
2017年04月24日
おはようございます、ひなこです。1984年2月20日月曜日の朝。エジンバラに向けて旅立とうする私のことを、本当に皆さん心配してくださって、同室だった女性は、「これが私のロンドン滞在先の電話番号よ。何かあったら必ず連絡するように」と言って下さり、あと、もう一人ロンドン駐在のご親戚の家に滞在することになっていた女性からも、「何かあったら連絡してね」と連絡先をいただきました。ありがたや、人の情け。いざ、行かん、スコットランド!ひなこ、まじめにハリーポッターを見たことありませんが、度々テレビで再放送しているので、ちらっと観たことはあります。ハリーポッターが中途半端なプラットフォームから列車に乗るシーンを見ると、自分がスコットランドへ旅立った日を思い出します。もしかして、あれ、キングスクロス駅なのかしら?車内で食べようと思って、サンドイッチなど食料を買って、乗るべき列車に乗ります。頼りの綱は、ブリットレイルパスと、トーマスクック発行の時刻表です。自由席に行くと、日本のように全部進行方向に椅子が向いているのではなくて、4人が、2人2人で向き合う形になっていて、真ん中にはテーブルがありました。そこでトランプもできます。というわけで、ひなこも強制的に英語で話さなければならない状況となりました。現場主義の女、ひなこ。本領発揮なるか。皆さん、ミルクティー入りのポットを家から持参で旅していたりして、ひなこも「まあ、ご一緒にどうぞ」と一緒にミルクティーをいただきながら、つたない英語でお話していました。(ちなみに、ひなこは中学生くらいの子供だと思われています。19歳ですと言うと、驚きの声が!)ベタですが、子供には、折り紙を折ってあげたりして。で、エジンバラに行くと言ったら、皆さん、「ヨークに行くといいよ、ヨークはすっごく街並みがきれいなのよ」とヨークを勧めます。一瞬、本当にヨークの駅で降りようかと思いましたが、「いや、いかん。ここで予定変更したら、”ぎゃー、私は誰、ここはどこ状態”になっちゃうよ」と思いとどまりました。なんで、エジンバラなのか?というと、ほら昔、BCR(ベイ・シティー・ローラーズ)死ぬほど好きだったから!やっぱり、行っておかなきゃねと思って。初志貫徹みたいな。ちょっと違うか。私が好きだったレスリーは、前年の夏休みに、雑誌フォーカスに日本人妻との写真が載りましたが。いとこのお兄ちゃんに「お前、こいつのこと好きだったよな」と写真週刊誌を見せられ、思わず「レスリーと結婚するのは私のはずだったのに!」と口走ってしまった私でした。そういえば、ひなこは2週間のブリット・レイル・パスを日本で購入して、それで列車の旅をしていたのですが、本当は、ロンドンの駅で列車に乗る前に、今日から使い始めますという日付のスタンプを押してもらわなければならなかったのだそうです。そのように、列車の中で改札係の人に言われました。「ええ?!どうしましょ?!」とパニくるひなこに、「大丈夫、大丈夫。エジンバラに着いたら、すぐスタンプ押してもらってね」とのことでした。(子供に見えるから皆優しくしてくれる)エジンバラ駅で列車を降り、まずそのスタンプを押してもらいました。「す、す、す、す、すみません。ロンドンでスタンプを押してもらわずに列車に乗ってしまいました!!あいむそーりー!」とひたすら恐縮するひなこに、「ああ、大丈夫ですよ」とあっさりスタンプを押してくれました。そして、公衆電話からユースホステルに電話をかけてみたのですが(チャレンジャーひなこ。身の程知らず)、相手の言っていることが全く何も理解できなくて、「サンキュー」と言って切りました。何がサンキューなんだか。で、「あかん、顔みて話さないと意味不明」と思って、駅にあったツーリストインフォメーションに行きました。(スコットランドの英語はちょっと訛っています。乗り物のバスはブスなんて言う)インフォメーションには、とっても明るい愛想の良い若くてかわいいお姉さんがいて(もしかしたら同じくらいの年だったのか)、「あなた、日本人ね?ほら、見て!(と、折り鶴を指さす)これ、日本の人にもらったのよ」などと気さくにお話してくれて、無謀な電話での英会話で心が折れてしまったひなこを元気づけてくれました。エジンバラには3泊するつもりだったので、3泊の宿(B&B)を紹介して欲しいとお願いしました。安宿希望なので、トイレは共同です。でも、日本から来たばかりなので、「自分の部屋にシャワーがある部屋がいい」とわがままを言ったら、ちゃんとそういう所を見つけてくれました!(これが、日に日に、どうでもよくなっていく)が、最終日は、そこが予約で満室なので、隣の宿を取ってくれました。宿には、バスで行くようになるのですが、バスの乗り場、何番のバスに乗ればいいかを教えてもらい、バスの運転手に「ここに行きたいから、降りる場所がきたら教えてね」と言いなさいなどと親切に手取り足取り教えてもらいました。エジンバラの印象が、グーンと良くなったのは、ひとえにこの女の子のおかげです!グッジョブ!ロンドンのバスは2階建てで赤いけど、エジンバラのバスは緑の2階建てだった記憶が。当然2階席に座りました。33年前のエジンバラのバスのチケット。かわいい!この日は、完全に移動日で、ロンドンからエジンバラに行って、宿を見つけて終了しました。B&Bには、朝食しかついてませんけど、夕食には何を食べたんだろうなあ。駅で買ったリンゴとかでしょうか?どこかに食べに出かけた記憶はないので、多分部屋でリンゴとポテチとかそんなだったんだろうな。若い時は、健康に気を使ったりしませんでしたからねえ。ひたすら、ウィンピーを愛用してたしな。でもそのくせ、ビタミンCのサプリを日本から持って行っていて、毎日飲んでいました!(ちょっと健康志向?)続く。
2017年04月23日
おはようございます、ひなこです。気づけば、くだらんことを毎日書き続け、早1年。そんなにプレッシャーはありませんでした。読み書きそろばん好きの元寺子屋キッズのひなこだからでしょうか。これが、毎日編み物しろとか(実家でかぎ針でニット帽作ったんですよ)、毎日掃除しろとかだと、3日で挫折したと思います。大学を卒業する前に、ある教授が「卒業してから、何かを1年、1日も休むことなく続けたら先生の所に報告に来なさい。プレゼントをあげます」って言ってたんですけど、あの約束今も有効かしら?!1984年ってオリンピックの年だから、うるう年だったんだなー。何オリンピックだったんだろう。ロス?(ググったら合っていた)昨日の続きです。成田を出発して、無事、台北経由で香港に着きました。ここで、ロンドン行きの飛行機に乗り換えます。でも、格安航空券ですから、直行ではなくて、バハレーン→ロンドンでした。初めての海外なので、出てくる機内食を意地になってせっせと食べていた記憶があります。あとは、私の前の席に座っていた香港から乗って来た英国人女性が赤ちゃんを連れていて、カワイイもんだから、「写真撮ってもいいですかあ?」と聞いて、二人の写真を撮った記憶が。これです!↓この赤ちゃん、現在は、頭の禿げた30過ぎのおっさんとかになったのかしら。(すみません)どこのどなたか知りませんが、もしお渡しできるならこの写真をお渡ししたいですわ。この頃は、あれですよね。自分の席の前に自分の画面があって・・・なんて時代ではなくて、大きな画面でみんな同じ映画を見た時代です。赤ちゃんの横にあるパネルをひっくり返すと大画面になるんじゃないかしら。それから、当時、イラン・イラク戦争続行中でしたから、そんな戦争やっている国の近くを飛行機が飛んで大丈夫なんだろうか、とちょっと不安にもなりました。日本で暮らしている時は、イランとイラクの戦争のことなんて、考えたこともなかったのですが。あとは、あれですね、途中で降りたバハレーン。いきなりですね、アラビアン・ナイトの世界になったもので、頭の中が「ロンドン一色」だったひなこは、ちょっとカウンター・パンチをくらったような感じでした。当時のひなこの世界地図というのは、日本があって、海を渡ると韓国、中国、インドとかあって、その向こうはヨーロッパ!という非常にいびつな形をしていたのです。空港内には、真っ白のターバンに真っ白の長衣の男性が沢山いて、ひなこは非常に写真を撮りたかったのですが、腰から昔の侍のように剣がぶら下がっていて、あれはアクセサリー?それとも真剣?いや、でも剣下げて飛行機乗れないんじゃないの?といまいち確信が持てず、写真を撮って切られたらロンドンに到達できないと思って、撮影を自粛しました。ラクダを連れて歩いていたらぴったりな服装なんだけど、皆さん、どなたも非常に高価な生地(多分日本製)でできているたらったらの衣装(いや、俳優じゃないからさあ)で、はいていらっしゃるサンダルや手にお持ちのアタッシュケースはすっごく高級品な感じでした。(オイル・マネー)どなたも、トップ・ビジネスマンという雰囲気です。ひなこ的には、「いや、地球の上にこんな場所もあったんだ」という世界でした。で、そこから、イッキにロンドンへ向かいました。ロンドンの空港といったら、ヒースロー空港のはずだったのに、ギャトウィック空港に飛行機は着きました。「どうして、ヒースローじゃないの?!」と、まずそこでくじけたひなこでした。飛行機を降りたら、入国審査です。1984年2月19日、日曜日の朝です。同じグループの人々は、ほとんどの方が、以前英国に来たことがあって、今回はロンドンからヨーロッパに行く予定でした。ひなこは、1か月英国内に留まる予定でしたが、入国審査で滞在予定期間を聞かれたら、短めに言っておく方がいいよとアドバイスされていたので、列に並んでいる間、ぶつぶつと「ワン・ウィーク・フォー・サイト・スィーイング」と練習に余念のないひなこ。さあ、私の順番がきました。すると係の男性がわけのわからないことを言ってきました。ぎゃ!本場の英語はわからんのか?何も聞き取れないぞ!焦って、「あいべっぐよーぱーどん?」と言うと、またわけのわからないことを繰り返されます。ひなこ、完全パニック状態です。パニくっている私に彼は言いました。「ごめん、日本人だと思ったもんだからさあ」あ。何て言ったか、わかった!「イエス、イエス、アイアムジャパニーズ!」「でしょー。だから、オハヨゴザマスって言ってるのにさ」はい?その人、日本語で「おはようございます」って言ってたんです。ふざけんじゃねえぞ!(心の声)というドタバタを乗り越えて、夢の英国に入国です。一日がかりではるばる来たぜ、ロンドン!です。ロンドンのスタッフの方に「お疲れさまでした」と迎えてもらって、バスでホテルに移動します。たしか、キングス・クロス駅のすぐ近くだったと思います。私のルーム・メートは、今まで英国に何度も来たことのある方でした。お部屋についてごしごし顔を洗って、歯を磨いて、部屋についていた電気ケトルでお湯をわかして茶でも飲むか(ティーバッグが部屋に置いてあった)と思ったら、やかんの中が汚いので、ナニコレ?と思って、洗おうとしたら、彼女に、「この国の水は日本の水と違うから、石灰がやかんに着くのよ」と言われました。おお、カルチャーショック。夜には、彼女のお友達でロンドンに住んでいる方がミュージシャンの彼氏をつれて遊びにきて、私はもうなんていうんでしょう、「おおおお、すげえ」という気分でした。圧倒された感。私が「クラッシュ好きなんです」と言ったら、「先週の土曜日、ポートベロ・マーケットでミック・ジョーンズを見かけた」などとさらりと言われて、更に、「すげええ!」みたいなねえ。テレビでは、リチャード・ギアの「ヤンクス」を放送していました。(とってもよく覚えている)見るもの、聞くもの、「おおおお!」という感じの私でしたが、翌日はキングスクロス駅から一路、スコットランドのエジンバラへと向かう予定でした。続く。
2017年04月22日
おはようございます、ひなこです。日本の実家に英国旅行の古びた写真が未だに残っていたのを発見し持って帰ってきたので、英国旅行の話を書くことにしました。って、33年前なので、思い出すの大変ですけど。(いつの間に、33年も過ぎたんだろう)小学校の卒業文集に「将来の夢:外国行くぞ!特に英国!」と書いたひなこですから、いつかはイギリスに行くぞというのは、心の奥底にいつもあって、高校に入る前にバイトした書店でイギリスのガイドブックを買って、自分の部屋にはロンドンとイギリスの地図を貼ったりもしていました。↓当時の写真。で、短大生になって、せっせとバイトをして、お金を貯めて、2年生になる前の春休みに1か月念願のイギリスへと初海外旅行に行きました。当時、リクルートさんが、大学生向けに安いパッケージを組んでいたので、それを利用しました。行きと帰りの飛行機往復と、初日のロンドンと最終日のロンドンのホテル(二人部屋)が1泊ずつついているだけで、その中間の1か月は自由行動。添乗員さんもいません。利用航空会社は、香港のキャセイ・パシフィック、南回りのロンドン行きでした。本当は、女友達と二人で行こうと思っていたのですが、友達の都合が悪くなったので一人で参加しました。一人っ子なので、一人でも全く平気な私。買い物なんかも、若い時から大体一人で行ってましたね。感性の鋭い十代のうちに行きたいって、なんか思ってたんですよねえ。当時、札幌に住んでいたので、道庁で初のパスポートを作りました。未成年だったので、親のハンコも必要で、実家に書類を送って、送り返してもらってと面倒でしたけれども。札幌でリクルートの説明会があった時、参加したのですが、女子大に通っていたので、いつのまにか女の園の生活にすっかりなじんでいたようで、説明者の方が何か冗談を言って参加していた皆が「ワハハ!」と笑ったら、声のトーンが低くて、「ひえ~!」と驚愕したのを今でも覚えています。高校の時は、文系のクラスだったけど、男子が女子の倍いたんですよ。人間って、こんな短期間にすぐ新しい環境に順応するのね、なんて感慨深かったものです。その説明会では、とにかく外国は治安が悪くて危ない、日本のようにのほほんとしてちゃだめだよというのをすっごく言われました。定番の「だるまになった日本人旅行者」の話で、慄いたりして。そこで、ひなこは、お手製の腹に巻く貴重品袋を作って、パスポートとトラベラーズ・チェックはずっと腹巻貴重品袋に入れて旅行していたんですよ。おかげで、パスポートもトラベラーズチェックも、ちょっとふにょふにょになりましたけど、泥棒には遭いませんでした!そういえば、高校の同級生で、クイズで香港旅行が当たって、香港にいる間すっごく気を付けていたのに、日本に帰ってきてほっとして気を抜いたら東京でカメラ盗まれちゃったという人がいたけど。荷物は、高校の修学旅行の時買ったスポーツ・バッグ1個で行きました。身軽な方が移動も楽だし、プラクティカルですからね。服は、もうあれですよ、着替えを上下1着ずつ持っただけで、洗濯して交互に2着あればいいっしょみたいな、もうおしゃれとか無縁な考え方です。足りなきゃ、現地調達でいいべという。(今もほとんど、考え方に変わりはないです。所詮、同じ人ですから)後期の試験が終わって、そのまま札幌から東京へ行きました。1984年2月18日土曜日のようです。(黴臭いアルバム情報による)成田を夜発つ日の朝一の千歳→羽田の飛行機を取りました。(スカイメートが使えたあの頃・・・。遠い目)そうしたらですね、忘れもしません。その前日に関東一体で大雪が降りましてね。2月17日の金曜日だったんだ。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20170321&d_seq=14178948成田もキャンセル続出とニュースで見まして、「あ、あれ?あたし、大丈夫なの?」と一抹の不安がよぎりました。その日は、札幌はとっても良いお天気でした。で、翌日、2月18日土曜日はかなりの早起きをしたのですが、えー、札幌、吹雪でした・・・。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20170321&d_seq=14178948まだ、早朝で除雪車も入ってない状態ですから、もう、膝までずぼずぼっと道なき道を歩いて札幌駅まで行きました。(札幌駅に歩いて行ける距離に住んでいた)心の中では、こりゃ、ロンドンどころか、ひなこ、千歳空港に着いておしまいかもよ?つーか、千歳空港も危なかったりして?と95%くらい思ってましたね。これじゃあ、羽田行きは欠航だろうって。で、まあ、なんとか千歳空港につきまして(あの頃の千歳空港って南千歳の駅から歩いて行くようになってたんだよな。遠い目)、千歳は雪が降っていなかったので、なんとか羽田へ行くことができました。高校時代の友達が二人羽田でお迎えしてくれて、成田までお見送りということで、一緒に来てくれました。成田に着く前に、バスの中で身分証明書のチェックとかされたのが、物々しくて衝撃的でした。(まあ、2年前にもまだ同じことされましたけど、今は物々しさ消えましたよね)で、友達が「さあ、日本を出る前に最後に何食べたい?ひなこが決めていいよ」と言うので、「うーんと、カレーライス」とカレーを食べました。「お前は、生田斗真か!」とツッコみ。食い意地が張っているので、33年過ぎても、食べた物はしっかり覚えているひなこであった。集合場所に行くと、リクルートの方から航空券をもらい、「君たち、ラッキーだったねえ。昨日出発だったら行けなかったもんねえ」と言われました。参加しているメンバーは、皆さん、卒業旅行の方々で、私が一番年下でした。(そして、どなたも海外旅行は既に経験済み)私は初海外ということで(そして多分なおかつ北海道から出てきた田舎娘ということで)、「大丈夫なのお?!」と一同から大心配されました。申し訳ございません!!!多分、成田の時点で、既に「お上りさん」の雰囲気を醸し出していたんだと思います。てへっ♡(19歳ですからね、ちょっとかわいこぶってもまだ許されます)リクルートの方に、「ロンドンの空港にうちのスタッフいますから。気を付けてね!」と見送られ出国です。で、やはり集団で行動するにはリーダーが必要ですから、誰が言い出したという訳でもないのですが、大学4年生のある男子がなんとなく、このグループのリーダーという感じになって、彼がロンドンまで仕切る形になりました。まだ前日の残雪残る成田の滑走路、いざ香港まで・・・、いや、違った、その前に台湾に行ったんだった。搭乗の列に並んでいる時、前にいたおばさんが「あなた、どこまで行くの?」って日本語で話しかけてきて、当然日本人のおばさんだと思って、「ロンドンですう!!!どこまでですか?」って聞いたら、「私は台北に帰るのよ」と言われ、「え?日本語すっごい上手ですね」と言ったら、「だって、ほら私達世代は、学校で日本語で教育受けたでしょ」と言われ、ひなこは全く歴史知らずなので、「なぜ?」という顔をしていたら、「昔台湾はね、日本の植民地だったのよ」と歴史の説明を受けました。おばさんの手には、日本で購入した炊飯器がありました。というわけで、台北経由で、まずは香港を目指します。続く。
2017年04月21日
おはようございます、ひなこです。オーストラリアに帰ってきて、友達に頂いたお花!紫のデンドロビウム蘭です。オーストラリア原産です。私の両親は園芸を趣味としていたので、名前だけは聞いたことありますが、こんな花だったのか!夫は、プラクティカルな考え方をする人なので、花より団子派で、あまり花を贈ったりはしてくれないので、私は花を頂くと、とっても嬉しいです!日本では掃除もちゃんとしましたよ。母はきれい好きなので、毎日、ちゃちゃっと掃除しているからきれいなんですが、膝が痛いから下の方の掃除が不便ということで、台所や冷蔵庫の下の方を拭いたり、床も毎日なんたらワイパーみたいなモップで拭いているけど、ちゃんと雑巾でマジックリンとか使って拭いたり。あとは、高いところがもう掃除できないので、電灯とか、椅子に乗って拭きました。手の力が衰えているので、ガスコンロの五徳を磨いたり。でも、私のうちよりきれいかも~、みたいな。私が85歳だったら、家はもっと汚いと思う・・・。窓ふきをしようと思ったら、まだ隣の家との間にがっつり雪が残っていて、「転ぶなよ」と父に言われながら、しっかり転びました。滑ったわけでもなく、どうして転んだのかよくわからないんですが。ただの老化ですね。日本で、全く英語を話さなかったので、英語を忘れた!そうか、去年は息子と一緒だったから、日本でも英語を話していたのか。空港で、夫に「お母さんは、まだご飯の支度しているの?」と聞かれ、「だってお母さんがご飯作らなかったら、うちは二人とも餓死しちゃうよ」と言いたかったのに、starveが出てこない。とほほ。キッチンの台の高さが日本のは低すぎたけど、オーストラリアの高さはOK!眼鏡のレンズが合ってない!眼鏡市場で、「車の運転しますか」と聞かれ、「しません」と答えたので、あんまり遠くが見えないようなレンズにされたらしく、オーストラリアの家は日本の家より広いので、遠くがよく見えないんですが・・・。別に、ひなこが豪邸に住んでいるわけではないですよ。遠近両用なので、老眼の方の手元はよく見えます。日本にいたら6か月以内なら無料でレンズ交換してくれるらしいですが、それも無理だし・・・。ちょっとショック。不愛想な店員に戻りました。ああ、日本の店員さんが恋しいです。日本のスーパーは、この世の楽園のようでした。魚売り場に住んでもいい。NHKラジオで一回聞いた、GLIM SPANKY、結構古くて新しい感じで良かったなあ。日本で得た新情報。私の母の母、ひなこおばあちゃんは、明治34年生まれ。母の父は、明治28年生まれで、父の父は、明治29年生まれ。と聞いても、明治が何年まであるのか、大正が何年まであるのか知らないから、西暦で何年?みたいな気分でしたが。(あ、ふゆのばあちゃんの生まれた年聞いてないわ)さ、ここで面倒くさがらずにグーグルしましょ。明治28年は、1895年だそうですよ。ということは、明治29年は1896年。明治34年は、1901年です!で、明治は、45年まであって、明治45年、および大正元年は、1912年です。そして、大正は、15年まであって、大正15年と昭和元年は、1926年です。ということは、私の父方の祖父が北海道へやってきたのは、私の祖父が10歳の時だったそうですから(むかしは数え年だったのか、年齢の数え方)、大体1906年、明治39年で、仙台から馬車に乗ってやってきたんですねえ。母方は、昭和6年、1931年に広島の大竹から汽車を乗り継いで10日かかって来たそうです。ちなみに、今シドニーから北海道まで半日で行けます。テクノロジー。あ、それから、渋谷生まれを自負していたふゆのばあちゃんが、北海道に流れ着いた顛末も聞いてきました。なんでも、父親が若くして亡くなり(旧姓は東海林さんだったそうだ。知らなかった!)、母と小さい妹と母子家庭になって、仙台に住むようになって、そこに私の父の祖父が北海道からやって来て、「誰かわしの息子の嫁になってくれんか」と嫁探しをしている時に、うちのふゆのばあちゃんに白羽の矢が立って北海道に嫁に来たらしいです。私の祖父は、一重のお醬油顔だったので(ひなこ、こっち系)、二重で目の大きい人と結婚する!と心に決めていたらしくて、めでたく結婚したらしいですよ。昔の人も、結構旅していたんですねえ。と、番外編は、どんどん番外に外れていくのであった。では、ご機嫌よう!
2017年04月20日
おはようございます、ひなこです。昨日からの続きです。東京、羽田空港発は夜の10時10分。シドニー到着は、翌日の朝、8時半です。シドニーを出てきた時は、シドニーはまだ夏時間でしたが、既に夏時間は終了しており、日本との時差は1時間、シドニーの方が早くなります。友達と時間を忘れ、飛行機に乗ることを忘れてしゃべっていたので、搭乗口で待つこともなく、あっという間に搭乗です。搭乗券は北海道でもらってありますから、羽田では何もしなくていいんです。私が予約した席は、一番後ろの通路側、数歩でトイレに行ける席です。そうしたらですね、なんと、私の隣、その隣の窓側も空席だったんですよおおおお!!ラッキー!一人で3席占領して、横になって帰ってきました!こんなことしたの久々だなあ。でも、年だから、肩とか首が痛いんだけど!しかし、飛行機がかなり揺れたため、具合が悪くなってきて、美味しそうなフルーツミールを食べることもなく(食べたら吐くかもと思った)、とりあえず、後で小腹がすいた時のためにと思って、バナナを1本キープしました。おばさんは、このフルーツを全部家まで持って帰って、家でフルーツ食べてもいいとすら思いましたが、オーストラリアは食物の持ち込みにうるさい国なので(最近前より緩いけど)、トラブルになるのは嫌なので、「もったいない」と思いつつ、手つかずでお別れしました。映画は、邦画の岡田准一君の「海賊と呼ばれた男」を見ましたが、本当に具合が悪くなってきて、スカートのホックやファスナーも緩くして(安心してください。スカートの下にズボンを履いていますよ。残雪残る北海道から出てきたんですから)、最後の方は映画を見るのも、ゼイゼイという感じでした。今回、アマゾンからソニーのノイズキャンセリングのヘッド・フォン(一番安いやつ)を購入したので、ずっと機内で耳を覆っていました。そういえば、去年は、東京を発った後に、乗客にサンドウィッチを配り、朝、シドニー到着前に食事をサーヴしていたのですが、今回は逆で、東京を発った後に食事をサーヴして、シドニー到着前にサンドウィッチ配ってましたねえ。私は、ごろんと横になっていたので、何ももらえず、前夜キープしたバナナとミネラルウォーターで朝ごはんでした。まあ、食欲はなかったので、別にいいんですけど。日本語の話せる外国人のかわいいクルーの女の子がいたんですが(アジア系、国籍不明)、私の前の席の日本人のおばさま3名がコーヒーを頼み、「コーヒー、3つですね」と出した3本指が、小指と薬指と中指3本でした。これじゃあ、OKじゃないの?あるいは、日本だと、ゼニの意味?日本人だと、3つって指で表すとしたら、親指と小指を折って、中の3本を立てますよね。というひなこは、小指と薬指を折って、親指、人差し指、中指で3つにするけど。お前、何人だよ?!ところ変われば品変わる、ですね。税関および検疫申告書をクルーが配った時、ひなこはボーっとしていて、出国カード書かなくてよかったのに、なんで入国カード書くんだろ?と一瞬思いました。でも、これ、入国カードじゃないですね。横になれたせいか、帰りは行きより時間が短く感じました。入国審査の簡略化ということで、飛行機を降りると、あちらこちらに機械がありまして、日本のパスポートを持っている人はこの機械で手続きができます。しかし、ひなこがパスポートをかざすと機械が受け付けません。多分、向きが間違っていたのでしょう。寝不足~。質問は日本語です。たしか3つの質問で、えーっと、結核にかかったことあるか。犯罪を犯したことあるか。ここ最近アフリカと南米に行ったか。だったと思います。それに答えると、自分の名前が印刷されたカードが出てきて、それを持って自動で入国手続きができます。出国の時同様、眼鏡をはずしてカメラの前に立つと認証されます。預け荷物(エコノミークラスで23キロx2個が限度です)を受け取り、検疫のところでカードを渡し、何も申告するものがないので、外に出ます。ほんと、昔を思うと、検疫がうるさくなくなりました。以前は、機内食の砂糖なんかも、うっかり持ってくると、ごみ箱に捨てさせられていましたからね。というわけで、無事到着。しかし、道が渋滞していて、家に着くのに予想外の時間がかかりました。親に、「着きました~」と連絡してからの、シャワー。で!冷凍庫の中に、梅干しのおにぎりが2つ、入っていたんですよ!出発前に、自分が作って入れておいたんですけど、52歳、そんなことすっかり忘れていますからねえ。「ありがとう、出発前の自分!」と自分にお礼を言って、電子レンジでチンして食べました。おいしい♡夫に作っておいた冷凍庫一杯の食事は食べつくされていて、ショックでした・・・。いや、食べずに残っていたら、それはそれでショックですけど。複雑な女性心理。ああ、また、オーストラリアだぜ。続く。
2017年04月19日
おはようございます、ひなこです。楽しい時を過ごしていた日本での生活も、あっという間に終わり、シドニーへ帰る日がやってきました。ああ、帰りたくない。おかあさ~ん。涙。帰りも、青組ANAさんです。往路は初のエア・ドゥーさんで北海道入りしましたが、帰路はANAさんで羽田に向かいます。地元の空港へ実家からタクシーで行きましたが、一万円札で払おうとしたら運転手さんがお釣りを持っていなくて、小銭を財布から全部ぶちまけましたが200円足らず、結局200円負けてもらいました。申し訳ないです。荷物は、地元の空港で預けるとそのまま国際線に自動的に乗せてくれて、シドニー受け取りまで私は触らなくていいので大変楽です。羽田空港に着くと、友達が二人、お迎えしてくれました。この三人で揃って会うのは、なんと20年ぶりでした。まず、第二ターミナルにいる間に、ずんだ茶寮で、”豆乳ずんだシェイク”を飲もう!ということになり、3階へ移動しました。飲んだ感想→とっても、大豆っぽい。「更年期なお年頃の3人には良いんじゃないの?イソフラボンの成分が」「いや、たった一回飲んだだけじゃあ、だめでしょう。効果は期待できまい」「国際線ターミナルで、牛乳のずんだシェイクと味比べしてみるかい?」などと、女三人でピーチク、バーチク、うるさくさえずりながら飲みました。周りの方、うるさかったでしょうね。ごめんなさい。それから、私が地階の書店でCREA5月号を買った後、1階へ移動し、無料巡回バスで国際線ターミナルへ向かいました。9番停留所から出発です。最初は第一ターミナル、それから国際線ターミナルに行きます。途中で、バスの中から満開の桜が見える場所とか、飛行機がすっごく近くに見える場所などがありました。国際線ターミナルでは、4階に行って、ごはんを食べました。私は北海道で、海産物の嵐を浴びた後だったので、軽くうどんでも食べたいと言い、友人は寿司食べたいとか言い、結局、両方の希望の品のある、百膳さんというお店で食べました。お店の中には、スーツケースなどは持ち込めないので、店の入り口にお客さんの荷物がどどんと置いてあるのですが、監視人もいないのに、誰も何も盗まないというのが、さすが日本ですねえ!でも、私は用心深くなっているので、自分の機内持ち込み手荷物をしっかり店内持ち込みして、自分の横に置きましたが。友人達は、マグロとアボカド丼定食とか、サーモンといくら丼みたいな海鮮丼のセットみたいのを頼んでいましたが、私は梅おろし細うどん膳にしました。美味しい~!https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20170412&d_seq=14295735百膳さんで美味しくご飯を頂いてから、お茶の伊藤園さんに移動して、去年食べそこなった、ほうじ茶ソフトを食べました。なるほど~。しかし、さすがにお茶屋さんです。冷やした煎茶を飲んだのですが、すっごく美味しいお茶でした。(再度膀胱炎にならないように、体が冷える冷たい飲み物は飲まないようにしようとか思ったことはもうすっかり忘れている私)と食べまくっていますが、伊藤園さんのお茶屋さんは、ファーストフード店のような店だったので、ここで、延々としゃべりまくっていました。(途中で友人が追加オーダーなどしつつ)なんだか、これから自分が飛行機に乗って地球の裏側へ行くというのを忘れるほど、しゃべってしまって、明日の朝までこのまましゃべれるぞという感じでしたが、「やばい、やばい。そういえば、飛行機に乗るんだった」と思い出し、最後はあせって手荷物検査をして、搭乗口に向かいました。私の姿が見えなくなるまで、二人共ずっと見送ってくれていて、本当は最後に「バイバーイ」と手でも降ればよかったんでしょうが、なんだか、泣きそうな気分になるの~♪と赤いスイートピー状態になってしまって、無視してしまいました。すまん、友よ。続く。
2017年04月18日
おはようございます、ひなこです。昨夜、こちらのNHKとも言えるABCテレビで、ミスター・ビーンでおなじみのローワン・アトキンソン主演の『マイグレット・セッツ・ア・トラップ』という映画のようなものが入っていたので、夫婦してコメディーかと思って見ました。(メグレ警視ですね)が、全くのシリアスなものでした。でも、彼がまじめに演技すればするほど、可笑しくて笑ってしまう私たち。最後までまじめ路線で終わったのですが、もしかしてこれは、この次にこのコメディーを作るための伏線なのか、とまで疑いました。ググったら、2016年の英国テレビシリーズ作品でした。好評なので、シーズン2までの4作品がすでに英国では放送されているそうです。もし私が共演している俳優だったら、絶対ミスター・ビーンを目前に笑ってしまってNG続出だっただろうなあ。さすがプロの俳優陣。ちゃんと演技してましたけど。さて、本題です。よく、雑誌の特集なんかにあるじゃないですか、「丁寧な暮らし」とか。うちの親(昭和一桁生まれ)と生活を共にすると、そんな”丁寧な暮らし”などというスローガンをわざわざ掲げなくても、それが当たり前の生活をしています。野菜を中心としたホームメイドのおかずは、体に良いですし、何より関心するのが、規則正しい生活ぶりです!朝は、5時過ぎに起き、6時半にラジオ体操。朝食は7時。昼食は12時。夕食は5時。もう、判で押したように、しっかり規則正しいですねえ。まあ、年を取ると、いつもと違う時間にしたり、いつもと違うことをしたりすると非常に疲れるんだと思いますが、あの規則正しさは感心します。健康の秘訣でしょうかねえ。日本にいる間は、私も見習ってこういう暮らしをしよう!と思うのですが、オーストラリアに戻ってくると、なかなかうまくいきません・・・。両親すごいなー。と尊敬の念ですよ。続く。
2017年04月17日
おはようございます、ひなこです。オーストラリアに帰ってきて、夫に、「日本に行く前は、どよよ~んとしてたけど、明るく弾けて帰ってきたねえ。日本行きがセラピーになったんだねえ」と言われました。温泉には行ってないけど、バスロマンの家のお風呂で大満足ですよ。確かに、今年の夏は暑かったし、膀胱炎には2回もなるし、どよよ~んとしてました。あの45度の猛暑の後で、雪景色を見た日にゃあ、そりゃあテンションも上がりますよね。日本のごはんもおいしいけど、もう一つの楽しみは、お風呂です!うちは、バスクリンじゃなくて、生田斗真君がCMをしているバスロマンの方のゆずの香りをお風呂に入れてますが、あの香りと色。あ~。幸せ。お風呂に入ると夜もよく眠れますよねえ。あ、これも、「騎士団長殺し」を読めなかった原因の一つだったのか?というわけで、日本のお風呂もセラピー効果があったと思います!そして、日本は店員さんが優しい!あの親切さには、感動します。誰か(たしか外国人)が書いていたのを最近読んだのですが、日本の店員さんは、ほぼ奴隷である。しかし、普通奴隷は一生奴隷だけど、日本の店員さんは、自分が客になれば王族になれる。だから、だれもうつ病になったりはしない、みたいな。日本で仕事を得て働くようになったりしたら、国籍不明びとひなこは、同僚からイジメられたりする可能性大ですが、とりあえず休暇で日本にいる間は、会う人、会う人、皆良い人でした!リセットしてオーストラリアに戻りましたが、これからは休暇ではなく、毎日の日々の暮らしでストレスたまっていくと思います。しばらくは、なんとか日本で人々に良くしてもらった思い出を胸に頑張りたいと思います。続く。
2017年04月16日
おはようございます、ひなこです。オーストラリアにいると、野球を見ることは全くありません。ちょっとそれっぽいクリケットは大人気ですが。今回帰省したのは、春の高校野球の時期だったし、プロ野球のシーズンが始まる時だったので、久々に野球を見ました。(全部最初から最後までじゃないですけど)北海道は、昨年日本一だった日本ハムファイターズの連覇に期待をかける道民達で盛り上がっていました。(負けてばっかりだったけど・・・。中田も大谷もケガしちゃうし)札幌ドーム第一戦の始球式には、大泉洋ちゃんが登場しました。ルールがわかるので、野球を見るのも、なかなか楽しかったです。これが、クリケットだのフットボール(ラグビー)だのだと、全くルールがわからないので、面白くもなんともないです。サッカーでさえ、夫が「これは、ペナルティー・キックだ」とか「コーナー・キックだ」とか言っている意味が分かりません。ゴールに球が入れば得点としか理解していないひなこです。話は変わりますが、スポーツ縛りということで、稀勢の里の怪我は大丈夫なんでしょうかねえ。来場所、東の横綱ですが、無理しないで、ダメなら休んでほしいです。でも、稀勢の里って、無理して出ちゃうタイプなんだろうな。月曜日以外はプロ野球の試合があるというのも、52歳にして、今回日本で学びました。教えてくれたのは、ちょっとすっとぼけ気味の父でした!続く。
2017年04月15日
おはようございます、ひなこです。帰省した当初は、まだ自転車が、家の裏側にある物置にあったので乗れませんでしたが(物置に行く通路に雪が深く積もっていて物置にたどり着けない)、終盤、雪が減ったので(でもまだ残っていたけど)父が自転車を物置から出してくれて、らったった♪、と自転車に乗っていました。子供の頃に覚えたことは、50歳を過ぎても、できますね。アイススケートしかり、自転車しかり。しかし、風が冷たくて、顔が凍りそうでしたが。銀行にお使いに行ったり(引き落とし用の通帳に冬中入金してなかったから、お金がなくなってきたので入金してきてと依頼されました。なんか冬眠から覚めたって感じですよね)、ガーデニング用の腐葉土、牛糞の肥料とか、ホーマックで買って、自転車の後ろに積んで、何度か運びました。(私が住んでいた頃は、石黒ホーマという店名でした、ホーマック)その初回、「自転車の後ろに紐で縛って乗せてこい」と紐を渡されましたが、どうやって縛るんだか全然わからずホーマックの外で困っていたら、私の父と同世代な感じのおじいさんが、「それはね、こうやるんだよ」ときっちり縛ってくれました。途中で息子さんが、「どうも、息子です」と現れたので、「いやー、親にお使い頼まれたんですけど、やり方がよくわからなくて困っていたら、お父さんが助けてくれました」と言ったら、「うちの父、こういうの得意ですから」ということでした。「お父さん、ありがとう!大変助かりました!」とお礼を言って帰ってきましたが、本当にあのお父さんが助けてくれなかったら、きっと途中で土が自転車から落ちて(私が縛ったらグダグダだったと思うので)、袋に穴が開いて、ヘンゼルとグレーテルのように家までダラダラと土の跡を残して帰ってきて、結局残った土は僅かだったなんてことになって大ヒンシュクをかっていたと思うので、他人の親切に助けられたひなこでありました。2度目からは、お父さんの教えてくれたように縛って、楽勝で帰宅しました。牛糞を家までヘンゼルとグレーテルしたら、人々から大クレームだったでしょうから、あのお父さんには本当に感謝しています!しかし、街が超高齢化しているせいか、自転車に乗っておつかいをしている間に、救急車がピーポーピーポー走り回っているのに3度も遭遇したこともありました。日本は救急車が無料ですが、オーストラリアは走った距離によって料金を請求されます。自己負担となると、じゃあ自家用車で病院の救急に行くか、と思いとどまることもありそうです。自転車に乗っている時の脳内BGMは、やはりベタにQUEENのBICYCLE RACEでした。中学の同級生が、♪自転車 自転車 自転車 私は自転車に乗りたい 私の自転車に~って、日本語で歌っていたのが懐かしいです。今回の帰省中、彼女の実家の横を通ったら、お父さんに会いましたが、彼女は元気なのだろうか。今どこでなにをやっているのやら・・・。続く。
2017年04月14日
おはようございます、ひなこです。再び、シドニーからお送りしておりますが、未だしつこく、日本の思い出日記を続けています。認知症になると第二言語から抜けていくらしいですが、まあ、まだ一応第二言語をキープしているひなこですが、それでも、日本に帰ると当然のことながら、すべて日本語で「わーい!」という感じです。しかし、若者言葉、流行語などはわかりませんし、浦島太郎化しています。そんな私にも優しいのが、なんといってもNHKです!若い頃は「NHKなんて・・・」という心持でおりましたが、今となっては、ふと気づけば、テレビもラジオもNHKですよ。数年前までは、親が見ているからしょうがなく見ている感じだった実家でのNHKテレビも、今回は一緒になって楽しく見てましたからね。寒いので、夜、寝ている間にトイレに起きたりして、そんな時、枕元のラジオをつけると、NHKで「ラジオ深夜便」なんてやっていて、こんな時間にしっかり働いている人がいるというのも驚きですが、”いや~ん、日本語しゃべってるよぉ”みたいな感動があります。で、朝、5時からは、「マイあさラジオ」になります。ちょっと前までは、「おはよう、早起き鳥」とかいう番組だったと思うのですが、アップデートされていないひなこです。そして、6時半には、ラジオ体操です。昔は、先導する人が男の人でしたが、今は女性の人もいるんですね。新鮮。7時半くらいまで、そのままNHKラジオを聞いて、そこからおもむろにNHKテレビをつけ、8時からの朝ドラに備えます。うちの母親は、朝ドラをもう、それこそ50年以上見ていると思います。今回は、「べっぴんさん」の最後の方と、「ひよっこ」の頭の方を見ました。マラソンの増田明美さんがナレーションです。びっくり。でも、見続けないかも~。どちらかというと、昼ドラの「やすらぎの郷」の方が、興味があります。石坂浩二、浅丘ルリ子とか、往年の大スターが出ていて、面白そうな気がします。これは、NHKではないですが。夜も、「シブ5時」なんていうのから、NHKを見てました。「ためしてガッテン!」、「鶴瓶の家族に乾杯」、「ダーウィンが来た」エトセトラ、親が見てるのはほとんどNHKの番組です。大相撲もそうですね。北海道ローカルの「あぐり王国」(ナックスのもリーダーの番組です。北海道の農業をお届けします)とか、ローカルの夕方の情報番組内のコーナー、”奥さん、お絵かきですよ”とかも見てましたけど。あとは、「笑点」見たな!そして、なぜか、うちのお母さんはTOKIOが好きで、「ザ!鉄腕!DASH!!」を見ています。ただ、今回気づいたのは、以前は一日中、NHKラジオが流れていた我が家ですが、日中ラジオを聞かなくなったんだなということです。年を取ると、面倒くさいというか、音がうるさくなるのでしょうか。もう、ラジオで話されている内容についていけなくなったのでしょうか?!でも、日曜日には、「のど自慢」聞いてたな。山田邦子がぎゃあすか話していたような気もする。というわけで、NHKの受信料の元をしっかり取っているひなこ実家なのでした。続く。
2017年04月13日
おはようございます、ひなこです。オーストラリアに戻ってきました。あー、日本の食べ物、美味しかったなあ。↑日本を発つ前の日に、母が青豆ごはんを作ってくれた。昨年は、息子二人と一緒に帰省したため、食事が洋風となり、ざんぎ(北海道の鶏の唐揚げ)、コロッケ、カレーにスパゲッティー、ハンバーグというような感じでした。隣でイカの刺身に舌鼓を打つ私に、「ママ、気持ち悪いから、あっちに行って!」などとのたまっていた息子達でした。しかし、今回は一人だったので、非常に和風なおかずを堪能してきました!フキの煮たのとか、ひじきとか、大根とサバの煮つけとか、白和えとか、おから合えとか、こごみとか。スパゲッティーもタラコスパですよ、当然。母は、私の好きな食べ物を熟知しているので、何も言わなくても、私の好きなネバネバしたもの(なめこの味噌汁、とろろ芋、がごめ昆布のとろろ昆布など)、魚の卵(たらこ、いくらなど)などがドンと出てきて、幸せでした。干しカレイの焼いたのなんて、久々に食べました。(母が生を買ってきて、塩をして自分で干した。カラスに食べられないように気を付けていた。どうやって干すのか教えてもらったけど、シドニーで干したら、蠅がたかって蛆がわきそうだ・・・。挑戦すべきだろうか。真冬ならOKかな?)卵が入っていて、「ラッキー!」みたいな。シュークリームも食べましたが、やはり自分で作ったものとは別物でした!あとは、プリッツバター味がダイソーで2個で108円だったので、懐かしくて買って食べたらすっごくおいしかったです!!オーストラリアのお菓子は、砂糖使いすぎです!!!あまりの美味しさに、スーパーで発酵バター味も買って食べました。定番の醤油せんべい(黒豆入り、黒ゴマ入りとか)も、美味しかったなあ。そして、セコマ(北海道のコンビニ、セイコーマート)に、北海道とうきびもなかアイスを買いにいったら売っていなかったので、非常にショックだったのですが、『北海道ソフト抹茶味』なんていうのを買ってお茶を濁しました。私の大好きなフランスのクリームチーズ、KIRIのアイスクリームなんていうのもあったのですが、痛風になったら困ると思って買いませんでした。(日本にいる間は腹八分目ならぬ、十二分目たべていたのでねえ)あと、なんだか知らないけど、酸っぱい物が食べたくて、青森産のしめ鯖とか、酢だことか買って食べました。疲れていたのだろうか?カキフライも2,3回食べました。おいしー♡あ、蟹も食べたな。ほたてもさんまも食べたけど。りんごも、青森の友達に、「もうリンゴはシーズンが終わったよ」と言われましたが、日本のリンゴは甘くてすっごくおいしかったです。こちらにも、フジアップルなんて売ってますけど、日本のリンゴは別物でした。当然、お米も同様ですが。うちは、道産米を食べています。はっさくも、久々に食べました。日本に帰る楽しみのメインが、まあ、「日本の美味しい物を食べる」ということですからねえ、しっかり堪能してきましたよ。こっちに帰ってきて体重計の上に乗ったら、若干増えていましたが、それほどでもありませんでした。純日本食のカロリーが低いからでしょうか。(確かに親は野菜をとっても多く食べていた)私はごはん食いなのですが、今回はおかわりせずに一膳飯でした。なぜかというと、親が塩分コントロールに気遣っているため、超薄味で、ごはんがなくてもおかずだけで食べれたからです。味を濃くしないと、こういうメリットがあるんだ、と気づきました。それプラス、実家には車がないので、歩く、自転車と、普段より運動量が増えたのも一因でしょうね。私も母の料理のお手伝いをしましたが(邪魔になっていただけだったりして)、こんな風に母の作った物を食べられるのもこれが最後かもしれないなーと思いながら食べてきました。まあ、向こうもこれが最後かなーと思って作っていたのでしょうが・・・。続く。
2017年04月12日
おはようございます、ひなこです。父が、毎日(月ー金)、時代劇の再放送を見ていたため、私もそれを見るはめに・・・。14時55分から、16時50分まで、「桃太郎侍」、「水戸黄門」の2本立てです!主役は、高橋英樹さんと佐野浅夫さんです。どちらも、毎回同じような筋書きで話が進み、決め台詞で終了です。ひなこ的には、「うーむ、毎日見たら、飽きないかい?」という感じですが、父的には、この安定感が良いんでしょうね。予想外のことが起こったら、パニックになりそうです。午前中には、別のチャンネルですが、先日亡くなられた松方弘樹さんの「遠山の金さん」の再放送も放映されていましたが、それは見ていませんでした。で、父が、「松方弘樹さんは、阪東妻三郎(阪妻)の息子だ!」と言っていたのですが、事実は、阪東妻三郎さんの息子さんというのは、田村三兄弟(高廣、正和、亮)ですよねえ。松方弘樹さんは、近衛十四郎(このえじゅうしろう)さんの息子さんだそうです。ひなこは、世代が違うので、お二方の違いがわかっていませんけど・・・。もうひとつ、父からのガセネタ。「ピンクレディーの小さい方の人が死んだ」。ええ?!ケイちゃん?!そんな話は聞いてませんが、私も日本にいないので、一瞬信じてしまいましたが、もしかして、キャンディーズと混同してないかい?と気づき、「それってキャンディーズのスウちゃんじゃないの?」と言ったら、「あ、そうだった」ということでした・・・。嘘をついているわけではなくて、かなりボケてきたみたいです・・・。うーむ。これから悪くはなれ良くなることはないでしょうから、どうなることやら・・・。そういえば、先日包括センターから、職員の方がやって来て両親に質問をしていかれました。75歳以上で介護制度を使っていない家庭を訪ねているとか。質問の答えの結果によっては、体操教室、口腔ケア教室、頭の体操教室に行けるということだったので、父に頭の体操教室に行くように勧めてくれないだろうかと、期待したのですが、「お二人共該当しませんので、教室に行く必要はないですね」ということでした。だって、うちのお父さん、「階段の上り下りは手すりにつかまらずにしている」とか、私と母が思わず、「えええええ?!」と言いそうになるような回答を自信を持って言ってましたからねえ。言ったもん勝ちというか、なんというか・・・。希望者は行けるっていう制度にしたらいいのにねえ。まあ、年寄りが多すぎて、それでは対応できないのか・・・。と最後は愚痴っぽくなりました。すみません。では、御機嫌よう!
2017年04月11日
おはようございます、ひなこです。私だけではないと思います。海外在住者が日本に帰国した際、100円ショップに行くのがすっごく楽しみです。シドニーにもダイソーはあるんですけど、2ドル80セントですからねえ。それに、BGMに日本の歌が流れていて、如何にも「日本にいるみたい!」なんだけど、でも実際は日本にいないので、その落差に落ち込みます・・・。日本でダイソーに行くと、「きゃあ!100均楽しい!日本最高!」とご機嫌になります。108円だしー。私の地元には、ダイソーとセリアがあります。こんな街でも、海外からの旅行者がやって来るのか、某所のダイソーには、日本土産コーナーがあり、海外からの旅行者カテゴリーでもあるひなこは、思わずそこでお土産を買ってしまいました。おにぎりのキーホルダー、いくらの軍艦巻きのキーホルダーとか(男子用)、振袖のキーホルダー、桜のキーホルダーとか(女子用)。100円ショップで日本の少子高齢化を垣間見た事件。あるおばあさんが、自分の欲しい物を自分で探せずお店の人に場所を教えてもらっていました。おばあさん「ああ、これ、これ。これ、105円よね?」店員さん 「いいえ、108円です・・・」そこへ、おじいさんのお客さんが手に商品を持って現れ、「これ、110円だよね?」。店員さん「いいえ、108円です・・・!」(涙)みたいな会話をしているのを目撃。ハガキの切手が52円であることを知らなかったひなこですから、人のことは全く言えませんが、お店の人にかなり同情してしまいました。皆さん、消費税はもう5パーセントじゃないし、まだ10パーセントにもなっていませんよ!セリアは、女性向きな商品が多いと、昨年、息子には不評でしたが、私は好きです。キッチン用品とか、4月はじまりの手帳とか、お掃除用品とか。食器とか。いつも、ミニマリスト筆子さんのブログを読んで、物を増やさない生活に憧れていますが、日本にいる間は100円ショップで矛盾した買い物をしております。でも、オーストラリアでは、全く買い物してないのでねえ。(もちろん食料品は買いますが)日本は、店員さんも優しいし、いいですよねえ。次回に続く。
2017年04月10日
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