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世代間格差を考える その1http://plaza.rakuten.co.jp/meaning1/diary/201310020000/世代間格差を考える その2 http://plaza.rakuten.co.jp/meaning1/diary/201312290000/世代間格差を考える その3http://plaza.rakuten.co.jp/meaning1/diary/201403100000/世代間格差を考える その4http://plaza.rakuten.co.jp/meaning1/diary/201406140000/ 日本円の価値を担保しているのは、日本の国富、無形及び有形資産です。--日本で法人税は大企業であるほど多く減税されている傾向にあります。安倍政権下で法人税の減税がさらに大幅に進みました。トヨタやソニーやキャノンなどのグローバル企業は、多くが実際に支払っている法人税は20%未満になっています。グローバル企業が支払っている実質的な法人税は、既に海外と比べても決して高くない水準になっています。まだまだ複雑な減税システムもあるため、申請しない企業が損をしている場合があります。これは、ある意味では日本の参入障壁になっており、実際のところ海外のグローバル企業が日本市場に参入する際の障害になっている場合もありました。(デフレ下ではとても好ましいことです)日本の参入障壁は、色々あります。これらを撤廃して外国企業の参入をしやすくしようというのが新自由主義の考えです。言語や文化、地形などのとてつもなく大きな参入障壁であれ、新自由主義では出来る限りない方が好ましいという考えです。国家という枠組みも同じです。あらゆる障壁のない経済圏を作れば、経済的にはほぼ国境がなくなったのと同じ事になります。そのような市場こそ、経済発展の為に優れた市場であり、目指すべきだと考えています。しかし、これは色々前提条件があります。一つは需要より供給が不足しているインフレ社会であること。一つは世界経済が永続的に成長する社会であること。一つは民間企業が全体として取り返しの付かないような致命的な失敗をしないこと。一つは代替の利かない種の資源の枯渇による奪い合いがないこと。一つは各国政府が力を合わせてもリカバリーが効かない位大きなバブルが生じないこと。パッと思いつく限りでこれだけの事があります。実際にはまだまだあるでしょう。 しかし、実際の経済がこれらの前提条件の上に成り立っている訳ではありません。また市場主義経済を進めることでこれら前提条件が崩れる可能性すらあります。経済発展には国民の所得水準が上がることが好ましいですが、至上主義経済は効率的な国民の所得水準の上昇を拒む事になるからです。国民の所得は、片側から見れば「購買力」であり、もう片側か見れば「コスト」となります。当然ながら、企業にとってはコストとなります。しかし、国内を相手にして商売している企業にとっては、購買力でもあるのです。国外を相手にして商売をしている企業にとっては、主な国民の所得=賃金コストとなります。当然ながら国外を相手にして商売をしている限りにおいては、国内の購買力が上昇しても直接的に利益が増えるわけではありません。国民の所得水準の上昇を抑えることが、コスト削減に繋がるのです。(ただし、この話はそれ程単純ではありません。実際は実体経済に為替の影響が複雑に絡み合います)グローバル企業といえど日本企業の多くは日本資本の企業であり、そこで働いているのは日本国民です。高度経済成長下のような実質賃金の伸びが経済成長率を上回るようなインフレ経済においては、自分が勤めている企業の利益が右肩上がりに成長していれば、安心できました。しかし、現在のデフレ経済下では、企業の利益が増加しても日本国民の所得水準は増えず、国内への設備投資も増えていません。その利益は内部留保や海外投資や株式配当に回るのみとなっています。その企業の成長は日本国内において効率的な資本流動の役割を果たせず、全く日本国のためになっていないというのが現状です。国民全てを幸せにする政策は難しいです。恩恵を蒙る人もいれば、直接的には全く恩恵を得られない人もいます。税として膨大に徴収される人もいれば、直接的には全く徴収されない人もいます。しかし、日本政府の政策は、間接的には全ての国民が影響を受けます。間接的な影響は、長期的な展望をもって考えるべきです。格差拡大、格差縮小も、直接的影響だけではなく間接的な影響も含めて考慮する必要があります。ここは忘れがちなので、常に注意をしておく必要があります。
2016.04.23
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人間の心理というのは不思議なものです。同じ物事でも、伝え方によって大きく印象が変わります。影響力のある方と同じ見解であれば安心感を持ちますし、何より投資家は他人と同じやり方が正しいと思いがちです。答えのない問題に不安を感じ、皆が認めたモノにより高い価値を見出します。これらを逆手にとれば、時流に乗った時に大きな利益を上げることができるのですが、単純にそのような時ばかりではないので意識して長期的に続けるのは難しいです。
2016.04.20
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もしキミが自信を失って何も分からなくなったら、雨の日に買って、晴れの日に売れば良い。それでキミの自信は幾分か取り戻せるだろう。そんなもんさ。
2016.04.15
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(チャーチスト談)1枚のチャートの中に、喜怒哀楽が見事に全て凝縮されている。チャートは、人類が図らずも生み出した最高峰の芸術だ。決して意図して作られたものではない、というところが見事だ。チャートは、しかし、問いかけても何も答えてくれない。完全なる静寂がそこにある。ただ其処に在る。それ以上を求めても、チャートは何も期待に応えてくれない。だが、素直に心を開くと、そこから欣喜雀躍や阿鼻叫喚が木霊してくる。聞こえてこないなら、まだ君が市場に心を開いてない証拠だ。変なプライドの欠片が邪魔しているんだろう。統計学や心理学を絡めれば、どのチャートにもそれなりに意味を見出すことは可能だろう。もしかしたら、手相占いよりも役に立つかもしれない。しかし、それでは芸術性が薄れてしまう。見てみ給え、このチャートの美しさを。美しいだけではない。とても醜く、汚く、未完成だ。この表現力の豊かさは、決して人間が意図して作り得るものではない。全ての答えが、此処には在る。全ての見方ができ、その見方全てが間違いである。尚且つ、それら全てがこれからの真実を構成する一要素となっている。この素晴らしさは、個々の見解全てを凌駕する。幾らファンダメンタル野郎どもが屁理屈付けてもこのチャートの前では無意味だ。このチャートだけが、完全に、真実を表しているからだ。アイツならきっとこう言うだろう。「迷った時は、素直な気持ちでチャートと向き合ってみると良い」
2016.04.10
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(バリュー投資家談)株価上昇期で多くの人は、保有株が予想通り株価の高騰をもたらし、保有資産の評価額が大幅に上昇した事を喜ぶ。醜いことだ。株価が上昇したのはあくまで結果に過ぎない。本当に尊いものは、どのような結果であれ、そこに至る過程だ。それに気が付かないうちは、まだまだひよっ子だ。投資家が成長しなければ、真に成熟した市場は生まれない。 なにも自分が株価上昇に向かって歩いている、という訳ではない。多くの人はそれに気が付いていない。歩いていくと、隣でいつの間にか株価が上昇していた。これが理想だ。一度保有した株について、評価額を気にして一喜一憂しているようでは、本来の意味で投資家ではない。投機家だ。 真実はどこにあるか。それは、各々が心の中にしっかりと持っている。その事に気が付かず、市場に真理を捜し求める。株価の変動に真理を捜し求める。愚かな行為だ。本当の正しさは自分の心にあるのに、そのことに目を向けず、雑多な群集に答えを求む。言葉にできないものを言葉にしようとするから綻びがでる。数式にできないものを数式にしようとするから矛盾してくる。貴方以外に貴方の心を邪魔することはできない。貴方以外に貴方の真実を捻じ曲げることはできない。永遠に正しい真実を持っているのだから、市場に惑わされてはいけない。株価は市場の適正評価。市場には市場の考えがある。貴方と市場は違うのだ。無理に同調しようとするから寂しくなる。無理に納得しようとするから苦しくなる。彼ならきっとこう言うだろう。「迷った時は、君の素直な心に聞いてみるといい」
2016.04.05
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嘘のようなホントの話。僕の投資にまつわる話。読んでいてもつまらないだろうから、余り長々と書くつもりはない。株式投資を通じてイライラした事がない。一度もない。売買について、後から「しまった」「間違った」と思うときもあるが、鬱憤を溜めたり気が滅入ったりという事はただの一度もない。株の値動きが気になって仕方がない、気が気でない、作業が手に付かない、という事もない。暴落相場で信用取引を用いて買い下がり続けて毎日何百万も損していた時も、正直余り切羽詰ってはいなかった。正直、株価はそこまで気にならなかった。会社で株価をチェックすることもなかった。追証がかかった時も、破産したときも、全く短気を起こした事はなかった。株式投資を始めてから今まで15年、投資に関してイライラしたことは、ただの一度もない。言い切って良いと思う。 僕はそもそも最初から、株式投資でお金を儲けて、それで何かを買おうというつもりはさらさらない。株式投資はメダルゲームみたいなもんだと思っている。増えたり減ったりするが、結局換金する気がない。趣味だ、遊びだと思っていない。株式投資は僕にとって人生そのもの。株式投資は手段ではなくて目的である。本末転倒、ここに極まりました。
2016.04.01
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