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手塚治虫

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2024.04.22
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カテゴリ: 手塚治虫




『手塚治虫とボク』には、来るべき週刊誌時代に備えてか、出版社側が「(月刊誌で)締切を守れない漫画家」をリストアップし、一斉追放に向けて布石を打ったのではと思われる、ある「懇談会」のエピソードが載っている。

前回のエントリーでも紹介したように、下絵をきっちり描き、ペン先をいくつも付け替えて仕上げるスタイルのうしおそうじは遅筆だった。それにうしお自身、絵がうまくないことを自覚しており、驚異の手塚テクニックを目の当たりにしてからは、ますます自分の限界について考えるようになる。

遅筆のうしおは「締切破りで悪名高い漫画家」の上位5位に必ずランクされていたが、ナンバーワンの締切破りは手塚治虫その人だった。もちろん手塚が締切を守れなかったのは、遅筆だからではない。仕事が多すぎたためだ。

どちらにせよ、締切破りの漫画家は決まっており、1959年ごろのある日、そうした悪名高い漫画家が10名ほど呼ばれて、出版社側と「なぜ毎月の締め切りを守れないのか、その原因を探り、是正を考えよう」というお題目で懇談会が開かれたのだ。

締切破り常連のうしおも当然呼び出されて参加したのだが、その懇談会にうしおはなにやら陰謀めいたものを感じ取る。それは、締切破りナンバーワンの手塚治虫が「どこかの出版社がカンヅメにした」といって、ドタキャンしたからだ。うしおの知るそのころの手塚という人は、約束をした以上は、たとえ終わり間際になろうと必ず現れる人だった。それが、最後まで来なかった。

そして、締切り破りトップテン漫画家vs出版社の懇談会は、

吊し上げをくらった漫画家側「担当者が、うちで出したメシに文句をつけていた」
出版社の編集者側「風呂の釜焚きまでやらされた」「子供の送り迎えをやらされた」



1959年は週刊サンデーと週刊マガジンが発行された年。うしおは後にその流れを鑑みて、この時の懇談会は出版社サイドによる「手こずらせ漫画家一斉追放」のための口実づくりではなかったかと結論づけている。そして1960年、うしおは漫画家を辞めてアニメと特撮の制作会社ピープロダクションを興す。

では、手塚をカンヅメにして、懇談会に参加させなかった出版社はどこだろう? うしおはそれについては書いていない。だが、ひとつ言えるのは、週刊誌創刊に向けて、小学館と講談社が熾烈な「手塚獲得作戦」を繰り広げていたという事実だ。




手塚治虫とボク [ うしおそうじ ]


週刊誌時代が到来する前は、手塚より年上の児童漫画家が子供漫画の世界で幅をきかせていた。また、児童漫画家のほかに「大人漫画家」という区別があり、大人漫画家と呼ばれる漫画家たちは児童漫画家たちを下に見ていて、特に手塚治虫を蛇蝎のごとく嫌い、「絵が下手」「話が荒唐無稽」と罵倒しまくっていたのだ。

だが、『新宝島』、そしてそれに続く『ロスト・ワールド』『メトロポリス』『来るべき世界』のSF三部作に衝撃を受けた全国の才能ある少年たちが、続々と漫画家という道の職業に足を踏み入れ、頭角を現していくにつれ、手塚の評価は一変する。

彼らにとっては、手塚治虫は神だった。神とその使徒たちが成し遂げた日本文化の革新は、明治維新を成し遂げた志士たちの偉業にも匹敵するだろう。

大人たちは、戦後子供たちを夢中にさせ、破竹の勢いで世の中を席巻する新しいメディア、マンガを悪書といって糾弾し、焚書までした。それに真っ向立ち向かったのも手塚治虫だった。

マスコミ関係者各社を筆頭にPTA、全国子供を守る会、地方自治体の教育機関、母と子供の会など、その手の団体の指弾のスケープゴートとして、決まって名を晒されるのが手塚治虫であった。そして、いちばん呼び出しの多かったのも手塚治虫である。
当然のことながら手塚は憤然として、どの吊し上げの席にも出て行った。怖れず臆せず、逃げも隠れもせず、堂々と相手方と渡り合った。単独の時も複数の時もあった。ボクは彼のヒーローキャラの「レオ」のごとき獅子奮迅の働きに心から拍手喝采を送った。

手塚に続く漫画家たちは、手塚が矢面に立ってくれたからこそ、仕事を続けられたという側面がある。事実、手塚と同世代の漫画家の中には、「悪書」のレッテルを張られたことで意気消沈し、漫画家を廃業した者も多い。

そして、手塚漫画を読んで育った子供たちは、長じて日本を世界トップの経済大国に押し上げたのだ。「学校の授業よりも何よりも、人生で大切なことを教わったのは手塚漫画」――これは昭和の時代に活躍した某女流作家の言葉。Mizumizuがこれを目にしたのはラサール石井の本が出るよりずっと前だ。

そして今――日本のGDPがインドにも抜かれて世界第5位に転落するというニュースが流れている。一億総中流だった国は、もうどこにもない。あるのは明確な格差。そして、海外からの観光客を喜ばせる「なんでもかんでも安い国、ニッポン」。ただただ衰退の一途をたどる日本に、誰もなすすべもない。





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最終更新日  2024.04.25 19:59:19


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