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“Danny Boy”by Sinead O'Connor 1997 『ダニー・ボーイ』について、僕は長年誤解をしていました。まずはそのあたりのことから……。1.『ロンドンデリーの歌』が先だった いや、『ロンドンデリーの歌 (The Londonderry Air)』が先というのは間違っていませんがね。 小学生になった頃かそれ以前だったか記憶にはないですが、僕は物心ついた頃から『ロンドンデリーの歌』を知っていました。しかし、当時すでに『ダニー・ボーイ』という歌は存在していたということを、知らなかったんです。 『庭の千草』や『アンニー・ローリー』のようなアイルランド民謡は、『故郷の空』や『蛍の光』のようなスコットランド民謡同様、明治以降の日本で、女学生を中心に盛んに日本語で歌われていたのはご存じですよね。僕らの子供の頃も、まだ母親などはこの辺の歌をよく口ずさんでいましたよ。2.『ダニー・ボーイ』登場 しかし、1960年代に入った頃、ハリー・ベラフォンテの『ダニー・ボーイ』が、『バナナボート・ソング』で売れた勢いからか、結構流行ったんですよね。 その後、2~3年の間に、サム・テーラーのテナーサックスや、スリー・ファンキーズを抜けた高橋元太郎の歌で、ヒットチャートに入ったのは記憶しています。 このころには僕は詞の意味も知らないまま、「歌曲の世界で有名だった『ロンドンデリーの歌』を下敷きにした『ダニー・ボーイ』が、ポップスの世界でも売れたんだ」と思うようになっていました。「その後様々な歌手がカヴァーして、文字通りスタンダードナンバーとなった」と勝手に考えていたのは大間違いでした。3. すでにスタンダード・ナンバーだった "Danny Boy: In Sunshine or In Shadow" という PBS 制作のテレビ番組を数年前にスカパーで見た日から、僕の『ダニー・ボーイ』に対する偏見と誤解は一掃され、新たな目でこの歌を一から見直すことになったんです。 様々なミュージシャンによる印象的な歌と演奏をちりばめながら、そのミュージシャンや各界の人々へのインタビュー、および音楽評論家や学者の解説で構成された1時間もののこの番組は、昨今我が国でも流行の、どの「歌のルーツを探る番組」より遙かに興味深いものでした。たった1時間なのに、その中身の濃さは相当なものです。 これをビデオ録画して何度も見ました。ただし、字幕および吹き替えなしの英語放送なので、かなり苦労を伴いましましたがね。ほら、ずいぶん前のことですが、ポーグスのクリスマスソングの日記の一番最後で、ちょっとこの番組のことを書いたことがありますよ。 その中で、『ロンドンデリーの歌』に現在の『ダニー・ボーイ』の詞がついたのが、1913年のことだと知ったのです。作詞者はフレデリック・エドワード・ウェザリー(Frederic Edward Weatherly)でした。 続きはまた今度ね。 ********************** ところで、"Danny Boy: In Sunshine or In Shadow" の中では、様々な人たちが『ダニー・ボーイ』を歌ったり演奏したりしていますが、僕らにもおなじみの人たちを挙げてみますと、次のようになります。 シニード・オコナー シェーン・マッガワン マリアンヌ・フェイスフル エリック・クラプトン さて、みなさんはこの中でどれを一番聴いてみたいですか。 あるいは聴いたことのある人は、どれが一番良かったでしょうか。「コメントを書く」をクリックして、教えてくださいね。
2005.06.22
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“Danny Boy”by Harry Belafonte 1960(60年代ポップスとして耳にした『ダニー・ボーイ』に敬意を表して) 皆さんは、『ダニー・ボーイ』から何を連想するでしょうか。 僕は前の日記の最後で、この歌を「死というものを意識しながら聴く」などと書きましたが、実は「死」などという言葉を使ってはいるものの、別にたいそうな哲学的はことではないんです。 ようするに、死んだらどうしてもらいたいかということを考えてしまうんですよ。 単刀直入ににいえば、火葬よりも土葬がいいと思うんです。 実は、この歌の2番に出てくるようなシチュエーションが気に入っているんですが、この場合は明らかに土葬が前提で、火葬されてしまった場合、あまり実感がわかない気がするんです。 とんでもない前置きになってしまいましたが、このことを説明するためには、『ダニー・ボーイ』という歌の歌詞をちょっと説明する必要がありますね。もうよくご存じの人も、一応読んでいただき、間違いや至らない点などを指摘していただくと助かります。 1番の歌詞は後半が特にいいですね。 つまり、自分の元を離れて「行かなければならない」ダニーくんに、「待たねばならない」「私」が「きっと帰って来て」という場面ね。 この「私」は、ダニーの母親というのが定説のようになっているけれど、僕はこれが父親でも恋人でも兄弟姉妹でもかまわないと思うんですよね。♪ But come ye back when summer's in the meadow, Or when the valley's hushed and white with snow, でも帰っておいで 草原に夏が来たら 谷が雪で静まり 白く化粧してからでもいいから♪ 'tis I'll be here in sunshine or in shadow,― Oh, Danny boy, O Danny boy, I love you so! 日が差していても陰っていても 私はここにいるから オー、ダニー・ボーイ 大好きだから 季節なんかいつでもかまわないから、とにかく帰ってきて欲しい、それまで待っているから……という内容ですね。 もちろんこの1番だけでも、別れる運命を受け入れなければならない者の気持ちを、十分に伝えて余りあるとは思います。実際、いろんな人に歌われている『ダニー・ボーイ』ですが、時々この1番だけで終わってしまうものもあります。でも、ぜひ2番も聴いて欲しいです。 ♪ でもおまえが戻ったとき 花が皆枯れかけていて もし私が死んでいたら それもあり得ることだから♪ 私が横たわっている場所を おまえは見つけ 膝をついて 私に「ただいま」と言ってくれるね 北アイルランドの、荒涼とした草原の丘の上でも、なだらかな起伏のあるヒースやムーアの縁でも、またわずかな個数の村に一つだけある教会でも、そこにある小さな共同墓地で、ダニーは「私」を見つけてくれる。 いずれにしても、大地に眠るというのは、土に還るという意味からも、基本は土葬でしょう。やっぱ土葬がいいなあ。 2番の後半は次のようになります。♪ 私には聞こえる そっと私の上を歩くおまえの足音が それで私の墓は 暖かく心地良くなる♪ おまえは身をかがめて 私を愛していると言ってくれる そうすればおまえが死ぬまで 私は安らかに眠れるのだ 実は若い頃は、メロディーは好きでしたが、この曲のことをよく知らなかったんです。『ロンドンデリーの歌』をポップスに改造した曲…ぐらいにしか思っていなかったんですよね。 それが、歌詞ができた背景や、曲の生い立ちなどを知ってからは、俄然聴くようになったんですよね。 次回は、『ダニー・ボーイ』に関心を持つきっかけになったあるテレビ番組のことと、そこで知ったこの歌にまつわる秘話を少し……。などと、もったいぶってみました。 (文中訳:穴沢) ********************** 今回、一応60年代ポップスとして耳にした『ダニー・ボーイ』に敬意を表して、僕がおそらく一番最初に聴いたハリー・ベラフォンテ版を改めて聴いてみたんですが、困ったことに2番の歌詞の前半で一番肝心の "I" と "you" とが入れ替わっているんです。他にもいろいろ聴いていますが、こういうのは他にないですね。 これが誤解からでなく意図的に入れ替えたのだとしたら、かなりとんでもないことですが……、あ、でもライブバージョンだから、もしかしたら単に歌い間違えただけかも知れませんね。因みにこのあと2番の後半のかわりに1番の後半をもう一度歌っています。ちょっと、がっかり。 何しろこの歌詞ができたのは1913年のこと。細かい言葉については、各歌手によってホントにいろいろ違いがあっておもしろいです。
2005.06.16
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漣健児さんが、6月7日亡くなりました。74歳でした。 この人には「本当にありがとう」とだけ言いたいです。 60年代初頭、彼の書いた日本語の詞に乗って、英米のポップスは僕の体の中に入り込んだんです。以来、この分野に異常に関心が湧き、今日に至っているのですから、本当にどれだけお世話になったか知れません。 僕の過去の日記に、この人の名前がどれだけ登場したか調べてみました。 60年代のイギリスを代表する女性歌手(1) 『ビー・マイ・ベイビー』 『想い出の冬休み』 『ボーイハント』 『そよ風にのって』 (続)『そよ風にのって』 『砂に消えた涙』 このほかにも、書き込みに対するレスや、掲示板にも何度かあるし、彼の名前はなくとも、その詞の一部が登場しているものもありそうですが、さすがに探すのは面倒です。 ああ、そうだ。今年の正月に同級会の二次会で熱唱した『ルイジアナ・ママ』も、もちろん漣氏の傑作です。 彼の死のことは、カタママさんの書き込みがなければ、ずっと知らずにいたかも知れません。 教えて頂き、ありがとうございます。 去年から、僕がさんざん世話になった人の他界が相次いでいますね。 ジョン・ピール、高田渡、石津謙介、そして漣健児。 しかし、この人たちと面識があったわけではありません。言うまでもありませんが。 さらに、生で見たこともありません。高田渡氏も映像でしか動く姿は拝見したことがありません。漣健児さんに至っては、どんなお顔なのか、写真すら見た記憶がないのです。 でも、そんなことは関係なく、ほんとに僕の人生の中で大きな部分を占めていますから、不思議なものです。 ********************** 今日は、『ダニー・ボーイ』をじっくり聴きたい心境です。 人の死についてあれこれ考えたりする年齢は、とっくに過ぎてしまっているけれど、『ダニー・ボーイ』という歌を聴くとき、僕はどうしても死というものを意識しながら聴いてしまう。 続きはまたすぐ書きます。
2005.06.14
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“Poison Ivy”by the Coasters 1959 今朝は久しぶりにどんより曇った朝を迎えております。 台風4号が思ったより列島近くまで北上していて、雨がいつ来てもおかしくないようです。季節もいよいよ梅雨に入ろうというところでしょうか。 この時期、何と言っても田植えの済んだ畦などに可憐に咲くアヤメや、緑の中に映える黄ショウブがきれいです。 あとは、やはり「蔦」ですね。雨が降るごとに庭の蔦の葉の緑は増し、その力強さを主張し始めます。 我が家の「蔦」のことを日記に書いたのも、ちょうど去年の今頃でした。去年の5月19日の日記去年の5月22日の日記 その後の「蔦」ですが、あまり大きくなっていません。 予定では今年皆さんと「蔦見お茶会」を催すつもりでしたが、条件がよくなかったのか、生育速度がゆっくりで、まだまだ鑑賞に堪うるようなものではありませんので、もうしばらくお待ち頂きたいと思います。来年か再来年には、皆さんにお集まり頂き、盛大に「蔦見お茶会」を行いましょう。 左に現在の「蔦」の写真を載せますので、お暇な折りにご覧いただき、その成長をお祈り頂きたいと思います。 などと書いているうちにずいぶん晴れ間が覗いてきました。かなり暑いです。 コースターズのヒット曲 "Poison Ivy (ポイズン・アイビー)" の Poison Ivy (毒蔦=ドクヅタ?) が前から気になっていたので、去年蔦のことを書いたときに、ちょっと調べてみたんですよ。もう1年以上経ちますが……。 さて、poison(=毒)ですから、毒キノコやトリカブトのようなアルカロイド系の毒性を持ったものを連想される人もいるかもしれませんが、この Poison Ivy (ポイズン・アイビー)の場合は、むしろ漆に似ていると考えて頂くのがよろしいかと思います。 その名の通り、葉の形状は蔦のようにも見えなくもないですが、実際には蔦とは無関係のようです(ああ,よかツタ)。この葉に触れたり枝を持ったりするとかぶれるのです。ひどいときには全身に発疹が出るというのも、漆に似ていますね。 北米大陸ではかなり普通に見られるらしく、こんなページがありました。アメリカでの探鳥の注意点また、こんなマニアックなページもありました。What Poison Ivy Look Like さて、コースターズの "Poison Ivy" ですが、もう皆さんご推察のとおり、当然ドクヅタのような女の子のことを歌っているわけですね。 「見かけはバラやデイジーでも、実は彼女はポイズン・アイビーさ...」というような内容です。 リフの詞が怖いです。 ♪ Late at night while you're sleepin' poison ivy comes a'creepin' Arou-ou-ou-ou-ou-ound つまり「夜中に寝ていると這ってきて絡みつく」んですよ。 更にサビでは、「はしか、おたふくがぜ、みずぼうそう、ふつうのかぜ」を引き合いに出し、それぞれの症状を挙げた上で、 ♪ But poison ivy, Lord'll make you itch!! You're gonna need an ocean of calamine lotion You'll be scratchin' like a hound The minute you start to mess around と、そのかゆみのものすごさを指摘しているのです。 それにしても、「calamine lotion 一海(ひとうみ)分を必要とする」くらいかゆいというのですから、そのかゆみは大変なものなのでしょう。 コースターズは、僕の印象ではドゥーワップのコーラスグループですけど、歌にはコミカルなものやいわゆるノベルティー・ソングが多いですね。 好きな曲もかなりあるので、またいつか採り上げたいですね。 ところで皆さん、何かにかぶれたことってあります?僕は、漆にかぶれた友人を見て、全身にかゆみを覚えたことがありますが。 そういえば、「西洋かぶれ」なんていう言葉は、ほとんど死語になってしましましたね。
2005.06.10
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“Three Cool Cats”by the Coasters 1958 暑中お見舞い申し上げます。なんて言いたくなるほど、この数日暑い日が続いていますが、みなさんお元気でしょうか。 復活宣言したかと思ったら、ひと月以上も日記を書かなかったり、久しぶりに書いたかと思ったら、また一週間もあいてしまったり、毎度のこととは言え、みなさまにはいろいろご迷惑をおかけして申し訳ありません。 「猫タン」 うちに野良猫が遊びに来るようになったんです。名前はないわけですが、一応猫なので、息子は「猫ちゃん」、僕は「猫タン」などと呼んでおります。 この猫タン、子供を産んだばかりですが、うちのような猫好きの家で餌をたらふく食べて、しばらく遊んでからねぐらに戻りオッパイをあげるという、かなり効率の良い方法で子育てをしているようです。そのせいか、子供も順調に育っているようです。 今日も朝から餌を食べにきて、涼しい場所を見つけては、ごろんと横になり、またしばらくすると立ち上がって別の日陰を見つけごろりとなって、これを繰り返すんですよ。何しろ日向は暑いですからね。 猫は犬以上に涼しい場所を見つけるのが上手ですよね。「クール・キャッツ」 ネコは涼しい場所がすき。 ネコ=CAT。涼しい=COOL。 これから、クール・キャッツを連想する人が世の中にはどれくらいいるでしょうかねえ。すなわち、ネコ・涼しい、キャット・クール。クールなキャット。クール・キャッツときたもんだ。 あ、「ときたもんだ」で、クレージー・キャッツを連想したあなた!かなり年ですね。「♪ サラリーマンは 気楽な稼業と きたもんだ...」ですからね。 おっと、クール・キャッツね。 ビートルズが日本に上陸したころに、ビートルズの曲の日本語版を何曲か歌っていたのが、クール・キャッツですよ。 ほかにも東京ビートルズはじめ、いろんな人たちが日本語で歌っていたけど、クール・キャッツが一番印象に残っていますよね。つまりネーミングのせいでね。 あんまり鮮明な記憶ではないけれど、彼らはスリー・ファンキーズやシャープ・ホークス、その後のジャニーズ、スマップみたいなコーラスグループだったと思う。楽器なしのね。違ったかな。 以前疑惑さんが貸してくれた "From Liverpool to Tokyo" という、トンデモな CD で当時の彼らの歌声が聞けます。 いや、まさに「歌声」って感じ。まあ、多くを望む方がどうかしているというもの。当時僕らは本家本元に夢中で、全然聴こうともしなかったから、今じっくり聴いてみると、懐かしいと言うより、こういう世界もあったのかという驚きの方が先に来るのであります。「スリー・クール・キャッツ」 そういえば、ビートルズの「アンソロジー 1 」に、"Three Cool Cats (スリー・クール・キャッツ)" が入っていますけど、聴いたことありますか。若きジョージが結構熱唱してますよね。 ホントに初期のビートルズはおもしろいです。よくぞこんな曲をカヴァーしたもんだと、感心してしまいますよ。 オリジナルは、あのドゥーワップのコースターズ(The Coasters) です。 コースターズっていえば、"Poison Ivy" が一番有名かなあ。 "Poison Ivy" っていえば、去年の今頃「蔦」のことばかり書いていましたっけ。 ということで、次回は "Poison Ivy" と「蔦」のその後ですね。 ********************** Cool Cats (クールな猫) っていうのは、何か特別なフレーズですかね。単に「かっこいい猫」のことですかにゃあ。 ご存じの方、教えてキャット。 うちに来る猫タンのお姿はこちら
2005.06.07
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“The River of No Return” by Marilyn Monroe (1954) 6月1日。「ロック・366」(←左の「用語解説」参照) によると、ノーマ・ジーン・ベーカーが1926年のこの日に生まれている。 この人、もちろんマリリン・モンローとしての名声があまりに大きくて、初めて本名を知ったときは、ずいぶん変な名前だなと思ったものだった。 自分で言っておきながら、おかしいけど、「変な名前」というのも実に失礼な話ではないか。 でも、マリリン・モンローがノーマ・ジーンのままだったら、あんなに売れなかったかもしれないと思うと、芸名やペンネームというものの持つ威力も侮れない。 誕生日の話題かと思ったら、いきなり命日の話になって恐縮だが、そろそろ「桜桃忌」かい?さくらんぼがスーパーに並び始めたね。近頃は国産が高くて、アメリカ産のダークチェリーの方をよく食べるという人も多いだろうね。 今調べたら、「桜桃忌」は6月24日だった。 この太宰治の本名が津島修治だと聞いたときも、ちょっと違和感があった。なにしろ太宰がペンネームだとは思っていなかったからなぁ。 彼の作品で何が一番好きだったかと聞かれても、かなり困る。 『斜陽』や『人間失格』のような有名どころにも、その昔読んだ頃には、ずいぶんいろんな意味で触発されるものがあったけれど、結構短編にも好きなものがあった。でも、作品名はでてきても、あまり良く覚えていない。 太宰、今若い読者が読んだとしたら、どうなんだろう。僕らが読んだ頃は、まだ時代が「桜桃忌」をニュースにするような頃だったからなぁ。 ここに来るような皆さんにとって、戦後無頼派三人男の中では、坂口安吾が人気があるように思える。僕も一応読んだ。 けど、実は、僕は織田作之助にハマっていたのだ。 『青春の逆説』の初版を見つけて買ってしまったような事実も、今では楽しい思い出だね。高かったけど(でも2000円ぐらいだったかな)、後悔はない。発行された当時の本で読む醍醐味というのもあるからね。 織田作之助といえば、あの息の長い文体がかなり特徴的だけど、野坂昭如はずいぶん影響されたみたいだね。 その、野坂昭如に『マリリンモンロー・ノーリターン』という本があって、同名の歌も歌っていたけど、なかなかメロディーが浮かんでこない。 あ、いつのまにか、マリリン・モンローに戻った。 モンローという人は、亡くなってからも色々話題を提供してくれる人で、さんざん映画や歌の材料にされているなぁ。 「モンロー・ウォーク」という言葉もまだ死語ではなさそうだしね。あ、でも「モンロー主義」はマリリン・モンローさんとは無関係なので、要注意。......なあんて、おもしろくない冗談だった。久しぶりに書いているから、あまり鋭くないのは許して紅の豚。 「ロック・366」によると、モンローの他に、パット・ブーン、ロン・ウッド、ネルソン・リドルも6月1日が誕生日だ。 あと、あの「サージャントペパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド」も、67年のこの日に発売されたということだ。そういえば、87年にイギリスにいたとき、"It Was 20 Years Ago" というでかい看板をロンドンで見かけたっけ。ポールは、"When I'm 64" の中で歌ったように、「ワイト島に別荘作って孫たち膝に乗せている」ような暮らしぶりなんだろうか。 この日はまた、いろんなことがあった日で、あのブルース・ハープの大御所、ソニーボーイ・ウィリアムソンの命日でもあるし、ロバート・ワイアットが背骨を折った日でもある。 久しぶりに『湿布(←これはないだろう)じゃない、 シップ・ビルディング』でも聴こうかな。 あ、サイモンとガーファンクルの "Mrs Robinson" が、67年のこの日にアメリカのチャートで No 1 になってるぞ。1938年には、"Superman" がアクションコミック社というところからでている。あの人、戦前からいたのか。お、75年には、ローリング・ストーンズがアメリカ・ツアーを開始しているではないか。「ロック・366」は本当に役に立ちますねえ。 2005年、6月1日。穴ジョーさん、久しぶりに日記を書く。 みんな驚く。 ********************* そういえば、タイトルに使っておきながら、『帰らざる河』のことは何も書いていないじゃないか。……と思っているあなた。 僕もそう思います。すみません。 でも、映画のこととか、この主題歌のこととか、きっと誰かコメントで書いてくれますよ。そしたら、レス付けますよ。あ、皆さんの横レスも読めるかな。色々期待しちゃいますよ。 やっぱ、楽天日記は楽しいなあ。
2005.06.01
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