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壁 そいつの顔は 心臓がない 棒のような魚を泳がして 蝙蝠に似た思想をもつてゐる 人間に恐怖をあたへるのも そいつのはらわただ くらい くらい くらい 候御葛稔(まつおかつとし・昭和4年11月) 時折に開く詩集があります。それは言葉ではどうにもならないとき、どうにもならなくなるとき開きます。詩は言葉なのかどうかと思います。言葉ではないそんな気がしています。いま。もうちょっと上等のものだ、そんな気がします。
2010.04.30
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今夜は満月でした。山から上がって間もなく、まだ中空まではとどかず、でもゆたかな重たさを感じる月が、そのとき歩みをとめてふり仰ぐ橋のなかばから、よく眺めることができました。 うつすらと水平線の明るみて雲は金色(こがね)の隈取をなす さんねんせい せいちやうなのか なまいきに くちごたへかしら しゆちやうかしら 春雨に眠れぬ夜はほそぼそと寝返りうちて聞く夫の寝息(いき) やれうれし庭の端(は)に咲く猩々袴夫とふたりで見る今朝の春 案内(あない)には京都寺町二条、地べたの書店ですと三月書房の 市営バスにて20分ほど、家の門の鍵を開けて空を見ますと、折からのうす雲が月にかかろうとしていました。今日の昼の歌会の歌友の作など胸にくりかえしておりますと、またうれしきこの夜の月ではございました。
2010.04.28
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この町に生まれて以来住まっていますと、知らず知らずに、この町にかかわりをお持ちのお方々と何処かしらでご縁がかさなるときが多々ございます。 小学校のお友達のお家の別荘だったところが、谷崎潤一郎さんの後の潺湲亭になっていたりしまして、わーい、あそこのお庭では、ままごと遊びをしたしーなど思ったりしています。寒い寒い夜、ステンションのプラットホームにほうり落とされた漱石さんが、カンカラランに乗って、石に出会うとカカンカカランと鳴らしながら着かはった森の中の一軒家も、子供の小学校の育友会で仲良しになったお方のお家やったし、いろんな勉強が肌身に触れてできて、思えば幸せでありました。 最近になってからも、ふいとそのようなご縁がありまして、大事にしなければと思っています。この町がいつまでも、昔のお方のいい夢が残せる、かわることのない、いい町でありますことを。 今日の一首 むらさきのゆかりの色にもえいでし花のえにしの忘られなくに 潤一郎 (昭和三十九年十月)
2010.04.27
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コティは母の匂いでした。母はコテイの粉おしろいを使っていました。そうだと思うのです。コティのまるいポンポン、刷毛模様の箱に入った粉おしろいが、母の鏡台にいつもありましたから。それでわたしは、母の匂いを引き継ぐためにコティを使っています。 母のコティは最初は祖父母が昔の上海で買ってきたものであったと聞いています。最近、日本でコティが見つけにくくなって困っていましたら、アメリカのサウスイリノイ大学に博士留学したかわいい女の子の友達がこちらにあったからと送ってきてくれました。 夜おそく、こんなにしてキイを敲いていますと、そばの鏡台からコティがふと香ります。都合で早くから日本のわが家にいなかった父もきっと母のコティの匂いは覚えていたことでしょう。ありがとう、おやすみなさい。 今日の一首 ねむりのまつぎつぎに顕はるる人形はパラシュートめき顔に流れき 葛原妙子(現代歌人叢書・23)
2010.04.26
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今日は「いちご」をたくさんたくさんいただいた日でした。「いちご」、その色もしたたるつゆも好き。季候不順でしたけれど、今日は4月も下旬に近く、もう出していいでしょ、あの祖母のいうていた、ぎやま(ぎやまん)のうつわを。 ぎやまにはいろいろありまして、キラキラ光を放つもの、明治時代風の色つき、大鉢、小鉢、皿もの、そんなのを見ていますと子供だった頃がそのままの舞台として生きてきます。今日はいちごだから、これがいい、それは浅めの小鉢、すうすうとやわらかい肌にお匙ですくったような飾り模様があります。今で言うならばもっさりしてますけど。 いちごをいただいた君をふくめて3人分用意しました。でも、テーブルに並べてみますと、たいへんたいへん、おばあちゃんも、おかあちゃんもすでに来て座っているのでした。 今日の一首 静物と呼び棄てて来しそののちを夜の白桃のうごくまで知らず 小池 光(「空の歌」現代短歌78年)
2010.04.23
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激しい雨の日でした。折悪しく便箋も封筒も切らしているところに、今日は予定の手紙をどうしても書かなくてはならないことに自分を追い込んでおり、雨の中、気に入りの文房具屋さんへ行くことにしました。 いつもなら徒歩の距離なのですが、午後になって雨脚がいっそうに強くなり、仕方なくバスで行くことにしました。折悪しくそのバスがなかなか来ません、やむなく方向を変えて別の文房具屋さんへいくことにしました。 そのあたりから今日のリズムが悪くなってきたと思います。別の文房具さんにはやはり思った紙を使った便箋がなく、雨の中を仕方なくとにかくその便箋を買って帰りました。でもまあ、好きな万年筆が気分を支えてくれて、思った手紙は書きまして、今日の一仕事は終えたわけでございます。千萬子さんというお方へ。 このような自分一人の都合を書いても仕方がないのでしょうが、日々特筆する記事があるわけでなし、特筆にあらざる記事がおもしろいということになれば、一番いいのではないか、都合のよいことを思いつつおります。このような事を語っておりましたら、いつまでも続くようでありますけれど終わります。 今日の一首 一つ星碍子(がいし)に映り青くあり貝殻のごとかなしきかなや 宮 柊二(「新涼」抄・昭和21年)
2010.04.22
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約束の風蘭をいただく日でありました。いただくお家は近いのですが、そのすべてのお仕事をしてくださる方は、わが家から遠い山奥からきてくださるので、簡単なような、大変なようなことでありました。 状態はそうですけれど、風蘭の引越しは大変な注意を要します。デリケートな植物ですから。山からの若者はなかなか見えません。準備万端整えたわたしは、ひたすらに待ちました。ようやくブザーが鳴ったと思いましたら、その若者は町へ出てきて、一番になんと散髪、髭剃りのおやつしをしていたのでした。なるほど、ひさしぶりに見る彼は男前になっていはりました。 今日は春の声を聞いてから、はじめてくらいの暖かいよいお日和!!、わたしは勇んで彼の車にのせてもらい、いただく先へいそぎました。なるほど柿の木に風蘭が鈴なり、しかし上手にはずした彼は、またわが家へ。 彼は丁寧にしかしながら、すばやく裏、表両方の庭の木々にたっぷり水をふくませてつけました。ありがとうございました。さらに茂った庭木もすばやく刈ったり、開け閉めの具合の悪い門のの戸の車を直してくれたりで大活躍をして山へ帰らはりました。 今日の一首 青き木の実の憂愁匂ふうつくしき壮年にしてめとらざりき 葛原妙子(自選歌集「雁之食」より)
2010.04.21
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とりとめもない夜更け、何とはなしに昔の日記を繰るときがあります。今夜は1995年をふりかえってみています。4月28日のページの隅っこに「人間は自然の作品であり、人類の作品であるとともに、自己自身の作品である。」と書き走ってありました。「ペスタロッチ」と記しています。 「ヤマトトリカブト(きんぽうげ科)属名アコニツムというのは、苦しくないということだが、一瞬のうちに苦しまずに死んでしまうことか。地下の紡錘状の根が猛毒(アルカロイド)を含み、アイヌはこの毒を塗った矢で熊狩をした。」とかは4月17日に書いています。 この年1月17日は阪神大震災の日。2月16日午後10時4分現在、死者5378と記しています。 なお、歳晩の京都新聞に島田修二が「叙景歌が偽装された恋歌である、というようなくだりは、フランス人を大いに驚かせた云々」と話しているあたりは、また拾い読みしていて興味をひきました。 今日の一首 家兎の眼に熟れてゆく死よ少年の遺骸のごとくわれは惜しまん 岡井 隆(「死について」15首より)
2010.04.20
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わたしは行動的でしょうか、もしそうでありましたら、それはわたしの辛いときです。どうしてこういう書き出しをしましたのか、今日はこれ以上進まない気がします。ほんとうのところに入ってきましたから、もうやめましょう、きのうのようなうぐいすにはここではあえないけれど、どこかにうぐいすをもとめないことにはこの一夜をこえきれません。 そうでしたそのために先日もとめた鳥類図鑑を開くことにいたします。そこには、三光鳥もおりますし。そうでした、それからそれも今日買ってきました小さい5センチくらいの蝋燭をつけましょう。ちいさい蝋燭は箱入り、どっさりあります。こんな夜のためにです。 マッチもちいさい箱入りを10ほどです。そうそう今日は目高も10匹買いました。そろそろあたたかくなってきて、それもわたしの好きな庭の大甕に湧くぼうふらを食べてもらうためですけれど。買物のお金は先日もとめた鳥類図鑑を加えなかったら、えーと1800円ほどでした。おわり。 今日の一首 暗緑の林がひとつ走れるを夕まぐれ見き暁(あけ)にしずまる 動物舎にひる深きころ西方の窓より日にかがやく兎 手術創なかばまで縫いおわるころ白昼が?々と駆けきたる、憂し 岡井 隆(「詩人の首」他)
2010.04.19
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西の山へいきました。わたしが住む町の西方を区切る山です。その山の中まで入ってきました。もう少しゆけば隣の町です。その峠の一軒茶屋を訊ねてきました。紅いさくらが満開でした。おいしいお茶をいただきました。 お茶をいただいている前の谷からわたしを呼ぶようにうぐいすが鳴いてくれました。しばらく待っていますと、また「ホケキョ」と一声鳴きました。わたしは応えてあげねばと、下手ですけれど「ホーホケキョ」と真似て返しました。すると、今度は連続で「ホケキョ、ケェキョ、ケェキョ、ケェキョ」と早鳴きをしました。わたしも負けてはいられません。「ホヶキョ、ケェキョ、ケェキョ、ケェキョ」と返しました。 一軒茶屋には一人の婦人が居られます。ここで生まれましたとお話しくださいました。お生まれになった頃は、まだ通る自動車もなかったことでしょう。ここからわたしの方の町を眺めて、ようしここから見えるあの大学に入ってがんばるぞとおっしゃって、やがて有名な学者さんになられた方もありましたとか。 うぐいすは今昔、いつの春にも鳴いていたことでありましょう。 今日の一首 芝生あり林あり白き校舎あり清き世ねがふ少女(をとめ)あれこそ まをとめのただ素直にて行きにしを囚へられ獄に死ににき五年(いつとせ)がほどに 高き世をただめざす少女等ここに見れば伊藤千代子がことぞかなしき 土屋文明(「六月風」抄・昭和十年から同十二年まで)
2010.04.18
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やはり真夜中になりました。もう少し早くにと思いながら、一日のリズムというものは変えることができません。一番好きな時間ではありますが、この世にひとりのような、ええ格好してしまって。 いい格好って、生まれた時から一人っ子のお前ではありませんか。はい、そうでありましたが。 さて大騒ぎした傘ありました。昨日の道、逆さ歩きして見つけました。 それから、今日は、友達の画家さんの教室の展覧会へいきました。みなさんお上手です。お上手とほんまに思うのです。好きと思ったお方にわたしたちの会の冊子、一部をもらっていただきました。 それから、友達は国際結婚をしています。夫婦喧嘩は、お互いの国を背負ってやるんだから大変ということも聞きました。なるほどと思いました。 今日の一首 二十四本の肋骨キリストなるべし漁夫は濡れたる若布を下げて 葛原妙子(『雁之食』所収)
2010.04.16
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今日は好きな雨傘をどこかへ置き忘れてしまって残念。あした2,3訊ねてみようと思っています。高価なものではありませんでした、でもそんなこと関係なくて、割合大胆なでも、締まったカラフルな模様のゆったりした広さ、大きさというのでしょうか、そういうところが好きでした。軽さも。 わが家へ畑からとりたての野菜を運んで来てくださる女性が、わたしより若い女性が、あるときその雨傘を見て、わたしも欲しいっと叫んでいたことがありました。わたしはその女性の運ぶ野菜が大好きなのですが、思えばその野菜カラーであったかもしれません。いい緑とトマトの色もはいっていましたっけ。 これから雨の季も近く、出てこなければ新しい雨傘を探さなくては。失ったものは確か、ベトナム製でありました。 今日の一首 ヘンドリック・ドウフの妻は長崎の婦(をみな)にてすなはち道富丈吉 (だうふぢやうきち)生みき 齋藤茂吉(「つゆじも」所収)
2010.04.15
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うちの大工さんが来なくなってから半歳以上が経ちました。何ですか遠い吉野の山の奥にいますとか。うちの大工さんはドイツの人です。えらい人です。でもとても貧乏、でもとてもとても立派な木造建築家です。 わが家の階段は急で危なかったのですが、もう二十年も昔のクリスマスの夕ぐれに、突然、長い黒い細い柱のようなものを脇にかかへてやってきて、表から「クリスマス、プレゼントー」と叫んで、とっとと階段に向い、たちまちに立派な手摺にして仕上げてくれたのでした。 その木は、彼が仕事をしていた農家から出た廃材でありましたとか。すっごく艶のある木でした。現在、すっごく黒光りしています。わたしも落っこちる心配がなくて長生きしています。 階段は長かったので、寸法がやや足りなくて、他の木を足したのですが、それがいささかも違和感のない継ぎ具合、撫でてもわからないのです。 このごろ来てくれないので、寂しくてブログに書きました。ボツボツ表の戸の開け閉めがしにくくなっているのですが。 今日の一首 愛されず 人を愛さず 夕凍(じ)みの硝子に未踏の遠雪野みゆ 葛原妙子(『薔薇窓』所収)
2010.04.14
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欲しかった鳥類の図鑑を手に入れました。重い、すっごく、そしてすべすべ。嬉しいことは対象となるさまざまな種類の情報、名の由来にはじまって、象徴、俗信、寓話、伝説などを網羅していることです。 必要あって、すぐ調べたかったのは「サンコウチョウ・三光鳥」。和名のその由来は月(つき)、日(ひ)、星(ほし)、ほいほいほいと鳴くところにあります。姿は見ていませんが、わたしはその声を幾たびか聞きました。 静かにゆるりとして、わたしはそのことを折にふれ、物語っていきたいと考えています。 今日の一首 春を断(き)る白き弾道に飛び乗つて手など振つたがつひにかへらぬ 二月廿六日、事あり、友等、父、その事に関る。 齋藤史(「自選100首」より)
2010.04.13
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今日はこの地の春の「をどり」を見に行きました。2,3年見に行きませんでしたので、春を唄うその声、その手振りを眺めていますと、やはりこの地の子でございます。まぶたが熱くになりました。よい席をとってくださったお知り合いにも感謝せねばなりません。 帰りがけには、いっしょに連れ立った娘と、もっさりしたこの地のもっさりした親戚の蕎麦屋に立ち寄りました。そしてただいま、思い立ってもっさりという言葉を辞書に探してみました。辞書には「気がきかないさま、みばえのしないさま、毛が厚くはえているさま」と書いてありました。そうかなあと思っています。 今日の一首 宿かさぬひとのつらさを情けにて朧月夜のはなの下ふし 蓮月尼
2010.04.12
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友達が置いていった原稿を読んでいます。静かだな、いつものリズムです。リズムが還ってきてよかった、そう思って嬉しくなりました。一番大事なことでしたから。 昨日、いつものように近くの大学の植物園にいって、何気なく見た樹木の名札に原稿に書かれていた樹木と同じ名が読めました。ふと原稿にこの樹木をもう一度見たい、探していると書いてあったことを思い出しました。そうだ、教えてあげようとわがことのように嬉しくなりました。 思い出は大事なものです、できるなら、人様の思い出も大事にしてさしあげたい、さしあげられるとうれしくなりました。 今日の一首 散りがたの花の匂へば人間のわれにもなにか添はねばならぬ 中川幹子(『夕波』以後抄)
2010.04.11
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壁 そいつの顔は 心臓がない 棒のやうな魚を泳がして 蝙蝠に似た思想を持つてゐる 人間に似た恐怖をあたへるのも そいつらのはらわただ くらい くらい くらい 『爬虫類創世記』19ページ 古い本はしろうとが糊をつけますと、固くそりかえって棚から摺り落ちて来ます。今夜もその中からひろってブログに使いました。あたたかい夜です、あしたはまた雨なのでしょうか。 今日の一首 韓(から)ひとの衣(ころも)染(し)むとふ紫のこころに染みて思ほゆるかも 万葉集(上巻四相聞)
2010.04.10
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「温泉」というところへいってきました。日本海に近くです。その字、そのものだけで考えていますと、何となく疎外感がありました。でもいってみますと、気持ちがよいところでした。特に宿をえらんでくださったからであることはわかります。 それだけではなく、その地の近くの大きな神宮へは、幼い時にいった証拠が残っています。それは歴然とした母、祖母との写真として。ですから帰路その温泉に立ち寄ったかも知れない、でも記憶はまったくありません。 ですから、そういうところへいくことは、初めから奇妙な気がしていました。そして実は行ってみたいと長年思っていたところでもありました。何かしら行くべくして行ったところであったようではあります。 連れていってくださったお友達たちは、わたしの運命をつかさどる神様であったかもしれません。思えば日々とはそういうものかも知れません。 今日の一首 夕べより青みどろなす空のいろうつそ身響く青きそのいろ 宮 柊二
2010.04.09
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市役所前のホテルにての歌会、このあたり古きよき景が程よくに保たれていることを肌に、まなこに感じます。思えば市役所もやがてその一つとなりましょうに。 春あさき光のよりて白き花ひえびえと咲く病院の庭の 絶え間なく降(お)りくる雪よ漆黒の果てなき宙へ我を誘う ほいないとき想う「夢はいつもかへつて行つた」ところ 今年は春の風信子忌 竹やぶにわがもの顔のブルドーザーいずこに歌うか春告げ鳥は 夜おそくすだれをたたく風の音桜のつぼみ朝ひらきをり 三輪車芝生の真中で伸びをしてあの子まってる桜色の朝 出雲路を女童の手とりすすみをりおほき社に四つの手をうち 夜更けて、この時間になりますと、やはりに冷えてまいります。灯油の残りを足していま火をつけました。こんな仕草もはや何となく懐かしく思われる夜でこそございます。 今日の一首 思ふこと更にも成らず枇杷の樹の落葉の春に逢はくさびしも 長塚節(『アルス名歌選第十四編』)
2010.04.07
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電気自動車がそんなに珍しいのだろうか、今、テレビで報道していますから、ブログに書くことを急に転向して、専門家でもないのに書き始めました。多分、現在は違うのでしょうが、なんだか昔、馬力の無さの悪い印象がありまして、やはり自動車はガソリンの匂いをさせなくっちやと、また、その音を思いやったりいたします。 それとスタイルも悪そうであります。わたしはあのガソリン車のエンジンのかかり具合が好きであります。どうでも電気自動車をつくりたいなら、わたしは何も反対することが目的ではありません。悪いことではありませんから。 ガソリン車に劣らない、ある種の重たさを持った、走行時タイヤが地に吸い付くような、それ以上のものをつくってください。未来のために期待いたします。 今日の一首 異臭ある黄金の食餌をめでむとす デンマークのチーズ一きれ 葛原妙子(『雁之食』より)
2010.04.06
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わが家から北、大きな池の周辺の桜の下の原っぱで、お弁当をいただいてきました。今日までの寒さ、時ならぬ雪にもめげなかったさくらはこの上なく美しいことでありました。 その後、池を囲む山のひとつにのぼりました。山に美しかったのはつつじでした。のびのびと背が高く、やわらかなその紅い色は春であり、次にくる夏をさえはやに感じさせる色でありました。 真下の会館では何かの会合でしょう、管楽器の音がはなやかでありました。みなみな幸せでありました。 今日の一首 うかれきて花野の露にねぶるなりこはたが夢のこてふなるらん 大田垣蓮月尼(『海人のかる藻』春部 蝶)
2010.04.04
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世の中はさくら、さくらです。久しぶりのお天気、まだちょっと寒かったけれど、午後暖かい日射しがさくらの花に照りました。耳のお医者さんに週2回通っています、その帰り道の疏水べのことでした。 帰宅し、中に入るまでに表の生垣の下を見ましたら、大分、沈丁花の散り花や枇杷の枯れ葉が散らかっていましたので竹箒を持ち出して来て掃除をしました。そのときでした、石垣の下部の石の狭間からひと筋の青い草の茎のようなものが見えて、あっと息をのむ思いに、いま一度、見直しましたのは、それは桜の一輪ではありませんか、青い葉もつけて、蕾も一つ。 数年前までわたしの家の表庭には大きな桜の樹がありました。表通りに傾いて危険でしたし、ちょっとしたこともありまして、町中での生活のかなしさに、わたしは手を合わせて伐ってもらったのでした。それが、どうでしょう、土の下で生きていたのです。そして、こうして、石垣の間から細い茎をのばし一輪の花を咲かせたのでした。わたしの胸には、いま不思議な鼓動がうっています。 今日の一首 大根の葉に差しそめし月かげに我はゆまりすゆたかなる夜よ 高安国世(『真実』より)
2010.04.02
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沼杉という植物にいまこころを惹かれています。沼杉は温湿な沼地や川辺などに生育し、樹齢は1500年に達することがあるといいます。根から高さ1,5メートルにもなる呼吸根を直立し、それが水面から顔を出して、特異な景観をつくります。 近くの大学の植物園の沼で日ごろから見ている樹です。ちょっとこころするところがあって今日は図書館で調べてきました。午後7時、閉館近い読書室は人も少なくなりました。帰路、やや小雨、小雨の中のさくらは9分咲きでした。 今日の一首 たらの木のもゆらくしるく我が藪の辛夷(こぶし)の花は散りすぎにけり 長塚節(「アルス名歌選集」より)
2010.04.01
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