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すっきりしないことを、我慢する、そういう芸当が幾分できるようになりました。そういえば、自分は社会へ完全に出たことがなかったかも知れませんね。 思えば情けない、思えばしあわせ、少々のことをしているらしいと思っても、社会へ身を投げ出した人から考えれば、なんでしょうこれは。自分の好きなようにしかしていないではありませんか。それでまあ、ご飯をいただけているということは、ご先祖さんのおかげ。 雨風防げるという、根本的な根拠がまずありますし。しかし研がれているということは、そんなにいいことなのかな。生誕以来の反省のように今考えています。そんなことをしていて、今日は宿坊の月参りのお坊さんをすっぽかしました。さそわれて、ちょっと出かけた間にお坊さんが見えて、ポストに置手紙が入っていました。「1時にまいりましたがお出かけのようで、また、3月にまいらせていただきます。」と、嗚呼。 28日は初代の祥月の命日でした。堪忍してください。南無阿弥陀仏 今日ちょっとしたことに、気持ちがふさがっていまして、大失敗をいたしました。 今日の一首 かにかくにものは思はずこの春のこの冷ややけき嬉しさに居む 尾上八郎(『永日』明治42年)
2010.02.28
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ささやかな仕事の2400字を書き上げてほっとしています。何事も自信がないのにやっている、そうかもしれません、いや確かにそうです。でもそれが生きていける種になるなら、ご飯の種になるなら、どんな恥でもかきます。いえ生きるためにがんばっていることなら、そんなに恥ずかしい恥にはならないと思いますから。 あしたの予定が出来ました、いましばらく、時間をください。このたのしさに。 今日の一首 砂の溜まるひとところありて迂回なすみづは優美なる思惟もてるなり 山城しづか(「水の思惟」より)
2010.02.25
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このごろ何故か地下鉄を避けて地上を走る車両にのっています。今日も二条城前までバスでした。人間はといいますか、自分の変貌を自分が知ることはむつかしいです。よくわからない気候の変動も同じ、あたたかいひと日を、オーバーやカーデガンをまるめて、いずれにしても格好悪く歩いた一日でした。 ただ時刻(とき)は静かに過ぎよ点滴を見守(まも)れる日々に聴くクリスマスキャロル 身にまとふ祖母の形見のお振袖晴れの日近き娘(こ)は笑まひして 電話より聞かゆ元気な泣き声にこみあぐるものあり初孫(ういまご)は生(あ)れ 「知覧」の地飛びたつホタル悲しからず若き命の生き場所求め 膝にのせ息子がオシメ取り換える慣れた手つきではあいどれどれ わが乙女壁にはりたる世界地図いくたびおつる婆娑羅婆娑羅に (みんなの歌でした。) 歌うとは、なんだろう、わたしは思うのです、それは息をすることよと。息をしていると何だか楽ですね。楽だから歌うんですと。ああそうでした。ほっとして、今日一日が終えられそうであります。楽なように生きればいい、地下電車を避けているのも、ひょっとしたら地上の方が楽だからかなと思ったりしています。 今日の一首 水たまりまたぐ瞬時にわが影が写れり空を飛ぶかたちして 浜田康敬(『望卿篇』)
2010.02.24
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今日、家からそう遠くない、でも近くないところの屋台の店へいきました。そこだといわれた場所がいきたかったところであったからです。そこは近くの大学の女子寮が昔からあるところで、何故か寮以外の建物はいまだにありません。 屋台はなるほどありました。不思議な異国情緒がいいようであります。気に入りました。しかしわたしはそこが目的ではなかったのでした。よく名前のわからないものを、注文してくださったものを、それでもおいしくいただきながら、此の場所のちょっと昔の話をしました。 ここには大きな桐の木があったはずです。そのころ小さなお家があって、それでたくさんの猫をお飼いの品のいいおばあちゃんがいらしたのでした。わたしはここが好きでよくここへ一人で来てはおばあさんと猫の様子をじっと長い間、見ていました。 おばあさんの小さなお家と猫たちの上にはいつも大きな桐の木がかぶさって、夏のはじめになりますと、紫色の花がいっそうあたりを美しい不思議なべールにつつむのでした。いつからでしたでしょうか、桐の木もおばあさんも、小さなお家も、勿論、猫たちも掻き消えるようになくなりました。 わたしは誘われて、そういうところだったから、屋台へ今日は行きました。おばあさんと猫と桐の木の幻にでもいいから逢いたいために。 今日の一首 年ながくもとめもとめて思ふ事なき日となればまたもさみしき 尾上柴舟(『永日』明治42年発行)
2010.02.22
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昨日、お出会いしたお方にメイルを書いているうちに、今夜も夜更けとなりました。いまから簡単にブログを書きます。あまりしばらくでびっくりするような話題の上でのお出合いもあったのですが、しみじみと書きたいのですが、少しだけ書くことにします。 その昔、女の子は裁縫教室というとろへ大方は通わせられたものでした。それにお茶、お花のお稽古も付随しておりました。お嫁入り支度ということでしょうか。その一つ和裁教室でごいっしょだった方の近頃のご様子をふとうかがったのでした。 その方のお母様がすぐれた歌人でいらっして、実はわたしは女学生時代から短歌をしていましたので、恐れ気も無くその方に託して短歌を見ていただきました。そして感想もうかがったものでした。 その方、お元気らしくてよかったと、はるかにご多幸を喜んでいます。世の中、いろいろありましても、純粋に生きることの大事さ尊さを思います。自分もこれでよかったのかと。 今日の一首 巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ思(しの)はな巨勢の春野を 万葉集巻一・五四
2010.02.21
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子供のころから姿勢はいい方で、朝礼のあと、各教室へ整列して帰るのでしたが、受け持ちの先生に背中のまん中を、すうーっと撫でられて、みんなに「○○はいい姿勢だ」といわれたことだけが、いまだにたった一つのわたしの自信につながっています。 先生ありがとうございました。卒業式の後、教室へ帰ってからの先生の最後の一言も忘れられないものとなっています。そのお言葉は「いま、たったいま、ここで起立、礼をしたら、再びクラス全員が揃うことは絶対にない」と。「世の中とはそういうものだ」とも。 全くそのとおりでありました。先生、いまは、どこで、いかがあそばしていらっしゃるのですか。先生、それから一度もお会いしていませんね。 今日の一首 クリスタルのかけらをあはせゐたりしが燦ぜんと木の葉ひるがへりゐる 葛原妙子(『原牛』より)
2010.02.19
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今夜の月は魅惑的でありました。下弦の月でしたが西方に低く、黒ずんだ濃い朱色が素敵でありました。東方の山の下でバスに乗車するときから、わが家に近く下車するときまで窓の同じ視点について来てくれました。 帰宅後、締め切りの迫る原稿を書いています。このシーズンは税理士さんからの書類の催促もあり、こころが急かれますが、今宵の月はひとときのありがたい慰めとなりました。 今日の一首 神ならばゆらゝさらゝと降(を)り給へ 如何なる神か物恥(ものはぢ)はする 梁塵秘抄(559)
2010.02.18
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これは中高の学校の教師方が読まれるのでしょうか、わたしには初めてでしたが、楽しい、自由な国語教育に関する本をご縁があって、手にしました。 そこにわたしの友人の一人が詠んだ短歌がとりあげられていました。こういう形で短歌を見たことがありませんでしたので、とても興味がありました、そして嬉しいことでした。 私の友人は先生です。その先生が詠んだ歌が、がばっと1ぺージの大きな舞台に、それも、1首、どまんなかに載せられているのです。とりたてて、教育的に歌おうとした歌ではありません。その先生の受け持ちの部屋に訪れる、訪れたいと願う、いくたりかの生徒のこころの揺れが実によく、結果として現れた短歌作品なのです。先生も純な方、故意になればここに書きません。驚きません。 わたしには教育はわかりません。でも、このような短歌を詠む先生のまわりにいる生徒の幸せを思うのでした。またそういう形に掲載されたお方に感じ入っています。 短歌の役目は、互いに分かり難い気持ちを、まだ共通の言葉の無かった時代にでも、短歌という形にすれば、そうすれば伝えられた、短歌とは古来そういうものであったのではと、たしか、いつか、どこかで、読んだ気がいたします。 今日の一首 ここはどこどこの細道白き黒き血の満月の照る歌の道 佐佐木幸綱(「ここはどこ」より)
2010.02.16
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ふと開いた1995年2月14日の日記、此の年は阪神大震災の年でありました。Mさんが避難している小学校がわかって、必需品を送ったことを記載しています。便箋、封筒、梅干、ジャムなど・・も。彼女からは「朝少しの水で顔を洗って、今日もすっぴん。」などと、でも彼女らしい元気いっぱいの手紙が来て、そうだ化粧水を入れなかったなどと思ったりしたことも書いています。 しかししかし、わたしに何が出来ましょう、彼女はそれから数年、命を断ちました。ずーっと前、歌人集会の集まりで遠出したとき、靴下が破れたのに、換えが無くて困っていたわたしに、「ほらっ」と自分の換えを投げてよこしてくれた人。ああそんな貴女にわたしは何が出来たでしょう。ごめんなさい、手を合わせて、開いた日記を閉じるしかありません。 今日の一首 オブラートを一枚、一枚、散らすとき確かなものは‘死‘それだけ 黒崎由紀子(『アジタート 夏』より)
2010.02.14
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廊下、廊下には昔から、興味があります。ご縁のあった詩集に、「廊下」と題する詩があります。少々長くなりますが記します。 ひとつの廊下がある 幽霊のはらわたのやうにうねうねと曲つてゐるひとつの廊下がある なめらかでぴかぴかとみがかれてはゐるが その上をすべるくるまの音が梟の羽ばたきのやうにさびしいながいひとつの廊下である うす暗い灰色の壁につつまれた死体室へつづいてゐるひとつの廊下である 病室のベツトの上から毎夜毎夜ながめるひとつの廊下である 夜ふけになると 病室の窓からこつそり顔をだして 私はぴかぴかとみがかれたその廊下にやせさらぼけた顔をうつしてニッとわらふのである 死体室の天井にぶらさがる蝙蝠の石のやうな歯ぎしりや 死体室の天上裏を散歩するねずみの足音が その廊下の上をあるいて私の病室へ遊びにやつてくるのである ぐつすり寝こんで思ひがけなくも眼をさました夜中 時とすると廊下の上をすべつてゆく死体運搬車のひびきと 付添の看護婦のしめやかな衣ずれをきくことがある。 私の病室の窓の外をすぎてゆくその車の音がだんだん遠くなり 遠くなり やがてひとつの狭い扉のなかへすひこまれてしまうと ひつそり沈みきつた静謐のなかに 私は病室の窓から廊下にうつる私の顔をながめるのである 私はこの廊下をながめてゐると不思議な興奮さへ感ずるやうだ いまでは幽霊のはらわたのやうにながいながいこのひとつの廊下が 私の唯一の力であり信条であり親友となつてしまつたのだ 廊下よ 毎夜毎夜 私はおまへに私のみすぼらしい黄色い心臓をあたへてやるだらうよ 『爬蟲類創世記』候御葛稔 今日の一首 ちゃんねるX點ずる夜更わが部屋に仄けく白き穴あきにけり 葛原妙子(『憂犬』より)
2010.02.12
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暫らく書かなかったわたしの金魚の近況を少し書かせてもらいましょう。金魚?と、わたしといっしょに甕をのぞいたお方はおっしゃってくださいます。そうですね、わたしも実はそう思うのですが、金魚屋さんから買ってきて6年近くなりました。びっくりするほど大きくなりました。 玄関の引き違い戸を開けた右手に、甕に入れて置いてあるのですが、わたしの出で入りを良く知っていて、寒い冷たい朝でも浮き上がってきて見送ってくれるのです。?でもそう思えるのです。それで急いでいるときでも、言葉をもたないものを、裏切ってはならないと、餌の麩(ふう)さんをとりにもどって、「金(きん)ちゃん、魚(とと)ちゃん」と、呼びかけて遊んでから出かけます。そのため、時間に遅れそうになって何度かタクシーに乗ったことでしょう。 いまは寒いですから、甕にダンボールを巻きつけていますが、やがて春、甕の厚着もとりはらって、彼?、彼女?も生き生きと水面に浮かび出ることも、やがてにであります。 今日の一首 投げ捨てて来し花なりや論なりや生き急ぐ今日明日を匂うは 佐佐木幸綱(「歌」)
2010.02.10
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山寺を一人で守るお友達、雪が降りますと、そんな日に訪れる数人のわたしたち友を迎えるために、歩きやすいように雪を掃き寄せておいてくださって、ありがとうございます。 ご主人のご住職が亡くなって数年は、泣き暮らされましたね。でも少しずつ元気になられて、いつ訪れても塵一つないご本堂、そして、お台所とお客間を小走りに行き来してわたしたちの接待をしてくださいます。 この月うかがったときは、前日の雪が庭に残って、軒からは氷柱がさがっていました。山手の小高さの地に建つお堂、かたわらには鐘楼があります。見晴るかす一面の田の向うはまた、山また山、時刻にはみづからに鐘楼に上がり鐘をつかれる友であります。 何年前でありましたでしょうか、ご住職が鐘をおつきになるお姿に行き逢ったことがありました。いま我が友が同じ姿につく鐘の音をしみじみと聞くのであります。その鐘の音にしたがって、村人は暮らしの段取りを立てられますとか。合掌 今日の一首 蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代(よ)過ぎぬ 、宮 柊二(『日本挽歌』)
2010.02.09
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きさらぎのこの夜、祖母の作ってくれた粕汁を思い出します。材料は酒の粕、煮干のおじゃこ、油揚げ、おだい(大根)、にんじん、芹など、そして七味を少々でした。 祖母の時代の料理屋さん、まだ、いわゆる本にするなど珍しかった時代、祖母の贔屓のお人が書かれた、「粕汁」が祖母の粕汁につれて思いだされます。 「歌舞伎の擬音は、気づいてみればなかなかよく出来たものである。しんしんと雪の降る光景を大太鼓のドン、ドンという音に浮び上がらせる。京都はあまり雪は降らない。ただ独特の底冷えが凍てつくように体の芯を冷すことがある。こんな日の夕餉の粕汁、両手で合掌するように持つ椀の暖かさ、唇の当たる木椀の漆の柔かさ、すーとした白に浮かぶ赤と緑の色どり、芹の香の伝える春の便り、京の粕汁は汁を楽しむ。」 それは、祖母の粕汁そのものでありました。 今日の一首 鳥にあり獣にあり他(ひと)にあり我にあり生命といふもの何を働く 宮 柊二(『独石馬』より)
2010.02.08
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何となしに、このごろわが町のJR駅から自宅に帰るときは、地下鉄に乗らず、17番バスで帰るようになりました。理由は自分でもわかりません。考えなければならないことでもないでしょうが。 バスは昔からのひたすらに見慣れたメインストリートを文句なしに北行します。途中、2ヶ所、書いておきたい場所があることが、今日のブログの目的でした。 ひとつは自分が生まれたところに近く、昔は見えていたカトリック教会の聖堂のことです。わが町は碁盤の目に仕切られています。聖堂はその碁盤の一区画をすべてにして、明治22年に建てられたゴシック式の立派な姿でありました。正面、入り口の上には大きな字で「天主堂」と書かれてありました。 わたしたち、近くの住民は大人も子供もこぞって「天主堂さん、天主堂さん」と呼んで慕っておりました。わたしの祖母などはその北側の小路を「てんしょの図子」とさえ呼んで親しんでいたのでした。でも現在はその姿はありません。その一区画は大方がホテルになり、現在の聖堂は影にかくれています。わたしはそこを通るのが、本当はとっても悲しいのですが、でも通りたいところであるのでした。ちなみにわが町に切支丹寺ともいうべき天主堂がはじめて現れたのは、永禄3年(1560)のことでありました。町のまんなかあたりの古い一軒の民家であったといいます。 いま一つやや北に離れて、これもバスが通る位置に大きな仏教寺院がありました。そこは現在、町には近いですが北西の地へうつされたのでしたが、あとには大きなマンションが建ち、墓地であったあたりのことは秘密のようになっています。悲しいことにお役所のお役人さんも隠し立てをしておいでのようです。そこは何を隠しましょう我が先祖の墓地ではありましたのに。 今日の一首 人間はかくの如くにかなしくてあとふりむけば物落ちている 山崎方代
2010.02.07
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今日はちょっと遠出をしました。自分の町の駅を出てしばらく、トンネルを過ぎると渓谷にかかります。渓谷に沿うてまた幾つかのトンネルを過ぎながら、思うことがあります。このあたりの山でしたか、遠い日、杉苗を植えたのは。 それは女学生のころ、1組40人として、1学年、5組があったわれわれが植えた杉苗は、いまトンネルの合間、合間に見える山々にそれぞれに1本の杉となり、大杉となってまだ存在するのだろうか。いえ、そんな夢のようなことはあるまい、市立校だったわれわれの学校の奉仕活動として行ったこと、早くに市のために活用されている、そんなふうにも思います。 それをどうこういうのではなくて、ただそのときの小さな杉苗のやわらかい感触の懐かしさ、教えられた大きさの穴を掘って、しずかに土を盛りかけたとき、小さな苗だった杉の柔らかいふるえるような動き、わたしのその一本は、その日以来の歳月をどのようにして、雨の日、風の日をすごしたのだろうか、その大きくなった姿を見たかった、そんなことを欲得もなく思いつつ、渓谷のレールを走る列車に身をまかせていたのでした。時間とは何であろうかとも、掴みえぬ不思議を思いつつ。 今日の一首 年代記に死ぬるほどの恋ひとつありその周辺はわづか明るし 上田三四二(「黒き序章」)
2010.02.05
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今夜は早くやすまねばなりません。明朝早い列車に乗り遅れるわけにはいかないからです。それがつらくて話しているわけではありません。むしろ楽しく純真な人達に遭えることが嬉しいからです。 さてそれで今夜は或る雑誌の書き留めたい部分を少しうつし書きしてお仕舞にしょうと思います。昨日の忘れたい一人を忘れるためにも何かした方がいいからです。 それは「大江健三郎の<キーワード>○ 引用」の一部です。「大江氏の文学にリアリティがあるとすれば、たぶんそのバロック的引用法が人間の歴史にずっと底流してきた引用の矛盾と両犠牲を、過激なまでにグロテスクに傾くことをもあえて怖れず、一つの文字空間のなかに一挙に解き放ってゆくことにある。引用それ自体が非系統的に行われて、この大江的空間には何でも引用することができるのだ。」 誰も見ていまい、もうやすませていただきます。昨日から遠くなりたいです。 今日の一首 基督の 真はだかにして血の肌(はだへ) 見つヽわらへり。雪の中より 釈 迢空
2010.02.04
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家業という言い方は変かも知れませんが、職業となる原稿に追われて、今日は暮れて、今夜も新しい日となってしまいました。なんとなく昨夜からの『趣味の比叡山』を読んでいたせいもありますが。それは結局は取り返しのつかない比叡の自然を懐かしむことにはなるにすぎません。 昨日かかわったことでは、一つの歌会でちょっと話に出した寺山修司の絶筆「墓場まで何マイル?」の最後の部分を、みずからの反省として書き写すことにします。「あらゆる男は、命をもらった死である。もらった命に名誉を与えること。それだけが、男にとって宿命と名づけられる。」ウイリアム・サローヤン 今日の一首 すこし血の滲む包帯垂れ下がるのみにて窓の外に空なし 福島泰樹
2010.02.03
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玉蟲、ふと思って今夜は玉蟲のことを書きます。もともとは先ほどから『趣味の比叡山』をぱらぱら繰っていて、ふととどまったページが「玉虫」であったのですが、わたしは「玉虫」を持っています。 持っているという表現はふさわしくないように感じますが、事実は、もう10年も前の夏、わたしどもの短歌誌夏号の合評会が、比叡に近い三宅八幡宮であったときのことでしたが、仲間の一人がわたしのてのひらにふと、のせてくれた綺麗な蟲の屍骸がそうであったのでした。 それから、わたしはその玉虫をシャーレに入れて小棚に置きに折りに触れ取り出して眺めています。『趣味の比叡山』には、「玉虫は形貌と色彩との美を兼ね備へた甲蟲で、古来婦女子の間に愛好せられた。此の蟲を貯えると人をして相愛せしめるといふ支那伝来の俗説は、高貴の婦人にまで本蟲を白粉函に秘蔵せしめるの風習を生じ、又一般に之を箪笥の中に仕舞ひ置けば、衣類が殖えるとの迷信も行われてゐる」と見えます。 わたしはなんとなしに、玉虫だけでなく、甲蟲が好きです。 今日の一句 玉虫の光りや死んで後の事 進歩
2010.02.01
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