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整形外科の帰路、自分の町の一番好きな地点に立ちました。二つの大きな川が一つになるところ、その中心点に立つと、自分の姿の全部が見えるような気がします。わたしは一つの町を離れることは無かったですが、転居はいたしました。 橋の真中から北を向いて右手の一番高い山の中の一軒家に小学校一年生のとき一年間暮しました。健康上の都合でした。でも、なんですか、そこで人生の基礎を築かれた思いがいたします。幼ごころに素敵でした。それから市中の本籍地に帰り結婚後、二つの川の中之島に当たる部分に住まいました。大きな木犀の木が沢山ある家でした。それから、ふりむいた東南の山のむこうに少し。 そしていまは、立っている地点の真東の山の下です。 今日の一首 山の上にたてりて久し吾もまた一本の木の心地するかも 佐佐木信綱(『豊旗雲』昭和4年刊行)
2010.09.30
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「草原と馬とモンゴル人」という本が多分、やがて届くでしょう。一度訪れましたけれど、もう多分訪れることはないでしょうお国をゆっくり本の上に確かめたいと思います。 わたしは好きなことしか出来ない人です。誰しもそうでしょうけれどわたしはそうなるように生きてきました。男なら出世しない人であったでしょう。女でもいまはそういえそうであります。 わたしは好きな時にアイスクリームを食べたかったです。いま、大方、その希望がかなっていますけれど。 今日の一首 おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様(ありざま)をまつぶさに遂げむ 宮 柊二(『山西省』)
2010.09.29
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「身辺の平凡な出来事を日常の脈略の中から切断すること、切断し、一現象を一現象として限りなく孤立させること。その時一現象は解きがたい謎となって輝く。」といってくれたひとがあります。 ひとつの切断もようしないで、くだくだといわないでください。そんなひとが、今一人あります。あなたの勉学には多分切断がないでしょう。 遅くなった夜明けも、雨後の暗さも幾分に晴れを思う朝であります。昨日遭った人、オムライスご馳走さまでした。ソーダ水も。 今日の一首 川くだる舟に沈黙のふかき影・わかく老いたる額を伏せおれ 蒔田律子
2010.09.28
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わたしの町の象山さん、そんな、子供のときからの気持ちを自然に書いて、一つの仕事を終えました。生活のための仕事です。やれやれ、ほっであります。生活ができればいいんです、自分ごときが何が出来ると思いますが、生活のためならできますね。 さて、今日からまた、新しい自分をかかえて日を過ごしましょう。新しいことはいいこと、それだけでも生きる力であります。 そんな自分が明日から考えたい、思いたいと思うことは、「草原と馬とモンゴル人」というおはなしのことです。明るいな大きいな、明日という時は。 今日の一首 たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野 中 皇 命 なからすめらみこと (万葉集・巻一・四)
2010.09.26
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うれしい手紙をいただきました。 遠い国の、遠い事情が知りたくて、お訊ねしたことに、その答えを教えてくださったお礼状を差し上げましたことが、またうれしいお便りとなって、いただくということになりました。 やや解り難いこと、文章であることと思いますが、今日のわたしの、どなたにとはないたより、ぶろぐでございます。かしこ 今日の一首 かの夜半の水の指紋の渦ほどく霜月の魚とほく愛(かな)しむ 百々登美子(『草昧紀』)
2010.09.24
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何年か経ちました。なのに新鮮さを失うことのない、その度合が理知を加えて美しい感度を保つグループです。表現に世間並みの成長は不用、清らかな知性があればと思います。 夕暮れの林歩めば影うごき空へと鴉、羽裏の見えて 朝顔にゴーヤのつるに鉄線の蔓がからみてそれは天の輪 カナカナとヒグラシ鳴いて緑こくけそけそと暮れし夕月の見ゆ へルン旧居 蛇に蛙を食べないでと頼みし庭に白萩の咲く 突然に夜(よる)の虫ごゑ高まりぬ友の訃報を聞けるそのとき 次回10月は、東の山によき荘園をたずねますとか。環境にまた磨かれるものがありますことを。歌うということは、いま一度自分のこころを打ち開く作用をなすものと心得ます。急な気温下降、お風邪をひかれませんように。わたくしたちには楽しい遊びがございます。 今日の一首 葛の花 踏みしだかれて 色あたらしー。この山道を 行きし人あり 釋 迢空(『海やまのあひだ』大正14年)
2010.09.23
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今夜は虫の音がよくに聞こえます。6畳の奥の部屋のまわり、いっぱいです。今は2種類。あっ!壁のなかではカネタタキが演奏をはじめました。ちんちんちんです。一斉に鳴きますと、耳がくわーんとします。 縁の下からこんどはじぃーん、じぃーんと。きゅる、きゅる、きゅるとはやいのも。りーん、りーんは何でしょう。 ところで、今年は曼珠沙華が裏庭に咲きますよ。伊勢の国へいった次女からのプレゼントです。忘れていたことを思い出させるように。ほうつておきましたのに、ほんとうに忘れておりましたのに。土のなかというところはどんなところなのでしょう。凄いお宝のお倉なのですね。誰のためなんて考えてなくて、土の中にはお宝がくるくるまわっていますのね。 はなは考えないと思うのもそんなところです。 虫の音もそうですね。 今日の一首 ストローのくちを離れてひよわなる心のようなしゃぼんだま飛ぶ 蒔田律子(『白鳥の涙を見たか』昭和50年)
2010.09.21
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はなを出さないでおこうと思っているのですけれど、そう思いますとわたしの写真にははながたくさんあります。なんででしょうと思います。でも今日ははなの話しを書くつもりですが、はなの話しをするつもりではありません。ほん、自然で。 わが家の表庭は今、むくげのはなさかりです。よく咲きますねむくげは毎日、毎日。このはなは多分、わたしが生まれて初めて覚えたはなの名でありましょう。家の墓地にありましたから。祖母がそういってました、いいえ祖母は「もくげ」とでしたけれど。 ですから、わたしは短歌のなかにも「もくげ」と書いていました。すると一人の人がそれはむくげの誤りですと教えてくれました。わたしはとても嫌でした。わたしには「もくげ」であります。 今日の一首 古き人杉の根本に酒酌みし壷か藍染む肩の円(まど)けし 富小路禎子(『透明界』昭和51年より)
2010.09.21
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先日市役所へお願いの電話をしました。高瀬川の水流があまり少なくて情けないからでした。まさかまさか、わたくしめがお願いをしたところで、と、思っていましたが、今日見ましてびっくり、といいますより、今日ちょっと確認したいことがあって、高瀬川の一の舟入りの橋に立ったのですが、川を覗く前に何かうるおうものがありました。下を見ましたら、ややゆたかに水が流れているではありませんか。 まさかまさかと思っています。市役所も応答は確かではありませんでしたから。しかしながら、応答に出て下さった方は、不思議に真面目でありました。ご自分の役人という立場の域を出た応答はありませんでしたが、しかし、何ですか、役所前の地下鉄の地下水?を高瀬川へどうやらするとかのお話に、わたしはびっくりしました。理由は地下水は比叡山から年数をかけて京都の地下をうるおしているもの、とんでもない、高瀬川は加茂川から、それがもう駄目なら、「高瀬川ありき」にしてくださいと、いいましたら、そのお役人さんは無言、きっと感性では充分理解してくださったのだと思います。 今日の高瀬川の流れ、わたしが触れたその気配は夢だったのでしょうか。いえ、そうとは思われませんが。加茂川からの古来の水路を、どうか、たしかなものになさってくださいませ。 今日の一首 滝の水は空のくぼみにあらはれて空ひきおろしざまに落下す 上田三四二(『遊行』)
2010.09.19
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そう遠くないときですが、一人の婦人が何に急がれるか、走られる姿を見ました。とても特徴がある駆けっこ姿なのです。あれっと市バスに乗りかけていたわたしは思わす足をとめて見つめました。でも瞬間にその姿は物の影に隠れました。わたしが乗りましたバスは動き出してしまいました。 でも、あの姿はぜったいにYちゃん!!そう思いました。それで帰宅してすぐメイルを届けたのでした。やっぱりそうでした。学窓を出でて幾年、かわりませんね、あの駆けっこ姿は。 というわけで、又それから数年、ふと気まぐれなお便りしましたら、あこがれの鳥、見たこともない「仏法僧」の自然の写真を印刷したお葉書を送ってくださいました。早速、博物図鑑の「鳥類」をくりました。出ましたよ、写真と同じ、嘴、脚ともに赤い鳥、尾の端は黒でありますと。写真はそのようでした。 日光、比叡、松尾鳳来寺などの山中に産す等の言葉も見えましたが、若山牧水は大正時代に鳳来山へ登って下記の一首を詠んでいます。 今日の一首 佛法僧佛法僧と鳴く鳥の声をまねつつ飲める酒かも 鳳来寺山道に
2010.09.18
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涼しくなりました。庭では虫たちが、つづれさせ、つづれさせと鳴いています。つづれは破れた部分をつづった衣をいいます。寒くなりますよ、破れた着物はつづっておかなければ、つづる、つなぎあわせておかなくっちゃ、おかなあきまへんえ・・・祖母の声が聞こえます。 きりぎりすつづれさせとはすだけども 世のつづれをばいかにさすべき 幕末を生きた佐久間象山の歌です。何ですか、歌とは便利なものでございますね。何一つ関係なかった人の姿が少しは見えます。真実というものは、読者に対して訴求力を持つもののようでございます。本日終わり。
2010.09.16
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午後から空があやしくなってきました。締め切りの迫る仕事、折りたたみの傘を用意して強行。97回目になる当地、市中古今の生活を記すための取材です。ありのままの、わかままなわたくしの思いとともにですが。 それも、今回は自分が生まれ育った町の取材です。自分が生まれた家の二軒南は幕末明治期の実業家三井家の別宅でした。昭和期は留守番のおじさん、おばさんしかいなくて、町内の子供はお庭まで入ってよく遊ばせてもらっていたものでしたが、しかしながら改めて維新史蹟(幕末復元図)に従いますと、当地は佐久間象山寓居跡と表示されています。思いますと、そうでした、三井家表正門向かって右にはその標石がありました。三井家の以前はそうでしたか。 改めて確認、この度はさらに佐久間象山、その和魂洋才の大学者の非業の最期を書こうとしています。おそろしや、その歴史的事実に迫ろうというのではなく、わが家系の遠いおばあさんが、若い時代、その受難の場面にたまたま居合わせたというお話しを書こうとしているだけでございます。 今日の一首 松原の松の間に人間がひとり交りて秋のさびしさ 岩谷漠哀(『仰望』大正14年抄・平塚海岸転地)
2010.09.15
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今日は図書館へいってきました。図書館というとなつかしい幼い自分が帰ってきます。生意気に図書館へ行ってくると家人に断って家を出た自分は、そのつもりでしたが、何かしら、その前を行きすぎて動物園に入りました。動物園は子供でも有料です。お金を持っているはずのない自分なのに、無料で入れる口実を自分は知っていました。「〇〇〇へ行きます」と言えばいいのです。〇〇〇は母の母、蕎麦屋の祖母が園内に経営する茶店の名でした。 母方の祖母は突然の孫の出現に大喜びでした。遊びすぎて日暮れ、お家にここへくることをいってきましたかといわれて、はっとし、思わず、「うん」といってしまったのが運のつき、動物園の祖母はわたしを大丸さんへ連れて行き、おもちゃなど好きなものを、いっぱい買ってくれたりしたのでした。 ところで家は上を下への大騒動。店の若い者があっちへ走り、こっちへ走り。しかし、しかし図書館と動物園、わたしはどちらも大好きなところであります。大丸さんも。 今日も図書館へ行ってきました。自分が生まれたあたりのこと、佐久間象山や大村益次郎のことを書こうと思いまして。 今日の一首 おもがげののこる人にもあふやとてさまよふわれをあはれとも見よ 柳田国男(シラー『オルレアンの少女』原書ドイツ語)
2010.09.14
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一昨日、昨日、滋賀県大津へでかけました。近隣であり、折々の通過地点であり、深く気にしませんでしたか、あらためて到着して驚きました、そして感心しました。おとないもせず、昔の面影のままに心にしまっていた大津港は外国船でも出入しそうな湖水の港に変形しておりました。 港に近い旧公会堂でわれわれの会合をすませてから、船上の晩餐会となり、湖上にさまざまな夢を泳がせもしましたがもう少し時間をかけ港からも離れれば、淡い昔のロマンも甦りもしたでしょうか。 晩餐会の間、船が動きましたあたりは、その昔、女生徒同士が乗ったボートが夕波にもまれて、あわや助けられた地点でもありました。 琵琶湖は夕暮など気候の急変するこわいところです。でも、まだ日本が貧しかったわたしたちの時代、ひとつのともし火でもあったような思い出です。あれから幾星霜、若者は誰も誰もが幸せになったでしょうか。 今日の一首 水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき 葛原妙子(『憂犬』昭和57年刊)
2010.09.13
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ブログに掲載する写真のことですが、今朝思いましたことに、これから「花」はあまり撮らないでおきましょうということでありました。大まかな言い方ですが、そういうことで。 こういうことを語る必要もないでしょうが、これもわたしの、後退、進歩、それはわかりません。つまり思ったことはせいだいやっていきまひょ、ということです。ところで、いま書きました「せいだい」という言葉は、自分には使い慣れた言葉ですが、文中にいきなり、ひらかなで書かれても、お判りいただけないお方もおいでになるかも知れません。祖母らからよく、せいだい勉強おしやっしゃと、いわれていましたが。 今日の一首 馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし 長塚 節(明治41年1月「馬酔木」に発表)
2010.09.10
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熱中症というのですか、そういう言葉を近頃よく見聞きします。この日々の暑熱無理もないことであります。たった今からのことは何もいえません、何事も一寸先は闇ですから。しかしながら、何事も自己のない一つの解釈で括られているような社会の一般観念をわたしは嫌います。 自分の環境からいいますと、自分はいま、木造、土壁の築およそ80年の家に住んでいます。夏は襖、障子を出来る限りはずします。畳みの上には籐筵(とむしろ)を敷きます。木造の家といいますものは、戸、障子、襖、さらに、縁側のガラス戸などをはずしますと、家は表から裏まで風は素通りのすっぽんぽん。ゆえにわが家はクーラーを使っておりません。思えば贅沢極まります。 百年前のわれらの町の暮らしはほとんどがそうであったのではないでしょうか。まず家の有り様については、わが家におきましてはそういえるのでございます。 大きなことはよういいませんが、いろんなこと、もう少し、もとへ戻せば、地球も少し楽な息をしてくれるのでは、ないか知らんと思っております。 今日の一首 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や 閑吟集・52
2010.09.08
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明日は雨、台風らしい、秋ですね。日が過ぎますね。それでいいのです。そうでなければであります。 ところで、漂泊者を積極的に詠んだのは折口信夫つまり釈迢空でした。 山びとは、轆轤ひきつつあやしまず。わがつく息の 大きと息を 木ぼつこの目鼻をみれば、けうとさよ。すべなき時に、わが笑ひたり これらは「木地屋の家」と題した十数首のもの、各地を移動して生活する漂泊民と考えられる人々を歌ったものでしたが、迢空はこのような木地屋を明確な意識を持って歌い、みずからもその心のうちに漂泊の思いを秘めて歌を詠んでいます。 一昨日、伊勢へゆき、山を越えれば近江というあたりまで行きましたが、そのあたりの山あいに美しい木地のお椀、お盆を求めた祖母の話を懐かしく思い起こしたものでありました。それらの椀、盆は宝としていまわが家にあります。 今日の一首 旅を来て 心 つつまし。秋の雛 買へと乞ふ子の 顔をみにけり 釈迢空(『春のことぶれ』)
2010.09.07
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ようやくに、伊勢の国から帰ってきました。滋賀と伊勢の県境には比較的険しい山が横たわっています。昔はその峠の境で相撲が行われました。勝ったほうがその歳、豊作であるということでした。 相撲は知りませんが、田で使う馬同士の競馬は最近まで行われてをり、わたしも見たことはあります。四肢の太くて短いお馬さんが走る様子は足音も高くて、威勢のいいものでありました。村のお方々、一升瓶を木箱詰めで持ち込んで賑やかなことでありました。 わたしは伊勢とは所謂お伊勢さんと呼ばれる伊勢神宮とか二見ヶ浦あたりだけかと思っていました。ですが、三重のあたり、滋賀との県境の山まで何処までいっても駅名は伊勢なんとかでありました。次女をそのあたりへお嫁入りさせているのでしたが、まさか伊勢へお嫁入りさせたとは夢にも思いませんでした。歴史など知らないわけでもなかったのに。日常とはのんきなものです。とにかく、この熱いさなか、伊勢まで行って来たのでありました。 今日の一首 あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ 小野茂樹(『羊雲離散』出版2年後急死)
2010.09.07
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短歌の素材は何でもあり、われわれのこころは実に奔放で気まぐれ、法律や倫理に従って言動を律することはできるでしょうか。しかしながら、そこで問われるリスクをどのように相殺できるか否かが、何でもありにかかる命であり、絶対の条件、その質を問われるところでしょうが。 夕立を貰らいし朝の稲の葉に列なし光る玉・玉・玉 それほどにせわしく鳴くな日は高い切なく鳴くなつくつくぼうし 畦にかけむぎわら帽子で風誘うぬぐい切れない汗は流れる 風やんでひときわ赤き陽ぎざぎざの山際そめてふっと消えゆき 絶品のなすとにしんの炊き合せ残暑をのりきるスタミナ料理 一日中首からタオルぶら下げて無為に過ぎゆく 絡まる猛暑 まーちゃんはブルーのつなぎで稲を刈るその姿見し親は笑みおり たったいまのすてきな思案はなにだった 苺酒のグラスふわつと揺らす 残暑きびしい、一室、六人の言葉がそれより熱い、二名は欠席、欠席の一人は稲刈りのためでした。 今日の一首 野のひろさ吾をかこめり人の世の人なることのいまは悲しも 片山広子(『野に住みて』昭和29年刊行)
2010.09.03
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思えば9月、曼珠沙華の咲く季節が近くになりました。 いま書棚に知り人が1982年と思われる秋の初めに京都新聞の「よし笛」に書いているエッセイをたまたま見つけ出し、知り人へのなつかしさとともに、昔の秋のなつかしさが身に迫り、その一部なりとも書き写してみようかと言う気持ちになっています。「今年は、曼珠沙華の開花が、例年より大分早く、九月一日にはすでに咲いているのを見かけました。 それというのも、この夏は天候不順で、気温が低かったせいです。つまり桜前線が北上するのに対して、曼珠沙華前線(?)は気温の低下につれ、南下するからです。ところで、曼珠沙華は、秋の彼岸の頃に咲くので、彼岸花とも呼び慣わしていますが、この花ほど、異名の多い花も珍しいでしょう。 しびとはな、じごくばな、きつねのたいまつ、すてこぐさ、てくさりばな、ゆうれいばな、やくびょうばな、はみずはなみず、しれい、そーれんばな、かえんそう。ほかにも何十とあるのではないでしょうか。」 なるほど、しかしながら、今年はわたくしは、この文章を読みますまで、曼珠沙華のことなど、小指の先ほども思い及びませんでした。 今日の一首 黒死病の死屍をのせゆく喪の舟としてゴンドラは黒く塗られき 葛原妙子(『雁之食』昭和50年3月15日その後記を書く)
2010.09.01
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