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思いだすことがありまして。ある冬のはじめの、古本市で出合った本のなかの言葉のことです。はじめに「k市のある中学校の校長さんが自殺した。(中略)私はその校長さんを知らない。たまたま、私の子どもの一人が、その先生の授業をうけたことがあって、その人の一端にふれることができた。何でも、ほかの先生が休んだので補講をやりに来て、『路傍の石』を読んでくれたということだった。そのとき先生は目に涙をうかべ読んでいたそうだ。」(中略)終わりには「はじめていったクラスで涙をうかべながら『路傍の石』を読むということは、教師として自発的にする行為である。それは何人かの子どもに深い印象をあたえた。『路傍の石』が道徳的であるからではない。教師が道徳的であったからだ。教師の自発的な行為を役所の命令とし、その役所が上の方で政党とつながり、政党の政策の一つとしての「道徳教育」にしてしまうことが、道徳と道徳をおこなう人をころしてしまうのである。(35・2・9)」と。 思い出し、何度か繰り返し読んでいます言葉はk新聞の、「現代のことば」です。ただ、手元にもちますものは、その中のお一人の言葉が集められた一冊の書です。ある中学校の校長さんはわたしのかっての学校の国語の先生でした。 今日の一首 生きて死ぬこと美しく透きとおる背骨のさまにつらら垂れたり 蒔田律子(『白鳥の涙を見たか』1975刊)
2010.06.29
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突然ですが、わたしが生まれた町に、切支丹寺ともいうべき天主堂が出現したのは、永禄3年(1560)のことでした。町中の古い普通の一軒の家であったと言われています。 かって生家の近くにも天主堂がありました。百年史によりますと明治22年の定礎、敷地は2000坪、大名屋敷の跡地でした。祖母は明治30年に他県から嫁いでまいりましたが、その頃はまだそのままであったようです。しかしわたしが生まれた昭和の時代にはその半分になっていたと、祖母は申していました。 しかしながら、わたしはその敷地内でよく遊びました。天主堂の裏側の香部屋はミサの準備がなされるところですが、あたりには油性の濃い香料の匂いが漂っていました。子供ながらわたしはその匂いが好きでした。思いっきり吸ってみたものでした。 ところで、ミサに信者はキリストの血と肉、すなわちパン葡萄酒をいただきます。わたしは小さいときからそのあたりに興味があり、「公教要理」を習ったこともありました。葡萄酒という名もそこで知りました たまたま明日、学者さんから直接そのあたり、特に葡萄酒の話を聴く機会があります、生家の近くで、幼いときに味わった衝撃といえるほどの、しかしながら真実のロマンに迫るそのところの、そのものの話をよくお聞きしてこようと思っているのですが。 今日の一首 月照れりかく聞くからに潜として涙は落ちぬ雨のごとくに 柴舟
2010.06.26
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家から、バス通りへ出て、五分もしないうちに乗るべきバスが来ました。空いていましたからちょつと場所を選択して座りました。車内はほどよい冷房加減。今日の行動のはじまりです。 そうだ、今日はひとつ手前で下車して、いつも通過しているお饅頭屋さんへ寄っていきましよう。そんな計画がひらめいて、でも、お饅頭屋さんは見つからず、集まりには十分遅れました。うまくいかない自身の操作です。 かすかにも動かぬ鐘楼の鐘の枝垂れてゆるる緑の影に 夕闇の十薬の花星となり月明かり高く白き影おとす あざやぎてハイビスカスの二輪さく五月雨の空もゆるごときに しんちやう ひやくにじふしち たいぢう にじふいちキロの さんねんせいに カザフスタン林檎ほおばる野口聡一さん一番はシャワーとつめたいビール *五人の歌* そこは油小路、三井さんの屋敷跡、でも、もうどなたもお知りやおへん。 ところで、ふと思うのですが、何事も欠点を指摘するような消極的勉強でなく、予言の方の積極的勉強をしたいなあと思っています。人にもそういいたいことであります、そういってほしいことであります。
2010.06.23
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今日のごごはいつもの約束で三人が集ったのでありました。なんとなしふわっとした三人、ほんとにわたしたちはいいお貌をしています。三人ですから、三人は常にそれぞれは二人しか見えないのです。思えばおもしろい、それぞれに自分では見えない一人のわたしは誰でしょう。 とにかく今日のたのしいおはなしはと、一人の自分のお貌は見えないお人がいいました、お父さんに聞いたはなしやけれど、昔々の、うちの学校、小学校にはじめてピアノが来たときのことでした。ピアノ屋さんがいわはったそうです「へーえ、ここに置かはるのですか、ピアノが泣きますは」と。 まあなんと失礼なピアノ屋さん、グランドピアノの一級品買うていはるのにね、と聞き手の二人がいいました。そうですとも、そこが話の面白かったところ、ピアノ屋さんの商売忘れたその正直なびっくりぶりが、それほど、まだ学校が出来ていなかったんですと、そのお話しをした人のお話。 そのピアノ屋さんは、わが町にいまはときめくピアノ屋さんです、ちょっと、言うてあげようかと思います、現代のすましたお顔した社長さんに。正直なピアノ屋さんのおはなしでしたけれど。 それから、もう一度たがいの貌、見えない一人はしらないけれど、見つめあって、今日は別れたことでした。 今日の一首 ああ寂しああ悲し、かくひとりいふ、またひとりいふ、声あはせいふ 啄木
2010.06.21
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さすがの時間になりましたが、したいことはしておこうとブログを開きました。そうですしたいことです。 わたし、実は時計屋さんの知己がありまして、そのことは以前にもかきましたが、いい時計をもっています。置時計ですが気に入っています。やや後ろ倒しの姿をしていて地は白、数字は薄茶、針は黒。好きな色合いです。 いままさしくいま、その秒針の進み具合を見つつ、自分の確かなる存在を感じています。これから一首の歌を書架から、さがして書こうとしています。まだその歌と出会っていません。 今日の一首 電信隊浄水池女子大学刑務所射撃場塹壕赤羽の鉄橋隅田川品川湾 茂吉
2010.06.19
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毎日同じ時間の歩みになることはいいことか、悪いことか、そうなること、そうなる自分がそこにいる、いやここにいます。 いまの時間、いいかげんに疲れていそうでそうでない、おしまいの時間はいいものです。何か自分では計算外の自分が歩きだすようであります。その自分を、ちょっと、ちょっとと、襟首をつかまえて、ひきもどしてブログを書くのです。たのしいな。 うそもまこともあるものでしょうか、ぜーんぶ自分だから自分です。 今日お昼、カフェにいて夢を見ました。眠ってなんかいません、でもいつもでないようにそのへんが見えました。まだ死なないように感じましたが、何かしら、誰もいつか死ぬんですから、このように見えるときがそのときはなるんだなと思ったりしました。 今日の一首 やや遠きものに思ひし テロリストの悲しき心も 近づく日あり 『悲しき玩具』
2010.06.18
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思い出したことがあります。30年は昔のことでした。夜行性の鳥を人らは凶鳥とみなしたようですが、わたしはその一つの声を夜毎に聞いた思い出があります。 姿は見ていません、夜、家の近くで聞きました。「ヨタカ」であったようです。誰かがそんなふうに言っていたと覚えます。「ヨタカ」は一名「蚊吸禽(かすいとり)」といい、蚊を吸って食べると信じられていましたが、また吸った蚊を吐くときの声が鳴き声ともいわれたりしたといいます。食べるときか吐くときかどちらでありましたか、ああまたと鳴く度に特異な気持ちになったものでありました。ところで「ヨタカ」は夏の季語ですとか。 その一句に「夜鷹鳴き落葉松(からまつ)の空なほくらし」(秋桜子)があります。 今日はふとそんなことを思いだした夜でありました。
2010.06.17
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わたしは庭の樹が茂るのが好きです。うんと茂らせてそのなかの暗さのなかに埋もれるようにして暮すのが好きです。 生涯のはじめの部分にそういう時期が一時期ありました。子供達はクッションとおやつなどをかかへて樹の上で一日過ごしたりしていました。 いまは小さい家になりまして、お隣が樹が茂るのがお嫌いで、ついつい伐ってしまいます。 今日は、その木々の枝を伐る日でありました。柿ノ木、枇杷の木、槿の木、木犀、山茶花、辛夷、藤などなど、思えば面積に過剰であります。ああ、さるすべりもありました。柿の木には風蘭まで着生させて。でもでもながら今日は大分伐られてしまいました。 古家のつくりから裏も表もせめて全開させて、深い吐息をついていたのでありました。 今日の一首 人買舟は沖を漕ぐ とても売らるゝ身を たゞ静(しづか)に漕(こげ)よ船頭殿 閑吟集 131
2010.06.16
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m 突然ですが、歌の病として排せられたためだんだんすくなくなったといいますが、面白い歌をひとつしるしてみます。そうしたい気持ちの今夜ですから。ふと見た本の中からです。 なしなつめきびにあはつぎはふくずののちもあはむとあふひはなさく 万葉集巻十六、作者不詳 植物の名をつらねながら同音くりかえしをたくみに利用し、懸詞で「君」「逢」「続」「逢ふ日」とイメージをつぎつぎにかさね恋のこころを訴えています。 歌の病とはよくいったものです。おやすみなさいませ。
2010.06.14
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「1963年の歌壇における収穫は、なんといっても「律」3号の「ハムレット」、「短歌」10月号の「祭」「心霊学」に代表される「現代の表情」のトライアル、および11月号の「蟹工船」などの一連の共同制作品群であろう。そしてこの運動は、翌64年6月7日東京赤坂の草月会館ホールで催された、「フェスティバル律」の成功によってピークに達するのだが、この6月は短歌ジャーナリズムによって記憶すべきエポック・メイキングな時点であった。というのは、早く転落していった僚誌「短歌研究」と一線を画して、とかく批判はありながらも、意欲的良心的な編集を続けていた総合誌「短歌」が、露骨に方向転換をした月である。前号まで53回の長さにわたって連載をつづけてきた篠弘の「現代短歌論争史」が、何の予告もなく突如として中断され、合同研究「現代短歌の焦点」の名のもとに、歌壇評を担当していた、深作光貞、清原日出男、藤田武、玉城徹、寺山修司、馬場あき子、6名の若手歌人たちが、これもまた不自然にも、年度の中途で干されてしまったのである。」 或るところから長文を抜粋しました。どなたのためではない、自分のひとつのけじめのためでありました。 今日の一首 アルプスの禽(とり)啖(く)ふ昨夜(よべ)のゆめさめて性器みのりしわかもの歩む 塚本邦雄『緑色研究』
2010.06.13
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このページを書くべくしていて、なんとなし自分と同年代の人の『現代短歌・作家と文体』(評論集)を手にしてしまって、時間をかけてしまいました。参考のつもりが、どっぷり浸る結果になってしまい、こうなってはもう駄目であります。 同時代を行動した彼がなつかしゅうてならなくなりました。 彼の略歴欄をたっぷり時間をかけて眺めたりしています。 彼が猛烈な恋愛をしているとき、その恋人といっしょのとき、或る集会で隣の席にたまたま座ったのですが、完全に全くに無視されました。というより完全に全くに隣人など目に入らなかったのであります。素敵なことでした。 今こうして著書を見ています。そこに彼は生きています、完全に。 今日の一首 若さほど寂しきものはあるまじと炎熱のその汗のはだかよ 村木道彦
2010.06.12
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日々このように記しとめる場所をもっていますと、その時間になりますと、はてさて今日はと考えます。そのようなことでただいまもはてさてと思いながら、なんとなしあちこち引き出しを開け閉めしていましたら、二,三の昔の手紙が出てまいりました。 昭和52年9月秋分の日の字が読める封筒の手紙です。そこには「詩歌の大事なものは、たんなる理論や技術指導で果たせず、個性においてのみよくあかし得るものと存じます。そして、お互いの人間的な信頼からもたらされる直のエネルギーを無視できません。」と見えました。 今日の一首 薔薇つむ手・銃ささへる手・相擁(あひいだ)く手・手・・・の時計がさす二十五時 塚本邦雄『水葬物語』
2010.06.11
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夏になったようです。わが家のような木と土の家、おおよそ、80年余も経た家はまことに涼しい、外へ出て容赦も無い日の光に夏来るを知りました。しかしながら冬はまことに寒い、でも生臭くあたたかいよりも、わたしはまたその冷えが好きと、強がりでない本音です。もともとこの土地は湖の底でした。 自然に生きていくことの楽しさを思います。 長く住まえば身体もその枠うちに従うはず、わたしはそういう生き方がしたいです。 今日の一首 七曜のなかばまで来て不意に鋭く内側へ翻える道あり 岡井隆(歴表組曲・水曜日)
2010.06.10
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耳鼻科へ行く前に、疏水べりの好きな木彫り屋さんへ寄ってしまいました。好きな店であります。時折、立ち寄りたくなるのですが、求めるのは5、6年に一度です。 でも今日は買ってしまいました。それは朴の木彫りの緋連雀のペンダントでした。緋連雀は次列風切り羽の先に泪の形をした赤い部分があり、さながら翼の先に血が滲みだしたように見えます。勿論、ブローチは木肌のまま、色付きではありません。 こんなの先日の短歌の友達に見せたいなと思います。その前にその日の友達の作品を書きましょう。きっとわたしのペンダントわかってくださると思います、緋連雀の。 ほうり出す哀しみとおく青空へあふれる泪しろき花となり 野の宮の祭太鼓の賑ひのこだまする森子らすすみゆく 今も残るハルビンの街テレヴィのなかどこかやさしき吾(あ)が生(あ)れし街の まっすぐに夕陽に向う飛行機雲白糸のような三日月のせて わが乙女のファアストシュウズ十二センチふっくりしてる白の皮靴 このたびの前に、求めたのはエリマキの木で彫り上げた狐でした。すっごくシッポの太く長い狐です。走りが見えていいでしょうと作者も語っていました。
2010.06.08
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何かをつくろうとしていて、あらわそうとしていて、何を迷うことがあるのであろうと思うようになりました。自分を正直に語ればいい、あらわせばいいのですね。 作品としての価値観を求めねばならない、わたくしはそういうものではないでした。このみにくい言葉使いがいまの自分にいいなれば、それが自分であるとおもいます。 結論がむつかしいところへきました。この庭でわたくしは正直であろうといたします。 今日の一首 あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ 小野茂樹(『羊雲離散』歌集刊行2年後急死)
2010.06.07
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書くあてもなしに、ブログを開いています。でも書かねばならないことがあまりありましては、きっと見ていただきますお方にはしんどいこと、つまらぬことではないかと、勝手なこと、都合のいいことを考えています。 突然ですが、カトリックにロザリオといいます、お祈りに用います、数珠ににたものがございます。幾たびかお祈りを唱えますのに、忘れないようにその数を珠でかぞえるもであったと思います。大きな珠のところで使徒信教を唱えるのであったかとも思います。 それと、わたしは生家の近くにありました天主堂から「メダイ」というものを、いただいております。昨日ふと眼鏡を失くしまして、もうあかんとあきらめていましたら、今日ふいとアイロンを移動させた後から出てまいりました。 とにかく、その不思議に驚いてありがたくて勝手ながら、その「メダイ」といいますものをとりだしまして、感謝の言葉をくちごもりました。なんと勝手なこと、で、ございますことか。みなさまにもご幸福をと。 今日の一首 曙の星を言葉にさしかえて唱うも今日をかぎりとやせむ 岡井隆(「天河庭園集」
2010.06.06
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総理大臣ってたいへんだろうなと思います。でも、なったら万歳するのだから、いいのであろうかなと思ってもみますが。 今夜はわたくし、探し物をしていて、またこんな時間になりました。お座布団をひっくり返して探しましたがありませんでした。恥かしいけれど、もういっぺんくださいなとお願いしてみましょうと思っています。総理大臣はそんなこといってられないのでしょうね。 今日の一首 ただ一度生まれ来しなり「さくらさくら」歌ふベラフォンテも我も悲しき 島田修二(『花火の星』より)
2010.06.04
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日々に変るふるさとを日々に見ていることは苦しいことです。今日は出かけたついでに、出身小学校の西側の見慣れた家、二度とは建てられないような重厚な白壁の太い柱の家屋が壊されている現場に立ち寄ってきました。元は材木屋さんでした。 近くに柿渋屋さんがあります。こちらは幼いころから見知っている家です。立ち寄って、ともに嘆いてきました。 観光都市とか銘打ちながら、頼りになるお役人は一人もおいでやない気がします。 今日の一首 舗道(しきみち)にあはあはとわが影は落つ雲のうへより日がさしたれば 上田三四二(「黙契」)
2010.06.02
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季候異変はありましたけれど、今日あたり、蛍やでんでん蟲が気になり出しました。ふらりといつもの橋を渡るとき、ひょいひょいと欄干から、首をのばしてのぞいたりしてしまいます。 まあだだよ、水辺の草むらから、そんな声が聞こえそうですが。 ところで蛍の雌は光らないのかと思っていたのですが、光るんだそうで。飛ばないでじっとしていて蛆蟲のようだけれど光るんですって?、雄よりも。知らなかったです。 でんでん蟲も出てきます。友達の写真で今日、今年の初でんでんを見せてもらいました。さあ、楽しい夏の始まりです。ところで、おしろいの花の様子はいかがなもので。今のところ成績がよさそうには思えませんが、毎夏の通りがかりの道端のですが。 今日の一首 垂姫(たるひめ)の浦をこぎつつ今日の日は楽しく遊べ言継(いひつぎ)にせむ 遊行女婦土師(うかれめはにし)(萬葉集4047)
2010.06.01
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