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「早朝からの雷は、何時間も鳴りつづいた。建物のない平らかな草原での雷と稲妻のおそろしさは、都会や村落の人には想像がつかないだろう。モンゴル人は昔から雷をこわがることで知られている。」 そうだったのか、そうだったでしょう。町のまんなかにいても、雷がごろっとくると、雨戸を閉めて籠ってしまうわたしです。夏に近かったが、自分がモンゴルにいったときによくも雷雨に出会わさなかったものでした。 或る雷雨の激しいときのことでした。仔づれの牝馬が落雷に打たれて死にました。けれど仔馬は知らずに、斃れた牝馬の乳房を吸つていたという話もあります。「草原と馬とモンゴル人」いま、わたくし、ずーつと読んでいます。 雷、こわいですけれど、もう一度訊ねたい思いしきりです。わたしが機で着陸した空港は草原でした。よかったでした。夜間でしたから、当然真っ暗闇でした。 今日の一首 俺もついに口惜しみの灯を燈しけり暗澹ランタンカンテラを提げ 福島泰樹(「夕暮」キング・クリムゾンを聴きながら)
2010.10.31
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日々とは早いものです。思いますと、自分はこうして今日までの日々を過ごして来たのかと、何ですか恐ろしくなります。しかしながらこうして自分なりに両親からもらった命を生きてきたことに違いはありません。 思えば自分の命を、互いの命を時間を大切に送りたいものであります。10月も後2日ですね。明日の自分のために人のために自分は何をすればいいのでしょう。わたしはやはりかわりなく、自分のためにご飯をいただいて、必要の健康保持をし、棲み処の手入れをし、いささかの仕事をして、いささかの収入を得ていくしかありません。 それが、その続行が叶うことが幸せでありましょうか。こうして書いてみて、そうであることがわかるような気がします。明日もそうでありますように。 今日の一首 枝移る鵙を見をれば意識してあやふきことをなすかと思ふ 大西民子(「何も見ざりし」現代短歌”78)
2010.10.29
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ああ 真如堂 飯(めし)黒谷さん ここらでいっぷく永観堂 そんなうまいこと南禅寺 今日は東山三十六峰に数えられる吉田山、紫雲山に広がるかっての宮家のお屋敷にわたしたちの会がもたれたのですが、そのあたり、上記のわらべ歌にも詠まれる真如堂、黒谷青龍寺、東へたどれば永観堂、南禅寺があります。 楢の葉の褐色となりいたいたし幹にビニールぐるりと巻かれ ワイシャツの袖口の釦はめづらいと互いの指先見つめて留める 葉かげより茎ながくしてしろたへの眉刷毛万年青(まゆはけおもと)静かなりけり 青蛙ジンジャーの葉のゆりかごに秋の日あびてゆららゆらゆら ちかごろは たいがドラマに きようみもち おしろめぐりや おやしきめぐり いつまでも残る暑さに風を待ちTシヤツ仕舞ふ彼岸日の午後 帰路は南禅寺のお豆腐を買いましょうなど、その道をたどったのでしたが、思えばそこは、お豆腐屋さんといいますより、お豆腐をつくっているところで、夕方は早くに店をとざしていたのでした。
2010.10.27
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今日の写真は「東寺餅」屋さんの店先です。多分そうだと思っています。遠い日の歌の友達が子供のときにおばあさんといっしょに我が町へ来て、東寺さんへおまいりし「東寺餅」屋さんへ立ち寄り、食べたらおいしかった、もう一度食べたいということで、わたしはわざわざ東寺へゆき、買うて、店から送ってもらいました。おばあさんと来た時、店の前を市電が走っていたといいます。聞いてみましたら、そうですということで間違いなしでした。 喜んでくれて、わたしはそれはそれは嬉しいことでした。ほんとうの歓びとはこういうものなのでしょうね。もう何年前のことになるでしょう。 その友達は山崎方代につき書くところが多い人でした。 今日の一首 わからなくなれば夜霧に垂れさがる黒きのれんを分けて出でゆく 山崎方代
2010.10.26
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手元にNHKブックス[915]『草原と馬とモンゴル人』があります。今夜もこの時間になってこの書籍をそっと開きました。言い知れぬさわやかな風が流れます。第3章「駿馬の歌」の117頁に、「現代オルドスの陰山(ムナン・ウ-ラ)という歌は、つぎのようにうたっている。」と前置きしてこんな歌が書かれています。 包頭(パオトウ)から北へ陰山山脈が伸びる。 鹿など野生動物が走りまわって遊んでいる。 鹿のような斑点のある私のウマは 「鹿のいる平野」(包頭)にその放牧地がある 銃をもつ若いわれらは 包頭から西へ向かって出発した。 頭のなかから離れない愛しいお前とは、 夕暮のときに会いたいものだ。 特にこの歌を記したかった理由は、この歌に「包頭」という地名が出ているからでした。何となしに包頭とオルドスの位置、関係もわかります。遠い日の父が包頭にいたからであり、父が何となしオルドスにあこがれていたようであったことが忘れられないからでした。 母と二人で深夜の電灯を低く下げて、よく手紙を書きました。母は父の住所のむつかしい漢字をわたしに丁寧に教えてくれました。 今日の一首 秋の野のみ草刈り葺き宿れりし兎道(うぢ)の宮処の仮庵(かりいほ)し思ほゆ 額田王(ぬかたのおおきみ)万葉上巻一・七
2010.10.25
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今日はお知り合いの作品の出展されている染色展「とりどりの赤」を見せていただきにいきました。彼女の作品「相聞歌(雪)」がトップの位置に出ていました。とても素敵!!、とてもうれしいことでした。 彼女は染色作家であり、美大の先生であり、わが町の伝統ある時計屋さんです。細い体でよく動かれることに感心し尊敬しています。わたしは彼女のお店で買った目覚まし時計を二つも持っています。二階の部屋と下に置いているのです。わたしはぼんやりですから、それでちょうどいいのです。目覚まし時計は朝、起きるためだけのものではありませんから。 それから今日はちょっと下手なコメントの書き方をしてご迷惑をおかけしてしまったお方がありました。ごめんなさい。 今日の一首 冬の日の瞳孔のぞくコンパクト傷つきしこと傷つけしこと 蒔田律子(『白鳥の涙を見たか』昭和50年発行)
2010.10.23
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2,3日ご無沙汰をしたようです。今日はふと触れたひとつの本のなかに見つけました薔薇の花の花びらのひとつのことを記そうと思います。いま、キイ盤の右横に置いています。 年数から思いみますと、それは昭和30年代のことですから、まだこの世の怖さも、もし幸せであったとしても、わからない、幸せな時代でありました。 庭に池がありまして、そばに薔薇の木がありました。大きな紅い花が咲いていました。その木の下にちょうど腰掛のような石がありまして、わたしはその石を台にして、その薔薇の絵を描いたりよくしていました。 そのとき何を思いましてか、ノートに薔薇の花びらを採っては挟み、採っては挟みしました。たくさんたくさんに。それらは長い時間に少しづつどこかへいきました。いま手元にあります一枚はそのときの一枚に違いありません。 大きな薔薇でしたから大きな花びらであります。かたわらのスタンドの灯に透かしますと、手の筋のような幾本かの筋が見えます。きっと花びらも幸せのときはこの線からいっぱいっぱの水を吸っていたのでしょうね。 今日の一首 寺院シャトルの薔薇窓をみて死にたきはこころ虔しきためにはあらず 葛原妙子(『薔薇窓』昭和48年6月編集)
2010.10.22
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空の青い季節です。近江の人で、わたしの家の近くにも、その屋敷があった外村繁の短編、「夢幻泡泳」の中に空についてのすばらしい描写があります。 「浅黄色の色硝子を張ったような空の色だった。散り雲一つない、殆ど濃淡さえもない、青一色の透明さで、却って何か信じられないような美しさである。例えば、一寸石を投げる、というような些細な出来ごとで、一瞬どんな変化が起るかも知れない、と危ぶまれるような美しさだった。その時、私には大空を落下する無数の青い破片を想像することも出来た。」 繁は若い頃、梶井基次郎、三好達治達とともに『青空』という同人誌を出していました。ふとそんなことも思われることであります。 今日の一首 秋風の曽曽木(そそぎ)の海に脊を向けてわれは青天よりの落武者 塚本邦雄(『天変の書』第十二歌集)
2010.10.19
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昼ぬくくひとのみちゆく狐かな 地いまだうるめるを知る鴨の脚 ふるさとは緋蕪漬けて霰(あられ)どき 落鮒の深処(ふかど)金色浄土かな ここに掲げた句は明治20年10月2日滋賀県五個荘に生まれた松村蒼石の句です。13歳で京都の織物問屋に奉公に出、その後、東京へ転勤、俳句は17歳のころからであったといいます。 蒼石はうれしいにつけ、かなしいにつけ、野外をさまようのが習慣であり、自然の風物に救いを求めようとしました。世を去られたのは昭和57年1月でありました。 一人の表現者の姿として記しておこうと思います。
2010.10.18
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夜光列車 寝姿 流れには 奥山の雪がにほひ ゆふべの石に魚は眠り まつ暗いなかに 鉄橋だけは 待つてゐた やがて 夜光列車の窓から たらたらと 蜜柑の しぼり汁のような灯が 魚の寝姿のうへに 宝石の首飾りとなって落ちた 魚は眠かったが もういちど ゆつくり 寝姿をかへてみた 頸飾りはすぐ消へた これは、渕上毛銭(ふちがみもうせん)の詩です。 毛銭はカリエスのため病床で詩を書き続け、昭和二十五年三月、三十五歳で世を去った詩人であり、「寝姿」は晩年の作品です。今日は毛銭の詩を書きたくて書きました。
2010.10.16
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何かにつけてわたしは説明書というものを読みますのが苦手で、今夜はせっかくの新しくしたお風呂窯に入り損ないました。2,3日しましたら慣れることでございましょうが。 さて、さてそのかわり楽しみにしていました「草原と馬とモンゴル人」という本が手は入りましたのでいう事なしでございます。 それに納屋の修理の大工さん、ペーターさんも近々にきてくださるらしく、家のけじめもついてほっとしています。秋も深まります、何となくはやに、冬支度の心地もするようでして。 今日の一首 川に逆ひ咲く曼珠沙華赤ければせつに地獄へ行きたし今日も 寺山修司(『田園に死す』)
2010.10.14
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赤いショールを巻くと何故かあたたかくなります。さみしいときに巻くとやはり何故かあたたかくなります。赤いものはいいですね。わたしはたったいま、何故か寒くなりましたのでわざわざ立ち上がって赤いショールを取り出しにいって、肩にかけました。赤いショールはさみしくなっていたわたしをもあたたかくつつんでくれます。 何年前に買ったショールでありましたでしょう。何遍か優しい洗剤で洗いましたけれど、優しい洗剤でしたから今日もやさしくにあたたかいことでした。わたしはわたしのお母さんのようなことをしていると思います。 お母さんの残していったショールもいまも同じです。 今日の一首 しらかみに大き楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす 河野裕子(『桜森』第3歌集)
2010.10.13
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突然ですが、「1963年の歌壇における収穫は、なんといっても『律』3号の「ハムレット」、『短歌』10月号の「祭」「心霊学」に代表される「現代の表情」のトライアル、および11月号の「蟹工船」などの一連の共同制作品群であろう。」と1978年発行、雁叢書の『現代短歌・作家と文体』に、その著者吉田弥壽夫は書きました。 ところでわたしは何をいいたいのか、吉田さんは同じ同人誌のなかでもお親しくさせていただいたお方です。ある種のノスタルジーもあるでしょう、しかしながら彼は「あとがき」の結びには「30年代の短歌運動の再興につながればとねがっている。」と書いています。現在、はじめて短歌を知ろうとしている人の中にはみずからに、その時代を知らずに置いている人がある、わたしにはそう思えてならないのですが。 今日の一首 大きなる手があらはれて昼深し上から卵つかみけるかも 北原白秋(『桐の花』大正2年)
2010.10.13
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クロアチアの楽団の演奏を聴いてきました。ザグレブ・ソロイスツ合奏団という楽団だそうです。どういうわけか知りませんけれど、今日はすっかり自分がくつろいでおり、音の吸盤みたいで、いつのまにか眠っていたらしいです。あとでお連れのお方にあきれられました。 実は昨日から、遠くに住まいする次女が帰っており、常の緊張のが解けていたのです。でも初めて聴いたクロアチアの音楽は情熱的でしたが、その味わいが濃くてやさしくて、わたくしにはよく効いたのでした。 今日の一首 人もなきむなしき家は草枕旅にまさりてくるしかりけり 大伴旅人(『万葉集』巻三)
2010.10.12
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朝から書こうとしながら、今になりました。なんですか嬉しい邪魔ばかりが入りまして。さてとなりますとさて、たった今一人がお昼にたくさんいただいたパンの各種を持って帰ってくれたところです。 思いますと嬉しいこと、たのしいことは文章にし難いですね。小説など読んでもそうであります。人の不幸っておもしろいものなんでしょうか、人間ってやはり恐ろしいものなんかなと思ったりしています。 昨日はちょっと心配した病気のお仲間を病院に尋ねました。意外に元気でほっ。往路は地下鉄の降り場を間違えて、えんえんと一駅、歩きました。道のかたわらの児童公園のブランコで一服したりしながら。帰路はお見舞いしたお仲間に、玄関まで見送ってもらい、しっかり道を教えてもらって楽ちんでした。やはりわたしは幸せ者であることがしっかりわかりました。 今日の一首 たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか 河野裕子(『森のやうに獣のやうに』)
2010.10.09
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早朝、残り少ないような虫の音が聞こえます。多分一匹でしょう、それも、ふるふるとふるえるように鳴いています。なかなかいいものです。5時50分、白い壁が見えてきました。しかし、今朝はガウンを羽織っていますとやや汗ばみます。 ああラジオで天気予報をいっています。今日は天気は下り坂ですと。でも今日は友達のお見舞いにいきましょう。お腹の中の悪いものがとれましたからと今朝もメイルが入っていますから。 話はかわりますが、やがて、近くのお寺の境内で古本市が始まるシーズンです。ちょっと早すぎるかな、でもカレンダーに予定を記して置かなければ。その頃は大分寒くなります。創元社、百花文庫「無常といふ事」(表紙は右から左への横書き)もそこで手に入れました。いうまでもなく小林秀雄。6ミリの厚さです。軽い、やわらかい。 今日の一首 疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りあ、りあ りあ 葛原妙子(『朱霊』)
2010.10.08
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今夜は早くからブログにとりかかっています。一日ゆっくりしましたので、いえ、するべきことをすませましたので、いい精神状態です、まともというべきかもしれません。 出すべきお返事の手紙を二通と「国勢調査」用紙の記入投函をしました。土壇場でしたから。この手のものはどうも苦手です。国の勢いの調査といわれますと、わたしはそんなつもりではいませんんので。 いま一つ、落ち着いた気持ちで開けたわが家の郵便受けに、遠い日からの友、遠い北の国からの書籍便が入っていました。ありがとう、わたしのも受け取ってくれたようですね、途端にさっと時が流れました。 今日の一首 もう一つのスタートのやうに膝つきて一年分の青梅漬ける 大山節子(「夏のかげろふ」)
2010.10.06
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一人っ子だったわたしは、独り言は上手たったかも知れません。自分で上手下手はわかりませんが、でも好きだったとはいえるようです。なんですかよくわからない話です。 とにかく大きくなって?、ブログという手段を教えてもらいました。人によって色々その方法はあるようですが、わたしは子供のころからの遊びのままにやっているつもりです。おままごともお客様になったり、主人になったりしていました。 祖母がそんなわたしによくお相手をしてくれました。祖母は大真面目にお付き合いをしてくれました。わたしの人世はそのころから、おままごとからそのままに続いているようであります。 今日の一首 みどりごは泣きつつ目ざむひえびえと北半球にあさがほひらき 高野公彦(『汽水の光』昭和51年)
2010.10.05
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たったいまのことです。机辺の整理をしていて、ふと手にとってしまった本、一冊の岩波文庫が手放せなくて夜がどんどん更けていきます。わがふるさとでは有名な方、医学者であり評論家である方のわが町の追憶記です。 最初のページにはこう書いてあります。 夜の火事だった。 私は母に抱かれてみていた。焔はみえなかったが、正面の夜空は高いところまで、あかあ かと映えて火の粉が舞っていた。 それが作者が初めて見たこの世であり、わが町であったらしくこう書かれています。わたしはそのあたりを今までにも何度も読み返しています。もうやすまねば、あしたはまた早朝からしなけれならないことがあります。ゴミ出しですが、そうなのに、わたしの夜はいつもこうして更けていきます。 今日の一首 ただ一度生まれ来しなり「さくらさくら」歌ふべラフォンテも我も悲しき 島田修二(『花火の星』昭和38年)
2010.10.04
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10月の初めの日、綾部への道はいつもながらに里山が美しいことでした。わたしたちの会場は歌友のひとりがお守りをなさるいつ来ましても清澄に鎮まるお寺です。 包丁をとぎいる子の脊父に似て流し場の窓入日さしこむ ながながと続いた暑さにひと雨が、今夜は風呂にお湯を張ろうか 独り居の老婆誘いてドライブすランチかこみて四人でうきうき 枕辺のガラス戸のそと鳩がゆき白鷺がゆき今日のはじまり 道の駅芋栗ならぶはざま縫ひ松茸匂ふのれんをくぐる 彼岸花気温考えニュッと出るすごい物だわ自然の力 里山の石釜パン焼き十周年情熱と根性でパンと向き合う いつの間に虫の声絶えようやくに涼風のたつ川辺をあるく 去り際に、お寺を守る歌友がいいました、自分がのうなったらこの寺を守るものはのうなると、何はともあれ、向き向きはかわろうとも、それは生きている誰にしろ考えられること。ともあれ、互いに歌にかかわっていてよろしかったかとも。 今日の一首 汚れたるヴィヨンの詩集をふところに夜の浮浪の群に入りゆく 山崎方代
2010.10.02
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