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月が代わりますと師走といいますのに、この時季、また妙に落ち着く気配があります。ここまで来たのですから、まあ何とかという落ち着きでしょうか。会場のホテルを出て、お堀端をゆるりと歩いて、地下鉄に乗りました。それから市バスで東の山並み近くのわが家へ帰ります。小さな門の引き違い戸を開ける音に表庭の金魚さんが、聡くに気付き水面に浮いてきています。紅いおべべを着たわが家の門番さんであります。昨日のことでありましたが。 何処からか小さき虫の這いいでて富有柿の上にじっと止まりおり 山下り室生の里につるし柿、すだれのように軒につらなり さいきんの さらのたのしみ つうはんカタログ きにいつたものに にじゆうまるつけ 裏もみじ重なりあうも色ありて紅競う園光寺の庭 我のあと追いかくるごとき台風の箱根の宿はさけてすぎゆく 車窓より明かり見えたる病院にあの頃の亡父(ちち)いま蘇り 短歌の素材はなんでもありと思います。自分のこころそのものを素材として大胆に真実を吐露したいものであると考えます。短歌をしてよかったと思える歌を詠みたいものです。わたくしはそんなふうに思っています。 今日の一首 をとめ子の清き盛時(さかり)に もの言ひし人を忘れず 世のをはりまで 釈 迢空(「やまと恋」)
2010.11.25
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この場を書くことは楽しくに思っていますのに、ここしばらくは、どうにもなりませんでした。今夜はやはりこんな時間になりましたが、ここに来てしまいました。ここ、そのここはどこかしりませんが、ここであります。 さて今日はとても素敵な病院へいってきました。10年近く前までは山の中のボロ、ガタ病院でした。でもわたしはそれが好きでした。入院しているとき、夜に見舞いに来てくれた人などに、ようこんなとこにいるな、階段がこわかったとか、途中の廊下の窓の外が真っ暗闇でとか、いわれたものでした。 しかしながら今日は久しぶりで来たその病院のあまりにもの明るさにちょっと戸惑いました。お馴染みの看護婦さんに小さな声で、ソット本音をささやきましたら、ソット小声の本音が帰ってきました。 今日の本音でした。そう、表現は本音でなきゃぁ・・。それも自分の本音で。 今日の一首 踏みとどまっているの私。氷の下には赤と青だけの街がある ゴウドチツコ
2010.11.22
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今夜も夜がやってきました。随分たくさんの夜を向かえ送りしたと思いますのに、まだあまり月日は経っていないようです。早いようで遅い月日の経過です。わたくしは幸せな人間であります。 とにかく、今日書くべき、いいえべきでなくて、ついいままで予定になかったことを書きたいものであります。そうですね、予定になかったことではありませんが、書く予定にはなかったことを書きましょう。これらの言葉は誰が知りたがっているわけでもありませんのに、もの好きなことです。 こんな根も葉もないことを申しておりますと、いつまでも書き続けられます。そのことが今日のテーマであったかも知れません。しかしながら何かペン?を走らせているということも大事であるかもしれません。つづいているんだということでございますから。 今日の一首 たどりつかないたどりつかないざばざばと月の匂いの枯葉の中を 佐藤弓生(『眼鏡屋は*』)
2010.11.19
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岩倉へ行ってきました。行ってきましたとはいいますが、わが邑のつづき、右に比叡とつれだって歩いているようなもの。よく比叡の尾根を歩くが、今日はその下を歩いているにすぎないことです。 比叡の尾根を歩いていると、どこまでいっても八瀬、岩倉がついてきますが、今日はその逆、どこまでまで歩いても比叡がついてきます。とにかく今日はそういう行路、ところで、比叡は北へいくほど、姿はやさしくなる、低く感じる、まあとにかく、今日の用事をすませて、帰路は岩倉川に沿って歩きました。いい村落です。 終着は出町の柳、わが娘さんが美味しいお茶を飲ませてくれて、解散。二人は東と南へ。帰宅後、すぐパソコンに向かいました。いまやっているパソコンとは違います、これはおやすみ前です。 今日の一首 うつせみのにほふをとめと山中(やまなか)に照りたらひたる紅葉とあはれ 斎藤茂吉(『暁紅』) 。
2010.11.17
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あしたはわが娘と岩倉の方へ行かねばならず、寝坊はなりませんので、早くやすもうと思っておりましたのに、最後にああこの仕事を忘れておりました。 ところで今日はこれもご縁でこの時間までわたくしは「わたくしの履歴書・川田順の巻」を読んでいたのでございます。因果なことでございます。でも順さんのお話は面白うございます。出だしは「最初が最終を決定する。」といきなり出ます。しかし、まあそのようなわけでございまして、ほんとうに今夜は早くにやすませていたきたく、わたしは、ほんとうに最初が最後を決定いたしまして、今夜はこれにて失礼させていただきます。 ちょっと書きますと、つぎには「人間は生まれ落ちた瞬間に一生の歩みの筋書きをわたされる。」のだそうでございます。面白いです。思えばそうであります。しかしながらこれにて、ほんとうにおやすみなさいませ。 今日の一首 もみの木はきれいな棺になるということ 電飾を君と見に行く 大森静佳 (角川短歌賞)
2010.11.16
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福原麟太郎のエッセイについて友人の話を聞いたことがあります。友人は彼のエッセイは何について書かれていようと、いわば書き手の身の上話であって、一人が一人に語りかけるといった調子のもので、独特の魅力をもったものです。よくこなれていて、まろやかで、人生について書かれたものを読んでみても、だれにも他の人のでない、銘々の一生というものがあり、この世に生きていることはかけがいのないことだと思えてくるのでしたと。 また友人は、彼は「隋筆は知恵を書き残すことではなく、意見を吐露することではなく、叡智を人情の乳に溶かしてしたたらせることである」とその特質についてしたためていますとも。 今日の一首 眼隈(まなくま)のふかき翳りをのぞきみよさびしき異質を秘めしたましひ 葛原妙子(『飛行』昭和28年1月から昭和29年3月)
2010.11.15
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幻の偶像 P87 見たこともない私を なんでそのやうに おどおどとしたあの様子 私は何もかもしつてゐます 幻の偶像となつて抱かるる私を 私はあなたに遭ひますまい 活きた顔は見せますまい その像にお手を触れたなら 忽ち破壊されます 崩れます それが悲しく 傷ましい いつの世までも会いますまい いつの日までも思つていただきたさ 『几帳のかけ』白蓮 大正八年三月十日印刷 大正八年三月十三日発行 発行所 東京市芝公園 玄 文 社 最終頁に「1920年2月3日に読み終えた」との記入あり。 わたくしの購入、1997年10月13日
2010.11.13
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普通、病で死に行く人の顔は、医師にその時をいわれて、そのときから、だんだんに美しくなっていきます。そのときまで人である、その人間に見たことがなかったような美しさになっていきます。こんなことを書いていますと、何を気楽に他人ごとだ思ってとか叱られそうですが、これはわたしの娘の独りが死に行くときのホントの話ですから許してください。 そうです、わたしは歌においてもそのようなこと、そのような風景を考えます。だんだんに美しゅうなっていく歌でありたい、うつくしい散華でありたいです。 このごろは大寺へいきましても、いわゆる散華ということをあまりしない、いいえ、するときはするのでしょうが。我が家には百年前に比叡の講堂で散らされた一枚の散華の花弁があります。 さて何を言おうとしていますか自分はですが、はなしは昨日のシンポジウムの作品にかえります。わたしは昨日、記しましたどの花弁も好きであります。散華のように己をかけて、一度の我が歌を散らしたい、散るような美しい軽ろさのものをつくりたいと思うのです。 そこに、ひとつだけ言える言葉があるかも知れません。それは酸欠感を覚えさせないための役にたつかもしれないということです。 今日の一首 たくさんのおんなのひとがいるなかでわたしをみつけてくれてありがとう 今橋 愛
2010.11.11
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先日、久しぶりに自分ち以外の会に出てまいりまして参考になりました。ところでそれはひとつのシンポジウムでございましたが、とやかくいいますより、当日の資料となりました作品の少しくを下記いたします。 自販機のなかに伊右衛門も若武者も眠らせて二ン月の雪は降り積む 久々湊盈子 たれさがる低さがちがうブランコの座るところの色のはげた木 斉藤斎籐 前肢が崩折れて顔から倒れねじれて牛肉になってゆく 々 3番の快速電車が通過します理解できない人は下がって 中澤系 たどりつかないたどりつかないざばざばと月の匂いの枯葉の中を 佐藤弓生 月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね 永井祐 たくさんありますからこれくらいで。
2010.11.10
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2010年11月5日は一日中いいお天気でした。お仲間の一人が守っている小さな山のお寺に集りました。田園よりちょっと高いその位置、その高さからいくつかの里山が右、左におだやかに見えます。 水源の里の簡易郵便局どっこい守り来て今日は引き継ぐ 休耕田にコスモス残せし人ありやゲリラ雨もなし農婦田をすく 陽をあびてどうだんつつじの紅が庭を明るく幸せふるまう 春夏も問わず咲いてるタンポポに貴方の見頃いったいいつなの 難病に検査入院せる弟は碁敵を得てあそべるといふ ストーブを出すにためらう独り居に十月末の木枯らし一番 炊事場の窓にぺたりとやもりのこ黒目光りて頭ふりいる 遠き山に来てふり返る橋谷は鉄塔三基入日にとけて おおらかな皆さんとともに時間を過ごさせていただいていますと、自然に自分の身心も洗われるようで、いつのまにが自分は去らねばならないものであることを忘れます。そうであることを、少し残念に思います。
2010.11.06
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書くとは如何なる作業であるかと、ふと独り言(ご)ちてみますとわからなくなりました。わからなくなったのですが、思い見ますと簡単なこと、そういう作業が嫌いじゃないようです。何も書かねばならぬこと、書かなくてもいいことでありましても、書くという動作をしておりますと、書くことが書かねばならないことになって来たりいたします。 今日も今日とて、書かねばならぬわけでもありませんでしたのに、書いておりますと、なんとなく、重大な事ぽっくなってまいります。いま止めては駄目、いま止めては駄目と思いながらいまも書いています。おかしなことではございますね。 今日の一首 髪梳くに髪もつれつつ渦巻くを光る剃刀あてて截りゆく 西野妙子(「白砥」現代短歌”78)
2010.11.03
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関係のないテレビが話しをしています。大阪府下などで消火器を年寄りに売りつけているとか。机を離れて、いま、テレビを消しました。 いま読んでいる本は、文中にウナガン・ジュラクという馬乳酒祭を催すところの話です。その呪文、「アルプス山に九×九(八十一)の馬乳を捧げよう」、この言葉は、チンギス・ハーンの祭殿八白宮の馬乳酒祭の祈祷文にあるそうです。オルドス・モンゴル人の話です。祭礼には馬乳酒をかかせません。おいしいですよ、わたしもいただいたとことがあります。とりとめもなく、わたしもモンゴル放浪の父の子であるようです。消火器よりも。 今日の一首 女(め)の子たち手拍子とればしろがねの耳輪ゆらゆらにうごきうごくも 九条武子(『薫染』昭和3年刊行)
2010.11.02
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