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『学校司書と先生のための すぐできるブックトーク』に、 本著のことが出ていたので興味を持ち、読んでみました。 何もかもがめんどうな若い奥さんと、 アクセサリーと交換に、夕食を配達してくれるウサギのお話し。 奥さんは、おいしい料理を手に入れることに成功するかわりに、 大事なアクセサリーを、次々に手放すことになってしまいます。 アクセサリーをとりかえし、さらにおいしい料理も失いたくない奥さんは、 うさぎの家をつきとめると、驚きの行動に出るのです。読み終えた後の私の感想は、「……………… オチは? ないの?」。これを読んで、こどもって何を感じ、何を思い、何を考えるんだろう?でも、学校司書さんが薦めるようなものなのだから、きっと何かがあるのだろう……多分、私の読み方が、間違っているのだろう……表題作の他、「春の窓」「星のおはじき」「サフランの物語」が、収められています。私は、「春の窓」が一番好きです。
2015.02.22
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亡くなった生徒の家族から、数多くの証言を引き出すことで、 事件の経緯を詳細に追った一冊に仕上がっている。 また、「体罰」について、「児童虐待」との関連性を指摘するという、 事件を通して得た、著者自身の観点にも言及している。 しかし、読み終えて、スッキリとした感じはしなかった。 それは本著が、あくまでも「被害者遺族」目線の記述に留まってしまったからだろう。 もちろん、「遺書」や「クラブノート」から、 亡くなった生徒の思いは、ある程度は、知ることは出来るが。だが、肝心の顧問については、目に見える行動は明らかにされてはいるものの、残念ながら、彼の考えや思いについては、ほとんど何も分からない。事件後の行動を見ても、彼の本音は推測すらしがたいものがある。それに迫れないと、この事件の真実は、本当の意味で明らかにならない。また、バスケット部のメンバーや保護者の本音も、分からない。生徒が自死に至る結果となってしまったのは、顧問の異常な行動もあるが、この周囲の反応や圧力も、同じくらいにあったはず。その空気が、自殺念慮を抱き、それを実行してしまうほどに、彼を追い詰めたのだ。本当の意味での事件の真相が、明らかになる日は、果たして来るのだろうか?
2015.02.22
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とても面白かった。 久し振りに、伊坂作品を満喫した感じ。 『死神の精度』の続編だが、 前作が連作短編だったのに対し、本作は一話長編。 サイコパスに幼い娘を殺された作家夫婦の復讐劇に、 死神・千葉と香川が絡む展開。 千葉の一言一言が、人間にとって的外れで、ユーモアがあり、 千葉の一挙手一投足が、人間にとって驚異で、魅了される。 *** 恐ろしい事件や遠い国での干魃、 縁のない土地での公害や同じ町内での殺人事件も、 自分に影響がない、と分かった段階から、余裕は生まれる。 裏を返せば、自分にも影響があるかどうか、 そのことこそが人間の一番の関心事だ。(p.232)そう、どんな事件も、自分に影響がなければ、「しょせん他人事」なのだ。 「ミルグラムの実験というのがあるんですけれど」 「ああ」美樹がうなずいた。 彼女が知っていてもおかしくはない。 実験結果にインパクトがあるからか、 さまざまな本で、ことあるたびに引き合いに出される。 「人は、偉い人に指示を出されると、従っちゃうという」 「大雑把にいえば、そうだね」(p.266)「人は、マスコミで報道されると、本当だと思っちゃう」「みんな、マスコミって偉いと思ってるの?」という感じか。 「人間は、動物の中で唯一、死を知る存在である」山野辺が言った。 「それもまさか」美樹が茶化す言い方をする。 「パスカルの言葉」(p.325)なるほど。人間には時間の概念があるが、動物は「今の自分」にしか興味がない。そして、人間だけが、いつか自分が死ぬことを知っている。それ故、死について考え、死を恐れるのは、人間だけ。 「そうだ。怖くない。大丈夫だ。おれが先に行って見てきてやるから」 僕は何と答えたら良いのか分からず、 「ああ、うん」ともう一度、ぼんやりとした相槌を打ち、 「助かるよ」とだけ言った。(p.405)そして、この言葉を残し、父が逝った後の、山野辺が母に言った言葉。 「怖いけれどさ、ただ、いつか自分にも死ぬときが来るけど、 それはそれほど特別なことではない、と思えたというか、 恐ろしいことではないというか、自然なことに思えた」(p.405)これが、このお話の中核。
2015.02.21
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『修身教授録』の森信三先生の著作。 森先生に、こんな分野についての著作があるとは、知りませんでした。 しかし、『家庭教育の心得21-母親のための人間学』もあるそうなので、 単に、私がよく知らなかっただけということなのでしょう。 もちろん、書かれている事柄は、 全体として、時代を感じさせられるものが多いです。 個人のあり方も、家族のあり方も、社会のあり方も、 時の流れと共に移り変わり、今となっては過去のものとなっています。それでも、今でも変わらぬところもあるし、また、それは過去のもののようになってしまってはいるけれど、その良さを、再評価すべきところもあるように思います。例えば、次の「躾け」の三か条などは、とても良いなと思いました。 第一、必ず朝のあいさつをする子にすること。 第二、親に呼ばれたら必ず「ハイ」とハッキリ返事のできる子にすること。 第三、ハキモノを脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。 以上が躾の三か条でありまして、この三つが真に徹底すれば、 もうそれだけで「人間」としての軌道に乗るわけですから、 ちょっと考えたら不思議なくらいです。(p.112)また、次の記述にも大いに共感しました。 さて、こうした面から見ますと、 逆境というマイナス面の裏には、 「秘匿の恩寵」ともいうべきプラス面が秘められているのであります。 またその反対に、上昇気流に乗ったプラス面の展開期には、よほどの人でない限り、 人間は必ずおごり、たかぶり、人の気持ちの察しがつかなくなり、 これが人心離反の因となり、 「蟻の一穴」ともいえる千載の悔いを残すことにもなりかねないのであります。(p.180)中でも、「秘匿の恩寵」は、良い言葉ですね。
2015.02.15
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「メンタルヘルス対策を適切に行えば さまざまなリスクを回避できるばかりでなく、 顧客獲得や収益向上に対して直接的に多大な好影響を与えることが可能」(p.4) そのことについて述べた一冊。 一般的なメンタルヘルスの書籍とは趣が異なり、 その軸足を、あくまでも企業経営というものに置きながら、 それを行うことが、企業にとってどんなに有益なことかということを、 経営理念や組織、業務、採用、人事評価等々の観点から述べていきます。例えば、こんな感じです。 この「より大きな痛み」と「痛みを上回る快楽」の2つが同時に提示されれば、 痛みが伴ったとしても、人間はもっと簡単に行動しやすくなります。 したがって、ここでは抜本的なメンタルヘルスに伴う「痛み」が 行動の妨げにならないように、 「より大きな痛み」と「痛みを打ち消して余りある快楽」を 明らかにしたいと思います。(p.26)つまり、メンタルヘルスに取り組まないと生じる可能性のあるデメリットや、メンタルヘルスに取り組むことで生じるメリットを明らかにしていくということ。 他人を幸せな気分にできるのは自分自身が幸せな気分な人だけです。 気持が落ちこんでいる人と接して幸せになれる人は皆無です。 商品やサービスを買う時には、多くの人は自分の仕事に誇りを持ち、 楽しんで仕事をしている人から買いたいと思っています。 ところが、卓越したコミュニケーション能力は、 心が不安定な状態や鬱々とした気持では決して発揮できません。(p.31)つまり、メンタルヘルスに取り組むことで、心が不安定な人が出てくることを防ぎ、売上減少を防ぐことができるということ。 何度も触れたとおり、大概の会社では精神に失調をきたした社員が出ると、 困りごと、すなわちトラブルとして捉えます。 既存のメンタルヘルス・プログラム多くも、 そうした社員を治療が必要な弱者として認識しています。 なんてもったいないことでしょうか。 ところがマインドエナジャイズでは、そうした社員の発現を 「業務改善のための貴重な機会」として捉えます。 困りごと、厄介ごとやトラブルではなく、チャンス、絶好の機会してと捉え、 彼女・彼らを業務改善アドバイザーとして歓迎します。(p.102)つまり、クレームについての捉え方と同じで、それをプラスに転換出来るか、マイナスのままにしてしまうかは、受け止め方、対処の仕方次第だということ。 つまり、心身の疾患を予防するには、睡眠時間の減少と裏表の関係にある、 いわゆる長時間労働の状態をなくすことが重要であり、 そのためには業務分析が不可欠なのです。 それをやらずに社員の精神の健康を云々することは無意味とは言わないまでも、 ほとんど効果は期待できません。 企業の貴重な資本をドブに捨てる行為に他なりません。(p.161)つまり、メンタルヘルスに取り組むからには、長時間労働をなくすべく業務分析を行い、睡眠時間を確保しなければならないということ。 このことが心底から納得できているソフトブレーンや 天使のブラで有名なトリンプ・インターナショナルでは、 本気で長時間労働の排除に取り組んでおり、 その効果は両者の好調な業績が証明しています。(p.181)私は、ソフトブレーンについては知らなかったが、トリンプについては『君はまだ残業しているのか』を読んで、知っていた。 また、2006年4月の労働安全衛生法の改正により、 管理職かどうか、裁量労働制や事業場外みなし労働制の対象者かどうかを問わず、 単月で時間外労働時間が100時間を超える社員には、 産業医等の医師との面談の機会を設けることが義務付けられました。(p.182)「管理職かどうか、裁量労働制や事業場外みなし労働制の対象者かどうかを問わず」という部分が、重要なのではないかと思う。そして、著者は次のように述べる。 「ホワイトカラーエグゼプション」の対象者が、こうした自覚を持たないまま、 与えられた仕事を歯止めなく引き受けていくとしたら、結果は明らかです。 それこそ、導入反対派の人たちの懸念が現実になります。 心身を失調する人はもちろん、自殺者も増えていくに違いありません。(p.217)「ホワイトカラーエグゼプション」とは、「ホワイトカラーの労働時間規制の除外規定」で、別名「残業代ゼロ法案」のこと。著者は、呼び名が変わっても、これが必ず復活するとしている。そして、今後の会社と社員の関係は、一種の親子関係にも似た依存的な関係、馴れ合いの関係から、緊張感をもったビジネスパートナーとして会社と関与することが求められると言う。その上で、次のようにも述べている。 しかし、社員が健康を害するのも、維持増進するのも社員次第であって、 つまりは自己責任なのです。 身体であろうが、精神であろうが、健康を害したとしたら それは自分に管理能力がなかっただけのことなのです。(中略) これをマイナスに受け止めるか、それとも何ものにも依存しない、 真に自立したプロフェッショナルになるための好機と捉えるかは あなた次第です。(p.218)著者が言うように、会社に対し、労働時間について「NO」と明確に意思表示するような社員が、日本の企業において、ホワイトカラーとして存在出来るような時代が、果たしてやって来るのだろうか?
2015.02.15
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副題は「なにもない自分に小さなイチを足していく」。 『会社が消えた日』の中で本著のことが出てきたので、読んでみた。 『ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた』より、 本当は、こちらの方を先に読みたかったのだけれど。 内容は、ホリエモンが釈放されるまでの半生を振り返るもの。 そして、その時点での思い、未来への展望を語っている。 副題にもあるように、ホリエモンは「足し算」を重んじる。 なぜなら、ゼロの自分にいくら掛け算をしても、出てくる答えはゼロだから。 *** しかし、僕は自分の境遇をマイナスだとは思っていない。 なにかの機会が奪われたとか、人生をフイにしてしまったとは、思っていない。 なぜなら、チャンスだけは誰にでも平等に流れてくるからだ。 チャンスについて語るとき、僕はよく昔話の『桃太郎』を例に挙げる。 川で洗濯をしていたおばあさんは、大きな桃に飛びついた。 奇妙な桃だと怖がらず、洗濯中だと無視もせず、とにもかくにも飛びついた。 鬼退治の物語は、おばあさんが桃に飛びつくところからはじまるのだ。(p.100)ホリエモンは言う。フットワークの軽さ、好奇心の強さ、そしてリスクを承知でとび込んでいける小さな勇気の総称である「ノリのよさ」で、行動に移すことができる人間だけが、チャンスを掴めるのだと。「なるほど」と思った。 しかし、時間とはどこまでも有限なものだ。 年齢や性別、貧富の差などに関係なく、 どんな人にも1日24時間しか与えられていないし、1年は365日しかない。 残業に費やした時間は、そのままプライベートの喪失というかたちで相殺される。 プライベートを削ってまで自らの時間を差し出すとなれば、 仕事に縛られ、お金に縛られている感覚が強くなるのは当然だろう。 これは「労働」の代わりに「時間」を提供する人にとって、 永遠について回る課題である。(p.120)ホリエモンは言う。多くのビジネスマンは、自らの「労働」をお金に換えているのではなく、そこに費やす「時間」をお金に換えているのだと。「なるほど」と思った。そして、ホリエモンは言う。お金を「もらう」だけの仕事を、お金を「稼ぐ」仕事に変えていこう。儲けるために働くのではなく、お金から自由になるために働こうと。本著における最後のメッセージも、次の通りである。 はたらこう。(p.236)
2015.02.15
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西原さんによる「家族の悩み相談」への回答集。 何かの雑誌に連載されていたものを、まとめたものかと思ったけれど、 その様な記載は見当たらないので、本著のために募った相談なのだろう。 副題は「身もフタもないけど役に立つ49のヒント」。 実は、私は西原さんのことを、あまりよく知らなかった。 『人生のきほん』で、佐野さんとの対談を読んだくらいで、 漫画の作品を読んだことはなかった。 しかし本著を読んで、どんな人かがおおよそ分かった気がする。 ***例えば「38.家族のために競技生活にピリオドを打つかどうか。」への回答。 選手生活がどうのこうの言ったって、 子供のごはん代と学校代を出してあげられなきゃ親じゃないですからね。 「選手である前に親であれ」と。 どんな立派なスポーツ選手だか知らないけど、 子供にメシを食わせられなきゃクズ人間。 だって、スポーツだからまだもっともらしく聞こえるけど、 これがたとえばミュージシャンとか演劇だったら、ただのアホウですよ。 運動しすぎて前しか見えなくなってない? ちょっと周りを見回すと、家族がいますよ。 優先順位を間違えないでください。(p.145)子供のことを思う気持ちは、とても強い方のようです。しかし、それも度を越してしまうと「?」とか「……」になりかねない。例えば「36.事実婚だったが子供ができた。子供のためには入籍すべき?」への回答。あなたは、どう思いますか? 何なら一回籍入れてからまた抜くという手もある。 現実に、子供を保育園に入れるために偽装離婚してる人とかいますからね。 「母子家庭でーす」って言えば、わりと優先的に入れてくれるから。 私はそういうウソはついていいと思っているんです。 「ずるい」とかそういう問題じゃない。 自分の子供を育てるためには卑怯なことでもやるんです。 高知県にはそういう偽装母子家庭多いですよ。 生活保護と児童扶養手当ももらいながら 別れたはずの夫が公団にいっしょに住んでるっていう。 わりといいですよ。 偽装結婚。(p.140)
2015.02.15
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つい最近、「ブックトーク」という言葉を初めて知った。 「朝の読書」は、知っていても、 「ブックトーク」は本当に聞いたこともなかったので、 おそらく、最近始まった取り組みなのだろうと思っていた。 しかし、2112年3月に出版された本著によると、 「ブックトーク」は、1929年頃にアメリカの公共図書館で生まれたらしい。 そして、日本に初めて紹介されたのが1951年だから、今から60年以上も前のことだ。 しかし、その頃は、あまり広まらなかったらしい。全国学校図書館協議会が、機関誌『学校図書館』で紹介したのが1974年と1984年。これに、岡山市の学校司書が注目し、1982年の日本図書館協会学校図書部会の夏季研究集会で、初めてブックトークを行ったとのこと。そして1986年に、初めてのブックトークの本が出版された。以後、じわじわと、その活動が広まってきているということなのだろう。本著には、小中高校で実際に行われたシナリオが、多数掲載されているので、実施の際の参考になるのは勿論、読むだけで、疑似体験することも出来る。 ***さて、本著では色々な本が紹介されていますが、私が読んだことがあるものも結構あったので、一応紹介しておきます。中学校でのブックトークでは、『きみの友だち』 。高等学校でのブックトークでは、『週末のフール』『祖国とは国語』『空中ブランコ』『博士の愛した数式』の4冊。さまざまなブックトークでは、『バッテリー』『ゴールデンスランバー』『1Q84』伊坂さんの『週末のフール』は、ここでも紹介されていました。なかなかの人気のようです。さて、本著に掲載されている中で、私が読んでみたいなと思ったのが『うさぎ屋のひみつ』と『中国行きのスロウ・ボート』。特に、後者は村上さんの作品なのに、私は知らない作品だったので、ショックを受けました。まぁ、長編は全て読んでいても、短編では未読のものがあるということですけど……。
2015.02.11
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著者の中島教授は、経済学の専門家。 しかし、家族の問題を経済モデルだけで扱うことには限界があると感じてます。 そして本著では、多分野にまたがっている家族の問題に対し、 「論理的思考」と「インセンティブ(動機付け)」をキーワードにアプローチ。 「なぜ結婚するのか」「家族のガバナンス」「夫婦関係を良く保つには」 「親子関係に特有の問題とは」「祖父母と孫、そして親との三角関係」 「沖縄の家族問題から見えるもの」「法律は家族を守っているか」 について、論理的に解析していきます。 *** さて、話を聞いていた夫は終わりの見えない妻の話にしびれを切らし、 内容が一段落した頃合いを見計らって「で、結論はなに?」の一言を発するのです。 話している妻にしてみれば、聞き手に伝えたい結論めいたものがあるわけではなく、 夫に自分のやるせない気持を分かってほしい、 共感してほしいという一心ではないでしょうか。 これは典型的な物語文です。 他方、夫はいつまでたっても妻の言いたいことが見えてこないので 「早く結論を話してくれよ」ということになります。 つまり、このよくある夫婦の食い違いは、 妻の物語文を夫が論説文として聞いてしまったことに 最大の原因があると解釈すべきなのです。(p.95)「なるほど!」と思わず、頷いてしまうでしょ?
2015.02.11
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「読書」という行為について書かれた本。 その行為を頻繁に行う私にとって、もちろん興味あるタイトル。 しかし、どんな本を手にするのかは、やはり個々に嗜好というものがある。 筆者の読書傾向と私の読書傾向とでは、共通点もあれば相違点もあった。 例えば、古本をよく読むということは、共通点。 ただし、筆者が主に読んでいるのは、今では手に入りにくい絶版本等。 私が読んでいるのは、本来の古本というものとは違うかもしれないが、 発売から少しだけ時を経て、新品の時よりちょっと値段が安くなったもの。なので、第7章では「こんなのが面白いですよ」と著者の熱い思いが、色々書き連ねられているのだけれど、読んでみようかなと思ったのは、谷沢永一『紙つぶて』くらい。まぁ第5章で、著者自身も、そういうことを書いてはいるのだが。ところで、私が本著で最も心に残ったのは、第6章の「決定的だったあるできごと」。小学三年生の時に、担任の先生からの言われた「おまえなんかに、これが全部読めるわけがない」という言葉と、それに対する「私は彼をこの先も絶対に許さない」という著者の記述。ゾッとするエピソードだった。
2015.02.09
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上島竜兵さんの『人生他力本願』が面白かったので、 同じ「14歳の世渡り術」シリーズの、橋下徹氏の手による本著も読んでみた。 友達がいなくて悩んでいる中学生に向けて、 自身の経験を振り返りながら、処世術を語っている。 これを読んで、悩める中学生が「なるほど!」と思うかどうかは別として、 橋下徹という人物が、どのような思考回路を経て、 どのような行動をとるかは、かなりよく分かる気がする。 その意味では、『橋下式絶対負けないケンカ術』と同等の価値ある一冊である。著者近影には、テレビに出始めた頃の若かりし姿が写っている。茶髪のロン毛に、サングラス。そもそも、これが橋下氏の本来の姿である。そのことを、改めて思い出させてくれた。
2015.02.08
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『父という病』よりも、「愛着障害」に関する記述に重点が置かれており、 著者自身の手による『愛着障害』よりも、その本質がよく伝わってくる気がした。 『愛着と愛着障害』を読んだ後だったので、余計そう感じたのかも知れないが、 まさに、「愛着障害」について知るために必読の一冊だと思う。 近年では、ADHDが、主に遺伝要因によって起きる 脳の障害である発達障害という見方に疑問の声が強まっている。 現場で子どもを見てきた人は、昔から感じていたことだが、 これほど親の養育が影響しやすい問題もないのだ。 しかし、実際には愛着障害があって、多動や攻撃性などの問題が起きているケースも、 ADHDだとか「発達障害」だとかいった病名をつけられ、薬による治療さえも行われる。 少し前までは、リタリンという薬が治療に使われてきた。 覚醒剤と同じような作用をもつ飲み薬だ。 現在では副作用が大きいからと使用が禁止されている。(p.114)「多動」や「不注意、衝動的傾向」は、脳の障害であるとされたものが、再び「養育」の問題へと、回帰しつつあるということらしい。 三歳未満、ことに一歳未満から子どもを保育所などに預ける場合、 その後の母子関係や子どもの発達に影響が出る場合があることが知られている。 欧米の研究では、幼い頃から長期間保育を受けていた子どもほど、 将来、母親に対して攻撃的になりやすく、注意散漫で、課題に集中できず、 母親との愛着も不安定になりやすいとされる。 また、保育所に長く預けられた子どもでは、人との親密な関係を避ける傾向を示すという。 ただし、全員の子どもに悪い影響が出るわけではない。 影響が出にくいタイプの子も三分の一くらいいる。 だが、過敏で不安を感じやすい遺伝的タイプの子では悪影響が出やすく、 母親とあまりに早くから長時間離れて過ごすことは、 できれば避けた方が無難だろう。(p.208)これは、母親になった女性の就業について、抑制をかける情報となる。待機児童の問題が大きな話題となっているが、それ以前の問題として再考の余地があるのか。 反抗期や親を批判する時期が、子どもが大人になるのに必要なように、 母という病を抱えた人が回復するためには、母親を批判し、反抗する時期が必要だ。(中略) 子どもが反抗的になり、親を責めるようなことを言いだしたときは、 これまでのゆがみをただし、関係を修正しようとしているのだ。 それは、親とのかかわりの区切りをつけて、自立へ向かおうとしているということだ。 その言葉に耳を傾け、子どもがどこで傷つき、何に矛盾や痛みを感じてきたかを、 心から受け止めるだけでいいのだ。 その思いに、真っ直ぐな気持で向きあうことだ。 自分を弁護せず、その苦しみを共有し、いっしょに泣くことだ。 本当にその子の痛みを感じるならば、いっしょに泣くだろう。 その場で泣かずとも、その心を思って、陰で泣くだろう。 そして受け止めるしかないのだ。 傷を癒すには、怒りや苦しみを吐き出し、涙で傷口を洗うしかない。 それが一番の近道なのだ。(p.224)本著を読んでいると、「愛着障害」の影響の大きさには驚くしかない。また、その連鎖の強烈さも、想像を絶するものだ。しかし、読んでいて思ったのは、逆に「正常」な「愛着」を結ぶことなど、本当に出来るのだろうかということ。「完全」なる「養育」など、実際問題として、為し得るのだろうか?そんなことを気にし始めると、ますます「少子化」が進んでしまうような気もする。
2015.02.04
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ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんによる「14歳の世渡り術」シリーズの一冊。 副題は「誰かに頼りながら生きる49の方法」。 私はタイトルの「他力本願」という言葉に興味があったので、読んでみた。 なぜなら、私の人生のモットーの一つが「他力本願」だから。 ただ、これは「自力」では何もせずに、誰かに頼りきるという意味ではない。 そうではなくて、「自力」だけで乗り切れるほど、世の中は甘くないということ。 つまり「他力」を得て、初めて「自力」も活かすことが出来るのだということ。 もちろん、仏教の「他力本願」とも違う意味で、私は捉え、使っている。本著「第2章 自分1人の力では何も出来ないことを知ろう」の「刺身のツマでいいじゃないの!」とか、「第3章 とにかく下手に出よう」の「凄い奴は凄いと素直に認める」なんかは、「そうだなぁ」と思った。また、「第5章 人に頼りながら生きていこう」では、「出せても出せなくてもオーラを消そう」や「仲間を巻き添えにして考えればいい」、「人生他力本願で行こう!」が、共感できるところが多かった。「他力を得ることが出来るのも、その人の力」であって、「誰もが他力を得られるわけではない」というようなことを上島さんは書いている。まさにその通りで、「他力」を得ることは、そんなに簡単なことではない。この部分の記述が、私のモットーとする「他力本願」のニュアンスに最も近いものだった。
2015.02.04
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伊坂さんの書き下ろし長編十作目となる本作は、 『オーデュボンの祈り』系のファンタジー。 猫と鼠と人間が登場するお話しは、 様々なものや事柄を象徴しているらしい。 「あとがき」には、この作品が完成までに二年半近くかかり、 伊坂さんの思い入れが、相当なものであることが記されている。 しかし、私に関して言うと、単純にお話を読んだだけでは、 その意味するところを十分理解するまでには、至ってないような気がする。まぁ、試しに『同時代ゲーム』は、読んでみようと思う。
2015.02.02
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「リワーク・プログラム」について書かれた本。 「リワーク・プログラム」について触れている 「うつ」の関連本は多いけれど、 それだけについて説明しているものは、結構珍しいです。 『「うつ」で見つけた自分らしい人生』とは違って、ガイドブック的構成。 例えば、「リワーク」とは何なのか、 そして、そこではどんな活動が行われ、その趣旨や目的は何なのか、 さらに、どんな姿勢で取り組めばよいのか等々、端的に示されています。これから「リワーク」に参加しようと考えている人には、もちろん、すでに「リワーク」に取り組んでいる人たちにも、自分の頭の中を、もう一度整理し直して、新たな気持で積極的に取り組んでいくために、とても参考になると思います。
2015.02.01
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本著の著者は、 「私は緩和ケアという、 主にがんの末期の患者さんの心身の苦痛を取り除く仕事をしている医者である。 今まで約千人の最期を見届けてきた。」(p.3)という大津先生。 そして本著は、 「終末期の患者さんが、かつて後悔していた、 その事例を取り上げて検討を加え、 私は代表的な悩み二十五をここに紹介することにした。」(p.6)という一冊途中には、次のような記述があった。「我慢し続けて良いことなどこれっぽっちもないと思う。 もっとも昨今の若者は我慢が一様に足りないと思うので、 あくまで読者の皆さんが四十代以上の場合である。」(p.52)そして、さらに読み進めると、次の記述に遭遇した。「私も人生三十年そこそこだが、このように生きていると、 もう会いたくても会えない人が両手では数え切れないほどに出てくるようになってしまった。 年をとれば、その数はますます増えるだろう。」(p.141)一瞬、目を疑い、その後、誤植ではないかと思った。しかし、表紙カバーの著者略歴を見ると「一九七六年生まれ」とある。こんな本を書いた人物が、書いている時点で三十歳代だったとは……。てっきり、もう定年前後のベテラン医師だと思い込んでいた。しかし、よく読めば、もっと前に気づいておかねばならなかった。「今まで約千人の最期を見届けてきた」(p.3)と書かれている部分で。そう、定年前後のベテラン医師なら、こんな数で済むわけがないのだ。逆に言うと、三十代までに、これだけ多くの死に接する仕事だということ。最後の『25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと』が、一番読み応えがある。私も最期に「ありがとう」と言って死ねれば、最高だと思っている。
2015.02.01
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