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『教える技術』の続編。 今回は、チームや組織に焦点を当て、その育成を図ろうというもの。 もちろん、そこで語られるのは「行動科学マネジメント」。 できるマネージャーになるための最初の一歩が示されます。 「今のボールの投げ方はいいですね!」 「素晴らしい!」というプラスのフィードバックで、 望ましいフォームを習慣化させていくことが大事なんです。(p.097) 出来て当たり前のことだからこそ、はっきり評価する。 部下から悪い報告を受けたら、 まず最初に、”いち早く悪い報告をしたという行動”をほめること。(中略) それだけで、悪い報告がすぐに上がってくる確率は格段に上がります。(p.119)なるほどと、思わず頷く、納得解説。あと、必ずメンバー全員に公平に話しかけるために、コミュニケーションをとった回数を記録しておくとか、SNSを利用しての、グループコミュニケーションとか、面白いアイディアも掲載されています。
2015.08.30
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博報堂「地ブランドプロジェクト」は、 民間企業の商品・事業プランディングをサポートしてきた経験を 地域活性化に生かすことを目指し、2003年春に設立された。 本著は、その社内プロジェクトによる「日本を救う地域ブランド論」。 広告会社の作った一冊にふさわしく、 通常の書籍とは一味違う、プレゼンテーション。 読むものに伝えることに拘りきった、 レイアウト、フォント、図、写真、グラフ等々。 *** 地ブランドは、3つの領域で構成されます。 1つめが、場に着目する観光地ブランド。 2つめが、モノに着目する特産品ブランド。 3つめが、そこに住む人、生活に着目する暮らしブランド。 これは、行きたい価値=観光地ブランド、 買いたい価値=特産品ブランド、 住みたい価値=暮らしブランド、の3つと整理することができます。 地域名称を付加することで、人々に「あ、いいな」とプラスの価値を想起させ、 「訪れてみよう」「ちょっと値がはっても買おう」 「いつかは住んでみたい」または「やっぱり、住み続けたい」と思ってもらう。 これこそが、地ブランドの最終ゴールです。(p.15)そのゴールに到達するためのノウハウが、丁寧に示されていきます。 しかし地ブランドづくりにおいては、 地域の「ウチ」と「ソト」をともに巻き込むことが重要と考えます。 「ウチ」の地域住民の誇りが「ソト」に向けての発信力強化につながり、 反対に「ソト」の社会からの高い評価が 「ウチ」の地域住民の満足度、誇りの向上につながるというように、 両者には強い相関関係があります。(p.17)そう、この「ウチ」と「ソト」の両面攻撃こそが、成功の秘訣。どちらか一方だけでは、決してうまくいきません。 結論から述べます。 数多くのブランド群から頭ひとつ抜け出す強い「ブランド」には、 「オリジナリティ」「ブランド・アイディア」「インターナルの信頼」 「継続性」の4つの特徴があると考えます。(p.45)この中で「インターナル」については、さらにこう述べられています。 企業を例にとれば、強いブランドを持つ会社の従業員は、 例外なくその「ブランド」に誇りを持ち、 進んでその「ブランド」が持つ価値に奉仕するメンタリティを持っています。 逆に言えば、従業員にそうした高いモチベーションを与えることに成功できた企業だけが、 強いブランドをつくれるのです。(p.51)これこそが、地ブランドづくりのベースとなるところでしょう。そして、そのベースを築くための取り組みは、 「地元学」とは、地域の文化や資源を住民自身の手で発見するプロセスを通して、 地域らしさを追求し、共有していく持続的な取り組みのことです。 実際に地域を歩き、見て、聞いて、記録して、考える活動を通じ、 住民同士が交流しあいながら、地域のオリジナリティを発見していく方法です。(p.95)こういった活動を、いつ、どこで、誰が行えばいいのか?これは、一考に値する課題だと思っています。
2015.08.30
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雑誌『からだの科学』に1978年から81年まで連載したものに、 加筆・修正を加えたものだから、もう40年近くも前に書かれたものである。 記述を見ると、確かにひと昔ふた昔以上前の事柄が書かれているのだが、 そこに記されている治療姿勢については、古さを全く感じない。 本著を読むきっかけとなったのは、『うつの8割に薬は無意味』に、 本著の著者・中井久夫氏の名前が紹介されていたからであるが、 本著を読んだだけでも、その存在感の大きさを推察することができる。 確かに、これまで読んできた書物とは一線を画す、価値ある一冊だった。 *** 処方のとき患者に薬のことを話すのがよい医者だ、とはどの医療案内書にも書いてある。 しかし、患者の知りたいのは薬の化学構造式や教科書的な作用、副作用だろうか。 おそらくそうではあるまい。 医者が治療の戦術や戦略、あるいはそれをつつむ、 ひろい意味で「治療の哲学」としか呼びようのないものを考える必要があるのは、 何よりもまず、医者と患者との治療的合意に不可欠だからである。 それをできるだけふつうのことばで語りうるならば、それ自体が治療行為であり、 具体的に、薬の種類や量を減らす能力さえ持つものだと思う。 私は、実際、「医者」というものが同時に処方されれば、 薬だけの場合に比べて薬用量はぐっと減るか、 それと同じ値打ちの好ましい効果が現れるものだと思う。(p.66)これは、本当にスゴイと思った。著者は学生時代に、「医者が最大の薬である(あらねばならぬ)」と、飯田清二氏から繰り返し話をされていたとのことだが、このことは、薬についての論議に際して、もっと加味されるべきことだと思う。 発病した精神科医の話を先輩からきいたことがある。 病気になってみると「素人の患者」と同様、まったく「病識」がなく、 病気にふりまわされることにおいて、 彼の精神医学の知識は何の歯止めにもならなかったという物語で、 「ことほど左様に精神病は病識や判断力を奪うものである」という感想を、 その先輩医師はもらした。 私の頭に例の気味の悪い疑念が浮かんだ。 ひょっとすると、私たちの精神医学の知識は、実はまったく的はずれで、 実際自分が病気になってみたら、 それまでこうだと教えられてきた知識と全然違っているのではないだろうか?(p.95)これは、本著を出版するに際して協力者となった滝川氏による補足文である。意味深長な一文だと思う。 ある信頼すべき外国人教授の信を置くに足る観察 -信を置くに足る理由はここでは省くが-によれば、 どうやら、日本のかなりの範囲において、分裂病という診断の範囲は明らかに、 どの国に比しても広きにすぎるようである。この印象には私も同感である。 一般に輸入された概念は拡散するようである。 たとえば分裂病性欠陥という意味での「欠陥」ということば -頻用されることばであるが-が実際にどのように用いられているかを、 最近の精神医学の論文における用法を対象として検討したところでは、 あきらかに、拡散が生じている。時には誤用に近いものもある。(中略) 拡散のはなはだしいものは他に、「心身症」や「仮面うつ病」「境界例」だと私は思うが、 「作業療法」といった、一見、拡散を起こしそうもない概念も、 おそらく一部-であることを願うが- ヘルマン・ジーモンの実践したところからかなりの距りを起こしている。(p.147)これについては、現在でも同様のことが言えるのではないか。留意しなくてはならない点だと思う。 牧師、教師、医師といった、ちょっと無理をしなければ、 ふつうの人間の分際ではやれない仕事は、 その配偶者と二人で仕事をしているようなものだ、 という説をとなえる人が西ドイツにいるが、もっともだと思う。 家族はいくぶん、その無理を分担していて、 精神科医の間でささやかれているように、 かれらの家庭から出た患者は 皮一枚分くらいは治療にむつかしさが加わるようである。(p.313)これも、大いに考えさせられた一文である。言葉で説明するのは難しいのだが、ストンと腑に落ちてしまった。
2015.08.17
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アレンはヨロイとなって硬質化し、仲間達を熱と岩盤から守った。 これによって、ウォール・マリア奪還の可能性が現実味を帯び、 アレンの父が地下室に残した謎も、調査可能になってきた。 そんな中、リヴァイ達は、ロッド・レイスの巨人を追う。 ところで、エレンの持つ「始祖の巨人」の力は、 レイス家の血を引く者が持たないと、真価を発揮できないもの。 また、レイス家の人間が「始祖の巨人」の力を得たとしても、 「初代王の思想」に支配され、人類が巨人から解放されることはないという。しかし、ヒストリアは、エレンの父が初代王から人類を救うために、フリーダから「始祖の巨人」の力を奪い、レイス家の血を途絶えさせた上で、エレンに地下室の鍵を託したはずだと言う。つまり、レイス家の血がなくても、人類を救う手立てが、地下室の中にあるはずだと。そうこうするうち、ロッド・レイスの巨人がオルブド区に迫って来た。エルヴィンは住民を避難させず、その外壁で巨人を仕留めようとする。巨人化したエレンが、ロッド・レイスの巨人の口の中に火薬をぶち込み、うなじごと吹っ飛ばしたところで、ヒストリアがとどめを刺す。 ***ロッドと巨人化したウーリに追い詰められたのは、ケニー・アッカーマン。そこで、ウーリはケニーを解放し、以後、ケニーはウーリの友として行動する。ケニーの妹の名はクシェル、その息子はリヴァイ。母を亡くしたリヴァイに、ケニーは地下街で生き延びる術を教える。その後、ウーリの巨人の力は、ロッドの娘・フリーダに受け継がれた。対人立体機動部隊隊長となったケニーは、自身が、ウーリの持っていた力を得ることを、強く欲するようになっていく。が、最期を迎える時、ロッドからくすねた巨人化薬を、甥のリヴァイに託す。 ***ヒストリアは、巨人を倒し街を救ったことで、新女王として人々から受け入れられる。しかし、その実態は孤児院の院長、牛飼いの女神様。内戦に敗れた旧体制は、容赦なく粛正され、巨人の処刑台も発明される。ウォール・マリア奪還作戦実行の時が迫り、巨人化薬の使用判断はリヴァイに委ねられる。それにしても、初代王は、なぜ人類の存続を望まなかったのか?巨人は、悪夢にうなされ続ける人間なのか?そして、洞窟から逃げるエレンの父親と会っていた調査兵団の男は、キース・シャーディス教官なのか?さらに、ライナー&ベルトルトを倒し、アニちゃんを助けるのは、座標奪取の後だと言った獣の巨人と一緒にいたのは誰?多くの謎が解明されたようでありながら、まだまだ分からないことだらけのまま、本巻は終了。
2015.08.14
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「芥川賞選評」そして「受賞者インタビュー」を読んでから、 『火花』そして『スクラップ・アンド・ビルド』を読んだ。 「芥川賞選評」を読んで、人それぞれだなと思った。 だから島本さん、これからも良い作品を書いてください。 『火花』は、冒頭部にまず驚かされた。 さすがに芥川賞作品だと思った。 お話しとしても面白かった。 これは、又吉さんにしか書けない作品だと思った。『スクラップ・アンド・ビルド』は、最初「あれっ?」と思ったけれど、ページを捲るにつれて、引きこまれていった。これもやはり、芥川賞作品だなと思えた。それから、追悼号の「追憶篇」のうち、谷崎潤一郎、菊池寛、下島勲、小穴隆一の各氏の文を読んでから、芥川の『闇中問答』と『十本の針』『或旧友へ送る手紙』を読んだ。やはり、芥川だと思った。
2015.08.14
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本著のp.284~294に「作品相関図」が載っている。 そこには、25の作品の繋がりが示されているが、 私は『玉村警部補の災難』『ガンコロリン』『アクアマリンの神殿』 そして『スカラムーシュ・ムーン』は未読。 特に『ガンコロリン』を読んでいないことが致命的なのだろうが、 本著を読み始めて心底驚いたのが、東城大学医学部付属病院が存続し、 あろうことか、高階権太が未だに院長を務めていたこと。 『輝天炎上』の流れからすると、とても信じられない。まぁ、それでも田口・白鳥ペアのお話は、やはり面白く、大いに楽しませてもらった(やや腑に落ちないところもあるが……)。「放言日記」も読んだけれど、こんな人が、こんな作品を書けるんだなと、改めて思った。
2015.08.14
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『沈む日本を愛せますか?』の続編。 季刊総合誌『SIGHT』の2011年冬号から2012年春号までに 掲載されたものと、2012年2月の総括対談をまとめた一冊。 メンバーは、内田先生、高橋さん、渋谷さんで全く同じ。 東日本大震災を挟んで行われた、計7回の対談なのだが、 最後の対談時からは、既に3年も経過しているのに、 政権が、民主党から自民党へと逆戻りしただけで、 当時の課題は、何もかもそっくりそのまま残り続けている。 *** メディアはやっぱり、変化がニュースだからね。 「日本は、昨日と同じように今日も平和でした」っていうのは、 我々からしたらもっとも幸福なことなんだけれど、 メディアにとっては不幸なことなんだよ。 なんとかして事件を起こそう、変化を起こそうっていうのは、 メディアの本性なわけで。 自分たちのそういう本性を勘定に入れて報道してほしいんだけども、 ほんとに考えてないんだよ! 自分たちは、世の中に不幸が多ければ多いほど金が儲かるっていう ビジネスモデルを作ってるっていう、その罪悪感がないんだよね。 みんなが幸福だったら金にならない、っていうさ。 でも、マスメディアの本性、そこなんだよ。(p.098)これは、内田先生の発言。まぁ、改めて仰るほどのことでもないけれど、どういう本性を持ったところが、どういう思惑で情報を発信しているか、そのことは、常に押さえておきたいところではある。 アメリカにとって西太平洋っていうのは「裏庭」だからね。 そこで起きた領土問題でEUや中国が仕切り役を務めることは絶対に許せない。 だから、もし仲介するならアメリカしかないんだけども、 アメリカは仲介なんかしたくないんだよ。 だって、ロシアに「北方領土を日本に返しなさい」って言ったら、 ロシアが、「じゃあ、アメリカも南方領土を日本に返しなさいよ」って 言うに決まってるから。(中略) ロシアからしたら、北方領土なんて軍事的にも経済的にも、 それほど利用価値があるわけじゃない。 もし、北方領土返還と沖縄の米軍基地返還がトレードオフされるなら(中略) 外交的には大勝利でしょう? 日本だって、一気に北方領土と基地のない沖縄が戻ってくるんだからさ、 大喜びしていい。 日本政府としては、北方領土と南方領土の両方の同時返還ていう ソリューションが最高なんだよ。 そして、たぶんEUも中国もそれには反対しない。 反対しているのはアメリカだけ。(p.140)これも内田先生の発言だが、現在進行形の問題の原点が、まさにここにあるという感じ。これじゃあ、いつまで経っても、問題解決は望めそうもないが、それを、ちょっとでも動かしてみようとするならば…… 「沈む」という言葉にネガティヴ・イメージを感じるってこと自体が、 まだ成長戦略の虜だということだよね。 本来、後退戦とか、しんがりを戦うっていうのは、 軍事的にもっとも高い能力が求められるんだよ。(p.245)これも内田先生の発言。『軍師官兵衛』での、官兵衛の戦いぶりを思い出した。あとは、橋下さんについて、思いの丈を述べておられます。彼も、これから本当にどうするのかなぁ。
2015.08.14
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TVで「ナポレオンの村」を見ています。 とても面白いです。 そこで、原案本の本著を読んでみました。 脚本の仁志さんのスゴさが、よ~く分かりました。 だから、ドラマはドラマとして楽しんでいくことにしました。 原案本である本著は、あくまでも原案本です。 そして、そこに記されているノウハウをどう使うかは、人それぞれ。 このやり方がベスト、ということでもなさそうです。 *** そこで私は「若者が出て行かない町づくり」をめざし、 自活・自立できる農村集落を創りあげることを目的とし、具体的には 1.大規模市場流通体制から個別流通体制に換え、利益が直接農家に還元できるようにする 2.農作物の地域ブランド化を進める 3.雇用の創出が生まれるような、「直売所、加工所、集荷場、駐車場」などを設置する という計画を考えました。 これらを「山彦計画」と名づけ、神子原地区をにぎやかな過疎集落にし、 神子原地区の農産物のブランド化と1.5次産業化を図ろうとしたわけです。(p.26)「若者が出て行かない町づくり」そこで、著者が実行した上記の1~3のことがらを、どのような仕掛けをし込み、実現していったかが本著では描かれています。どれもこれも、そう簡単なことではなかったことが伝わってきます。 市長の号令のもとで、 過疎高齢化した集落の活性化と農作物のブランド化プロジェクトの 「山彦計画」が始まりました。 当時、神子原地区は高齢化率が54%と高く、 その大きな原因として農家の年間平均所得が87万円と 信じられないほど低いことがあると私は驚きました。 これでは若者は後を継ぎません。 神子原から出ていきます。 それを解消するには、生産者が自分で作ったものは自分で値段を付けて売る、 生産・管理・流通のシステムを作るという根本治療しかないと強く思ったのです。 けれどそのことを農家に伝えたら、169世帯中3世帯しか賛同を得られなかった。 農家が物を売れるわけない!という理由からです。 「おまえが売ってみせたら、俺らが売ってやってもいい」 という農家がほとんどでした。(p.129)そして、著者は言います。 人を動かしていくためには、とにかくやってみせて、 次にやってもらって、本人が納得しないと、絶対に動かないんですよ。(p.130)これが、著者のやり方の基本形。「とにかくやってみる!」ということです。失敗を恐れずに。でも、この失敗を恐れずにというのが、なかなか本当は難しい。もし失敗したら、自分が辞職したって、本当に責任とったことになんてなりませんから。 では、「心おこし」ということで、何から着手すればいいか。 そこで羽咋の悪いところばかり見ないで、 よいところは何があるのだろうと探してみたわけです。 4つある青年団グループから2~3人ずつ出てきてもらって夜に会議をし、 人・自然・文化・産業さまざまな分野について調べあげて、 羽咋でいちばんいいもの、誇りたいものを探してみようと調査したんです。 そして青年団のみんなでお金を出し合って、 半年かかって『羽咋ギネスブック』という本を作り、 市内の8000世帯全部に無料で配布したのです。(p.157)これは、とても良い取り組みだなと思いました。やはり大切なのは、自分が暮らす地域に愛着と誇りを持てること。それなしには、人はドンドン出て行ってしまうばかりです。実際、便利な暮らしや働き場所は、地域の外にあるわけですから。あと、興味深かったのは「烏帽子親農家制度」。でも、その成功を長期継続していことは、簡単ではないでしょう。そのためには、著者得意の「ロンギング作戦」や「レター作戦」だけでは、もちろんダメ。さらに、新たな仕掛けを、誰かが繰り出し続けていくしかないと思います。 公務員には3つしかないと思います。 いてもいなくてもいい公務員、いちゃ困る公務員、いなくちゃならない公務員。 それを選んでいるのは、結局、本人なんですね。 どの場にいてもそうです。 「いてもいなくてもいいやつなんや」と言われるのか、 「いなくちゃならない公務員だ」と言われるのか……。 これは未だに自分自身への問いかけでもあります。(p.252)私は「いてもいなくてもいいやつなんや」と言われることを、ずっと目指しています。どこに行っても、「自分がいなくても回る職場を作る」ことが、最終目標。「親がいなくても、生きていける人間に子どもを育てる」「先生が側にいなくても、やっていける生徒を育てる」と同じです。いつか自分自身は、その場から、そしてこの世からいなくなってしまいます。そのとき、そこに残された者が、何も困らずやっていけるようにしておくことこそ、人として、この世に生まれてきた者の使命だと思っています。だから、「葬儀でその人のすべてがわかる」という著者の考えとは、ちょっと違うのです。
2015.08.09
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又吉さんが芥川賞をとったことで、世間は大賑わいである。 しかし、天の邪鬼な私は、第148回直木賞受賞作の本著を読んでみた。 と言うのは冗談で、昨年、私の身近に「就活」をした人がいたため、 「就活」をテーマにした、この作品にとても興味を持ったからである。 この作品は、「就活」と、そこに絡む「SNS」をテーマにしている。 それ故、人間模様の奥行きや深さについては、やや朝井……じゃなくて浅い。 しかし、そこに漂う未成熟さや青臭さ、葛藤というものに、 多くの人たちが共感するのも、確かだろう。 たくさんの人間が同じスーツを着て、同じようなことを訊かれ同じようなことを喋る。 確かにそれは個々の意志のない大きな流れに見えるかもしれない。 だけどそれは、「就職活動をする」という決断をした人たちひとりひとりの集まりなのだ。 自分はアーティストや起業家にはきっともうなれない。 だけど就職活動をして企業に入れば、また違った形の「何者」かになれるのかもしれない。 そんな小さな希望をもとに大きな決断を下したひとりひとりが、 同じスーツを着て同じような面接に臨んでいるだけだ。(p.74)これからも自分探しの旅を続けるのか、それとも、ここで踏ん切りを付けて、現実にとび込んでいくのか。それは、特別な時代に生まれ、特別な環境下に育った者だけに与えられる選択肢。それでも、当事者となった若者は、大いに迷い、大いに苦しむ。 いくらこちらから願い下げだったとしても、最終的に選ばれなかったということは、 そこまで選ばれていたのに決定的に足りない何かがあったというふうに感じてしまう。 ESや筆記試験で落ちるのと、面接で落ちるのとではダメージの種類が違う。 決定的な理由があるはずなのに、それが何なのかわからないのだ。 これまでの人生で何度も経験してきた試験のように、 数学ができなかったから、とか、作文で時間が足りなくなったから、とか、 そんな分析すらさせてもらえない。 就職活動において怖いのは、そこだと思う。 確固たるものさしがない。 ミスが見えないから、その理由がわからない。 自分がいま、集団の中でどれくらいの位置にいるかがわからない。 面接が進んでいく中で人数が減っていき、自分の順位が炙り出されそうになったところで、 また振り出しに戻ってしまう。 マラソンと違って最初からゴールが定められているわけではないから、 ペース配分を考えるなんていう頭脳戦にも持ち込めない。 クールを装うには安心材料がなさすぎるのだ。 だから、その中でむりやりクールを装うとすると、間違った方向に進んでしまうことになる。 説明会で自分だけ私服だったことをアピールしてみたり、 就活という制度そのものを批判することで、 個性とか、夢とか、そういう大きな話への転換を試みてみたり。(p.155)これは、ES(エントリーシート)を何枚も作製したり、WEB上でテストを受験したり、何度も何度も厭になるほど就職試験に落ち続けた世代の者にしか書けない文章だと思う。だから、これで最後まで突っ走って欲しかった。SNSと絡めたことは、現代っぽさは出たけれど、底の浅い話になってしまった気がする。
2015.08.09
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『ぼくらの民主主義なんだぜ』の高橋さんと内田先生の対談集。 季刊総合誌『SIGHT』の2009年7月号から2010年11月号までに 掲載されたものをまとめた一冊で、インタヴュアーは編集長の渋谷陽一さん。 話題は古いが、そこで語られる本質は全然古くない。 内田先生は1950年生まれで、高橋さんは同学年、渋谷さんは一学年下。 渋谷さんの高校時代で全共闘時代が終わった。 それゆえ、渋谷さんの一学年上はニヒリズム、一学年下は楽観主義。 渋谷さん世代の坂本龍一や忌野清志郎らは、皆ロックになだれ込んだ。この一学年ごとの違いについてのやりとりは、なかなか興味深かった。全共闘運動で現役だった内田先生と高橋さんは、やはり、共通するものをもっているという感じが、全編に渡って漂ってるし、そこへ、渋谷さんがちょっと違う視点から言葉を挟み込むのが、とても面白い。でも、本著でさんざん扱き下ろされ、分裂・再起不能と言われ続ける自民党は、その後、押しも押されもしない安定政権を作り出し、現在のかなり強引な国会運営さえ為し得るほどの復活振り。まぁ、今後どうなるかは分かりませんが。本著の中での見所は、鳩山さんや小沢さんたちについてのコメント。鳩山さんって、首相になった頃には、こんな感じで受け止められていたんだ。「抑止力」発言については、現在進行形の問題だし。また、小沢さんについてのやりとりは、本著の目玉的存在。続巻も手元にあるので、そのうち読みます。
2015.08.09
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第1話は、懐中時計をめぐる元男子高校生と元女子高校生のお話。 川添君、ちょっと可愛そうな役どころだった。 続く第2話は、からくり時計と明里の義父、そして恋敵が登場。 明里の初さ加減が、何とも言えない。 第3話は、恋敵が腕時計を、秀司に逆回りにしてもらおうとするお話し。 恋敵が明里を気に入らない理由が判明する。 そして第4話は、鳩時計は本当はカッコウ時計だというお話し。 明里の実父と義理の弟が登場。以上、シリーズ3冊目となる本著は、4つのエピソードを掲載。お話しは、明里の家族について、真実が明らかになっていくものだが、いつも通り、ほのぼの癒し系で、安心して読み進めることが出来る。独特の雰囲気が、この作品の世界観を見事に形作っている。だが、一つ大きな難点が……作品と表紙の絵とのギャップには、閉口する。せっかくの作品の雰囲気が、ハッキリ言ってぶち壊し。読んだことのない作品だったら、絶対に手を伸ばさない表紙絵。1巻では全く感じなかったことだが、2巻で、「あれっ……」と思い、3巻では、「これは、読者拡大の妨げになる」と思った。作者も納得して、この表紙になっているのだろうけれど。
2015.08.01
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3月のメンタルヘルス・マネジメント検定で、2種と3種は合格できたので、 そろそろ11月の1種受験の準備を始めようかなと思っています。 そこで、タイトルからは、今さら感も漂っていたけれど、 頭の準備運動にはなるだろうと、本著を読んでみることにしました。 予想通り、内容的には『<正常>を救え』や『精神医療ダークサイド』、 『精神疾患は脳の病気か?』、『「うつ」は病気か甘えか。』、『うつに非ず』、 『なぜうつ病の人が増えたのか』、『擬態うつ病/新型うつ病』等々のように、 診断のインフレと多剤投与・過剰服薬の現状について述べたものでした。 *** ターナーら(2008)、カーシュら(2008)、フォーニアら(2010)の、 以上3本の論文により、SSRIに対する欧米精神医学の見方は、 いまやすっかり冷めたものになっています。 世界中の学会が軽症うつ病に対して抗うつ薬を第一選択からはずしました。(中略) そして、2012年日本うつ病学会もうつの大半を占める「軽症うつ病」については、 「プラセボに対し確実に有効性を示しうる治療薬はほとんど存在しない」 と宣言したのです。(p.84)さすがに、今年の5月に発行されたばかりの書籍だけあって、最新の情報が掲載されており、この点については、本著を読む価値は大いにあります。 今日、自律神経系、内分泌系、免疫系の3調節系の研究は目覚ましく進展しています。 検査技術も格段の進歩があります。 うつ病に関するストレス応答系の実態については、 今後も厖大なデータが積み重ねられることと思います。 とりわけ、免疫系にかかわる炎症性タンパクと呼ばれる物質の動きについては、 年々わかってきています。 そうなるとうつ病は、今後、 非感染性慢性炎症性疾患としての疾病像が作られていくこととなるでしょう。(p.116)これも、初めて知った内容。でも、まだまだ研究途上のようではありますが。 小学生に一流の数学者の価値がわからないように、 精神科医としての程度の低い人には、一流の精神科医、 たとえば、土居健郎、笠原嘉、中井久夫、各氏の価値は まったくわからないことでしょう。(p.187)断定してしまう書き方に、引っかかりを覚えますが、中井久夫さんの書物は読んだことがなかったので、取り敢えず手配しました。 「うつ=激励禁忌」は、一般の人にも知られていますから、患者さんも誤解します。 「頑張ろうと思うからいけないんだ。頑張らなくていいんだ。無理しなくていいんだ」、 そう思います。 それは、治療の最初期に限っては、間違いではありません。 しかし、その後のステージは別です。 特に、回復期には頑張りが必要です。 うつのリハビリで一番大切なことは自助努力です。 療養上の努力を自らが行うことなくしては、治療も回復も実現しません。 それを促し支えるのが精神科医の役割です。 周囲の人も、「ここを乗り越えれば、きっとよくなる。だから頑張ろう」と言って、 励ましていかなければなりません。 患者さんが一番ほしいひと言は、温かい励ましの言葉なのです。(p.247)自助努力が必要ということは、まったく同意。『うつ病治療常識が変わる』で印象深かった言葉と同じです。しかし、その人が、治療のどの段階にいるのかは、判断するのがとても難しい。見た目だけで、判断するのは結構危険だと思います。 生活習慣の基本をまとめると、 1.睡眠量。具体的には1日7時間、ないし1週間50時間の睡眠。 2.睡眠相の安定。具体的には平日と休日の起床時刻の時間差を2時間以内に保つこと、 3.アルコールの制限。つまり、飲酒量を減らす、回数を減らす、薬物療法中は断酒、 といったところです。(p.251)これが、著者が本著の中で繰り返し述べていること。まぁ、これについても異論という程のものはないです。ただし、p.223~240に見られる、著者のペンの暴れっぷりには、本当に休まなくてはならない人まで、休職を避けるようになってしまわないか心配です。 しかし「まず休む→治す→それから仕事」というプロセスが有効なのは、 かなりシビアなうつ病だけです。 もっと軽いうつの場合は、休職するという選択は、 しばしば患者さんをかえって厳しい状況に追い込んでしまいます。(p.223) それでは、企業が真に求めている人材とは何か? それは、「毎日休まず会社に来てくれる人」です。 逆にいえば、毎日来てくれないと困るのです。 企業にとって最悪の「招かざる人材」とは、 突然会社を休んだり、病気で何カ月も休む人です。 こういうことをやられると、企業としては、もうお手上げです。(p.227) 企業にとって人事管理上の最大の失敗は、社員に病気で休まれることと、 怠けて仕事をサボられることです。 二つは性格が違うと思われるかもしれませんが、企業にとって結果は同じです。 人件費の浪費、業務の振り分け困難、現場士気の低下…… 病気であれ、怠けであれ、企業の被る損失は同じです。 会社にとって社員は「無事これ名馬」です。 「うつ病なんぞで休まれるのが一番困る」というのが人事担当者の本音です。(p.227) 今後、職場のメンタルヘルスを考える際には、拙速なドクターストップは控え、 「働きながら治す、治しながら働く」ことを考えるべきです。 生活習慣を改善し、十分量の睡眠と、アルコールの節減を行い、 それである程度の健康が回復すれば、そのまま仕事を続けさせればいいのです。(p.232) それに、長期休職の事実に関しては、 同僚たちは冷ややかに受け止めていることは想定しておかなければなりません。 職場の同僚というものは、病気で休んでいるあなたに対して、 無限大の優しさで見守ってくれているわけではありません。 「このクソ忙しい時に休みやがって!」、そう思っている人もいるはずです。 間違っても、「病気になったボクのことを、みんな優しさといたわりで接してくれるはずだ」 などと思ってはいけません。 そもそも、職場というのは戦場のようなところ。 皆、忙しく、疲れ切っていて、人の心配などしている余裕はありません。 休職している人に無関心であるならまだまし。 むしろ、あなたに対して、「無用な業務を押し付けて、敵前逃亡しやがった」、 と思っている場合すらあります。 あなたに対する激しい憎悪が渦巻いているという可能性すら、 想定しておくべきなのです。(p.238) でも、さきほども述べた通り、仕事のスキル、同僚との関係、顧客の信用……、 休職することですべて失われてしまいます。 これまで長年かけて培ってきた人間関係のネットワークが、 時間とともに一つ切れ、二つ切れしていき、 気がつけばその従業員はすっかり「過去の人」となってしまうのです。(p.240) そんなこと、ちゃんと働いてるサラリーマンなら、百も承知です。だから休みたくないけれど、それでも休んで治療しないといけない状況なのかもしれない。それは、自分自身には判断できないから、目の前の精神科医の言葉を信じるしかない。それとも、そういう状況に追い込まれた人は、迷わず著者の診察を受け直すべきなんでしょうか?
2015.08.01
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