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昨日土曜日の午後からプログラムがスタートした。ビーチトゥリールームでフォーカライザーからのいろいろなインフォメーションの後、一人ずつフィンドホーンを知ったきっかけや、なぜ来たいと思ったかをシェアーした。 途中からゲップが止まらなくなってしまった人がいてとても苦しそう。彼女の説明では神聖な場所に行くと必ず起きる浄化作用なのだと言う。自分だけでなく、そこにいる人たちのネガティブエネルギーも一緒に浄化しているのだそうだ。 この部屋は6年前私が初めて「体験週間」に参加した時もミーティングに使った部屋。その時私が撮った写真に部屋を横切って飛ぶ大きな光の球が写っていて、それが今月号の「HADO]に掲載されている。それくらい部屋のエネルギーが高いということなのだと思う。 そして今日の午前中ボールルームでのセイクレッドダンスの時も、部屋の中央にキャンドルを灯した瞬間から彼女のゲップが始まった。 そしてその後の瞑想室でのエンジェルメディテーションの時も。ここでもキャンドルに火を灯してからだ。苦しそうでとても気の毒。私の友人にも一人とても敏感な人がいて、やはり神聖な場所へ行くとゲップが止まらなくなるのだ。 さて、瞑想の後一人ずつエンジェルカードを引き、自分のエンジェルについてシェアーをする。私のエンジェルはAdventure(冒険)というといっせいに笑い声が起こった。あまりにもぴったりということらしい。好奇心のおもむくまま行きたい所へ行き、したいことを臆せず行動して来た私だから自分でも納得。 そして一番最年少の23歳のFちゃんが引いたグル-プエンジェルはなんと、6年前の私たちの時と同じHumour(ユーモア)だった。何だか妹が出来たみたいで嬉しい。 午後は皆はパークツアー。イアンさんの案内でパークのあちこちを見学した後、明日からの作業の場所を決めているはず。私はクルーニーで一人お留守番。ゆっくりとお風呂に入って今この日記を書いている。でもそろそろみんなが帰って来る頃なので玄関にお迎えに行こう。
2006年04月30日
2006年4月29日土曜日。フィンドホーンのネイチャーサンクチュアリーで息子と由紀ちゃんの結婚式が行われた。すでに12日に入籍を済ませた二人は20日に日本を出て22日からの週息子はエクスペリエンスウイークに、由紀ちゃんはスピリチュアルプラクティスにそれぞれ参加して昨日終了したばかり。私たちのグループと、昨日到着した次女は今日の午後からプログラムが始まる。つまり今日の午前だけみんなが揃うと言うわけで、かねてからこの時に結婚式をしようと、イアンさんにお願いしておいたのだ。折しも昨日までの曇り空が今朝は見事に晴れ渡って素晴らしいお天気。偶然だがゴールデンウイークの初日であるこの日は日本でも大安吉日なので,きっと日本中で沢山の式が挙げられるに違いない。私たちのグループの人たちも大勢列席してくれることになり、息子たちのグループの人たちを含め30人くらいの人がバスでパークまで行ってくれた。司式をしてくれるイアンさんが先頭に立って2人ずつが腕を組んで行列を作り、コミュニティーセンターの前からネイチャーサンクチュアリーまで行進をした。イアンさんだけがモーニングでビシッとキメテいたが、新郎新婦も列席者もみんな揃って普段着。それほど広くない建物内に入って円形のベンチにぐるりと腰を下ろし、床にも座るとピッタリの人数。先ずイアンさんが祝福の言葉を述べてくださって、次に新郎の挨拶、というより神への感謝と、列席してくださった方々へのお礼の言葉、そして家族への感謝と続き、思わず私と次女は涙してしまった。いろいろと家族に苦労をさせ心配をかけた彼がフィンドホーンに来ていることだけでも信じられないのに、その彼から神への感謝の言葉が出て来るなんて!これが涙無しで聞けるだろうか。私もちょっと感謝の言葉を述べ、その後は二人と一緒のグループだった人たちからの祝福のメッセージが続く。そして皆一緒にオームを唱え、テーゼを歌う。ネイチャーサンクチュアリーの中にハレルヤのハーモニーが響き渡り、又もや感激の涙。隣りで盛んに娘が鼻をすすっている。外へ出てからは燦燦と照る陽の光の下で由紀ちゃんがプログラム中に作ったフラワーエッセンスをたらした水をみんなで飲んだ後、ダッファディルの花を一輪ずつ手に持ってアーチを作り、その下を新郎新婦がくぐる。これはスコットランドの風習らしい。そして叉行列を作ってコミュニティーセンターの前へ戻って来た。なんと幸せな二人。そして私たち。こんな素敵なセレモニーをしてくださったイアンさんありがとう!二人のフォーカライザーのハンナにカトリーヌ、そして私たちのフォーカライザー、ジュディス(なんと彼女の衣装は綿入れのはんてん)と邦江さん、通訳のマリリーナ、レブさん、かえさん、大勢の仲間たち、ほんとうにほんとうにありがとう!!
2006年04月30日
朝起きるとあいにくの雨。キャリアーで引いて行く荷物が濡れないようにビニールでくるんで日暮里駅まで歩く。京成ライナーで約1時間。成田空港第一ターミナルに到着。とてもすいている。宅配で送ったスーツケースを受け取り、待ち合わせ場所で待っていると参加者の方たちが続々と集まってくる。今回は22名で丁度半数が東京及び近県から。そして遠くは九州、北海道及び関西、中部からの人たち。ほとんどがここで初対面となる。ブリティッシュエアウエイズ8便は定刻通り離陸し、ロンドンはヒースロー空港まで約12時間の旅が始まった。ヒースローで3人のメンバーと合流して入国の手続きを済ませ、国内便に乗り継いで更に1時間半。ようやくスコットランドのアバディーン空港に降り立った。少し待っているとフォーカライザーのクニエさんが大型バスで迎えに来てくれた。夜の8時過ぎだというのに、日没前の太陽の光がまぶしい。2時間近くバスに揺られた後、2軒のB&Bに分かれてようやく身体を休められる場所に到達した。成田を出てから延々18時間の長旅だ。いや、地方から上京した人にとっては丸1日がかりの旅になったに違いない。土曜日からの宿舎となるクルーニーヒルカレッジをはさんで南に位置するパークマウントホテルには男性女性4人ずつの8名に通訳のMさん。そして北のニューボールドハウスには残りの14名が泊まることになりそれぞれ3人から5人の部屋に分かれたら、なんと私の寝場所がないことが分かった。個室は取れないから参加者の人と相部屋と言われていたのだが、私が入ると一人ベッドのない人が出来てしまう。そこで、みんなを案内した後自分の部屋に行ってしまった管理人のデイビッドを急いで探して頼んだら、急遽スタッフ用の一人部屋を用意してくれた。お陰で私だけ個室となりラッキー!そんな騒ぎで荷物の整理が遅くなり、疲れてしまったので新月のお願いを書くのをすっかり忘れて寝てしまった。英国時間では19:35だから、宿に着いてすぐ書くと丁度いいですよ、なんて皆には説明したのに、うっかりしているうちに最初の8時間は過ぎてしまった。まあ、私の願い事は大体叶ってしまっているので、別に書かなくてもいいということかも知れないと思うことにしよう。
2006年04月28日
朝新幹線で上京。銀座で友人のMさんと待ち合わせてかねて予約しておいたカラーコンサルティングのお仕事をなさっている方の所へ行く。 まず30色ずつ四つのパターンに分けてある色の見本を見て自分の好きなグループを選ぶことからスタート。 大きく二つに分けて全体に黄色が混じっているWARMと、ブルーが入っているCOOLがあり、WARMは更にパステルカラーの可愛らしい色の並んだ「春」と全体に少し茶色がかったような落ち着いた色の並ぶ「秋」に分かれる。 COOLは少しグレーが混じったような柔らかい色の「夏」ときれいなハッキリした色合いの「冬」。 どれもとてもきれいで迷ったが、二人が選んだのは共に「夏」だった。 次に実際にグループ分けした布地を胸に当ててどの色がその人を引き立てるかを鏡の前で調べて行く。それもすっぴんの時とメイクをしてからと2回。 それはただ似合うかどうかだけではなく、色彩の持つエネルギーがその人の波動と同調して初めてその人の本来の良さや、果てはこの世に生まれた使命まで引き出すからだとのこと。 メイクに使うシャドウやチーク、口紅も同じということで、それはとても納得の行く理論だ。 全ての色を実際に当てて行った結果、私はまさに自分の選んだ「夏」のカラーが私のものだと分かった。 その色を身につければ全体にソフトでしっとりとしたエレガントさが発揮出来るのだそうだ。 一方Mさんに実際に合う色は「冬」と判明。私には強すぎるハッキリとした色合いが彼女の持つ少女のような可愛らしさを引き出してよりチャーミングになるという。 いつもはお化粧しない彼女だが、それもしっかりやりなさいとのアドバイス。確かにバイオレットのシャドウに赤の口紅をつけたMさんはとてもイキイキとして素敵! どちらかと言えば控えめな彼女がもっと自分を前へ押し出し目立つ色を身につけることで本来のものが十分に発揮出来るから大いに変われると言われた一方で,「広瀬さんはもう変われません」とのご託宣。ちょっぴりガッカリしたら「もう十分に自分の人生を生きているからです」と言われてホッ! 「今日は確認をしに来たようなものですね」と言われてしまった。 メーク道具もいつもなら持ち歩かないのに、今日は娘の家に泊まるので丁度持っていたためお見せしたら、どの色も合格だった。 やはり自分で知らないうちに自分のカラーを選んでいたらしい。そう言えば最近買った服はどれも「夏」のカラーのものばかりだった。 お陰でこれからはいろいろと身につけるものを選ぶ時に参考になりそうだ。 ところで明日はいよいよフィンドホーンへ出発の日。ほとんどが初対面の方たちと成田でお会いするのがとても楽しみ。 行って来ま~す!
2006年04月26日
今日ようやくからまつ坊やが目を覚ました。4月に入ってからも冬に逆戻りする日もあったけれど、自然の営みは変わらないのだと感動する。毎年大体4月25日前後になると、昨日まで茶色一色だったからまつの芽が薄皮を破ってグリーンのベレー帽をかぶったようにいっせいに目覚めるのだ。それがどの枝にもお行儀よく並んでなんとも言えず可愛らしい。ようやく春が来たという実感が湧いて来てウキウキとして来る。まわりを見ればいつの間にかあちこちが緑がかって来ており、いち早くサクラソウもチョンチョンと地面を割って出て来ている。森のいのちの全てが再生していっせいにシンフォニーを奏でるようなこの季節が私は大好きだ。こうした繊細な季節の移り変わりを味わえる所に住んでいられる幸せに改めて感謝!さて、いよいよフィンドホーンへの出発が目前に迫って来た。明日はスーツケースを送り出すので今夜はパッキング。明日の午前中は、留守の間お店をやってくれる北軽コミュニティの仲間たちに酵素玄米の炊き方やコーヒーの入れ方、チャイの作り方などの実習をしなければ。そして午後はほかの仲間も集まって定例会。「北軽で遊び隊」2回目のミーティングだ。5月28日(日)は「山菜採りハイキングと山菜てんぷら&手打ちそばの夕食」が決まっているけど、さて、その次は何をして遊ぼうかナ?
2006年04月24日
今日初めてうぐいすが鳴いた。ようやく春が来たのだ。 雪は屋根から落ちたのが山を作っていた所だけまだわずかに残っているだけで、もうすっかり消えてしまった。 でも雪が溶けるとその下に埋もれていた枯葉や枯れ枝が目に付いて庭がとても汚い。 昨日軽井沢へ降りた時、ホームセンターの前を通ったら花の苗を沢山売り出していた。お店は29日からオープンだからそろそろ花も飾らなければと霜に強いパンジーとビオラだけ30個ほど購入。 そのまま追分のアレキサンダーテクニークへ行ったら携帯に電話があり、近くの別荘のYさんがお花を少し届けておきましたとのこと。 お礼を言って帰って来たら、少しどころかプランターや鉢に植え込まれたさまざまなお花が沢山並んでいた。全部タネから丹精して育てられたのだと言う。 畑は好きでも園芸下手の私とは大違いで、花を育てるのが大好きと言う方だ。 そして今日の午前中叉来て下さって落ち葉掃きや苗の植え込みを手伝ってくださった。 今までは園芸好きの息子が時々来ては庭仕事をしてくれていたのだが、結婚して沖縄へ行ってしまったので、今年からは一人でどうしようと思っていたら、神様はこうしてちゃんと代わりの方をおつかわしになるのだ。本当にありがたいこと。 Yさん、ありがとうございました。 お陰で庭はすっかりきれいになり、お店の前も華やいでオープンの準備が整った。その時一声「ホーホケキョ」。今年の初鳴きだ。 からまつ坊やももうじき薄い膜を破って緑の帽子が飛び出して来そう。今年はいつまでも寒かったけれどもう大丈夫。あとは木々の芽吹きを待つばかりとなった。
2006年04月19日
1996年4月23日。この日に私は小犬のウイッキーと共に一人でこの家に越して来たが、その時は必ずしもハッピー、ハッピーの状態ではなかった。 ふとその前を通りかかった不動産屋さんとの出会いから今の土地を購入することになり、そちらから紹介された建築屋さんに喫茶店付きの家を建ててもらってから10年。他には誰も知る人のなかった時から思うと、どれだけ多くの人たちとご縁が出来たことだろうか。 お店をしようと思ったのは一人でポツンと住んでいるより、いろいろな人たちとの出会いがあったほうがいいと思ったからだが、それはまさにその通りになった。 メニューを自然食、玄米を中心にしたため、通りすがりのお客さんというより、わざわざ探して来て下さる方たち、それも品の良い、意識の高い方たちが多いので、お客さんとの間には何のトラブルもなく、むしろ信頼出来るお友達が沢山出来てしまった。 フィンドホーンへのツアーやトランスフォーメーションゲームを始めてからは若い人たちとの接点も増え身辺はいつも賑わっている。忙しいことは確かだが、嬉しい忙しさだ。 毎日が楽しくてしょうがない。 それで去年の暮に完成したお店の改装のご披露も兼ねて、これまでお世話になった方、近所の方、昔の幼馴染とも言える友だち、お店を通して親しくなった方、フィンドホーンを通して友達になった人たちなど20名ほどの方をお招きして今日10周年記念のパーティーを開いた。 うちで作ったお赤飯やおすしなどのほか近所のお店に頼んだお料理やケーキで食事をして頂いた後、ドームパラダイスのオーナーによるクリスタルボールの演奏を皮切りに、歌を歌ってくれる人、フラや新舞踊を踊ってくれる人、自作の詩を手話を混じえて朗読してくれる人などが次々に盛り上げてくれてとても和やかな良いパーティーとなった。 準備や片付けも娘や友人たちが手際よくやってくれて皆さんが帰った後はもうすっかり洗い物も済んでしまっていた。 私はただ自分がしたいことをし、行きたい所へ行き毎日を気ままに(しかし誠実に)生きて来ただけだが、それを認め受け入れてくれる方が大勢いることを改めて感じて、本当に幸せ者だと思った。 10年前に抱えていた悩みもきれいさっぱり解消し、想像もしなかったハッピーライフが実現している。この地に導いてくれた大いなる存在への感謝、まわりの方たちへの感謝と共に、思うだけでなく確実に行動を重ねて来た自分自身へも賛辞を送りたい。
2006年04月15日
今日からスクールカウンセラーとして毎週木曜日に埼玉県まで通うことになり、今日がその第一日目。 お昼過ぎに学校に着くと机の上に給食が用意されており、さっそく頂く。育ち盛りの中学生と同じ量ではさすがに多すぎてパンも牛乳もデザートも残してしまった。 それにしても給食なんて何十年ぶりだろう。 小学校の時にほんの一品ほどコッペパンと出された記憶があるが、中学にはなく、特に私立の女子高に転校してからはすっとお弁当だった。 しばらく校長室で校長先生とお話をしてから体育館へ案内される。今日は新入生に部活を紹介する日だそうで、それぞれの部の先輩たちが工夫をこらした寸劇を演じながら自分たちの部を紹介し入部を勧めている。 とてもスポーツが盛んな学校らしい。 今日はそんなわけで生徒との接点はなく、相談係りの先生と打ち合わせをするだけで終わってしまった。ご多分にもれず不登校の子や問題のある生徒も何人かいるようだ。 子どもの問題行動の陰には必ず親の問題がある。家庭内にコントロールが存在し、それが緊張と恐怖を子どもに抱かせる。 それを解消せずして子どもだけを何とかしようとしてもだめ。昼間の時間はむしろ親たちの訪問を受けるか、こちらから訪問することになりそうだ。 私にどれだけのことが出来るか分からないが、子どもを引きこもりや依存症や犯罪者にしないために、ハラを据えて親たちとの真剣勝負をしたいと思っている。
2006年04月13日
最近クジラと高速船が衝突して多数の怪我人が出ると言う事故があった。本来ならもともと身体に備わった装置を使って決して進路を誤らず、こんな事故を起こし得ないはずのクジラがなぜ?と思うのだが、マスコミは知ってか知らずかあまり詳しいことを報じない。 船に取り付けたクジラの嫌いな音を発する装置が、船の高速化によってクジラに届かなくなったせいだろう、などと解説していたが、そんな単純なことではないような気がする。 いつかも沢山のイルカが湾に迷い込んだり、シャチの群れが流氷に閉じ込められたりしたことがあった。 他にも1頭だけクジラやイルカが迷い込んで死んでしまった例もある。 動物たちは、渡り鳥も含めて精妙な磁気感知装置を備えていて、地球の磁気を感じ取りながら危険を避ける本能を備えているはずだ。 それが最近狂って来ているのではないだろうか。 今は地球の磁力が非常に弱くなっていると聞いたことがある。人間もその磁場に影響されているはずだ。心と身体のバランスが狂って来ても不思議ではない。最近の異常気象やおかしな事件の頻発もそれと関係があるのではないだろうか? と、私みたいなシロートのばあさんでさえ疑問に思うことをなぜかマスコミは報道しない。 専門家の間ではかなり研究が進んでいて一部の出版物などでは報告されていても、特にそういうことに関心のない一般大衆には届かない。 のんきにテレビのアホ番組に大笑いしたり、人殺しドラマに熱中している間に、地球はどんどん変わって行っているというのに。 真っ暗な宇宙空間にぽっかりと浮かんでいる地球。多くの惑星や天体との完璧な秩序の中で、精妙にバランスを取りながら猛スピードで回転している地球の姿に思いを馳せる時、このバランスがいつまで続くのだろうかと、空恐ろしくなることがある。
2006年04月12日
呼吸法は習ってから48日間は続けなければいけないと聞いて、エエーッ?!と思ったのだけれど、途中からとても楽しくなって挫折せず、今朝無事48回目を達成した。 おめでとう!と自分を祝福。 ウオーキングも水泳も続かず、努力が必要なものは全て苦手な私が続けられたということは画期的なこと。今では顔を洗うのと同じくらい習慣となって、何の努力もいらない。 つまりは習慣となるまでに48日連続というのが必要なのだろうと思う。ナットク。 たまに朝食前に出来ないこともあるけれど、1日のうちのどこかで、空腹時にすればいいので気がラクだ。 勿論これからもズーッと続けるつもり。 慢性鼻炎は完全に治ってしまったし、花粉症は私は経験ないけれど、治ったという話を聞く。 終わって仰向けにしばらく寝ていると身体中を「気」が駆け巡っているのが分かり、それにつれて血液の流れが活発になっているのが感じられる。 つまりは便秘、不眠症、呼吸器の病気、高血圧、低血圧、心配性、イライラ病、ストレスの全てが改善されるはずだ。 現に私の200近かった血圧が正常値になったのだもの。 医者にかからずとも、恐ろしいクスリを飲まずともタダで しかも楽しく良い気分になれるこの呼吸法は断然おすすめだ。 私はインドまで行って習って来たけれど、この7月15日~17日に北軽井沢でそれが習える。ぜひ多くの方に参加して頂きたい。 会場の都合で限定20名。すでに10名の方が申し込んで下さっている。宿泊の方は連休なので満室になるおそれがあるため、お早くお申し込みを! 呼吸法を習う間は菜食が理想なので、以下のペンションをおすすめします。 ドームパラダイス http://www.d1.dion.ne.jp/~dptnk/ ダルシャン http://www.h3.dion.ne.jp/~darshan
2006年04月10日
昨日はドームパラダイスで聴覚障害の方だけのトランスフォーメーションゲームをした。その中のお一人でマイミクでもある女性と何ヶ月も前から何回となくメールのやり取りをしてこの日を迎えたのだが、私としては初めての体験。 大元のフィンドホーンでもこれまでにあったかどうかわからない。 シェアリングが中心で言葉のやり取りが多いこのゲームをどう進めたらいいかかなり悩んだあげく、何回も入る瞑想は私のノートをそのままコピーして渡し、目はつぶらずにそれを読んで頂くことにした。 そしてそれぞれのスクエアですることは、スケッチブックにマジックペンで大きく書いてお見せすれば口で言わなくても済む。 しかしお互い同志は手話で理解出来るシェアリングが私には分からないし、私のコメントも伝えられないとあって、どうしても手話通訳の方が必要ということになった。 そこで県から派遣してもらおうと調べたら6時間もの長時間ではとても一人では無理だから3人は必要と言われ、費用も何万円かになるという。講演ではないので、と説明したがとうていゲームの内容を理解してもらうのは無理。 困り果てていたら、参加者の一人の、そのまたお友達でプロの方が手伝ってくださるということになってようやく実現したゲームだった。 聞こえないのは生まれつきの方、赤ちゃんの時の注射が原因の方、大人になってからの病気が原因と言う方とさまざまだったが、皆さんとても明るくて、主婦として、叉社会人として立派にお仕事をしていらしていて前向きな方ばかり。 手話通訳の方も完全にプロフェッショナル。しかもスピリチュアルなことが分かっていらっしゃる方だったのでゲームはとてもスムーズに進み、お一人は「トランスフォーメーション(変容)」のスクエアに降りて一足先にゲームオーバー。しかもその方の守護エンジェルは「トランスフォーメーション」だったのだ。 こんなことは初めて。私までワクワクとしてしまう。 聞こえないという障害があるお陰で瞬間視力や何かを感じ取る能力の鋭敏さなど、いわゆる健常者をしのぐ力があるなら、決してこれは障害とは言えない。足りないものがあればそれを補って余りあるものがあるのだから。 初めてお会いして私も沢山のものを頂いた一日だった。
2006年04月09日
4月3日から今日まであちこちに行って来た。 まず3日は銀座で中学の時最初に英語を教えて頂いた先生の80歳のお祝いの会。どちらが先生か分からないほど禿げ上がった男性の同級生も含めて10人が集まりン十年前の話に花が咲く。 4日は板橋でトランスフォーメーションゲーム。 5日は讃美歌の会と読書会。この日は雨と風で寒かったぁ。せっかくの桜も無残な姿に。 6日は中2で転校してから高校卒業までお世話になった先生の92歳のバースデーを祝う会。 やはり10人ほどの同級生と吉祥寺のフレンチレストランに集まった。 恩師お二人は本当に元気。その秘密は「医者にかからないこと」。つまり化学合成薬品を身体に入れていないということだ。 そして今日は県内のある公立中学の入学式。 最初に教育委員会へ行って教育長から辞令を頂く。 晴れて非常勤講師の誕生である。 これから毎週木曜日は新幹線でこの中学にスクールカウンセラーとして通うことになる。 保護者としてでなく中学の入学式に参列するのは初めてだが、ブラスバンドの演奏に迎えられて真新しい制服と真っ白な上履きで入場して来る新入生を見ていたら何だか胸が熱くなって、不覚にも涙がこみ上げて来てしまった。 やはりかわいいなあ、1年生は。 まさかこういう場で本職の先生方と並んで紹介されることになるとは思ってもいなかったのでいささか緊張する。 教育長が式辞の中で私を紹介してくださり、「ご本人のたっての希望でセンセイとは呼ばないでください。私たちがいつも呼んでいるように北軽井沢の尚さんと呼んでください」と言ってくださったのだが、先生方はとても呼びにくそう。何だか気の毒なので「広瀬さん」でいいことにした。 「センセイ」はとても便利な呼び方だけど、無意識に上下関係が出来てしまうようで私はいやなのだ。外国ならファーストネームで呼べばいいから便利なんだけど。 その昔これからの時代は各学校にカウンセラーを配置する時が来るに違いないと考えてしばらく講座に通ったことはあるが、そこはお免状を出さないところだったので途中でやめてしまった。 それが今頃になって実現するなんて信じられない。「夢は描いたらすぐ忘れなさい、そうすれば適切な時に実現する」というのは本当なのだ、としみじみ思った。
2006年04月07日
郵便受けに一通の手紙。差出人は九州の心当たりのない人。いぶかしく思いながら封を切って読み始める。 そして分かった。 「ああ、あの人のお母さんだ!」 あの人、とはまだ会ったこともないアメリカの獄中の人。何年も前から新聞の短歌の欄で時々名前を見かけていた人だ。短歌の内容から刑務所にいる人だとは察しがついたが、どんな罪なのか年齢も何も分からない。でもどの歌も胸を打つものが多く、私はいつの間にか短歌欄を開く度に無意識のうちにその人の名前を探すようになっていた。 そして去年、ある大手の出版社からその人の歌集が世に出たのだ。新聞広告でそれを知った私はすぐにアマゾンから取り寄せた。 そこには沢山の短歌のほかにエッセイや鉛筆だけで書いたスケッチも載っていて、彼が終身刑ですでに20年をカリフォルニアの刑務所で過ごしていることが分かった。 たった3畳ほどの狭い独房の中と、時たま運動に出る塀の中の空間しかないところから次々つむぎ出される歌の数々に比べ、彼よりもずっとずっと自由で広い空間にいるのになかなか作れない自分の作歌力の貧しさをほんとうに恥ずかしいと思った。 老い母が独力で書きし封筒の ゆがんだ英字に感極まりぬ あの山の向こうに太平洋がある 夕陽の彼方に日本がある 獄窓(まど)に置きし餌に寄る野の鳥が 「籠の鳥」なる我を眺むる 母さんに「すぐ帰るから待ってて」と 告げて渡米し30年経ちぬ と、まだまだ心を打つ歌が沢山ある。 ペンネームや桜島を詠った歌が多いことから鹿児島出身の方と察しがついた。 「あの山の向こう」にはエサレンがあることも分かったので、一度面会に行けないかなと考えた。ロスアンジェルスの友達に話すと車で連れて行って上げると言う。彼女がインターネットで刑務所の住所を調べてくれたので手紙を出してみた。しかしペンネームでは届かず戻って来てしまったので、そのまま出版社に送って転送を頼んだ。 そして忘れた頃に彼からの返事が届いたのだ。 几帳面なペン習字のような字で丁寧な文面だった。しかし面会には非常に複雑な手続きが必要なこと、小包なども受け取れないことなどが書かれており、何か鹿児島の名物でも持って面会に行けたらという私の甘い考えは打ち砕かれた。でも私の気持は伝わったようでとても感激してくれていた。 それから数ヶ月経って、今回のお母さんからの手紙だったのだ。彼が私の手紙を転送したのだそうだ。 ご主人が脳溢血で倒れ、長いこと一人で介護なさっていたが今は病院へ見舞いに行く毎日であることや、息子のことを思うと胸が張り裂けそうなどと書かれており、私は泣けて泣けてしかたがなかった。私に会いたいとも書かれており、今年80歳だと言うその方を思い切り抱き締めて上げたい衝動に駆られた。 お母さん、鹿児島まで会いに行きますよ。 そして沢山、沢山話をしましょう。 6月には必ず行きますからそれまで待っててください。肉親なら面会出来るということなら私がアメリカまで連れて行って差し上げます。 という手紙を昨日書いて送った。 予定が詰まっていてすぐに飛んで行けない自分がもどかしいが、あと2ヵ月半、待ってて欲しい。 外つ国の獄に湧き出る短歌(うた)数多(あまた) 罪を浄むる岩清水のごと 高き塀を越えて飛び行く鳥眺め 帰れぬ故郷をしのぶや哀し
2006年04月01日
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