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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/神秘主義8 神秘主義を神秘観相と神秘哲学に分けたのは、シャーマニズムや呪術及び魔術などに代表される神秘観相の基底には多少とも其の人物に過去には神秘的体験があり、其の体験の様相に依って、シャーマニズムや呪術及び魔術などの形象を纒うことにあります。片や、神秘哲学は必ずしも別段には体験を前提とはせずとも、思考により霊魂の不滅や再生・再来を究めんとした思想、宗教が国家的集団的で教典の類を欠いていた古代ギリシアでは特異な古代密儀宗教であり、紀元前七世紀頃にディオニュソス崇拝から成立した神話的人物である詩人オルフェウスを創始者とする霊魂不滅信仰を説いたもの。後世のキリスト教思想に重大かつ根本的な影響を与えた。 プラトン・アリストテレス・ストア学派・新ピタゴラス学派などのギリシア哲学ばかりではなくその師アンモニオス・サッカスを介してオリエントやエジプトの神秘学を取り込んだプロチノスに代表される新プラトン主義的神秘主義は形而上哲学であり超越的絶対者としての「一者」を説くものの宗教ではなく形而上哲学の範疇にある神秘主義です。絶対的なものと自己とが体験的に接触・融合することに最高の価値を認め、その境地を目指しての行為や思想の体系を展開させる哲学であり、宇宙の根本原理を自らのうちで直接体験し、自己との合一を求める立場であって、絶対者は言語・思慮などを絶したものであるから概念的思考や単なる信仰では把握すること能わず、人間が自己を完全に滅却することによって「神秘的合一」可能にすると考えるのが特質です。先に思考ありきの世界で体験前提の神秘観相とは意を異にしています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月30日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/神秘主義7 通常「合理的」なと云えば、 道理や論理に適っているさまであり「合理的な自然界の法則」を指します。西欧人は20世紀までは、おおかた、誕生から環境世界から教会権威の元に何らかの関わりを持つ家族や牧師・神父に教導されており自然環境と同様に受け入れているので、キリスト教は合理的だと捉えられるのも無理からぬ事かもしれません。キリスト教は其のために教理を合理的解釈が出来得るように歴史的に教理解釈の改善・進歩を図ってきたのも事実です。然し乍ら、宗教に合理性を求めるのはる全体集合の元 である要素・対象・個体・変数 の間に、基本的な関係、公理を規定する数学的論理構造を取り入れたスピノザを待ちます。スピノザは神学を合理主義にまで高めた逸材であり、所謂、元来はアルタイ語系諸族に特徴的な原始宗教の一形態として、シャーマンと呼ばれる巫者が神憑りを行い,死者と交信して神意を示したり,悪霊を祓(はら)ったりしたもので、倭国の卑弥呼も巫女としてシャーマンの類になります、其の「シャーマニズム」は既成諸宗教の教学や神学が組織体系化されるに従い、霊的存在は合理的・抽象的思弁の対象となり、生き生きとした性格を失ったとも言えようが、既成宗教の職能者はもはや実体としての霊魂や神霊・精霊を扱えなくなったと批判される現代にシャーマニズムが再び台頭し、既成宗教と基層(民俗)宗教との間隙(かんげき)を、今尚(いまなお)繕う(つくろう)役割を担っています。シャーマニズムに並べられてる呪術や魔術は今日(こんにち)コマーシャルイズムとして茶の間を沸かす存在としてしか認識されないのは合理的を社会の標準とす現代の宿命でしょう。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月29日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/神秘主義6 ブリタニカ国際大百科事典は神秘主義を究極的実在との直接的・内面的一致の体験を重んじる哲学ないし宗教上の思想であり、其の体験を神人融合、主観と客観の対立を超越して直接的無媒介的だとして、歴史上の啓示や秘跡そのほかの合理的手段による経験とは区別していますが、此の歴史上の啓示や秘跡その他の合理的手段による経験はキリスト教を指し示しています。ナザレのイエスの現出は合理的な事実であり、将又、現実だとしても、「神の子」の認識に関しては第一弟子の聖ペテロは其の事実を数々の軌跡を目にしていながら、疑問を抱く要素はありません。合理的判断では{こと}の黒白(こくびゃく)がつかないから、ローマに入るのを躊躇(ためら)い引き返そうとして、復活のイエス・キリストに再度の貼付けを匂わされ、貼り付け覚悟でローマに入り、その思惑通りに貼り付けに処せられますが、自己の合理的判断だけでは疑いを拭えなかった自分を恥じて「逆さ十字架の刑(Cross-of-St.Pete)」を自ら所望しています。此の事実は歴史的現実だとしてもキリスト教が合理的判断の対象とするには無理があり、宗教上の立ち位置に留まっているのが、合理的でない証明ともなります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月28日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/神秘主義5 神秘主義を神秘観相と神秘哲学に素因から大きく別けたわけですが、実は両者の相違点はかなり曖昧です。記者も関与したことのあるブリタニカ国際大百科事典の解釈を見ても、神秘主義を神や絶対者などの究極的実在との直接的乃至内面的一致の体験を重んじる哲学ないし宗教上の思想と述べ、所謂「神憑き」までも神秘主義に含有させています。此の神秘的体験は言語では表現し得ないとするものの「モーセの十戒」や世界各地の教祖信仰を観相すれば言語化されているのが解ります。更には、直接的・内面的一致の体験をと述べますが、自身が「神」や「絶対者」と同期はする筈もなく其の同期は片面通行です。更に加えて「それは歴史上の啓示や秘跡そのほかの合理的手段による経験とは区別されるものであり、様々な歴史的現実として現れる」としますが、此れは神秘主義を神秘観念を権威宗教から見た観相として過少評価しているとしか思えません。ブリタニカの宗教思想の根本にはキリスト教があり、其の観点からも「モーセの十戒」を既成の事実であり、所謂「神憑き」より大いなるものとして別扱いにしますが、其のことは世界の認識の大小の問題であり、モーセが「神憑き」近似する体験、それも完(まった)くの守護神ならず、一度は殺されかけ妻の咄嗟の判断で赤子の割礼で生き延びる体験をし、抗らおうにも抗らえない其の後の行動の軌跡が正邪どうであれ「神憑り」であったことには異論の余地を挟み込む余地がないとするのが妥当でしょう。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月27日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/神秘主義4 神秘主義を神秘観相と神秘哲学に大きく別けた、其の一方の側である神秘観相とは、先行した思考や思想を持ち合わせず、境遇・環境世界によって多少の意味合いが異なって表面化しますが、自己の深層に眠る精神が意識の表層に駆け上り、何者かの意識が自己意識に目覚めさしたものである可能性が高いものです。此の体験は当の本人が認識しないまでも屡々というよりも十中八九、高圧的であり、抗えないところがあり、体験者の殆どが教祖や心霊者となっています。此の「抗えない力を持つ存在」が、体験者の其れまでの理性や性格をも改変し、度々の事件で世を騒がせています。ナザレのイエスが旧教の神の通詞(翻訳を司る者)である預言者(注:世界の未来を予言する予言者とは意味合いが異なります。)が神憑りと異なるのは、聖書の来歴を信じる限りは、神がナザレのイエスを選択したのではなく、神の異相として出現したことにあります。体験から入る神秘観とは、抑々(そもそも)の次元で相異なるものであり、信教上でも「初めに神ありき」では無く、存在が自己に降りたとの違いは顕著であり、事実が其のように語っても信教に頼るしか人々を納得させ得られないことに難点を抱えています。とはいえ、キリスト教も信教に頼るのは同様とはいえ、神学哲学が其れを補強しています。旧教のモーセの十戒は神秘哲学ではなく神秘観(念)を具現しています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月26日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/神秘主義3 神秘主義を「思考と直覚」が取り上げるのは、決して理性で理解出来得ないことを示そうとしている訳ではありません。確かにキリスト教の哲学に含有される神学哲学は教会権威から屡々迫害を受けた様に、単に、神教を究明解釈する神学を信条に、詰まるところ信仰に始まり思考するのです。神学哲学は信条に、キリストの現出の素因となる「神」の其の実相を究めんとしたものであり、其れは飽くまで基本であり全てが信仰を金科玉条とはしていません。其の代表例がスピノザの「エチカ」でしょう。同様に、神秘主義も大きく別ければ、神秘観相と神秘哲学に区分されます。神秘主義とは自己の体験から、「神或は絶対者」等と呼称される究極的な実在との直接的・内面的一致を探求します。神秘哲学にさも似通っているとはいえ、神秘的体験を前提とするところに神学哲学とは大いなる相異があります。前提に自己体験がある以上、喩え信仰を抱いていたにせよ、キリスト教以前の物事の真理を探求する神秘主義とは対象を異にしています。何れの主張にせよニーチェやサルトルの言う世界は世界内物質は別件としても、人間内に属する精神或は人間を制御する精神に関して「霊魂」存在は認識出来得ないとはするものの実存の第一に掲げ、其ノ他を物質存在としては認識されるものの、実存は本質に先立つものとして、本質を存在とは異なった、存在者のイデア的本性として位置付けているとしますが、形而上哲学否定の性向からは否定的に受け止められます。「実存主義」はニーチェのナチスのイデオロギーを支え、片や、ニーチェと一線を引くサルトルの無神論は共産主義のイデオロギーを支えたように、物質界に先行してある存在として、或は、泰然として否定し得ない現存在を前提として組み立てられます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月25日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/神秘主義2 神秘主義(mysticism)は屡々(しばしば)神学哲学と混同されていますが、立ち位置を「神」に置くのか「人間」の思考する主体の側に置くのかにより向く矢は双方が反対方向に飛んで行きます。さりとて、サルトルの共産主義的唯物論やニーチェの思考を支持し辿り着いた結果が悲観主義に陥った方々、此処で当然に私事(わたくしごと)なので名前は出せないことであるが、記者の知人で自分に面識があった人間の中で知る限り知能指数186以上とする人間が二十歳の若さで太宰治の玉川上水心中ではないが、同情した中学生の女性と自殺した例を見るとニーチェの思想は生半可に探求するべきではないのかも知れません。ニーチェの思想は「思考と直覚」を記す人間からは混乱の哲学とさえ言いたくなります。ニーチェは人間の幸せを望み、著書「ツアラストラはかく語りき」等により、人間の可能性を囲い込む形而上学的観念論及び其れを巧みに取り込んだ正教会の権威並びに権勢に利用した専制政治からの離脱を理想に自らの成長期の思考とも決別する大勇を実行しますが、結末は自己の思考の崩壊でした。辛うじての救いは。彼の妹がニーチェを見放さなかったことが幸いだったと皮肉ながらには云えます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月24日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/神秘主義1 此処にニーチェの章とサルトルの章を共に終章させるのには理由(わけ)があります。記者の「思考と直覚」に於ける「人間の霊魂を思考」とする霊魂観の対立的な立場から真否を容易に判別して頂きたいとする目的は一応はけじめが着いたと思われるからです。サルトルは初めから此の世界は「神」存在の無き世界を出発点とし、人間が認識・確認出来得ないものを否定します。片や、ニーチェが「神は死んだ」とするのは其れ迄には一応は神を認めており、人間実存主義の立ち位置に立って初めて「神は死んだ」、即ち人間には無用のものと成ったのであり、初期から神を認識の対象とはしないサルトルとは次元が違います。此処にジャンボール・サルトルが批判の槍玉に揚げた、ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille、1897年-1962年)、フランスの哲学者であり、思想家であって作家。フリードリヒ・ニーチェから強い影響を受けた思想家でもあり、後のモーリス・ブランショ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなどに影響を及ぼし、ポスト構造主義に影響を及ぼしたバタイユなる人物をサルトルが名指しで批判したために世間には知られなかった其の名が世に知らされますが、但し、実存主義の対抗馬としての神秘主義思想家としては何かしらの物足りなさがあります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月23日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル89最終章 此処まで永々(ながなが)とニーチェを解説したのは、ある意味「実存主義的無神論」の立ち位置では、サルトルもニーチェの言う「神の死後」ののちには人間を宗教的・道徳的次元に閉じこめておくことは不可能という信念をニーチェと共有しているところがあります。ところが其の思考過程、ニヒリズムという人間存在にとっては全く新しい状況からの脱却に関しては彼と袂を分かつ理論を解明したいがため別思考をとります。ニーチェの無神論は後に通俗化されて、ニーチェが通俗に陥ったと批判したワグナーが芸術を、ニーチェがナチスのイデオロギーを支え、片や、ニーチェと一線を引くサルトルの無神論は共産主義のイデオロギーを支える傾向が見取れます。第二次世界大戦は全体主義と共産主義の争いにハイデッガーお流れを汲む自由主義が一方に加担した戦争と見做すことも出来得ます。ニーチェとサルトルに神的傾向のハイデッガーが加担した争いだとも云えます。形而上学が存在者の充足理由としての存在の「有」しか問わなかったことを批判して、サルトルが存在者としては虚無である存在そのものへの問いに専心した点で,彼の思想は東洋の無の思想によほど接近している。だが総じて東洋の無が肯定的な意味をもつのに対し,西洋のそれは一般には考えたくもない虚無という意味を含意しており、虚無としての意識の否定性の中に人間の内存在の深淵をみてとったサルトルの実存思想の場合は「無」を見ます。それを理論的に体系化したのが「存在と無(1943)」であり、彼はこの大著で、意識存在としての人間の在りの儘の姿を捉えることを基本的な課題としたのです。此の徹底した自覚の道は、自由の思想とともに、その後の一貫した方法的態度をつくりあげること尽力することになりますが{無」其のものを定義・解明する迄には到っていません。サルトルもニーチェ同様に虚無を認容するのは「無」其のものを理解しないからです。サルトルには「人間の霊魂を思考」の題目からは余りにも離れて現実主義に肩入れしており、人間に霊魂在りや無きやに拘わらず、真味に欠けている嫌いがあります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月22日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル88/ニーチェ55最終章 ニーチェが発狂を迎えず、更なる人間実存の追求を思考したならば、恐らく迎えてくれるのは、矢張り(やはり)絶望という名に能いした「王」である筈です。ニーチェは人間実存を以って救済の「思想」を究めんとし、シッダールタは人間不常を以って救済の思いを究めんとしていますが、報われたのは明確です。ニーチェは世界の秩序として組み込まれた人間の救済・精神の解放に覆い被る信教権力や既成の哲学に果敢に挑みますが挫折しています。現代の「ムーアの法則プラスα」の世界としての「IT技術」の進歩社会では、何も半導体技術発展のみならず、ナノ・テクノロジーにより、地球文明の環境変化のサイクルが、其の科学技術をもとに飛躍的に変状の度合いを速めますが、「時間」の感覚も情報を取り入れるのに自分の精神を考察する余裕もなく医学進歩で寿命こそは延びたものの、「心の感覚」は「時」を早め、人間の寿命とは反対に「心」の寿命感覚は短縮しています。人類が発祥誕生し石器や言語、記録媒体に記す手段を得るのに数十万年単位の時が必要だった時代とは「時」其のものの変化する。「IT技術」は永遠から瞬間に向かっていると言っても過言ではありません。現代科学の秒速の発展が哲学及び信教の基底を塗り替える時代が来たのかもしれません。人間のクローン技術は何時でも可能な段階にあり、人間男性の皮膚細胞さえあれば卵子が受精可能な時代です。「IT技術」からの側面では、人間の心を持つアンドロイドによる人間支配、将又、人間をアンドロイド化した存在、ニーチェどころかソクラテスも臨んだ永遠の生命と知恵がを獲得する段階に科学は達したと断言したいところです。現代に生活する人間にとって、ある意味では生存とは看做し得ないが、「アンドロイドは夢を見るか」の夢想、アンドロイドに意識が有ろうと無かろうとアンドロイドとしての生殖疑似行動はにより繁殖はナノ・テクノロジーにより可能であり、ニーチェの「神は死んだ」の実践が始まり、ニーチェが再起動されることもあり得ないことではないかも知れません。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月21日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル87/ニーチェ54 多数の盲人が象の身体を撫でて、各々に夫々が自分の触れた部分の印象だけから象について述べたという喩えで伝わる昔のインド由来の説話、凡そ、其の人間には大人物や大事業などの全体を見渡すことは出来得ない。語源は涅槃経・六度経などで、人々が仏の真理を正しく知り得ないことをいったものですが、ニーチェのニヒリズム論は信教や形而上哲学から極力離脱したマルクス主義の唯物主観とは違った、人間実存の世界を中心に万有世界を組み立てんとします。過去の哲学に人間機械論、人間を機会に見立てる思想で古くは、古代ギリシャの哲学者エピクロスが万物を原子の動きと考えたことに発します。近代哲学の祖デカルトは、体を機械のようなものと見なす動物機械論を唱えたが、心のある人間の全体を機械とは看做さなかった。啓蒙の時代のフランスの哲学者ラ・メトリーは、人間は機械だと唱え、1747年に「人間機械論」を刊行。唯物論の有名な本である。科学の進歩に貢献したとは云え、実存を人間に帰しめたニーチェからは到底受け入れ難いものだったでしょう。世界万物は人間を中心にして開かれ拡がっているのであり、世界の万物こそが虚妄であり虚無、人間の認識なしには存在も曖昧とするものであり、思考法に「龍樹」の影響は見られるものの、思考から入る哲学と無念無想から入る哲学の相異が顕著です。思考から入る古代西洋哲学、特にギリシア哲学の唯物観や形而上学は現代にも通用する面もあり、史的には「其の次代のギリシア哲学を著したのは地球とは違う世界の人間形姿を持った人類種」としか想えません。ギリシア哲学が現代にも適用される面から云えば、ニーチェの虚無的な考察は永続する筈もなく、破局に陥ることが宿命だったとも云えましょう。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月20日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル86/ニーチェ53 シッダルダを世祖として敬愛する大乗の祖「龍樹」は世界のすべてを等値・仮象として捉え「空論」を説きますが、西欧人であるニーチェは西洋思想史の専門家としての立ち位置から、西欧圏の価値観ギリシア人のいう「宇宙の秩序」であるコスモス及びキリスト教徒の信じる摂理の舞台を離れ、「龍樹」とは似かよった、すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに捉え、自らの精神を「事象」ではなく「仮象」として捉え、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度、詰まりは、強さのニヒリズム、積極的・能動的ニヒリズムを説くに至ります。ニーチェは積極的ニヒリズムを肯定し、永劫回帰の思想の下、自らを創造的に展開していく、鷲の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」になることを薦めますが、ニヒリズムの超克という視点は、キリスト教の側面から、人間の精神、人間の理性は、論弁的な部分と並んで、超感性的、超自然的なものを直接的に受容する能力を備えている。人間は何かしらが「在る」という事実を感情的に感得することが出来得ること其れ自身がニヒリズムだとされた。ハイデッガーは「虚無主義」其のものをニーチェ批判する消極的ニヒリズムであれ積極的ニヒリズムであれ存在論的には「仮象世界」の構築に過ぎず克服すべきで、キリスト教ニヒリズムの克服を主張したニーチェは「ヨーロッパで最初の完全なニヒリスト」とも看做され、取り分け、ニーチェの最も過激な門人」と評されるエルンスト・ユンガーは、現代世界は、ニヒリズムの境界を通過したと言い、ハイデガーとニヒリズム論をニーチェと交叉させています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月19日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル85/ニーチェ52 ニーチェの思考方法論は人間の「心」と「意」に憶(おぼ)え、人間の内に在る心とされる精神の世界、取り分け精神に眠る深奥の霊魂の世界はニーチェ著作では半解のままに自らの解釈を試みています。特に彼の特異性に富んだ「神は死んだ」の解釈は簡易なようで誤謬に嵌まり易いフレーズです。自己が置かれている現状を超えるような価値を創造するのが人間だとするのは誇大視し過ぎる表現です。此処にニーチェの神への幼少期より慣れ親しんだ「神との親身(み)性」が課題に浮上します。然(しか)も、自己が置かれている現状を超えるような価値を創造したり、道徳を形成することで「神は死んだ」と飛躍するのは、ニーチェ自身の内精神の直観的な閃き、乃至は、人間存在への多上に過ぎる期待感から浮上したとしか云いようがありません。人間としての本来あるべき自己を形成していくということは認めるにしても、其の素因が然るべき世界に在り、其の然るべき世界の素因を問おうとしないのは、印度のシッダルダの思想の影響があるにしても、其の立ち位置が西洋に発展してきた人間実存主義では瓦解するのが当然にも想えます。ニーチェ自身の内精神の直観的な閃きが著書「ツアラストラはかく語りき」から想起されるシッダルダで、仏陀としての尊ばれる「覚り」に立ち位置を定めていれば「神は死んだ」は「然るべき世界」の条理として理解され、有るべき姿を纏う世界、常有で在り無でも在る世界の条理を究めることは不可能ではなかったでしょう。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月18日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル84/ニーチェ51 ニーチェは幼少期は勿論の事、少年期から青年期の自己成長過程において準拠し獲得してきた一切のものは敬虔なる宗教に生活基盤を置く家族の中で獲得したものです。何故「なぜ」に自己の成長過程において依拠し獲得してきた一切のものを「神は死んだ」の「一言(いちごん)」をもって自己の全人生を虚無に引き摺り込んだのか。此の語句はニーチェ自身の前半生を殺したとしたとも解釈が可能です。ニーチェの思考の原点は人間にあり、自らの発意の原点に眠る深層精神の拠りどころを仮相或は仮想的な「神」や「絶対者」ではなく、存在の「原点」を人間精神其のものとし、人間精神が実相することが出来得ないものは仮相であると断言します。ニーチェは世界は在るがべき儘に有り、他の存在が形象に立ち会う可きものではない。存在は自(おの)ずから存在するから既存と云われるのであり他の外力及び作用を必要とはしない。著書「ツアラストラはかく語りき」の一行々の行間には幼少期は勿論の事、少年期から青年期の自己成長過程に獲得してきた一つ々との決別を憶えながら書き綴られている様子が解ります。「神の死」とは単にニーチェによって提唱された、自己が置かれている現状を超えるような価値を創造したり道徳を形成することから、人間としての本来あるべき自己を形成していくという、単なるキリスト教からの超克ではなく、弱者の「虚無主義」では無く、強者のニヒリズムの宣言でした。人間は他力や外力を頼らずとも置かれている現状を超えるような価値を創造したり道徳を形成することが置かれている現状を超えるような価値を創造したり道徳を形成することが出来得(できう)る。「神は死んだ」の一言は自己が置かれている現状を超えるような価値を創造したり道徳を形成することは自らが人間としての本来あるべき自己を形成していくことが可能であり、他に依拠しない本来あるべき自己を形成していく強者の「虚無主義」を「超人」として表現します。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月17日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル83/ニーチェ50 ニーチェは基本的には思考の基底に、北アフリカ・中東・西欧で人類が史的に積み上げてきた思考の根底、主体や意識や理性という概念、更には近代科学や宗教や民主主義さえも、人間の「生(せい)」の実相とは程遠い虚偽であると看過し断定します。北アフリカ・中東・西欧で人類が史的に積み上げてきた思考の根底、主体や意識や理性という概念、更には近代科学や宗教や民主主義さえもニーチェに言わせれば、背後にエジプト文明思想や旧教・キリスト教やイスラム教等の信教加えて形而上的な哲学であるプラトン主義や唯物論があり、実体の無い「虚無」しか追い求めていないとします。ニーチェの定義する実体とは人間を生成した全体、人類から観想した世界自然其のものであり、其れ故に、世界の唯一の原理は人間の持つ「力への意志」が原理であり、近代的な理性の歴史とその進歩信仰は単なる真理からは離れるが発展的要素としての「黒子(見えてて見えざるもの)」となり、表舞台からは思想の意義を失い、世界の真実存在の根本は無限の時間の中での有限な人間の「力への意志」の戯れ「永劫回帰」だとし、外世界が巡る運動の中で人間の不滅「超人」を観想します。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月16日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル82/ニーチェ49 ニーチェの「超人」思想が堕天使の「ルシファー的」であると、教育家として著名な神秘思想家ルドルフ・シュタイナシュタイナーが決め付けたのにも真相に大きく離れたものとも云えないでしょう。ニーチェの実存主義思考が性格に相まって極度に進攻させた結果、絶大なるニーチェの支持者ヒトラーの誇大思想までを産み出したからです。其処には、「現実」に根ざさない「不可能」な試みともとれるが、ニーチェの成長環境からは納得は出来得るものの、自己の思考の深層に眠る内精神との戦いが観相されて悲愴です。ニーチェの意志は目的的で自己の生半可の内精神に立ち向かい戦いを挑(いど)み、其れを「超人」と表現したのでしょう。ニーチェの性状が常人には不可能とされることを繊細に思考していきます。ニーチェは学問その他の人間の営為を、その動機から根本的に暴くという面では、大いに「真実」を発揮しますが、自己に正面に向かう誤魔化すことの出来得ない意志が、成功かさすれば狂気に向かわざるを得ないことに自分を追い込んでいます。著書「ツァラトゥストラはかく語らき」はシッダルタを想起させ、其の意味では亜細亜の世祖の「覚り」に狂気に患わされなければ達していたかとも云えましょう。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月15日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル81/ニーチェ48 ニーチェの云う人間という「弱さ」とは無縁のものである強烈な「自然力」とはどの様なものを想定しているのかと云えば。保々、世界内存在として人間が想像・想定・観想する「神」が人間に与えんとするの「善」を超えた超人「其れ自体で善なるものであり、其れ自身で全(まっとう)した精神を獲得した者を意味し、人間を神の存在の高みに引き摺り上げる、詰まりは、人間実存の究極の思想です。此の言(げん)は、当然に信教上では神、形而上学的には「絶対」を人間精神に矮小化し蔑(ないがし)ろにしたものとしての批判は避け得られません。此の人間の心底に眠る自然の根底にも働く、無目的で限定づけられない強烈な「自然力」は、人間が人間の都合で善なるものとして構築した「神」を超えたものとするのであり、自然の根底にも働く、無目的で限定づけられない強烈な「自然力」を「超人」として捉えてはいますが、20世紀初めのオーストリアの哲学者であり、ヒトラーが未(いま)だ世に出られず無名だった時代、其の出現と災禍を予告したオーストリア人神秘思想家、かの有名なアドルフ・ヒトラーがまた無名だった時代、いち早く、その危険性を予言、警告した人物、人智学の創始者ルドルフ・シュタイナー「人智学運動」の中枢に云わせれば、ニーチェの「超人」思想が「堕天使ルシファー的」に捉えられたのもナチの台頭で頷けます。ニーチェの実存主義思考が神秘的思考に取り上げられる程にも成ったのは、妹テレーゼの努力により世に浸透させるために並々ならぬ努力したことが此の件でも証明されます。ニーチェは世界内存在の人間、即ち自己を愛するあまり、他の力を排撃しようとしたのは歪めようがなく、ニーチェ曰く超人の立ち位置こそがが虚無とされることが、彼の思考とは逆に表面化していき「虚無主義者ニーチェのラベル」が刻印されます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月14日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル80/ニーチェ47 ニーチェは教壇学問は言うまでもなく自己が身に付けた既成概念としてある思想の悉(ことごと)くを否定し、己を自己が生きんとする意志とした新たなる世界に相応しい哲学、「新しい人間実存の真相解明に取り組むことを目指します。人類の営みを塗り替える新たな試みに立ち向かうというのです。其れは、あるゆる既成の価値の価値転換であり、信教上の神さえ否定する変換思考、即ち「神」や「絶対者」を必要としない「超人」思想を究めることでした。「超人」思想とは「己の生」其のもの、人間精神が携える「生きんとする意志」其のものを全面的に肯定することを意味し、自己世界の外来の力である信教で云う「神」や哲学的な「絶対者」に依ること無く、自己を「生きんとする意志」其のものに「あらしめて成る」こと、全ての既成観念を捨て去り、新たなる人間像を構築することです。此の「意志」とは「力への意志」のことであり、時には破壊的で暴力的な「力」をも意味しています。ニーチェは或るとき、強烈な雷が轟くのを聞いて、初めてこの「意志」を直感したと言います。此の心底には自然の根底にも働く、無目的で、限定づけられない強烈な「自然力」であり、人間という「弱さ」とは無縁のものであるとして説いています。彼の世界自然の捉え方は「在るが儘にあり」永遠の本質であり、他の素因を要しないものと思考しています。仮に不滅の霊魂が在るならば世界内存在である人間精神が、人類として発展獲得してきた「理性」なるものが自ら生成したものだとしたのです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月13日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル79/ニーチェ46 ニーチェは、ギリシァの古代文献史に於いては若年より恩師の過大すぎるとも云える評価を以って推薦され大学に職を得るものの、自己の欲する哲学では、世間的にはあまりにも評価されずに自己的には心が低迷し、自己の思想を展開するために、所謂、病弱ということももありますが自ら教壇学問に見切りをつけ、自分一人の独立思考に基底を置いて思想を展開してみせます。此れ迄の人類の営みを塗り替える新たな試み、「大凡(おおよそ)、汎(あら)ゆる人間の全ての価値観の転換」を目指し、「神を不要とする超人を目指し展開してみせます。此のことは時代を、そして「虚偽への意志」を乗り越えることでもあり、「人間の生の基底」其のもの、即ち「生きんとする意志」そのものを全面的に肯定することを意味したというよりは、寧(むし)ろ「己を自己が生きんとする意志」其のものに成さし得めること、人間を世界内の単なる従々する者として生きるのではなく、精神世界の一枚岩に楔を打ち込んだのです。其れが人間実存から捉える世界存在にあるとした哲学に置ける「絶対者」、信教世界の「神」の放棄となります。「神は死んだ」はニーチェ自らに言い聞かせる「言(げん)」に相違ありません。ところが豈図らんや、ニーチェは自ら究めんとした自己の思想の確立と内層心理を思考制御する霊魂までは克服出来得ず精神が二重化してしまい「思想と内精神の摂理的衝動」の狭間で苦難を迎え入れます。言い換えれば自己の達成しようとする正しき理想と深層に眠る内精神の狭間()落ち込みます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月12日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル78/ニーチェ45 ニーチェは自らを史上の誰もが成し得なかった思考を試み、其れを実現したと自負しています。迫害を受けるのは旧来の思考に捕らわれた無理解にあるとします。ニーチェは、凡そ汎ゆる思考や思想的な学問に見切りを付け、己自身の独立独歩で思考し確信を抱いて、ニーチェ出現までの人類の営みを塗り替える新たな試みに挑戦します。其の結果が「神は死んだ」の発言です。然し乍ら、ニーチェ最晩年の「十字架にかけられた者」という自らの署名した書簡「私が人間だというのは偏見です。私はインドでは仏陀でしたし、ギリシャではディオニソスでした云々。私は十字架に架けられたことがあります」云々(うんぬん)。其の内容たるや「徹底したニヒリズムとは、承認されている最高の諸価値が問題になるようでは、生存は絶対的に不安定だという確信及び、更には神的であり、道徳の化身でもあるような彼岸(ひがん)乃至(ないし)は事物自体を調製する権利は、我々には些(いささ)かなりともないという洞察のことである」と発言した同じ人間とは想像でき得ません。「神は死んだ」と説いたニーチェにとって,神の死とは単にキリスト教の超克ではなく,ニヒリズムの宣言でもあった筈です。ニーチェによると生即ち人間の生命の本質は「力への意志」であり,力への意志は自らを維持するために必要な世界解釈を行う云々(うんぬん)としています。狂気に走ったとは云え、此の矛盾性はニーチェの思考する精神と神性を捨てきれなかった断末魔の叫びです。ニーチェは神を殺すことが不可能であり、亦、自らは気付かず或は気付いていたにしろ押し殺していた此岸(しがん)の霊魂が「不滅の有」を求めていたことを晩年に知らされたのです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月11日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル77/ニーチェ44 ニヒリズムの「ニヒル(nihil)」とはラテン語で「無」を意味し、其のことがあってこそニヒリズムは屡々「虚無主義」と訳されるのですが、このニヒリズムは、いったい何が「無」くなったことを主張するかといえば、それはニーチェにとっては霊魂を基底にして目的的に組み上げられた人間存在に意味を与えてきた世界観、人生観的な諸価値が「無」くなったことを意味します。ニーチェは現代にあってこそ、重要な影響を与える哲学者の一人と目されていますが、大学教員時代を観ても分かるように文献学者としては一定の業績を上げ、評価されていますが、自らが志望していた活動である、こと哲学に関しては、大学を変わるときにも哲学教授としては願いが叶わず、古代文献学としての教授にしか就くこと能わずの状況であり、哲学の文献を著した後も評価は得られません。晩年は、誰からも相手にされなくなっていた可能性があったと云えましょう。ニーチェは、明らかに此れまで誰も成し得たことのないことをしていると確信、ジレンマ(焦燥感)が待ち構えます。然し乍ら、好嫌相身互いの敬虔なキリスト教徒で反ユダヤ主義者の妹テレーゼが哲学者ニーチェを世に出し有名にします。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月10日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル76/ニーチェ43 一般的には、ニーチェは梅毒に羅患したとされているが如何なものでしょう。ニーチェは青年期にも関わらず「狂気」に陥ってしまう。そこには、脳の障害の影響もあるのだろうが、確かに、「発狂」したというべき様相が見て取れる。そうなるのは、ニーチェの気質や思想内容から云っても、将に、然(さ)もありなんです。記者にニーチェに興味を喚起したのは著書「ツァラストラはかく語りき」ですが、ツァラストラがシッダルタと重なって読み込んだことを想い出します。佛の生まれ変わりの心と佛とは相入れぬギリシャのディオニソス(Dionysus)、ゼウスとテーバイの王女セメレーの子、「生まれたてのディオニューソスは、セメレーの姉妹であるイーノーに渡された。ディオニソスは娘として育てられ、夫アタマースはこれを黙認していた。しかし、ゼウスの妻ヘーラーは、このことを憎んでアタマースに狂気を吹き込んだ。アタマースが白い鹿を見つけて矢を射たところ、殺したのはイーノーとの息子レアルコスだった。狂気に駆られたアタマースは、更にレアルコスの体を八つ裂きにした。イーノーはもう一人の息子メリケルテースを抱いて逃げたが、アタマースに追いつめられ、母子ともに海に身を投げた。別の説では、イーノーも狂気に駆られ、沸騰したお湯の入った鍋にメリケルテースを入れて殺し、その遺体を抱いたという。また、ディオニソス自身も狂い彷徨うことになるのだが、キュベレーによって狂気を解かれたともいわれる。」生まれ変わりだとも言います。狂気が忍び寄っているのです。豈図らんや、ニーチェの深層に眠る霊魂が分裂したのでしょうか。此の事態はニーチェを実存主義からの離脱さえ呼び起こしかねません。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月09日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル75/ニーチェ42 ニーチェの神への信仰とその動揺は一体全体何に起因するのであろうか。ニーチェ曰(いわ)くニヒリズムは何を意味するか?。答は最高の諸価値が無価値化されるということである」。言い換えれば、人間存在に意味を与えてきた世界観的、人生観的な諸価値が「無」くなったが故、ニヒリズムとよばれる精神状況が到来したのです。西洋の精神史は永らく、永遠のものを現世的な生成変化の彼岸に置くプラトン主義が価値観の根底にあり、ニーチェの言によれば、プラトン主義の民衆版とも云えるキリスト教とその道徳観、生成変化する現世的で感性的な生き方を非難更には断罪し、価値あるもの、真であるものを生の彼岸に求める世界観を鋭く批判します。キリスト教の世界観とは人間と世界を連関的・連続的と観想した初期ギリシァの汎(はん)自然的で調和(コスモス)的な世界観とは違い、肉と霊・欲や煩悩にまみれた世界。様々な苦悩に堪(たえ)え忍ばねばならない世界、サンスクリット語では「サハー」といい、「忍土」という此岸(しがん)と人々が欲や煩悩から解放された世界、「パーラミター」和名では有名な「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の一節「波羅蜜多(はらみつた」の事で、大乗仏教の基本経典で、まさしく「彼岸へ渡る」事を説いた彼岸及び自由と摂理といった二元的な差別と乖離(かいり)を人間思考に齎し、人間を深い緊張のうちに投げ込んだ。しかも、世界の階層的な差別の頂点には神があり、二元的な分裂をそれでも究極のところで統一してはいない。然し乍ら、今現在、仮に二元的な分裂を統一していたのが権威ある信教会だとしても世界の階層的な差別は解消されない。非常に解釈困難な言「結局、何がおこったのか、現存在の全体的性格は「目的という概念」によっても、「統一という概念」によっても、「真理という概念」によっても解釈されてはならないということが理解されたとき、無価値性の情動(ニヒリズム)が得られたのである」とします。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月08日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル74/ニーチェ41 ニーチェは自らに言い聞かせるように牧師家庭に信仰に敬虔なキリスト教徒で反ユダヤ主義者の妹テレーゼ・エリーザベト・アレクサンドラ・フェルスター=ニーチェ(Therese Elisabeth Alexandra Förster-Nietzsche) と好嫌相身互いを繰り返しながら成長しますが、彼女はナチズムに傾倒、ニーチェとワーグナーを信奉する自称「画家」のヒトラーとナチ党が独逸国家権力を掌握すると見返りとして彼女がニーチェへの援助金を受け取ることとなります。此のことがなければ、ある意味溺愛する妹との葛藤は無かったかも知れません。ニーチェ自らも察知はしていたでしょう。大学教授を引退する時に一般生活には事欠かない月々の厚生年金は受け取ってはいましたが、彼の病弱の身体が一箇所に定住することを許さず、季節を求めての移動する療養生活が援助金を断固拒否するわけにもいきません。ニーチェの愛弟子が表面上は秘書として務めながら金銭的には援助をしてくれるのも感謝すればこそ精神的には参ることだったかも知れなく、ニーチェの矜持が許さずトリノの広場で泣きながら馬の首をかき抱き、そのまま発狂したというニーチェの逸話は、此のことに起因するかもしれません。片や敬虔な信徒の妹、自らも信仰を完全には捨て切れない病弱の身と自らが定義した強い「虚無主義」との間の葛藤が発狂する素因だとも考えられます。ニーチェを経済的に支え世に知らしめたのは妹テレーゼだというのも皮肉です。何より彼の親愛した楽曲の英才ワグナーとニーチェを溺愛するのが画家を目指したナチの指導者ヒトラー総統となるのが更なる皮肉となります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月07日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル73/ニーチェ40 ニーチェは虚無主義を独自の観点から権威や権力に従うことが、事の良し悪しはどうであれ逆らわず従順に、自己の判断は顧みないことこそが心の平安だとする無事安心を求め、内面は何も信じられない事態に絶望し、疲れ切り、都度の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度の輩(やから)を消極的なニヒリズムとし、消極的虚無主義者として非難しています。弱いニヒリスト消極的・受動的ニヒリズムと断定します。片や、現状の制度や社会の常道が、仮にも無価値・偽り・仮象ということもあり得るとする前向きに考える生き方、自ら積極的に「仮象の世界」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度を帯びた前進する強さを秘めたニヒリズム、其れを積極的・能動的ニヒリズムとして積極的に生きるニヒリズムを肯定し、永劫回帰の思想の下、自らを創造的に展開していきます。鷲の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」になることを薦めているのです。ニーチェが虚無主義を一方で非難し、もう一方で受動するのは二つのニヒリズムを謳い上げたからです。ニーチェは持病の精神発作と同様に二面性を内心に秘めています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月06日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル72/ニーチェ39 ニーチェの父親は敬虔な牧師です。勿論の事、幼少の折のニーチェ自らも牧師を目指しています。彼の青年時代は真面目で既成道徳にちゃんと従っている人物と判断され26歳で大学の教授に就任したのは、学者としての優秀さばかりではなく大学にとって無難な人物と映ったことの其の顕れでしょう。ところが豈図らんや、其の時期、既成道徳に従順に従う屈辱を誰よりも抱いていたのも彼でした。既成道徳への苛立ちは彼の心身に異変を引き起こします。現実生活の彼の評価と其の時期、彼に既成道徳に従う屈辱を誰よりも抱いていたニーチェは自らの心身に染まった信教への育った環境からは想像し得ない翻意(ほんい)を抱きます。当然に幼いときから仲睦まじい妹とは亀裂を生みますが、彼は「超人思想」を以って苦崖を乗り切ろうとします。其の事がが、或る意味で超人思想を生みだすわけですが、その既成道徳への反抗は、彼の心身にも異変を引き起こした。何故ならば、彼の身体に潜む精神には既成道徳が出来上がっていたからです。既成道徳への翻意は、我々の精神体にも異変を引き起こします。何故ならば、人間が実世界で何かがどのように作用するかを思考する際のプロセスを表現したものである。表象 (representation) と密接な関係を持つメンタルモデルは、外界の現実を仮説的に説明するべく構築された内的な記号または表現であり、認識と意思決定において重要な役割を果たしています。メンタルモデルが構築されると、時間とエネルギーを節約する手段として慎重に考慮された分析を精神内に置換しますが、其の表象と密接な関係を持つメンタルモデルは深層心理に眠る霊魂を改造するには憶し難い勇気と努力を必要としています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月05日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル71/ニーチェ38 ニーチェを「虚無主義」を拒否した思想、「虚無主義」を其のものとする思想と捉えるほど、ニーチェの性状の不安が思考に複雑に輻輳して反映されています。とはいえ、神が死んだとする「超人思想」を主張した当人が神を捨て切っていないことは事実です。19世紀の後半のロシアの社会運動ではニーチェを「虚無主義者」と捉え、伝統的権威、政治社会上の諸制度、宗教などを否定し排斥する傾向を援用し用いられた事から、尚更、ニーチェは「ニヒリスト」として評価されます。。其れ故に今日、「ニヒリズム」という語句を耳にして普通念頭に浮かぶのが、専らニーチェとされています。此のことは次のニーチェ自身が語る「徹底したニヒリズムとは、承認されている最高の諸価値が問題になるようでは、生存は絶対的に不安定だという確信及び其れに加えて「神的」であり、道徳の化身でもあるような彼岸(ひがん)ないしは事物自体を調製する権利は、我々には些(いささ)かもないという洞察のことである」が、現代はそのニヒリズムの到来の時代である。「私が語るのは来るべき20世紀の歴史である。私はやって来るもの、もはや別様にはやって来得ないもの、つまりニヒリズムの到来を記すのだ」に尽きています。其の因はニーチェのニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けてニつあることに由来します。一つは彼の説く弱さのニヒリズム、何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度、消極的・受動的ニヒリズムへの批判。もう一つは、総じて無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方自ら積極的に「仮象(appearance)」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという強さのニヒリズムです、積極的で能動的ニヒリズムです。ニーチェは積極的ニヒリズムを肯定し、永劫回帰の思想の下で自らを創造的に展開していく、鷲の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」になることを薦めたのです。其れ故に、一方では「虚無主義」を拒否、片や「虚無主義」を奨励の思想家として受け止められています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月04日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル70/ニーチェ37 日本の芸能界では昭和の或る期間、男性の魅力にニヒルな男性が持て囃され、ニヒリスト(nihilist)は苦み走ったナイスガイ、日本での「ナイスガイ」は「男振りの良い男性」というような意味で使われていますが、英語圏での「nice guy」は外見ではなく内面を表すフレーズ(成句)です。云わば良い男の代名詞でした。、但し、日本のテレビで放映されていた特捜刑事物に出演していた天知茂は表ぶりが良いというよりは、権威・権力を怖(おそ)れず、立ち向かう人間として使用され、ニヒルがニーチェの虚無主義者とは逆の語彙を持たされています。此の特異性は当時の日本の哲学思考がマルクスの影響下にあり森羅万象に神の発現を認める古代日本の神観念を表す「権威や神概念」を否認する自己の不利益をも乗り超える人間が「ニヒルな男性」に求められていたからです。其の語彙はあらゆる権威は認めず、自らの信念を貫く謂わばナイスガイ(nice guy)、良い奴・素敵な男性に意を語彙に持ち、苦みばしった物事に動ぜず権威を怖れないことが昭和時代にはロシア革命主義者が虚無主義を汎ゆる権威を認めない、ニーチェの惰眠とは逆の意味に援用したマルクス主義の影響下にあったことに起因します。ニーチェの哲学ではニヒリズム(nihilism)を権威に盲目的に思想的思想的立場、将又、超越的なものの実在やそ真理・価値・超の既成の様態をことごとく否定する思想的立場を主張する思考が別れ、片や、ニーチェをニヒリスト(nihilist)と捉え、一方はニーチェを「虚無主義」を拒否した思想としても展開されており、ニーチェの思考を完全に読み解いたものは皆無です。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月03日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル69/ニーチェ36 虚無主義の語彙は思想家の立ち位置により定義するところのニュアンスに相異が見られますが、大凡(おおよそ)のところはラテン語のNihil(虚無)に基づき、ドイツの哲学者 フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ(Friedrich Heinrich Jacobi)略してF・H・ヤコービが『フィヒテ宛書簡』 (1799) でニヒリズムの造語を初めて用い、19世紀ロシア文学を代表するツルゲーネフの小説「父と子」(1862)で によって世に広まったものであり、其処には、主人公をニヒリストと呼んで以来一般化し、ロシアの急進的革命思想として取り入れられ、バーダー(1826年)によって信仰と知性の分裂をもたらした反教会的危険思想の意で定着します。一般定義では「認識論的には真理認識の可能性を否定する絶対的懐疑論であり,存在論的には一切の実在の否定」を意味します。ツルゲーネフやニーチェ及びカミュなどに代表される語彙は、既存の価値体系や権威をすべて否定する思想や態度を意味します。信教的にはキリストが人間としては虚無(ニヒル)であるという中世キリスト論が,当時のヤコビたちに影響を与えていたといわれています。但し、F・H・ヤコービは、私と伴に神的人格が「ある」ということの直接的な確信、即ち「信(der Glaube)」を捨て切れません。従って彼の思想は「信仰哲学(Glaubensphilosohie)」とも称されることになり、ニーチェ意味するところのニヒリズム(nihilism)とは対角線上に位置します。弁証法を神学の対象にも適用した厳密には実在論と唯名論を調停する説を主張したアベラールの説は神を否定する思想にもつながりかねない。キリストの人間性は偶有性に過ぎず,イエス・キリストは人間としてはニヒルであるという非条に難解な中世キリスト論が、当時のヤコビたちに影響を与えていたと憶測されます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月02日
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{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル68/ニーチェ35 ニーチェは積極的ニヒリズムを肯定し、永劫回帰の思想の下、自らを創造的に展開していく鷲の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」になることを薦めます。ハイデッガーは、一には消極的ニヒリズム即ち堕落から人間精神は逃れられないと承知せよ。二にはニヒリズムに浸(ひた)り切ることも出来得ないと察知せよ。三にはニヒリズムからの脱出という積極的な企てを準備せよと薦めます。此の思考段階がニーチェが積極的ニヒリズムを肯定し、永劫回帰の思想の下、自らを創造的に展開していくニヒリズムの底からそれを克服する精神の基底なのでしょう。ニーチェはニヒリズムの温床を正教会の権威に惰性的に従うキリスト教ニヒリズムの克服を主張します。片や、ハイデッガーはニヒリズムの温床が、現実や現世からの超越を主張する立ち位置からくるものであり、視点をキリスト教的サイドから人間の精神、其の深層にある人間の理性は、論弁的な部分と並び、超感性的、超自然的なものをも直接的に受容する能力を備えていることから、人間はなにかしらが「在る」という事実を感情的に感得してしまい、理性ではなく感情で納得してしまう。存在論的立場は相違すれども共通性は既往の宗教である正教会権威への批判です。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年04月01日
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