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「思考と直覚」時間と霊魂8 古代の中近東重なり接するカスピ海南部沿岸を中心として、イスラーム教の拡張とともに8世紀の中頃に始まり、9世紀から10世紀頃にかけてイスラーム圏の代表的な神秘主義としてのイスラム教の神秘主義哲学スーフィズムが誕生していますます。イスラーム教は「神(アッラー)は唯一にして、ムハンマドはその使徒である」ということを信じ、ムハンマドのことば「コーラン(イスラム法の第一の法源読誦すべきものを意味します)」を神の言葉と認める宗教である。イスラーム教は7世紀の初め「神(でアッラー)は唯一にして、ムハンマドはその使徒である」ということを信じ、アラビアでイスラーム教が成立し西アジア広域に急速に広がります。ムハンマドの預言「コーラン」、此処で取り上げる所謂(いわゆる)預言とは、ノストラダムスに代表される「予言」の語彙とは、相違があることには注意が肝要です。神が成すべき行動を未来時間、未だに来たらぬ時間に向かって予測するのが「予言」であって、「預言」とは、旧約・新約・コーランを問わず「神の言葉」凡人にははかり知れない言葉を知り、また理解でき得る者、まさに神の言葉の「通詞」を指すのであって、自らの未来予測を語る者とは区別すべきであることに、注意が肝要です。従って、特別に「神(アッラー)は唯一にして、ムハンマドはその使徒である」ということを神が認識し、「コーラン」に神の言葉を綴らせるのです。「イスラーム」(またはイスラム)とは、その言葉だけで神への絶対的な帰依、服従を意味するので、敢えて「教」をつける必要性はないが其の宗教体系を「イスラーム教」と言っています。前記のスーフィズムで注意しなければならないのは、神秘主義(スーフィズム)はイスラームの宗派ではないことです。スンナ派でもシーア派でも垣間(かいま)みられる信仰の実践形態の一つであり、 またその形態も幅広く、コーランとハディースのみを重視して簡素で規律正しい生活を送ろうとするグループもあれば、それでは不充分で、より直接的で感覚的に神を体験することを重視するグループ、直接的、感覚的に神を体験(合一)することを重視していました。スーフィズムは教団を統括するような教理体系は無かったが、概ね、創造者である神と被創造物である人間の内的な繋がりを仮定し、「強い愛の力」によって両者の隔たりを消滅させ、精神的合一を目指すというものでした。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月31日
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「思考と直覚」時間と霊魂7 古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェを神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教である旧約ユダヤ教の代表的な神秘主義はカバラ(Cabbala)でしょう。カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想の代表格です。然し乍ら、ユダヤ教を基底に置くとは云え、その宇宙観にはには独自性があり、仏教における積極的な教義開示を行わないという密教との制度上の類似性を指摘されることがあります。勿論のこと、教義や起源には何等関連性のないことは言わずもがなです。伝説では、アブラハムがメルキゼデク、グノーシス派からは平和と正義を司る天使とされ、偽典とされる第二エノク書では天使軍団の「力天使」に所属している天使とされるから伝授された天界の秘密だともされ、モーセが律法(トーラー)に記し切れなかった部分を口伝として後世に伝えたものだともいいます。カバラは3世紀から6世紀頃に始まり、16世紀頃にほぼ現在の体系が完成したとされています。カバラはヘブライ語の動詞キッベール「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、「受け入れ」「伝承」を意味する。カバラが登場する以前のゲオーニーム時代には、単に口伝律法を指す言葉として用いられた。したがって、その後ユダヤ教神秘主義を指す呼称となった際にも、個人が独自に体得した神秘思想というよりは、神から伝授された知恵、あるいは師が弟子に伝承した神秘という意味で用いられることになる。 カバラはユダヤ教の伝統に忠実な側面を持とうとしたという点において、他の宗教の神秘主義とは異なります。本来のカバラは、ユダヤ教の律法を遵守すること、或いは神から律法の真意を学ぶことを目的としています。したがって初期には、正統的なユダヤ教との親和性を持っていた時期もあったため、必ずしも秘教的な神秘思想とは言えない面も持ちますが、キリスト教の神秘家に採り入れられるようになると、ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な神秘体験の追究の手段として用いられることになり、運命占い等に取り込まれたりして現存活動しています。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月30日
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「思考と直覚」時間と霊魂6 神秘主義思想の史的に登場するのは、ハードディスクとして洞窟の壁面や岩や石、ソフトデイスクとして砂丘や砂地への描写が凍結化による固定化、或いは氷壁への描画に見い出されます。勿論、文字での伝達手段がない頃には、水滴による濡れた洞窟壁面や岩を避け乾いた岩や砂地への描画が頻繁に利用されていたことは容易に推察されます。神秘主義の芽生えです。「自我」を世界に解放して、通常生活では得られない自己を滅却して世界に自己という枠を突破するのは、人間が脳の働きの進捗によって手中にした「理性」の発展とともに「霊魂」が精神に芽生えてからでしょう。歴史的に「神秘主義」が顕著に見い出されるのは、西洋に於いては古代ギリシャのエレウシスの秘儀が筆頭に挙がります。エレウシス(Eleusis)とは、古代ギリシァのアテナイ近郊の小都市であり、古代ギリシァの吟遊悲劇の詩人アイスキュロスの生誕地でもあり、ギリシア神話の地母神デーメーテールの祭儀の中心地として知られます。女神の娘であるペルセポネーを捜しに冥界へ赴く(おもむく)デーメーテルの放浪と黄泉からの帰還を演劇的に再現したものと思われ、其の祭儀はエレウシスの秘儀・密儀、祭儀参加者には死後の祝福が与えられたと言います。古典として古代時代に最もよく知られた密儀宗教の一つであり、しばしばたんに「密儀」として言及されることもある神儀です。エレウシスの密儀は紀元前1700年頃のミケーネ文明の時代に始まったと言われ、マーティン・P・ニールソンによれば、此の密儀は「人を現世を超えて神性へと到らせ、業の贖いを保証し、その人を神と成し、その人の不死を確かなものとなす」ことを意図されていたと述べているように「霊魂」の不死を問うています。キリスト教が広まり、ローマ皇帝テオドシウス1世により多神教的異教の祭儀が禁止されると、エレウシスの密儀も絶えた。ドイツの哲学者フリードリヒ・シェリングは、その著書の中で、前哲学的思惟の形態としてのエレウシスの密儀についてしばしば論じています。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月29日
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「思考と直覚」時間と霊魂5 神秘主義思想のなかでも、神秘哲学を除けば、あくまでも其れは自己自身の肉体を離れた内精神の奥底を通して体験するものです。自己の最内奥にて沈潜して普段は気付くことのない理性の中の深奥に眠り隠された霊魂の覚醒が呼び起こされた結果です。それ故に、先ず絶対神或いは絶対者が世界にありきとする汎神論、片面一方通行の汎神論とは区別され、神秘主義では「魂」や「霊」が強調されます。人間が理性らしきものから得た「理知」から生まれた「自我」を世界に解放して、通常生活では得られない自己意識を滅却して世界に「我」という枠を突破する手段が、「我執」から世界に殻を破いて自己を開放し、我執を脱却させ、己(おのれ)の精神にの奥底に隠された精神を解き放つ、自分の存在を破る覚醒であり、霊魂の内奥が「自己」という枠を超えて「神の秘奥」であるような内面性を浮上させます。此の覚醒は他者である「絶対世界」ではなく「絶対世界」に溶け込む体験でしょう。即ち、絶対的に他なる者との合一は、最初期においては絶対的受動性とともにあり、自己の殻を破るのではなく、破られる体験であり、自己からは突破できない自我性の最後の壁が彼方から破られる体験なのです。世界の側から「生の無限の泉」が湧き出て浸かり溶け出す体験です。それらの進捗(しんちょく)が、「自己」という枠によって塞がれていたものが、絶対的受動性を経ることによって生の活発な高揚や無限感が与えられ覚醒に至るのです。此の体験は第三者が外面的・表層的に見ると長期間続いているようには見えない筈です。だが、当の本人は時間の支配からは離れた自己理解や世界理解が根本的に入れ替わる経過を経ています。極東で初めて西洋に名を覇さしめた日本の「善の研究」の著書で知られる西田幾太郎も、ハイデッガーやスピノザの影響を受けていたとはいえ、古来仏教哲学の流れを汲む「禅」修行を絶やさなかったことを考慮すると、多少に神秘主義的傾向があった筈です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月28日
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「思考と直覚」時間と霊魂4 英語ではmysticism (ミスティシズ)などが「神秘主義(mys・ti・cism)」と訳されていますが、この mysticism の語源をたどると ギリシア語:のmyein(眼や口を閉じる)に由来するとされており、こうした表現が選ばれたことからも、既に通常での口頭の表現が許されない経緯が示唆され、神秘家なるものは「脱我」を体験した者の経験を踏まえてものであり、「神秘的哲学」と呼称されるハイデッガー等々とは多少ニュアンス的に異なります。ギリシア語:のmyein(眼や口を閉じる)からして、其れは「眼や口」に代表される、天台宗では心を惑わすようなものは、架空の人物「左甚五郎」、講談では地元の大工に腕の良さを妬まれて右腕を切り落とされたため、亦は、左利きであったために左という姓を名乗ったという説もある作者とされる日光東照宮の「三猿(さんざる・さんえん)」見ない・聞かない・言わないというように感覚を殺した「脱我(エクスタシー)」を表意します。神秘主義が目指すものは絶対者或いは神或いは絶対者との合一であり、通常の自己からすれば絶対的に他なる者との合一を意味し、必然的に自己からの脱却、あるいは自己という枠を突破することを意味あいを持ちます。究極の目的は「神、或いは究極の世界存在若しくは世界を成り立たせている要因」との人間が理性らしきものから得た「理知」から生まれた「自我」を世界に解放して、通常生活では得られない自己を滅却して世界に自己という枠を突破することを意味します。いわゆる脱我とは最終的には「自己意識」は霧散し、絶対者は対象ではなくなり、それが真の自己の根拠になります。「自己」の徹底的な死と復活と言える脱我的合一が神秘体験となり、人間霊魂の条件達成の場合によるが不滅、復活を約束します。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月27日
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「思考と直覚」時間と霊魂3 キリスト教神学の立場と似通ったものに、世界のの究極的根拠などとされる存在を、その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場、「神秘主義(mysticism )」などギリシア語では、眼や口を閉じる(myein)に由来するとされるとおり、こうした表現が選ばれたように、通常の表現が許されない経験が示唆されているように信仰ではなく、神秘的合一(unio mystica /神秘的合一)と呼ばれる絶対者と自己との合一体験、「行」実施することによる通常一般からの人間精神を超えた絶対者との合一であり、通常生活の自己からすれば絶対的に異なるかも知れない他なる者との合一です、それは必然的に自己からの脱却、あるいは自己という枠を突破することを意味しています。つまりは絶対者との合一は、自己の殻を破った脱自・脱我を行うということになり、所謂、神秘家というのは、脱我(エクスタシー)を体験している者とされます。その体験において、我々が普段「自己」と信じているものは、絶対者の前に吸収され尽くして無になり、同時に絶対者は対象ではなくなり、それが真の自己の根拠になる。このような自己の徹底的な死と復活と言える脱我的合一が神秘体験の宗教的な核心となすのです。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月26日
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「思考と直覚」時間と霊魂2 旧約聖書「創世記」の冒頭の創世神話は{始めに」から神の行為が記述されています。此のことは宇宙の始まりを暗に匂わします。此のことから当然に神が「宇宙の終末」を司ることは、勿論、意の当然です。次の「1日目に神は天と地を創った」に関して言えば、其れより何より、時間が混入しており「時間」誕生を創世記は捉え切っておらず曖昧模糊の表現となっています。「時間」が天地創造や光の創造以前に存在していたことになり、時間創造の定義が出来ておらず、順序立ても異常で違和感を持ちます。後世の有神論を基礎とする個別宗教の信仰や教義をその立場で研究する学問のキリスト教神学は、多少の訂正を加えますが、9世紀に極めて楽観主義的、進歩主義的、人間主義的になっていた近代自由主義神学は、第一次世界大戦によってキリスト教世界が幻想にすぎないことに衝撃を受け、1918年に「ロマ書」をもって登場したスイスのプロテスタント神学者K・バルトを中心とする弁証法神学運動によってやっと活路を得て新しい時代を迎えます。「時間」の取り上げ方に関しても、「信じろ、さらば救われん。」の立場ではなく、現代物理論の導入が図られている時期にも来ています。特に、「時間」に関する教義「神の永遠の瞬間」等々を積極的に解明・定義することが求められているのです。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月25日
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「思考と直覚」時間と霊魂1 人間に理性らしきものが誕生したときには時には、譬え、暦がなくとも、洞窟や岩や石、謂わば最古のハードディスクに自らの表現を刻印及び象形文字等を駆使して記録を残しています。たとえ宗教上の解釈であるにしても、旧約聖書が記す堕天使の誘惑の林檎を齧って以来アダムとイブは神にも挑戦出来得る理性なるものを獲得します。其れを旧約上の神は神格への挑戦と考え、自らの神格性が与えた永遠の生命をアダムとイブから奪い去ります。理知なるものは人間の傲慢であり神への挑戦であり堕落であると決めつけられ、此処に人間は永遠の罪を負い救世主が顕れることを祈ります。此処で注意しなければならないのは、「神」の最初の創造、創めに神が天と地を創った。 神はいった。「光あれ」。また神は自らの形に形どって人を造った。すると光が出来た。神が創った総てのものを見ると、それは甚だよかった。生めよ、増えよ、地に満てよ。「In principio creavit Deus caelum et terram.Dixitque Deus: "Fiat lux!" Et facta est lux.Et creavit Deus hominem ad imaginem suam.Viditque Deus cuncta, quae fecit, et ecce erant valde bona.Crescite et multiplicamini et implete terram」のなかでも、取り分け、「始めに光ありき」、おそらくに此の語彙には時間観念は含有されていないとは憶えますが、解釈的にはユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書「創世記」の冒頭の1日目に神は天と地を創った。つまりは、宇宙と地球(疑問)を最初に創造した。暗闇がある中、神は光を創り、昼と夜が出来た。2日目神は空(天)を創った。3日目神は大地を作り、海が生まれ、地に植物を生えさせた、4日目から等々のなかで7日目の神は休んだ迄で時間に関しては非常に重要な素因を語っています。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月24日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ151中断 ローレンツ変換とは、或る座標系で時間と考えている量が、時間と空間座標の混じり合ったものになるというのであるから,時間と空間の間にはもはや結果的に絶対的な区別はつけられないことになります。我々が通常に時間というと、一般的には過去から現在そして未来へと流れる「時間線」を想い描きがちですが、ローレンツ変換は時間を空間に持ち込み、光速度が何れの方向をとっても変わらないことから時空観念を導き出しますが、アインシュタインは「特殊相対性理論」も、現代ではグラスゴー大学などの研究者チームが、自由空間、即ち、物質が存在しない空)を移動する光を減速させることに初めて成功し、此れまで、真空中の光の速度は、一定不変の物理的尺度とされてきた光速度が変動するものだとして、新たなる「時空」が齎されます。ブラックホールで身動きできない光子は時間との関わりを持つ限りには時間の流れも停止せざるを得ません。時間の停止した世界は外界からは不可触の世界です。まさに、ハイデッガーの見えざる手やスピノザの絶対神を彷彿とさせてくれます。ブラックホールは神に最も近しい「道」なのかも知れません。此処で、もう一度人間の霊魂、或意味、なかでも「人間霊魂」の不滅及び再生に関して再度、確認するために「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザを中断して「思考と直覚」人間の霊魂を思考するから霊魂の再生あるのか其の有無、其処に纏(まつ)わる時間の特異性を取り上げたいと思います。人間の霊魂を思考/スピノザはひとまず中断です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月23日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ150 「次元」とは長さ、質量、時間など基本的な物理量のことで、其の意味からはアリストテレスが時間を「運動量」としたことに間違いは認められません。其のこと故に運動量や加速を表示するときには時間線を現代においても用いています。即ち、時間は原点からのプラス・マイナスの直線の長さだけで表せますから時間は1次元です。ユークリッド幾何学では、直線上の位置は、原点からの長さだけで表せますから直線は1次元、平面上の位置は、x座標とy座標で表せますから平面は2次元、空間内の位置は、x座標とy座標とz座標で表せますから空間は3次元です。然し乍ら、相対論では時間と空間を融合させた「4次元時空」のモデルを用います。此処で注意しなければならないのは、時間が三次元に融合したモデルを「ローレンツ-アインシュタイン理論」が仮定したことです。即ち、三次元の空間に時間を融合させたことに「相対性理論」の価値があります。宇宙の実体を述べる「超紐理論」では現在10~11次元を扱いますが、その1つが「時間」で、あとはすべて「長さ」次元です。現代科学で取り上げられる「多宇宙説」や「異世界存在」は「4次元時空」のモデルから引き出されます。此処から時間移動の逆の世界や、異世界への異世界への瞬間移動による「瞬間移動」や「時間移動」によるタイム・トラベル、現状、よく浮上する「ゆらぎ世界」は単次元から多次元世界を表現しています。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月22日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ149 動いている物体の長さや進み方が静止しているときに比べて縮んだり遅れたりするアインシュタインの思考「特殊相対論」の前に、アルベルト・アインシュタインが時空間を記述するのに利用した人物に1902年のノーベル物理学賞を受賞したオランダの物理学者ヘンドリック・アントーン・ローレンツ(Hendrik Antoon Lorentz、/1853年-1928年)がいます。ローレンツ変換は「特殊相対論」に多大の貢献を成しています。此れが後に特殊相対性理論と呼ばれるようになります。アインシュタインの成果はローレンツの成果に基づいているため、もともとは「特殊相対論」は「ローレンツ-アインシュタイン理論」と呼ばれていたことがあることからも専門分野は違(たが)えども結果に相似性があることには驚かされます。彼についてアルベルト・アインシュタインは「私個人にとって、人生で出会った最重要な人物」だったと記している程です。史上、時間は汎(あら)ゆる世界内物質を規制するファクターとして捉えられていたものが、神の始めに光ありきからして等速の光運動から「時間」は絶対性から解放されます。24歳の若さでライデン大学に新たに創設された理論物理学の教授職に就任した彼は理論物理学研究所を創設します。これが後にローレンツ研究所と呼ばれ理論物理学研究の進捗の稼働力の一つとり成ります。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月21日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ148 時空(space-time)とは、時間の解釈を以(も)って自然世界を把握するために発案されたものです。遠くはギリシァのアリストテレスが時間を「運動量」であるとした理論を基本的に見直すものです。時間という概念を考えるときには、19世紀までの思考では、ニュートンの絶対時間・絶対空間という考え方が一般的でした。絶対時間とはなにものにも規制・制限されることはなく、それ自身が持つ性状で一様に流れるものであり、同様に絶対空間とはなにものにも規制されることがなく、其れ自体が一様に存在するとし、時間と空間は独立かつ不動のものであると考えられていました。我々が時間というと速さや加速の二次元グラフのX線上の基準線を思い浮かべますが、其れは其れとして、時間の流れを空間に取り込んだ謂わば世界の実相に見合った思考を幾何学的に解いたのが「時空」です。ところが其のニュートン理論を1905年アインシュタインが特殊相対性理論により訂正、時間と空間が互いに関連し合って1つの四次元時空間を形成するとします。これを時空と呼びます。動いている物体の長さや進み方が静止しているときに比べて縮んだり遅れたりする特殊相対論的効果は、時間と空間が互いにその一部を交換して生じるのです。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月20日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ147 3次元を単純化して其の特徴を掲げるには、先ずは、原点「ゼロ」としての1次元、線分として直線及び「交点」を持つ2次元、四次元空間内の二次元結び目など、物理科学で一般化された結び目は高次元にも存在するのですが、一般的には「結び目」ができる唯一の次元であると云えます。回転がベクトル、大きさだけでなく、向きももった量。例えば、速度・力。スカラー即ち、数学的にはベクトル空間においてベクトルを乗算することができる量、物理学的には特定の座標系とは無関係である量で表される唯一の次元等々であるとも言えます。亦、自然的には閉じた公転軌道を持つ惑星が軌道を1周した惑星が元の場所に戻ってくる唯一の次元だとも説明されています。此処では、時間も空間座標と対等な資格しかもたないこととなり、実世界での我々人間が観想する流れる世界とは違和感があります。其処で持ち込まれたのが、三次元の空間のほかに、更に時間を第4番目の座標としてもつ四次元の擬ユークリッド空間が登場します。統一した時間・空間、将又、此の時空こそが物理的記述の枠組となるべきであるが、時間も空間座標と対等な資格しかもたないことを意味することの不足点からして、時間と空間を睥睨(へいげい)すれば三次元の空間と時間とを統一する方が物理的記述の枠組に適(かな)っています。この思考はH.ミンコフスキーによって数学的に整備され四次元ミンコフスキー時空と呼称されます。擬ユークリッド空間の概念を生み出されたのです。これがアインシュタインの特殊相対性原理に昇格されることとなります。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月19日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ146 ミンコフスキー時空とはドイツの数学者のヘルマン・ミンコフスキーに因んで名付けられています。 我々人間が存在する宇宙空間は、3次元物理空間としてアルベルト・アインシュタインによる特殊相対性理論を定式化する枠組みとして用いられています。 この特定の設定の下では空間に時間を組み合わせた時空を表現するため、物理学の文脈ではミンコフスキー時空名付けられました。幅・奥行き・高さの各方向に自由度を持ちます。物理科学では、それに更に、時間に方向性を持たせた次元を加えて4次元空間を考察対象とします。面白いことに、人間の色別感覚が三種類の錐体細胞で得られることから色は3次元色空間内の1点で表され、 3次元色空間とされることです。色感覚の乏しい犬などは世界は平面上、モノクロの液晶画面として捉えられるため、奥行きを知覚するために、臭覚と聴覚を異常なまでに進化させました。亦、現代の我々が鑑賞するデジタル化される前の動画を考慮すれば解りやすいですが、2次元の対象画像を1次元の時間線に沿って変化させた総体は3次元です。時間変化を考慮に入れる動画加工、例えば3次元ノイズリダクション(3DNR/3-Dimensional Noise Reduction)、アナログ映像信号に混在するノイズをデジタル処理によって除去するデジタルノイズリダクション(DNR)の手法の一つも3次元処理と言われるのは此の故です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月18日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ145 「時間」は世界内に内在的に在るのか無いのか、幅や長さを持たないものが成立し得るのかは、甚だ、難解です。「時空」が4次元であるからして「時間」は一次線の答にはほとほと理解に困難を極めます。「時間」が独立存在ならば理解可能です。しかし、4次元どころか、21世紀の車椅子の天才科学者、イギリスの理論物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング(Stephen William Hawking)の超紐理論の登場によって「時間」とは次元の中の一要素として組み込まれ、その他は長さとされています。此のことを解明すると世界は長さを基底とし、時間だけが特異とな状況に立たされます。ここにアルベルト・アインシュタインの特殊相対性理論に数学的基礎を与えたロシアはリトアニア生まれのユダヤ系ドイツ人数学者ヘルマン・ミンコフスキーまたはヘルマン・ミンコウスキー(Hermann Minkowski/1864年-1909年)が、時空を表すための方法として光円錐を考えミンコフスキー空間と呼ばれる四次元の空間を説きます。18歳の1883年、整数を5個の平方数に分解する研究「自然数を5つの平方数の和として表す問題」で、彼はヘンリー・ジョン・スミスとともにフランス科学アカデミーから数学大賞を受けた幾何学的な考察から、数論の定理を示す方法自らそれを「数の幾何学」を創案しました。亦、彼はチューリッヒのスイス連邦工科大学準教授時代では青年アインシュタインにも接しています。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月17日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ144 「次元」とは長さ、質量、時間など基本的な物理量のことで、次元の頭(かしら)に数字をつけて「2・次元」とか「3・次元」とかいうときの「次元」は長さの次元、「0(ゼロ)」其のは原点です。デカルトの座標系の原点に於ける定義では、直交座標系において、原点はその座標系の全ての座標軸の交わる点である。原点は各軸を二つの半直線に分割し、一方は正の半軸 (semi-axis)、他方は負の半軸というと云い、空間の各点は各座標の値、つまりは、その点を各軸へ射影して得られる軸上の点のその軸に、正または負の何れかの方向へ沿った位置を与えることにより、原点に対する位置を参照することができる。原点の何れの座標も、つねに、零(ゼロ)に等しく、たとえば、二次元では原点は (0,0) であり、三次元では (0,0,0) になるとしています。直線上の位置は、原点からの長さだけで表せますから直線は1次元、平面上の位置は、x座標とy座標で表せますから平面は2次元、空間内の位置は、x座標とy座標とz座標で表せますから空間は3次元です。では時間はというと、加速度を表す座標通り、時間はx座標を移動として表されますから時間は一次元時間としますが、誰しもが時間そのものを見聞したものはありません。此処に、時間の不可解さが浮上します。此の矛盾から、時間を捉えたのが「相対論」です。相対論では時間と空間を融合させた「4次元時空」のモデルを用いて、現実に我々人間が生存する世界を幾何学化します。時間は在るのか無いのかを「4次元時空」のモデルを用いて「長さ」としての観相から、人間思考を展開させます。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月16日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ143 我々人間が接する身近な3次元物理空間は、たとえ、大宇宙が馬鞍(ばあん)形態であろう、紐型であろうと幅・奥行き・高さの各方向に自由度を持つのは人間そのものが3次元存在である以上否定は出来ません。とはいえ、人間も大宇宙も活動が静止或いは停止している訳ではありません。此処で、「次元(dimension)」の定義が重要な基底として仂き(はたらき)ます。一般的認識では「次元」とは長さ及び質量更には時間など基本的な物理量のことでとされます。「次元」の前に数字をつけて「2次元」とか「3次元」とか云うときの「次元」です。ユークリッドは空間内において、各点を指定するのに必要な座標の数をその空間の次元という。ユークリッドのは「点とは部分をもたないものである。線とは幅のない長さである。面とは長さと幅のみをもつものである。立体とは長さと幅と高さをもつものである」と定義しているが、これが次元に関するもっとも素朴な観察であろう。長さ、幅、高さ(あるいは深さ)が次元であり、空間はこの三つの次元をもっている場所の集まりと捉えます。此の思考を更に明確にしたのが、正教会から異端者の疑いを受けたガリレオ・ガリレイです。彼はユークリッドの「次元」論を、空間の1点を通り、互いに直角に交わる直線は三つあり、4本以上の直線を直角に交わらせることはできない。よって空間の次元は3である」と示します。直線上の位置は、原点からの長さだけで表せますから直線は1次元であり、平面上の位置は、x座標とy座標で表せますから平面は2次元で、空間内の位置は、x座標とy座標とz座標で表せますから空間は3次元だということいなります。此の時点では「時間」は座標軸では位置を表す一次時間次元だけであり現実世界の空間運動の動きが見えません。勿論、あなた方が線上に生きる者であるならば話は別件となります。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月15日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ142「線」も無の延長、人間思考から必要とされる仮想であり、実在的には無いとしても。同じ二次元の「面」は実在するかというと、数学で線が運動したときにできる、広がりはあるが厚さのない図形、即ち、平面と曲面の実在です。全くもって、広がりがあるが厚みの無い平面とは実世界に存在するのでしょうか。極限の厚みを「無」とする平面は人間思考に面積を求める等々の役割としては寄与しますが、世界には厚みを持たない平面など現存在的には考えられない以上、幾何学的・数学的平面人間の思考的局面であり、実存在からは「無」と看做し得る存在です。さすれば、ディメンション(dimension)、即ち、数学における次元として立体である三次元の有り体(ありてい)、次元的構成は(1)数学における次元、常識的には,ユークリッドの「ストイケイア(幾何学原本・原論)」にあるように、線とは幅のない長さ、面とは長さと幅をもつもの、立体とは長さと幅と高さをもつもの、線の端は点・面の端は線・立体の端は面であるとされる規定。其処から点を0次元、線を1次元、面を2次元、立体を3次元の図形と呼称します。このことは点の位置は解析的には線上では一つの実数で,面上では二つの実数の組で,立体内では三つの実数の組で表されることに対応しているとされますが、次元とは、学問用語として使われるが「3つの次元で表せるもの」という意味以外ではそれぞれの学問、数学や物理学、幾何学などによって異なります。 良く知られている「三次元」とは我々が住む世界でしょうが運動の要素は加味されていません。 空間が縦・横・高さの3つ座標で表せるのは、この世界が3次元であるということに他ならない。面に垂直な直線のように、平面・球面・円錐面・回転面などのように二次元的広がりをもった図形に面ということばが与えられていますが、通常の数学では、面そのものは先験的観念として一般的に定義されずに用いられているのは不可思議です。歴史的にも同様に19世紀後半まで、面の完全な定義を追求するということはなかったようです。ユークリッドは面の定義として一応には、面は長さと幅だけをもったものであるとか、面の端は線であるとは述べていますが厳密な意味合いでは定義とは言えず「面」の要素の説明にとどまっています。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月14日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ141 「無と虚」は異相であり、「無」は人間には汎ゆる存在を示す指標として、虚とは一線を画します。例えば、インドにて発見された「ゼロ」が此の事実を示します。商取引に仮に「ゼロ」なるものがなければ混乱の極みになることは想像にかたくありません。立体的には中心がなければ形状が掴み得ません。球が変状しようが、大宇宙が膨張・収縮を繰り返すにしろ変態的に形状を変えようと、其の都度「中心点」は変動するかも知れませんが其れがあり得るとするのが一般的な観想です。さりとて、果なき大宇宙を観想すれば答として中心を持たない「無限」である極の無い世界が浮かび上がります。極の無い世界が中心を持つとは考え難いですが、何処に中心を印(しる)しても、其処が中心であるともいえます。「線」であるものの中で「境界線」はどうでしょう。一点から無限に伸ばされたように見える線も、人間が刻印した「無」から伸びたように見えますが、人間の観相に過ぎません。線には幅と呼ばれるものが存在しないからです。「線」も無の延長、人間思考が必要とする仮想であり、実在的には在りません。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月13日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ140 「一点」のみならず、「線分」や二次元の平面的図形X・Yを基本とする「円」その他の形体、X・Y・Zまで表象させる三次元の画像いわゆる3D、更には、時間線を組み合わせた四次元グラフが現代では一般化しています。但し、四次元グラフは専門的知識なくば理解することさえ覚束かず難解です。何しろ時間線とは「一点」と同等に形態なくして実存を信ずるものには、観想することが可能なものであり、時間の「有的運動」を示すものは何もありません。否、時を刻む時計が在るとしても、時計は繰り返しの運動を内部機構で刻み、其れを表象する以外には何の意味合いも持ちません。人間が時計の刻みに意味合いを与えているのです。ここに、ユークリッド幾何学の「無」に関しての回答「一の点」以外に継続性の「一の点」が浮上します。即ち、運動する世界に「静止」が提要出来得るのかどうかの問題です。運動する世界に「静止」が提要出来得ると観相すればタイムストッパーが可能となります。「一意の点」が幅や長さ及び体積を持たない「無」の表象だとすれば運動する世界の静止も亦「瞬間」としては長さも幅も持たない「無」となり「動きのない瞬間」とは人間思考の生み出した仮想になり、「瞬間」を幾ら積み重ねても運動は起きないことになります。ゼノンのパラドックス、「飛ぶ矢は飛ばない」という結論に帰着するのです。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月12日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ139 ユークリッドは「原論」で、更に、四つの公理(共通概念)を述べます。(1)同じものに等しいものは、互いに等しい。(2) 同じものに同じものを加えた場合、その合計は等しい。(3)同じものから同じものを引いた場合、残りは等しいし、不等なものに同じものを加えた場合、その合計は不等である。同じものの2倍は、互いに等しい。同じものの半分は、互いに等しい。 同じものに同じものを加えた場合、その合計は等しい。(4) 同じものから同じものを引いた場合、残りは等しい。不等なものに同じものを加えた場合、その合計は不等である。同じものの2倍は、互いに等しい。同じものの半分は、互いに等しい。互いに重なり合うものは、互いに等しい。全体は、部分より大きい。2線分は面積を囲まないと解き明かします。スピノザの集大成「エチカ(倫理学)」はユークリッドの数学論を基(もとい)として展開されます。「点」は形状はおろか長さや面積及び空間を持ちません。「位置の象徴」としての意味合いしか「原論」では与えられていません。では「点」は無いのかと問い糾(ただ)されれば在るとしか答えられません。「点」は可能であれば、如何様(いかよう)に拡大しようと、位置としての刻印です。「点」とは在るけれども存在しない「無の形態」と考慮したほうが解釈が容易になります。即ち、世界は「無」なしには成り立たない世界とも言えましょう。見えない存在は世界内には充満します。人間の霊魂などが其の実体が捉えきれない代表例でしょう。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月11日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ138 ユークリッド幾何学の「無」に関しての回答は「一の点」から始まるとした原典、ユークリッド原論は、紀元前3世紀ごろのエジプトのアレクサンドリアの数学者ユークリッドによって編纂されたと大方(おおかた)に云われるわれてる数学書「原論」(Elements)のことです。著者とされるユークリッドに関する資料は現代に至っても乏しく実在性を疑う説もあります。原論執筆の地がアレクサンドリアであることに対する明確な根拠さえも確証は得られていません。プラトンが創立したアカデメイアで集積された数学の成果を集体系化したものとも考えられますが、何(いず)れにしろ論証的学問としての数学の地位を確立した古代ギリシア数学を代表する名著であり、古代の書物でありながらその影響は古代に留まらず、後世の人々によって図や注釈が加えられたり翻訳された多種多様な版が作られ続け、20世紀初頭に至るまで標準的な数学の基本書として使われていたためから、西洋の文献では聖書に次いで世界中で読まれてきた本だと評されます。英語の数学「Mathematics」は此れを語源とします。平面の初等幾何については、但し、ユークリッド幾何学のそれ以前にピタゴラス学派等の貢献により、「原論(Elements)」より前に既に体系化されていた情報を再編纂したものである可能性が高いのも事実です。「原論」ではいくつかの定義からはじまり、5つの公準(要請)と、5つ(又は9つ)の公理(共通概念)が提示されています。議論の前提となる点や線・直線・面・角・円、中心などの概念が定義され、次のような5つの公準を真であるとして受け入れることにより、作図の問題の基礎を明確にしています。1:任意の一点から他の一点に対して直線を引くこと。2:有限の直線を連続的にまっすぐ延長すること。3:任意の中心と半径で円を描くこと。4:すべての直角は互いに等しいこと。5:直線が2直線と交わるとき、同じ側の内角の和が2直角より小さい場合、その2直線が限りなく延長されたとき、内角の和が2直角より小さい側で交わる。但し、此の「公準」図形は直観的に認識されたものです、直観は屡々(しばしば)客観性を欠き、他者には明瞭とは言い難いものです。表された定義や公理の上に,直観を排して厳正な証明によって一貫した論理体系としての幾何学を構成しようという思想が求められます。「点」の要素の確認には全てがもし仮に点が無かったならば人間は全ての存在形態の要素を把握する可能性が失われる危険性が伴なうかもしれません。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月10日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ137 「無」と「常有」としての根元の見えない「有」ではなく、所謂、思想・物理・科学等々の一般的に捉えられる「存在としての有」と「無と有の背景」から逸脱した「虚」の厳然たる区別は世界自然の理解や其処に誕生生育された生命の理性を獲得した人間の霊魂の不滅・再生・滅却を語るには欠かせない論理です。此処に、スピノザの駆使するユークリッド幾何学が 解答を与えてくれそうです。ユークリッド幾何学の「無」に関しての回答は「一の点」から始まります。点とは位置だけを持ち、部分を持たないものである。点とは運動することなき場合は位置を示す象徴に過ぎないとします。「一の点」は「質」の要素からは判断されるものの、位置だけを持ち、部分を持たないものなど人間は思考では捉えても其の実相を見ることは有り得ません。点とは運動することなき場合は位置を示す象徴に過ぎない立場からすれば、点は「存在としての有」を持ちません。点とは人間が想定したものに過ぎないからです。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月09日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ136 世界が何ものの根拠を置かない、寧ろ、出(しゅ)っするところをを知らない「無」でもないもの、言い換えれば其れが「虚」です。旧約・新約・コーランの説く神が、「虚」から生じた次第で「神」が生じて「無」が生じ、神は無から世界を創造されたとする創世記なるものはは矛盾そのものです。「虚」から何ものかが生じることが矛盾だからです。「無」があり得るのは「常有」を前提にします。「常有」を前提にしてこそ「無」が生じ、人間精神が思考する世界が創造されたと考えるほうが理に適います。抑々(そもそも)の世界の始原に「無」自体に何らかの要素が組み込まれているのか、組み込まれていれば「無」は、もはや「無」ではなく「無としての存在」は在る位置を占めています。「無」が「存在」の位置を占めるという状況が生じます。観測物理学に云う「無」からの「粒子」の発生です。世界は「虚」でない限りは、実相を伴ないます。何故に世界には一体全体、存在することがあり得るのか、それは、寧ろ、「無」が或る意味、存在することの必然性を問うているのではないか。人間精神が存在の実相を遡及すればする程、限りなく「無」へと近接していき、或る瞬間をもって、世界は「虚」でないことを認識し「無」の深層に思考が及びます。「無」とは空間を意味するものではなく、在るべくして無いもの、空間上の一点其のもの、位置は保有するものの運動や停止には関与しない何ものかです。然し乍ら、此の空間上の空間上の一点、ユークリッド幾何学が云うところの、幅もなし、質量もなし、位置存在のみの存在と思考してみれば如何なものなのでしょう。此の無と有の背景からスピノザの神的存在は矛盾を巧みに回避します。注意すべきは人間が無を「虚」と同一視したとき、即ち、虚無主義に陥ったときには狂気(Insanity)以外に待ち受けるものがなく破滅が待ち構えます。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月07日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ135 此処に、近代思想史の哲学思想群は、古代ギリシァや亜細亜哲学に比して現代的には些(いささ)か陳凍化しているとしか言えません。経験哲学・実証哲学にしても形而上学の根本の問いには答えることは「無から存在が出現」していることは?、マルティン・ハイデッガーの、なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのではないのかに宇宙を観測すると粒子レベルの話ではありますが、存在していた粒子が消滅し、其の逆に宇宙内、世界には存在しない無空間である筈の場所に突如として新たなる粒子が生み出されている現象です。まさに、無から存在が出現している観測天文学及び観測物理学が「存在と無」の対抗的対立の壁を失(な)くし、可能性レベルを飛躍的に向上させているからです。今や「無」は存在の対抗ではなく「無と存在」は「有」レベルの存在、相互に関与する現象として電波望遠鏡(radio telescope)などを駆使した観測天文学及び観測物理学の分析科学はムーアの法則なみに押し進んでいます。マルティン・ハイデッガーの発言、西洋の哲学が、存在の問題を忘れ去った「存在忘却(Seinsvergessenheit)」の状態に陥っていると批判し、その存在の問題の重要性を強調した。何処に一体、存在があるというのか、寧ろ「無」が在るのが当然であるからこそ存在があるのではないか。たぶんに、此の「無」が在るのをハイデッガーが批判する問いは、西洋一神教の「始めに神ありき」即ち、無から世界が出来たのでは無く、「始めに神ありき」神は無から世界を創造した、神の存在を前提とすれば論理的に「無」は存在しません。ハイデッガーの発言に西洋一神教の影響を見ることは容易い(たやすい)推論となります。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月06日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ134 人間が自己若しくは他者及び外界を意識し認識することは、「一の常住」である存在「有」の部分の「在り」であり、人間が他者からの干渉を受けない「自己原因」でないことは理論構成上がら鑑みて問わざるものにして明白です。人間が自己若しくは他者及び外界を意識し認識することを否定するときには世界は「虚」と化します。例え、反論として映画マトリックスを取り上げても虚構の世界の「現実の世界」、自らが培養液で管理された世界には存します。成る程、「存在」に対して対立するものは「無」だと古来より思想史や宗教史からは読み取れますが、現代的には此の(辺り)不鮮明な時代に立ち入っています。其れは哲学や宗教を離れた立ち位置を物理科学、21世紀の比較級数的な科学技術の発達により、なかでも観測物理学が「存在と無」の対抗的対立の壁を失(な)くそうとしているからです。宇宙を観測すると粒子レベルの話ではありますが、存在していた粒子が消滅し、其の逆に宇宙内、世界には存在しない無空間である筈の場所に突如として新たなる粒子が生み出されている現象です。まさに、無から存在が出現しているのです。無は「虚」ではなく人間の観想出来得ない「何ものか」というしろものです。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月05日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ133 宗教、なかでも唯一神を称(とな)える宗教の旧約のユダヤ教、新約のキリスト教、最も歴史が新しいイスラム教は神格の名称こそ違(たが)えども「ヤーウェ「ヤハウェ(Yahweh)、エホバ、アッラーフ 、(或いはアラー、アッラー)」は共通して一の神をヤーウェを顕しています。然し乍ら、旧約の著作者と目(もく)されるユダヤ民族解放の父モーセにしろ、ゴルゴダの丘で十字架に架けられたイエス・キリスト、偉大な預言者ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフにしても神の形姿を見ることはありませんでした。宗教でさえ「神」は人間には観想は成し得ても実体に相見まえることは不可能時です。精々(せいぜい)が、神の一表現としての天使或いは堕天使を通して神を知るのみです。旧約の著述でモーセの不割礼に怒り殺そうとして出たきたのも、旧約では神と顕していますが神の使いである筈で誤訳です。宗教も形而上哲学もアインシュタイン等一部の物理学者も世界の創造主であり時間や空間は「神」の手によるものであり、神は{虚」とは無縁とします。{虚」とは人間が思考の解決が出来得ないときの逃れの「点の定め様がない夢空間」です。宗教でさえ{虚」を認めないのであれば、哲学は{虚」を否定すべきなのは自明の理でしょう。此の西洋的哲学の思考の流れはスピノザのみならず西洋哲学のなかで無神論や虚無主義者を除いては皆無と断言したほうが健全若しくは賢善です。社会的に生きる人間は、動物園の飼育動物さえストレスに晒され生死の状況が変わる世界に生きています。人間が思考のなかに{虚」を持ち込むときには人間胎生のときより関わる(かかる)伴侶である「死」、一対の「生」を育む狂気若しくは死が待ち構えます。其の死にさえ悶え、悩に自己から死を望む人間には、恐らくは彼或いは彼女には死後さえ安寧を齎すことはないないでしょう。人気ブログランキングへ
2017年10月04日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ132 他のものから前提的には制約されず、自らが自ずと自らの原因となって存在するもの「自己原因」です。スコラ哲学で説くところの神、スピノザの実体(神)は此の実在する世界に絶対者は一であり、必然的存在(Necessary existence)である。{虚」に対立対象する「有」、世界に常駐する根源的な、スピノザの実体としては「絶対存在・絶対精神・絶対意思」であり、ハイデッガーの思考を解釈するところの「見えざる手」です。{虚」が「有」の反対の語彙であり、世界内に於ける「無」とは「有」に付属する或いは従属する「無」であり「無」は「有」としての世界内存在として存在します。此れは一の「存在しなければならないもの」があると云う事実、{虚」は事実が仮相すら出来得ない何ものかです。「無」の観念は、謂わば、大宇宙若しくは自然世界コンピューターの電源投入の前後環境に似通っています。コンピューターを起動すること。ブートストラップとも呼ばれる予め規定された処理が呼び出され、ROMに組み込まれた指示通りにコンピューターが基盤に組み込まれた台座のチップから命令を下します。推測するに此のコンピューターを起動経緯は世界創造、若しくは、大宇宙生成をシュミレートしているのかも知れません。コンピューターを起動し、ブートストラップとも呼ばれるものをコンピューターに電源を入れ、ROMに組み込まれたソフトウェアを実行することで、OSが呼び出され、起動の処理が行われる。此のブート処理を仮にスピノザが知っていれば垂涎(すいぜん)モノであったに違いないことは、スピノザ論理・倫理学が証明しています。{虚」とは起動するスイッチどころではなく電源どころかコンピューター自身が無く起動しようにも起動しきれない仮相の次元であり人間が踏み込むべき場所ではありません。人気ブログランキングへ
2017年10月03日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ131 世界若しくは大宇宙である存在全般に疑問を感じれば誰しもが須らく(すべからく)、自らの問いの解答を欲します。其の問い掛けとは、自己が今現在持つ問いは、現在的には不可能だが何(いず)れはテクノロジーの進歩が解決するであろうとする楽観論。世界の根源(こんげん)は不可触なるが故に余儀なく他に取る手段がなく、 そうせざるを得ない場面に使うような言葉が当て嵌まります。目的のためにどうしても必要なものや、必ずやらなければならないことを表す言葉、世俗的にいえば、例えば「ヤルッキャない」の象徴天皇制を積極的に支持する立場であった第68代衆議院議長土井たか子女史は楽観主義者に妥当します。片や世界は人間には永遠に不可知とする悲観論があります。世界若しくは大宇宙は人間には永遠に不可知とする立場、ハイデッガーの神の見えざる手は人間不可触の問題であり、世界若しくは大宇宙である存在を問うこと自体が無意味であり解答を求めることに値しないとする悲観論者、将又、抑々(そもそも)が世界の成り立ちと其の終結は「無が不可能であること」を示そうという論証である。言い換えると、必ず存在するもの(必然的存在者)がある、よって無は不可能、つまり「は何かがある」のは必然、こういう形が目指される。この形で最もよく議論されてきたのは神である。其れは人間内面思考であって世界の成り立ちには関与しない棄却主義が浮上します。必然的存在者(Necessary existence)による論証とは、少なくとも何か一つ「存在しなければならないもの」があると言うことで、「無が不可能であること」を示そうという論証である。つまり、必ず存在するもの「必然的存在者」がある、其の則に則って無は不可能、つまりは「何かがある」のは必然、こういう形が目指される。この形で最もよく議論されてきたのは神である。そして次に数学的対象もしくは数学的プラトン世界ですが、何も無いような状態など実現不可能であるということでしょうが21世紀の物理学理論は何も無いところから観測上の状態で「無から有ともに有から無」の素粒子段階ではあるものの無と有(此処では在る)を観測しています。「無」は何もないは「有」に対抗する対立存在ではなく「有」に含有されているものと認識しなければ此れからの世界を把握することは不可能事です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月02日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ130 「有」が転じて「無」にはならない世界に我々は存在しているのが事実ならば、現代物理学の宇宙の始まりとエントロピー増大による終末は世迷い言「虚」と化してしまいます。此処に焦点をあてた物理科学者たちが宇宙の存在の起源について、広い範囲で真剣な議論をするようになったのは20世紀後半であり哲学的にも意義があります。20世紀初頭では多くの科学者が、宇宙は永遠に同じように存在し続けているという定常宇宙的な考え方を取っています。宇宙的が或る時点までは膨張し、次の時点では翻って収縮段階に変転し其の繰り返しを永続的に繰り返す。詰まりは近世の経験主義・実証主義の科学理論です。当然ながら、世界は一の思考です。また宇宙の起源といった人間意識のみならず精神の根幹に関わる問題は、科学が具体的に扱える問題とは考えられていなかったのが現状でした。こうした状況に変化を与えたのは後世のテクノロジーの進歩による天体観測技術がIT技術能力の向上で、宇宙が膨張しているという事実の発見、そして其の事実から導き出された帰結として現れたビッグバン理論、これが観測結果による広範な支持を受け、広い範囲で受容されたことで、ブラックホール(black hole)やホワイトホール(white hole)へと繋がり、「宇宙循環説」や「宇宙多重論」が生じます。21世紀初頭に到っても、宗教を除いては学界に一致した解答は顕れてはいません。現状に至るも諸子百家の如く、独自の思想・主張を説きます。宇宙の存在の起源は自己の霊魂の誕生の有りどころであり、霊魂不滅の検証には欠かせません。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年10月01日
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